※今回のSSは以前実施したリレーSS・コミカルパートの設定を受け継いでいます。
そちらの方も一読してくださると展開が分かりやすいです。



【×−×・視点:赤導運命】

 俺は二度死んだ。


 気がついた時には、何も覚えてはいなかった。
 見知らぬ連中が俺を取り巻き微笑んでいた。
 その笑顔は、俺にとっては遠すぎるものであったのに。
『赤』に『導』かれる『運命』―――
 それが一度目に死んだ時に与えられた、俺の識別呼称。


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                             終焉の鮪



【1−1】

「彼に感謝するんだよ」
 個人研究室の背凭れ椅子に座った阿師津隆文は開口一番、そう言い放った。
「はい……」
 彼の前には、少しうなだれた田中優美清春香菜の姿。
「ファントムに感染したハル達を救ってくれたんだから」
 ファントムとは、以前倉成一家が海外旅行した際に感染したウィルスの事である(※リレーSSコミカルパート参照)
 キュレイの超回復能力をもってしても駆逐出来なかった凶悪な性質をもつものであった。
 ―― 精神・肉体又はその両方が退化していくという。この変化には個人差があるようで、
 先天的雄型ハーフのホクトと先天的雌型ハーフの沙羅は精神・肉体ともに退化(記憶はそのままに)
 後天的雄型ハーフの武と桑古木は肉体のみの退化。
 後天的雌型ハーフの春香菜と後天的雌型パーフェクトのつぐみは精神のみの退化と、まぁどれにしろまともではなくなってしまった。
「……その事で、聞きたい事があるんです」
「何かな?」
「どうして彼 ―― 運命君にファントムの抗体が存在したんですか?」


 窮地に追い詰められた正常なほかの面々の中、突破口を開いたのは隆文の一言だった。
『こうなれば悠長な事は言ってられない……彼に頼むしかないな』
 何せ肝心要の薬草である『無限草』は春香菜達の操る機動兵器『ME-DEATH』の暴走のお陰で山の頂上ごと消し飛んでしまったからだ。
 そこで隆文が機転を効かし、前々から顔見知りであった赤導運命に連絡をとったのである。
 とはいえ、彼は一介の軍人であり早々簡単に現場に来られる筈は……
 普通では考えられない。あくまで『普通』では。
 ―― 彼は普通ではない。
 彼の体にはつぐみと同じく、完全たるキュレイの呪詛が流れている。
 その為軍からは特別軍人として扱われており、隆文や春香菜のような要人からの要請があればあらゆる行動より優先される……
 と、ここまでは春香菜が知っている知識だ。
 彼女が知りたい事はこの先にある事である。


「彼が後天的雄型パーフェクトという私達の中の誰にも属さない唯一的存在なのは分かってましたが、だからといってあのファントムを駆逐するだなんて……」
「彼が後天的雄型パーフェクトだからだよ」
「…………? 意味が良く飲み込めないのですが……」
「なら、これを見ると良い。僕が簡単に見せて良いものなのかは別としてね」
 そう言って隆文は机の引き戸の鍵を開け、一組の書類の束を取り出した。



【2−1】

「わざわざ呼び出したりなんてして悪かったわね」
「…………」
「もうっ、サダメさんったら! 話しかけられたらちゃんとお返事しなくちゃ!!」
「まぁまぁ、落ち着きなすってぇ下さいピヨッチ様。こいつの無愛想は十何年前からのダイヤモンド鋼入りですから」
 春香菜と隆文が話をしているのと同日同時刻の鳩鳴軒店内。
 その一席には倉成つぐみ、赤導運命、鳥野比代、そして終焉の鮪が顔をつき合わせていた。
 一見すると異質極まりない組み合わせだが、これにもちゃんとした理由がある。


『助けて貰ったんだから、御礼の一つもしないのは失礼よね』とつぐみが言ったのが発端である。
 だがつぐみは以前、運命に殺されかけた事があり、それが春香菜の作戦と知った後もどうにも運命に対して距離を取っている節があった。
 そんな彼女が一転、彼に助けられた御礼をしたいと聞いた時は波紋があったのだが……
 とにもかくにも彼等彼女等はこうして今、鳩鳴軒内に置いて席を共にしているのであった。

「ところで、何で比代ちゃんと鮪が居るの? 私は運命を誘ったんだけど」
 こくり、とミルクたっぷりのコーヒーを一口。
「あ、すみません。私は無理言ってついてきたんです。サダメさんが任務以外で出掛けるのって珍しくってつい」
 えへへ、と微笑みながらオレンジジュースを一口。
「俺様は緊急時のストッパーだ。店内で騒ぎを起こされたらたまらん、という春香菜女史の意向でな」
 もぎゅもぎゅ、と下品な音を立てながら麻婆豆腐を一口。
「……俺の体について、聞きたいのだろう?」
 開口一番。運命の一言につぐみの手が止まり、そして。
「……分かってるなら話は早いわ。私は別に優みたいにそれを調べたいって訳でも無いのだけど」
 ほぅ、と一息。次に紡がれた言葉は。

「貴方、キュレイじゃ無いわね?」



【3−1】

 如何に人気店の鳩鳴軒であろうと平日の、しかも開店間も無い時では手が空いている。
 そういった訳で厨房と料理提供のカウンター越しに七瀬真篠・倉成武と塔野笹広・散花刹奈は談義に花を咲かして
「何でアンタがおるねんな、刹奈さん」
「別に良いでしょう。ウチの支店はまだ……正確には38分後に開店なのだから。暇潰しに話しに来たって」
「まるでウチの店が暇みたいな言い草だな……」
「事実でしょう?」
「今すぐ帰れ」
「ま、まぁまぁ3人とも抑えて……折角せっちゃんが来てくれたわけですし、もう少し穏便に……」
「そうだ、聞きたいのはそれなんだよ……何で今日に限って店に来たんだ?」
 武の言葉にピクリと、刹奈の肩が揺れる。
「……今更こんな事を聞いても、何にもならないって事は分かっているのだけれどね……正確には、私の探究心が満たされるけど」
「何の話?」
「…………塔野笹広」
 つい、と。
 刹奈の視線が笹広に向き、そして。

「貴方の父親、あの塔野将行なんでしょう?」



【2−2】

 運命は一口冷やを飲むと、すっとつぐみに視線を向けた。その瞳からは特に感情らしいものは発せられてはいない。
「……確かに。今の俺は純粋なるキュレイでは無い……しかしまた人間とのハーフとも違う」
 比代はグラスを両手で包み込んだまま、押し黙る。
 鮪は麻婆豆腐にかける胡椒の蓋が開かずに悪戦苦闘していた。
「……思えば初めて会った時も、海で出会った時も特に紫外線予防をしてた訳でも無かったみたいだしね。私は、こうして遮断クリームを塗らなくちゃいけないから」
 つぐみがそっと自身の左腕を撫ぜる。指を擦り合わせるとパラパラと顆状の固形物が机に落ちた。
「もしかしたら阿師津さんの新開発の何かに因るものかと思っていたのだけど……違うって早急に否定してくれたわね」
「……別に隠し通す事では無いからな。むしろ祖たる君には話すべき事だったのかも知れない……この俺に宿った、新たな可能性を」
「……新たな可能性?」
「……絶対は存在しない。それは万物に共通する事柄だ。無論……細胞においても例外は無い」
「まだるっこしいわね……私は意味の無い質疑はあまりしたくないの」
 鮪が力みすぎて、胡椒の瓶が手から弾け宙を舞う。そのまま瓶は比代のグラスの中へ……


 入る前に粉々に砕け散った。

「……亡霊」
 運命の口から漏れた言葉。胡椒が宙に散布され息苦しい事この上無い状況の中。
 運命だけが淡々と話を続ける。

 まるで元からこの空間に存在していないかのように。



【3−2】

「……まさかアナタからその名が出るとは思わなんだでした」
 笹広は特に動揺を見せるわけでも無く、しかし何処か不愉快気な視線と口調で刹奈を見る。
「塔野……将行? そいつが、どうかしたのか?」
「塔野……将行……本当なの、笹広君、せっちゃん……」
「私の信頼する部隊が調べた正確な情報よ。初めて名前を聞いた時からもしかしたらと思ってね」
「なぁ、塔野将行って一体誰なんだ? 凄い芸能人か何かか?」
「塔野将行……彼は」
 しかし刹奈が口上を述べる前に、笹広の口の方が事実を語る。


「元ライプリヒ製薬会社・生物学研究組織課長……ライプリヒを束ねていた『五大頭目』の内の一人……」

「………………え?」

武の笑顔が、凍った。



【1−2】

「……このファイルは……」
「そう、あの島……以前ハル達が別荘と偽られて隔離されてたあの場所についての調査ファイルだよ。理宇佳に随分と頑張って貰ってようやく完成させたんだ」
 隆文は箱から煙草を一本取り出し ―― 春香菜は黙って一度頷く ―― マッチで火を灯す。
「……当時の調査期間は僅か一週間。しかしそれだけでもう『それ』に対する調査は充分だった」
「――― 調査結果:感染度A+・治療可能レベルA……感染しやすいがしかし、抗体さえあれば対処も容易である……」
「よって『それ』が人類に与える損害は0に近い。感染ルートも非常に狭い為そこに近づきさえしなければ何の事は無い……」
「……見えざる存在。気づかない人にとっては『それ』がそこにあることすら気づかない事もある……」
「……それが」
 隆文は灰皿で火を擦り消して。

「……PHAMTOMファントム



【2−3】

「宗教的返答ならその顔に突きを入れる所よ」
 胡椒を振り払いながらつぐみが呟く。大口を開けたら器官に胡椒が入り込んでしまうため、やむなく小声に。
「……無論、宗教的返答でもなければ場を和ませる冗談でも無い」
「お前の口から冗談が出るとは思えんがなぁ……それに、どうせ落下阻止するなら壊すんじゃなくて掴めっての」
「黙りなさい原因……それは偶然なのかしら? それとも……」
「……むしろ、俺が祖であるという事になるな、実際」
 頭を払う度、比代の髪の毛から胡椒の粒が落ちてくる。小さく愛らしいくしゃみを控えめに繰り返しながら。
 雰囲気を壊さないように、一生懸命に振る舞っている。
「……先ずは、コイツがキュレイに感染した時の事から振り返ろうか」
 口を開いたのは、意外にも鮪であった。こう見えても奴は17の職業を生業としており、その中の一つに軍人というものまで存在していたという。
 その時に運命とは出会っていたと語る。
「……発端は2019年。米で起こった暴徒ともの鎮圧作戦だった」



【×−×・視点:終焉の鮪】

『今回の作戦にはお前達も参加してもらうぞ』
 大尉の一言に、のんびりポーカーに興じていた俺達の手が止まる。
『……大尉殿。それは幾ら何でも急すぎますってば』
『おどけても無駄だぞ終焉の。それに上官の話を聞く時は真剣に聞け』
 へいへい、と札をひらひらと放り投げる。せっかく逆転の一手が出そうだって時に、全くついてない。
『…………二等兵、並びにその上官である終焉の鮪少尉には3日後から始まる【米国暴徒鎮圧作戦】に参加して貰う。良いな?』
『Yes,Ser ……やれやれ、しばらく勝負はお預けだな?』
『……得点は次回に継続しましょう』
『……意外とせせこましいのな、お前』

 それが世界が変わる前に見た、最後の安らぎ。


 作戦そのものは早くに終結した。数・兵の質共に勝っている俺達の軍勢が一般民間人の隊相手に負けるなんて事は無かった。
 だがそれ即ち無被害の勝利とは言えずに、だが。

 大尉殿は終局、戦死なされた。
 民間人の少女に手を出そうとして、逆に撃ち殺されたそうだ。全く、戦火の元で何を考えていたのか。今では知る術は無く。
 それよりも俺に衝撃を与えたのは、変わり果てた戦友達の姿。
 そこには、アイツも居た。

『製薬会社が後ろ盾なだけはあるな。傷の治療は完璧だぜ』
 そう言いながら自慢気に仲間に傷痕を見せる連中を尻目に、俺はアイツの眠る病室へと急いだ。
『…………』
 躊躇う事無く扉を開く。
 次の瞬間、目に飛び込んできたのは。
 ベッドを囲む大勢の生き残った戦友達と、無傷でそいつ等を見回すアイツの姿。
『…………!!』
 喜び勇んでアイツの名前を呼ぼうとした、その時。

『……お前達は、誰だ?』

 世界が暗転した。



【2−4】

「……それからコイツはライプリヒ管轄の病院に収容されて、日本に戻ってきたのはそれから5年と少しを過ぎた頃だった」
「遺伝子が全て書き換わり、パーフェクトとして覚醒してから程無く脱国した訳ね……」
「……当時はまだ准将であらせられた鳥野指令の手配で、俺はそれまでの存在を隠蔽され『赤導 運命』として新たに生きる事になった」
『赤』 ―― 血の『赤』、すなわちキュレイに『導』かれる『運命』を背負い者 ―― それが今つぐみの目の前にいる男に与えられた『識別呼称』。
「さて、ここからが本題だ。それから運命に何が起こったのか。何が原因で運命は再び変わったのか」
「……絶対は存在しない。それは万物に共通する事柄だ。無論……細胞においても例外は無い」
「矛盾してるわよ。その定義を立てるならその定義そのものが『絶対』でなければならない」
「……ならば言い換えよう。キュレイは『絶対』では無かった」
 胡椒はもう中空には存在していない。皆机の上か床の上に散らばり、所々で群れを形成していた。
「その上を行くもの、あるいは包み込むもの、一部分と成す物……そんな存在に俺は出会った」
 時は再び遡る。
 2032年8月6日へと。



【3−3】

「『五大頭目』……ライプリヒ製薬の事実上の要柱となる五人の人物……そのうちの一人が」
「笹広君の……お父さん」
「……嘘だろ?」
 武の膝が笑っている。いや、それは笑うというより『震え』であり。
 困惑と、怒りと。
 一概に出しておけない感情たちが中で渦巻き。
 瞬間。
「……嘘だって言えよっ!!」
 武の右腕は笹広の襟を強く握り締めていた。
「武さん!!」
 カウンターを乗り越えて笹広に掴みかからんとせんばかりの勢いの武を、必死に抑える真篠。
「俺は信じねぇぞ……笹広の親父が、ライプリヒの重役だなんて……つぐみの人生を狂わせた連中のトップだなんて信じねぇぞ!!」
「……オレかて、あんな奴親父と思いたく無いですよ……でも」
 武の握り締められた拳に右手を添えて、笹広ははっきりと口にする。


「塔野将行は、戸籍上に置いてオレのホンマもんの親父です」


 武の左手が、笹広の頬を殴り飛ばした。

「武さん!!」
 間髪入れず、真篠の掌が武を打った。鋭い痛みが、徐々に武の頭の熱を奪っていく。
「…………悪ぃ」
「……気にせんといて下さい。あの腐れはこんな事されて当然の行いに手ぇ出してたんですから」
 特にふらついた様子も無く笹広は立ち上がった。その頬には鮮やかな拳の痣が浮かんでいた。
「……その顔じゃ今日は、正確には5日間はまともに仕事は出来ないわね」
「オレのウデじゃ料理作っても文句言われるだけやからな」
「私に文句は言わないのね?」
「いつかは分かる事やしな……それがたまたま今日こういった形で露呈しただけや。アンタは悪ぅ無い」
「なぁ笹広……お前にとって親父さんは、どんな存在なんだ?」
「……居て欲しゅうなかった。けれど、居なくちゃ生きていけんかった。感謝はしとうなかったけどせないかんかった。……最大限の嫌悪と侮蔑と、感謝を払わないかん存在でした」
「……複雑だな」
「子供の頃はそんな事知らんと、他人の命で築き上げられた金で何不自由無く暮らしとって……中学あがる頃に真実を知った」
「…………」
「でもオレにはまだ何にも出来へんかった。そんなに粋がっても。抗おうとしても。俺は単なる中学一年の坊主やった」
 武には、何も言えなかった。自分の人生がそのまま、他人の犠牲に結びつかない暮らしなどありえない。
 ただそれが大なのか小なのかであるだけ。
「高校に入学するほんの一週間前、珍しく親父が家に帰ってきとって……その時ソイツ、何て言ったと思いますか?」
 3人とも、ただ首を振るだけで。
 促す。
 笹広の言葉を。
「……あのくそ親父は……」



【×−×・視点:赤導運命】

『今回の調査にはお前達にも手伝って貰うぞ』
 鳥野中将の言葉に、殺伐とした雀卓の空気が変わる。
『……中将、よりによって今言わないで下さいよ』
『ハコになりそうな状況だから逃げ道を作ってやろうかと思っていたのだが……余計な口出しだったか? 終焉の』
『いえ滅相もございません』
 鮪がくるりと体の向きを中将に向ける。その背中には天使の羽が見えた気がした、と後日奴は語った。
『赤導運命並びに終焉の鮪少佐、そしてその部下に命ずる。2032年8月8日を持ってこの書に記されし場所の調査を開始せよ……返答は?』
『Yes,Ser!! ……こりゃまた地味な仕事だが、やってやろうじゃないか、なぁ運命?』
『……そうだな。ちなみに今引いた牌で上がり……2万4800点……ハコだ、鮪』
『……本当容赦無いのな、お前』

 それが調査前に過ごした日本最後の日。


 2032年8月8日。
 俺と鮪、そして数名の部下を引き連れて、俺達は目的の島に上陸した。
 以前別の集団が建てたというログハウスを拠点に、俺達は調査を始めた。
 調査 ―― その島に発生したという新種の細菌の調査……それはやはり、ライプリヒからの依頼であった ―― は順調に進んだ。
 未知の細菌ゆえに防護服は外せなかったが、こうも何事も無くあっさり進むと刺激が欲しくなるというのもまた人間であり
 ―― 迎えが来る予定日であった8月15日 ―― その日は雨がざんざんと降り注いでおり、太陽の陰も形も見えなかった。
 だから。
 俺は防護服を外し島の中を散策した。

 今思えば俺は心の片隅で、意識もしないうちに。
 驕っていた。
 高ぶっていた。
 そしてそんな心の隙を突く様に。
 『ソイツ』は侵入していたのだ。

 不意に吐き気を覚えたのは船の中。
 視界が回り、世界が巡った。
 ぐるぐる。
 グルグル。
 狂狂。
 ぐるぐるグルグルぐるぐるグルグルぐるぐるグルグルぐるぐるグルグルぐるぐるグルグルぐるぐるグルグルぐるぐるグルg



 闇に落ちた。


 暗闇の中で目を覚ました。
 辺りは一面真っ暗で、果ては無かった。
 直感的に思う。
 "オレハシンダンジャアナイノカ?"
 直感は見事に外れた。
 誰かが俺の手を掴んでいた。
 視線を向ければそこには何も無く。
 否。
 『見えない』だけでそこには確かに存在した。
 2人。
 1つは目に見えない程の大きさの存在であり。
 もう1つは『この世界』に実態を持ってはいけない存在であり。
 不意に『小さな方』が語り掛けてきた。



【3−4】

『せいぜい刹那の快楽に浸ると良い。お前の将来は、私と同じ場所にあるのだからな』

 記憶する中で初めて本気で他人を殴った。
 次の日の俺は電車の中でつかの間のまどろみに身を委ねていて。
 気がついたらコンビニの前で立ちすくんでいた。

 「オレの事情は深いところ散策せんで、そこのテンチョーはオレを雇って下さりました」
 個人経営のコンビニだから、来客は少なくて暇かも知れないけどね。
 そう言って苦笑するテンチョーの顔は今でもはっきり思い出せる。
 そしてあの日の顔も。


 2034年の5月7日。
 何気なくテンチョーと一緒に見ていたお昼のワイドショーに、それは映った。
 『ライプリヒ製薬、ティーフブラウ漏延に関与か!?』
 『重要参考人・ライプリヒ製薬五大頭目緊急逮捕!! 塔野将行が真実を語る!!』
 ……………………。
 振り向いた時、そこにいつもの柔和な表情をしたテンチョーはおらず。
 オレはまとめるものも無いまま店を追い出された。

 テンチョーの奥さんは、ティーフブラウで16年前に他界していた。


 「……それから一ヶ月もせん時でした。街中で春香菜さんに声を掛けられたのは」


 聞けばずっと自分の事を探していたのだと、彼女は言った。
 そして白状して謝った。自分がライプリヒの機密をリークしたのだと。その所為で今オレが苦労している事を。
 オレは別に気にせんかった。あのクソ親父が悪い事をしたのは事実なのだから、謝まられてもどうしようもないし。
 むしろ正しい行いをしたんやから、胸張って堂々と生きていって欲しいゆうたら、いきなり抱きしめられて。
 『……こんな提案じゃ足りないのだけれど……もし……』
 オレの鳩鳴軒アルバイトが始まったのはそれから3日後でした。


 自分の過去を語りきった笹広はほぅ、と一息ついた。
 「こんなにベラベラと喋ったんは初めてですわ」
 そういって苦笑する少年の表情は。
 年に似合わず深く、複雑な感情が渦巻いているようで。
 誰も何も、言えなかった。
 沈黙の支配が秒針一周に達した時。
 不意に空気が震えた。



【×−×・視点・赤導運命】

 震えたというのは錯覚だと気づいた。
 この空間は『空気』が『空気』としての役割を正確には果たしておらず。
 つまるところソイツの『声』は直接脳に響いてきた。
 『よぉ、アンタ体内なかに面白いモン飼ってんなぁ』
 生まれてこの方、動物を体内で飼った事など無い。すぐに当てはついた。
 「……キュレイウィルスの事か?」
 『あ〜、多分ソレだ。ソイツの所為でオレの『侵食』が上手く行ってねーんだよ』
 「……侵食?」
 『つっても別に死ぬ訳じゃ無いけどよ。オレの出来る事は身体に外的変化を及ぼす事くらいしかねぇ』
 「……具体的には、どんな感じだ?」
 『幼児化だな。時たま精神にも変化が及ぶ場合がある』
 「……それは困る」
 自分がパーフェクトキュレイである以上、半不老不死の人生をこれから歩んでいかなければならない。
 せめて今の肉体をキープしないと生きる気力が萎えてしまいかねないのだから。
 『アンタの都合はオレには関係ねぇ。オレは自分のやるべき事をやってゆっくりしたいんよ……でもな』
 ちら、とソイツが後ろを振り向いた気がした。余りにも小さすぎて動作が正確に読めない。
 『コッチの奴との会話くらい済ませてから『侵食』してやるよ。オレは慈悲深いからな』
 ケケケ、と反響音を残しながらソイツは姿を消した。
 代わりに俺の前に姿を現したのは……見た事も無い男の姿。
 「……貴様は、誰だ?」
 今まで姿を見せないで気配だけを察知させていた存在。今度はソイツが口を開いた。
 『俺は……君よりも一つ上に存在する者だ』
 その時ふっと思い出した。
 昔ライプリヒの施設の警備をしていた時に聞いた話題。


 『田中先生、一体いつまで続けるおつもりなんですか?』
 『分かるまでよ。私は諦めない……信じてるのよ、第三視点の存在を』
 『しかし……そんな不確かなものにご友人の生死を賭けるなんて……』
 『私は信じてるのよ……確かに聞いたから、彼の……ブリックヴィンケルの声をね』


 「……お前が」
 『そう、君達の世界でいう所の……第三視点のうちの一人さ』
 ソイツはそう言って微笑む。俺達は少しの間、押し黙り。
 俺の方から話を切り出す事にした。



【3−5】

「もう、このお話は止めにしましょう」
 そう言ったのは真篠だった。
「そろそろお客さんも入ってくる時間ですし……もう少し下準備を終わらせておかないと」
「……真篠……」
 武は何かを言おうとして、留まる。
 今、自分は何を言い出そうとしているのか。
 口を開いたらまた誰かを傷つけてしまうんじゃないのか。
 だから彼は何も言わず、仕事に戻ろうとして


「……良いのね?」


 刹奈がそう、一言だけ言い放った。

「……笹広君は、笹広君ですから」

 真篠はそう言って微笑む。
 あぁ…………そうか。
 武はようやく理解した。
 アイツはアイツ。笹広はライプリヒの重役・塔野将行じゃ無い。
 考えずとも分かる、幼稚園児でも分かるような問題だったのに。
 俺は深く考えすぎていたんだな、と。
 ようやく気づいたのだった。

「……よっしゃ!!」
 自分に一発、活を入れるべく頬を勢い良く叩く。小気味良い破裂音とじんじんとした痛みがいつもの自分を呼び戻した。
「それじゃ本格的に仕事、始めるか!!」
 一瞬呆気に取られたような表情を浮かべた後。
 
 真篠は元気良く返し、

 笹広は力強く頷き、

 刹奈は微笑を浮かべてその場を立ち去った。


 これが、あくる日の鳩鳴軒サービスエリア内の風景。



【×−×・視点:赤導運命】

「貴様の力で、奴をどうにかする事は可能なのか?」
『……奴って?』
「さっきまで俺と話していた奴だ」
『あぁ……無理だな』
 あっさりと言われた。
『俺は単なる『視点』でしかない。何かに手を出したり加えたり、なんて事は出来ないんだよ……でもまぁ』
 一瞬うっすらと笑みを浮かべ、第三視点は続ける。
『アイツと話し合いで折り合いをつける事なら、可能かもな』
「それで構わない。頼む」
 らしくもない、と実感する。だが、俺の直感が伝えるのだ。
 今何とかしなければ一生後悔するぞ、と。
 元来、人に頼み事なんてしないのでぶっきらぼうな物言いになってしまったのはマズいか、と思いつつ。
 第三視点は何も言わず姿を消した。


 寝ると二度と起きられなくなるような気がしたのでひたすら立って待っていた。
 時間の感覚がより一層薄くなった頃、奴等は再び姿を現した。
 『あっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!! オマエ、そんなにガキンチョになるのがイヤか!!?』
 小さい方の第一声がそれだった。
「嫌だな。俺はキュレイの所為で年を取らなくなったんだ、子供にされたら二度と戻れなくなる」
 小さい奴の笑いが止まり。
『……ま、いいか。他種との共存ってのも中々悪くねぇよな?』
 俺に聞く訳でも無く一人で納得すると、ソイツは俺に向かって迫ってきて、

 体の中に消えていった。

「……………………」
 別段痛みや感覚も無く、消えるように体に吸い込まれていったのでいささか拍子抜けした。
「……奴は、どうなったんだ?」
『君の中に吸収されたんだ。まぁ、棲みやすくする為に多少の変化は加えるかもしれないけど、命までは取らないと思うよ』
「……そうか」
 俺はまた、変わってしまったようだ。
 キュレイ種から、また一歩。
 普通の人間から、遠ざかったらしい。
『……さて。こうなったら俺も君の中に住まわせてもらおうかな』
「……何故だ」
 これ以上変わるのは流石に避けたい。しかしここから逃げ出す事は不可能だという事を直感的に察知してはいる。
 彼の気まぐれが俺に関しないレベルにまで達するのを祈るしかない、と。
『つーかね、今回俺が来たのは君の所為なんだよ。二回も仮死状態になるからつい錯覚しちまった』
 検討はついた。恐らく一回目とはキュレイに感染する要因となったあの事故の事を指しているのだろう。
 アレと今回の事件を錯覚するなんて事はあり得るのだろうか……?
 しかし考えても仕方は無い。実際目の前に来てしまっているのだから。
「……貴様、馬鹿だろう?」
『うっさいボケ。とにかく住まわるっつったら絶対住まわってやる……あっちの生活にも飽きたしな』
 回れ右して逃げ出そうとした正にその時。

 右目に奴が入ってしまった。



 目が覚めた時、見えるセカイは普通だった。
 周りには俺の部下、鮪の部下、鳥野中将。
 鮪の姿は見えなかった。
 ふと、映像が見えた。
 鳥野中将が鮪の辞表を出す映像が。
 そして3秒後。
 同じ行動を中将が取った。


 鮪の奴は俺を止められなかった責任をとって辞表したのだと聞かされた。


 検査の結果、俺の体はやはり変化を起こしていた。
 キュレイウィルスでは無い、違うウィルスがキュレイとともに体内で生きている。
 そしてソイツはキュレイの身体向上力を補佐するだけでなく、キュレイによって機能しなくなっていたp53細胞の活動を再開させているのだという。
 もう日光を恐れる必要は無い、と医師は驚きと喜びを混ぜたような表情で俺に告げた。
 学術的にも新たな発見だとして、嬉々として何かレポートに書き込んでいた。
 俺は医師に気づかれぬようそのレポートを覗き。

【PHAMTOM ―― その新たな可能性について】

 肉眼では姿の見えない存在。
 捕らえる事も、人間には不可能だ。
 しかし確実に人体に影響を与える。
 まさしく『亡霊』――― 。
 俺は第一発見者のネーミングセンスに感心しつつ、ベッドに転がり目を閉じた。

 次の日から再開される訓練の為に。
 疲労を取るのが何よりも尊重されたのだ。



【3−5】

 語り終えると、運命は再び冷やを口に含む。
 つぐみは黙って話を聞いていたが、すっと目を開くとこう尋ねた。
「……成程、ね……そういう事だったの」
 意外と淡白な反応に、比代は目をぱちくりさせる。
「つぐみさん、案外驚かないんですね」
「前もってキュレイとは違うって振られたんだし、大袈裟に驚いた方が良かったかしら?」
「……それは君らしくは無いと思う」
「私自身もそう思うわ。だから驚かない」
 すっかり冷めてしまったコーヒーを一瞥して、つぐみは呟く。
 鮪は途中で飽きたのか爆睡していた。鼾はかかなかったので何とか雰囲気を保つ事は出来たようだ。
「とにかく……私は今日貴方が私とは正確には違うって知りたかっただけだから」
 つぐみがすっ、と席を立つ。
「? どちらに行かれるんですか?」
「これから仕事の時間なの。流石に休みをとって店内で話し続けるって訳には行かないからね」
「……律儀だな」
「今が幸せだから。楽しめるうちに楽しみたいのよ」
「……そうか。着替え終わったら、注文を聞きに来てくれ」
「……まだ居座る気?」
「……君の制服姿にも興味があるしな」
 つぐみと比代の攻撃は、運命に避けられ哀れ鮪に直撃する事となった。


 これが、あくる日の鳩鳴軒店内の風景。



【1−3】

「……成程」
 納得しぃな顔で、春香菜はファイルを閉じた。
「ハルなら今回の事は納得できる内容だったんじゃないかな? それは」
「全く其の通りですよ。彼、そういう人間だったわけですね」
「あぁ。僕もその事を知ったのは今年に入ってからなんだが。鳥野さんとは昔から縁が深くてね」
 隆文は新しい煙草に火をつけると、大して美味そうにも無い表情を浮かべた。
「……運命君は、ファントムを駆逐しようとは考えなかったんでしょうか?」
「ん?……そうだね、彼は当時、やろうと思えば簡単に出来たファントムの駆逐を頑なに拒んでいた……と鳥野さんから聞いたよ。何か思う所があったんじゃないかな?」
「まぁ何にせよ、そんな彼のお陰で私達は早くに助かったんですけどね」
「全くだよ」
 そう言って苦笑し合う、かつての師弟。
 理宇佳が控えめにノックして、焼きたてのクッキーとブラックのコーヒーを運んできた。


これが、あくる日の阿師津研究所の風景。



【∞−∞】

『ボク』達が帰ってきた。
 今日も今日とて各自が好きな所の景色を見に行っていた様だ。皆一様に満足げな表情を浮かべている。
 (……ん?)
 ふと、その中に興味を引かれるものがあった。
 三箇所で全く異なる面子が、しかし何処かで繋がっている内容を話していたのだ。

 ある男に起きた異変についての資料を読み耽る女性。
 その男が語る自身の過去。
 その男に異変を起こした人物の息子の昔語り。
 
 ある場所では沈黙が時を支配し。
 ある場所では静寂と静粛が空間を支配し。
 ある場所では激情が空気を変えた。

 しかしそれぞれに共通して言える事は確かにあった。
 相反するモノの共存。


 憎悪と慈愛。
 憤怒と悲哀。
 冷静と情熱。

 ―― 司祭と亡霊。


 (……さて、と)
 『ボク』は大きく背を反らし、うーんと一息ついた。
 明日は一体どんな風景を『視』られるのだろうか?


 『ボク』は目を閉じて、虚空に身を預けた。





 あとがき
 自分の想像以上に長くなってしまいました(しかし今回、行間スペースがやたら多い為行数の割に容量は少なかったです)
 今回のお話は自分のオリキャラの過去について語ってみました。特に運命について。
 その為か笹広の秘密については淡白な表現になってしまいましたが……熱い武を久々に書いた気がします(汗)
 しかし今回だけでは運命につけた設定の全てを明かす事はできませんでした〜……今度は久々のバトルSSでも書こうかしら。
 その前に『浪漫酢の神様』の後編を書き上げないと…………
 もう少し暑くなってからじゃ駄目ですかね?(駄目です)

 稚拙な文章ですが、ここまで読んでくださった皆様。そして掲載してくださった明さんに改めて感謝の念を込めつつ。
 ではでは。


 口ずさみソング  『存在』 (Coorie)


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