Ever17オリジナルストーリー:
「大罪と贖罪・・・」


著:氷龍 命


 穏やかな初春の午後、鳩鳴館女子中学校の校庭からは賑やかな部活勧誘の声が聞こえてきていた。
「ねぇ、テニス部に入らない?」
「剣道部はどうですか?」
「茶道部こそ日本人の心!茶道部に入りませんか!?」
等のさまざまなクラブの勧誘の声が聞こえてくる中、一人の少女−明るい栗色の髪に同じ色の瞳の活発そうな少女だった−が期待に胸を膨らませ、新しく出来た友人達と歩きながらその光景を眺めていた。
 「ねえねえ、優。貴女はどのクラブに入るの?」
『優』と呼ばれたその少女に、隣にいた少女が尋ねてきた。
「う〜ん・・・どうしようかな・・・」
様々なクラブからの誘いに、優は悩んでいた。『華やかなテニス部もいいんだけど、剣道部の様な格闘系も捨て難いし・・・』等と、腕組みしながら目を閉じて沈思黙考していたその瞬間!!
「1!2!!3!!!ハイ!!ダァーーーーーーーーッ!!!!!!!!!」
大音量の音楽とともに、旧世紀に登場したプロレスラーのキメ台詞とされていた言葉が、
部活勧誘にいそしむ集団の片隅から轟いた。
「な・・・何!?」
「キャッ!」
と言う新入生の悲鳴や驚きの声の中・・・。
「新入生の皆さん!我々プロレス研究会、略して『プロ研』に入りませんか!?時代はまだ強い女性を求めています。そこの貴女も、そこでまだ迷っている貴女も!是非、プロ研に入って伝説の技の数々を研究しましょう!!」
等と、選挙演説ばりに気合の入った−但し、些か物騒な宣伝ではあったが−勧誘文句が聞こえてきた。
 「な・・・なんですか。アレって・・・」
と優の傍にいた新入生「荷嶋 澪(かしまみお)」が傍にいたソフト部の上級生に尋ねると、
「ああ・・・プロ研の連中、恒例のアレね・・・」
「アレ?」
「そう・・・アレ・・・。通称『魂の勧誘』。部長以下、全員で毎年やってるそうよ・・・」
という返事が返ってきた。
「ねぇ優、優はどのクラブにするの?」
と、澪が顔を覗き込みながら優に尋ねたが、その続きの言葉が出る前に澪は呆れ返って言葉を失っていた。
そう・・・。その一団を見る優の瞳が、妙に輝いているのに気付いたからだった。
「これよ・・・。これだわ!!」
どうやらプロ研の『魂の勧誘』に対し、優はすっかりその気になってしまったようだった。
 結局、優の『プロ研』行きは周囲の友人達の説得の結果断念させられた。しかし、選択した剣道部との掛け持ちが発覚したのはそれから数ヵ月後の事だった・・・。


(私は優・・・「田中 優」・・・。本当の名前は、もっと長い名前・・・。そう・・・果てしなく長い名前・・・。名前を付けたのは私の父『田中 陽一』だった。でも、父は私が1歳の時に建設準備が最終段階に入っていた最新の海洋テーマパーク『LeMU』の現場視察中に、海中に転落して行方不明になっていた。私の母『田中 ゆきえ』はその事を告げに来た『ライプリヒ製薬』の連中の言葉を信じていた様だったけど、私は信じない。父は・・・、父はきっとライプリヒの何らかの秘密を知ってしまった為に、奴らに監禁されてしまったんだと思う。でも、私には調べる術がない・・・。どうすれば・・・どうすれば真実を知ることが出来るんだろう・・・?)


 そして、それから数年後の西暦2013年9月のある日・・・。運命を司る神の悪戯は、
一人の少女に余りにも過酷な運命を背負わせる事となった・・・。


 「ねぇ、優。お昼御飯どうするの?また学食?それとも購買?」
と言いつつ春香菜の傍にやって来たのは、荷嶋 澪だった。
因みに今の時間は正午少し前・・・、丁度昼食の時間だった。
「ああ、澪。どうしよっか?学食の[キムチうどん定食]もいいけど、購買の[激辛山椒クリームパン]も
捨て難いのよねぇ・・・。澪はどうするの?」
「私は貴女のパンを食べる気はないわね・・・。普通に購買のカレーパンとチョコパン、
それに牛乳の定番セットにしとく・・・」
「甘いっ!!甘いわよ、澪。女は度胸の生き物なのよ。女に生まれたんだったら、絶対一度は挑戦するべきよ!」
春香菜は澪を見つめながら熱く語った。
 優−本名は『田中 優美清春香菜』・・・。本人曰く『果てしなく長い名前』とは、よく言ったものである−はその持ち前の行動力と、強烈な個性でたちまちクラスで頭角を現し、今やクラス中のリーダー的な存在に上り詰めていた。大人しい生徒が殆ど−プロ研はある意味『異質空間』ではあるのだが−のこの学校においては、
ある意味稀有な存在と言えた。
 「はぁ・・・。でも、私だってお腹壊したくないもん」
「美味しいのになぁ・・・。はぁ〜あ、どっこいしょこらしょっと」
とおよそ女の子らしくない掛け声とともに春香菜は立ち上がったが、その矢先、
胸に妙な違和感があることに気付いた。
『まただ・・・。何だろう・・・この前から胸が少し痛むけど・・・。別にエルボーを胸に受けた覚えはないし・・・。この間の文化祭に乱入した男子生徒をパロった時も別に何もなかったし・・・・・・。恋・・・じゃあないわよね・・・』
と思いつつも廊下に出ようとしたその瞬間・・・。
『痛い!!』
と言う春香菜の叫び声とともに『ドサリ!!』と言う、何か重いものが倒れる様な音が聞こえた。
「優、何か・・・」
『落としたの』と言いながら振り向いた澪の目に飛び込んで来たのは、廊下に倒れこみ、激痛に顔を顰めながら制服越しに胸を掻き毟る春香菜の姿だった。
「ゆ・優!?優!!どうしたのよ!?優!!」
やや取り乱しつつも、春香菜の元に駆け寄った澪が叫びながら彼女の体を揺さぶった。
しかし、彼女からは掠れた声で
「く・・・苦しい・・・・・・・・・。胸・・・苦しい・・・・・・の・・・・・・・・・」
と苦悶の表情を浮かべ、歯を食い縛ったままでの返事しか返ってこなかった。
「誰か!!せ・・・先生呼んできて!!それと救急車も早く!!!!」
と絶叫する澪。そして
「OK!すぐに呼んでくるから!!」
ともう一人の友人が弾かれたかのように教室を飛び出していった・・・・・・。


 ここは市内にある病院のER(救急救命治療室)。鳩鳴館から救急車で搬送されてきた春香菜は、ここで適切な処置を施された後、病室のベッドで眠っていた。
 そして、廊下では担任の教師やクラス委員の女生徒が不安げな様子で彼女の母・ゆきえの到着を待っていた。そしてそれからしばらくの後、ゆきえが到着し、春香菜の意識が回復した後、医師から今回の症状についての説明があった。
 「非常に申し上げ難い事なんですが・・・・・・」
と説明を始めた医師−歳は30代前半と言った感じの青年だったが、髪の色がどう言う訳か白髪だった。また瞳は青かったが、それはアングロサクソン系の血が混じっているからだろうとその場の全員がそう思っていた−
は前置きした上で、話を続けた。
「現在、クランケさんの心臓には、重度の疾患が認められます。正直に言えば、
こうなるまで誰も気付かなかった事が不思議でなりません」
「それで娘は、優は直るんでしょうか?先生」
とゆきえが恐る恐る尋ねたが、その答えはあまりにも過酷で、かつ残酷なものであった。
「いえ、決定的な治療法は現時点では発見されていません。移植はしても無駄でしょう・・・。しかし、対処療法はありますがこの方法はクランケさんにとっても不毛なだけです。何故ならば、苦しむ時間が延びるだけです。」
「それじゃあ先生、優は・・・優はどうなっちゃうんですか?」
と澪が青ざめた表情のまま、その医師に尋ねた。
「今の所は、薬で発作を抑えながら生活して行くしかないでしょう・・・。後、医師である以上これだけは言わなければなりません。田中さんの余命は三年・・・長くとも四年でしょう。このままでは、高校を卒業出来るかどうかも
難しい状況です」
「そ・・・そんな・・・・・・」
と春香菜は『信じられない』と言った表情を浮かべながら呟いた。その場に形容し難い沈黙が流れる・・・・・・・・・。
「もっとも・・・」
彼が不意に言葉を継いだ。その場の全員が注目する中、デスクの上のブラックコーヒーを一口すすって彼は続けた。
「医学分野における技術の進歩は日進月歩です。今は無理でも、いずれ治療法が確立される時が来るでしょう・・・。だから諦めず、気を強く持って頑張ってもらいたい。今、私に言える事はこれだけです。ああ、服用する薬は後で薬剤部にカルテを回して調剤してもらいます。それでは・・・・・・」
その医師はそう告げた後、静かに病室を出て行った・・・。


(その日、私が知らされた体の事・・・・・・。先生は[諦めないで欲しい]と言ってたけど、それが苦渋に満ちた気休めだった事は、私が一番判ってる。そして、事実上の『死の宣告』を下された事も・・・・・・。私は生きて行かなければいけない、何時爆発するかも知れない不安定な心臓を抱え、襲い続ける発作に苦しみ、それでもなお先の見えない永遠の暗黒に満ちたトンネルを潜りながら・・・・・・・・・・・・。
 お父さん・・・、私・・・怖いよ・・・・・・。いやだよ・・・、苦しみながら死んで行くなんて・・・・・・それに・・・会いたいよ・・・・・・抱きしめてほしいよ・・・・・・。『父親に抱かれた記憶』も無いままに死んで行くなんて・・・・・・いや・・・だよ・・・・・・・・・)


 そして、それからの春香菜の闘病生活は、正に筆舌に尽くしがたい物であった・・・。襲い来る発作は、時や場所を選ばず、まるで彼女の命を、生きる為の希望を打ち砕かんばかりに突発的に表れては、彼女を苦しめ続けた。夜な夜な絶望と恐怖に泣き叫び、枕を濡らす事はまるで日課の事となりつつあり、また、自分に対する憎しみや怨嗟の言葉を吐き出した事も一度や二度ではなかった・・・。
 しかし、彼女は決して自分から命を絶つ様な事はしなかった。『父に会いたい』と言うその一念−それはまさに『執念』と呼べる物であった−が彼女を常に支え続け、何度となく考えた『自殺してしまえば・・・』という黒い思いを、ギリギリの所で思い留まらせていたのである。しかし、そんな彼女の強い思いも空しく陽一発見の報も無いまま、己を蝕む心臓病が着々と進行しつつあった2014年の10月、春香菜はある人物と出会う事となる・・・・・・。


 『内科の白河先生・・・白河先生・・・。内線129番にお電話下さい・・・』
『本日の脳神経外科医療スタッフ会議は、予定通り15時から第6会議室で行います・・・。参加する
スタッフは速やかに会議室に集合願います・・・』
そんな業務連絡のアナウンスが、消毒の匂いの漂う建物内にこだまする・・・。
 ここは以前春香菜が搬送された病院・・・。その心臓外科の待合室前で、彼女は浮かない表情のままで
お気に入りのアーティストのMDを聴いていた。
『どうせ治らないのに・・・』
そんな考えが脳裏をよぎったが、最早今の春香菜の精神状態−絶望に打ちひしがれ、心も傷つき、既に『魂の無い人形』と化してしまっていた−ではそんな事などどうでも良かった。
『生きる事。生きて父に会う事』
今の彼女はまるで取り憑かれたかの様に、この事を考える様になっていた。そして、
『田中さん、診察室3番にお入り下さい・・・・・・』
と言うアナウンスと共に、彼女は指定された診察室へと入っていった・・・・・・・・・。
 そして診察後、病院内のベンチに座り冷たい雨のカーテンに包まれた街をぼんやりと眺めながらMDを聴き続けていた春香菜に、一人の紳士が声をかけた。
「失礼。そこ空いていますか?」
不意に声を掛けられた春香菜は、少し驚きつつも
「あ・はい。どうぞ・・・」
と言って隣の席に置いていた荷物を自分の膝の上に置き直した。
「すいません。気付かなくて・・・」
と謝りながらフック式のヘッドホンを外した。
「いやいや、お気になさらずに・・・・・・。」
と返事を返した紳士は年の頃は50前後か、頭に少し白い物が混じった男性は立派なスーツに身を包み、
腰をかばうような格好で歩いていた。
「あの・・・大丈夫ですか?」
と春香菜が心配そうに声をかけた。
「ああ、すまんね・・・。この年でぎっくり腰をやるとはな・・・」
と言って、その紳士は苦笑いを浮かべた。
「お大事にしてくださいね・・・。あ!いっけない!!もうこんな時間だ。早く帰らなきゃ・・・来週試験なのに!!」
と言って、腕時計−それは、プロダイバーズ仕様の完全防水の武骨なデザインものだった−で時間を確認した春香菜が、少し慌てた様子で病院の玄関をくぐり、外に飛び出して行った。
 そして、彼女が病院を出たのと入れ違いに一人の医師−それは春香菜の心臓病を診察したあの医師だった−が、コーヒーカップを二つ持って先程の紳士の傍らに歩み寄った。
「博士、御久し振りです・・・・・・」
と挨拶しながら、二つあるコーヒーカップの一つ勧めた。
「ああ、氷乃森君か・・・。どうかね、調子は?」
と『博士』と呼ばれた紳士は、返事を返しながらそのカップを受け取った。
「まぁまぁです。それよりもさっきの子、お知り合いで?」
「いや、偶然会っただけだよ・・・・・・。あの子がどうかしたのかね?」
と紳士は少し興味を持った様子で、『氷乃森君』と呼んだ医師に尋ねた。
「博士、医者の守秘義務に挑戦する気ですか?」
「いや。言いたくないのならばそれでも結構」
と彼は素っ気無く言ったが、その顔は『で、正直な所は?』と言っていた。
「はぁ・・・参りました。・・・・・・彼女、重度の心疾患です。『諦めないように』とは言ったものの、治療法は無いのが現状です。移植もするだけ無駄でしょう・・・・・・」
「そうか・・・・・・・・・・・・」
 それから暫くの間、二人は言葉を交わすことも無く、いつもより苦く感じるコーヒーをすすっていた・・・・・・・・・。


 それから後も、春香菜とその紳士−彼女も後から知った事だが、かの紳士の名は『守野 茂蔵』・・・。世界的に著名な遺伝子工学者で、その世界で守野氏の名を知らぬ者はないと言われる程の権威であった−は病院で何度か顔をあわせ、世間話などを交わすようになっていた。そして、そんな事が数回続いた11月のある日、昼下がりの喫茶店でついに春香菜は自分が抱えるこの体への不安、病魔への恐怖などを守野博士にぶちまけた。
 この彼女の告白には、流石の守野氏も愕然とし彼女が抱える日々の不安に涙を禁じえなかった・・・。
「でも・・・博士。どうして博士は見ず知らずの私にそこまで同情してくれるんですか?」
自分の胸の内を吐露し、泣き腫らしたまぶたをこすりながら春香菜はふと沸いた疑問を口に出した。
「ああ・・・。私にも君と同じ年の娘がいてね、いづみと言うんだが・・・」
「そうなんですか・・・」
「ああ。君を見ていると、いづみと同じような気がしてね・・・。それに、君のような優しい子が『神の悪戯』で死んでしまう事にはいささか納得がいかんのでね・・・」
 そして帰り際、守野博士は優に短く、
「今度、私の研究所に来なさい。話したい事があるんだ」
と告げた。


([ここはどこだろう・・・、私は・・・一体・・・?]
そう、私はどこか判らないただ青い空間の中に漂っていた。そして、私の前に小さな光の玉が現れた。そして、私がその光球に触れると、その光の玉は、驚いた事に
[キミはお父さんに会いたいんだよね?]
と問い掛けてきた。
[会いたい!会いたいよ!!だって、私はお父さんに会った事も無いんだよ。!!・・・でも、どうしてそれを知ってるの?
あなたは一体何者なの!?]
一瞬訳が分からなくなり、私はその光球に問い掛けていた。
[今はまだ知らないほうがいいよ・・・。でも、僕は全てを見ることが出来る。そう・・・この『世界』の全てをね]
そう答えた光球は、やがて私の腕から離れてこう告げた。
[2017年、キミは真実を知ることが出来る。受け入れねばならない真実を・・・受け入れ難い真実と共に・・・
知る事になる・・・]
そう言った後、その光球はどこまでも深く青い空間に溶けて消えて行った・・・)


 そして翌12月上旬のある日、遂に決心をつけた春香菜は約束通り守野博士の研究所を訪れた・・・。


 『守野遺伝子工学研究所−Morino Genetic Engineering Laboratory−』


黒地に金色の文字でそう書かれたプレートが貼り付けられた門柱を前にして、春香菜が
『博士はどうして自分を呼んだんだろう?』と考えていた矢先、
「どうしたんですか?」
という少女の声が優の背後から聞こえた。それに気付いて優が振り返ると、隣町の『澄空学園高等学校』の制服を着た、自分よりも少し年上の少女が立っていた。
「あ、こ・・・こんにちは・・・」
春香菜が慌てて挨拶すると、その少女は彼女のことを知っているのか、
「田中・・・さんでしょ?父が待ってるわ。さ、中へどうぞ」
と彼女を促して建物の中へ入っていった。
 研究所は自宅も兼ねているらしく、少女は応接室のドアをノックした後、
「ここで待ってて。すぐに父さん連れて来ますから」
と言ってすぐに建物の奥へと消えて行った・・・。
 応接室のソファにもたれかかりながら、春香菜はこれから交わされるであろう会話の中身をボンヤリと考えていた。そして数分の後、白衣に身を包んだ守野博士と、驚くべき事にあの氷乃森医師が
二人揃って応接室に入ってきたのである。
「え!?せ・・・先生がどうしてここに・・・?」
春香菜は、予測だにしなかった人物の登場に面食らった様子で、素っ頓狂な声を上げていた。
「え!?田中さんがどうしてここに?博士と仲が良さそうなのは知ってるけど・・・」
氷乃森医師も『何でなんだ?』といった表情を浮かべて困惑していたが、二人を連れてきた少女の
「じゃあ、コーヒー入れてきますね。あ、氷乃森さんは緑茶ですか?」
と言う声にハッと我に返った、が
「ん・・・いや・・・。コーヒーで・・・」
と言うのが精一杯だった様である。


 コーヒーの深い香りが漂う応接室で、春香菜と守野博士、それに氷乃森医師がソファに座り、あの少女−少女の名前は『守野 いづみ』、守野博士の愛娘で、将来は博士の跡を継ぐであろう才女であった−が運んできたコーヒーをすすりながらしばしの時を過ごした。そして、
「不死には、三つの不死がある」
不意に守野博士が口を開いた。
「三つの不死・・・?」
春香菜が不思議な顔で聞き返す。
「一つ目は固体の不死、二つ目は記憶の不死・・・そして、三つ目は遺伝子の不死だ・・・」
「確かに・・・いずれも不死となり得る要素ですね」
と氷乃森医師が少し寛いだように座り直して相槌を打った。
「氷乃森君から聞いたんだが、君の心臓病は後天的な物のようだ。そこで、どうだろう・・・
『第三の可能性』に賭けてみる気は無いだろうか?」
そう、博士は今途轍もない計画を持ちかけた。そして、春香菜がそれについて何か言おうとした瞬間、
「ちょ、ちょっと待ってください博士!!いくらなんでも、それは!!」
と、彼は守野博士が何を言いたいのかが解ったのだろう、声を荒げて立ち上がった。
「氷乃森君、私は君が『クローン法』に対してあまり賛成的でない事は知っているよ。しかし・・・」
そこまで言った後、博士は春香菜の方を見て、『例の件を言ってもいいかな?』と言うような表情を見せた為、
彼女も『分かりました』と表情で合図した。
「氷乃森君は知らない事なんだが・・・。田中君のお父さんは、彼女が生まれてすぐに消息を絶ってしまってね・・・。無論、現在も行方不明のままだ。そして、彼女は自分の父親に会いたがっているんだ・・・。どうだろう氷乃森君、君の気持ちも分からんでもないが、ここは彼女を生き延びさせる為に黙認してくれんかね?」
「・・・・・・私が判断できるかどうかは微妙な位置ですね。確かにクローン法については熟知しています・・・。倫理的な事を言えば、断固反対です!しかし、事情は解りました・・・。それに・・・」
そこで一旦言葉を区切り、氷乃森医師はコーヒーを一口すすった後に
「そんな事情があるのでは、『Ja』としか言えないでしょうね・・・。でも、執刀は拒否させていただきます」
「認めてくれれば、それだけで十分だよ。作業は私が行うとしよう・・・」
 そして、それから十数日後・・・。田中 優美清春香菜は『新しい自分』をその身に宿し、『最後の希望』を育み始めた・・・。


(生まれてくる『新しい自分』・・・。その子には、もうこんな辛い思いはさせたくない・・・。だから、私はお父さんの事には必ず決着をつける!そう・・・たとえこの肉体が滅び去っても、必ずお父さんの手がかりを掴んでみせる!!・・・だから、それまでは安心して眠って、そして生まれて来て・・・『もう一人の私』・・・。そう・・・私は、この子には最後まで愛情を注いであげられないのかもしれない。でも、この子には母が愛情を注いでくれる・・・。そして、私も残された命の全てをかけてこの子を守りたい・・・。)


 春香菜が『新しい自分』を宿してから十月十日・・・西暦2015年9月22日の雲一つ無い秋晴れの日・・・。彼女は無事に女の子の出産を終え、この世に『もう一人の田中 優美清春香菜』が産声を上げた。
 ここはある産婦人科の病室・・・。
「フ・・・フンギャァァァァ!フンギャァァァァ!!」
「ほらほら・・・泣かないの泣かないの・・・」
その病室で、春香菜はむずかって泣き出した『もう一人の自分』を懸命にあやしていた。
「優・・・。とうとう生まれたのね・・・で、名前は決めたわけ?」
病室に入ってきた澪が、赤子を見て笑顔を作りながら優に尋ねた。
「名前か・・・。そうね・・・今は秋、そしてこの子は私の娘・・・私の妹・・・そして・・・『もう一人の私』・・・。だから、この子の名前は『優』・・・『田中 優美清秋香菜』・・・それが、この子の名前・・・」
そう言って、『春香菜』は微笑みながら『秋香菜』を見つめた・・・。


(こんにちは、もう一人の私・・・。そして、そろそろ私も消え去るべき時なのかもしれない・・・。でも、お父さんの事はまだ分からない・・・当時の同僚だった人、ネットの情報、全て調べた・・・。でも、見つからない・・・。どうして!?どうして見つからないの・・・どうして・・・。
 ・・・・・・・・・仕方・・・・・ないわね。こうなったら、自分にとって最も危険で、最も分の悪い賭けでしかないけど・・・でも、こうなったらやるしかないわ!!そう、『直接出向いて調べる』・・・・・・これしかないわ。そして、絶対に掴んでみせる、真実を!!)


そして、秋香菜出産からもうすぐ1年が経とうかと言う時・・・。
「なんだってぇぇぇぇ!!LeMUに行くだって!!!!!!」
ここは病院の診察室、普段のこの部屋の主からは想像も付かない素っ頓狂な叫び声に、外を通る看護婦・患者は勿論、話を切り出した春香菜自身もビックリして、思わず椅子からずり落ちそうになった。
「い・・・いや、失礼・・・。だってねぇ、あまりにも突拍子もない話だったもんだから・・・しかし、なんでまた!?」
その声の主−言うまでもなく、声の主は氷乃森医師その人であったのだが−は、
真っ先に浮かんだ当然の疑問を彼女にぶつけていた。
「はい、秋香菜・・・もう一人の自分も生まれて、あの子に持てる全てを捧げてきました。でも、父の件だけはどうしてもハッキリしておきたいんです!!でも、待ってても何も変わらないと分かったから・・・だから、自分から出向くんです」
「しかし・・・言わなくても分かると思うけど、君の心臓は既に限界が近い・・・・・・いや、限界を超えているんだよ?その身体で、あの高圧空間であるLeMUに行かせる訳には行かないんだよ・・・辛いとは思うけど・・・」
「いえ、後のことは母が上手くやってくれます・・・だから、私は自分の全てを賭しても真実を掴みたいんです!!」
氷乃森医師は何とか説得を試みようとしたが、決意を固めた春香菜のその表情に根負けしたのか、小さく頭を振った後
「OK・・・どうやらこれ以上説得しても無駄なようだね。いいだろう、行ってきなさい・・・自分の命を賭けて、自分が求め続けた真実を探してきなさい。もし、万が一の時は・・・秋香菜ちゃんだったか?君の娘さん・・・
彼女の事は私も面倒を見るとしよう・・・」
「いいんですか!?」
「フッ・・・その目を見たら、何も反対は出来ないよ・・・まぁ、月並みな事を言えば、『頑張りたまえ』と言う事位だろうね」
そう言って、氷乃森医師は傍らのコーヒーサーバーからブラックコーヒーを二人分ついで、一方を春香菜に渡した。そして、その時二人は薄々感付いていたのだろう・・・
『お互い、こうして会うのはこれが最後になるだろう・・・・・・』と言う事実に・・・。


 そして、短期バイトと言う事でLeMUにやって来た春香菜は、案内役を任されているAI「茜ヶ崎空」と出会い、その傍ら父・陽一の情報も収集していた。しかし、館内のコンピューターを統括するLEMMIHシステムに阻まれ、コンピューターを使った調査は不調に終わっていた。
 そして、運命の5月1日・・・LeMUに突如として退館警報が発令され、悲劇の始まりを告げる事件が起きた。その時、春香菜を始め、空・小町つぐみ・八神ココ・倉成武と、記憶を失った少年−この5名がLeMU館内に取り残された・・・。そして時間が経過し、細菌兵器であるTBウイルスに感染した春香菜達は、同じくTBに感染し満身創痍の研究員と共に、LeMU最下層である『IBF』に降り立った。そして・・・
「ほ・・・他の皆は・・・?」
「皆、ここを探索してる。脱出に使えそうな潜水艇があるかもしれないからって・・・」
「そうか・・・しかし、報いとは恐ろしいものだな・・・。ここでTBの開発が行われている事を知った私を、奴らは監禁したのだからな・・・しかも、家族には転落事故と偽っているらしい・・・」
「え!?転落・・・事故ですって!?」
「ん?キミは・・・その事で何か知っているのかね?」
「私の父も、LeMUの工事中に転落事故で行方不明になってるんです。それで、私は父の手掛かりを探してLeMUに来たんです・・・そして、父の名は・・・・・・『田中 陽一』・・・・・・」
「そうか・・・。まさか、ここで『奇跡の対面』とやらをするハメになろうとはな・・・」
「え!?『奇跡の対面』って・・・まさか!?あなたが・・・?」
「ああ、そうだ・・・。優・・・大きくなったな・・・」
そう話す研究員の目頭に、光る物があふれ出てきたのを春香菜は見つけた。いや、そう言う
彼女自身も、涙で視界は既にぼやけていた・・・。
「お・・・お父さん?お父さんなの!?」
「すまなかったな・・・優・・・。お前には色々と辛い思いをさせたようだな・・・」
「お父さん!どうして・・・どうしてこんな所に!?」
「ああ・・・私は、確かにLeMUと館内制御を司るレミの開発に携わっていた・・・。だが、ある日私は知ってしまったんだ・・・。奴らが・・・・ライプリヒが、このIBFで行っている恐ろしい研究を・・・。此処に蔓延しているティーフ・ブラウウイルスだが、このウイルスは自然界ではこれほどの毒性はない。此処の研究スタッフによって、異常なまでの毒性を与えられたのだ・・・。当然、この事を知った私は上層部を告発する為に動いていたのだが、運悪く奴らに監禁されてしまったんだ・・・。恐らく、ゆきえには事故で亡くなったとでも言ってたんだろうと思っていたが・・・お前にまでこんな目にあわせてしまうとはな・・・すまない・・・」
そう言って、陽一は頭だけを動かして−高圧酸素ポッドに入っている以上、身体が動かせない事は分かっているので、状況なりの謝り方と言えば当然であった−春香菜に詫びた。
 その後、暫く後に戻ってきた武達の前で、田中 陽一は『むすめを頼む』という言葉を残し壮絶な最期を遂げ、残された春香菜達も海上保安庁の特殊救難隊に救助された・・・。そう、別路潜水艇で脱出するも、つぐみを助けるべく海底に身を躍らせた武と、ポッドから抜け出し、TBに犯されながらも愛犬のピピを探していたココを除いて・・・。


 そして、LeMU崩壊から二年が経った西暦2019年・・・。世界中に放たれた致死性ウイルス『Tief Blau 2017-Rev.17(以下:TB)』の猛威の前に、春香菜の母ゆきえが倒れた・・・。そしてその葬儀の日、彼女はその胸にもう一人の自分である秋香菜を抱いたまま泣き続け、会場に来る事はなかった・・・。そして、ゆきえの葬儀から数年後の西暦2025年・・・。田中優美清春香菜は、あの事件の直後、自らを『2034年から来たブリック・ヴィンケル』と称する者との約束・・・・・倉成武と八神ココを救い出し、この事故−公には事件として処理されたが、正しくはTB漏洩事故であると言う確信を春香菜は持っていた−を引き起こしたライプリヒ製薬を壊滅させると言う壮大な、しかし、個人が行うにはあまりにも狂気に彩られた計画を遂行するべく、敵であるライプリヒ製薬(正しくはLeMUであるが)に入社した。
 ただし、入社したと言っても春香菜一人ではない。彼女の傍らには一人の青年の姿があった。彼の名は『桑古木 涼権』・・・2017年の事故時にいた、記憶喪失の少年・・・彼こそが桑古木であり、その後も名前以外の記憶が蘇る事はなかったが、春香菜から『計画』の説明を受け、尊敬していた武と、淡い思いを寄せていたココを救出する為、彼自身もライプリヒ製薬に身を投じていたのである。


(お母さんが死んだ・・・。今まで、私や秋香菜を守って来てくれていたお母さんが・・・。そして、お父さんも・・・。もう・・・・・・許さない・・・絶対・・・に・・・・・・許さ・・・・・・・・ない!!この事件を起こしたライプリヒ・・・奴らの悪行は、全て私が暴いてみせる!!ブリック・ヴィンケルとの約束・・・今は、それに縋るしかないけど、もし!倉成が助かるのなら・・・私は何でもやってみせる!そう、何でも!たとえ私は地獄の底に叩き落とされようとも、私には心強い『仲間』がいる・・・。お願い!力を貸して!そして、あの二人を、もう一度光あふれる世界に取り戻してみせる!!)


 そして入社後ほどなくして、春香菜は自分の研究室で実体化した茜ヶ崎空−キュレイ細胞工学によって生み出された生体パーツを用い、肌触りなどは人のままのアンドロイド・・・それこそが、空の今の姿であった。そして、彼女もまた『計画』の共謀者の一人であった−と共に『計画』の現状について話し合っていた・・・。
「つぐみ・・・一体どうするつもりなのかしら・・・。ねぇ・・・空、貴女はどう思う??」
「小町さんの居場所は追跡できますが、問題はリアルタイムでそれが行えないと言う事ですね・・・小町さんはキュレイです。彼女の身体能力に匹敵する、もしくは途方もない話ですが、小町さんを上回る身体能力の人物でなければ、出来ない事ではありますが・・・」
「そうなのよね・・・でも、この『計画』の為にはどうしてもつぐみに逃げ切ってもらうしかないのよね・・・でも、つぐみに匹敵するような身体能力の持ち主がいる筈はないのにね・・・」
「そうですね・・・」
そして、暫くの沈黙の後、ピピがいなくなっていることに気付いた春香菜と空は、ピピを捜しに街へと赴いた・・・。
 そしてその頃・・・公園で電池切れを起こしていたピピを、一人の青年が見つけ、
飼い主を捜して歩き回っていた・・・。
「いないわねぇ・・・。まったく、何所に行ったのかしら?」
そう春香菜が呟いた時だった・・・。
「あのぉ・・・ひょっとして、こいつ探してません?」
と言う声とともに、一人の青年が傍の茂みを掻き分けて−正確には半分薙ぎ倒すような感じだったが−姿を現した。
「あ!ピピ!!やっぱり電池切れてるわ・・・」
「大丈夫でしょうか?」
と覗き込む二人は心配そうだが、
「大丈夫でしょ。これ位精巧にできてる奴だと、データバックアップ用に何らかの補助電源積んでるだろうし。それに、そうそう簡単にくたばるとも思えないし・・・。じゃ、こいつはお返ししますね。・・・・・・さてと、そろそろ今夜のねぐらでも探すとしますか・・・」
そう言ってその青年は踵を返し、二人から離れようとしたが、急に何かを思い出したらしく、
「そうだ、この辺でこんな女の子見なかったかな?」
そう言って、その青年は胸元からつぐみの写真を取り出して二人に見せた。
「!!どうして、あなたがつぐみを知っているの!?」
「小町さん・・・。でも、何故あなたが小町さんの写真を!?」
二人の突然の狼狽ぶりに、青年も思わず身構え、
「あんた等、もしかしてライプリヒの監視員?」
と疑った様子だったが、
「奴らとは違うわよ。とにかく、一度私の研究所へ来て・・・話があるの、お互いに有益なね・・・」
と言う春香菜の言葉にライプリヒの人間とは違う意思を感じたのか、彼はその言葉に従うことにした。


 再び春香菜の研究室・・・。ピピを見つけた青年−彼は、自分の名前を『海藤 拓水』と名乗った−と春香菜、そして空の三人が、コーヒーを片手に『何故、拓水はつぐみの事を捜しているのか』と言う事や『LeMU事件とお互いの経験』等について話していた。
 そして、その話の中・・・。
「な・・・何ですって!?」
「海藤さんは・・・TBによって遺伝子を書き換えられているのですか!?」
「ま・・・ね。どうしてリライト現象が起こったかは判らないけど、書き換わっちまったものは仕方がないし・・・それに、この能力のおかげで今までも切り抜けて来られたんだしね?」
「信じられないわ・・・私達があれ程苦しんで、父も母も・・・いいえ・・・世界中の多くの人々の命を奪ったTBが、キュレイと同じ力を示したなんて・・・。でも、あのTBとは一体なんだったと言うの!?一方では多くの人の生命を奪ったと言うのに、片方では貴方の様な人間の種を超えた超人を生み出す・・・。ねぇ、海藤君。TBの正体とは、
一体どう言う物なの??」
「私もおおいに興味があります・・・。データベースでは致死性ウイルスとしか記されていなかったのですが、海藤さんのような例を見てしまうと、本当にそれだけなのかが分からなくなってしまいます・・・」
「TBの正体・・・。元々は深海熱水鉱床に生息するチューブワームに寄生するウイルスだったんだけど、ライプリヒの連中はウイルスが分泌する酵素・・・宿主を守る為の酵素に毒性がある事に気付いたらしくて、研究を始めたんだ。噂は聞いてますよね?ライプリヒがウイルス兵器の研究を秘密裏に行っているって事は・・・」
「ええ・・・知ってるわ。私の父がつかんだ、ライプリヒの最高機密・・・最も危険なウイルス兵器の開発の話・・・そして、その為にIBFが建造されたらしいと言う噂も・・・ね?」
「確かに、元々IBFは純粋な海底微生物の実験研究設備だった・・・。しかし、TBの原型ウイルスが発見されてからは、海底に潜む悪魔の兵器の研究施設に成り下がってしまった。そして、TBに代表される細菌・ウイルス兵器群は世界中の反政府ゲリラ組織や秘密警察組織などに売りさばかれていった・・・」
「ええ・・・。とりわけ、TBはその驚異的な致死性によって『最強の殺戮兵器』とまで言われるようになってしまった・・・。そして2017年、それは世界中に放たれ、多くの人々の命を奪い去った・・・!」
そう言って春香菜はうつむいたが、拓水はその表情に怒りと憎悪が含まれている事を見逃さなかった。
「誰か・・・大切な人でも死んだかい?」
「え!?」
唐突に拓水が春香菜の顔を見て呟き、話を向けられた彼女はびっくりして顔を上げた。
「ど・・・どうして、分かったの!?」
「ビンゴ・・・か。やたら『ライプリヒ製薬』って言葉のところで力んでたからな・・・
差し支えなかったら、聞かせてくれるかい??」
 そうして、春香菜は自分がIBFで経験した事・・・待ち望んでいた父との再会と、早すぎる別れについて話し始めた。
そして、その話が終わると同時に・・・
「ふえぇ〜っと・・・ただいま」
と言って、研究室に一人の青年が姿を現した。身長は2メートルある拓水に比べるべくもないが、そこそこに上背はあるほうだった。そして、ジーパンに白衣と言う姿も何所となく浮いた感じはしなくもなかったが、
その目だけは強い輝きを放っていた。
 そして、その青年は拓水を一瞥するなり春香菜に向かって、
「優、こいつは何者なんだよ?」
と聞いてきた。そして、春香菜が、
「ああ、『桑古木(かぶらき)』、いい所に帰ってきたわね。彼の名は『海藤 拓水』・・・。私達の『計画』にとっては強力なパートナーになる人物よ」
と答えた。しかし、その言葉を聞いた瞬間、桑古木青年は急に表情を強張らせ、今度は拓水に向かって
「アンタが何者かは分からねぇけど、俺達がやろうとしてる事に首は突っ込まない方がいいぜ?
痛い目に遭いたくないんなら帰った方が懸命だ」
と言って突っかかり始めた。が、
「威勢がいいのは認めるけど、カラ元気はよくないなぁ・・・。それに、そんなに怒ると・・・将来俺の実家の爺様みたいにツンツルテンになっちまうぜ?」
と笑いながら拓水が残っていたコーヒーを飲み干し、勢いを付けて立ち上がり、
「それじゃ田中さん、俺も例の『計画』とやらに向かって動かさせてもらいますよ。とりあえず、PDAでも自作して、2〜3日したら俺も小町さんの後追います。場所は、警察の情報ハックすれば捕まえられるでしょうからね・・・」
と言って、研究室から出ようとしたが、その前に桑古木が立ちはだかっていた。そして、
「待てよ!手を引けって言ってんだよ!!どうしても首を突っ込むって言うんなら・・・その時は・・・」
「その時は・・・なんだ?」
「いっぺん、殴られなきゃ分からねぇらしいな!!お望みならやってやるよ!!」
と叫んで殴り掛かろうとした桑古木に対し、
「桑古木、やめておきなさい・・・海藤も、煽る様な事はしないで」
と春香菜が止めに割って入ったが、桑古木は収まらない。春香菜を突き飛ばし、そのままの勢いで拓水に掛かっていったが、その拳が拓水に届く前に、彼は春香菜の方へ向かってスライドする様にステップを踏み、テーブルセットにぶつかって気を失っていた彼女を抱き起こした。そして、春香菜をソファに寝かせながら、
「おいおい、アツくなるのは勝手だが・・・チョイと乱暴じゃないか?」
と言いつつ、今度は残像がちらつく程の鋭い踏み込みを見せて桑古木の懐に入り込み、彼のシャツの襟元を掴んだ。もっとも掴んだと言っても、締め上げるための掴みではなく、もっと粗野な『吹っ飛ばされないように掴み止めておく』といった感じの掴み方だった。そして、ゼロ距離に間合いを詰めた拓水が組み付いた次の瞬間
ドゴォ!!!!!
と言う鈍い音が室内に響き、桑古木の体が大きく吹き飛ぼうとしていたが、直前に拓水が襟元を掴んでいた為に吹き飛ぶ事が出来ず、そのまま拓水に掴まれたまま、今度はフェイスロックを掛けられていた。
 そして、春香菜が短い失神から目覚めた時、部屋に拓水の姿はなく、ソファに寝かされて気絶している桑古木と、その姿を心配しながら介抱している空の姿があっただけだった。
「ちょ・・・!一体・・・?桑古木は!?それに、海藤も・・・!!」
「田中さん!気付かれましたか!?」
気付いた瞬間、記憶が混乱していた春香菜は、少し深呼吸して落ち着いた後、状況を空に尋ねた。
そして、空が言うには・・・。
「海藤さんは、ピピちゃんを連れてパーツショップに行かれました。なんでも、PDAを自作されるという事で、『部品を買いに行くから、先生が気付いたらそう言っといて』との事でした・・・。それと、桑古木さんは田中さんが突き飛ばされた後、海藤さんに掴まれ、密着状態からの打撃・・・私にも原理は解らないんですが、とにかく凄まじい威力の打撃でした・・・。その後で、フェイスロックをかけられた状態のままで床に叩き落されて気絶してしまわれたんです・・・」
「空・・・その海藤の打撃は『ワンインチブロー』よ・・・。参ったわね、あのブルース・リーが極めた技をこうもあっさり、しかも『TB種』とで言えばいいかしら・・・?超人的な身体能力の海藤に叩き込まれるなんて・・・さすがの桑古木も、これじゃぁ暫く動きそうにないわね・・・」
そう言って、優春と空はソファの上で情けなく潰れている桑古木を残したまま研究室を後にした・・・。そして、拓水がPDAを自作し終え、つぐみの追跡に向かったのはその騒動の数日後だった・・・。


 そして時は流れ、遂に訪れた2034年5月1日・・・。事前工作によって集められたメンバー:田中優美清秋香菜、茜ヶ崎空−ちなみに、この空は春香菜が常に傍においている空ではなく、まったく別の空であった−、小町つぐみ、松永沙羅、桑古木演ずる倉成武とホクト少年・・・。そして、インゼル・ヌルで経過観察を続ける春香菜・・・。これらのメンバーが集まって行う事は唯一つ・・・。そう、17年前に海底のIBFに取り残され、冷凍睡眠に入っている八神ココと本当の倉成武を救い出す、そう・・・高次元の生命体『ブリックヴィンケル(BW)』の『時間移動能力』を使わなければ助からない、17年待たなければ実行できない計画であった・・・。
 そして、時は流れていく・・・。17年前の出来事をなぞりながら、しかし、その時々によって微妙に姿を変えながら・・・。ただ時間だけが流れていく・・・。
「5月6日・・・そろそろBWが・・・『彼』が現れる頃なんでしょうけど・・・。そうでなければ、
この17年は無駄になってしまう・・・」
そう言ってコンソールを睨む春香菜に焦りの色が見え始めた頃・・・。LeMUに閉じ込められているメンバーは、それが仕組まれたことだとは知らぬまま−いや、桑古木は春香菜の片腕であるからこのことは知っている。そしてつぐみは、17年前と同じように時をなぞって繰り返される事件に、背後にいる何者かの気配を感じていた−、脱出を目指していた。しかし、彼女達の願いは叶わぬままに、脱出経路開放の最終期限である5月6日午後9時を迎えた・・・。
「田中さん、午後9時になりました・・・。計画通り、非常階段の緊急排水を開始します」
「ええ・・・仕方が無いわね・・・。空、緊急排水システムを起動して非常階段を確保して」
「分かりました。地上部主演算システムにアクセス、高圧力送風機を起動・・・。ツヴァイト・シュトックの第7非常階段内を緊急排水・・・排水完了まで34分を予定・・・。排水、開始します!!」
「やはり『彼』を騙せなかったという事なの?」
そう言って、優春はコンソールの椅子にゆっくりと身体を預けた・・・。
 しかし、その後出会ったホクト少年からBWが発現・降臨し、その驚異的な時間超越の力により、倉成武と八神ココの救出は奇跡の成功を収めた。そして、一行は本土へと戻るべく春香菜が手配した船に乗り込み、『Island of Calamity(惨劇の島)』とでも言うべきか、ゴーストタウンの様に成り果てたインゼル・ヌルを後にした・・・・・・・・・。


 そして、その船上・・・・・・。
「終わったわね・・・全て・・・」
そう呟いて、春香菜は船の手すりに身体を預け、さらさらと流れる5月の薫風を身体で感じていた。すると、そこに娘であり、今回の事故で閉じ込められていた秋香菜が姿を現した。
「お母さん、話があるの・・・」
そう呟いた秋香菜の顔は、少しだけ怒っている様に見えたが、それは自分にやましい所があるのだろうと春香菜は自分に言い聞かせ、秋香菜の話に耳を傾けた・・・。その話というものは、大まかにまとめれば
『なぜ、マヨ−春香菜曰く、松永沙羅のあだなであるそうだが−をもっと早く助けてあげなかったのか。そして、私は春香菜の何だったのか』と言う内容の問いであった。そして、それを聞き終わった春香菜は、一気に捲し立てて顔を真っ赤にさせている秋香菜を見詰め、
『この子はまるで私と一緒ね・・・変に突っ張った所も、怒りやすい所も・・・。そうね、そろそろ私もハッキリさせなきゃいけない・・・秋香菜は、私にとっての何であるかという事位は・・・』
そこで一息つき、春香菜は17年前の自分とでも言おうか、そっくりな姿をしている秋香菜を見詰めて
「あなたは、私の自身・・・あなたは私のすべて・・・。そして、あなたは・・・・・・」
そこで、春香菜はいったん言葉を切り、あのIBFでの父・陽一との・・・そして、その後の母・ゆきえとの永遠の別れ以来、流す事のなかった涙を流しながら・・・
「あなたは・・・あなたは・・・かけがえのない、私の・・・大切な・・・娘・・・・・・」
そう涙と嗚咽で掠れる声を繋ぎながら秋香菜を抱きしめ、その場に座り込んだ。そして、突然涙を流し始めた母親の姿に面食らった様子の秋香菜であったが、その涙の真意を悟ったのか、彼女も嗚咽を漏らしながら
「お母さん!お母さぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
と泣き叫びながらしっかりと抱き返した。そして、
「ごめんなさい・・・私、マヨの昔の事を知ってたから・・・だから、お母さんならマヨを助け出せる筈なのにどうしてしなかったのか思い切り言ってやろうって思ってた・・・。でも、もうマヨは苦しまなくていいんだよね、追われなくていいんだよね?そうなんだよね??」
と聞いていた。春香菜は、その問いには無言で頷いていた・・・。そして、
「戻ったら、お父さんとお母さん・・・秋香菜、あなたの御爺さんと御婆さんの御墓参りをしましょう・・・。そして、これからも二人で暮らして行こう・・・ね?」
と秋香菜に問いかけ、秋香菜は、少し照れたような様子で『うん』と頷いた。そして、二人が揃って手を繋いだ瞬間
ボォーーーーーーー!!!!!!!!!!
・・・二人の絆を祝福するように、大きく船の霧笛が鳴り響いた・・・。時に西暦2034年5月7日午前11時37分・・・。足掛け17年と言う壮大な時間をかけ、また時間すらも巻き込んだ救出作戦は幕を閉じ、田中優美清春香菜・田中優美清秋香菜親子にも、真の意味での平穏が訪れた、そう・・・それは正に春香菜が自嘲した『犯した大罪』が『贖罪された瞬間』であった・・・。



Ende.


 
『あとがき』と言う名の反省コーナー
 
 と言う事で、オリジナルの『海藤 拓水』を立てた前作『Tief Blau−生者と死者の狭間で−』とは違い、今回は春香菜が心臓病に倒れ、秋香菜を出産するお話から、2017年と2034年を繋ぐブリッジストーリーに繋いでみました。で、ここで白状するとこのSS、ホントは『TB』よりも前に書き始めた作品だったんですよ・・・。でも、途中でTBに関する解釈読んでしまったのが運のツキ。あっという間に拓水の設定が出来上がる始末・・・。流石にここまでほっとくのもなんでしたからね・・・。って!春香菜と秋香菜にドロップキックされそうですね・・・反省。
 で、次のお話は『TB』の後日談的なお話で、拓水と別れた双子の妹『海藤 菜奈海』との再会を書いてみようと思いますが、その前にメモオフの連載SSを書かなきゃいけないんで、時間は少し空きます・・・。では
『蜃気楼に揺らめく海底の園でまた会いましょう・・・』

2003年吉日
  氷龍 命
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