なっきゅにお任せ 
                              A/Z


  ある日の午後、田中優美清春香菜は自宅の書斎でくつろいでいた。コーヒーの芳醇な香りが部屋の中に広がっている。
  
 「ふぅー、休日に飲むコーヒーは普段より美味しく感じるわねー」

  何しろ久々に取れた休日だ。多忙な日常を、しばし忘れる為に今日一日のんびり過ごそうと決めていたのである。

 「でも・・・こういう日に限って、何か厄介な事が起きたりするのよね・・・」

  そう、ぼやいていると不意に携帯電話が鳴った。彼女は「しまった」と思った。

 「あーあ、電源切っとくんだったわ・・・絶対に厄介事だわ、この場合・・・」

  渋々ながらも着信画面を見てみる。発信者名には「猿丸」と表示されている。

  猿丸というのは、情報屋の名前である。優美清春香菜は、BW発動計画の準備に際して、上は財界のお偉方から下は場末の

 情報屋、はたまた裏稼業の人間まで、幅広い人脈を持つに至った。猿丸も、場末の情報屋の一人であり、取り分け裏社会の

 情報に精通していた。

 「あら?猿丸さんだわ。珍しいわね」

  そう呟きながら電話に出る。

 「先生、お久しぶりでございやす」

  電話越しから、早口で、しゃがれた声が聞こえる。

 「ええ、本当に久しぶりね、猿丸さん。元気してた?」

  その声とは対照的に、落ち着きのある、澄んだ声で応対する。

 「へい、おかげさまで、達者でやっとります」

  電話の向こうで、猿丸はペコペコ頭を下げながら話しているのだが、彼女は、その事を知る由もない。 

 「そう、良かったわ。それで、今日はどうしたのかしら?」

 「へい、どうしても先生のお耳に入れたい事がございやしてね」

  先程より声の調子を低くして言う。 

 「あら、何かしら?」 

  春香菜が尋ねると、猿丸は声を絞るように言った。

 「それが、ちと電話じゃ具合が悪いんで、出来れば直にお話したいんですよ。よろしゅうございやすかね?」
 
 「ええ、構わないわよ。それじゃ私の家で話しましょうか?」

  彼女の家ならば、盗聴されるという事も無いだろう。セキュリティは万全である。

 「とんでもねえ!あっしみたいなモンが、先生のお宅にお邪魔するなんざ恐れ多いことでやんすよ!」

  慌てた様子で、声を張り上げる。それを春香菜は優しく諭した。

 「そんな事気にしないで、是非来て頂戴。美味しいコーヒー入れて待ってるからね」  

 「そ、そうでやすか。んじゃ、伺わせてもらいやすね。それじゃ失礼しやす・・・」

  またもや、電話の向こうで頭を下げる。相手に敬意を表していなければ出来ない動作だ。

 「はい、それじゃあね」

  電話を切ると、春香菜はコーヒーを一口啜った。休日返上かしらね、という思いを抱きながら・・・

 

 



 猿丸が春香菜の家にやってきたのは、電話の会話から2時間程してからだった。既に陽は落ちかけていた。

  春香菜は猿丸を応接間に案内すると、コーヒーを入れる準備をし始める。

  暫くすると、コーヒーを二つトレイに乗せて運んで持ってきた。その一つを猿丸の前に差し出す。

 「猿丸さんは、ブラック派だったわよね?私も、そうなのよ。やっぱりコーヒーはブラックよね〜」

 「あー、先生、どうかお気遣いなく・・・」

  心底、恐れ多いといった様子だ。

 「はい、どうぞ。春香菜特製ブレンドよ。味の保証は出来ないけどね」

  言いつつウインクを一つ。

 「へ、へい、そいじゃお言葉に甘えやして。・・・ほぇ〜、こいつは旨いですねえ。旨いです、ホントに」

  猿丸は喉を鳴らす。本当に美味しそうに飲んでいる。

 「喜んでもらえて嬉しいわ。・・・それで、早速だけど、その『耳に入れたい事』というのを聞かせてもらえる?」

  先程の笑顔とは、打って変わって真剣な表情になる。猿丸も深刻な面持ちをし始める。

 「んじゃ、単刀直入に言いやすね。実は・・・キュレイウィルスの実験を繰り返そうとしてる奴がいるようでがす」

 「・・・どういうこと?」

  春香菜は眉をひそめた。

 「あっしも仕事柄、情報の出所を話す訳にゃいきませんが、そんな話を聞いたんでさ。キュレイの話ってことになりゃ

 先生に話さなきゃと思いましてね」

  そう言いながらコーヒーを一口やる。

 「それが誰だか分かる?」

  尋ねながら、彼女もコーヒーを、コクリと飲む。

 「すいやせん、そこまでは分かりやせんでした。申し訳ないことで・・・」

  猿丸は頭を下げる。その様子を見て春香菜は言った。

 「あっ、そんな謝らないで。そうね、ここから先は私の仕事よね。猿丸さんありがとう」

  春香菜もペコリと頭を下げる。

 「そんな、もったいねえことです。頭を上げておくんなせえ。いつも世話になってる先生には、これぐらい当然でやすから」

 「ありがとう。それじゃ早速調べてみるわ」

  そう言って、コーヒーを一息に飲み干した。 

 「そんじゃ、あっしはこれで失礼しやすね。コーヒーごちそうさんでした」

 「ええ、今度は遊びにいらしてね。それじゃあ、またね」

  猿丸を玄関まで見送ると、仕事部屋に向かった。いつもの穏やかな表情は、そこには無かった。



 「さて、いったい何者かしらね。早くつきとめないと倉成達が危なくなるかも知れないわよね・・・」  

  キュレイの実験をするのであれば、当然、純キュレイ種のつぐみが狙われるはずである。そのために家族を人質に取ると

 いったことも充分考えられる。 

  春香菜は、ありとあらゆるデータを徹底的に調べあげていく。又、全ての人間関係を総動員して事実を究明していった。

  そうしていく内に、一人のある男が浮かび上がった。PCのディスプレイにデータと顔写真が表示される。20代後半の男だ。

 「この男ね。えーと名前は・・・神条 龍二。素性は繁華街の裏の顔、か。んーキュレイとの関係性のありそうなデータは・・・と」

  言いながら神条の経歴を調べていく。

 「ああ、多分これね。なになに、『ライプリヒ製薬におけるキュレイ実験の被験者であったが(当時、ライプリヒ製薬は新薬の実験

 と称してモニターを募っていた。被験者はキュレイの実験だということは知らなかった)特に成果がなかった為解放される。
 
尚、実験内容はキュレイウィルスを人工的に感染させるものである』、か・・・他には・・・ん?な、なにこれ・・・?」

  春香菜は驚愕した。神条の当時の写真を見たからである。なぜなら現在の写真と過去の写真には、年の差が殆ど感じられ
 
 ないからである。

  彼が被験者であったのは今から20年以上も前の話である。どう考えてもおかしい。 

 「ま、まさか、この男もキュレイ・・・?感染していたって事・・・?」

  自分の考えられる範囲では、そうとしか考えられない。そして、その男がキュレイに関して何か企んでいるかも知れないのだ。

  早急に手を打たなければならないだろう。しかし、相手はキュレイ種である。普通の人間を相手にするのとは訳が違う。

  それは、キュレイである彼女自身が最も良く分かっていることだった。

 「何か、この男を押さえる方法はないかしら・・・」

  春香菜は思案をはりめぐらせた。対応策は必ずある筈である、キュレイに対する有効策が・・・

  考え始めてから、どのくらい経ったであろうか・・・不意に春香菜は、溜息を一つつくと、

 「こうなったら、あの男に頼むしかないわね。背に腹は代えられないわ・・・」

  そう言って、電話を手に取った。『あの男』に仕事を依頼するために。深夜の部屋に彼女の声だけが響いた。





  次の日の午後、研究所の一室で、春香菜は一人の男と対峙していた。闇色のロングコートに身を包んだ、彫りの深い、

 女性ならずとも美形と賞賛したくなるような、端整な顔立ちの男だった。

 「お久しぶりですね、春香菜先生」

 「久しぶりねヴェスパ・・・」

 「かれこれ5年振りですかね。最後に私に仕事を依頼されてから」

  微笑を浮かべながら言う。『ヴェスパ』というのが、この男の裏社会での通り名である。

 「そうね、出来れば、あれで最後にしたかったんだけどね。そうも言ってられなくてね」

  ため息まじりにヴェスパに言う。

 「キュレイ・・・でしたっけ?確か?」

  ヴェスパは興味深げに尋ねる。

 「ええ、電話で話した通りよ。で、引き受けてくれるかしら?」

 「分かりました、お引き受けしましょう。他ならぬ先生のご依頼ですから」

  そう言ってヴェスパは不敵な笑みを浮かべた。

 「契約成立ね。それじゃ早速、これを見てくれる」

  そう言って、春香菜は神条のデータを見せながら、事の詳細を話した。

  それから、倉成一家と一緒に写っている、自分の写真を、白衣の胸ポケットから取り出した。

  もちろん、娘の優美清秋香菜や、同僚の茜ヶ崎空、助手の桑古木、ひよこごっこ仲間の八神ココも一緒である。

  写真の中の彼らは、幸せそうに笑っている。彼女の宝物だ。

  それをヴェスパに見せ、彼らの素性について、大まかな説明をしていった。

 「だいたい、こんなところだけど、どう思う?」

 「そうですね・・・先生のお考え通り、敵さんは、まずこの倉成さん達を狙うでしょうねえ。この、つぐみさんでしたっけ?
 
 特殊なキュレイ種の?」

  慈愛に満ちた笑みを浮かべている、つぐみを見ながら、ヴェスパは言った。

 「ええ、まず間違いなく、つぐみを狙うでしょうね」

  そんな事は二度とさせてなるもんですか。春香菜は心の中で、そう付け加えた。

 「でも、つぐみさんもキュレイ種ですから、直接彼女を狙うのはリスクが高いですよねえ、抵抗された場合は」

 「その通りよ。だから、奴らはまず、キュレイじゃない、子どものホクトと沙羅を標的にすると思うわ」

  写真の、ホクトと沙羅を交互に指さす。沙羅がホクトに抱き着いてホクトが照れているところが写っている。

 「でしょうねえ。人質を取る方が効果的ですものね。で、彼らの護衛と、敵さんの対処、と?」

 「ええ、そうよ。但し、倉成達には気付かれないという条件でね。そうじゃないと貴方に頼む意味がないわ」

  彼女は、少しでも彼らが不安になるという事を避けたかった。彼らが何も知らない内に事を解決したい。

  その為に、このヴェスパに依頼したのだから。

 「貴方の『能力』ならば可能でしょ?」

 「クス・・・確かにそうですねえ。それでは仕事に取り掛かるとしますかね」

  そう言うと、ヴェスパは部屋を後にした。さっきと変わらぬ微笑を浮かべながら・・・ 






  鳩鳴館女子高校の界隈は、賑やかな街並みであった。そこに、その町の雰囲気には似合わない、黒いスーツの男達が

 7、8人、物陰に潜んでいた。

  どう見ても気質の者には見えない。間違いなく裏社会の人間である。

 「いいか、標的は倉成沙羅だ。見つけしだい迅速に拘束する。誰にも気付かれるな、目撃者がいたら消せ」

  その中ではリーダーらしき男が指示している。それを見ていたヴェスパは苦笑を禁じ得なかった。

 「クス・・・形だけの裏稼業の人間だね。なんでまあ、あんなに目立つ格好してるんだか・・・。あれじゃ、怪しんでくださいと
 
 言わんばかりだよねえ。カジュアルでいいのに。ま、仕事は仕事だからキッチリやらないとね・・・」

  そういうと同時にヴェスパのコートが翻り、何かが一斉に飛び出した。



 「そろそろ下校時刻だ。お前達、抜かるんじゃないぞ」
 
  リーダー格の男が時計を見つつ、そう告げた。 

 「了解です。ここで成功すれば、神条様からの覚えも良くなりますからね」

 「ふっ、そういう事だ・・・。では準備開始・・・・・・ん、何だ?この羽音のような音は・・・?」

  男達の後方から、耳障りな音が聞こえてくる。

 「うわああっ!!!」

  後方で叫び声が上がった。

 「どうした!?何があった!?」

 「は、蜂です!100匹以上はいます!・・・ぐわっ!刺されました」

  見ると、男達の周りに大量のオオスズメバチが飛び交っていた。とてもじゃないが、対処のしようがない。

 「高崎と戸田も刺されました。このままじゃ危険です!!」

  懸命に蜂を払いのけながら部下の一人が叫ぶ。

 「ちいっ!なんでこんな時に限って・・・近くに巣でもあったのか!?おいっ!退くぞ!娘をさらうのは次の機会だ!!」

  そう叫ぶと、他の男達も、一目散にその場から逃げ出した。

  

  その誰もいなくなった物陰にヴェスパは、ひょっこり現れた。

 「神様に〜♪背くよ〜な〜♪不器用な〜力で♪、と。さ、お前達、戻りたまえ」

  どこかで聞いたような歌を口ずさみ、ハチ達に声を掛けると、ハチ達は一斉にヴェスパのコートの中に戻っていった。

  ハチを自在に使役することが彼の『能力』だった。

  ある意味キュレイをも凌駕する能力である。

 「次の機会か・・・残念ながら、それはありませんよ。さて、先生に報告するとしようか」

  携帯を取り出し、春香菜に連絡をいれる。

 「聞こえますか?先生。只今、沙羅さんを狙っていたであろう男達を追い払いましたよ」

  やはり、この男は出来る、と春香菜は内心思う。

 「ご苦労様。それで、ホクトの方はどうなの?」

 「ええ、彼の方は、蜂どもが見張っています。何かあれば、すぐに対処できますよ。クス・・・まあ、その必要もなくなるで

 しょうけれど」

  微笑まじりに、春香菜に伝える。

 「え?どういうことよ?」

  春香菜は、怪訝そうに聞き返す。 

 「逃げていく男達を蜂に尾行させました。敵さんのアジトまで案内してくれると思いますよ」

  相変わらず、仕事の速い男である、と春香菜は感心する。

 「そう。それじゃ分かったら連絡して頂戴。私も行くから」  

 「おや?先生も来られるんですか?」

  意外そうな声をヴェスパは上げる。

 「当たり前でしょ。貴方一人に行かせたら、奴らをどうするか分かったもんじゃないわ。できるだけ穏便にすませたいのよ」

  出来れば、平和的に解決したい。事を荒立てれば、それだけ倉成達の耳に入る可能性が高い。

  まあ、いざとなれば、揉み消せばいいのだが・・・

 「そうなればいいんですけれどね・・・」  

 「駄目なときは貴方の出番よ、よろしく頼むわね」  

 「アイ・サー。それじゃ失礼します。・・・さて、どうなることやら・・・」

  笑みを浮かべつつ、尾行させた蜂が戻ってくるのを待った。





 
  深夜。神条が治める繁華街の、とあるBARの前に春香菜とヴェスパは立っていた。

  白衣にタイトスカートという格好の彼女と、闇色のコートに身を包んだヴェスパの二人組みは、繁華街では

 如何にも奇妙な取り合わせであった。。

 「ここで、間違いないのね?」

 「ええ、そうですよ。蜂にも追わせましたし、何より、私の本能の囁きがここだと伝えています」

  自信たっぷりに言う。

 「本能の囁きってアンタ・・・(汗)。・・・ま、いいわ、準備はいい?」

 「いつでもどうぞ」

 奇妙な二人組みは酒場の中へ向かった。

 


  店内は典型的なショットバーという感じだ。繁盛しているらしく店内は満席に近い。かろうじてカウンターが空いていると
 
 いった程度だ。

 「いらっしゃいませ。お二人様でいらっしゃいますか?」

  店に入ると同時に、ダークスーツの男が慇懃な態度で尋ねた。

 「ええ。ところで、ここに神条 龍二さんはいらっしゃるかしら?」

  そう尋ねると、スーツの男は眉ひとつ動かさずに

 「いいえ、そのような者はおりません。場所をお間違えではないでしょうか?」

 「キュレイの事で話がある、って言っても?」

  すると、男は眉を吊り上げ、語調を強めた。口調も変わっている。その声で、客達がこちらに注目する。

 「貴様!何者だ!?その言葉をここで口にして無事でいられると思うなよ!」

 「へえ?どう無事でいられなくなるのか教えてもらおうじゃない!」

  春香菜も負けじと声を荒上げる。もう既に、彼女の地が出ている。

 「なんだと、このアマ!!これでもくらいやがれ!!」

  男は春香菜に向かって殴りかかった。力任せの一撃である。

  春香菜は、その拳を余裕でかわす。目標を失った男は、そのまま勢い余って店の外に転がり出て、ゴミ溜めの中に頭から

 突っ込んだ。

  その途端、客だと思っていた連中が一斉に立ちあがって、こちらを睨んできた。ざっと50人は居る。

 「テメー等!!よくもやりやがったな。生きて帰れると思うんじゃねーぞ!!」

 「私、何もしてないんだけど・・・」

  確かに、さっきの男は単なる自滅であったが、そんなことに耳を貸すような連中ではないだろう。

 「おい!女の方は生け捕りにしろ!いい金ヅルになりそうだからな!男の方はさっさと始末しろ」

  そう怒鳴ると、連中はナイフや拳銃といった凶器を一斉に取り出した。

 「クス・・・穏便に済ますんじゃなかったんですか、先生?」

  ヴェスパが苦笑まじりに呟いた。

 「し、仕方ないじゃない。不可抗力よ!!こうなったら力ずくで聞き出すわよ!!」

 「ええ、分かりました。クク・・・面白いことになりましたねえ」

  春香菜は構えを取り、ヴェスパはコートをひらめかす。

 「さっさと、やっちまえ!!」

  男の怒鳴り声を皮切りに、大立ち回りが始まった。

  数では圧倒的に連中が有利である。しかし、相手にしているのは、キュレイ種と蜂使いのタッグである。勝敗は火を見るよ

 り明らかだった。

  誰かが言っていた『少者は弱者』という理論も、この二人には通用しなかった。

  ヴェスパのオオスズメバチによって大半が刺され、倒れていった。春香菜に向かっていった男達も次々と彼女の足技の

 餌食になっていく。

 
 
 「こ、こいつらバケモンかよ!」

  動揺する男の片方のアゴを、すくい上げるように放った春香菜の蹴りが捕らえる。

  にぶい手ごたえと音を残して、男は後ろにひっくり返る。それと同時に手近にあった椅子を、最後の男に向かって蹴り飛ばす。

 「ぅどわをっ!?」

  男が、飛んできた椅子を払った瞬間。椅子を追って走った春香菜の膝蹴りが、男のみぞおちにめり込んでいた。

  男は、そのまま床に崩れ落ちた。

 「ふう、片付いたわね」

  息一つ切らさず、春香菜は店内を見まわした。

  テーブルや椅子はメチャメチャだわ、酒ビンやグラスは、ほとんど割れているわ、男達が、そこら中にゴロゴロ転がってい
  
 るわで、その有様は酷いものであった。

 「ずいぶん派手にやりましたねえ」

  ヴェスパは、カウンターのテーブルに腰を掛けながら、その有様を眺める。

 「さて、神条の居場所を吐かせましょうか」

 「・・・無理ですよ先生。全員ノビてます。蜂毒でやられた連中は簡単には目を覚ましませんし、先生のパワーで倒された連中も
  
 まず、起きてはきませんよ」

  ヴェスパの蜂毒は特別性であるし、キュレイのパワーで蹴られた生身の人間が、どうなるかは容易に想像できる。

 「だぁぁっ!!何で一人残しておかないのよ!!」

 「最後の一人をノしたのは先生でしょう・・・」

  非難の声を上げる春香菜に対して、ヴェスパは呆れ顔で言った。

 「ああ!もう、どうすんのよ!!」

  床に転がっている椅子を蹴飛ばしながら叫んだ、その時である。

 「私をお探しですか?お嬢さん?」

  店の奥の方、二階に通じる階段から、一人の男が降りてくる。

  データで見た写真の男であった。間違いない、この男が神条だ。さっきの連中が着ていたスーツよりも、一際高級そうな

 スーツを身に付けている。背丈は179センチ程でイイ体格をしており、切れ長の両目の奥には、誰もが呼び捨てを控える裂帛

 の眼光があった。

  裏社会のボスの風格充分である。

  そして、おもむろに、神条は口を開いた。

 「クク・・・部下が失礼をしたようで」

  見下したような口調だ。

 「よく言うわね、今までの様子を全部見ていたんでしょう?高みの見物とはイイご身分ね」

  春香菜も、さっきとは、打って変わった落ち着いた口調で応える。

 「いやはや、無能な部下で困りますよ。しかし、これはまた、中々派手にやってくれましたね。女性からアプローチを

 受けるなら、もっと艶っぽいシチュエーションの方が嬉しいんですけれどね」
 
  余裕の笑みを浮かべながら言う。

 「あなたの冗談に付き合ってる暇は無いのよ。早速だけど、キュレイについて何を企んでるのか教えてもらいましょうか?」

  無駄な話をするつもりは毛頭無い。

 「・・・その質問に答える前に、一つお聞きしても良いですかな?」

 「何かしら?」

  言いながら、彼女は腕を組む。

 「あなたの、そのパワー、スピード・・・とても常人のものとは思えませんね。貴女、何者です?」

 「それは、あなたが一番良く分かっているんじゃないかしら?」

 「ほう、貴女も私と同類ですか。奇遇ですねえ」

  それを聞いて、春香菜は大きな溜息をついた。

  その二人のやり取りを、ヴェスパは愉快そうに眺めている。

 「はあ〜、いい加減、化かし合いはヤメにしない?キュレイの事を調べているんだから、当然、私のことも知ってるんでしょう?」

 「クク・・・そうですね。流石は田中優美清春香菜先生、お耳が速い。いいでしょう、質問にお答えしましょう」

 「是非お願いするわ」

  春香菜は、壊れていないカウンターの椅子に座りながら言った。足を組んだ格好が様になっている。

 「先生、キュレイの力とは素晴らしいものだとは思いませんか?普通の人間が、どんなに努力しても手に入らない不老不死、
  
 他者を圧倒するパワー。私は、この力で裏の世界で財を築きあげたんですよ」

  神条は、嬉々とした口調で語る。

 「あなたをライプリヒがマーク出来なかったのは、突発的なキュレイの感染に加えて、その事実をひた隠しにしてきたからね?」

 「まあ、そんな所です。力を抑えていても常人の相手をするには充分ですからね」

  言いながら、胸ポケットから葉巻を取り出し、鷹揚な仕草で火をつける。

 「・・・ですが、部下に無能な者が多くてですね。ちょっとした戦闘で、この有様ですよ」

  葉巻を吹かしながら、そこら中に転がっている部下を見やった。
 
 「だから、キュレイを部下に感染させて強化させよう、って訳?」

 「ふ、実に察しがいいですね。まさに、その通りですよ。私だけでなく、組織全体が強化されれば、一気に裏社会に台頭できる」

 「で、倉成達を実験体に使うつもりなの?」

  春香菜は、目を険しくさせる。声に怒りの感情がにじみ出ている。

 「ええ、彼らの事を知った時、私は歓喜しましたよ。私以外にもキュレイがいるってね。しかも純キュレイ種ときたものです」

 「大したものね、どこで知ったのかしらね?」

 「貴女程ではないにしろ、私も裏社会の情報には精通しているのでね」

  そう言って、葉巻をまた吹かせる。

 「なるほどね・・・。で、提案なんだけど、今後一切キュレイの件から手を引いてくれないかしら?」

  神条に本題を投げかけた。声のトーンが心無しか少し低い。

 「残念ながら、それは飲めませんね。・・・先生、彼らは宝の持ち腐れをしているのですよ。あの力を使うつもりが無いの
 
 ならば、それを有効利用できる者が使うべきです。モルモットか、人形としてね・・・どうです?なかなか『合理的』でしょう?」

 「・・・・・・そういうのはね・・・・・・『合理的』じゃなくて『非道』って言うのよ」

  怒りに呟く春香菜のことばに、しかし神条は平然と、

 「いつの時代も、先鋭的な合理主義は理解されないものです」

 「まあ、私には難しいことは分かりませんが・・・」

  今まで黙っていたヴェスパが口を開く。

 「貴方を放っておくわけにはいかないみたいですねえ。それがクライアントの意向でもありますし」

 「同感ね」

  春香菜も立ち上がる。

  神条は小さく笑みを浮かべて、

 「なるほど。しかしまあいい。いずれにしろ、ここに来た時点で、私も、あなた達を生かしておくつもりはない」

 「やる気なのね」

  春香菜は白衣を脱ぎ捨てた。黒のジャケットスーツにタイトスカートという格好になる。彼女も本気だ。

 「勝てると思っているのですか?自分で言うのもなんですが私は強いですよ」

  神条も、葉巻を投げ捨て、構えを取る。

 「先生?私はどうしましょうかね?」

  のほほんとした口調でヴェスパが言った。

 「貴方には、最後の仕上げを頼むから。ほら、キュレイの体質について説明したでしょ?」

 「ああ、そういうことですか・・・やはり、先生は怖いですねえ」

  ヴェスパが笑いながら言う。

 「お話は、もう宜しいですか?時間をあまり無駄にしたくないのでね」

  神条は既に戦闘態勢である。

 「そうね、それじゃあ始めましょうか?」  

  春香菜も構えた。
 

  ブンッ! 間合いを詰めたハイキックが春香菜を襲う。

  それを上体のウィーピングでかわす。瞬間、上げられた神条の足首は、スナップのきいた踵落としとなって春香菜の肩に

  襲いかかる。

  それを紙一重で避け、返し刀の腰の捻りで、春香菜の後ろ回し蹴りが神条の首筋に食い込んだ。

  崩れながらも、神条は、床に残る春香菜の軸足にアンダーの回し蹴りを見舞う。

  春香菜はさらに素早かった。神条の首筋に乗せた足に重心を移動させ、ジャンプした。

  回し蹴りが空転し、神条はスピンして倒れる。その脇腹に春香菜は足裏を着地させた。

 「ゲフッ」
  
  神条は、うめいた。いくらキュレイ種であろうと、急所への一撃は、やはり効く。
 
 「どうしたのかしら?さっきまでの勢いは?そんなんじゃ、倉成や、つぐみには遠く及ばないわよ」

  うずくまっている神条を見下ろしながら言った。  

  春香菜の強さは、神条にとって計算違いだった。

 「お、おのれ・・・ま、まだこれからだ!」

  跳ね起きると、カウンターの方へ物凄いスピードで走り出す。そして、カウンターの裏へ回ると、そこから何かを取り出した。

  神条の手には、小型のマシンガンが握られていた。照明に照らされ、銃口が鈍く光っている

 「ふ、いくらキュレイ種だろうと、こいつを食らえば一溜まりもあるまい!」

  先程の余裕な態度は微塵も残っていなかった。

  そして、その様子を見ていたヴェスパが、神条に声をかける。

 「ふう、見苦しいですねえ。先生、そろそろ良いですか?」

 「そうね、お願いするわ」

  ヴェスパが、マシンガンを構えた神条の前に立ちはだかる。

 「じゃあ、まず貴様から始末してやる!!」

  神条は怒声と共に、銃口をヴェスパに向ける。しかし、マシンガンが火を吹くよりも、ヴェスパが蜂を放つ方が速かった。

  数百匹というオオスズメバチが、一斉に神条に襲いかかる。

 「ぐ、ぐあっ!!は、離れろ!!い、痛え、痛えよお!!」

  泣き言と共に、床に倒れ込む。その有様に、敵でありながら、春香菜は同情してしまう。

  しかし、不意に神条は、むくりと立ち上がる。その周りには、蜂達が威嚇するように飛び交っている。

 「虫ケラを操るバケモノめ。だが、蜂の毒などキュレイの回復力をもってすれば、取るに足らんよ!!」

  みるみるうちに腫れが引いていく。

  それを見て、ヴェスパはニヤリと笑いながら、春香菜に言った。

 「先生、もう出来ていますかね?」

 「ええ、もう出来あがっているわね」

  春香菜が応える。それと同時に、神条の周りを飛んでいる蜂の一匹が、再び神条を刺した。

 「つっ!!・・・何のマネだ?そんなモノは効かんと言って・・・る・・・だ・・・な、な・・・んだ?」

  突然、神条は苦しみだし、膝をつく。マシンガンが、その手から転がり落ちた。

  神条の顔面は蒼白で、呼吸も浅くなっている。

 「先生の思った通りですねえ」

  ヴェスパは感心して言う。

 「な・・・ど・・・ういう・・・こ・・・とだ?」

  もはや、言葉を喋ることも、おぼつかなくなっている。

 「『アナフィラキシーショック』って知ってるかしら?あなたは、それにかかったのよ」

  神条に向かって言った。

  『アナフィラキシーショック』:アレルギー反応の一種。生体にとって異物(抗原)が体内に入ると、それを排除するために

 抗体ができ、生体を守るのだが、この時作られた抗体が、再度同じ抗原が体内に入った時、抗体が過敏に反応して、生体に

 害を及ぼす。吐き気、呼吸困難を引き起こし、最悪の場合、ショック死をもたらす。

 「キュレイの免疫力の強さを、逆手に取ったって訳。蜂に刺された後、間も無い内に蜂毒の抗体が作られたんでしょうね」
 
  その為に、今回の件をヴェスパに依頼したのである。

 「た・・・のむ・・・た・・・たす・・・けて・・・」

  神条は絞り出すように声を出した。もはや、裏社会のボスの風格は、どこ吹く風である。

 「今後、キュレイの件に、一切関わらないなら助けてあげるわ。ヴェスパが緩和剤を持ってるから」

 「わ・・・わか・・・っ・・・た・・・や・・・くそく・・・す・・・る・・・」

  神条が、そう言うと、春香菜はヴェスパに目配せする。

 「ええ、わかりました。それじゃあ、お助けしましょうか」

  そう言って、ヴェスパは神条に薬を飲ませた。

  危険な状態であったが、しばらくすると、神条の様態は回復していった。

  神条が、落ち着きを取り戻したところを見計らって、春香菜は、

 「一応回復しているけど、蜂毒の抗体が無くなった訳じゃないからね。もし、今後キュレイに関して何かしようとしたら

 二度目は無いわよ?」

  声に凄みが増している。

 「わ、わかった・・・もう関与はしない・・・」

  神条は、うなだれて応えた。その顔には脅えの色が濃い。

 「あなたが、そうしている限りは、こちらも何も干渉しないわ」

  喋りながら、先程投げ捨てた白衣を拾い上げ、ぱんぱん、と汚れを払い落とす。

 「よかったですねえ。これで、この繁華街の元締めは続けられるじゃないですか」

  ヴェスパは、いつもと変わらぬ微笑を浮かべて、神条に声をかけた。
 
 「は、はい・・・ど・・・どうも・・・」

  完全に腰が引けた態度でヴェスパを見ながら言った。

 「それじゃ、行きましょうか?後、今夜の事は揉み消しておかなきゃね」

 「クス・・・『たつ鳥、後を濁さず』ですか?」

 「ちょっと違うと思うけど・・・」

  そして、店から出る前に、神条に向かって一言、

 「あなたに、キュレイは荷が重過ぎたようね」

  そう言い残して店を後にした。

  静寂の中に、一人残された神条は、ある事を考えていた。

  世の中には、絶対に敵にまわしてはならない人間が、いるということを・・・




 「ありがとう。貴方のおかげで助かったわ、ヴェスパ」

  繁華街を歩きながら、春香菜はヴェスパに礼を言った。

 「いえいえ、たいした事もできませんで」

 「それで、報酬の件なんだけど・・・」

  春香菜は、今まで控えていた台詞を口にした。

それを聞いて、ヴェスパは、すぐさま口を開いた。

 「そうですねえ・・・。それじゃあ、また『体』で払っていただきましょうかねえ」

  ニヤリと笑って応える。

 「・・・やっぱり、そうくる訳ね・・・」

  大きな溜息をついた。 

  春香菜が、彼に仕事を頼みたがらない理由は、そこにあった。

  しばらく唸っていたが、それから意を決したように、

 「仕方無いわね・・・報酬だものね」

  と、渋々ながらに言った。




  
  とある山中にて・・・

 「おい!優!どういう事だ!?何で、こんな山ん中に来て、ハチミツ作りをしなきゃならないんだよ!?」

  助手である桑古木が非難の声を張り上げる。

 「しょうがないでしょ!!これが報酬なんだから!!だから、ヴェスパには頼みたくなかったのよ!!」

  春香菜、桑古木を含め、研究員達は全員、ハチミツ作りに駆り出されていた。

  いきなりの『野外研修』に、研究員達は不満たらたらである。
  
 「ほらほら、そこお喋りしないで下さい。この時期が一番忙しいんですから」

  ミツバチ達を操りながらヴェスパは注意をした。

 「なんで、裏稼業のアンタが養蜂家をやってんのよ!まったく!!」

  声を張り上げる春香菜に対して、

 「こっちが、本業ですからねえ。ま、観念して、ハチミツ作りに精を出してくださいな」

  ヴェスパは、しれっと答える。

 「ああぁ!!こうしている間にも、整理しなきゃならん資料が溜まってるっつーのに!」

 「桑古木!!アンタは、まだ良いほうよ!!私なんか、次の学会で発表する論文がまだ出来てないのよ!!」

  二人は叫びながら作業をしていく。

 「まあまあ、後で美味しいハチミツをご馳走しますから」

 「あんまり、嬉しくないぃぃーーーーーーーーーーー!!」

  春香菜と桑古木の叫び声が、山にこだまする。 



  彼らが研究室に帰ることが出来たのは、それから2週間後のことだった。

  二度とアイツには仕事を頼まない!!お土産のハチミツを舐めながら、春香菜は、そんな事を考えていた・・・
 


                                                                END 



  あとがき


   キュレイの弱点って何だろうなあ、と考えていたら、思い浮かんだお話でした。うーん、EVER17ぽくありません

   ねえ(汗)。蜂が必要なんで、ヴェスパなんてキャラ出しちゃいました。由来は、蜂の学名が「VESPA」というら

   しいので、カタカナ表記でそのまま使いました。モデルはG○tB○ckersの、毒○サンです・・・ 

   


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