〜大願成就〜
                              TARO


「すみません、わざわざ手伝って頂いて」
「いいって。こんな大荷物、空一人で片付けるのが無理なんだよ。まったく、優の奴は何を考えているんだか」
 交通の便に不自由が無い程度の郊外のマンションの一室、2LDKの部屋を占拠している物の多さを見て、武はため息をついた。いつものドレス姿ではなく飾り気の無いシャツにパンツという装いの空が、申し訳なさそうに頭を下げる。
 茜ヶ崎空には法律上の権利や責任能力は認められていない。そのため、この部屋の主は田中優美清春香菜ということになっている。当の本人は自宅で娘と暮らしているが、真実を隠すために郵便物の宛名にさえ気を配らなければならなかったため、身体を獲得した空の住居の問題も兼ねて、この部屋に移転届を提出している。以来BW発現計画の司令部として長年利用され、山のような蔵書や資料、そして時折泊まっていく優の私物が持ち込まれた。その結果、文字通り不眠不休で計画を進めてきたため身辺に気を配る余裕の無い空だけでは、片付ける速度が部屋の散らかるペースに追いつかず、目的を達した今もその環境は改善されていない。
「引越し業者が来るのは明日の朝だっけ?」
「はい。それまでに全ての準備を済ませておく必要があります」
 LeMU圧壊事件とライプリヒの不祥事のどさくさを突いた詐欺のような手際によって、『茜ヶ崎空』の所有権はLeMMIHシステムぐるみで田中優美清春香菜の移籍先の研究所に移っている。空自身はそこでオペレーターの任に就く予定である。このマンションを引き払った後は田中家の居候となるので、撤収の準備を行う必要があった。
「それを俺達二人で」
「…済みません。事情が事情なので、これだけは業者任せにはできないのです」
 部屋の中央に配置されたパソコンデスクの椅子には何処の言語で書かれているかさえ分からない本の山が築かれていたため、武は代わりに簡素な作りのパイプベッドに腰掛けた。
「他の連中は?特に優。ここを使ってたなら、自分の荷物ぐらい片付けるべきだろう」
「田中先生でしたら、昨日までに私物だけ先に持ち帰られたそうです」
「ってことは、ここに残ってる私物は全部空の?」
 ベッドについた武の手が布のようなものに触れた。何気なくそれを目の前に持ってくる。
「…」
「…」
 それが何なのか認識した瞬間、電光石火の如く伸びてきた空の手が、武からそれを奪い取った。
「ち、違うんです!こ、これは、その…」
「…えーっと」
 後ろ手に隠したまま真っ赤になる空から目を逸らそうとして、まだ他にも散らばっているものを発見してしまい、武は慌てて立ちあがった。
「そ、そうだ、喉が渇いたからジュースでも買いに行ってくる」
 わざとらしく宣言して玄関に向かう。
「多分15分ぐらいで戻る。悪いけど待っててくれ」
 返事を待たずに武は部屋を出た。直後に防音仕様のドアをものともせず響いてきた派手な物音を聞き、頭を掻いた。
「うーむ、15分じゃ短かったか」
 武はポケットから取り出したPDAで時間を確認し、自分の言葉通りにロビーにある自動販売機に向かった。


 20分後、武が戻ってくるのを待って作業は開始された。部屋を出る前には無かったはずの梱包済みダンボールに気付かない振りをして、割り当てられた各々の仕事に没頭すること数時間、部屋に散らばった大小無数の荷物の梱包を終えた頃には既に月が高く昇っていた。
「やっと終わった…」
「ご苦労様でした、倉成さん」
 内容別に分類して積み上げられたデータディスクの山を挟んで、空がねぎらいの言葉をかける。
「空のほうはどうだ?終わりそうに無いなら手伝うけど」
「ありがとうございます。でも、もう少しですから」
 武は最後の一つのダンボールを積み上げ、先ほどからコンピュータを操作している空を振り返った。返事をしてすぐにモニターの方に視線を戻し、真剣な表情で作業を再開する空をしばらく見て、首を傾げた。
「これで終わりです。どうしたんですか?」
 操作の手を止めた空に不思議そうな顔をされて、武は違和感の正体に気付いた。
「LeMUでの印象が強かったから。空がそうやって操作してるのは、初めて見る気がする」
「LeMMIHを介さないシステムを使うには、こうするしかないんです。でも、それを言うなら、私がこうして引越しの準備をするのも初めてですよ?」
 空はイジェクトしたディスクのラベルに「廃棄処分」と記入して、床から腰の高さほどまで積み上げられた様々なディスクの山の頂上に積み上げた。そして椅子ごと武の方に振り返ろうとして、その肘が何かに触れた。
「やれやれ。確かに、こんな風に失敗をする空も初めてだな」
 武は盛大に散らばったディスクを拾い集め、分類を諦めて手近なダンボールに適当に放り込んでいった。
「ごめんなさい。まだ慣れていないんです」
「慣れていない?」
 空の手が最後の一枚を拾い上げた。武はその指に嵌められている指輪が、LeMUに居た頃と同じものであることを思い出した。
「試験的に運用されている生体義肢なんです、この体は」
 武の視線に気付いた空が、困ったような微笑を浮かべた。
「田中先生と私が移籍する研究所では、欠損した肉体機能を補う生体義肢を開発していまして、そのテストケースが、私なんです。今はまだ試作段階ですが、他にも人間の器官の機能と感覚を再生あるいは再現することも、将来的に可能になるそうです」
 故意に事務的な口調に徹した空の説明が、生活の痕跡を失って閑散とした部屋に流れる。
「気味が悪くないですか?」
 武の返事は無かった。代わりに差し出された手の意味に気付き、空は手にしたままのディスクを渡した。
「なんだ、そんなことを気にしてたのか」
 武は受け取ったディスクを放り込んで丁度一杯になったダンボールにガムテープで封をした。最後に側面と上面に大きく「壊れ物」と書き、部屋の隅に築かれたダンボールの山の上に積み上げる。
「そりゃもちろん…あ、まだ残ってるじゃないか」
「それなら私が…」
 武を制してしゃがみこんだ空が、パソコンデスクの下に転がっていたディスクに手を伸ばした。その無防備な背中に武が声をかける。
「空。落ち着いて聞いてくれ」
「なんですか?」
「肩にゴキブリ」
 鈍い音とともに、不要なものを先に撤去して軽くなっているスチール製のパソコンデスクが揺れた。後頭部を押さえた空がその下から恨めしそうな顔を覗かせたところに、デスクの上にあった数本のペンが零れ落ち、追い討ちをかける。
「倉成さん…」
「…悪い、冗談だ。あまりに空が深刻そうにするから、ついからかいたくなった」
 床に座り込んだままの空に、武はおそるおそる手を差し伸べた。
「ものすごく痛かったんですよ!」
「うんうん、アフロディテの奇跡だ」
「そういう問題じゃありません!」
「機嫌直せって。ほら、顔にインクがついてるぞ」
「え?」
 キャップの外れた状態で落ちてきたペンのなぞった跡が、頬にかすかな黒い線を残していた。武の手を借りて立ち上がった空が、慌ててハンカチを取り出す。
「違う違う、反対側」
 逆の方を懸命に拭っている空にそう言って、武は手を伸ばし、親指の腹で汚れている部分を軽くこすった。
「良かった、水性みたいだ。…ん?どうした?」
 みるみる内に顔を紅潮させる空に気付いた。その頬に触れたままの武の手に、空の手の平が添えられた。
「空?」
「…先程の質問の答え、まだ聞いていません」
「言ってなかったっけ。ええと…」
 そこで初めて武は自分達の格好を自覚した。重なり合う手、潤んだ瞳、そして上気した頬といったこの状況で、口にしようとしていた内容がどのような影響を与えるかに思い至り、慎重に言葉を選ぶ。
「うまく言えないが、なんていうか、俺が思ってたのとまさにイメージ通りで、びっくりした」
「…」
「気味が悪いなんてとんでもない。こうしてLeMU以外の場所でも空と会えるようになったんだ。気味が悪いなんてもったいないことを言ったら、それこそアフロディテのバチが当たる…って、何言ってんだ、俺は」
「…」
「空?」
「倉成さんならそう言ってくれると思っていました」
 空は嬉しそうに微笑んだ。そのままの姿勢でしばらく見詰め合ってしまい、武は気恥ずかしさに耐えかねて大きく咳払いをした。
「あ、す、すみません」
 我に返った空が手を放した。そして無意識のうちに後ろに下がろうとして、床に転がったままのペンに足を取られた。武は反射的にバランスを崩した空の手を掴み、引き寄せていた。思っていたよりも軽い身体が、勢いをつけすぎて武の胸で抱きとめられる形になる。
「あ、ありがとうございます」
「ど、どういたしまして」
 空の体を受け止めた拍子に思わず背中に回した手を慌てて放す。しかし、空の手は武のシャツの胸の部分を掴んだままであった。
「倉成さん」
「な、何だ?」
 放したばかりの手のやり場を探しながら、上ずった声で武はかろうじて返事をした。これ以上ないぐらいの至近距離でうつむいている空の表情は、武には分からない。
「怒らないで下さいね。謝らなければいけないことがあるんです」
「謝る?」
「実は、田中先生と桑古木さんに無理を言って、二人きりにしてもらったんです。どうしても倉成さんにお願いしたいことがあったんですが…他の人がいると、恥ずかしかったものですから」
 空が表情を隠すようにさらに深くうつむいたため、より強くしがみつかれる格好になった武は、完全に硬直した。
「…えー、その、なんだ」
 そこはかとなく漂ってくる香水の香りや、服越しに感じる体温といったものを必死に意識の外に追いやろうとする武の努力を知ってか知らずか、空は少し顔を上げた。
「倉成さんにして欲しいことがあるんです」
 顔を赤らめた空が、胸の前で手を握り合わせ、上目遣いになる。
「な、何かな?」
「現在研究中の分野で、いつかは私にもできるようになるそうですが…」
「何を!?」
「こんなことをお願いするなんて、はしたないと思われるかもしれませんが…」
「…」
 ダンボール箱の中にしまった時計の秒針の音さえ聞こえるような沈黙の後、空は意を決した。
「……を、……てみたいんです」
「…は?」
 聞き間違いかと思い、武は聞き返していた。
「タツタサンドを、食べてみたいんです」
「…」
 武の心臓の鼓動の加速が止まった。
「…タツタサンドというと、マグロの竜田揚げとレタスをバンズで挟んだ、手軽で手ごろなアレのことか?」
「はい、LeMUでみなさんが召し上がっていた、あのタツタサンドです。あのときはそれほど意識していなかったのですが、何故か気になってしまって」
「…」
「駄目でしょうか?」
「…」
「倉成さん?…ひどいです、どうして笑うんですか?」
 こらえきれず笑い出した武に、空が拗ねたような表情を浮かべる。
「悪い悪い。色気より食い気、おおいに結構」
「色気?」
「いや、なんでもない。そんなことでよければお安いご用だ」
 ひとしきり笑い終えて呼吸が整うのを待った。
「それじゃ…」
「ああ。今から腕を磨いて、最高の出来のを作ってやるよ。楽しみにしていてくれ」
「本当ですか?ありがとうございます!」
「けど、そんなことでいいのか?」
「はい。実はもうひとつあったんですが、そちらはたった今叶いましたから」
「叶った?俺、何かしたっけ」
「分かりませんか?」
 首を傾げる武に意味ありげに微笑んで、空は目を閉じた。そして長い間切望していた、自分を包み込む温もりの余韻に浸っていた。





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倉成武の女性遍歴第2弾。
体質に合わない恥ずかしい話を書いたような気がします。
にも関わらず読んで頂いた方、ありがとうございます。
次に書くとすれば、反動で、徹底的に馬鹿な話になるでしょう。
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2002



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