「だったら、生きろ」
「生きている限り、生きろ」
「大丈夫……」
「俺は――」
「俺は、死なない」
 武は私にそう言って、海の底へと消えていった。
 武と出会わなければ、きっと今まで生きることが出来なかったと思う。
 だけど、あれから武はどうなったのだろう?
 武は私と違って普通の人間だから、あの状況では生き延びることが出来ないだろう。
 でも、どこかできっと生きていると信じたい。
「死なない」って、約束したのだから……。

〜The start of infinity〜
「つぐみ編」

                              月守蒼輝








 それは突然の電話だった。
 奇妙なことに、それはすぐそばの公衆電話に掛かってきた。
 PDA(携帯情報端末)が主流になっている現在、公衆電話が使われていることはめったにない。私は何となく予感めいたものを感じ、周囲に気を配りつつ受話器を取った。
「小町 つぐみだな?」
「誰!?」
 電話の声は若い男のものだった。突然名前を呼ばれたため、無意味だとはわかっていてもこう訊ねるしかなかったけど、おそらく状況からするとライプリヒの者だろう。
「私に何の用?」
「今度の5月1日に、LeMUに来い。そうすれば子供達に会わせてやる」
「……! それは一体どういう――」
 ガチャン!!
 そこで電話は切れてしまった。

 子供達がどうしたっていうの?
 その言葉がきっかけになって、私は今までのことを思い出していた――



 そう、私には2人の子供がいる。
 17年前のLeMUで起こったウイルス漏洩事故から生還し、再び逃亡生活を続けていたあるとき、自分が武の子供を身ごもっていることがわかった。
 しかも、男の子と女の子の双子だという。
 キュレイウイルスの影響が気がかりだったけど、確かな腕を持ち信用できる闇医者の話では、母子感染の心配はないらしい。
 それを聞いて安心した私は、改めて新しい命を見つめ直してみる。
 自分の中に宿すことで、どれだけ命がかけがえのないものであるか身に沁みてわかった。
 私は今まで、生きることを苦痛に思ってきた。
 死にたいとさえ思っていた。
 でも、それは間違いだったのかもしれない。


 子供達を無事出産してしばらくの間、私は貧しいながらも人並みの生活を送っていた。
 それはライプリヒから逃げ続けゴミの中で生きてきたような今までとは違い、今までの人生の中で一番充実した日々だった。
 ただ一つだけ、心残りなことを除けば……
 それは私を助けるために一人タクシーを降りたバカな男のこと。
「俺は、死なない」と言われては、私はただ信じることしか出来ない。その言葉を信じて、いつまでも待ち続けることしか……
 でも一体いつまで待てばいいの?
 元気でかわいい子供達をあなたにも見せてあげたい。でも、私と違ってあなたや子供達は時が過ぎれば取り返しがつかなくなるのよ?
 お願いだから、姿を見せてほしい。
 あのバカな冗談をまた訊かせてほしい。
 それが唯一つの望みだった。

 そんなある日、ついにライプリヒに居場所がばれてしまった。その場は何とか脱出することが出来たけど、今のような生活はもう続けることが出来ないだろう。
 それに、このまま子供達を抱えて逃亡を続けることは出来ない。子供たちの幸せを願う結果、仕方なく信用できる施設に預けることにした。
 それからしばらくの間、ライプリヒの連中に子供のことを悟られることを恐れ、その施設へ近づくことは出来なかった。だけど、どんなに離れていても片時だって忘れたことはなかった。
 しかし……どうしても気になって様子を見に行ったとき、子供達はその施設にいなかった。

 ライプリヒからの終わることの無い逃亡生活。
 子供達の喪失。
 そして武の不在。
 私は再び生きる望みを絶たれた……


 そこにあの今回の電話である。どうやら私をLeMUにおびき寄せたいらしい。おそらく、「子供達は人質に取っている。逃げても無駄だ」というメッセージが込められているんだと思う。
 もしかしたら、あの子達を探しても見つからなかったのはライプリヒに見つかったからかもしれない。

『あの子達が私の代わりにあのおぞましいキュレイの実験を受けているとしたら?』

 私が過去に体験した、研究員達の悪魔のような実験の日々が脳裏に浮かびそうになり、あわてて頭を横に振った。
 子供達の様子がすごく気にかかる。だから、これは罠だとわかっていても私は行かなければならない。
 もちろん、黙ってライプリヒの奴らの思い通りになる気はさらさらない。どうせなら、ライプリヒの連中に一泡吹かせてやりたかった。
 でも一体、いつも逃げているばかりの私に何が出来る?
 幸い、まだ考える時間はたっぷりある。
 指定された日までに、自分がどうすべきかを考えることにした。


 2034年、5月1日。
 私は『みゅみゅーん』の中に入っていた。紫外線に弱い私にとって、これを着ないで太陽の下を歩くことは自殺行為だから。
 5月と言っても、着ぐるみの中は当然暑い。LeMU内に入った後に更衣室ですぐにそれを脱ぎ、十分に警戒しながら奴らの出方を待つことにした。
 そして、しばらくしてそれは起こった。

 それは異常な光景だった。
 緊急避難警報が鳴り、観光客は瞬く間にいなくなった。そして現在、私を含めて6人の男女が閉じ込められている。
 これは……17年前と同じことが繰り返されている……。誰かが故意的に起こした「事件」としか考えられない。
 もちろんその犯人も大体の見当はついている。その男は先ほど私に近づいてきて、今は皆に自己紹介をしている最中だった。
「俺は倉成武。こっちは――」
 その言動やさりげない仕草は武に似ていたが、それとは関係なくこの声には聞き覚えがある。一度聞いたきりだけど、忘れられるはずも無かった。
 ……あの電話の男だ。
「……ふん」


 武?
 あなたが武?

 冗談じゃない!
 何を企んでいるのか知らないけど、よりにもよって武の名前を騙るなんて! 武のことをろくに知りもせずに、よくもそんなこと……
 許せない。
 この男だけは、許すことが出来ない!
 最愛の人を侮辱されたことで、蓄積された怒りが全て憎悪へと変わっていった。
 もし子供のことが無ければすぐにでも突っかかっているのに!
 しかし、結局は自分のふがいなさから来たこと……武のことも、子供達のことも、そして今回のことも。
 でも、その全てにライプリヒが関わっているのも間違いない。
『奴らさえいなければ、こんな思いはしなくて済むのに!』そう考えると再び憎しみがよみがえってくる。そうやって思考の堂々巡りを続けていても無駄だけど、こればっかりはどうしようもない。
 とにかく今は独りになりたい。独りになれば、少なくとも怒りや憎しみに心を惑わされることは無いから。

 他にも、空、優と名乗る少女、自称記憶喪失の少年が17年前とそっくりな組み合わせだった。
 おそらく3人はあの男の仲間なのだろう。理由はわからないけど、あの7日間を再現しようとしているに違いない。
『ひょっとして私はこんな茶番をするために呼び出されたの?もしそうだとしたら、奴らの狙いは私じゃないのかもしれない。どちらにしても、奴らの思い通りになるのは嫌。私は勝手にさせてもらうわ』
 そんなことを考えていると、ふと誰かに見つめられている気がした。振り向くと、それは松永沙羅という少女の視線だとわかった。
 17年前のLeMUにいなかった少女……
 お互いに視線があったが、すぐに目を逸らす。

 そう、この子が私の娘に違いない。そしておそらく彼女も気づいている。
 でも、母親らしいことも満足に出来ず、しかも施設に預けてしまった私にはあの子に母親だと名乗る資格は無い。それに、名乗ったところで一緒に暮らせるわけじゃない。私が今もライプリヒに追われていることに変わりは無いから……
 もし武がいれば何かが違っていたかもしれない。
 潜水艇内での約束の一つ。
 ライプリヒに高いツケを払わせてやること。
 私にはその約束を守ることが出来なかった……。

 一人で行動を始めてから、ずっとLeMU内を歩き回っていた。現在の状況を確認するためと、何かあったとき、すぐに対応出来るようにするため。
 気がつくと、クラゲのゴンドラ『クヴァレ』の前に立っていた。
 クラゲは漢字で『海月』と書く。私の名前は『小町 月海』なのでもともとクラゲは好きだけど、それだけではなかった。
 この場所は、武と初めて心を通わせることが出来た思い出の場所だから……。
「ゴンドラ、乗りたいの?」
 感傷に浸っていると、後ろから声をかけられた。振り向くと、『記憶喪失の少年』がこちらを見ている。その表情は、いかにも「記憶を失ってます」と言っているようで、見ていると無性に腹が立つ。
 すぐにその場を立ち去ろうとしたけど、「ちょっと待ってよ……」と呼び止められた。
 気乗りしなかったけど、仕方なく話を訊くことにした。

「なに? なんの用?」
「どうして、そんなに怒ってるの?」
「どうして? あなた、理由がわからないとでも言いたいの?」
「わからないよ……」
「はぁ……ねぇ、もういい加減、そういうのやめて欲しいんだけど……」
「そういうの、って?」
「あなたが奴らの仲間だって事はわかってるのよ?」
「それってどういう意味なの?」
 あまりにも自然な反応なので、まるで本当に何も知らないように見える。
 本当に記憶喪失なのか? それともやっぱり演技なのか?










 わからない。
 少しでも真実を確かめようと、少年の瞳の奥をじっと見つめる。
 少年もそれに気づいてか、無言で見つめ返す。
「…………」
「…………」
 まるで生まれたばかりの赤ん坊のような、純粋で無垢な眼差し。その瞳は、今まで遭って来たライプリヒの研究員とは明らかに違う輝きを放っていた。
「わかったわ」
「もしもあなたが嘘をついていないとしたら……ひとつだけ、忠告しておいてあげる」
「あなたはきっと、利用されているのよ……奴らに」
「り、利用、されてる……」
「そう。もしかしたら、あなたの記憶喪失も奴らのせいかもしれないのよ?」
「えっ? それはどういう意味?」
「それに、奴らって……誰?」
 それは……
 この場で言っても、状況が好転するわけじゃない。それにもしかしたら、この会話を空が聞いているかもしれない。
 私だけならともかく、この少年を巻き込むわけにはいかない。だから……
「これ以上は言えないわ」
「だって、あなたのことを100%信用したわけじゃないもの」
「自分の身は、自分で守りなさい」
 そう言うことしか出来なかった。





 それからずっと、引き続きLeMU内を探索したりあの男にカマをかけてみたりしたけど、結局何にも解決しないまま時は過ぎていった。
 そして、5月6日……
 私は他の皆と同様、会議室にいた。そこにいる誰もが不安を隠し切れない重い空気の中、私も例外ではなく焦っていた。
 そろそろ脱出のことを考えないとまずいかもしれない。LeMUが明日に圧潰か水没することは間違いないのだから……
 あの男は脱出ルートを確保しているはずなので、問い詰めることは出来る。でも、閉鎖空間である以上、何か仕掛けてきたら逃げられない。本当はすぐにでも胸倉を掴んで脅してやりたかったけれど、暴発しようとする気持ちを必死にこらえた。
 とにかく今は別に脱出する方法を考えないと……
 どうするべきか思考を巡らせてみると、答えはすぐに見つかった。
「ねえ、空。話があるんだけど……」
「脱出の方法についてなんだけど、ちょっとここでは話したくないの。どこかで2人きりになりたいんだけど、お願いできるかしら」
「では、中央制御室ならどうでしょう」
「わかったわ」

 中央制御室。
 システムは全ての通信機器以外は全て正常に作動していた。

 モニターに表示されている生体反応は5。空はカウントされないので、それは当然のことだった。
「それで、脱出の方法というのは?」
「ええ、それなんだけど……上に逃げられないのなら、思い切って下に降りてみるのはどう?」
「ドリットシュトックに降りるのですか?」
「空、くだらない冗談を聞いている場合じゃないの」
「ドリットシュトックの更に下のフロアへ行きたいのよ」
「だから、ヒンメルまで案内して欲しいの」
「HIMMEL……ですか?」
 もしかして、とぼけているの?
 だんだんと腹が立ってきた。

「まさか、あなたまで記憶喪失になった、なんて言わないわよね?」
「HIMMELの意味は天国、空。文字を逆にするとLEMMIH。あなたのことでしょ!?」
「…………」
「小町さんのおっしゃっているような場所は、存在しません」
「ねえ、空? お願いだから、これ以上、私を怒らせないで」
「他の連中は騙せても、私に嘘は通じないの」
 17年前も、ココが大変なことになるまで事実を隠していた。いくらあのときの記憶が無いといっても、今回も同じ結果になるのは許せるわけが無い!

「嘘ではありません!」
「まだ言う気!」
「ドリットシュトックの下に、フロアはありません。降りることはできないんです」
「嘘……」
「あなたは嘘をついている」
「私にはわかっている……ううん、私は知っているの」
「LeMUにはさらに下の階があるって」
「ううん、LeMUとは別の施設……それがこの真下にあるの。ずーっと下のほうによ」
 そう、忌まわしきIBFが……
 もし17年前を完璧に再現するつもりなら、今日はあそこの扉が開くはず。そうすれば、IBFから外部に連絡して脱出することが出来る。奴らの思惑に乗るのは癪だけれど、他の方法が考えられない以上はこの方法を使うしかない。
「ね、そうでしょう?」
「…………」
「その問いには……こうお答えするしかありません」
「そんな施設など、存在しません、と」
「そんなはずはないでしょ!」
「じゃあ、あの部屋は何!?」
「あのヒンメルは、一体なんなのよ!!」
「いい? あなたは知らないだろうけど、あの扉は今日っ」
「おいっ! つぐみ!!」
……!!
 いきなり別の声がしたと思ったら、またこの男か……。
「つぐみ……その話、俺にも聞かせてもらおうか」
「………………」

「………………」
「ここまで聞いちまったんだ、もう隠し事も何もないだろう?」
「……ふん」
 それから武は振り返り、申し訳なさそうに言った。
「なあ、悪いんだけど……ここは、俺に任せてくれないか」
「しばらく、3人だけにしてくれ」

「ふふっ」
「ずいぶんと人を騙すのが上手いのね。それに、事実を隠すあたりがライプリヒらしいわ」
「本当は何もかもあなた達が仕組んだことなんでしょ?」
「電話で私をおびき出して、何をするかと思えば……17年前の再現? バカバカしい!!」

「大方、私のキュレイウイルスが目当てなんでしょうけど、そんなことのためにLeMUをもう一度水没させようなんて」
「そんな言い方ってひどいと思います! 私は皆さんを騙す気などありません!!」
「そうね。空は命令には逆らえないものね」
「…………」
 空は言い返せないのか、それっきり黙ってしまった。やはり図星なのだろう。
「でも、そこの男はどうかしら?」
 私はもう一人の男を睨みつけながら、言った。
「ははははは!!」
「何がおかしいのよ!」
「俺はライプリヒで働いているし、電話を掛けたことも認めよう」
「だが、俺の本当の目的はそんなことじゃない」
「そうだとしても、ライプリヒの犬には違いないでしょ!」
「何だと?」
「俺がライプリヒの犬だって? 冗談じゃない!!」
不快感を隠そうともせず、苛立たしげにそう言った。
「おい、つぐみ。俺が誰だかわかるか?」
この男は、いまだに自分が武と言いたいらしい。
「分かるわけ無いでしょ!」
「あなたがあの電話の主ということ以外は!!」
「どうせライプリヒの研究員なんだから、誰だって同じよ」
「本当にそれだけだと思うか?」

「何が言いたいの?」

「そうか、覚えていないのか……」
「この俺がこんなことを言うのもおかしいが、思い出は大切にしておくもんだ」
男は目を閉じ、再びゆっくりと開いていく。
その顔は、今まで全く見せた事のないものだった。
まるで、憑き物が落ちたような……
「ぼくだよ、つぐみ。忘れたのかい? 確かにぼくはつぐみとあまり親しくなかったけど、それでも一度も忘れたことは無かったよ」

いや、違う。
むしろ、新たな仮面をつけたように見える。
何も知らないような、気の弱い少年のような仮面。
それはさっきの記憶喪失の少年と違って、少し自嘲じみで演技がかっていた。

――記憶喪失の少年?

「まさか、そんな……」

「やっと思い出してくれたんだね」
「あの事故の後でようやく思い出したんだ、自分の名前……」
「ぼくの名前は、桑古木涼権」
 そう言った後、桑古木は再び鋭い眼差しでこちらを睨みつけた。
「えっ? 倉成さんではないのですか?」
 空は本当に何も知らないらしい。
 事実を知って、明らかに動揺している。
「それにしてはかなり若く見えるけど……まさか!」
「そう、そのまさかだよ。僕はあの事故から5年後……歳を取らなくなった。詳しい話はこいつから聞いてくれ」
 モニターに若い女性の顔が映った。
 それは確かに見覚えのある顔だった。
「お久しぶりね、つぐみ」
「優!」
そう、少し大人びて見えるものの、さっきまで一緒にいた少女と同じ顔をしていたのだ。
17年前と比べると確かに少しだけ容姿が変わっているが、それは確かに優だった。
いや、変わらない部分の方が多いかもしれない。
「どういうこと?」
「あの娘は一体何者なの?」
「彼女は私の分身であり、妹でもあり……そして、娘でもあるのよ」
 そう言った優は、優しさと憂いを含んだ微妙な表情をしていた。
 あながち、嘘でもないのだろう。
 それよりも、もっと気になることがあった。これは確認しておかなければ気が済まない。
「あなたも感染していたのね」
「ええ、私と彼はあの抗体からキュレイウイルスに感染した」
「当時心臓を患っていた私は、体の異変にすぐ気づいたわ」
「今の私がいるのは、あなたのおかげよ」
「だからあなたにはとても感謝しているわ」
「でも、ココは……」
「八神岳士さん、つまりココのお父さんから連絡があったの」

「ココが行方不明になった。ひょっとするとLeMUに閉じ込められたのかもしれない。LeMUから脱出した私たちなら、何か知らないかって」
「そこで初めてココが救助されなかったことに気づいたの」
「ピピが電子犬だってことを教えてもらったわ。ピピはテラバイトディスクをくわえて海中から姿を現した。もしかしたら何か知っているかもしれないと思い、メモリーを再生すると……海底で息絶えた武と、IBFに独り残されたココの映像が残っていたの」
「……嘘」
「そんなの嘘よ!」

 武が死んだはずはない。
 武は私と『死なない』って約束したのだから。
「嘘じゃないわ。それに、嘘をついたって何にもならないじゃない。その時、私はライプリヒに復讐すると誓ったの」
「どうして? 何でそんな簡単にあきらめられるの? すぐにでも武とココを救いに行けば助かったかもしれないのに!」
「…………」
「何とか言ったらどう?」
「……ねえ、つぐみ? それが出来ない状況だったのは、あなたも知っているでしょう?」
「…………」
 ライプリヒはあの事故のもみ消しに成功した。
 もしかしたら、優も何か思い当たることがあるのかもしれない。
「安心して。17年前と同じように皆を危険に巻き込む気は無いから。これから脱出ルートを用意するけど、このことはみんなには黙っていて欲しいの」
「何を企んでいるの?」

「この世界にはタイムスリップなど存在しない。でもそれは3次元世界での話」
「テラバイトディスクの中に、興味深い記録があったの」
 そういえば、先ほどから空の姿が見当たらない。
 いつの間にいなくなったのだろう?
「空はどうしたの?」
「彼女は今、色々とサポートするために17年前のメモリーをインストール中よ。今のままでは上層部の命令に逆らえないから」
「事の始まりは、武と空の会話の内容からだったの。データのチェック中に4次元の存在について知ることが出来たわ。その存在の名は、第三視点ブリックヴィンケル」
「第三視点?」
「私たちの世界では、2次元の情報しか正確に把握できないの。3次元の世界を正確に認識できるのは4次元の存在なのよ」
「4次元の世界では、時間を自由に遡ることが出来る。でも、残念ながら歴史を変えることは出来ない……」
「可能なのは、新たな歴史の分岐点を生み出すこと。もし第三視点の協力を得ることができれば、別の世界で武とココは生き延びられるかもしれない」
「それには、もう一度LeMUの事故と同じ状況を作り出し、BWに錯覚を引き起こさせる必要があった」
「一か八か、可能性に賭けてみることにしたの。そのためにライプリヒに就職までして第三視点について詳しく調べてたのよ」
「結局、全ての準備が整って計画の実行が可能になるまで17年もかかったけど……」

 ……違う。
 彼女達は賭けてなんかいない。
 自分を納得させる口実が欲しいだけ。
 そのために多大な時間と労力をかけて、たくさんの犠牲を払って……最後は確認もせず希望で終わらせようというの?
 どこかで生きていればいいですって?
 今この時にいなければ何にもならないじゃない!
「バカバカしい!」
「そんなことのために私を呼び出したの?」
「あんた達には付き合ってられないわ」
「私は勝手にやらせてもらうわよ」
 きびすを返し部屋から出ようとした、その時――
「おい、待てよ」
 いきなり肩を掴まれた。
「私に触らないで!」
 振り上げた手を、桑古木はもう片方の手で受け止めた。そのまま手首を掴まれて、凶悪なまでの力がこめられる。

「クッ!」

 キュレイウイルスによって身体能力が向上しているのは向こうも同じらしい。どうしても振りほどくことが出来ない。
「話を最後まで訊けよ……子供達にはちゃんと話したのか?」
「もっとも、息子の方は会っても理解できるはずも無い、か」
「それは、どういう意味!?」
「17年前の俺の代わりのことだよ。記憶喪失になっていただろう?」
「……あの少年!!」
「ああ、今回の計画のためには17年前の俺と同様、記憶喪失になってもらう必要があった。
 ついでに言うと、ブリックヴィンケルの器としての役割もあったから、記憶があると厄介だった。だから薬で記憶を封じたってわけだ」
「あなたって人は!!」
 掴まれているのと逆の手で思いっきり拳を振り上げたが、もう片方の手で掴まれてしまった。
 しかもそのまま背後から羽交い絞めにされ、身動きできなくなった。
「放しなさいよ!」
「あんたの息子はまだ俺達の計画に必要なんだ。邪魔するのなら、黙っちゃいないぜ?」
「もしお前が不審な行動をしたら……
 RSDを応用した最大出力のレーザーで黒焦げだ。紫外線には弱いだろう? LeMUの中にいる以上、どこにも逃げ場は無い」
「ちっ」
 やはりこいつらはライプリヒの研究員と同じだ。目的にために手段を選ばない。
「私を脅迫するつもり?」
「脅迫? 違う、これは忠告だ」
「あんたのことなんてどうでもいいが、邪魔をされたくは無いからな」
「ごめんなさい。本当はこんなことをするつもりは無かったんだけど、武とココを救うためには仕方が無かったの」
「あの電話のことだけど……」
「知っているわ。私をおびき寄せる魂胆だったんでしょう?」
「半分は当たり。でも半分ははずれよ」
「それはあなたも気づいているでしょう?」
 今までやってきたことへの罪滅ぼしのつもりなのかもしれない。
 そう考えると、目の前の女性がひどく脆いように見えた。
「もういいわ。それよりも、早く腕を放しなさいよ」
「涼、離してあげて」
「ああ……」
「つぐみ、分かっているな? 下手な真似をしようとしたら――」
「涼!」
「まあ、そう怒らないでくれよ。この計画に2人の命がかかってるんだ、仕方ないだろう?」
 そう言って、桑古木は腕を放した。
「それで結局、私の息子はどうなるのよ!? 記憶のことも気になるけど、器とか言ってたわね?」

「その点は大丈夫よ」
「記憶が無いのは薬が効いている間だけ。それに、ブリックヴィンケルはもともとこの世界の住人では無いから、長い間少年の中に留まることは出来ないのよ」
「だから、少しの間だけ協力して頂戴」
「いやよ」
「さっきも言ったけど、興味ないの。やるんなら勝手にやったら?」
「おい、つぐみ!」
「いえ、いいのよ」
いきり立っている桑古木を、優が制した。

「つぐみ、ありがとう」
「お礼を言われる筋合いは無いわ。

 
「ところで、そろそろいいんじゃないのか?」
「ええ、そうね。……空、準備はいい?」
 優がそう言った瞬間、空が再び姿を現した。
「はい、田中先生」
 そして空は私のほうを向き、懐かしそうにこう言った。
「小町さん、久しぶりです」
「……ええ」
 他に言葉は要らなかった。
 たとえ記憶があろうと無かろうと、結局、空は空なのだ。
 それがわかれば十分だった。
「悪いが、それほど時間の余裕が無いんだ。再会を喜ぶのはそのくらいにしてもらえないか」
「そうですね、大変失礼しました」
「確かに、ここでじっとしている場合じゃないわね」



「では、脱出の方法だけど……ハウプトプラッツを使えるようにしておくから、普通に階段を登ってくるだけで大丈夫」
「もちろん、誰一人欠けることなく全員で逃げられるように注意しなければならないわ」
「だから、脱出前にちゃんと一箇所に集まって。決して一人で行動しないで……いいわね?」
「……わかったわ」


 そして今、私達は長い階段を駆け登っている。
 やっとここから出られるのが嬉しいのか、誰の顔も希望に満ちている。
 しかし、私はさっきのやり取りで真相を知ってしまった……。

 この事故は意図的に引き起こされたものであること。
 その目的は武とココを救うことだということ。
 それには私の息子にBWとやらを降臨させる必要があること。
 そして、たとえそれを成し得たとしてもこの世界で武とココは救われないということ。
 
 いや、そもそも、武は本当に死んでしまったのか?

 武を信じていたい。
 でも、もしかしたら本当に……
 最悪の状況が思い浮かべられる瞬間に、私は頭を強く振った。
 何を考えているのよ。
 武は生きている限り生きろと言った。
 その純粋な意志、ひたむきな思い……それを信じることが出来たから、私は今ここにいる。
 武は生きている。
 そう、武はきっと生きているわ。
 優が見たとしても、それが真実とは限らない。

 私に出来るのは、ただ待つことだけ……
 とにかく今はここから出ること。
 それだけを考えよう。
 階段を疾風のように登っていった。
 頭上に扉が見えてきた。
 もうすぐだ!

 その時!

 視界の隅に何かが横切った。
 おかしい。
 今私は階段を登っているはず……
 ハッとなって立ち止まり、先ほどの方向を見た。



 ――ココ。


 ココが空中に浮かんでいる。
 その二つの目は悲しみの色で染まっていた。
 その姿は17年前と変わることなく、しかしそれだけに異様な光景だった。
 赤外線視力をもつ私には、全身から発熱しているのがはっきりと見て取れる。
 あまりにも異常な事態に頭の中が真っ白になった。
「何やってんだ、先行くぞ!」
 みんなはどんどん上へ登っていく。
 でも、ココを置いていくわけにはいかない。

「ココ、一体どうしたの?」
 私は動揺を隠しながら、まるでその存在を確認するような口調で訊いてみた。
 そうでもしなければ消えてしまうような気がしたから……。
 しかしココはその問いには答えず、下へゆっくりと降りていった。
 いや、落ちているといった方がいいかもしれない。
「待って!」
 あわててココを追いかける。
「どこへ行くつもりなの?」
 そのまま下へと降りていく……
「小町さん!」

 ツヴァイトシュトックまで差し掛かったとき、音声変換機から空の声が聞こえてきた。
「小町さん、緊急事態です! 隔壁の一部が圧潰し、浸水が始まりました。
 このままではLeMUが水没してしまいます! 早く引き返してください!」
「このままココを放っておくと言うの? せっかく見つかったというのに!」
「ココって、八神ココさんのことですか? 誠に申し上げにくいのですが、ココさんは2017年に……」
「何言ってるの、空? 私の目の前にいるじゃない」
「何のことですか?」
 もしかして、空には見えていない?
「ねえ、空。生体反応センサーはどうなっているの?」
「今、調べます。……生体反応:2!?」
「しかし、モニターの光点は1つです」
「これは一体どういうことでしょう?」
 空も驚いているようだ。
 何がどうなっているのかわからないけど、とにかくココの生体反応があるのは確かだった。
「反応があるのなら、生存者がいることになるでしょう?」
そう言って下へ駆け出そうとした、刹那――
「待ってください、早く逃げないと危険です!」
 空が目の前に立ちふさがった。
「それに、今まで反応は無かったのです。センサーの誤作動ではないでしょうか?」
「私は確かにココを見たのよ!」
「反応があったんなら、ココの反応に間違いないわ」
「でも!」
「空、さっきセンサーの誤作動かもしれないって言ったじゃない」
「だったらカメラの誤作動だってありえるでしょう?」
「ただ、空には見えなかっただけ」
「それでも、やっぱり危険です!」
「私はキュレイのキャリアよ。そんな簡単に死んだりしないわ」
「生きている限り、どんなことになっても生き続けてやるんだから!」
「だからあなたが心配する必要なんて無いのよ」
「……わかりました。気をつけてくださいね」


 再びココを追っていく。
 キュレイの身体能力で足が速くなってなければ、とっくに見失っていたかもしれない。
 結局、このウイルスには色々と助けられている……。
 『生かされている』感じがしてとても嫌だったけど、今ではこれ無しに生きられない生活を送っている。
 皮肉なものね……。
 心の底からそう思った。


 狭い通路の突き当たり――小さな扉の前。

 その扉には『HIMMEL』と書かれていた。
 そう、この奥にあの忌まわしきIBFへと通じるエレベーターがある。
 その扉の前でココは立ち止まり、再び悲しそうな目でこちらを見つめる。
「ココ、一緒に行こう?」


「ここにいたら危険なの。わかるでしょう?」
 しかし、ココは無言で首を横に振った。
「どうして?」
 しかし、その問いに答えることなく……

 ココは後ろを向いたかと思うと、扉の中に吸い込まれるように消えていった。
「ココ!」
 必死で扉を叩くが、当然のことながらビクともしない。
「ココ! ココ!」
「返事をして!!」
 それでもココに聞こえると信じて扉を叩き、叫び続ける。

 それからヒンメルの扉を力ずくで開こうとしたが、並大抵のことではこの重々しい扉を開けることは出来そうに無い。
「空、聞いてる? ヒンメルの扉は開かないの?」
「無理です。その扉は私の管轄外なのです」
「そう……やっぱりあれを使うしかないようね」
 私はいったん引き返し、更衣室に入っていった。
 そしてロッカーの一つに収納しておいた『みゅみゅーん』の着ぐるみからあるものを取り出す。
「爆弾!?」
 空が驚きの声を上げる。
 それは当然のことだろう。テーマパークに爆弾を持ってきたのだから。

「そう、爆弾よ。指向性爆薬。これならヒンメルの扉を開けられるかもしれない」
 指向性爆薬。
 それは一定の方向だけを破壊する爆薬で、扉や壁の破壊などに使われることが多い。
「なんて無茶なことを考えるんですか!」
「それに小町さん、何故そのようなものを持っているのですか?」
「それは意味の無い質問だけど……今回は特別に答えてあげる」
「もちろん、この扉を開けるためよ」

「ココ、今からこの扉を開けるわよ? 扉の前にいるならすぐに離れて!」
 できるだけ大きな声で呼びかけてからヒンメルの扉に手際よく爆薬を仕掛けると、その場から離れた。
ドゴォォォン!!!!!
 数秒後、ものすごい轟音と共にわずかに足元が振動する。
 ヒンメルの前に戻ってみると、扉は見事に破壊されていた。
「さすがに特別製の事はあるわね……」
 ココの安否がちょっと不安だったけど、どうやら扉を破壊するのにちょうどいい破壊力だったようだ。
 『吹き飛んだ』というより『崩壊した』という感じに壊れてくれた。


 ヒンメルに足を踏み入れて周りを見回してみるが、ココの姿はどこにも無い。
 ひょっとして、IBFへ降りた?
 そう思って加減圧室に入ってみたけど、使われた形跡は無かった。
 しかし……ココはさっき、ヒンメルの扉をすり抜けた。
 もしかしたら……
「空、このリフトは今も使えるの?」
「わかりません。ですが、調べてみます」
「……使えるようです。IBFへ降りますか?」
「ええ、今すぐにでも」
「ではこれから加圧します。しばらくお待ちください」
「いいえ、すぐにリフトを起動して」
「気圧変化による体への負担が大きすぎて危険です!」
「構わないわ。武は減圧をせずにIBFから上がってきたんでしょ」
「私は大丈夫。加圧を怠ったって、体が少し重くなるだけ」

「ですが……ああっ!」
「どうしたの?」
「先ほどの爆発の衝撃がきっかけとなってヒンメル正面の天井が決壊しました」
「こちらにも水が押し寄せてきます!」
「空、もう迷っている暇は無いわ。お願い」
「……そうですね、わかりました」
そう言っている間に、ついに水がヒンメルまで入ってきた。
「空はどうする気?」
「私の本体はインゼル・ヌルにあるので、ご心配には及びません」
「ですから、一足先に地上でお待ちしています。必ず戻ってきてくださいね」
「ええ、必ず!」

 リフトはIBFの潜水艇発着用のプールにたどり着いた。
 その扉を開けた瞬間……
「うっ」
 全身に押しつぶされそうな重圧がかかる。
 でも、キュレイ種である私には命の危険は無い。
 ほんの2〜3分で体が順応してしまった。

 落ち着いたところでとりあえず周りを見渡すが、どうやら潜水艇はないらしい。
 空にはああ言ったものの、このリフトではLeMUに戻る事が出来ないので救援を待つしかなかった。

 それよりも、まずはココを探さなければ……
 近い部屋から順番に、一つ一つ身長に部屋を調べていった。
 「ココ! いるのなら返事をして!」
 「ココ! ココー!!」
この場所ではいくら叫んでも無力に等しかった。

 どの部屋も閑散としていて、人の気配どころか生活の形跡さえ見当たらない。
 どうやらIBFは長い間放置されていたらしい。

 

 結局、全ての部屋を調べ終わっても何一つ成果は無かった。
 ココはIBFに来なかった?
 そう思い始めた矢先――
 突然上からすさまじい衝撃!
 同時に床、壁、天井が小刻みに揺れ始める。

 もしかしたら、LeMUの残骸がIBFに落ちてきたのかもしれない。
 早く脱出しなければ、私でも命に関わる。
 どうする?
 もっとココを探していたいけど、ここにいるという保証は無かった。
 いや、きっと私の幻覚だったに違いない。
 冷静に考えれば、壁をすり抜けるなんてどうかしていた。
 それでもここまで来てしまったのは、何か直感のようなものが

 それに、脱出方法さえ見つからないのに。
 いや、もしかしたら……
 私は一縷の望みを持って、診療室に向かった。
 
 そう、ここの端末は17年前に外部と繋がった。
 まだ回線が生きていれば、優たちに連絡を取れるかもしれない。
 私は慣れた手つきでキーボードを操作して、外部とのアクセスを試みた。
「こちらIBF、誰か聞こえたら返事をして!」
 ……ザ……ザーーッ……
 ダメか……
 やはり、しばらく使われていなかったこともあって通信は不可能らしい。
 優が救助隊を送ってくれるかもしれないけど、私の予定外の行動にすぐに対応できるとは思えない。
 その前に、このIBFが持つかどうか……

 ガタンッ!
 ゴゴゴゴゴ…………
 揺れがかなりひどくなった。
 もう、立っていることさえままならない。
 どうやら、そろそろ限界みたいね……。
 ライプリヒの研究所跡で孤独に死んでいく。
 ふふっ、私らしい最期ね……。

 武……
 私はもうダメみたい。
 それに、もう生きているのに疲れちゃった……。
 
「あきらめちゃダメだよ、つぐみん」

 えっ……?
 今の声は……
 
「ココ、ココでしょ? あなた一体どこにいるの?」
「それはねぇ〜……ナイショ♪」
 頭の中に直接響くようなその声は、明らかに場違いな、能天気な声だった。
「ココ、お願いだから出てきて! こんなところにいたら危ないのよ!」
「ココはこの近くにはいないの」
「でも、つぐみんはこのままここにいる気だったんだよね?」
「だって……もうどうしようもないじゃない……」
「たけぴょんとの約束はどうなるの?」
「『生きている限り、生きろ』って、言ってたでしょ?」
「何でそのことを知っているの!?」
 潜水艇の中にいたのは、私と武だけ。
 ココがあのことを知っているはずが無い。
「ココはなんでもしってるんだからあ〜」
「だってココは、ちょーのーりょくしゃだもん」
 この声が頭に直接聞こえてくることといい、信じるしかないらしい。
「でもっ、武はっ」
「つぐみんは、たけぴょんを信じられないの?」
「そんなこと……」
『そんなこと無い』
 そう言いたかったけど、言葉が出なかった。
 本当は、私はどこかであきらめていたのかもしれない。
「もう、しょうがないなあ〜」
「ココがつぐみんを手伝ってあげる」
 そう言った瞬間、うっすらと輝く光の帯が現れた。
 その光は、診療室の外に続いている。
「これは……」
「つぐみん、こっちだよ」
 まるで誘われるように、その帯の行く先をたどっていく。
 通路に出ると、ずっと向こう側まで光が伸びていた。
 今も揺れは激しくて足元はおぼつかなかったけれど、確実に目的地へ歩み寄っていく。
 そしてたどり着いた先は、あのプールだった。
 ここで光の帯は途絶えていた。
 潜水艇が無いのは分かっている。


 おそらく、武と脱出して以来この施設に用が無かったのだろう、わざわざ置いておく必要も無かったんだと思う。
 では、一体どうしろと?
 そう思いながらあたりを見回すと、信じられないことが起こっていた。

 ――水面がまばゆいばかりに輝いている。
 近くまで行ってみると、先程と同じ光の帯が海水の中まで続いていた。
 それは海の方へと続いているようだ。
「泳いで脱出するってこと?」
 …………。
 …………。
「ココ?」
 …………。
 …………。
 反応が無い。
 でも、そういうことなんだと思う。
 だけど、12.5の水圧の中泳ぐのは自殺行為としか思えない……。

『生きている限り、生きろ』

 ふと、武の言葉が頭をよぎった。
 そうだったわね……。
 またあきらめるところだった。
 どんな状況でも、生きることをあきらめてはいけない。
 それがたとえ、どんなに絶望的な状況だったとしても。
「よし!」
 両手で頬を叩き、気合を入れなおした。
 そして何度も深呼吸をして十分に準備を整えたのち、私は光り輝く海へと身を投じた。



 その光は、横に真っ直ぐ伸びていた。
 私はその先端を求め、ただ黙々と泳ぎ続けた。
 不思議と、12.5気圧の重さを感じることが無かった。
 それに、まったく息苦しさも感じない。
 まるで夢の中を漂っているような感じだけど、ここまできたら、もう何が起こっても不思議とは思わなかった。
 やがて、光の終結点が見えてきた。
 海底に見えるのは、小さな光のドーム。
 そこからあふれた光が蛍のように海中を漂い、まばゆいばかりに煌いていた。
 幻想的な世界の中心に横たわっていたのは……
 
 ――武!
 
 武が17年前と変わらぬ姿でそこにいる。
 私はその場に降り立って、期待と不安を抱きながら武に触れる。
 脈は……無かった。
 それに、心臓も停止しているようだ。
 それでもかまわずに、私は武に語りかける。
「ねえ、武。あれから17年も待ってたのよ」
「もう私は待ちくたびれたの」
「だから、お願いだから目を覚まして」
 そう言ってそっと肩を揺すると、武がビクッと反応した。
「武、生きてるの……?」
「……ん………」
 武が、生きてる……
 私は嬉しくなって、武に抱きついた。
「武! 武ぃ〜!」
 良かった……武が無事で本当に良かった。
「う〜ん……あと5分でいいから寝かせてくれよ……」
「はぁ?」
「起こさないでくれ……」
「俺は眠いんだ……あと少しだけ……」
 こ、この男は……
 せっかく感動の再会を期待していたのに。
「武のバカァーーー!!」


 私達はインゼル・ヌルにいた。
 あの後、武と一緒に高さ119メートルを無事に泳ぎ切ったのだった。
 今、武は向こうで娘と一緒に戯れている。
「やはり武も感染していたみたいね」
「優……」
「少し、話しましょうか」

「ちょっと訊きたい事があるの」
「武は本当に心停止から蘇生したの?」
「ええ」
「だとすると、やはり……」
「何か知っているの?」
「キュレイ……」
「今はこれしか言えないの」
「それよりも、あなた、ココに会ったんですって?」
「ええ。ココがいなければ、今頃私と武は……」
「IBFでは声しか聞こえなかったんだけど」
「IBFで?」
「そんな、まさか!」
 優の顔がみるみると青ざめていく。
「どうしたの?」


誰もいない制御室。
かろうじて圧潰は免れていた。
そのモニターに映っている文字は……
 生・体・反・応:1




あとがき

「長かった」この作品は、まずはこの一言に尽きます。
書き始めたのが大体1ヶ月前で、当初「つぐみアフターストーリー」として作る予定でした。
デビュー作で右も左も分からないし、他の人の作品を読んでもどこを参考にすればいいかさっぱりで……
小学生時代は作文を書くのが苦手だったし、はっきり言って文才はありません。
ですが、そこにループ前の話を解釈として入れることで創作意欲を再燃させました。
しかもそこにオリジナル性を入れたからもう大変。八尾比丘尼の話を断念した以外は入れたい要素を全て詰め込みました。
その結果、テキスト量15Kの予定が30K超。こんな欲張りな作り方をしていいものでしょうか。
まあ、素人の作ったアペンドシナリオのようなものとお考えください。
ですが、これをきっかけに書き手としての喜びもなんとなくわかってきたので、これからもっと精進していい作品を作ろうと思います。

ではそろそろ、この作品について。
ココ編での武蘇生のシーンは確かに良かったけれど、ホクトが蘇生させなければ死んでいたという扱いに納得がいきませんでした。
そこで武の生きる意志の力をもっと尊重させようと思い、この作品を書きました。
解釈面でも納得の行く出来ですが、実はこの作品を読んだだけでは全貌が掴めません。
この話の対となる話を次に書くので、そちらを読んでいただけると幸いです。
こっちは短い話なので、あまり時間はかからないですよ(^^;
あと、この作品には私の妄想が入っています。
たとえばそれは「ヒンメルの扉を自力で開けたい」だったり「海を幻想的に表現できれば……」だったりします。
おかげでますますシナリオバランスが悪くなった気が……しなくもない(笑)

最後に
私の拙い作品を読んでいただいてありがとうございます。
自分でも問題が多いことはわかっていますが、読んだ方の感想をいただけるともっと理解できると思います。
長所、短所なんでもいいので気が付いたことはどんどん言ってくださいね。
では皆さん、これからもどうかよろしくお願いします。




2002


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