つぐみんのお料理教室 A/Z |
木枯らしが吹き荒ぶ冬の夕方、沙羅は家へ帰る途中であった。いつもは帰宅途中に忍者走りをするくらい元気な彼女であるが、今日の足取りは重たかった。 「はぁ〜、困ったなぁ…」 突き刺さるような冷たい風に短めのスカートからのびる脚が何度となくさらされるが、今の彼女の悩みに比べたら微々たるものだった。 「来週の調理実習どうしよう…。カイバラの奴、いきなり言い出すんだから…」 カイバラというのは、沙羅の学校の家庭科の教師である。白髪まじりの獅子を思わせる顔立ちをしており、食べ物に対して異常なこだわりを持っている。 その授業内容も、普通ならばどの食品にどんな栄養素が含まれているか、といった内容を取り扱うところを、「料理は技法に走ったら駄目だ!旨みだけを追ったら駄目だ!料理とは素材に惚れ込んで、その素材の素晴らしさを引き出してやることだ!」とか「美食とは人の心を感動させることだ!そして、人の心を感動させるのは唯一人の心のみだ!」とか、はたまた「冷やし中華なぞ食い物ではない!」といったようなことを熱弁する始末である。その外見と言動から、某美食家の名前をとってそのあだ名がつけられた訳である。そのカイバラが、来週に調理実習を実施すると言い出したのである。 「『冷やし中華なぞ食い物ではない!』って豪語してるのに、なんで調理実習のメニューがハンバーグなんだろう…」 そんな疑問が浮かびはしたが、担当はあのカイバラである。油断は出来ない。 なにしろ「材料は私が最高の物を用意する!君達は素材選びの心配はせずに存分に腕をふるってくれたまえ。ハッハッハッ!!」と言っていたからである。 「それ以前にハンバーグの作り方がよく分からないのに、どうしろっつーのよ!」 少なくとも、当日までにハンバーグの作り方くらいはマスターしておかねばならないだろう。そうでなければカイバラに何を言われるか分からない。噂では、よそのクラスの調理実習で怒号とともに作り直しをさせられたところもあったらしいのである。 そんな悩みを抱えながら歩いていると、近所の商店街に差し掛かった。そこで不意に声をかけられた。 「あら、沙羅。お帰りなさい。今日はいつもよりちょっと遅いわね」 そう言いながら笑顔で彼女に声をかけたのは母親のつぐみだった。 「あ、ママ。晩御飯のお買い物?」 「ええ、日差しも弱くなってきたからね。それで沙羅を見かけたから。」 紫外線に弱い純キュレイ種のつぐみは、陽が落ち始めてから買い物に出かけるようにしている。日中でも長袖を着て日傘をさせば出歩けないことはないが、見た目が17歳の少女である彼女が日傘をさして歩く姿はどうあっても目立ってしまう。そんな理由でなるべく夕方に出かけているのである。 「あれ?いつもは駅ビルのスーパーで買ってるよね。」 「たまには気分を変えて別の場所で買ってみようかな、って思ってね。あ、せっかく会ったんだから今日は沙羅の好きな物作ってあげようか?」 そう言われて顔を輝かせた沙羅であったが、先程の調理実習の事を思い出し顔を曇らせる。 「あら、元気ないわね。具合でも悪いの?」 心配そうにつぐみは沙羅の顔を覗きこむ。 「ううん、そうじゃないでゴザルよ…ねえママ?私にハンバーグって作れるかな?」 「え?どうしたの急に?」 つぐみはキョトンとした表情になる。 「実は…」 沙羅はさっきの悩みをつぐみに打ち明けた。すると、つぐみはにっこり微笑んで 「大丈夫よ。材料は良い物を向こうで用意してくれるんでしょ?下ごしらえを丁寧にやって焼き加減のコツを覚えれば、そうそうケチはつかない筈よ。」 「じゃあ、教えてくれる?」 「もちろんよ。私に任せて、ね?」 つぐみは軽くウィンクをしてみせる。 「ママ、ありがとうでゴザルー!」 思わず沙羅はつぐみに抱きついた。 「ちょ、ちょっと沙羅。ここ、道のど真ん中なんだから…人が見てるわよ」 確かに10代後半の少女同士が(片や制服である)が道のど真ん中で抱き合っている光景は人目を引くかもしれないが、沙羅はそういった事は大して気にもとめていない。彼女達の今までの人生を考えれば無理もないだろう。 「それじゃあ、ハンバーグの材料を買っていきましょう」 「御意、でゴザル」 言いながら、つぐみと腕を組むような形で歩きだす。傍から見れば、仲の良すぎる姉妹である。 「えーと、玉ネギにパン粉に牛乳、卵は家にあるから、お肉だけ買っていけばいいいかな」 「あ、ママ。お肉屋さんなら、あそこにあるよ。」 「じゃあ、あそこで買っていきましょうか…すみません、合挽き肉をくださいな」 「へい、いらっしゃい!。いかほど差し上げましょ?」 威勢の良い肉屋のおじさんの声が響く。 「そうね…(4人分だから、一人150グラムとして…あっ、でも武とホクトがたくさん食べるから…)それじゃ700グラムくださいな」 「あいよォ、合挽き700グラム毎度ありぃ!お姉ちゃん達、お母さんのお使いかい?えらいねい!」 「あ、いやその…」 つぐみは返答につまる。 「よし!おじさんオマケしちゃおうじゃねえか!300円でいいぜ、持っていきな。」 はっきり言って出血大サービスもいいところである。 「え、そんな…」 「いいってことよ!お姉ちゃん達美人だしな、後5年もすりゃもっとキレイになるぜ。」 「あ、ありがとう、それじゃ遠慮なくいただきますね」 おじさんの言葉に内心苦笑しつつも、つぐみは、笑顔で品物を受けとった。 「また、よろしく頼むよー!」 威勢の良いおじさんの声を聞きながら二人は店を後にした。 「ねえ、ママ?あのおじさん、私達のこと姉妹だと思ってたみたいだね?」 「まあ、無理もないかもね。確か沙羅の授業参観のときにも間違われたっけ?」 「そうそう、皆ビックリしてた。でもね、クラスの皆に凄く人気があるんだよママ。参観に来ていたお父さん達はママに釘付けだったよ。モテモテだねえ。」 「ふふっ、そんな風に思ってるのは沙羅だけよ。それにいくらモテたって関係ないしね、私には武がいるんだから。」 「おおっ!アツアツでござるなあ、ニンニン」 そんなやりとりをしながら二人は帰路についた。 「遅いぞ〜つぐみ〜、腹減って死にそうだ〜」 「僕もお腹ペコペコだよ〜」 帰宅するなり二人が耳にしたのがこれらのセリフであった。毎度のことであるが、つぐみは、この何気ない日常に何よりも幸せを感じていた。 「はいはい、今から用意するから待っててね」 いつもと同じセリフを言いながら台所へ向かう。 「それじゃ、ママ、よろしくお願いするでゴザル。」 そう言って沙羅もその後についていく。 「沙羅も手伝うの?」 台所へ向かう沙羅を見止めてホクトが言った。 「ふふっ、今日は沙羅がメインなのよ」 「何!?沙羅を料理するのか!?俺は食わんぞ!」 武がお約束のボケをかます。 「馬鹿。沙羅が今日の晩御飯を作るのよ」 「わかっとるわい。で、何を作るんだ沙羅?」 「えっと、来週の調理実習の練習でハンバーグを作るつもりなの。はじめてだから、ママに教えてもらいながらだけどね。」 「そうかそうか、頑張れよ。期待してるぞい。」 沙羅の頭を撫でてやる。 「ニンニン、頑張るでゴザルよ」 「沙羅、僕も応援してるからね、頑張ってね!」 ハンバーグを作るだけで、ここまで大袈裟になれるのが倉成家である。まあ、毎日がこんな感じではあるのだが。 「はじめましょうか?まずは…って沙羅、着替えていらっしゃいな。制服のままじゃない。」 「でも、パパもお兄ちゃんも早く食べたがってるし…そうだ!これならOKでしょ?」 そう言いながら制服の上からエプロンをつける。 「そうね、ま、いいかな。それにしても、ある方面の趣味の人が好みそうな格好ね…」 「拙者もそんな気がしてきたでござる…」 筆者の愚かな意向の所為です。すみません…。 「それじゃ、気を取り直してはじめましょうか。まずは、玉ネギをミジン切りにするの。こうやって、半分にした玉ネギに縦と横に切れ込みを入れていって後は均等に細かく切っていけばいいの。やってごらん。」 鮮やかな手つきで、しかもゆっくり丁寧に実演してみせる。 「よーし、まず、切れ込みを入れてっと…」 たどたどしい手つきだが形にはなっている。 「そうそう、上手いわよ。」 「後は、均等に細かく切るっと…」 「あっ!沙羅、切るときは添える方の手は猫の手みたいに丸めないと危ないわよ」 「うん、分かった…よいしょ、よいしょ…」 ゆっくりとしたペースでも玉ネギは均等な大きさでミジン切りにされていった。 「ねえ、ママ?こんな感じでいいの?ちょっと時間かかっちゃったけど。」 「上出来よ。慣れれば、もっと速く刻めるようになるからね。」 「うん。速く刻めるようになりたいでゴザルよ。でないと目に染みてたまらないよー。」 ぽろぽろ涙をこぼしながら言った。その顔が何とも可愛らしい。 「ふふっ、そうね。練習あるのみよ。それじゃ、次は玉ネギをキツネ色になるまで炒めるの。焦げやすいから火加減に注意してね。」 「はーい、フライパンを熱して油をひいて…玉ネギを入れるっと。」 野菜を炒めるのはカレーを作るときの手伝いでやったことがあるので、多少は慣れている。程よく炒めていると甘い良い香りがしてきたので、そこで火を止める。 「んー、良い匂い。美味しそうに出来てるじゃない。後でこれはタネに混ぜるから冷ましておこうね。急いでいる時は生で入れてもいいんだけど、炒めた方が甘味が出るから本番でも炒めたほうがいいかもね。」 「そうするでゴザルよ。次はどうするのママ?」 「次はタネを作ろうね。ボウルに挽肉を塩コショウしたものにパン粉と牛乳、卵、さっきの炒めた玉ネギを入れてよく混ぜるの。パン粉と牛乳の量は1:1がちょうどいいかな。牛乳の量が多すぎると、柔らかすぎてうまくまとまらなくなっちゃうからね。卵はちゃんとカラザを取っておいてね。今日は横着していっぺんに混ぜちゃうけど、パン粉は予め牛乳に浸しておくとよくなじんで混ざりやすくなるわよ。」 「御意、でゴザル。それじゃ早速…結構力がいるでゴザルね。」 「ここで、しっかり混ぜないと焼くときに崩れちゃうからよくこねようね。」 額に汗すら浮かべつつ、沙羅は丁寧にタネを混ぜ合わせる。美味しいハンバーグを作ろうと一生懸命である。そんな沙羅の姿を見て、つぐみは自然と笑みが浮かんでくる。 「うん、それぐらい混ぜれば大丈夫。そうしたら、そのタネを食べやすい大きさに取って、こんな風に手でキャッチボールをするようにしてごらん?」 「なんで、キャッチボールをするの?」 「それはね、こねてる間にタネの中に空気が入っちゃってるから、それを抜くためにやるのよ。」 「勉強になるでゴザルなあ、ニンニン。」 「よし、後は焼くだけよ。焼くときはね、タネの真ん中を少しへこませてから焼くの。へこませないと、焼いてるときに真ん中が膨らんでイビツな形になっちゃうから気をつけてね。」 「うん、後もう少しだから頑張らなきゃね。で、焼き方はどうするの?」 「あ、焼くときはね、片面をまず強火で焼いて、少し焦げ目をつけたら、ひっくり返すの。そうしたら、フライパンの中が見えるように透明なフタをして弱火でじっくり火を通すの。」 「うん、わかった。」 つぐみに言われた通りにやってみる。フライ返しでひっくり返すときに崩れないか不安だったが、よく混ぜていたので大丈夫だった。フタをして弱火にするが、いつ頃がちょうど良い焼き加減なのかまでは始めてなので分からなかった。 「ママ〜、火加減までは分からないでゴザルよ〜」 「うーん、目安としては、へこませたところが平らになれば大丈夫よ。あら?そろそろいいんじゃないかしら?」 そう言って、つぐみは火を止める。フタを開けると、肉の程良く焼けた良い匂いがする。見ているだけでも美味しさが伝わってくるようだ。 「ん〜、とっても美味しそうに出来てるわよ。頑張ったわね、沙羅。」 先程の武と同じように沙羅の頭を撫でる。 「えへへ、私にも出来たでゴザルよ、ニンニン。」 「おーい、まだかぁー?もう限界だぞ〜い」 居間の方から、武の震えたような声が聞こえてくる。声から察するに、そうとう腹を空かせているようである。 「パパ達、もうヤバそうだね。随分時間かかっちゃったかな…あ、おかずこれしか作ってないね。」 「大丈夫。ご飯は出かける前に炊いておいたし、付け合せの野菜もお味噌汁も、ハンバーグを作ってる間に作っておいたわよ。」 流石はつぐみである。手際の良さは、年の功と言ったところであろう(笑) 「じゃあ、早く持っていってあげようよ」 二人は夕飯を器に盛って居間へと向かう。そこでは案の定、武とホクトがテーブルに突っ伏していた。いただきますをした途端、物凄い勢いで二人が食べ始めたのは言うまでもなかった。 「おおー、美味いな沙羅!始めて作ったとは思えんぞ。料理の上手な娘をもって俺は幸せだなぁ〜」 「ホントだ、すごく上手にできてるよ、沙羅」 武とホクトは、口々に沙羅の作ったハンバーグを誉める。本当に美味しそうに食べる二人の姿を見て、沙羅は何だかとても嬉しくなってしまう。その時、ふとカイバラの言葉が頭をよぎった。 「(人の心を感動させるのは人の心ってこのことだったのかなあ)」 はじめは、只カイバラに怒られるのが憂鬱で始めた練習であったが、今となると、 カイバラの言葉が少しだけ理解出来たような気がした。 「これで、調理実習は安心だね、沙羅?」 ホクトがそう言うと 「でも、今日は時間がかかり過ぎちゃったから、本番の時に時間内に作れるか不安だよぉ」 「平気よ。何度か作っていれば、慣れてもっと速くできるようになるから。」 「そうでゴザルか…よーし、これから毎日頑張るでゴザルよ!」 その後、調理実習までの一週間、倉成家の献立は毎日ハンバーグであった… タツタサンドを三食5日間食べた彼らならば大丈夫だとは思うが… |
END |
あとがき 皆さんのSSを読んでいて、触発されて書いてみました。気楽に読んでいただければ幸いです。 |
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