頭文字I
〜LeMU最速伝説〜

                              みつばや


 ヒヨコバトル――その歴史をさかのぼると、今から六〇〇年前の、英国は薔薇戦争に始まるとされている。公式に伝えられているヒヨコごっこの発祥は、一八世紀のルイ一六世とされているから、バトルの歴史はそれよりも長い。
 だが知名度の点から言えば、バトルは大きく劣っていた。ヒヨコごっこは特別必要な機材を必要としないが、バトルの場合、“対戦する”と言う性格が極めて強いため、必要な機材や審判、運用場所などが限られる。
 ルネサンス時代には大きな楽曲隊を率いるほどの華やかさを持っていたヒヨコバトルも、時代の流れとともに衰退の一途を辿った。二一世紀の今ではもう、その名前すら知られていない。すべては歴史書の中にのみ存在する。
 しかし。
 西暦二〇〇八年六月、ある出来事がきっかけにヒヨコバトルは陽の目を見ることになった。とある女子学校の歴史研究同好会が、埋もれて久しい歴史書を発掘したのである。“chick of battle”と言うタイトルのそれは、現代に伝わる最古のヒヨコバトル書物として、世界中に発信された。
 何故それが女子校の図書室にあったかは、先々代の学園長が趣味で集めていたと言う説が有力であるが、ここでは関係ないので割愛する。
 歴史から名を消したヒヨコバトルの存在は、瞬く間にメディアが伝え、世界市民たちの関心を寄せた。小説、漫画、映像……数多のヒヨコバトル作品が世に輩出され、ひとびとの注目を勝ち得ていく。世界規模で巻き起こったブームに、企業が注目しない理由は存在しない。
 ヒヨコバトルが一般に知られるようになった翌年、イギリスのある玩具メーカーが国内向けにひとつの商品を発表した。
 その反響はすさまじく、当初国内向けだった製品を、全世界へ販売することになったほどである。むろん、他の企業も追随した。
 ヒヨコバトルスーツ――CBSと呼ばれる画期的かつ懐古主義的な玩具は、世界中の子供に愛され、やがて大人までも席巻した。最初に発売したイギリスの企業は大いに潤い、それを元手に金融取引を始め失敗して倒産した。手放された版権は日本の企業が買い取り、多機能型の製品が発売されることになる。
 それから五年が経ち、一時期のブームが過ぎ去った頃、関東愚連会・苦麗無威爆走連合と呼ばれるチームが結成された。そのチームはCBSを用い、様々な公道――だけではなく、公共施設内部でも――で他チームとバトルを繰り広げる。いわゆる、原書主義派と呼ばれるヒヨコバトルチームである。
 前記の通り、ヒヨコバトルは戦争中に生まれた。それは勝敗を決めるものであって、ひとを殺めるものではない。格闘技に近いものがある。原書主義派は、“ヒヨコバトルとは厳正かつ刹那的な戦いである”と言う信念の元バトルを繰り返していた。
 もちろん、反発はある。ヒヨコバトルを繰り広げる場所は、たいてい公共の場所であり、バトルに参加していない人間に多大なる迷惑をかける。一時期は実力を持ってバトルを排除するという過激な意見が出ていたのだが、あるひとりの人間の出現が、それを未然のところで食い止めた。
 関東愚連会・苦麗無威爆走連合、六代目総長、田中優美清春香菜である。
 鳩鳴館峠の朱い水星と呼ばれた彼女の登場は、そのカリスマ性と統率力を持って各地の不満を急襲し、示談を成立させていった。その名は全国に轟き、彼女の存在無くしてバトルを語るな、と言わしめるほどである。
 彼女は実力もすさまじかった。苦麗無威爆走連合で総長と言えば、ほぼ日本トップクラスの実力でなければなしえることが出来ない役職だった。田中優美清春香菜には、それだけの能力があった。
 しかし、カリスマとは突然消え去るものである。
 苦麗無威爆走連合が関東一円を制圧しようとしていた、二〇一七年五月。彼女は唐突に姿を消した。その期間は一ヶ月ほどだったが、チームは大いに混乱し、死亡説まで飛び出るほどだった。
 そしてなにより――春香菜が再び姿を現したとき、彼女の口から放たれた一言に、全員が呆然とした。
「今日限りで、私、やめるわ」


 それから、一七年が経つ
 西暦二〇三五年六月十日午前五時一二分、LeMU――エルストボーデン。
 館内は薄暗かったが、彼女の速度を緩めるほど暗いわけではない。何度も走り込んでいた鳩鳴館峠とは違い、カーブが多く全力区間のほとんど無い典型的なテクニカルコースだったが、三度走っただけで慣れた。カーブの数が多くても、直線区間が短くても、基本は変わらない。彼女はホームコースでそれを学んでいた。
 緩い左カーブを荷重移動と僅かな姿勢変動でクリアし、タイムロスを削る。その後に待ち受ける短い直線区間はあえて踏み込まず、コース取りに専念。ヘアピンを最小限度の減速で周り、低回転状態だったレッグギアを一気に高回転状態に持ち上げる。ぐん、と重力がかかり、全身の筋肉がこわばった。
 闇の中を黄色い閃光が駆け抜けていく。
 静寂が突き破られ、ドップラー効果で引き延ばされた駆動音が通路内でこだました。
 彼女は疾い。見た誰もが、同じ感想を抱くだろう。
 それは当然のことだった。彼女は関東愚連会・苦麗無威爆走連合、七代目総長――田中優美清秋香菜。その本人だった。
 使用CBSはFD-3S。最新型のCBSである。それを室内用に独自チューンしている。黄色いカラーを使用しているのは、闇の中でも目立つようにするため。駆動音が低音域に集中しているのは、低回転状態での加速性能を維持するためだった。
 彼女の全身は、ヒヨコを象ったスーツに固められている。短い鶏冠、紅いくちばし、空力に影響する翼に、安定性のためのしっぽ。脚は三つ又に分かれて、グリップ力に影響を与えている。ヒヨコバトルは腰を曲げたままの姿勢で戦うため、足腰の負担が重い。それをいかに解消するかが、勝利のポイントだった。
 高性能なら強い、と言うわけではない。高性能な装備は、総じて重量がある。後半戦に入ってばててしまっては、元も子もない。ヒヨコッティア――ヒヨコバトルを繰り広げる人間の総称――は、常にその配分に気を遣う。負けては、いけないのだ。
「……ぴぴぴよっ(階段ね)」
 ヒトコバトル最中は、常にヒヨコ語を利用しなければならない。もちろん守る必要はないが、たいていのヒヨコッティアは遵守している。
 緩い右カーブを進む秋香菜の視界に、階段が入ってくる。室内戦特有の障害である。屋外戦なら早く降りればいいのだが、室内の場合は階段に代表される障害がたくさんある。それにどう対処するかが、室内戦のポイントだった。
 流れる水のように繊細な動きで、彼女は階段に進入する。腰をかがめたまま螺旋階段を下ると言うのは、筆舌にしがたい苦労がある。初心者のヒヨコッティアがまず最初に脱落するのが、この階段だった。
 ホームコースが屋外にある彼女だったが、四度目ではかなり上手くさばけるようになっていた。一段飛びでクリアしがちの階段を、彼女は四歩でクリアした。
 ツヴァイトシュトックに進入した秋香菜は、少しスピードを落とした。LeMUスピードスターズとの交流戦は来週にある。今はコースになれることを優先し、怪我をしないように抑えよう。中性浮力式エレベータの前を左折。通常のバトルモードから、ならしに移る。
(ま、今度のバトルも楽勝ね)
 来週に迫った交流戦――とは名ばかりの宣伝――の結果は、火を見るより明らかだった。スピードスターズに有力なヒヨコッティアはいない。バトルを申し込んだあと、慌てて走り込んでいた相手チームをみて、彼女はそう結論づけた。
(二軍でもいいわね……けど、戦う以上、全力を出すわ)
 にやり、と笑って秋香菜はストレートを進む。今日はこれで最後にしようと、そう思ったとき。
 遠くからCBSの駆動音。それも近づいてくる。
 秋香菜は後ろを振り返った。まだ何も見えない。音だけが聞こえる。
(誰? スピードスターズの連中……?)
 カーブをすり抜け、ギアを上げたとき、背中にはっきりと気配を感じた。相手はいつの間にか、背中に迫っていた。冷や汗が流れる。少なくとも、力を抜いていたとは言え、近づかれるような距離にはいなかった。
「っち」
 悪態を吐いて幾つかのコーナーを抜ける。だが相手は、執拗に食いついたまま――いや、車線を換えて抜きに入っている。
「ふざけないでっ!」
 秋香菜にもプライドがある。関東愚連会・苦麗無威爆走連合七代目総長としての誇りが。幾らならしで走っていたとは言え、ここまで食いつかれるのはプライドが赦さない。彼女はバトルモードの移行する。目つきが変わった。
(コーナーふたつで引き離してあげるわ)
 短いながらストレートで速度を稼ぎ、カーブではきっちりと速度を殺して小回りにすり抜ける。立ち上がりは得意だった。四週目だったが、体力には自身があった。負けるファクターは、どこにもない。
 しかし、だと言うのに、彼女は振り切ることが出来ない。食いつかれたまま、すでに三つ目のコーナーに入っていた。
(いったい誰が……)
 後ろを振り返った秋香菜は、自分の眼を疑った。
(ハチロクっ!?)
 日本企業がCBSの特許を取得してから、CBSの型番には皇紀が使われるようになっていた。ハチロクとはつまり、皇紀二〇八六年のことである。西暦に直せば、二〇二五年。今から一〇年も昔のポンコツだった。
 彼女はそれに食いつかれていたのだ。秋香菜は激昂する。
「この私が……っ!?」
 頭に血が上った。彼女は人一倍、プライドが高かった。脚力増強ギアを最適な値でキープしつつ、無茶とも思える操作で通路をクリアしていく。その短期間は、紛れもなく彼女最高の出来だった。もう一度やれ、と言われても出来ないほどに。
 何度も後ろを振り返り、振り切れないことに肝を煮やしながら走る秋香菜。そろそろツヴァイトシュトックも終わる。次にくる緩い右カーブを抜けたら、きつい左カーブが待っている。そのあとは階段だった。
(このまま逃げ切って……え?)
 内側で、次にくる左カーブに対応しようとしていた彼女は再び眼を疑う。ハチロクはスピードを落とさないままカーブに進入したのだ。いけない、と彼女は思った。あんなにスピードが出ていたら、足がついていかない。壁に激突して怪我するわ。
 だが秋香菜には何も出来ない。ただ、運良く怪我を回避してくれれば―――
 彼女の予想通り、ハチロクは親友速度を誤って立ち直れない。ずるずると壁に引き寄せられていく。相手もそれに気づいたのか、姿勢を変えようとするが慣性には抗えない。ハチロクが壁に近づきそして―舵手次の瞬間、彼女は叫んだ。
「な、な……嘘ぉっ!?」
 壁に引き寄せられていたハチロクは、あと数十センチと言うところで強引に視線を変えた。ほぼ二七〇度。一回転するように――いや、実際にハチロクは回転したのだ。
「――ターンドリフトっ!」
 それは高度な技術である。回転するだけなら誰でも可能だが、その後の姿勢維持、速度調整、ギア変更など、複数の操作を一瞬でやらなければならない。間違えれば縦に一回転し、屋外ならば大けがものの、トリプルCクラスの技術。相手はさも当然のようにそれをやり遂げたのだ。
 あまりの光景に目を奪われていた秋香菜は、反応が遅れた。本来曲がるポイントを大きくすぎての行動は、緊急停止装置を作動させて大事には至らなかった。両足に鈍い疼痛が残るが、怪我をするよりましだった。それよりもむしろ、プライドをずたずたに砕かれた方がショックだった。
 負けたのだ。完膚無きままに。その事実を認めようと認めまいと、真実は変えられない。
 関東愚連会・苦麗無威爆走連合七代目総長――田中優美清秋香菜は、LeMUで黒星をつけたのだ。それも一〇年前のポンコツに。
「……っく!」
 スーツを脱ぎ捨て、壁を思い切り叩く。
 だん、と言う乾いた音が廊下で共鳴した。
 俯いていた双眸を上げ、しっかりと前を見据える。
 そこには闇がある。ハチロクはもう、視界の中になかった。
「次は……次はっ!」口唇をかみしめて、彼女は言う。
 遠くからスキール音が響いてきた。




あとがき

やっつけでごめんなさい、みたいな(ぉ
まあ、あれです。続くかもしれないです。
車は詳しくないんですよね………。




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