――料理の道は果てしなく、そして険しい。
決して終わる事の無い、NEVER ENDING ROAD――
これは、その道を歩む事に世界を見つけた、ある少女の物語である。


鳩鳴軒へようこそ!2 
〜涙の手打ち蕎麦〜

                             終焉の鮪


都内某所にある一軒の料理店。
元ライプリヒ製薬会社重役・田中優美清春香菜の出資によって設立されたその店名は『鳩鳴軒』。
そしてそこの営業を一任されているのは、わずか19歳の女性であった。
名を七瀬 真篠(ななせ ましの)という。

元鳩鳴館女子ハッキング同好会部長という異質な経歴を持ちながら、その料理の腕前はかなりのものであると評判がある。
たまたま鳩鳴軒オープン初日に食べに来た事がきっかけとなり、あれよあれよという間に店長を任された。
今は鳩鳴館女子を辞め、ひたすら鳩鳴軒で鍋を振るう日々を過ごしている。


「…注文です、3番に坦々麺と海鮮たっぷり手作りピザ、デザートに豆腐のレアチーズケーキお願いしますわ」
昼のラッシュ時、そう淡々と注文を告げたのが塔野 笹広(とうの ささひろ)。

現在17歳である彼は、本来なら平日のこの時間高校に行っているはずである。
だが彼は家庭の事情から高校を中退し、当てもなく街をぶらついていた。
そこをたまたま通りすがった春香菜に捕まり、なしくずし的に鳩鳴軒の『店員』にされてしまったのだ。
まあ、彼にしてみれば暇も潰せてお金も手に入るというこの条件は悪くなかったらしく、結構真面目に働いているようだ。

「はーい、了解! 倉成さん、ピザをお願い出来ますか?」
「おう、任せとけ!」
真篠の問いかけに元気良く答えたのはそう、我等がヒーロー(?)倉成武であった。

今までは春香菜が所長を務める研究所で働いていた武だったが、真篠の店長就任とともに異動を命じられ、現在は『副店長』として鳩鳴軒を切り盛りしている。
何だかだで料理の腕前はあるので、立派に厨房を真篠とともに動かしている。

「武、野菜サラダとコーンスープを5番テーブルに持っていくわね」
そう言ったのは鳩鳴軒の制服を身に纏ったつぐみだ。

家で専業主婦をしていたつぐみだったが、武と離れたくない一心から鳩鳴軒にパートとして就職を申し込んだのだ。
当然の様に春香菜は反発したが、武の必死の頼み込みに合わせ、『鳩鳴軒の経営を私に一任すると言ったのは春香菜さんですよね?』という真篠の一言で撃沈。
つぐみは無事こうして愛しの武と同じ職場で働いている、というわけだ。

「真篠さん、17番テーブルに新規で4名様、いらっしゃいました」
笑顔でキッチンに来客を告げたのは、阿師津 理宇佳(あしつ りうか)。
そう。彼女は以前、つぐみの幼児化現象の際に武達が世話になった生物学者、阿師津 貴文の家族である。
『つぐみの鳩鳴軒就職に対し、武とつぐみが仕事中にのろけて仕事を疎かにしないように』という名目の下、春香菜が貴文に頼んだのだ。
まあ、実際は仕事が忙しくそんな事をする暇は2人には無かったのだが、それでも理宇佳の整った顔立ちや丁寧な接客態度、物腰は決して鳩鳴軒のマイナス要素では無かった。


休日はこのメンバーに追加して、他のメンバーが数名、手伝いに来る。
余談ではあるが、オープン初日の出来事以来ホクトは毎週やってきては望んで獣耳をつけたまま営業している。


「ふぅ〜……ようやく一段落ついたな……」
2時を回り客足も落ち着いてきた頃、武がそう漏らした。
「ええ……そうですね……」
だが、応えた真篠の表情は、どこと無く納得の行かないような表情を浮かべていた。
「? どうしたんだ、何か失敗でもしたのか?」
武の見てた限りでは真篠の調理にミスは見受けられなかったし、クレーム報告も来てはいない。
それでも彼女はその思案顔を崩そうとはしなかった。
「……少ないんです、客足が」
「少ない? ……そうか?」
ここ最近の営業も合わせて思い出してみるが、全く持って差がないように武には思えた。
「気のせいじゃないのか?」
「いいえ、違います……これを見て下さい」
そう言って真篠がどこからともなく取り出したのは、先週一週間の売上が記録された帳簿だった。
「見て下さい…3日目までは順調に高い売上を記録しているのに、4日目になって少し落ちています。それから段々と売上が下がっているのが分かりますよね?」
確かに真篠の言う通り、高い位置にあった棒線グラフが少しづつではあるが下がっている傾向にあった。
「本当だな……こりゃ一体どういうこった……?」
とその時、来客を告げるベルが店内に鳴り響いた。そこには一人の女性が、凛として立っていた。
「いらっしゃいませ。お客様は1名様でよろ……」
「……七瀬真篠さんは、いらっしゃいます?」
「……真篠さんですか? ええ、今厨房に……失礼ですが、貴女様は……」
「私は彼女の知り合いよ、正確には幼馴染みだけど。いいから彼女をここに呼んできて!」
理宇佳の言葉を遮って、女性はそう捲し立てた。


理宇佳に呼ばれて女性と対面した真篠は、その瞳を大きく見開いた。
「あなた……もしかして、せっちゃん? 久し振りですね!」
「正確には約1年ぶりよ、マシノン。元気にしてた?」
「それはこっちの台詞です。あなたは昔から身体弱いから心配してたんですよ?」
「ふふ…それなら大丈夫。正確には少しまともになったか……げほっ!? げほごほっ!!?」
「ああ、もう言った側から……大丈夫?」
周りの人間を無視したその展開に、笹広がボソリと波を立てた。
「……んでテンチョー。誰っすか、その人?」
「ああ、紹介します。私の幼馴染みで元鳩鳴館女子ハッキング同好会庶務の『散花 刹奈(ちりばな せつな)』です」
「どうも、はじめまして……って、正確には今日はそんな友好的なご挨拶に来た訳じゃないのよ」
真篠から離れると、刹奈は鳩鳴軒の中を一望して、
『……クスッ』
と、そりゃあ小さく嘲ったのだ。
「ぐおおっ!?な、何だいきなり! この店を見て鼻で笑いやがったぞ、コイツ!!」
「ちょっ、武!? 落ち着きなさい!!」
今にも暴れださんとせんばかりの武を取り押さえるつぐみ。それを横目で一瞥しながら刹奈は続ける。
「うちの店は今の時間もお客さんで一杯よ? それなのにここは……随分と空いてるわね? 正確には5組しか来ていないじゃない」
今は3時を回り、基本的にはきちんとした食事をする客は店内におらず、時折理宇佳がデザート系を給支しているだけだった。
「……今『うちの店』言いましたね。あんさんも料理人ですか?」
「いいえ、私は料理を作ってはいないわ……正確には私の父が経営しているチェーン店の事よ」
「チェーン店?」
「そう、『外苑宮』ってご存じないかしら?」
「外苑宮って……まさか、あの大手フードチェーン店の外苑宮か!?」

『外苑宮』―――。
全国に850店舗もの支店を持つ、外食産業の超大手。低価格で大ボリューム、素早い調理でお客様をお待たせしない。三位一体の完璧な経営。
それが『外苑宮』である。

「私はそこの社長……正確には社長取締役の一人娘なの」
「んで? そんな大手の社長令嬢はんが何の用で?」
「私がここに来た理由が見当もつかないかしら? ごく最近……正確には6日前に、このすぐ近くに外苑宮の新店舗が開いたのよ」
「な、何だとぅ!?」
驚いた武が慌てて外に飛び出すと、成程、確かに200m程離れた場所にデカデカと『外苑宮』の文字が踊る看板が立っていた。
「何で気がつかなかったんだ……」
「仕方ありませんよ。武さんは毎日逆の方向から出勤なさっているじゃありませんか」
「オレはあんな店眼中にありませんでしたから」
「眼中に無いとは失礼ね。訴えて勝つわよ? 正確には侮辱罪で訴訟を起こして勝訴するわよ」
「まあ、落ち着いてよ……それで? 新店舗を開いたなんて言って、宣戦布告のつもり?」
「軽い冗談を飛ばさないでよ、マシノン。そんな甘ったるいものじゃないわ……正確には、この店を潰しに来たのよ」
「なっ……! おい! 冗談にも程が……」
「冗談なんかじゃないわ。正確に言って目障りなのよね。うちの店の近くにこんな店があると」
「せっちゃん……」
「マシノン……いいえ、正確には七瀬真篠! 今日今この時この場所から!! あなたと私は商売敵……げほっ!? げほごほっ!!」
いきなり大声なんか出した為か、刹奈の口から少量の吐血がある。
「ねえ……大丈夫なの?」
「ええ、せっちゃんは昔からこうですから……はい、ハンカチ」
「悪いわねマシノン……って!! 今、正確には4行前に言ったばかりじゃない! あなたと私は商売がた……ゴホッ!!」
「はいはい、無理しないの。……どうして、そんなにムキになるの?」
「……そう、成程。真篠の言いたい事は正確に分かったわ……」
「何も言うとらんわ」
笹広の突っ込みを無視して刹奈は続ける。
「明日! ここ……正確には鳩鳴軒で料理対決を行うわ! 私、正確には外苑宮の料理人が負けたらあそこの店舗は即撤廃するわ。でも! あなた達が負けたらこの店を即刻撤廃して頂戴! そして真篠、あなたは私達の店の料理人となるのよ……!!」
「なっ! お前何勝手な事を……」
「悪いけどせっちゃん。この店は私の個人経営ではないのよ。オーナーである田中さんに聞かない事には……」
「面白いじゃないの、受けて立つわ!!」
「この声は……優、いつの間にそこに?」
つぐみの視線の先、入り口のドア前に鳩鳴軒オーナーである、田中優美清春香菜が凛として立っていた。
「鳩鳴軒対外苑宮の生き残りをかけたサバイバル・バトル……いいじゃない、燃えてきたわ」
「……ハルさん?」
笹広の言葉はすでに彼女の耳には届いていない。一人で盛り上がっていく春香菜のボルテージを止める事は最早孫○空にも不可能だった。
「それじゃあ、せいぜい頑張って頂戴ね。最後に笑うのは私、正確には私達外苑宮側だろうけど」
そう言い残すと、高笑いと吐血を繰り返しながら刹奈は去っていった。


「……さて、大見得切ったは良いけど、どうすんだ? 正直外苑宮の職人の腕前は神がかってるぞ」
開口一番、武がそう言った。過去に一度、いつものメンバーで外苑宮に行った時の事を思い出しているのだ。
質・量ともに大量生産によるコスト削減を図っている大手の外食産業のものとは思えない程レベルが高く、そのくせに値段も一品500〜1,000円と低価格帯に抑えられている。
ついでに提供時間も注文終了から15分以内と、とにかく全てにおいて鳩鳴軒を凌駕している感が強い。正直、勝てる見込みは無いと武は思っていた。
「そうね……しかし、外苑宮も結局は全国展開のチェーン店。職人の腕には差が……」
「生憎ですが春香菜さん。私の知り得る情報内では、外苑宮の職人は全店共通の厳しい査定と試験の元で採否が決められているようです。よって各店における料理人の実力の差はほとんどゼロかと……」
「それにあのお嬢さん、気合い入りまくってましたからね。最上位の料理人連れてくる可能性も、否定出来ないっすよ」
「それもそうね……」
話せば話す程、こちら側が不利だという現実に向き合わされる鳩鳴軒一同。
「今更『さっきの無しで♪』なんて言っても無駄だろうしな……」
「それ以前に武さんの口調が気味悪くて話にならんですよ」
「とにかく! こうなった以上は腹を括って勝負の内容に集中しましょう!! 七瀬さん、どんな料理を作るつもりなの?」
「そうですね……麺類、なんてどうでしょうか?」
「麺類? 外苑宮相手に通用するの?」
「ただ単に高級なだけが料理の素晴らしさとは限りません。重要なのは食材の力をどこまで引き出せるか、ですよ」
「真篠さんの言う通りですね。私にも分かります」
にこりと、理宇佳が微笑んだ。
「麺類か……いつも店で出してるやつで良いのか?」
「基本的には。……でも、店の命運がかかった対決ですからね、こだわりは入れたいですよ」
「こだわり?」
「ええ。その為には阿師津さんの力をお借りしたいのですが……」
「私に出来る事でしたら、死力を尽くしますよ」
「ありがとうございます。では…………」



そして、瞬く間に時は過ぎ去り……
鳩鳴軒の店内は見物客でごった返していた。
「よく来たな暇人共! 今日!今!! この場所でっ!!! 『外苑宮』と『鳩鳴軒』の料理対決の火蓋が切って落とされようとしているっ! ちなみに本日MCを勤めさせていただくは、私『終焉の鮪』だ文句あんのかコラーッ!?」
鮪の熱い叫びによって、うおぉぉぉー! と観客のテンションも上がっていく。
「片や全国を股に掛ける『外食産業の皇王』! 片や当地No.1の人気を誇る『外食産業界の新星』! 今日の対決の結果次第では、鳩鳴軒の存続も危ういとされているぅぅぅっ!」
ブーブーブー、と回りからブーイングの嵐が巻き起こる。
「シャァラップッ!! 『死合』と書いて『たいけつ』と読むんだよぉぉぉっ! 勝負に負けた方が店を畳むってのは当然の心掛けってもんじゃぁねぇんですかいっ!? 鮪さんはそう思うですよぉっ!!」
鮪の言及に、思わず口をつぐむ観客達。
「果たして煌めきだしたばかりの新星は儚く散って逝くのか!? それとも、大番狂わせが巻き起こり、巨星墜つのかっ!?」
「勝つのは鳩鳴軒に決まってるじゃないのよー!」
「そうよそうよー!」
観客に紛れていた沙羅と秋香菜の声が響き渡る。
ちなみにホクトは少し離れた場所でホクト専用鳩鳴軒衣装に着替え、カメラ小僧達の撮影会に『楽しそうに』臨んでいた。
「んん〜、元気の良いお嬢さん達の叫びが響いたところで、今回の主役共のおでましだぜぇぇぇいっ!」
鮪の指し示した先、厨房から現れたのは鳩鳴軒の面々だった。
「開店僅か2ヶ月にして近隣の料理店集客数No.1に輝いた外食産業界の革命児『鳩鳴軒』ーーーっ!!」
続いてガチャリ、と音を立てて入り口のドアが開く。そこには刹奈を筆頭にした、外苑宮特別メンバーが揃っていた。
「そしてこちらは言わずと知れた日本、否! 世界最強の外食産業界の首領『外苑宮』ーーーっ!!」
必要以上にハイ・テンションな紹介に観客のヴォルテージも嫌が応にも上がっていく。
「勝負の内容は『一品料理対決』!! 制限時間119分を使って至高の一品を作っていただくぅ! なおぅ、制限時間に関する突っ込みは黙殺させてもらうんでヨロペコ!」
「ペコって……何語や」
「それではフゥゥゥドファイトォ! スタンディィィングッ、セタァップッ!!」
笹広の突っ込みを鮮やかに無視して、鮪のテンションは最高潮に達していた。
真篠と外苑宮の料理人が、一度握手をしてそれぞれの調理台の前に並ぶ。
「そいじゃあ、スタァトゥゥゥッ!!」
鮪の天を貫く叫び声とともに銅鑼が叩かれ、二人が調理を開始した。
なお調理中は料理人を刺激しない為に観客や実況の声は入らない仕様に春香菜がセットした。
「はい、ここからは実況が私・茜ヶ崎空ゲスト解説を」
「阿師津貴文でお送りします」
「……って、タカさん!? 何で貴方がここにいるんですかっ!?」
突然の貴文の出現に、武が素っ頓狂な声を上げる。
「私が呼んだんですよ。 こういったイベントは父も大好きですから」
理宇佳がニコニコと微笑みながら代返する。
「ぬぅ、流石は優の師父……お祭り好きなところまで同じだなんて……」
「何感心してんすか」
「でも、別に良いんじゃない? 居て困るような人じゃないんだから」
「そう言って頂くと助かるよ。こう見えて料理の知識には自信があるからね」
「それでは紹介を切り上げて、お二人の様子を伺ってみましょう」
空が言うと、鳩鳴軒に臨時設置された巨大ディスプレイに厨房の様子が映し出された。
「外苑宮方の料理人、関雲長さんは……どうやら中華料理で攻めるようですね」
巨大な鉈包丁を軽やかに操り、食材を素早く切り刻んでいく。しかもその形は寸分違わず均一である。
「いや、それにしても見事な包丁捌きだな。まるで精密機械で切っているみたいだ」
「ふふ、彼は外苑宮の中でも中華料理に特化した料理人……あの程度の事、正確には包丁で食材を均一に切り揃えるなんて造作も無いわ」
いつの間にやら貴文の横に刹奈が、マイクを持って陣取っていた。
「散花さん……いつの間に」
「細かい事は気にしないの。ウチの方だけでなくマシノ……正確には! 鳩鳴軒の方はどうなの? 平等に情報公開はするべきよ?」
どこか慌てた調子で刹奈が言う。そんな彼女にせかされるように空が見据えるべき対象を切り替えた。
「あ、はい。そうですね……七瀬さんはどうやら日本食、麺類で攻めるようですね」
「麺類? それなら委員長部長の得意分野じゃなーい!」
ギャラリーのざわめきの中から、一際大きな声で秋香菜の声が響く。
「成程ね……マシノ、正確には!! 鳩鳴軒側も本気で私達を倒しに来てるようね!」
「……テンチョーの気持ちが分からんのかい、ホンマに……」
笹広の呟きは熱く血のたぎったギャラリーの声にかき消されて、刹奈の耳には届かなかった。


―― 60分経過 ――


「いざ……参る!」
関雲長は眼前に吊された牛一頭を、どこからともなく取り出した青龍刀で大胆に切り分ける。
大きな塊に分断された中から、これぞという肉塊を手にし調理台へ戻る。
「今のは……凄いですね。まさか調理用具に青龍刀を持ち出すとは」
「ああ安心して。警察の許可は正確にとっているわ」
「いいのか、日本政府?」
「……さて、対する七瀬さんはと言いますと」
貴文の呟きはあっさりとスルーされた。
「……おや? 相変わらずダシをとってますね……制限時間も半分を過ぎようとしてますのに」
「いや、麺類にとってダシは命だ。自身の作るモノにこだわりのある証拠だよ」
「でも他には麺しか出来ていないのでは? このままでは具材無しということに……」
「……マシノ、んっんっ! 鳩鳴軒側も大した度胸ね。日本一の外食産業チェーンのうち……正確には外苑宮を相手に掛け蕎麦だなんて」
刹奈の顔には『もう勝ったも同然ね』といった感じの余裕の笑みが張り付いていた。
「く、くっそう……おい真篠! お前本気で勝つ気あるんだろうな!? 昔なじみが相手だからって手を抜いてるんじゃ……」
聞こえないとは分かっていても、ついモニタに写る真篠に叫ぶ武。
そんな武の肩を、理宇佳がそっと押し留める。
「安心して下さい武さん……真篠さんは本気です。そうでなければ私に『あんなもの』の調達は頼んだりしませんよ」
理宇佳の微笑みに毒気を抜かれた武は、傍らで心配そうな視線を送っていたつぐみの肩を抱き寄せた。


「はいはいはいはいそこまでそこまで終了終了ーーー!! 止めろっつてんだろゴルァッ!?」
『はいはいはい』の時点で手を休めたにも関わらず、何故か真篠と関雲長に逆ギレする鮪。
「やはり時たま『鮪』を『鯖』と間違えられる精神的ショックが貯まっていたのでしょうか……?」
「何の事だい、ソラリン?」
貴文が空を妙な敬称で呼ぶのと同時に、外苑宮の黒服達が鮪を締め上げて事態の収拾を図った。
何はともあれ、119分間の調理時間は過ぎ去り、いよいよ試食の段階へと移る。
「判定は公平を期すため、審査員は鳩鳴軒側と外苑宮側から一人ずつ、そして(不本意ながら)MC終焉の鮪さんに御願い致しました」
「よっしゃ、鳩鳴軒側は俺が試食しよう」
武がすっくと立ち上がり審査員席に座る。
「なら外苑宮側、正確には外苑宮側の審査員は私ね」
刹奈がゆっくりと審査員席に着く。
「はやくはやくはやくー! 早く喰わせろー!!」
騒ぎ立てる鮪に高電圧のスタンガンが押し付けられるのと同時に、外苑宮・関雲長の料理が運ばれてきた。
「拙者の料理は『牛肉と青梗菜の四川蜀風炒め』と申す!」
大皿にこんもりと盛られた炒め物からは、辛味と旨味の混合した何とも言えぬ薫りが漂ってきている。
「うっわ……こりゃすげぇなぁ……」
武は小皿へ炒め物を取り分けると、いそいそと口に運んだ。
と。
「うっ…………うおををおをををおおぉぉぉっ!!」
突然目をカッ! と見開きながら席から立ち上がった。
「な、何だこの味わいは……美味い、旨すぎる!」
牛肉の重濃な脂分を、青梗菜が四川風の辛口ダレとともにしっかり含んでいる。
それでいて歯ごたえはシャキシャキと、全く失われておらず、その存在感を身体全体にアピールした。
当然の事ながら、タレの絡んだ牛肉は、口に入れた瞬間まるで蜃気楼の様にその姿を消し去り、代わりに頬がとろけそうな味わいを残していく。
武は無意識のうちに眼前に用意されていた御飯茶碗を掴むやいなや、流し込むようにして一気に掻き込んだ。
「ああ……この肉の旨味の溶け込んだ辛口ダレが、白い御飯と相まってまた……」
武が『うっとり……』と至福の表情を浮かべる脇では、狂ったような勢いで鮪がかっこんでいた。
「肉、青菜、米、米、肉、青菜、青菜、米米米!」
まるで悪霊に取り憑かれた勢いで、ガツガツガツガツと料理を平らげていく。
それを尻目に、刹奈は炒め物を一口運ぶと、
「……相変わらず、正確な調理ね、雲長」
と、一言だけ呟いた。


そして2分50秒後。
軽く17人前はあったであろう炒め物は、全て跡形も無く武と鮪の胃袋に納められていた。
「うぃ〜……食った食った……」
「なかなか美味であった。馳走になったな……」
そう言い残し去ろうとする鮪の右肩を、理宇佳の手がそっと掴む。
「何処へ行くつもりですか? まだ真篠さんの料理の試食が終わってませんよ?」
「黙らっしゃいお嬢さん! あんなに旨いもん食った後で具材なしの麺なんぞ食えるか! もう外苑宮の勝利でけっt」
「……せめて、一口でも食べてから仰ってくれませんか?」
表情を変えずに、理宇佳が手に力を込める。
鈍い、音がした。


「それでは続いて、鳩鳴軒側の試食に移ります」
審査員席が整理され、続いて運ばれてきたのは、一杯の蕎麦。
「見た目は……普通の蕎麦だよな……」
何のトッピングもない、普通の掛け蕎麦。
「粉破ぁッ! 普通の蕎麦ではないか! こんなもん食う価値なs」
チラリと、理宇佳の視線が鮪に向かう。鮪の身体がビクッと反応し、彼は右肩を押さえる。
そこは、痛々しいほど真っ白な包帯とギプスで固められていた。
「……か〜ちゃん、かあちゃ〜ん……」
ガタガタと震えだした鮪を尻目に、武が蕎麦に手を伸ばす。
「まぁ真篠の料理だし、間違いはないだろ……」
口の中が脂っこいし丁度良いか、などと呟きながら武が一口すする。
と。
「…………―――― !!?」
突如武が全身を大きく痙攣させて、地面に倒れ伏した。
「たっ、武っ!?」
「ちょっと、倉成!?」
「大丈夫ですか、倉成さん!?」
「武さんっ!?」
つぐみが、春香菜が、空が、理宇佳が武の下に駆け寄る。
「……ぬぅ、勝負に勝てないからと毒を盛るとは……危ねえ危ねえ、危うく俺も逝っちまうとこだったぜ……」
「真篠さんは毒なんて盛りません!」
「ちょっと武! 武!! 大丈夫なの!?」
つぐみが武の上半身を、ユサユサと揺する。その目に今にも零れ落ちんとす大量の涙を浮かべた、その時。
武はゆっくりと目を開けると……
「……旨い」
とだけ呟いた。


『……はい?』
つぐみと、春香菜と、空の声が同時に重なる。武は静かに起きあがると、
「旨いんだよ、もの凄く……この蕎麦……」
常日頃、真篠の料理を食べている武をも驚嘆させた一杯の掛け蕎麦。
その頬に浮かぶ汗を見つめて、鮪は箸を手に取る。
「……まぁ、毒が入ってるわけでもなし。温かく、伸びないうちに頂くか……」
少しはさっぱりしたもん食った方が口の中も静まる……とか何とかぶつくさ言いながら、口の蕎麦を運ぶ鮪。
と。

以下、武と同じリアクション。
違いといえば、誰も心配して駆けつけてくれなかった点であろうか。


「そんな……こんな何の変哲もない蕎麦に、一体どれ程の味わいが込められているというの……?
刹奈は信じられない、と言った表情で蕎麦を見つめる。
「……ぶつくさ言うとる暇があったら、さっさと食わんかい」
「何ですって? 私を侮辱してるつもりなら訴えて勝つわよ? 正確には」
「良いから黙って食わんかい! テンチョーの真心、無駄にするつもりか!?」
笹広の強烈な物言いに押されて、刹奈はゆっくりと蕎麦を口に運ぶ。
その時。
「こ、この味は……!!」
そしてその瞬間、刹奈の脳裏に昔の記憶がフラッシュバックしてきた。


それは今から10年以上昔の記憶。
刹奈と真篠がまだ小学生で、仲良く遊んでいた頃の事だった。
学校が終わったら、二人仲良く手を繋いで、真篠の家まで遊びに行った。
刹奈の家は親が厳しく、娘と親しい真篠にすら敷居を跨がせない、といった状態だったからだ。
そんな二人を優しく出迎えてくれたのは真篠の母親だった。
部屋で仲良く遊ぶ二人の元に、熱々の手打ち蕎麦を持ってきてくれた。
二人は笑顔を浮かべながら、おいしいね、おいしいねと言いながら蕎麦を啜った……。


「おやつに手打ち蕎麦ってどんな家庭だよ……」
「……人の回想、正確には昔の思い出に茶々を入れないでくれる? でも、この味は……」
不意にポロリ、と刹奈の蕎麦つゆの中に何かが零れ落ちた。
「……水? いいえ、これは正確には……」
―― 涙。
「……雲長、帰る……正確には撤退するわよ」
「は? それは何故に!? まだ決着はついてはおりませぬぞ!」
「もう分かってる事……この勝負は私達、正確には外苑宮側の……負けなんだから」
そうしてちら、と武と鮪を見やる。
「ああ。俺も真篠に一票だ」
「これで俺が外苑宮に一票入れても結果は変わらんがな……今回は鳩鳴軒に軍配が上がった」
ニヤソと、武と鮪が微笑む。その瞬間に、勝負は決まった。
『勝者! 鳩鳴軒・七瀬真篠!』
地の底から響くような怒号が、鳩鳴軒を震わせた。


「……お疲れ様でした」
人がはけて静まった店内。
机に座っている真篠の前に、理宇佳が湯飲みを置いた。
「あ、阿師津さん。ありがとうございます」
クイッと茶を啜ったのを見て、武が口を開く。
「でも凄かったな、今日の蕎麦は。一体どうしてあんなものが出来たんだ?」
「ポイントは『時間』、それと『野生』ですね」
「野生? それはどういう事?」
疑問符を頭に浮かべるつぐみに、真篠は意味ありげな視線を送る。
「実は昨日、あの談合の後阿師津さんにあるものを狩ってきてもらったんです」
「あるもの?」
「これですよ」
そう言って理宇佳が取り出したものは……。
「く、熊の首っ!!?」
「成る程……確かに熊は鍋に用いられるように食用……それをダシとして使うた、言う事ですか?」
「そう。私は蕎麦を練るので時間が無かったから……阿師津さんに頼んでちょっと狩ってきてもらったんです」
「ちょっとって……もし理宇佳に何かあったらどうするつもりだったの!?」
つぐみが真篠の心軽めな物言いに食いつく。が。
「あれ? つぐみさん知りませんでしたっけ? 私……レプリスなんですよ」
「……え?」
「レプリス。つぐみだって知らないわけないだろ?」


レプリス――。
簡単に言ってしまえば『人の形をしたヒトならざる者』。
その使命は『マスター』と呼ばれる人間の命令に忠実に従い、役目を果たす事……。
世界でもまだ1000体いるかどうか分からないが、確かに存在する人工生命体である。
ちなみに空の身体も、このレプリスの理論を基に構成されている。

「優の研究室にも数人いるしな。ま、あっちの連中は理宇佳と違って無愛想だが」
「私が特別なんですよ。貴文さんが私に『人間らしい感情』のデータソースをプログラミングしてくれたからこそです」
「それじゃ、阿師津さんと理宇佳は……」
「ええ、本当の親娘ではありません……でも、私達は本物の親子と同じ、またはそれ以上の絆で結ばれていると信じています。プログラムされた感情ではなく、私『阿師津 理宇佳』の感情が、そう思っています……」
「……と、言う事で。理宇佳さんに無理を言って熊を一匹狩ってきてもらいました。私はその間ずっと蕎麦の生地を捏ねていて、ようやく勝負の17分前に終わったんですから」
後は時間の許す中でダシを作り、蕎麦生地を茹でる。
シンプルだがそれ故に奥が深く、決して飽きる事の無い味。
「今回のこの蕎麦は母の作り方をそのまま真似ただけって感じなんですがね」
熊を狩って、丸一夜中蕎麦生地を捏ねる母親ってどんなだよ……。
そう思った武だが、苦笑する中にも勝利の味を噛みしめている真篠の表情を見て、突っ込みを入れるのは止めておいた。


翌日、外苑宮の支店は跡形も無く消え去っていた。
『鳩鳴軒から200mほど離れた場所』からは。
代わりに『鳩鳴軒から170mほど離れた場所』に『新装開店!』の花輪を飾り立てた外苑宮の新店舗が建っていた。
「お、おいおいおい! これは約束が違うんじゃないかっ!?」
その事態に憤慨した鳩鳴軒メンバー(というか武だけだが)は総員揃い踏みで文句を言いに行った。
「あら? 私は『あそこの店舗を撤廃する』とは言ったけど『ここらの地域から撤退する』とは正確には言ってないわよ?」
「おいっ! それは屁理屈ってやつだろ!?」
「五月蠅いわね、訴えて勝つわよ? 正確には騒音罪で告訴して勝訴するわよ?……そうね、文句があるなら勝負なさい! 私達外苑宮が負けたらここの店舗は即撤廃するけど……」
「やってられるかぁぁぁぁーーーーーっ!!」


七瀬真篠 ――後に『料理界の女覇王』と呼ばれた女性――。
しかしその前途は嫉妬深くて寂しがり屋な幼馴染みによって険しいものとなっていくのであった。


ちゃんちゃん。




あとがきなるもの

オリキャラ登場もの第二弾〜(第一弾は阿師津貴文登場の『I Wish〜永遠の愛情〜』、真篠さんは厳密にはオリキャラではないので『鳩鳴軒へようこそ!』は割愛)
七瀬真篠元ハッキング同好会部長再臨ですよ。
今回は幼馴染みキャラ『散花 刹奈』さんも登場しました。
一応本編でもその存在は確認できます(少年編3日目、沙羅と秋香菜の出会いの回想シーンで秋香菜が言ってた『風邪でお休みの部長の相方』から)
たった2行の存在だったもので勝手に『傲慢な態度をとる癖のある吐血持ちの病弱キャラ』なんて、
訳の分からないキャラが確立してしまいました(汗)
そんな彼女の口癖『正確には』。
『これを各台詞の中に絶対入れよう!』などという訳の分からないこだわりによって台詞が壊れている可哀想なキャラであります(お前が言うな)
そして『阿師津 理宇佳』と『塔野 笹広』。
     
理宇佳に至っては今作で秘密がバレてしまって(というか名前や外見を見てもらえば何か分かっちゃうようなものでしたが)、これからは賑やかし的な位置づけになりそうです。
笹広は……今回は目立ちませんでしたが、彼にも秘密はあります。単なる平凡な家庭の元高校生じゃ詰まりませんからね♪(ヲイ)
微妙に作品同士がリンクしていくのって書いててかなり楽しいです。
是非ともこのままの勢いで『Chain←→Unchain』も読んで下さったらこれ幸いです♪
それじゃ〜♪

口ずさみソング 『サクラサクミライコイユメ』 (yozuca)


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