〜CURE OF SEA DOOM〜
                              ちまたみうみ



吾輩は鮪である。

……………………。

やや唐突過ぎる上、陳腐だな。

私の名は実のところ付けられてはいない。

そもそもに、我々の間では意味を成すものではなかったからだ。

ただひたすらに、海をさまよい続ける存在。

そうあらねば、存在できぬ存在。

それが我々であり、私だった。

しかしそれは昔のこと。

今はただ、凍てついた世界に閉ざされ、闇の中に身を埋めていた。





――――私は鮪である。

そう、それは永遠に――――





――CURE OF SEA DOOM――





 彼は凍てついた世界にいた。
 いや、正確にはそこにいさせられているのだ。
 文字通り、凍らされている。
 かつては雄大な海を、忙しなくも突き進んでいた彼の姿は、もうそこには無かった。蒼白になった表面にギョロリと覗かせている眼だけは変わっていないようにも見えるが、それが余計に外見上の物悲しさと恐怖を強調していた。
 なぜ、こんなに目に遭っているのだろうか。
 そんな当然のことを思考することすら、既に彼には許されないことになってしまった。それはあまりにも哀しい。だが、そこには命と命の駆け引き、そして正当な自然の摂理があった。
 彼をこれほどまでに変貌させてしまった男にも、こうしなければならない事情があったということだ。
 しかし、今、彼は今皮肉にも懐かしい海水に身を横たえていた。彼が氷付けにされた理由など、まったく無視するように打ち捨てられていた。それは紛うことなき不条理である。
 だが彼にはそれに対してる怒る気力も、体力も、思考も、あらゆる全ては既に損なわれた後であった。
 ピチャピチャ……。
 わずかに水音がする。それは彼が立てたはずもないので、近くに何かがいるということを証明していた。
 ピチャピチャ……。
 段々とその音は大きさを増す。敢えて立証する理論などなくとも、それは予め備えられた本能によって何かの接近を確認できる。
「……凍った骸……か」
 彼の半身に水面からよじ登った、およそ7センチくらいの背中に縦じまの入った男は自分の足元を眺めつつそんなことを呟いた。二人の大きさにはかなりギャップがあり、男にしてみれば彼は浮島のようだった。
 男は自分の体毛に付着した水滴を払うため、全身を勢い良く震わせた。すると当然ながら彼の上に海水が飛沫したが、そんなことは気にかける必要もなかった。
「お前は……死ねたのだな」
「いや……或いは、まだ生きているのか?」
「お前は、そこにいるのか?」
 男はおもむろに足元へ向かって語りかける。問いかけても彼が答えることはなかったが、それはわかりきったことだった。
 恐らくその問いにさしたる意味はなかったのだろう。少なくとも、浮島としてしか存在していない今の彼には。
「……ふっ」
 男は自嘲気味に笑うと、そこを寝床と決めたかのように瞳を閉じて体を丸めた。凍結している表面は冷たいはずだが、不思議と男はそれを意に介してる様子はなかった。
 

 彼は未だに暗い闇の中にいた。
 そこで彼は、光のあった世界では感じたことない、寒さというものを感じていた。  
 寒さと、ただどうしようもない脱力感、虚無感だけが彼に意識があることを理解させていた。
(私は、いつからここにいるのだろう)
(私は、いつまでここにいるのだろう)
 彼は考える。答えなんて出る訳がないと知りつつも、それは永遠に繰り返さねばならない。それをやめてしまえば、彼は消えてしまうから。
 しかし、闇は静かに薄れて行く。最初は濃い緑……それから青へ。
 ここは海。
 果てのない海。
 そして不意に視界に映った何かの影。
 それは自分だと理解するのに、時間は要さなかった。
(――――待ってくれ)
 彼は泳ぎ出した。
 今まではまるで元の体重を忘れてしまっていたかのように重かった体が、滑るように動く。
 彼は泳いだ。
 自分がそこにいると信じて。


「おはよう」
「……おはよう」
 目が覚めた。そこは彼の居た冷たい場所ではない。だが同時に、海の中でもなかった。
 彼は突然声をかけてきた謎の男にわずかに不信感を募らせたが、今は状況の把握を優先した。
「私は……どうなった……いや、どうなっている?」
 限られた視野の中に納まっている男に、彼は話しかけた。我ながらいきなりぶしつけな態度だな、とそんなことを思う自分に内心少し笑いながらも、勝手に人の躰に乗っているということでチャラだと理由づけた。
「さあな」
 男は表情を変えずに答えた。そこからは、それが本音の答えなのかどうなのか、窺い知ることはできない。
 彼は『まぁそれでもいい』といった様子で黙り込むと、少し質問を変えてみた。
「なんで私は生きているのだ?」
 そう言うと、男は少し楽しそうな口調で、今度はしっかりと答えた。
「正直驚いたが……キュレイの力だな……しかもかなり特殊な例だ。感染経路も不明のようだし」
「キュレイ?」
「匂いでわかる……匂いでな」
 男は彼の反問とは少しズレた回答をしたが、含んでいる意味はちゃんとわかっているような様子だった。
(答える気はないようだな……)
 彼はそれを察すると、素直に追及するのを諦めた。
 だが、彼は自分の体がその『キュレイ』によって何らかの異常を引き起こしているのだということは理解していた。
 第一に、自分は冷凍されていたのだろうが、そこから何の手順もなく息を吹き返した。そして恐らく全身体機能は正常に活動している。
 第二に、本来自分達は海中を泳いでいなければ呼吸することができない。つまり呼吸形態に変化が見られる。
 大雑把に見てもわかるのは、だいたいこんなところだろう。 
 しかし自分の異常がわかったところで、取りたてて今は困ることもない。
かといってこのまま黙り続けていても、進展は望めそうになかった。それを悟った彼は、おもむろに声を発した。
「君は?」
「俺か…………」
 男は彼の質問の意味を呑み込むと、しばし考え込むような仕草を見せた後、顔をあげて言った。
「それはここにいる俺のことか?」
「それとも、本当の俺……か?」
 彼は逆に男に問い掛けられた。しかも、その内容はいまいち理解できず、彼は少し動揺するに至った。
 何を言っているのだろう、この男は。
 訝しげに思った彼は、男の表情をじっと凝視する。だが男は少し愉快そうに、だが彼からしてみれば不快な嘲りにも似た笑みを浮かべており、その真意を図りかねた。
「……意味のない質問だったか」
「え?」
「いや、なんでもない。ただの独り言だよ……」
 そう呟く男の顔には、先ほどの不快な笑みは消え去っていた。
「俺の名は茶美。不死身の村雨茶美だ」
「不死身?」
 男――茶美から、すぐには咀嚼さえできないような単語が飛び出した。それを聞いて、再び少し動揺する。
 バカげている。彼はそう思ったが、茶美の表情には少しも偽りや冗談の気は窺えない。
 しかしその言葉が妙に気になった彼は、茶美に今一度問う。
「不死身ってどういうことだい? まさか、先ほどのキュレイとやらと、何か関係しているのか?」
 彼がそう言うと、茶美は何を思ったかまるで琴線に触れたように笑い始めた。その様子があまり穏やかなものではないと本能的に悟った彼は、わずかに悪寒を覚えた。
「いやいや、ははは……あんた、察しがいいな。それも恐らくはキュレイか……皮肉なもんだな」
「……まさか、そのキュレイというのはウィルスか何かか?」
 彼は、茶美の口振りから恐る恐る考えの行きついたところを口にした。すると彼は再び笑い出した。普通ならバカにされ、一蹴されたかのようにも思えるが、彼はそれは肯定なのだと受け取った。
「……私は一体……どうなっているんだ」
 彼は躊躇いがちに、先ほどと同じ質問を繰り返す。すると、今度は茶美ははっきりと言葉を送った。
「キュレイウィルス。単純に言ってしまえば、『死ねない』ウィルスだ」
「死ね……ない?」
 その言葉に彼は違和感を覚えた。 
 普通、病原菌やウィルスは人体に悪影響を及ぼすもので、どちらかというと破壊的なものだろう。
(なのに死ねない……?)
 それは地獄の苦しみが襲いながらも、身体の麻痺か何かで自ら命を絶つことができないといった理由からそう言うのだろうか。
 いや――違う。
 現に自分はそうではないことを考えると、それは正しくないようだ。
 だとしたらどういうことだろう。彼は考え始めると、意外に早く答えに辿りついた。だが、信じられないことではあったが。
「……新陳代謝及び免疫機能の異常発達。それにテロメアは回復され続ける」
「ヘタをすると、ミンチになってもヒトデみたいに非減数分裂するかもな」
 茶美は彼の顔色から判断したのか、自分から先に答えを言った。最後は少し冗談交じりのように語ったが、あながち間違っていないのかもしれない。
「そして……俺やあんたの場合の特殊な現象……それは高度な知能の獲得だ」
 今まで半分笑ったまま語っていた茶美だったが、そこだけは表情を一片させ、どこか思いつめたような表情をしていた。
「高度な知能?」
 しかし彼はそんな男の変化は意に介さず、彼の語った内容に純粋に疑問を抱いた。
 男は少し躊躇ったような素振りを見せるが、ここまで話しておいて黙り込む理由もなかった。
「わかるか? 俺達はかつて、まだウィルスに感染する前、こうやって考えたりすることができただろうか?」
「いいや、できなかった」
「俺達は本能で物を判断し、思考は本当に単純な最低限のことしか行われなかった」
「つまり……ウィルスが俺達の脳に何か変化を与えている、ということだ」
(……………………)
 茶美の言葉が一瞬よくわからなかった。
 だが、冷静になって落ちついて考えてみると確かにおかしい。
 私はこんなことを考えたりすることもしなかったし、できなかった。なのに今は頭は気味が悪い程に動いている。これは何かの因子が無ければ成り立たないことであり、その原因がウィルスだということか。
「まさか……私がこうやって呼吸したり、生命を維持させているのも……」
 続きは言わなくても、お互いに理解していた。それゆえ、思い沈黙がその場に漂う。
 いつまで黙っていただろうか。不意に、彼の方から口を開く。
「死ねないのは、そんなに悪いことなのか?」
 真っ当な疑問だと思っていた。
 しかしそれは男にしてみれば愚問に過ぎなかったようで、少し表情を険しくしながら鼻で笑った。その様子に、彼はわずかに怯む。こんなに体格差があるのに、まるで押し潰されるような威圧感がそこにはあったのだ。
 やがて、男は表情はまた無表情に戻し、ぽつぽつと語り始める。それが何を意味しているのか、最初はよくわからなかったが。
「……一人の少女がいるんだ」
「その子もウィルスのキャリアで、死なない」
「つまり死ぬことは怖くない。なぜなら、有り得ないからだ」
「生は死を拒否しようとする」
「だが種の保存のため、本能のため、それを享受する者は多い」
「それが自然の摂理であり、当然のことだからだ」
「しかしそれを拒否し続けると、いや、受け入れることが意志とは関係なくできなければどうだろう」
「それは不自然だ」
「不自然とは、常に抹消しなければならない」
「ならば彼女という存在は、そこに居てはならないんだ」
「或いは、そうなった時点で既にもういないのかもしれない」
「じゃあ彼女はどこにいる?」
「本当の彼女は一体どこにいるんだ?」
「生まれ、泣き、笑い、怒り、恋し、愛し、時に苦しみ、そして死んでいく……」
「それら自然を失ってしまった少女は、今どこにいる?」 
「答えは簡単…………」
「それでも彼女は、そこに存在しているんだ」
(……………………)
 彼は茶美が何を言おうとしているのか、わからなかった。ただその言葉の一つ一つは、深い悲しみだけを残して闇へと消えていく。
 しばらく彼が何も言えずにいると、再び男は語り出した。
「死ねないとは、他の自然をも失う」
「求めてもそれは不毛な結果にしか終わらない、と、本人が最後までそう思い込んでしまう」
「哀れな娘だよ……」
「自分はここにいる。自分は決して一人にはならない」
「気づけば簡単なことなのに……な」
 男は言葉を締めくくると、瞼を閉じて天井を仰いだ。
 彼は結局自分の問いには直接答えてもらっていないということに、しばらく経ってから気がついた。だが、今の話は決して無駄話ではないという確信もあったので、自分でそれは考えてみることにした。
(彼女はそこに存在している、か……)
 ならば自分は今、ここにいるだろうか。そういえば先ほど男が訊いてきたはず。
 いや、そもそもに自分は本来何者なのだろうか。
 死ぬことを大前提として生まれてきた彼は、何をするべくして生きているのだろう。
 多分に、餌を取り、泳ぎ回り、受精させ、朽ちていくという単純なサイクルを行うために生まれてきたはず。
 だが今は違う。何もできず、死ぬことすらできず、ただここにいるだけ。
 だったら彼は、本当にここにいるのだろうか。
(私は……私は……)
(私……は……)
 突然、全身に激痛が走る。まるで躰の中で何かが暴れまわるように、全身が痛い。
「どうした!?」
 茶美は異変に気づいたのか、少し慌てた様子で彼の瞳を覗き見る。男はそれですぐに異常が起こっていると判断した。
(苦……しい……)
 ブシュッ!
 いきなり視界を真っ赤な飛沫が覆う。それとともに強烈な嘔吐感と激痛が彼を束縛する。
「TBか!? ……いや、これはキュレイ自体の異常?」
 彼の口、エラからはなおもゴボゴボと鮮血が流れ出る。そんな様子を、冷や汗をかきながらも冷静に見つめる茶美。彼は血液を全身に浴びて真っ赤になっているが、それを介している様子がないところを見ると、或いは気が動転しているのかもしれない。
「私は……死ぬ……のか?」
「ああ、恐らくな」
 彼の問いに男は淡々と答える。
「そうか……ならば私は……ここに、いるのか?」
「さあな」
「……………………」
「私は……誰なんだろうか……」
「考えるまでもないだろ? お前は――」
 男は無表情のまま彼に語る。だがその口は動かされているが、既に何も聞こえないし、感じることはない。
 開かれた目は既に闇に染まり、すべてを閉ざしていた。
(なんだ……結局は終わってしまうのか)
(だが……どうやら私は死ねるみたいだな)
(これでいい……恐らくは、これでいい)
(――いや、きっと――)
(すべて夢……なのかもしれない)
 彼の頭の中では色々なことが交錯した。
 それらを把握するのは彼自身できなかったが、決して無意味なことではないと思っていた。
(ワたしは……だレ?)
(ドコニ……イる?)
(コタえはカンタん)
 私は鮪だ、永遠に。
 そしてここにいる、永遠に。   


 Ende    




あとがき
当初はギャグSSにする予定だったこの作品。
まあこれはこれで非常に滑稽ではあるのですが、何とも言えない出来に(汗
まあ半徹夜しててロクに思考が働いてなかったのもあるとは思いますが、それを差し引いても……これは……(滝汗
 
まあところで不死身の村雨って名前の由来、わかる人はわかっていただけると思われ。
ちなみに鮪さんに名前はありません。
あるはずがないのですから。
茶美(チャミ)は言うまでもなく青山素子もとい小町つぐみの命名ですから良しとする(マテ
まあえげつない作品ですけど、よろしければ感想下さい。
であ、サラダヴァー。





2002


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