※ 本作は、性的な描写が一部含まれています。ご注意ください。








不器用な想い
                              YTYT 

3話



先週末に採集したデータを、順次整理していく。
休憩の時間ではあったが、そのつもりは無かった。
今日の大遅刻の分も、取り戻さなければならない。長残業は必至だった。家に帰る頃は、きっと日付が変わっていることだろう。
つぐみの鬼相が頭をよぎる。心の中で謝ろうとしたが、思い止まった。考えてみれば、原因はあいつにもある。
だが、虚勢をはるも、心はやはり落ち着かなかった。
結局、”帰りは、メイブルでも買ってやるからな”と心の中で独語し、形ばかりの免罪符を一つ作ることで、武は心の動揺を遠ざけたのだった。
頭を振って、作業へ頭を戻すと、武はデータベースへの入力作業を始めた。
キュレイ・ウィルスの産生蛋白の分布。発症の分子構造モデリング。環境変化に伴う、塩基組成の変異方向の統計データ。等々……。この研究所に勤めはじめてから一年と経っていない武には、これは未だピンと来ないデータだった。
しかも、ついこの間まで、自分はしがない一学生だった。17年間もハイバネーション(人工冬眠療法)で眠っていた自分は、ここ半年間、浦島太郎の心境だったのだ。
それでも、日夜独学を続けた結果、とりあえず個々のデータが何を意味しているかについてまでは、おぼろげに判るようにはなってきていた。
”聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥”。
そんな精神で、優春や桑古木の手の空いた時間を見計らっては、武は聞きに行った。
文字通り、恥も外聞も無かった。深夜、休日に、優春や桑古木の家にまで押し掛けたことも、一度や二度ではない。
「所帯を持つと人は変わるって言うけれど、貴方を見ていると、本当にそう思うわ」 
呆れ半分、感心半分で、優春に言われた台詞が、これだった。
先に桑古木からもらったディスクの事を思い出し、自分のコンピュータにインストールする。これも、勉強用資料の一つだった。
インストールの進行状態を示すインジケータが、有機ELディスプレイに映し出されていた。
コーヒーを啜りつつ、それを眺めていたところへ、インターホンが響いた。
受話器を上げる。
《倉成、手は空けられそう? 》
予想はしていたが、電話は優春からだった。
苛立ったような声をしていた。元来、多忙の優春が電話をかけてくる場合、機嫌の如何に寄らず、たいがい語調はこんな感じだったが。
短く考えた後、「ああ、空けられるぞ」 と、武は答えた。
《ココの検査は終わったから。十分ほどしたら、倉成もドックへ入って》
PDAを尻ポケットから取り出した。時刻は、”16:17”だった。
武を含め、2017年のあの事故に関係した面々は、定期検査を受け続けていた。ホクトや沙羅、優秋もまた然りだった。
理由はひとえに、武達がキュレイ・ウィルスに関係していることに尽きるのだが、殊に武とココの二人に対しては、優春は入念に検査を行った。
キュレイ・ウィルス感染後に、ハイバネーションに入ったキャリアは、世界にも他に例が無い。
自分の研究所に勤めるよう、優春が武を誘ってきたのは、おそらくこのためではないか――。つぐみなどは、一時そう訝っていたものだった。
そして現在、武達の誰にも異変は確認されていない。
「ん、判った。……で、ココの検査結果は、どうだったよ? 」
武の問いに、数秒ほどの沈黙が流れた。その後、
《問題は特に無し、よ》
という声が返ってきた。
”特に無し”。優春の言葉が、ちょっと引っかかった。
が、それについて言及するよりも早く、
《結果については、追って説明できると思うから》 という言葉が続いた。
読まれてたのかな、と武は思った。
《それから、》 優春の言葉が続く。
ちょっとした間を置いてから、優春は、
《……もう、台風は本土を過ぎて、熱帯低気圧に変わったみたいよ》
と、突然話題を転じたのだった。
一瞬、ついていけずに聞き返そうとしたが、
《ホクトと沙羅も、これで一安心したかしらね? 》 という優春の一言で、頭が止まった。
「は、ん? 」
意味不明な言葉が口をついて出た後、ややあって、武は「あ、ああ」と鈍い答え方をした。
「ああ、……そうか、そうか。それなら、な。あいつらも心置きなく、修学旅行を満喫できるってもんだろう」
椅子に深く腰をかけ直しながら、続ける。
「そう言えば、秋香奈の奴も、同じ日からゼミの秋期合宿があるんだったよな? 」
秋香奈……または、優秋。優の子供であり、妹でもあり、クローンでもある愛娘の名を、武は出した。
優秋もすでに大学生だった。遠方の大学に転入したために、今は優春の元を離れている。
その優秋は、ホクトと恋仲になっており、月に二度ほどの逢瀬を交わしているのだった。いわゆる、遠距離恋愛という奴だ。
そんな事情もあってか、優秋の大学の転入には、武はちょっと苦言をしたことがあった。
「距離が遠くなると、二人は何かと不便だろう。”体の距離が離れると、心の距離も離れる”と言うしな。だから、もう少し近場の大学を検討してみてもいいじゃないか」 と。
だが、当人も思い悩んだ末の選択なのだろう。さらには、優春も「娘が自分で決めたことだから」と、妙にあっさりした譲歩を見せたために、武としてはこれ以上口を挟めず、今に至るという訳だった。
受話器からは、ちょっと何かを思い出しているような反応が返った。
《そうだったわね。……あの娘、未だに私に対してわだかまりがあるみたいだから、特に何も聞かされなかったわ。今回の合宿も、ホクトから聞かされて、初めて知ったくらいだし》
トーンの落ちた声だった。自分の娘に対する優春の負い目は、そこから察することが出来た。
自分の遺伝子を遺すために、自分の細胞核を己が子宮に着床させ、身籠もり、出産した我が娘……優秋に対する、優春のそれは、正に負い目と呼ぶものだった。
自分の妹であり、クローンでもある我が娘を、心から娘と呼ぶことが出来ない。愛しているのに、心から娘と呼ぶことが出来ない。
また、それは娘の優秋とて同じ事だった。当人もまた、優春と同じジレンマを抱えているだろう。
更に、武とココを助けるべく企てた2034年の事故計画のために、優春は優秋をずっと騙し続けていた。
計画は成功し、武とココは救われたものの、事実を知った優秋の心には、母である優春に対する不信感が残された。
現在に至ってもなお、その不信感は武の見る限り、拭われているとは言い難い状況だった。
優春は、優秋に対する負い目から、その優秋に遠慮をしている。
優秋は、優春に対する不信感から、その優春に距離を置いている。
本来は、長い歳月をかけて徐々に埋めていかなければならない溝はかくして、深い溝のまま、優春と優秋の間に残されたのだった。
その原因の一端となった者として、武はそれをなんとかしたいと思った。
他人の家族の事情に干渉するのは、間違っているかもしれない。行き過ぎかもしれない。だが、自分にとって、優春は他人ではない。旧友であり恩人であり、同じウィルスのキャリアとして苦悩する者だった。
ならば、自分にはすべきことがあるのではないか。優春とその娘の優秋のために、自分は人としてすべきことがあるのではないか。そう、武は思った。
だが、そのためには、具体的にどうすれば良いのか皆目判らず、武は思うように口が出てこなかった。
そうこうしている内に、優春の声がした。
《で、ホクトと沙羅は、どのくらいの間行っているの? 修学旅行は》
「ああ……」
と答えかけ、考えて思い出した後、武は言葉を続けた。 「……5日ほど、だったかな」
《ふうん。そうすると、今週の金曜日には戻ってくるわけね》
「そうなるな。週末には、小うるさい日々がまた戻ってくるわけだ。ま、それまでは、せいぜいぬるい生活を送らせてもらうけどな」
己の悲しい性かな、二言目には軽口が出てきてしまう。喋っているうちに、なんとか先の考えをまとめようと、武は努めた。
冷めたコーヒーを一啜りする。
が、そこへさらに冷や水でもかけるように、優春が言った。
《そうねえ。それなら、倉成も心置きなく、長残業出来るってものでしょう。……つぐみには夜の我慢をさせちゃうけれどね》
コーヒーを吹きこぼした。
受話器の向こうからは、優春の笑い声が聞こえた。
「な、ふざけんなよ、優! お、前! 」
むせる。指や袖に付いた、コーヒーのしずくをはたきながら、武は怒った。
笑いをおさえるのに一苦労、といった体で優春の声が返ってきた。
《ま、あ。服でも乾かしてから、検査のドックへ来い、なさいよ、武。とりあえず、桑古木には、ちょっと遅れそうだ、と言ってお、くから……》
「ったり前じゃんかよ! 行けるか、こんなんで! 馬鹿! 」
耳の向こうで、今度こそ強烈な笑いが吹き出していた。
ややあって音声は途切れ、ツーという電子音だけが響いた。
それを聞きながら、自分が良いように遊ばれている感覚を味わった。
優春のために為すべきことを考えていた自分が、まるで道化みたいに思えてきた。
受話器を投げつけてやろうかという衝動に駆られるも、それはそれで惨めであり、すんでのところで武は自制した。
コーヒーでまみれた、指や袖。そして、ディスプレイを忌々しく見つめる。
だが、やがて、それは苦笑いになり、そのまま本物の笑いへと変わっていった。


L-MRIのカプセルから起き上がると、少し肌寒さを感じた。
結局、コーヒーをこぼした服と肌着は、中々乾かなかった。
そして、痺れを切らした武は、上半身裸のまま、ドックまで歩いてきたのだった。
検査中にやっと乾いた肌着に、手を掛ける。
武は口を開いた。
「桑古木、あと悪いが、検査データの転送よろしくな」
桑古木は、こちらに意味ありげな一瞥をよこすと、「OK」 と短く答えを返した。
それから、躊躇した後、「武、」と付け加えてくる。
肌着を袖に通しながら、武は言った。 
「ん? なんだよ」 
「……さっきの話なんだが」
さっきの話? 心の中で反芻する。
ああ、と思い当たったところで、桑古木は言葉を続けてきた。
「勘違いするな、と言っても難しい注文だろうが……。俺と空とは、何もないぞ。今朝の遅刻は偶然だからな」
ココの話を思い出す。考えてみれば、ココは「桑古木と空が一緒に遅刻してきた」 と言っていただけなのだ。
それを、一夜の逢瀬と短絡していたのは、自分の方だった。
桑古木はさらに続けた。
「遅刻は、台風の影響で道路が渋滞してたからだし……なにより……俺はな」
ここで、桑古木は口ごもった。
桑古木の動揺や狼狽を、武は2017年の時と重ねていた。どんなに自分と似てはいても、こうして見る桑古木は、あくまでも”あの時の少年”なのだった。
そして、桑古木は今も、ココを想っている。想い続けている。
その心境を、武は一人の男として忖度した。
「判ってるよ、桑古木」
武は桑古木の肩に手を置き、はっきりと言った。
「お前は今でも、ココに惚れてる。……それだけで十分だろ? 」
「俺は、お前を詮索なんてしないさ」 と、微笑んでみせる。
口を開き掛けたまま、桑古木は固まっていた。
やがて、思い出したように瞬きをする。桑古木はうつむいた。
苦笑いを天井に向け、「そうか……お見通しだったか」 と呟き、桑古木は武に視線を戻した。
そうして、桑古木は
「……ああ。たしかに、それで十分だ」
と、言ったのだった。
何かの天啓を得たような、晴れ晴れしい笑みを浮かべて。




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