※ 本作は、性的な描写が一部含まれています。ご注意ください。 |
不器用な想い YTYT |
勤め先の研究所に武が着いた時には、午後も1時30分を回っていた。 あらかじめ、遅れる旨は連絡しておいたものの、あの所長のことだった。あれやこれやと、自分の遅刻の理由を詮索しているには違いない。 研究所の所長の名前は、田中優美清春香奈と言う。2017年の、あの事故からの親友だった。 その浮世離れした名前の長さから、武とつぐみは”優”と呼んでいる。もしくは、”春香奈”。 さらに、心の中では”優春”とも、武達は呼んでいた。 娘の名前は、田中優美清秋香奈。だから、娘の方は心の中で”優秋”と呼ぶのだった。 優春の齢は、すでに30も半ばに手が届くところだったが、見かけはそれより、少なくとも10歳は若い。 その理由も、武は知っていた。 優春も、つぐみや自分と同じ、ウィルスのキャリア(感染者)だった。 キュレイ・ウィルス。 このウィルスのキャリアとなった者は、老いることがない。そして、死ぬこともない。 キャリアの遺伝情報を書き換え、免疫力・身体再生能力の超活性化及びテロメアの永久回復などの作用を、肉体にもたらせてしまうウィルス。……それが、つぐみや自分、そして優春に感染していたのだった。 ワクチンは未だ無し。治療法もまた然り。そもそも、その発祥すら、完全には解明されていないウィルスだった。 優春の説明によれば、現在このウィルスのキャリアは、ハイブリッド(混血・亜種)も含め、世界に十数人ほどいるらしい。 いずれの者も、ウィルスの作用によって死ぬことも老いることも無く、それぞれの国の機密機関に監視されている身だと言う。――かつて、つぐみがそうであったように。 研究所の敷地内を歩く。 長い庭園を抜けていった最奥部に、優春の勤める研究室があるのだった。 「ったく。なんだって、こんな奥まった所に研究室を構えたんだか……優の奴」 呟き、毒づきつつ、敷地を歩き続けた。 すでに一年以上働き詰めている研究所の敷地が、今更ながらに広く感じられた。 そして、その広さを自分勝手に非難しながら、歩を進めていく。 「だいたいが、だ。……これだけの敷地を持ってるつうのに、車の送り迎え一つ無いっていうところが、すでにしてエレガントじゃないんだよな……」 「しかし、なんだろうな。……実際あれだ。絶対あれだな。こんなところに研究室を構えているのは、俺への嫌がらせだろう。そうに違いない……」 「そうだ……。元はと言えばアレだ。つぐみの奴が励みすぎたから……いや、途中からのそれは俺が……」 ここから先は、生々しい想像に結びついた。武は、自分で言った内容に赤面してしまった。 それでも、速度は落とさずに歩き続けていく。 歩いていくうちに、非難の内容はさらに支離滅裂さを増した。 「あれ」だの「それ」だの、曖昧な指示代名詞も飛躍的に増え、終いには自分でも訳の判らない内容に、再三陥りかけた。 やがて、研究室の前に辿り着いた時には、全身が汗まみれになっていた。 10月とはいえ、何故これほどまでに汗をかくのか……。 そんなことを考えつつ、武は胸元からセキュリティIDカードを取り出した。 自分のオフィスに着くまでには、セキュリティのチェックエリアを2度抜けねばならなかった。 この研究所のセキュリティIDシステムは、毎回異なる数字列を生成し、所員にその数字列と、通常のパスワードを入力させる仕組みになっている。 要は、数字列とパスワードの二要素で認証することによって、セキュリティの信頼性を上げているという訳だ。 二度目のチェックエリアの空圧ドアを抜ける。更に二つほどドアを抜けたところが、自分のオフィスだった。 オフィスのドアの前に立ったところで、後ろから声が飛んできた。 「倉成ー! 」 文語的にはこうだが、口語的に正しく発音すれば、”くーらーなーりー! ”。不自然きわまるほど、間延びした言い方だった。 そして、こんな言い方で自分を呼ばわる者など、この研究室には一人しかいない。 目を向けるのも面倒げに、武は口を開いた。 「遅刻したのは、まさしく俺の落ち度だが、」 意を決して、当人を見ながら言葉を続ける。「……いい加減、その呼び方やめろって。優」 視線の先には、優……優春……田中優美清春香奈が居た。 栗色の髪が、肩まで掛かっている。自然に伸ばしたような感じなのだが、それが優春の顔の形や身の佇まいとなじんでおり、実に程よい調和を見せていた。 自然体の美人。そんな形容を、俗っぽくもしてしまった。それはすぐに取り下げ、武は目の前の優春を再び見た。 当の優春は腕組みをしたまま、眉をひそめている。 不機嫌も露わに、口を開いてきた。 「貴方の罪業、その一」 それから優春は、型の良い指を一つ武に突き出した。 「まず、遅刻をしたのに、その重大さに気付いていないということね。遅刻をするというのは、その行為以上に人を失望させているのよ。”この人間は約束を守らない”と、そう貴方は見られてしまう訳。そのことは、貴方だけに留まらず、研究所全体の印象にも繋がるのよ。 ”ああ、この研究所は、所員の管理すら出来ていないのか”って、研究所自体がそういう目で見られてしまうの。……倉成は、そのあたりを理解しているわけ? 」 初っ端からの、この長口上だった。武は思わず辟易していた。 平身低頭で、 「耳に痛すぎるくらい理解しております、田中先生」 と詫びを入れるも、そんな武に待っていたのは、次の台詞だった。 「貴方の罪業、その二」 二本目の指を、またも武の前に突き出すと、優春は更に続けて言った。 「遅刻の連絡を怠った、ということ。……遅刻っていうのはね。事前に連絡を入れておくのが、社会人としての常識なのよ。その辺、判っているわよね? 倉成」 そう言って、優春は、故意に語尾の”倉成”を間延びさせた。”くーらーなーりー! ”――例の、不自然極まりない言い方だ。 「連絡は入れたじゃんか……」 「”事前に”、と言ったでしょう! 昼過ぎに、やっと連絡入れてきて、事前も何もあったものじゃないわ! 」 武の言葉を待たず、ついに優春は怒号を返してきた。 反駁の言葉が、完全に仇となっていた。 その後、ゆうに10分以上、武はこってりと絞られ続けた。 オフィスの机に、武はあごを乗せていた。 さんざ説教を食らった後のせいか、荒ぶった神経が中々収まらない。 自業自得なのは重々承知済みなのだが、それでも感情が言うことを聞かないでいた。 頭がゆだっている、と思った。 「畜生……優の奴。今にぎゃふんと言わせてやる。……そうだな。とびっきりの、最大級の、致命的なまでの、ぎゃふんを」 とびっきりのぎゃふん。最大級のぎゃふん。致命的なぎゃふん。 貧相な語彙が、こうも揃い踏みしたものだ。我ながら思わず失笑した。どうやら今日は、ほとほと頭が働かない日らしい。 それでも、優春に任された仕事を始めようと、机からあごを上げた時だった。 「よう、武」 という声が降ってきたのは。 見上げた先には、自分が立っていた。いや、自分とよく似た男が立っていた。 男の名は、桑古木涼権と言う。優春と同じく、2017年の事故からの親友だった。 桑古木も、ウィルスのキャリアであり、年を取らないでいた。もうすでに30を超えている齢だが、容姿はほぼ20才のままだ。 髪の色と目の感じと、たたずまい。自分と桑古木の違いはと言えば、この程度だった。 その桑古木は、懐からテラバイト・ディスクを取り出すと、机の上によこしてきた。 「これ、優の奴からな。……キュレイ・ウィルスの、ウィルス株ごとの症例データ。参考までに、とさ」 そう言った後で、桑古木の口はさらに、 「ご愁傷様だったな」 と続けてきた。 一瞬思考が止まったものの、すぐにそれが、先の優春の事だと思い当たった。 ディスクを指でつまみながら、武は答えた。 「”重役出勤の代償は大きいのだ”と、次は肝に銘じておくことにするさ。……というか、なんでお前が知ってるんだよ? 」 桑古木は、笑って答えた。 「”壁に耳あり、障子に目あり”だよ」 「まあ、あれだけ大声出されりゃ、誰だって気付くけどな」 と、続けながらしかし、桑古木は辺りを見渡していた。 どことなく、落ちつかない視線だった。 桑古木がこんな視線をする時は、大概決まっている。それは……。 「やっほー!! 」 空圧ドアが開くや、特大の声が響いた。 中に入ってきたのは、少女だった。 八神 ココ。……優春や桑古木と同じく、2017年の事故からの親友だった。 いや、親友というよりは、被保護者と言った方が近いかもしれない。当時のココは、中学生にすら見えなかったのだ。 まだ、あどけなさを十分に残しているその二つの瞳は、オフィスの奥にいる武と桑古木を捉えるや、 「あ! たけぴょんに、少ちゃんだ! 」 と続いた後、足音を響かせた。 そうして、ココは、武と桑古木の元に駆け寄ると、 「二人とも、こんにっちゃー!! 」 と、元気いっぱいに弾けたのだった。 そのココの足元では、飼い主に呼応するかのように吠える子犬の姿があった。名前は、ピピという。 普通の犬と見かけ上の判別はつかないが、ピピは機械的な制御で動く電子犬だった。2017年の事故では、このピピの働きも大いに貢献したこともあり、今では武たちの立派な仲間の一員だ。 弄んでいたディスクを、いつの間にか落としていた事に気付く。武は、机の上に落ちたそれを摘み上げながら、ココを見た。 「ああ、こんにっちゃー、だな。ココ」 苦笑いを交える。 そして、ココを頭からつま先まで眺めた後、武は口を開いたのだった。 「……しっかし、毎回毎回思うんだが。……お前のその元気は、一体どこから沸いて出てくるんだ? 」 ココは、自分の胸を誇らしげに反らせてみせた。 「ふふーん。太陽星人のココにとって、元気はムジンゾウなんだよ。たけぴょん」 小さいお尻を軽やかに振りつつ、ココが答える。発展途上の胸が、わずかに躍っていた。 それを見つつ、桑古木が溜息を吐き、口を開いてきた。 「ココ。元気なのは結構なんだが……もう少し、年相応の落ち着きをだな」 だが、言い終える前に、ココはむくれて口を挟んでいた。少し、顔が紅潮してもいる。 「ああ、女の子に、年のことを言ったな〜。……って、ん? 」 ここで、口が一旦止まり、何かを思い出すような目になった。それから、それは意地悪そうな光を帯びて、桑古木を見たのだった。 「でもねぇ。ココ、少ちゃんが、今日遅刻してきた訳を知ってるんだ」 会話が微妙に繋がっていない。が、この際さておき、武はココの言葉に興味を持った。桑古木が遅刻? 武の視線を感じ、ココが武のほうを向いて、言葉を続けた。 「あのねあのね。今日はね、空さんも少ちゃんと一緒に遅刻してきたんだよ。ほいでね、空さん……」 そこまでで、桑古木が割って入ってきた。 顔が高潮している。桑古木は明らかに動揺していた。 「コココ……」 どもりながら、なんとか頭の中をまとめようとしている。 「……悪かった。不用意に年のことを言ったのは、謝る」 ココの肩に手を置き、本気で許しを乞うように、桑古木は言った。 「うんうん。判れば良いのだ〜」 目を閉じつつ、両手を組んで、ココは一人悦に入っていた。 空と一緒に遅刻……。あの空が、そうそう遅刻するとは思えかった。 じゃあ、桑古木もこの自分と同じような理由で、遅刻していたのか? 武は驚きとともに、軽い混乱に陥った。桑古木は、ココ一筋だとばかり思っていたため、よもやその桑古木と空の間にそんな逢瀬があったとは、予想もしていなかったのだ。 哀れな顔をしている桑古木に、どう慰めの言葉をかけてやろうかと思案している時、遠くのほうから声が聞こえた。 「あら、ココちゃん。いつの間に、いらっしゃっていたのですか? 」 桑古木が、飛び上がるような反応をした。 遠くからの声は、先の話に出た……茜ヶ崎 空のものだった。 身に包んだチャイナドレスが、遠目に見て判った。 「あ、空さんだ〜! 」 ココがピピを抱きながら、空のほうへ向かおうとする。 その手を、桑古木が止めた。そして、片手をかざして顔の前に立てた。 ”お願いします”のポーズだった。 「頼む。後生だ。空の前では、今の話は止めてくれ」 「な? な? 」 と、桑古木はココに念を押した。 「う〜ん。少ちゃん、最近ココと遊んでくれないからな〜」 ココが、また意地悪く思案するような目をする。桑古木は、ついに泣きそうな顔になった。 それを見るに及び、ココはにっこりと微笑んだ。 「うそうそ。空さんには、内緒の内緒にしておくからね」 「えへへ、からかってごめんね。少ちゃん」 と、ベロを出す。 絶対言わないよ、と一言付け加える。 ココの胸にすっぽりと収まったピピが、飼い主の言を保証するかのように、わん、と一つ吠えた。 「ほいじゃ、また後でね! 少ちゃん、たけぴょん」 そうして、ココは空の元へ走り寄っていくのだった。 「正に、”壁に耳あり、障子に目あり”だな」 桑古木の肩を叩きながら、武はそう言ってやった。 PDAを握ったまま、優春は虚空に目を向けていた。 何度も使おうとしては躊躇し、躊躇をしてはまた使おうとし、しまいには途方にくれてしまっていた優春だった。 秋の陽差しが、机を柔らかく射る。遠くからは、所員らの声や噴水の音が聞こえた。 だが、そんな憩いの音さえ、胸に止まることは無かった。 優春は、深いため息を一つ付くと、意を固めた。 PDAを開けると、ボタンを押し始めた。 呼び出し音は数度ほど鳴り、やがてプツリというノイズが走った後 《はい、田中です》 という、優秋の声に変わった。 「おはよう、ユウ。調子はどう。そっちの生活にはもう慣れた? 」 しばらくの沈黙の後、優秋の声が返った。 《ええ、特に問題は無しよ。お母さんの方も、相変わらずかな? 」 「……そうね。相も変わらず、深窓の所長生活よ」 優秋の声の向こうでは、何人かの声が聞こえていた。学生仲間だろうか、とちらりと思ったが、優春は言葉を続けた。 「ところで、貴方。合宿の後で、こっちに帰って来る予定は無い? 」 先よりも長い沈黙が流れた。ややあって、優秋が返事をよこした。 《ごめん。お母さん、しばらくそっちには戻れそうにも無いわ》 優秋の答えは、あらかじめ予想していたものだった。期待を裏切られることは、それなりに慣れてはいる。もともと、半分は諦めの心境で聞いた言葉だった。 優春は、続けて言った。 「別に貴方が謝る事ではないのよ。貴方は貴方のしたい勉強を、最優先させれば良いのだから」 《でも……》 「それから、」 と、優春は机上の写真を手に取りつつ、言葉を続けた。 「もし、謝るべき事情があるのなら、それは私にではなくホクトに向けるべきものでしょう」 貴方達ちゃんと連絡は取り合ってるの? と、優春は聞いた。 余計な世話だとは思いつつも、つい口から出てしまった言葉だった。 優秋は少し、むくれたような返事をした。 《当然連絡は取ってるわ。この間の日曜日にも会ったばかりだし》 優秋の向こうでしていた人の声が、今は無かった。どうやら、優秋は人気の無いところへ場所を移したのだろう。 声は続いた。 《で、お母さんが今電話をかけてきた理由は、それだけ? 》 それだけ……? 一瞬、神経が激しかけた。それは間一髪で抑えたものの、腹の中には収まりの付かない思いが疼いた。それだけ……? 自分の先の台詞に対する意趣晴らしの意味もあるのだろうが、それでも、優秋の言葉はこの時、優春には堪えた。 神経を更に鎮めるために、一度深く息を呑む。 優春は沈黙を少し続けた後、「……ええ、それだけよ」と、口を開いた。 間髪入れずに、優秋の声がした。 《お母さん、ごめん。次の講習があって、これから行かなくちゃならないのよ》 今日の夜にでもかけ直すから、と言って、優秋の声は一方的に途切れてしまった。 後には、電子音だけが続いた。 その音を聞きながら、優春は言い知れぬ居所の無さを感じていた。 自分は、明らかに優秋に避けられていた。いや、避けられているというよりは距離を置かれていた。 昔から、なんとなしに気付いていたことでもあり、今更ながらという思いもあったのだが、現にこうして明確な態度で示されてしまうと、その都度やり切れなさを感じるのは抑え難かった。 そして、それに何も出来ずにいる自分が、少し惨めだった。 優秋に対して、自分は確かに負い目があった。その負い目のために、自分は優秋へいつも最大限の遠慮をしてきたのだが、それはどうやら過ちだったのかもしれない。 そんな事を思う一方で、けれども、と優春は考えた。 けれども、自分が過去に優秋にした罪を思えば、今の優秋の態度も、そのささやかな復讐とも受け取れるのだった。 自分が優秋にした罪。それを思うと、自分の受ける仕打ちは全て正当の物と受け止めざるを得ず、優春は出口の無い煩悶に駆られた。 手にしていた写真が、わずかに震えていた。 優秋の子供の頃に撮った、古ぼけた写真。自分と幼い優秋が、共にその中で笑みを輝かせていた。二人だけがその中にいた。笑っていた……。 その笑みが、自分の目の中でじわりとくすんだ。 頭を降り、指で涙を拭いた。 写真を元の場所へ戻した後、優春は何度目かの深い息を吐いた。おそらく、優秋は今夜も電話をよこしては来ないだろう。 そんな諦観も、もはや馴染みのものなってしまっている自分に気付き、優春はいっそう深い孤独感に漂うのだった。 遠くからは、所員らの声や噴水の音が、再び聞こえていた。 その声や音から、何故か、波のさざめきを連想した。そして、そこから、かつての場所を想い起こした。 2017年……LeMU。 優春は短い間、その追憶に思いを馳せた。 |
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