〜桃園はるかなり〜
                              学


住家は、狭かった。
四人では、住むにはとても耐え難いものであったが、二人では
十分過ぎる程だった。
倉成武は、こういう生活の方が、二人で暮らすにはもってこいだ
と思ったし、何より楽しさも覚えていた。
無駄に広いよりも、こう狭い方が、やりたいことがすぐに
出来るし、もう一人の住民とも顔が合わせやすい。
無駄に退廃はしていないアパ−トだったので、彼の選択は、相手の事も
考えると、最良に近いものだった。

「疲れた」

やるべき事は、やった。
接待は、精神的に疲れる仕事である。
しかし、貰える金は確かなので、文句は言えない。
大体、接待で言うなら、相手の方が気が滅入るんじゃないのかと、武は
余計な心配をする。

あいつなら、接待王だから首になる可能性は、機械が熱暴走するよりも低い。

そう考えると、首になるのではという心配は、すぐさま頭の中から消えた。
相手は、接待をする為に生まれたようなものだ。
だから、接待に関しては、そこらの大学生よりも、遥かに上回る
知識や、判断力を持ちあわせ、何よりも容姿が美しいので、雇って
いる方が、首にしたくないという徹底ぶりだ。
この不景気、優良な部下を外す事は、極めて愚策である事が、分かって
いるのだろう。

俺の心配を、しなきゃな。

接待能力も並な、倉成武は、多少落ち込んだ様子になった。


夜の八時になった。
空は、黒色に染まっている。
秋の季節だ、秋が起こす寒さが、人に多大な影響をおよぼす。
武もその一人で、経済的には、相手のお陰で問題は無いが、暖房が
しっかりと機能し、部屋全体に暖かさを流すのには、多少の時間がかかる。
だが、暖房が役立つ事を待っている意外にも、彼にはやらねばならぬ事があった。

「そろそろか」

呟く。
そして、彼は押し入れの奥深くにへと、侵入する。
何度も何度も、この手に引っ掛かる、あいつの顔が見たい、慌てるあいつ
の様子を、邪悪な気分で眺めたい。
屈折した男の願望が、そうさせた。

扉の開閉音が聞こえた。
もう一人の、この部屋の住民である。
その人物が、余りにも可愛いので、こういう悪戯をやらせてしまうのだ。
罪は全て相手にあると、武は思っていた。

「ただいま帰りました。倉成さん、早速晩御飯の準備を……」

気付いたな。
押し入れの中で、彼はそう呟いた。
次に彼女が起こす行動は決まっている。
愛しくて愛しくて仕方の無い、一度は殺しかけた、武を捜している
のは、茜ヶ崎空。
彼女が、二人目の住民であった。
「く、倉成さん、私ですよ?茜ヶ崎空ですよ?泥棒ではありませんよ?」
そんなに可愛い声した泥棒がいるか、と呟いた。
大体、愛しい人の声を忘れるのは、男としてやってはいけない事の
十本の指の中に入る、と武は決めつけている。
一番は、親を殺めてはいけない事に固定されている、彼は親に恵まれていた。
流石に、十七年間も行方をくらました後、再会してみたら、一発貰った。
長い間、親に心配をかけたのだ、当然の報いだろうという事で、すぐに受け入れられた。
その後は、家族生活とも別れを告げ、茜ヶ崎空と暮らしている。
小町つぐみは、砂が吐きそうだという事で、別居している。
罪悪感は抱いたが、武は有り難い事だと思った。
一発貰ったが、あれは彼女なりのお代の請求だったのだろう。

だから、平穏に、暮らしていけるのだ。

「倉成さん、私はあなたがいないと駄目なんです、前みたいに目を
あんな事にすることも出来ませんし、瞬間移動も出来ません。私はすがるものが
ないと生きていけないかよわい女なんです。倉成さん、どうか、どうか」

空、お得意の弁舌攻撃である。
独語がつけられた階層名も、詰まる所無く言うあたりは、流石は巨大なテ−マパ−クを案内する人工知能だった事だけはある。
しかし、今の彼女は人工知能扱いされる事を非常に嫌う為に、武もこの弁舌は、空の持つ一種の得意技として認識している。
彼の頬に、熱が生まれた。

「倉成さん、はやく出てきてくれないと、舌をかみきりますよ」

空は、生真面目な女性である。
自分の言う事は、必ずやり遂げる性格の持ち主であったため、武は
一度、この手に引っ掛かり、空に笑われた記憶がある。
彼は、忘れていたのだ、茜ヶ崎空という女性は、既に完璧な人工知能では
なく、嘘を覚えた人間だということに。

「く、倉成さん、倉成さん、ここですか?」
袋がこすれる音がした。
ごみ箱を調べたのだろう。
こういう事をしてしまうのも、彼女らしいと、武は押し入れの中で、微笑んでいた。

「倉成さん、何処ですか?はやく出てきてくれないと実家に帰りますよ!?」

何処でそういう文句を覚えやがった、俺か、と自問した。
彼女の実家は、復旧された巨大テ−マパ−ク、LeMUであるはずなのだ。
武は、空の発言に、顔を赤くしながら、笑っていた。

「倉成さん!あなたが帰っている事は分かっているんです!靴が
ありました、これはあなたがここにいる証拠です!決定的な証拠です!」

げ−ばれた。

武は、靴を隠しておくという歪んだ知識を覚えた。
観念したのだろう、武は空の背後に、素早く迫り、その頭を優しく叩いた。

「隙ありだぜ、茜ヶ崎空。」
「やっと出てきてくれましたか、倉成さん。」

空は、頬を赤くしながら、拗ねていた。
武は、男だ。
こういう女性の顔には弱い。
美人に求められるのは男の理想と、理解している良識の男だった。

「卑怯だぞ、そんな顔しやがってよ」

「倉成さんが出てきてくれないからです。本当にいなくなったのかと
思いましたよ。私を捨てて何処か遠くに行ってしまったのかと焦ってしまいました。」

「そこまで思うか。」

これが茜ヶ崎空という人間である。
自分を追い詰めてしまう考えに、すぐにたどり着かせてしまう節が
あるが、一度活路を見いだせば、冷静にそれを実行する知性的な面を持つ。
靴を見つけた事は、彼女にとって、この上ない喜びだったに違いない。

「もう…駄目ですよ、女性を困らせる事をしては。」

「こんな楽しみを逃す男が何処にいると思う。」

「あなたです。」

ずびしっ!という効果音が似合う、人差指だった。
武の鼻に触れようとしている、空の細く、白い指。
武は、空の行為を現実と認識出来るのに、多少の時間を費やした。

「お、おれっ?」

「そうです、あなたは私の最愛の人。つまりは私とあなたの血を継いだ
子供を誕生させるに相応しいくらいの親密な関係なのです。」

倉成先生から学んだいらん知識を披露する、茜ヶ崎君。
自分と君は、血を受け継がせるに相応しい程の、親密な仲なのだぁ!と、言ったのが原因だった。
よって、空は自分の発言の重大さには気付いていない。

「分かりますか?要するに、あなたは私を困らせてはいけないくらい、親密で
深い関係なのですよ」

「それは違うぞ、茜ヶ崎君」

びしっ!と音が立った錯覚を、茜ヶ崎君は覚えた。
武の人差指が、強く、直立している事に、空はすぐ把握した。

「私と君とは親しい仲。つまりはふざけ合うのが自然なのだ。まさか君は、何も
関係が無い赤の他人に、俺がこんな馬鹿たれな真似をしでかすと思っているのかね」

「そっ、それは」

それはそうだ、赤の他人にまで迷惑行為を行う人が、本当の馬鹿だ。
空はそう思っていなくとも、赤の他人に対して複数の自分の出現をするのは
やっていけない事だと分かっている。
武がそんな事をするとは、信じたくも無いし、関係も無いので、本当に
親密である茜ヶ崎君に悪戯を仕掛けるのは、道理だという認めるしか道は無かった。
また、茜ヶ崎君は、賢い倉成先生に、新しい知識を学ばせてもらった。
きっと、血を受け継いだ子供が誕生したら、この事を必ず教えるのだろう。


「御飯が出来ました。」

「おっしゃ、腹が減っては戦は出来ぬ。空の飯食わねば腹が満足せぬ。」

色々とだべりながら、武の箸は動く。
奇怪な食い物以外は、大抵食らいつくので、一週間は簡単な
食材でも、我慢の出来る口だったが、空が「栄養に悪いので私が素敵な
料理を作ってみせます、倉成さんが倒れたら大変です」とか言うもの
だから、無条件で空が晩飯朝飯係となっている。

「全く、空の作る飯は旨いもんだ。何より女性が、好きな人に食べて貰う為に
飯を作ってくれるって時点で、男としての理想が叶っちまってる。」

空の恥じらう顔を楽しみながら、武は味噌汁を飲む。
テレビは、報道番組を映し出している。
巨大テ−マパ−ク、LeMU関連の、視聴者が笑っていられる報道が、流されて
おり、二人は他人事ではない目をしながら、テレビに目を移している。

「しかし、空よ。」

「何でしょうか。」

空の視線が、テレビにへと顔を向かせている、武の顔にへと移った。

「空が身体を手にいれてから、あそこも華がなくなったと思うんだが、どうかね。」

空の頭の中に、高熱の湯が湧いた。
頭だけではない、足から身体までに、高熱の湯が流れた現実を、空は知った。

「な、何を言ってるんですか!ライブリヒの技術は常に向上していってるんです。
私よりも優秀な案内人がきっと」

「空のような、人間臭い案内人じゃないと嫌ぁよ、俺。」

へ?の一言に尽きる表情を、空は遠慮無しに顕にしていた。
武は、その表情がおかしくて、込み上がってくる笑いを、吹き出す直前まで
堪えている。

「いくら優秀でも、空のような感情豊かな案内人じゃないと嫌ってことさ。
お前の制作者達は死んじまったしな、もしかすっと感情なんてない、無機質な
優秀案内人にへと退化しちゃってるかもしれないだろ?別の技術者が担当してるんだから」

言われてみれば、と空は思った。
こうして感情表現が出来るのも、制作者の主義的なもののお陰で、こう出来る
わけであって、その制作者が死んでしまった今、次の担当者が出てくるのは
当然だとしても、もしかしたら、絵に書いたような無感情案内人が生まれないとも
言えないのだ。
ひょっとしたら、案内人である空の責任で、脱出に遅れた人々を生み出して
しまったのかもしれないと、上層部が判断するのかもしれないのだから。

感情を削り、機能の向上に専念した方が、事故が起こったとしても、全員脱出の
可能性が増えることも、否定は出来ないのだから。

「空に、感情があるって事を邪魔だと思う奴だっている。だから次の担当者は
我先にと空の感情削って機能向上を計る。空の姿をしてても、あの偽…いや、本来
の空が案内人にへとなっているのかもしれない。心なんて無い方が迷いは
無いといった意見を出されたら、採用される可能性はでかいだろうね。」

味噌汁を、全て飲み干す。
次に、コロッケにへと箸を向かわせ、それを掴み、やはり食う。
肝心の空は、ぽかんとした表情で、武の顔をじっと、眺めている。

「でも、まぁ。」

コロッケを、口内で味わいながら、武が短時間の沈黙を破った。

「それはそれでいいと思う。心があって、俺らとあの日を過ごした記憶が
持つ空が、目の前にいる空以外にいたら、冷めるし。それこそ、空っていう存在が
危ぶまれるし、こう考えると心の無い空の方がいいや、あそこにいるのは。
心のある空は、普通の観光系会社の案内人として、俺とお前の暮らしを支える為に
働いてくれている方がいいや」

今のは臭すぎると判断したのだろう。
ごまかすように、箸をちゃんちゃんと鳴らしている。
空はというと、表裏の無い、最強の笑顔を浮かばせながら、武への愛を
隠しきれずに、頬に赤いものが浮かんでいた。




「茜ヶ崎君」

「はい」

部屋は、暗かった。
電気も何も無い、光といえるのは、黄色い光を照らしている、蝋燭一本のみだった。
始まったのだ、倉成先生の授業が。

「え−、とは…茜ヶ崎君と、倉成先生、つまりは私が既に行った行為である」

「はい」

「つまりは…口!」

「はっ!」

授業である。
決して、よくない事を教えてもらっているのではない。
倉成先生が、先ほどの茜ヶ崎君の笑顔で気分が心地好いものに
なったので、唐突として、今回の授業が始まったのだ。
ちなみに、今回は『忍者版』であるらしいので より現実的に仕上げる
為に、電気を消し、蝋燭一本のみが、光を照らすものにへと
ならなければいけなかった。

「び−、とは……愛しいものを、多少荒い手段で調べ上げる事なり!空港で危険物を調べるあれのちょい強化したようなものと思うべし」

「はっ!」

茜ヶ崎君は、倉成先生の一言一言を、聞き逃す事無く、頭の中で、倉成先生に
より与えられた情報を元に、え−、び−がどのようなものか、頭の中で思い浮かべる。
そのたびに、茜ヶ崎君の顔一面が、真っ赤になった。

「そして、し−!これは…」

「ははっ」

「こ、これは…禁じ手になる程の、上級なるもの…茜ヶ崎君のような純真な
女性に享受させるわけには…」

空の両目が、見開いた。
奇麗なくらい、恐いくらい、純粋で、輝いた目だった。
倉成先生は、そんな茜ヶ崎君を見て、なおさら、秘伝の『し−』を教えるわけには
いかなくなった。

「先生、私を信じてください。私は、先生が何を教えてくれようと、全てを
受け入れ、あなたについていきます。」

「……」

しかし、だ。
茜ヶ崎君にそのような事を教えて、茜ヶ崎君が実行しないとは限らない。
武は堂々と教えているが、実際は許容範囲内での事であって、え−だの
び−だのは、愛しい人には当然だと思ったからだ。
だが、し−は流石に、早すぎないか。
茜ヶ崎君は、倉成先生から教えられた事は、近い内に実行する。
それは、あの場所で既明らかにされているし、武というかけがえの
無い人から教えられた事を無駄にしたくない、という焦りから、近い内に実行するのだ。
静けさを失っていく空を見るのは、武にとっては精神に辛いものがあった。

「…茜ヶ崎君」

「はっ」

「忘却せよ」

腕を組み、明後日の方に目を向かせながら、言った。
それと同時に、茜ヶ崎君の表情が、一層と真剣なものに変わる。
いつもの穏やかさは一変たりともない、殺気すら感じられるくらいの、表情。

「との、それはなりません。私は人間です、確かに記憶を残す事は
名残で一応は得意です、しかし、忘れろというのはひどいのでは
ありませんか。私は機械ではありません、感情も、愛も知った、一人の人間です。
傲慢な意見かもしれませんが、私はこの意見を曲げることはありません。」

空の熱弁は、静かながらも激しさを持ち、流れ続ける。
感心するように、倉成先生は腕を組みながら、空の意見を聞き入っている。

「機械のように、記憶を消すことは出来ません。何よりも、私は倉成先生の
言葉は忘れたくないのです。倉成先生は明日、いなくなってしまうかもしれません。
なのに、倉成先生と過ごした一部の思い出を忘れろというのですか。
倉成先生にとって、先ほどの発言は失言だったのかもしれません。
ですが、私にとっては倉成先生の発言が全てであり、皆が間違いだと
非難しても、私はあなたを守ります。それが、人を愛する者として当然のことだと
思っていますから。ただ、殺人や窃盗といった、一方的なことに対しては
守れません。倉成先生がそんな事をするはずは無いと思いますが」

衝撃が、走った。
盲信的にも狂信的にも近い、空がどれだけ倉成武を愛しているのか、人を
愛する事はどういうことなのか、武は思い知らされた。
空の、今の意見に間違いはあったのかもしれない、だが、空は間違いなく武を
愛しているのだ。
そして、人を愛するというのはどういう事なのかを、空がどう思っているのかを
分かっただけで、今回の授業は収穫があった。
むしろ、多すぎた程だった。

「…茜、いや、空」

「何でしょうか?」

火が、揺らいでいた。
それは、部屋に風が舞ったのか、この部屋に漂う雰囲気が、そうさせたのか。
武の目は、闇と空しか映っていない。
空もまた、闇と武しか映っていない。
忍者風の授業を行っていただけであって、空は姿勢をかかげながら、武の顔を
見上げ、武はそれを見下ろした光景になっている。
これでは、部下と王だ、そう思った武は、空の手をとり、立ち上がらせた。
後はもう、感じるだけだ。
透けることも通り過ぎる心配も無い。
武と空の口元が、甘美な味を感じ、お互いの体温を上げていた。


「倉成さん、今日はお疲れ様でした」

「空もな、接待は疲れるべ」

二人で、一つの布団にくるまる。
流石にベッドを二つ置ける程の空間は無いので、眠る時は床に敷く
布団一つ…本来は二つぐらいは敷けるのだが、二人の思考はそれを許さなかった。

「私は、倉成さんとの生活を安定させたいと思うだけで、仕事に精を
出す事が出来ます」

「そっか、俺とは違ってへっちゃらへ−か」

「はい、へっちゃらへ−です」

お互いの顔は近かったが、口を合わせる事はしなかった。
先ほどでお腹いっぱいになったからだ。

「空、俺は絶対に空を泣かせる真似はしないかんな、あの事故以来、空を泣かせることはもうこりごりなんで」

空は笑った。
武は、不意打ちを食らったような気分だった。
野心や野望や媚びが全く無い空の笑顔は、武にとって、良い推進剤で
あり、臭い言い方をすれば、宝だった。
宝球をどんと、目の前に置かれるよりも、空の、純粋な笑顔を武は選ぶ。
武は愛しい者の為なら、命すら投げ出す性格をしているからだ。

「前の私ならば、絶対という言葉は、生き物がいつか、必ず死ぬ事だけと
言っていたでしょう。ですが、今は言えます、私とあなたの愛は絶対に
壊れることも、消えることもないと」

恥じる色は全く無い、笑顔が強く、浮かんでいるだけだ。

「そ、そこまで言えるのか、お前は」

「はい、これもあの事故のお陰なんでしょうね、ちょっとおかしいですけど。
私は田中さんやココちゃん、少年さんや子町さん…そして、倉成さんと
親しく、人間らしく過ごしてきたお陰で、私は多少、ひねくれた考え方が
出来るようになっちゃったんですよ」

舌を、少し出し、すぐに引っ込めた。
空よ、もう少し舌を長く出さないと、その行為は成立したとは思えにくいのだぞ。

とは、武の訴えであった。
だが、空がこんな考え方が出来るようになったのも、全てはあの浸水事故の
お陰なのは、明白だった。
同じ人間と、長いようで短い日々を過ごして、柔らかい考え方が
出来るようになっても、おかしくはない。
そんな事は無いと強く言い張る頭の堅い大人が黙らないだろうが、空だから
ありえた、という破綻した理由だけでも、武は良かった。
今更、空がこんな風になってしまった事を考えてもしょうがなかった。
武にとっては望ましい事だったし、空もまた、無意識に満たされたと思っている。
二人の桃園郷が築かれたのだ。

「それも、いいか」

武の結論が出ると同時に、武と空の手が、握りあった。
温かかった、と空は感じた。
この温もりが、今日に限らず、明日も明後日も一年後も感じられることを、空に
向け、祈った。

「倉成さん、私は幸せ者です」

水、つぐみがいない、死が無い、空にとって都合が良く、空にとって、理想というものが
具現化されたような、世界。
浸水からどうやって抜け出せたのか、どうやって温もりを感じられる身体を
手にいれたのか。
そのあたりの記憶は抜け落ちていたが、今更という理由で、空は考える事を止めた。
甘美で、幸せな、現実ならば過ぎ去って欲しくないし、夢なら冷めないで欲しい。
空は、武の手を優しく握ったまま、意識を闇の中に、還した。





青ではなく、人が拒絶べき対象、闇が浸食されたといった方が、正しい光景だった。
小さな生命が、そこにあるとは考えにくかったが、それはいる。
彼等は闇を嫌う事よりも、生き残る事に夢中だったからだ。
前は、何も無い、岩と砂と闇と小さな命がいるだけの、滅びたような世界
だったが、今は違った。
巨大な鉄の塊が、転がっている。
一つだけでなく、二つ、三つとある。
元は何か、重要な機能を果たしていたのだろうが、今となっては、この世界に
放置されている巨大な埖でしかなかった。
埖の近くには、小さな命よりも、大きな命を持っていたはずの生物が転がっていた。
砂の上にいるだけで、微動もない。
小さな命達は、生き残るのに必死で、明日の飯すら確保出来るかすら
保証されない環境であるはずだったが、しばらくは、食料には困らないだろう。
彼等は、肉があり、なおかつ、それが動かないものだったら、餌になる
という以外の感情は持ちあわせていない。
それがどんな生き物だったのか、そんな事に興味は無かった。

一つ、小さな命が興味を示したものがあったが、堅く、食えなさそうだったので、興味が
注がれていた時間なぞ、既に消え失せていた。
堅く、小さなそれは、何か文字らしきものが書かれてあった。
だが、周辺にそれを読める者は存在していなかった。
この世界から抜け出したい、この世界からはい上がりたい、そんな願望を
抱いたように、砂の上に放置されたテラバイトディスクは、この世界にとって、場違いな
存在だった。






2002



/ TOP / What's Ever17 / Capture / Le MU / Gallery / Library / Material /Link / BBS






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送