※ 本作は、性的な描写が一部含まれています。ご注意ください。 |
不器用な想い YTYT |
買って来た食材を、冷蔵庫の中に入れていく。 つぐみは額を拭った。 今日は、分厚い日傘を持ち歩く必要が無かったため、思いのほか奮発して買い物をしてしまっていた。 武は、ああ見えて、なかなか細かかった。消費期限の迫った物はすぐにチェックし、早め早めに食材に当ててしまう。 余計な物は買わない。買った物は、無駄なく使い切る。そのためか、冷蔵庫には、いつもある程度のスペースが残っているのだった。 買いすぎた食材をすべて入れてなお、少し余裕のある冷蔵庫を見ながら、つぐみはちょっと感心していた。 「これからは、馬鹿と呼ぶのを少し控えた方が良いかもね……」 独りごちる。 だが、あんまり武に家事を引き受けられると、ホクトや沙羅がずぼらになってしまうのでは、という危惧も一方では働いていた。 ホクトや沙羅にとって、武は確かに必要な存在だった。 が、同時に、二人には早く自立をしてほしい、という思いも強くある。 それでいながら、いつまでも自分の側に置いておきたい思いも分かち難くあり、つぐみとしては複雑至極な心境だった。 ホクトには今、優秋がいる。だが、沙羅はどうだろうか? これには、つぐみはちょっとした懸念があった。 親のひいき目を除いてみても、沙羅の容姿は劣等感とは縁遠いものだった。街角を歩けば、年頃の男の子は何人か振り向くかもしれない。 けれども、プライドの高さや小生意気さをうかがわせる外面の中に、生来の寂しがり屋の気質も宿している沙羅は、将来的に何らかのトラブルを背負い込む可能性が多少なりともあると思えた。 良い人が見つかれば良いと思うのだが、それは必ずしも望んで得られるものではない。気まぐれな運も、かなり関係してくる。そう、自分と武の出会いが、単なる偶然から始まったように。 そうであっても、いつかは二人を送り出さなければならない立場にいるのだが、自分はそれを受け入れる準備も心構えも、何も出来ていない。 その辺りを含めて、武と話し合わなければならないことは、常々思っている。が、武の方はその辺りをどう思っているのか、いまいち踏み込めずにいた。 ホクトと沙羅の修学旅行というこのタイミングは、正に千載一遇の機会と言えるのだが、どうにも気が重い。 武は武で多忙であり、今週もおそらく帰りは遅いのだろう。まあ、今日のところの原因は自分にあるのだが……。 どうやって、話を切り出そうか。そわそわと考え始めた。 夕食の会話の中で、自然に出した方が良いのだろうか? それとも、翌朝が良いのだろうか? けれど、いずれのタイミングで切り出しても、武には負担を強いるだろうし……。 そんな事を考えていると、自分も所帯を持つ者になったのだな、と改めて思う。 結局つぐみは、”今週中のどこかで武と相談する”という曖昧な決意を自分自身にさせることで、心にひとまずの区切りをつけたのだった。 冷蔵庫のドアを、開けっ放しにしていたことに気付いた。 そのドアを閉じ、自分の雑念もひとまず閉じ、つぐみは自室へと向かった。 自室……とはいえ、それは武との共同部屋なのだが……そこは自分の仕事場でもあった。 在宅勤務のデータベース処理。それが自分の仕事だった。 キュレイ・ウィルスの細胞変性効果によってp53遺伝子が機能せず、日の光の下で活動できない自分に、昼間の業務は不可能だった。 とはいえ、一年前までは学生の身だった武に、家計の全てを背負わせることは出来ない。 色々と求職用のwebページを巡り、また人づてに当たって、ようやく見つけてきたものが、この業務だったのだ。 幸いなことに、コンピュータの関連分野については沙羅が精通していた。 WINDOWS時代のOSを扱った業務なら、まだ自分にも十分こなせると思う。だが、今の主流は量子コンピュータ用OSであり、これについては、つぐみは素人に毛の生えたようなものだった。 それでも、沙羅などは、 「大丈夫、大丈夫。どうせ、今はまだ OS の過渡期だから、ママの知識はまだまだ使えるよ。なんたって、ママは昔、LeMUのコンピュータにハッキングしてたんだから」 などと言い、休日や祭日には、自分の仕事につき合ってくれていた。 武やホクトも、手の空いた時にはいろいろと協力してくれたこともあり、どうにかこうにか、仕事としてやっていけそうな感触をつかめたのが、つい最近のことだった。 実際に沙羅の言ったとおり、どうやら、個人企業などではOS移行がまだ進んでおらず、データの整理に追われているところも多かったようだ。今現在も、仕事の大半は、OS移行に伴う簡単なデータ整理作業だったため、特に困難だと思うような仕事も無かった。 コンピュータを起動する。 OSのローディング中に、何か済ませられる家事は無いか、思案を巡らせた。 キーボードの傍らのビール缶が、目に付く。中身はほぼ空だった。 昨夜に武が飲んでいたのだろう。自分も少しつき合ったのだが、結局、自分は途中で寝てしまっていたような覚えがある。 それから一旦起きたものの、修学旅行を控えて夜中まではしゃいでいた、ホクトと沙羅をたしなめていて……。 考えながらも、手を動かしていた。 缶を掴んで、分別ごみ用のボックスへと向かう。 手を離し掛けたところで、不意に何かに気づいた。 指に、血が付いていた。 半乾きの血だった。 反射的に、指を離してしまっていた。 缶がボックスの縁で弾かれて、フローリングに落ちる。血の飛沫がフローリングを汚した。 それを拭き取るため、つぐみは少し慌てて洗面台へ向かった。 血などは見慣れている。 だが、”自分がウィルスのキャリアである”という事が、出血に対して自分を神経質にさせていた。自分の血から、武はウィルスに感染したのだ。 雑巾を探すが、こんな時に限って見つからない。ホクトの靴下の片割れが、洗面台の隅から見えた。 だらしない子、と苦笑いしつつ独語するも、その口を止める。靴下の奥に、雑巾があった。 靴下と一緒に、それを掴んだ。 居間に戻ろうとしたところで、つぐみは足を止めた。 自分の指に、痛みが全くないことに気づいたからだった。 手にしていた雑巾で、指を拭いた。指に付いていた血は、完全に拭き取れていた。些細な切り傷も見あたらない。 自分が指を怪我したのだ、と思い込んでいたばかりに、つぐみとしては拍子抜けする思いだった。 では、この血は一体……。 指を眺めていると、OSの起動音楽が聞こえてきた。 見れば、有機ELディスプレイには、OSのメインメニューが映し出されていた。 すぐ仕事を始める気には、なれなかった。 フローリングに転がっているビール缶が、歪な光を弾いていた。 その光に、何かしら嫌な予感を覚え、つぐみは、自分の私物の入ったタンスへと向かった。 引き出しの中から、PDAを取り出した。 しばしの間、ためらった後、つぐみはPDAの電源を入れた。 ドックで桑古木と別れた後、武は優春の所長室へと向かう所だった。 総ガラス張りの天井は、夕陽で赤々としていた。 台風一過にふさわしい晴れ晴れしさに、心がほんのりと躍る。 夕焼け小焼けのぉ〜、と、そんな鼻歌を漏らしながら、研究所の廊下を歩いていく。 検査データは、すでに優春の元に送られているはずであり、あとは、自分の検査結果を聞くだけだった。 検査結果に問題が無かったら、どういうふうに毒づいてやろうか。からかってやろうか。 短い間に、様々な雑言が頭を駆け抜ける。先のコーヒーの意趣返しもあってか、その想像はかなり陰険で愉しいものになった。 所長室の、セキュリティドアの前に立った。 優春の所長室には、もう一つのチェックエリアが設けられている。 IDカードを入れ、パスワードを入力し、指紋・虹彩を照合させた。 "check ok(照合完了)” というメッセージ画面と共に、エリアを隔てていたドアが動いた。 中に入る。 ソファに深く腰をかけたまま、優春はMRIの画像に目を落としていた。 こちらに気付くと、優春は顔を上げた。 「ご苦労様、倉成」 言った後、優春はさらに、 「検査結果はココと同様。問題は特に無し、よ」と付け加えた。 ”問題は特に無し”……。 冗句を言いかけた口が、止まった。 その言葉に、武はまたも引っかかっていた。 ”特に”という言葉に対してなのか? それとも、その言葉を含めた台詞全体に対してなのか? それとも、優春自身が、その言葉に何かを匂わせているのか? そう考えたが、どれもが曖昧すぎる理由だった。 もともと、衝動として沸き起こるものというのは、出所の曖昧な物であり、理由など付けられはしないのだろう。そんな、ありきたりな答えをひとまず出すことで、動揺を隠す。 武は優春に言った。 「ああ……サンキュー。俺もココも、元気のげの字か」 調子の乗らない軽口だったが、優春は 「元気のげの字というよりは、元気のげ印、の方が語呂は良いかな。私としては、そっちの方をプッシュしたいわね」 と、笑みを返した。 だが、その笑みを消しては、 「倉成。さっき、”追って説明する”と言ったことだけど……」 と言い、優春はこう続けてきた。 「聞く勇気はある? 」 |
あとがき どうもすみません。4話目にして、突然あとがきを書いている、YTYTです。 ここまで読んでいただいた全ての方、およびこの作品を掲載していただいた明様には、感謝の気持ちで一杯です。 作品の方は、かなりの長丁場になります。 二次創作という物を書くのは初めてで、しかも殆ど短編しか書いたことが無く、至らない点が多々あると思いますが、 しばらくお付き合いいただければ、と願っています。 あと冒頭で、「性的な描写が〜」云々とあるのですが、いつもそれがあるわけではなく、 またそこまで露骨な描写という訳では無いので……ご安心(?)ください。 それでは、この辺りで。ご感想等をいただけると、大変嬉しく思います。 |
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