『稀』――希少価値の高い、滅多に無い物事。





密室に、二人の男女が向かい合っていた。
「……という事を頼みたいの。いいかしら?」
「……上層部からの命令だ。俺に拒否権は無い……」
「なら、交渉成立って事で。よろしく頼むわね」
そう言って、女性は退室した。残されるは、男が一人。
「……久し振りに、退屈せずに済みそうだな……」
雷光轟く中、薄暗い室内に男の左目だけが光を放っていた。



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                             終焉の鮪


「きょおっもげんきにべんきょうだぁ〜い♪」
陽気なリズムに合わせながら、ココはご機嫌に学校への通学路をスキップしていた。
「……あっ! あの後ろ姿はぁ〜……」
ココは自分の少し前をトテトテを歩く、一人の少女の背中をジロジロ〜と見つめた。
不意に、少女が振り向き、ココの方を見てほにゃっと微笑む。
「やっぱりココちゃんだ♪おはよぉ、ココちゃん」
「おっはよ〜、ピヨピヨ♪」
「えへへ、こんなに朝早くからココちゃんに会えるなんて、今日は良い日かも♪」
「ココもピヨピヨに会えてとってもご機嫌さんなのだ〜」
と、ココと少女が談笑している所に、不意につぐみが現れた。
「あっ、つぐみんだ。おっはよ〜ございます、つぐみんっ♪」
「あ、ああココ……お早う。……そっちの子は?」
「あ、私、『鳥野比代(とりの ひよ)』って言いますです、はい♪」
そう言って少女―比代は、つぐみに向かって90°腰を曲げて挨拶した。
「ココは『ピヨピヨ』って呼んでるの。ココの一番の友達なんだよ〜♪」
「そうなの……私は倉成つぐみよ。よろしくね、比代ちゃん」
「こちらこそです、つぐみさん♪」
「ところでつぐみん、今日はこんな時間からもうお仕事なの?」
時間は8時を少し回った程度で、鳩鳴軒の開店時間までにはまだ余裕がある。
「今日は仕事じゃないのよ。少し別の用事があってね……」
つぐみの顔に一瞬、真剣なものが宿る。だがすぐさま微笑みを二人に浮かべると、
「それじゃあ私は行くわね。二人とも、学校頑張ってね」
そう言ってココ達とは逆の方向へと歩き去っていった。
「…………」
「……? どうしたの、ココちゃん?」
つぐみの去った方をじっと見つめているココに、比代が呼びかける。
「何かさっきのつぐみん、いつもと違う感じだったんだ……」
「違う感じ?」
「うん、上手く言い表せられないんだけど……」

「……何だか、消えゆく前の蝋燭みたいな……」



つぐみの着いた場所は、市街から遠く離れた一面の野原だった。
こんな土地があるなんて、今まで全く気がつかなかった。
そして……つぐみの視線の先には、廃材の山に腰掛けた、一人の男の姿が映っていた。
右目をバンダナで覆い隠し、ジャケットは肩に羽織って裾を通さずに宙をぶらつかせていた。
「……本当に来るとはな……」
男性が口を開く。その口調からは感情の起伏が読みとれない。
「この手紙の内容については興味が無い訳じゃないのよ……これは、本当の事なの?」
つぐみが懐から取り出し広げた紙には、ワープロ文字でこう綴られていた。

『小町つぐみへ。
お前の両親の行方を知っている。詳細を聞きたくば××××の外れの地に来い。
聞く勇気と、来る勇気があるのならばな。 君を宿す者』

「……私をライプリヒの管轄に残していった両親……もう会いたくも無いけど、まだ存命なら文句の一言も言ってやりたいのよ」
そう言ってつぐみは手紙を丸め、男に向かって投げつける。
男はそれを受け取ると、力を込めて手紙を握り潰した。
「会いたくも無いのに会って文句が言いたい……矛盾している」
「放っておいて。どうせ貴方には分からない事だから」
「……心情については興味無い。ただ、これだけは言っておく」
男は廃材の山から飛び降りると、何の構えも無くただ立ちながら
「俺の名は赤導 運命(せきどう さだめ)。……俺に勝てれば、詳細を聞かせる」
そう、つぐみに言い放った。


「…………」
学校に着いた後も、ココには漠然とした不安感がつきまとっていた。
ただでさえ理解出来ない授業内容が、今はただ耳にまとわりつく雑音でしか無かった。
「……それじゃあこの問題を、八神さん、答えてくれるかしら」
「…………」
「……ちょっと、八神さんっ!?」
教師の大声にはっと意識を取り戻すココ。しかし授業を全く聞いていなかったので、自力では答えられるはずも無い。
「(二酸化炭素、だよ)」
その時隣の席に座っていた比代が小声で答えを教えてくれた為、何とか窮地を脱したココだった。


「どうしたの? やっぱり今日は調子悪いんじゃないの? 保健室に行った方が……」
「う、ん……そだね……」
何処か上の空になっている今のココには、比代の心配する声も完全には届いていなかった。
「……今朝会った、つぐみさんの事が気になるんだよね」
「そう、つぐみん……何か、大変な事に巻き込まれてる気がするの……」
「気になるなら、『見て』みればいいんじゃないかな? 悶々と悩み考え込むなんて、ココちゃんらしくないよ?」
「ココ、らしく…………そう、だね。少しやってみるよ……」
ココはそっと目を閉じて、意識を自分自身へと集中した。


「はああぁっ!」
つぐみのハイキックが空を裂く。だが運命は難なくそれを避ける。
落ち着き様、二連の回し蹴りへと転じるつぐみ。しかしそれすらも飄々と避けられる。
先程からつぐみの攻撃は続いているが、すべての技が運命のだらしなく垂れ下がったジャケットの裾にすら触れない。
眼前の隻眼の男に完全に動きを見切られるという事は、つぐみの自尊心を少なからず傷つけた。
「……これが、パーフェクトキュレイか……詰まらないな」
運命はそう言った後、身体を反転させて後ろ蹴りを腹部に叩き込む。
「あうっ……!?」
骨の折れる不快な音とともに、つぐみの身体は大きく吹き飛ばされた。
「……終わりか。まさかこの程度だったとは……始祖たる者も、俺を満たしては……」
運命の呟きの途中で、つぐみがゆらりと立ち上がった。
「……始祖? 一体、どういう事なのかしら? 貴方は……何者なの?」
「……始めに、名乗ったはずだが」
「そうじゃない事は分かってるんでしょう……私が知りたいのは貴方の正体。まだ聞いていない、貴方の素性について……」
「……分かった。別に隠す事でも無い……むしろ、始祖たる君には最初から聞いてもらうべきだった……」
運命は静かに口を開く。
「……俺は、政府に仕える軍人。否、むしろ今は政府に縛られていうと言うべきか……」
つぐみは呼吸するのも辛い状況なので、あまり余計な口挟みはしない事にした。
「……2019年、俺はアメリカのある紛争に駆り出された……ライプリヒ製薬に恨みを持つ暴徒達の、支部への反乱を鎮めるために」
つぐみの呼吸が一瞬詰まった。耳にしたくない名称が不意に飛び込んできたから。
「……結果として、暴徒の鎮圧には成功した。だが、防衛軍も被害は甚大であり、無事で済まない人間が多々いた……俺も、含まれていた」
「…………」
「……俺はその紛争で両手と左足に深い裂傷を受け、右目は潰れた。更に傷口からは細菌類が浸食を始め、徐々に肉が腐っていった……」
つぐみは運命の全身を眺める。両手に傷は全く見受けられず、右目はバンダナで隠れていて見る事は出来ない。
「……その時、俺に救いの手が差し伸べられた……神の手袋を掛けた、悪魔の手がな」
運命は空を仰ぎ見て、視線をつぐみに戻すと
「……俺は奴等の保管していたキュレイ・ウイルスを身体に打ち込まれた」
確かにそう言った。


ある程度予測はできたが、心の底では最後までその可能性をつぐみは否定していた。
目の前に居る男性は、自分から採取されたキュレイによる第5の感染者なのだという事実。
『軍人だから』という理由一辺倒だけでは理解し得ない状況に立たされてもなお。
つぐみは自らの『業』による被害者を改めて、まざまざと見せつけられたのである。
「……そして、俺の身体は瞬く間に快復していき……5年後には、俺の遺伝子は全て書き換えられた」
「……え?」
つぐみは惑った。
今の運命の言葉の中に、何か嫌な感じ、背筋に這い寄る冷たい水の流動のようなものを感じたからだ。
「今、何て……」
「……俺の遺伝子は5年後、全て書き換えられた。そう……『全て』」
それが何を言わんとしているのか、つぐみには嫌という暇も無い程の一瞬で理解させられた。
同じなのだ。
彼は自分と。
世界で只一人だけだと思っていた。
完全なる司祭の浸食――パーフェクト・キュレイの血脈。


ココがはっと顔を上げる。その額にはうっすらと汗までかいて。
「ココちゃん?……一体、何が『見えた』の?」
「つぐみんと、知らない男の人……つぐみん傷だらけで、痛そうだった……」
ココは自分自身をきゅっと抱きしめると、カタカタと震えだした。
それは確かな恐怖。
2017年、倉庫で起きた事故やティーフ・ブラウにかかった時以来の。
自分や身の回りの人間を問答無用で流し巻き込む、慈悲無き死の足音。
「……ココちゃん、行こうか?」
「……ピヨピヨも、行くの?」
「当たり前だよ。ココちゃんのお友達は私のお友達。何も出来ないかもしれないけど、何もしないよりは良いよ」
「ピヨピヨ……」
「先生には目的地に向かいながらでも連絡が出来るから。行こう!」
「うん!!」
2時限目の教師と入れ替わりに、二人は教室を飛び出した。


「でも……どうして? 何故貴方もコードが完全に書き換えられたの……?」
「……俺も良くは知らない。だがライプリヒの連中が声高々に叫んでいたからな……間違いは無いだろう」
連中の下卑た笑い声と、涎を垂らしながら嘲る光景が目に浮かび、つぐみはかぶりを振った。
思い出したくもない光景に限ってこんな事で思い出してしまうのがたまらなく不快だった。
「連中は俺を研究材料として扱おうとした。だから俺は隙を見計らって奴等の管轄から逃亡すると、新たな名を持って軍隊に復帰した」
『赤導 運命』は本当の名ではない、本名はすでに忘却の彼方だ、と運命は付け加えた。
「ライプリヒの影響力は日本政府の根幹まで浸透していたが……その時期に具合良く別件の問題が浮上してきて、俺の事はうやむやの内に無くなっていた」
別件、とは春香菜によるライプリヒのティーフ・ブラウ漏洩に関する事象だった。
研究対象である運命の行方も気にしていたが、本社に何かしら遭ってはいけないとの判断だったのだろう。
「……それから、俺は以前と変わらぬ時を過ごした……環境は変わったがな……」
徐々に衰え、引退していく仲間達を見送った。
ともに過ごし、競い合った旧友との別れは、運命の心に傷みを残す。
ああ、やはり俺は彼等とは違ってしまった。
今更戻れない事は分かっていても、もしあの時あのまま放置され、死に絶えたらどうなっていただろうか。
そんな意味の無い考えばかりが脳裏を掠めていった。


「……今回俺は、君を呼び出し始末するよう依頼された……だが、もうどうでもいいな……」
運命はつぐみに背を向け呟く。
「……パーフェクト・キュレイといえどやはり軍部の犬と民間人では基礎が違う……俺の『能力』も使う必要がない……殺す事の利点が無い」
歩き去ろうとする運命の背中に向けて、つぐみが息を吐き出す程度の声で語りかける。
「……逃げるの?」
運命の足が止まる。
「私を始末するように依頼されたんでしょう……ならしっかりと達成しなさいよ……途中放棄なんてしたら、それこそ格好つかないわね……」
別につぐみは死にたくて言ったわけではない。
命が惜しい……というより、武達を悲しませたくないから。
でも今この時は、目の前にいるもう1人の自分に、手をかけられるならそれでもいいかなと思っていた。
―― 変ね、私……昔は死にたがってたくせに生きようと抗って……今は生きたいのに死ぬ事を勧めている……――
「……俺に出来るのは、せめて苦しませずに逝かせる事のみ……」
運命が振り向き、つぐみにゆっくりと歩み寄ってくる。
「(これまで、か……)」
手刀が振り上げられた瞬間、つぐみは覚悟を決めて瞳を閉じた。
そして―――

「―― つぐみんっ!」

瞬間 ―― 世界が弾けた。


……あの世っていうのは、俗説の様に綺麗な処ではないみたい。
それがつぐみが目覚めて思った最初の事だった。
もちろん、自分の鼓動がまだ生きていることを知っての上で思った事だが。
「つぐみん……」
次に確認出来たのは、瞳の縁一杯に涙を溜めたココ。
ああ……私ったら、またこの子にこんな顔させちゃった……
LeMUで懲りていたはずなのに。
そして視界に入ったのは、運命が今朝出会った少女 ―― 鳥野比代に怒られているという珍妙な風景。
「全くサダメさんはっ! 後少しで取り返しのつかない事態になる所でしたよ!?」
「……しかしお嬢、今回のこれは依頼で……」
「ココちゃんのお友達の命を奪う依頼なんて認めませんっ! お父さんも何考えて許可したのかしら……」
ピヨピヨのお父さんは陸軍の大将さんなんだって、とココがひっそり教えてくれた。
そう言えば聞いた事がある。ライプリヒとの裏関係が発覚し、辞職に追い込まれた前陸軍大将の代わりに就任した――
確かに鳥野という名字だった気がする。
「……何せ春香菜女史の依頼だからな。 鳥野総司令もそう無下には断れな――」
瞬間、運命の肩に強い握力がかかった。
「その話……詳しく教えてもらえるかしら」
後に運命は語る。
『その瞬間の彼女だったなら、俺と互角の勝負が出来たかもしれない』と。


「さて……詳しく事情を聞かせてもらおうかしら?」
つぐみは田中優美清春香菜第一研究室・室長室のソファに腰掛け、目の前の女性―― 田中優美清春香菜 ――を睨め付けた。
ちなみにその部屋の扉の向こうには、桑古木を始めとした研究室の防衛隊が気を失って転がされていた。
「全く……いざという時に役に立たないわね……」
「話をそらさないで。一体何のつもりだったの?……大丈夫、怒らないから」
それは既に怒っているからだ、という意味を受け取ったのか、春香菜は観念した、といわんばかりに溜息を吐いた。
「いつもと同じよ……今回もまた、倉成からつぐみを遠ざけて……」
これで何回目だろうか、優の姑息な手段に引っかかるのは……と内心溜息をつきつつ、つぐみは優を見据える。
「でも今回は度が過ぎたわね……私の両親の情報を使って誘き寄せるだなんて」
「ええ、私も今になって後悔しているわ、御免なさい……でも、今回は倉成の事を差し引いてでもつぐみに彼を会わせたかったの」
春香菜の視線の先には、腕を組んで壁に寄りかかったまま目を閉じて微動だにしない運命の姿がある。
「聞いたわよね? 彼がもう一人のパーフェクト・キュレイだって事は……」
「ええ……でも未だに信じられないわ」
「確かにね……昔、私達がつぐみによって抗体を接種した時のキュレイ感染率は5分の1くらいだった……でもそこからパーフェクト・キュレイになる確率なんて十京分の一、0.00000000000000001%以下の確率と考えられるわ」
しかし実際にその天文学的確率の下、赤導運命は不老不死の肉体になってしまった。
「それだけは曲げようもない事実よ……」
「それで優、最初の話題に戻るけど……どうして私を彼と出会わせたの? 出会わせるにしてももっと別のやり方が……」
「貴女以外にも同じ境遇の人間がいる……これはつぐみには知って欲しかった事。それに仮に貴女と彼を普通にご対面させて『この人実はパーフェクト・キュレイなの』って言ってたら信じた?」
「……無理ね」
自分は極『稀』な存在だと思っていた。
いつの間にかそれが『自分だけの特別・異質』とすり替わっていた。
私は『稀』の意味をはき違えていたみたいね……。
つぐみはソファに深く腰掛け、ほぅと溜息をついた。
「……今回のお詫び、ってわけでも無いのだけど……つぐみのご両親の情報は、本当に掴んでいるの。つぐみが聞きたければ教えるけど……」
「……いいわ」
自分を捨てた両親。
でも今こうして考えてみれば、それは抗えない大きな力によるものだったのかも知れない。
深く蒼い海の底で武を助けられなかった事や、幼い子供達を手放さざるを得なかったあの時の様に……。
「私は、あの人達が今も平穏に、何事もなく生きていてもらえれば十分よ」
つぐみはそう言って、柔らかな笑顔を浮かべた。


つぐみは家へと帰る道の途中、仕事帰りの武と出会った。
今日も店は大混雑だった、つぐみがいないから若い男性客が半減してた、などと苦笑を交えながら雄弁に語る武。
不意にそんな彼の腕を取り組み、つぐみは耳元で囁く。


『私、今とっても幸せよ……あなた』



あとがきたるもの

オリキャラ登場もの第三弾。
今回は『赤導 運命』と『鳥野 比代』の二人です。
『パーフェクト・キュレイを作ろう!』
てなコンセプトの下、生み出したのが運命です。
鮪には珍しく、かなりシリアスな雰囲気を纏ったキャラです。
バンダナに隠れた右目、隠された二つの能力……それは追々判明するでしょう。

そういや何気にココの友人キャラって少ないなあと思って(ココを取り扱うSS職人さんが少ないというのもありますが)出来たのが比代です。
ココの友人らしく(?)運動は苦手ですが、頭はそれなりに良く、人柄も良いので皆の人気者です。
若干(?)電波なココの歯止め役としても役立ちそう(コラ)
ちなみに父親が陸軍の総大将、つまり運命の上司なので運命とも面識があります。
二人の出会いのSSなんかも余力があれば書くかも。


今回のこれは二人の顔見せ的SSだったので内容がちと(あるいはかなり)薄っぺらいのが心残りです。
つぐみの両親ネタとか、また機会を作って書いてみようかなと。

しからばっ!

口ずさみソング 『Dream 〜The ally of〜』 (rino)


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