※ 本作は、性的な描写が一部含まれています。ご注意ください。 |
不器用な想い YTYT |
窓いっぱいに、よどんだ空が広がっていた。 この季節、台風の上陸は珍しい事ではない。けれども、それは地上の人間にいつも影響を及ぼし、今回二人の子供がさらされることとなった。 TVのニュースでは、何便かの欠航が報じられ、その度に二人の子供が声を上げた。 「あ、今度は秋田便が欠航だよ、お兄ちゃん! 」 「まだ、他にもあるな……って。うわ、根室便もだ」 そんなことを口々に言い合っている。 北海道〜東北地方の地図をテーブルに広げては、やれ”あそこは大丈夫、ここは危ない”という事を、二人の子供は話していた。 二人の修学旅行の場所は九州であり、件の台風は直接影響しない。 それでも、高校生活最後の修学旅行ともあってか、二人の杞憂は拍車をかけられていたのだった。 二人の子供は、気もそぞろといった体で、TVと地図を交互に見ていた。 その傍らで、朝飯をついばんでは、 「沙羅、ホクト。気を揉むのは判るが、今になっても学校から何も連絡がないんだから、大丈夫だと思うぞ」 という、声があった。 「その前に朝食くらいは食い終わっとけよ」 とさらに、新聞越しから付け足す。 声の主は、さらに、「でないと、ママが怒り出すからな」 と蛇足も付けたし、当のママ……倉成つぐみの不興を買うことになった。 「武。その発言は何? 揶揄? あてこすり? それとも、挑発? 」 言われ、武は今しがたついばんでいた、朝飯から目を離した。 「沙羅、ホクト! 朝食に手をつけなさいって、な? 」 口に出しては、そんなことをのたまう。矛先を誤魔化そうとする武の魂胆は見え見えで、つぐみとしては呆れる他無かった。 ホクトも沙羅も、ママの怒りは怖いと見たか、すんなりと雑談を止め、朝食に手をつけ始めた。 人の声は絶え、部屋の中には箸の運ぶ音だけが響いた。 その光景を見るにつけ、”ふだん、自分が家族にどう見られているのか”を理解したつぐみだった。 ちょっとした反省も新たに、何か会話になりそうな話題を出そうと、思案を巡らせた。 すると、ホクトがおもむろに口を開いてきた。 「ねえ、ママ。修学旅行で、何か欲しいお土産は無いの? 」 「なんでも良いから、ね」 沙羅が後を続ける。 突然の申し出に、つぐみは当惑混じりで聞き返した。 「ん、どうして……? 」 つぐみの当惑を感じ取ったのか、ホクトと沙羅も当惑混じりで言葉を返す。 「その……ママは修学旅行に行ったこと無いって、聞いてたから……」 「だから、良い物を買ってきてあげたいし……」 ホクトと沙羅のそれぞれの語尾は、声のトーンが低くなっていた。この申し出は、誰かに吹き込まれたのだろう。もっとも、犯人はすぐに判った。 (馬鹿、お前ら、そんな露骨な聞き方をする奴があるか!? ) 小声で叫ぶ武の声が、新聞の向こうから聞こえた。 つぐみは、武に目を移した。当の武は、危機を察知したのか、新聞を巧みに使って、視線を絶とうとしていた。 ため息を付く。が、そのため息は、何故か笑みに変わった。 ホクトと沙羅の気遣いが嬉しくて。 武の反応が可笑しくて。 つぐみは笑った。 微笑みながら、ちょっとした幸せに酔った。 一つ屋根の下の四人暮らし。生活は決して楽ではない。 が、そんな青息吐息の日々の中にも、いろいろな幸せが混じっている。 他人の目から見れば、その幸せは、ちっぽけなものかもしれない。他愛のないものかもしれない。 けれども、それは真実の幸せだと信じている。 そんな際、電話が鳴った。 沙羅の手よりも早く、ホクトが受話器を取っていた。 「もしもし、倉成です。……はい……はい」 ホクトの”はい”という返事は、その後、二度ほど繰り返された。 そして、素っ頓狂な”え!?”を一度挟み、歓喜の”はい!”に転じてから、”あ、はい! 気を付けて、行って来ます! ”という元気の良い言葉で締めくくられた。 「それでは、失礼いたします。……いえ、どうもご連絡をありがとうございました! 」 そう言い、受話器を下ろすや、ホクトは弾けるような笑みを浮かべた。 「やったよ、沙羅! 無事に行けるってさ! 修学旅行! 」 沙羅の 「やったあ! 」 という歓声が、間髪入れずに響く。二人は、息の合うハイタッチを交わした。 「な、パパの言ったとおりだろ? 大丈夫だって」 腕組みをしながら、武が得意げに頷く。 それに向かっては、 「”適当に言ってみました”という発言でしょう。貴方のさっきの発言は」 と突っ込んでおく、つぐみだった。 きゃっきゃと、沙羅が笑う。ホクトもまた、同じように笑った。 突っ込まれた武も、嬉しそうに、つぐみの方を見ていた。 なんとなく、武の視線が気になる。つぐみは、訝しげに口を開いた。 「……何よ、含みのある笑みね」 片手で頬杖を付きながら、武はしみじみとした口調で言った。 「いや。お前も、そんな突っ込みが出来るようになったんだなあ、と思ってさ。うん、俺はちょっと嬉しいぞ」 温かい目が、自分を見ている。 一瞬、反応に困った。からかわれているのか、と思ったものの、どうも違うようだった。 からかわれているのでもない。茶化されているのでもない。判らない……。 知らず、頬のあたりに熱っぽさを感じた。胸も少し熱い。 2017年に初めて出逢ってから、自分はいつもこの目に狂わされていたように思う。 止まったままの腕に、いつの間にか沙羅の手が巻き付いていた。 「ほらほら、ママ。私たち邪魔者は、早い目に出発するからさ。恋愛タイムの続きは、それからどうぞ」 沙羅が微笑んでくる。さらに、反対側から、 「じゃあ、僕たち。速やかに出発するからさ。あとは、パパとよろしくね」 と、ホクトに肩をポンと叩かれた。 え? え? 交互にホクトと沙羅を見るも、当人達はすでに身支度を終え、玄関へと向かっていた。 向かう途中、 「じゃあ、行って来るね、チャミ」 と、二人はそれぞれ、飼いねずみのチャミに声を掛けていく。 ケージの中のチャミは、一瞬きょとんとして、片手を上げる仕種をした。 「ち、ちょっと。ホクト、沙羅……」 つぐみは、椅子から立ち上がった。 慌てて、後を追いかけようとする。 足を踏み出した時、机にエプロンを取られた。 それを外すのに手こずっていると、もうドアは閉まり始めていた。 ぱたぱたと走って、閉まり掛けたドアから半身を乗り出し、つぐみは、通りに出た二人に声をかけた。 「ホクト、沙羅! 気を付けてね! あと、お土産は……好きな物で良いから! 」 ”お土産は、要らないから” と言いかけたのだが、そうとは言えず、咄嗟に出てきた言葉だった。 「心得たでござる! 」 と、おどけて答える沙羅。 「うん、一番好きな物を買ってくるから! 」 と、ホクト。 沙羅が、言葉を付け足してきた。 「ほら、ママ! 早く、家に戻らなきゃ。パパが待ちくたびれるよ! 」 言われた言葉の意味に気づき、つぐみは赤面した。 「こ、こら。人の往来する所で言う言葉じゃ、ないでしょ……」 だが、ごにょごにょとした自分の言葉は、風に流され、白い空にかき消えていく。 「ホクト! 沙羅! あんまり、ママをからかうなよ! 」 唐突に、自分の上からそんな声が響いた。笑いを帯びた声だった。 いつの間にか、武も来ていたのだった。 「後で、俺がフォローに困るんだからな! 」 先の件にも懲りずに、そんな蛇足を付け足す。 だが、その蛇足に他意は感じられなかった。 もしかしたら、これは武なりの照れ隠しなのかもしれない。 つぐみがそんなことを思っていると、武はホクトと沙羅に言葉を続けた。 「お前ら、楽しんで来いよ。目一杯! 」 武は二人にそう言った後、後ろから自分の肩にそっと手を乗せた。 「武……っ」 ちょっと恥らうも、武はそれに構わず、指を前方に向けていた。 「ほら、つぐみ。ホクトと沙羅がこっちを見てるぞ」 見れば、ホクトと沙羅が、手を振ってきていた。 「週末には、帰ってくるからね! 」 そんな声が、小さく聞こえる。 ナップサックを背負った二人は、まだまだ子供のあどけなさを残していた。 が、この世で最も愛すべき存在だった。 近所の手前ということもあり、控えめだったが、つぐみはしっかりと手を振って、二人に応えた。 武と共に、つぐみは手を振りながら、ホクトと沙羅を見送っていた。 愛すべき、夫。 そして、わが子たち。 そう。 たしかに今、自分は幸せなのだ、とつぐみは思った。 居間に戻ってきた。 武の姿が見えない。今し方まで一緒にいたのだが、仕事に行く支度でもし始めたのだろうか? 今し方まで机に乗っていた食膳は、すでにキッチンの洗い場の中にあった。 キッチンを見れば、武は袖をまくって洗物をしているところだった。 「それは、私の方でやっておくから……」 言いかける。が、その口が止まった。 平素ではあまり見かけることのない武の表情に、興味が沸いたからだった。 スポンジの表と裏を器用に使い分けながら、食器を洗っていく。 微細な油汚れも目ざとく見つけては、丹念にそれを洗い落としていく。 ”食器をまともに洗った事なんて、おふくろが盲腸で入院した時くらいだぜ” などと本人は言うが、どう見ても嘘だろう。 武のそれは、長年ずっと洗い物をしていないと身に付かないような洗い方だった。 洗物のすすぎ方。食器の水のかけ方。どれも、ざっとした動作に見えるが、その中にはある種の人間性を垣間見せるものがあった。 雑なようでいて、その実、繊細。 武は、他人に対してもそうだった。一見、無頓着に振る舞っているように見えて、そこには細かい神経が見え隠れしている。 ……武は、自分のことをまず置き、他人との関わりをとにかく大切にしようとする傾向があった。 人は一人では決して生きられない。自分の命は、人と関わり合い、助け合うことで、初めて成り立つことが出来る。 だから、他人を愛しいと思うことが出来るのだ、と。 だから、自分と等しいほどに他人を愛せるのだ、と。 偽善でも欺瞞でもない。それが、武のごく自然な生き方として定着しているのだということを、つぐみは知っていた。 そう、初めて会った2017年の、あの時から……。 キッチンの壁に背を預け、無意識に腕組みをしながら、武を見守る。 そこへ視線が合ってしまった。 武は、ばつの悪そうな表情を一瞬見せた後、 「なんだよ、覗き見はいけないんだぜ。つぐみさん」 と、苦笑いをした。 「堂々と見ることを、覗き見とは言わないわよ。観察と言ってほしいところね」 腕組みをしたまま、答える。 ちょっと、武をつついてみたい衝動に駆られた。 武には、いつも色々な意味で気を揉ませられているので、その意趣返しがしたかったのかもしれない。 「これから、貴方のこと”食器洗い機”と命名していい。武? 」 「せめて、”あらいぐま”にしてくれ」 「なら、私と同じように、着ぐるみを着てくれる? 」 「よせやい」 ぶすっとして、武が答える。見られたくない所を見られ、すねてしまった子供のようだった。 繊細な神経を持っているがために、自分を悟られることを嫌う。そのくせ、それを隠すこともできない。 不器用な生き方だと思った。 同時に、それは自分にも言えることだ、とも思った。 心の中では、誰よりも人との繋がりを求めているのに、行動に出しては、人との繋がりを避けてしまう。かつての自分は、確かにそうだった。今でも、これは大して変わっていない。 そう認めてしまうと、不器用という点では確かに、自分と武は似ているところがあった。同時に、武に対して親しみを感じてしまう。 貴方と私、同じかもしれない……。 「なんだよ、可笑しいか? 」 問われ、我に戻る。 どうやら、自分は笑みを浮かべていたらしい。 いまいち判然としない笑みだったのだろう。なんとなしに不満に思ったのか、武はむくれっ面のままだ。 「あ、ううん。これ、違うのよ」 今度は、本当の笑みを浮かべた。 「ちょっと、可愛いかな、と思っただけ。……今の貴方が」 武は、意表を突かれた表情になり、こちらを向いてきた。 「おいおい、からかってんのか、それ」 武の台詞に、悪戯心めいたものが疼いた。 どうやら、自分に何らかのスイッチが入ってしまったようだった。武の事、もっと深入りしたい……。 「……からかう? じゃあ教えてあげるわ」 武の前に、ついと立ちはだかると、その首に手を掛ける。 思わず後ずさった武に、すかさず足をかけ、つぐみは武を床に押し倒した。 「からかうってのはね、……こういうことを言うのよ」 言うや、武に唇を重ねた。 甘い息が、鼻に当たる。 やがて、唇を離すと、武は観念したようだった。 「やれやれ、よく判りました。つぐみ様」 そうして、武は自分の方から唇を合わせてきた。 武の目が、濃密に自分を欲している。 自分も同じようにして、その目に応じた。 よどんだ空から、わずかに太陽の光が覗いていた。 それは、淡い走査線のように、ブラインドカーテンから漏れてくる。 耳の遠くで、波のさざめく音がしていた。 温かくて深い、生命を育む音が。 その後、武が勤め先の研究所に出かけたのは、結局午後になってからのことだった。 自分から仕掛けてしまったとは言え、事に及んだ後で夫を送り出すのは、なんとも面はゆいものだった。 ”自分はいったい、どんな赤面で武を送り出したのだろうか”、と思う。 武の方も、なるべく自分と視線を合わさないようにしていたところを見ると、やはり恥ずかしかったのだろう。 「じゃあ、つぐみ。行って来るからな」 そう言った時の、武の顔は、わずかに赤らんでいた。 やや、不自然な赤みだとは思ったが、その感覚は武が出ていったのと同時に、頭の外に消えていってしまった。 今し方、武が出ていったドアを、つぐみはじっと見つめていた。 2017年のあの時から、今に至るまでの事が頭に浮かんでくる。 ちょっとした想念に浸ろうとした時、腰の下あたりから音が聞こえた。 音の方向を見ると、それはチャミだった。 ジャンガリアンハムスターだとは思うのだが、未だにその分類を調べたことは無い。また、調べるつもりも無かった。 自分が好きになったのは、あくまでもこのチャミだった。それ以上の事実は要らない。チャミが自分と共に要る、ただそれだけで心は満足を覚えていた。 チャミは、ケージの天井に手をちょこちょこと伸ばしていた。そこによじ登りたいような動作だった。 無垢な本能が、退屈さを訴えている。 「暇になっちゃったね? チャミ」 優しく声を掛けてやりながら、ケージからチャミを取り出す。 小さい生き物は、飼い主の手の中にすっぽりと収まっていた。 人慣れしているので、手の上に置いても、逃げるような素振りひとつしない。チャミは、純朴そうな目を眠そうに細めながら、毛繕いを始めた。 つぐみは、チャミをそっと撫でてやっていた。 チャミとは、もう20年以上もの間、一緒に生きてきた。 20年。そんなに長生きをするハムスターなど、この世のどこにも居ないだろう。 ここにチャミが今も生きている理由は、自分が生き続けている理由と同じだった。 死ねないのだ。自分も。チャミも。 その苦しみを共にしてきたからこそ、自分はチャミをこの上なく大切にしたのだった。 武やホクトや沙羅と同じ、大切な家族として。 これまでもそうであったように。これからもずっと、チャミと自分は一緒に生きるのだろう。 ずっと。ずっと。……永遠に。 |
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