Alternative
                              鳥社 永遠



Part: 3


「倉成くん。ちょいちょい」
 割れ物を詰め込んだ段ボール箱を運んでいるとき、ゆきえさんが俺を呼び止めた。話題についてはある程度想像できた。憂鬱な話だが、放っておくこともまたできない。
「ええ、私もそう思うけど……無関係とは言い切れないのよね、これが」
「蔓延した原因は、やっぱりLeMUですか?」
 もともと、ティーフブラウはLeMUのさらに下、海底に建設されたIBFで研究されていた代物だ。それがまずIBFで漏れ、LeMUにいた人々に感染。それが日本各地に散っていき、海外からの観光者へ……ネズミ算式に増えていったのだろう。それでも深海と地上、環境の違いがあったわけだから、変異を繰り返し、現在に至るまでのブランクがあったのか。
「そうね。倉成くんの推測は当たっているわ」
 ゆきえさんは珍しく、ため息をついた。
「ティーフブラウを研究していたのは、古今東西IBFしかないわ」
「そうですか……」
「本当、陽一さんも厄介なものを持ち込んでくれたわね」
 陽一、という人はゆきえさんの旦那だ。長い間、行方不明になっていたと聞く。その陽一さんのいた場所が、問題のIBFだった。そこにいることをゆきえさんは知っていたのだろうか。……優に隠し続けてきたのだろうか。
「でも、ライプリヒはキュレイの研究も続けているんですよね?」
「ああ……アレのことね」
「問題でも、あったんですか?」
「大アリよ」
 含みのある言い方だった。やっぱり、俺たちのようにティーフブラウの進行を止めてしまう代わりに身体の成長も止まってしまう……不老の副作用が問題になったのだろうか。
「それ以前の問題なの」
「はあ……」
「誰もね、キュレイに感染しなくて……研究が続けられない状態にまで追い込まれたわ。確かに副作用を除けば、キュレイは万能薬になり得る。でもそれが無理ってことは……」
「えっと……ちょっと待ってください」
 ゆきえさんの言葉をさえぎるように、俺は片手を上げた。
「感染しないっていうのは、どういうことなんですか?」
「きみたちから、つぐみちゃんから、トムやジュリアから、ありとあらゆるサンプルを集めたわ。けれども、キュレイをモルモットに打ってみても、なんの反応は出なかったわ。もちろんライプリヒお得意の人体実験だってやってみた。結果は……反応なし」
「……つまり、誰にも感染しなかったわけですか」
「そういうワケ」
 役に立てなくてごめんなさいね、とゆきえさんは弱々しく微笑んだ。
「治すことのできない病気があるなんて、想像していなかったわけじゃないけれど、科学者としてはショックな事実よね」
「……そう、ですね」
 科学者の意地か。
 けれども……キュレイだって、一般人には信じられないものだろう。大昔から万人が追い求めてきた不老不死。……不死は言いすぎだろうが、限りなく近いものが現実にあるなんて、俺もつぐみと会うまでは信じられなかった。
「倉成くん。つぐみちゃんとは連絡取り合ってるの?」
 何かを考え込んでいたゆきえさんは、唐突につぐみの話題を振ってきた。
「いえ、行方がわからなくなってからずっとです」
 そもそも俺の連絡先なんて教えていないし、連絡を取るなんてできないだろう。やれやれ、どこで何をやっているんだか。再会できることなんてあるのだろうか。
 あるいは……このティーフブラウが蔓延している状況に首を突っ込めば、あいつと出会えるきっかけも作れるかもしれない。
「もしかしたら、ライプリヒは、つぐみちゃんを捕まえようと考えるかもね」
 とんでもないことを、あっさりとゆきえさんは話した。
「倉成くんも、桑古木くんも、優もココちゃんも、なんかしらライプリヒが干渉してくるかもしれないわ。もちろん……実験材料としてね」
「だったら、すぐにでもライプリヒが来そうなものですけどね」
「倉成くん、ポジティブね」
「……ネガティブに考えると、どうなるんですか?」
「今、私に思いつける可能性としては……」
 ゆきえさんは天井を見上げた。俺も釣られて見上げる。清潔感のある白い天井。IBFの天井も似たような感じだった。どこも似たようなもので、こうしていると二年前のことを思い出しそうになる。
 俺は視線を、ゆきえさんに戻した。
「倉成くんたちを拉致する理由がないってことね。必要がない、って言ったほうがいいかしら?」
 ゆきえさんはわざわざ含みのある言い方をした。イマイチ、俺はその意味を理解することができない。
「えっと……つぐみたち、パーフェクトキュレイを含め、俺たちから採ったキュレイは、何故か他の生き物に感染しなくなってしまった。というわけで改めて俺たちを実験する必要が出てきた。……それで、俺たちを拉致する必要は、ない?」
「倉成くん、改めて聞くけど、つぐみちゃんとは連絡を取り合っている?」
「いいえ」
「つぐみちゃんがどこで何をしているのか、知っている?」
「……いいえ」
「もちろん、私も知らないわ。……ポジティブっていうのは倉成くんの魅力的なところだけど、もっとネガティブに考えてみて」
 ゆきえさんは半ば睨むかのように、俺をじっと見つめた。ゆきえさんのこんな顔は見たことがない。俺には、それだけでこの場の空気がさらに重くなったように思えた。
「つぐみは……既にライプリヒの連中に捕まってしまった……」
「イエス」
 ゆきえさんは強く頷いた。
「倉成くん。一つ……私がこれまでの人生で得た教訓を授けようかしら。あまり、自分の視点だけで物事を見ないほうがいいわ。サイコロの六面を全て見ることができないように、一つの物事を多くの視点から考えられるようになりなさい。……時には『自分らしさ』すらも殺して、ね」
 自分らしさすらも殺す。そのフレーズが妙に印象に残った。ゆきえさんは、そこまで客観的にならなければいけない必要性に出くわしたことがあるのだろうか。
「それが、可能性の検討ってことよ。私はこのことを漠然と、『第三視点』って呼んでいるけどね」
「第三、視点?」
 オウム返しに呟くと、ゆきえさんはようやくいつもの笑顔に戻った。
「由来、わかる?」
「……いえ」
「レムリア大陸にいた人々はね、額にもう一つ眼があったそうよ。神様なんかにも三つ目の神様がいるじゃない? 彼らには私たち、現代人に見えない『何か』が見えていたのかも、って話」
「なんだか……壮大な話ですね」
「あはは、そうね。私もそう思うわ」
 ……声にまで出して笑うゆきえさん。うーん、なかなか豪快な笑い方だぞ。
「でも、ゆきえさん、そういう話にも詳しいんですね」
「あら、これは受け売りよ」
 おどけるように、ゆきえさんは肩をすくめてみせた。
「優から、ね」
「……そりゃ、意外ですね」
 しかし考えてみれば、ゆきえさんの専門は薬学で、優の専門は考古学。二人の分野はまったく違うのだから、持っている知識もまた異なってくるだろう。
 ……レムリア大陸、ねえ?
「あの子は、私とは違う道を進む、って毎日言っているのよ」
「そうなんですか?」
「私にはない、別のもので私を超えるってね。なんだかんだで、私や陽一さんの存在がコンプレックスになっていたのかも」
 ゆきえさんは自嘲的な笑みを浮かべると、ため息をついた。
「考えてみれば、陽一さんがいなくなってから、母親らしいことを何一つしてあげられなかったわ。……母親失格ね」
「そんなこと……」
 俺はその言葉を否定しようとしたが、ゆきえさんは首を振った。
「今はそんなこと考えている場合じゃなかったわね。仕事、仕事っと」
 何かの歌を口ずさみながら去っていくゆきえさんを見て、俺は違和感を覚えずにはいられなかった。俺に何かを隠しているのではないだろうか。確信は……ない。けれど、ゆきえさんの態度には思わせるところがあった。
 とりあえず。
 ゆきえさんが口ずさんでいた歌が、無限の外からこんにちはのテーマソングだということはわかった。
 ……田中家もあれを見ているのか。

        ○

 そして、縁空さんと出会ってから一週間が経った。
 何事もない憂鬱な毎日ばかりが過ぎていくだけで、他に話すべきことは特にない。つまりぼくの両親についてはまったくわかっていない状態のまま、進展がなかったということだ。
「手掛かりはなし、か……」
 縁空さん、あるいは田中先生が何かを隠しているには違いない。ぼくが両親のことを問うと、必ずと言っていいほど誤魔化す。そんなにぼくに調べられては困ることでもあるのだろうか。
 もっとも、縁空さんに限れば、難しいクイズの答を導き出させるためにヒントを小出しにしている、という感じだ。その態度に、ぼくは不信感を覚えずにはいられない。
「何を隠しているんだろう……」
 やっぱり……両親の死、なのだろうか。  でもそうすると、両親はティーフブラウで死んだのではないということになる。ただ、真実を隠すのにちょうどいい事件、ティーフブラウの蔓延が同じ時期に起こったというだけで、本当のところはティーフブラウとまったくの無関係だった。
 そう考えるのは少し強引だろうか。
 両親がどんな人間で、どうしてぼくと妹を孤児院に預け、そして何があって他界したのか。
「わからないことが多すぎるな……」
 ぼくは、呟いて足を止めた。自分は一体どこに向かっているだろうか。ふと気付けば、街中をぐるぐる歩き回っていたようだった。そもそもどうして外に出てきたのだろうか。
……重症みたいだな。
 ぼくはため息と一緒に空を見上げ……そして、後ろから押された。
「ぶふっ!」
 前のめりに倒れそうになって、ぼくは堪える。突き飛ばした犯人を咎めようとして振り向くと、そこには見慣れた女の子の姿があった。何故か、ぼくよりも彼女のほうが驚いている。
「いやあ、ホクトがそんなに驚くなんて思ってなかったから」
「……あのねえ」
「あはは! ゴメンゴメン。どしたの? 考え事してたっぽいけど」
 ぼくはなんと答えようか少しだけ悩んだが、すぐ彼女に笑いかけた。
「中間試験、どうしようかなって考えていただけだよ、優」
 優、田中優。本当はもっと長い名前らしいのだが、ぼくは聞いたことがない。一応、この街に住む家族に引き取られて以来、ざっと九年の付き合いになる。幼馴染……という関係になるのだろうか。
「あれ、ホクトって勉強できないんだっけ?」
「……露骨に言わないでよ、頼むからさ」
「そういうの、気にするほうじゃないでしょ? ほらほら、さっさと開き直る!」
 ……という具合に、強引な女の子だ。
 見てくれは悪くない。むしろ可愛いと言えるのではないだろうか。元気溌剌で、一緒にいるこっちまでテンションが高くなってしまいそうな、トラブルメーカー、もといムードメーカー的存在だ。
「まったく……ちょっとはマヨを見習いなさいよね。この前の全国模試も一位だって言っていたわよ?」
「あー、それは見習うとか、そういうレベルじゃないと思う……」
 今までにもマヨとかいう女の子の話は何度か聞いたことがある。その子の話をしているときは、珍しく上機嫌になるところを見ると、自慢の後輩、というヤツなのだろう。ハッキング同好会なる怪しそうな上に危険そうな同好会の後輩なんだとか。
 優自身がインパクトのある存在だから、その同好会に偏見を持ってしまいがちだが、その女の子は優以上に強烈らしい。
 そう説明されると、なんだか人格破綻者みたいなイメージを思い描くのはぼくだけだろうか。
「さぞかし、有名人なんだろうね、その子は」
「そりゃもう。お嬢様オブお嬢様の花園、鳩鳴館の生徒ってだけで……ちょっとちょっと、なんで白い目でこっち見るのよ」
「……優がお嬢様っていうのは、初めて聞いたなって思ってさ」
「と・に・か・く! マヨのファンはかなり多いわね。ちょっと外歩けばハーメルンの笛吹きみたいな有様よ。いやあ、この前もどっかのプロダクションから誘いが来たらしいのよ」
「それで、どうなったの?」
「即答で断ったんだって。そういうのは興味がないって言って」
 ……随分、キツそうな女の子だな。
 女の子って皆、そういう誘いが来たら喜んで受けるものだと思っていたけれど、どうやらぼくの思い込みだったらしい。
「最初は私にだってそんなもんだったわよ。ツーンって感じで」
「ああ、つまり優がその子の性格を破壊しちゃったわけだ」
「なんでそうなるのよ!」
 思い切り頭を叩かれてしまった。……かなり痛い。
「あ、でもそうかも……」
 そうなのかよ。
 ぼくは重いため息をついて、話題を変えることにした。
「で、今からどっかに出かけるの?」
「あー、そうそう。マヨと待ち合わせしてて」
「時間、大丈夫なのよ」
「大丈夫じゃないわよ」
 笑いながら言ってるよ……。優はひらひらと手を振って、ぼくの腕を取った。……ん?
「でも、お土産があるから」
「お、お土産って」
「モチ、ホクトよ」
 やばい、目が本気だ。優のことだ、ぼくをネタに話を盛り上げ、挙句の果てに何から何まで奢らせるつもりに違いない。ぼくの財布は現在、氷河期だというのに。
「失礼ね。初めに提案してきたのはマヨなのよ?」
「は?」
「いやあ、私がホクトの話したら、会ってみたいって。よ! 美少女殺し!」
「誰がいつ殺したっての」
 ぼくは心底うんざりしながら、そこにその女の子がいるわけでもないのに、声を小さくした。
「でもほら、女の子同士で遊びに行くのに、男が急に来たら気を遣うでしょ?」
「たまにはいいんじゃない?」
 と、優は笑顔で答えた。
「あの子、ガードが堅くてさ、鉄壁って言うの? とにかく、言い寄る男を片っ端から断ってるの。誰か好きな男の子がいるのかなって思って、聞いてみたのよ」
「それで?」
「アコガレの人がいるんだってさ」
 優は肩をすくめてみせた。
 うーん、美少女の憧れの人、ねえ? 一体どんな男なのだろうか。興味が湧かないと言えば嘘になってしまう。
「でしょでしょ? それに付け加えて、あまり男の子と話したことがないらしいのよねえ」
「……確かに、お嬢様って感じだね」
「そんなマヨが、ホクトに会ってみたいって言うのよ? これは先輩として、後輩の男性苦手意識を克服するためにセッティングしなくちゃ、って思うワケよ」
 拳まで握って、優は少々熱っぽく語ってくれた。
 しかし当のぼくとしては気恥ずかしいものがあると言うか、恐れ多い感じがする。もしも誰かに彼女と一緒にいるところを見られて、変に勘違いされたらやだなあ。
「そう言うと思ったわよ」
 優は不気味な笑みを浮かべると、バッグから何かを取り出した。
「じゃーん! 鳩鳴館の文化祭チケット!」
「……二枚あるね」
「一つはまあ、つぐみの予約があるから……」
 つぐみ? それは聞いたことのない名前だった。優の友達だろうか。
「ふっふっふ、この超ウルトラレアなチケットを一枚、ホクトくんにあげようかしらん」
「あー、別に行く気はないし……」
「……いるわよね?」
「いります。ええ、いります」
 反射的に頷いてしまった。ここで首を横に振ろうものなら、命の一つ、捨てる覚悟をしなければならない。まだここで果てるわけにはいかない。
「おっし、決定! そうと決まれば善は急げ。レッツゴー!」
 憂鬱なぼくの心中を知る由もなく、優は今までに見せた笑顔の中で、一番弾けている表情を見せてくれた。
 ……まあ、今日は優の計画とやらに協力してもいいかな。
 そう思い直して、ぼくは曖昧な笑顔を浮かべるのだった。

        ○

 ようやく一日の仕事が終わった。
 結局帰路に着くことができたのは夜遅くで、もう何かを考えるほどの余力は残っていなかった。ティーフブラウのことも、ゆきえさんの思わせぶりな態度も、何もかも忘れていたかったのだが……問題というヤツは大抵、積み重なるものだ。
 通りかかった公園に、誰かがいた。いや、公園なのだから誰かがいてもおかしくはない。ただ、俺が不審に思ったのは、……ベンチに座っていたのは涼権だったということだ。
 遠巻きに観察してみると、涼権はコーヒー缶を両手に包んで、じっと地面を見ている。そこに何かがあるというわけではない。恐らく、考え事でもしているのだろう。
 俺はゆっくりと涼権に近寄った。
「よう、こんな時間に何やってんだ?」
「……武」
 ひどく疲れ切ったような声だった。生気がないとは、このことを言うのだろう。俺はすぐに異常性を感じ取った。
「何があった?」
 涼権の隣に座って聞いてみたが、自然と声が強張ってしまった。なんとなく、返される答に予想はできたいたからだろう。
「家族が……ティーフブラウに感染したんだ」
 思っていたよりも落ち着いた声で、涼権は答えた。
「発症したんだよ。きっと……数時間後にはもう、死んじゃうと思う」
「……一緒にいなくていいのか?」
「ああ、追い出されてね」
 何もかもを放り投げてしまったような、空っぽの笑みを浮かべてみせる涼権。強がりには見えなかった。……ティーフブラウを身をもって経験した人間だからこそ、そんな表情ができるのだろうか。
「……あのさ」
「涼権。先に言っておくが、キュレイは使えないぞ」
「わかってるよ。そんなものがあるなんて知れたら大混乱に……」
「そうじゃない」
 俺は涼権の言葉を強い口調で遮る。
「文字通り、キュレイは使えないんだ」
「……武、何言ってるの?」
 当然の反応か。俺はゆきえさんから聞かされた話を、そのまま涼権に伝えた。……もちろん、つぐみがライプリヒに拉致されたかもしれないという、可能性の話は省かせてもらった。
「ライプリヒが? 信用してもいいのかなあ」
「俺はいいんじゃないかと思う。つぐみに関しては悪事を働いていたとは言え、その手の研究はプロフェッショナルなんだ。それに、ゆきえさんだって一応はライプリヒの社員になるわけだし」
「そっか……」
「お前が言いたかったのは、キュレイウィルスを感染させればどうか、ってことだろ?」
「武は、なんでもお見通しだね」
 ため息交じりに、涼権は苦笑した。
「ぼくらには……どうすることもできないんだね」
 表面上はなんでもないように振舞っているが、きっと涼権は自分の無力さを思い知っているのではないだろうか。ウィルスの漏洩という人為的な事故で、大勢の人間が死んでいく。その一番最初の被害者が、俺たちなのだ。世界中の命を背負っているような気にさえなれる。
 俺たちにできることはなんなのか。
 生きている人間にあって、死んでゆく人間にないものは何か。
「……キュレイ、か」
 公園に沈黙が下りる。
 二人はただ黙って、視線を合わせようともせず、ベンチに座ったままだった。俺は考えることが多すぎて、むしろ何も考えたくなかった。涼権はきっと……家族のことを考えていると思う。
 そうすること数分経って、不意に涼権が立ち上がった。
「ぼくはやっぱり、病院に戻ることにするよ。見届けるのはぼくの役目だと思うから」
「……そうか」
「じゃあ、また」
 涼権はそれだけ言って、去っていった。
「……ここにいても仕方ないよな」
 俺はため息をついて、重い腰を上げた。
 見届けるのが役目、か。そうやって割り切ってしまうのは少し悲しい。けれど、そうすることもまた、生きている人間にしかできないことなのだ。それなら、俺にしかできないことはなんだろうか。
「とりあえず……キュレイのことでも調べてみるか」

        ○

 優が腕を引っ張るままに、ぼくは映画館へと来た。大した娯楽のないこの街で、この映画館という存在は重宝されているらしい。ぼくも何度か誘われたことがあるが、実際に映画を見ることは少なかった。
「なっきゅ先輩、こっちござるよ!」
 ざわめきの中でもよく通る女の子の声に、優が振り向いた。目的の人物を見つけたのだろうか。声のしたほうへぐいぐいとぼくを引っ張る。
「ごめんごめん。その代わりにいいおみやげがあるのよぉ。ハイ」
 まるで盾にでもするように、優はぼくを前に押し出す。その『おみやげ』はあまり意表を突くものだったのか、女の子の動きが一瞬固まった。
 ぼくはと言えば……そう、それこそ置物のようになっていた。目の前に立つ女の子と、どこかで会ったことのあるような気がする。それどころか、ぼくの中の、一番大切な部分に触れるような感覚……既視感。
 視界が、一瞬傾いだ。
「えっと、……こちらの殿方は?」
 女の子はぼくの背中から顔を覗かせる優に、ぎこちない笑みで尋ねた。
「ほらほら、前に話したホクトよ」
「ああ! あのホクトでござるな!」
 女の子は妙な口調で、ぼくの顔を覗きこんだ。
「拙者、松永沙羅でござる」
「松永……サラね」
 その名前を聞いて納得した。いや、していいのかどうなのかわからないけれど……彼女は、ぼくの妹に似ているのだ。だからどこかで会ったことがあるように思えたし、奇妙な感覚を覚えもした。そういうことだろう。
 ……ちょっと待て。それってどういうことになるのだろうか。
 ぼくはこの子を……妹なんじゃないかと疑っているのか? それこそ考えすぎだ。この広い日本で同名の人間なって数え切れないほどいる。名前が一致したというだけでそんな判断を下すのは危険だ。
 それでも……信じたいという気持ちのぼくもいる。
 この感情をどう説明すればいいのだろうか。……ぼくにはわからない。
「……ぼくは、大体優から聞いているとは思うけど、ホクト。よろしく」
「よろしくでござる」
 ぼくはうまく笑みを繕って、何事もないように沙羅と握手をした。動揺は……見せなかったと思う。
「本人を見て、どう? マヨの感想を聞きたいかな」
 マヨというのは沙羅のことらしい。
 優はどうもぼくの存在に期待しているようだった。一応、悪い印象は与えていないと思うけれど、ぼく自身、沙羅の意見を聞いてみたかった。今後の参考にもなるし。
「私が思っていたとおりの人……ですよ」
 その後に続く言葉を待つぼくと優。しかし、三人の間に流れたのは沈黙だけだった。その様子を見て、沙羅は気まずそうに口を開いた。
「えっと……それだけ……ですけど」
「じゃあじゃあ、マヨが想像していたホクトの人物像って?」
「それは内緒でござるよ」
 沙羅は冗談めかしてそう答えると、くすくすと笑った。
「なっきゅ先輩。仲人さんみたいですよ」
「あう」
 優は顔を真っ赤にして、両手を力強く振った。沙羅の男性苦手意識を克服させようという計画を知られたくなかったからか、仲人みたい、というのを否定したいらしい。
「わ、私は別にホクトとマヨをくっつけようなんて考えてないわよ!」
「わかってますよ。そんなことしたら、後が怖いですからね」
「……えっと、なんの話?」
「なんでもないわよ!」「なんでもないでござるよ」
 二人から言われてしまった。二人だけの秘密ということらしい。すごく気になるけれど、あまり突っ込むとロクなことがなさそうだ。ぼくは肩をすくめた。
「それで、映画は何を見るの?」
「そりゃあもちろん……」
「ねえ、なっきゅ先輩?」
ぼくの質問に、二人はお互いに見合わせて、声高に映画のタイトルを叫んだ。
「無限の外からこんにちは・リローデッド!」
 ……なんだか周囲の白い視線が集まったような気がしたぞ?
 本当にそんなのを見るのかなあ……。ぼくは今から疲れてしまったような、そんな錯覚を覚えるのだった。






あとがき

前回、優さんに撲殺されかけた鳥社です。こんにちは。
今回はちょっとシリアス(?)な感じでお送りしました。ボリュームも心なしか増量です。
困ったのは、武と涼権のシーン。あそこが一番、どんなシーンにしようか悩んだところでした。
つぐみから電話がかかってくる場面、優から文化祭のチケットをもらうシーン、etc……。
けれど涼権の出番がなくなってしまいそうだったので、やや無理矢理の形でも登場させました。
……武視点でもホクト視点でも、まだ出てきてないキャラをいかに出すか。
とりあえずそこんところが問題ですかねえ。
ま、気長に読んでもらえれば幸いかと思います。ではでは。


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送