星見月 
                              TARO


 祭囃子が遠い。
 行き交う人々の喧騒にかき消されてしまうからじゃない。さっきから俺の屋台の前を通り過ぎる人の群れは、少し前から流れが一方向になっている。北から南へ、山の上からふもとへ。つまり、祭の会場から近くの駅へ。
 まさか終わりに合わせて音量を絞っているはずが無い。音が遠いのではなく、それぞれの家路につこうとする雰囲気が、祭を終わりつつあるものとして感じさせるからだろう。ドップラー効果が心理にも適用されるとは思えないが、祭という非日常から日常に帰る時に耳にする祭囃子は、楽しい記憶と共に、別離が生み出す一抹の寂しさを含んでいる。そう感じるのは客だけではない。祭を演出する側である俺もそうだった。ただ、自覚したのは久しぶりだった。
 俺は頭を振って考えを中断した。柄じゃないが、さすがに感傷的になっている。しかし、まだそれを顔に出すわけにはいかなかった。
 時間を確認して、そろそろ撤収の準備に入ることにした。今日の売上は、この規模の祭にしてはやや悪い。しかし気にしなかった。各地を転々として生活している身上としては生活費を稼ぐのも大切だが、今回の目的は他にあった。
 実際の所、俺は出店する気は無かった。それが何故ここでこうしてタツタサンドを売っているのかと言えば、つぐみが独断で出店の申請を出していたことを白状したからである。しかも、直前になって。
 土壇場でのキャンセルはこの業界ではご法度である。いくら場所が会場から一番遠いハズレ地区であってもだ。悪い評判が立てば、ここ以外の祭でも出店を拒否される恐れがある。詳しく調べられると後ろ暗い、根無し草生活の俺たちにとっては、そんな事態は避けたかった。
 …というのは建前に過ぎない。つぐみは謝っていたが、俺は責めなかったし、むしろその判断は正しかったと思っている。少なくとも俺は、体を動かすことで気を紛らわせることが出来た。
 保温器の中を確認した。タツタサンドの作り置きは数個。祭が終わった今、これ以上売れることはないだろう。俺はフライヤーの火を落とした。
 いつもなら手伝ってくれるつぐみの姿は無い。俺と違って気を紛らわせるどころの様子ではなかったため、屋台の裏手で休ませている。俺は待たせないようにいつもの数割増の速度で片付けを始めた。

 いつだったか優が言い出した。
 曰く、キュレイウイルスは症例が極端に少ないうえに、その症状も個体差が大きく、いまだに謎の部分が多い。それは世間一般の認識においてだけではなく、ライプリヒのように非合法の研究を行っている機関でもほとんど分かっていない状況らしい。
 ライプリヒは解散したものの、キュレイウイルスの持つ『テロメアの回復』『新陳代謝の促進』といった特徴が忘れ去られたわけではない。その魅力を考えれば、欲望に目が眩んだ第二、第三のライプリヒが現れる可能性は高い。そうなる前に手を打つべきである。
 深く考えると不穏な話だったが、提案の内容はいたってまともだった。てっきり優のことだから『人類とキュレイ種の全面戦争』とか『人類総キュレイ化計画』とか過激なことを言い出すのではないかと思っていたので、拍子抜けするほどに。
 俺たちが始めたのは、自分たちの直系の血縁者を観察、保護することだった。キュレイウイルスが劣性でも、世代を重ねればキュレイ種としての特徴を持つ子が生まれてくる可能性が出てくる。そうなった場合に備えて、ある時は本人に接触し、またある時は医療機関に潜入して事実を把握し、隠蔽工作を行うというのが優の提案だった。
 賛同した俺とつぐみは『流浪のタツタサンド屋さん』として全国を巡り、裏でその任務を行っていた。

 それほど高くない山の中腹。そこに俺は来ていた。
 その辺にいるだろうと思っていたつぐみは、しかしどこにもいなかった。軟派目的の男程度なら百人まとめて軽くひねる力量の持ち主なので、いつもなら心配する方が馬鹿馬鹿しいが、昨日からの様子を考えれば放っておくことは出来ない。必死になって捜している内に道に迷っていた。だから、そこに立ち寄ったのは偶然というより幸運だった。
 すぐ近くに祭の中心であった神社があるはずだが、終わってしばらく経っていることを差し引いても、嘘のように人気が無い。登山道の休憩所らしい猫の額ほどの広場で、隅にベンチが備え付けられている。そこに腰掛けるただ一つの人影は、黒を基調にした服装のせいで闇に溶け込んでいる。月明かりが無ければ気付かなかったかもしれない。
 俺は安心し、走り回ったせいで乱れていた呼吸を整えてから近づいて行った。
「待たせたな」
 努めて明るく声を掛けた。
「…」
 返事が無い。しかし耳を澄ますと何かが聞こえる。…嗚咽だった。
「良い場所見つけたな。まさに穴場だ」
 俺はその隣に座った。虫の声。風にそよぐ草の音。俺たち以外に音を立てるのはその二つだけだった。誰かがくる気配も無い。だからつぐみはここに居たのだろう。せめて一言伝えてからにして欲しかったが。
「ここなら誰にも聞こえないから、思いきり泣いてもいいぞ」
「…」
 しかし、つぐみは俺の方を見ようともせず、俯いたまま消え入りそうな声で呟く。
「…ごめんなさい…」
「どうして謝るんだ?」
 長い髪に隠されたつぐみの表情は、俺には見えない。
「…昨日の事…。…いつかこの日が来るのは分かっていたのに…本当にごめんなさい、武にまでこんな思いをさせて…」
 涙を無理に堪えた声でそれだけ言うと、再び周囲は静寂に覆われた。
 昨日。それは永久に忘れられない日となった。そして、つぐみの言う通り、来るのが分かっていた日でもあった。
 昨晩、俺とつぐみは身分を偽って通夜に出席した。
 死因は老衰。眠るような最期だったという。珍しいのは、故人が二卵生の双生児であり、偶然にも時を同じくして天寿を全うしていたことだった。そのため式は合同で行われた。
 仲の良い兄妹で、誕生だけでなく天国へ旅立つ時まで同じだったため、一足先に待っているそれぞれの配偶者が妬いているだろう、と誰かが言っていたのが妙に頭に残っている。誰も不謹慎だと咎めなかったし、俺もその通りだと思った。ただ、隣で俯くつぐみには聞こえてさえいなかったかもしれない。
 今朝の告別式にはつぐみは出席しなかった。
 だから俺は、一人で、ホクトと沙羅を見送った。
「…本当に…ごめんなさい…」
 つぐみの肩が震えていた。震えは肩から腕へ、腕から固く握り締めた手へと伝わる。その手の、影になって見えない、あるいは影だと思っていた部分から地面に何かが滴り落ちた。
 俺は何も考えていなかった。ただその震えを止めるために肩に手を回し、そのまま抱き寄せようとする。
 しかし、俺の手は振り払われた。
「つぐみ?」
「…ごめんなさい…」
 難題だった。どうすればいいか分からず、途方に暮れていただろう。以前の俺なら。
「馬鹿」
 俺は即答した。
 つぐみの言う通り、こういう日が来ることはずっと前から分かっていた。さらに、つぐみならそう言うだろうと思っていた。だから俺は迷わなかった。
「謝る理由なんてどこにも無いだろう。ホクトと沙羅は家族や友人に看取られて逝ったんだ。たまたま俺たちは特別で、見送る立場になった。それだけだ」
「それだけ!?二人が死んだのよ!それなのに、私は見ているだけしか出来なかった!」
「寿命なんだ、仕方ない」
「仕方ない!?武は何も感じないの!?」
「もちろん悲しいさ。だからこそ、つぐみのことが放っておけない。誤解しているみたいだから先に言っとくけど、ホクトと沙羅のことはもちろん悲しい。けど、そのことでつぐみを恨むなんてとんでもない」
「嘘!」
「失礼な奴だな。それどころか自分の子供たちの充実した生涯を見届けられて、感謝さえしたいぐらいなんだぞ。まぁいい。とにかく、俺のことで自分を責めるのはやめてくれ」
「だって…」
 まだ何か言おうとするつぐみを、今度は振り払う隙を与えずに抱き寄せ、腕の中に包み込む。
「良いことを教えてやろう。悲しくて仕方がない時はどうすればいいか、知ってるか?」
「…」
 つぐみが微かに首を振った。
「一緒に悲しんでくれる相手を探すんだよ。それから思いきり泣く。そうすれば、とりあえず少しはマシになる」
「…武は」
「ん?」
「武は、泣かないの?」
「泣くに決まってるだろう。だから困ってた」
 そう言って、俺は抱きしめる腕に力を込めた。
「頼むから自分を責めないでくれ。変な引け目を持たれると泣くに泣けない。俺だって苦しいんだ。今日ぐらい…素直に泣かせろよ」
 堪えていたつもりだったが、最後は涙声になった。腕の中のつぐみが顔を上げようとしたので、慌ててその顔を胸に押し付ける。身勝手だとは思っても、男としては好きな女にだけは涙を見られたくない。
 つぐみはそんな俺の考えを汲んでくれた。激しい嗚咽と共に溢れ出す涙が、竜田揚げの匂いの染み付いた上着を濡らす。俺は子供をあやすようにその頭を撫で続けた。
 そして、俺たちはやっと泣くことが出来た。

「…武」
「なんだ?」
 どれくらいそうしていたのか分からない。つぐみはやっと落ちついたようだったが、手を離すと再び泣き始めるような気がして、俺はそのまま細い身体を抱き締めていた。
「…ありがとう」
「どういたしまして」
 余裕を持って答えたつもりだったが、わずかに声に震えが混じった。つぐみは少し笑ったようだった。案外、俺と同じように、離れた瞬間に俺がまた泣き出すと思っているのかもしれない。
「だから、許してあげる」
「許す?」
「優のこと」
 …心臓が一際大きく鳴った。密着しているつぐみにも聞こえたに違いない。
「な、なんのことだ?」
 無駄だと分かりつつも一応しらばっくれてみる。
「隠さなくてもいいのよ。本人に聞いたから」
「…念のために言っておくが、胸を貸しただけだからな。やましいことは断じて何も無かった」
「分かってる。それに今なら優の気持ちがよく分かるわ」
 優の娘、優美清秋香菜は数年前にこの世を去っている。やはり身分を偽ってだが、俺たちは彼女の葬儀に出席した。その晩だった。俺が初めて優の泣く姿を見たのは。
 すぐに来いという乱暴な誘いを受けて呼び出された俺を出迎えたのは、自棄酒に溺れる優…ではなかった。そこに居たのは、最愛の娘を失って悲しみにくれる一人の母親だった。
「立場は一部逆だったけどな」
「逆?」
「謝ったら怒られた。確かに優がキュレイに感染するきっかけを提案したのは俺だけど、そんなことは問題じゃないってさ」
「で、その後は優しく抱き締めて、一晩中慰めてあげてたんだ」
「…否定はしないが、言い訳ぐらい聞いてくれ」
「黙って」
 過去の記憶が蘇る。反射的に恒例のボディーブローを警戒したが、この体勢では防御することが出来ない。背筋を冷たい汗が流れた。それでも抱き締める手を離すわけにもいかず、俺はそのまま下腹部に衝撃が来るのを待った。
 …何も起こらない。相変わらず俺たちは抱き合っていた。
「えーと、つぐみ?」
「どうかしたの?」
 それは俺の台詞だったが、とりあえずつぐみの言葉に害意は無かった。
「…まだ夜は明けていないでしょう?」
「え?…ああ、そうだな」
「だから、それまで…」
 訂正。害意なんてあるはずがない。つぐみはまた泣いていた。その涙の理由が安堵か悲しみかさえ分からない。そんな俺でも、ここでPDAを取り出して時間を確認するほど野暮ではなかった。
「一晩でも一週間でも、こうしていてやるよ」
「ありがとう。でも、今は朝が来るまででいい。朝になったら顔を洗って、…あの子たちに言えなかった別れを言いに行くから」
「そうか」
 悲しみに染まってはいたが、何らかの決意の感じられる言葉を聞いて、俺はこれまで言うべきかどうか迷っていたことを口にする決心がついた。
「なぁ。辛いならやめるか? この任務を続ければ、俺たちは子供たちの成長だけでなく、死も見届けることになる」
 俺たちにはすでに曾孫までいる。もちろん名乗り出ることは出来ない。しかし、血縁者全員の顔と名前はしっかりと把握している。それだけでなく、遠くから見守っている内にいつの間にか情が移っていた。自分の血を引いているというだけなのに、人間は現金なものだ。それはつぐみも同じだろうと思う。
 いつかは彼らも年をとり、あるいは病や怪我によってこの世を去る。その悲しみはこれから先何度も繰り返される。だから俺は念を押した。
「もちろん続けるわ。私たちの子たちを、私みたいな辛い目になんて遭わせない。でないと、ホクトと沙羅が安心して眠れない」
 そういう問題じゃないと言いかけた俺を、つぐみが制した。涙が渇ききっていない顔に照れくさそうな笑みを浮かべて。
「それに、武が一緒に泣いてくれるんでしょう? だから私は大丈夫」
 聞いたこちらが恥ずかしくなるような模範回答が返ってきた。つられて赤面しそうになる顔を見られないように、俺はもう一度つぐみを強く抱き締めた。
「仕方ないな。けど…」
「けど?」
「…いや、なんでもない」
 ホクトの子供は俺たちの孫だが、優の孫でもある。二人同時に泣かれた場合、俺はどうすればいいのだろうか。
 俺のくだらない悩みに答えてくれる者はいない。思わず天を仰ごうとして、途中でやめた。東の空に目を向ければ、天よりも御利益のありそうな美しい朝日が顔を出したところだった。




 今回のお題は『辛気臭い話』。
 さらに一人称の文体に初挑戦してみました。
 結果は御覧の通りです。
 こんなの武じゃねェと思った方、時間の経過ということで勘弁して下さい。

 三月下旬 TARO




/ TOP  / BBS









広告 [PR]スキンケア  転職 化粧品 無料 ライブチャット