※ 本作は、性的な描写が一部含まれています。ご注意ください。








不器用な想い
                              YTYT 

5話



優春の目が、真っ直ぐに自分を見つめていた。
聞く、覚悟……?
「なんだよ、それ? 」
そう言ったつもりだが、言葉が上手く出てこなかった。
伝わらなかったのかと思い、もう一度口を開き掛けたところへ、優春の返答があった。
「言葉通りよ。聞く勇気があるかどうかを、貴方に聞いているの」
「聞くか、って言われりゃ、そりゃ聞くが……」
言ったきり、口は止まってしまった。
明らかに動揺している自分がいた。この場で何故、自分がこんな事を聞かれければならないのだろう。
判らない。判らないのは、この目の前にいる優春もだった。優春は、何を意図して、こんな質問を自分にしてくるのだろう。
判らなかった。判っているのは、問われている自分がここに居て、問うている優春がここに居るという事実だけだった。
優春もまた、黙したままだった。
が、ややあって、曖昧な笑みを浮かべながら、優春は言った。
「いや、ごめんなさい。倉成……これは私自身に向けた問いでもあるのよ。私の場合は、”貴方に聞かせる勇気があるか”という問いだけれどね」
ため息を吐いた後、優春の言葉は続いた。
「……免疫力・身体再生能力の活性化。テロメアの永久回復。これらの機能に、異常は無し。貴方もココも、私たちと同様に立派なキュレイ・キャリアだわ。今回の検査結果は、それをすべて示している。
キュレイ・ウィルスの抗原抗体反応も陽性。p53遺伝子・bcl-2遺伝子なども、ともに機能は不全。
どこに出しても恥ずかしくない、貴方達はキュレイ・キャリアよ」
じゃあ何が問題なんだ、という言葉を、武は控えた。おそらく、この話は、まだ核心にまで及んでいないのだろう。優春の表情からは、それが見て取れた。
「……ok、優。そいつのところは理解した」 とだけ言い、武は黙した。
先を促されている、と洞察したのか、優春は感心したように言った。
「倉成って、昔からそうだったよね。馬鹿なようでいて、察するべき所は察しているところが」
それから、優春は一瞬、遠くを眺めるような目になった。
過去の追憶に触れている時の優春は、時折、少女のような表情を覗かせてくる。……2017年のあの頃のように。
だが、今の優春は、どこかに危うさがあった。
ともすれば崩れ落ちてしまいそうな、危うさだった。
頭を軽く振り、優春は武に目を戻した。
そうして、こう言ったのだった。
「貴方とココの免疫系の機能が、わずかに活性化しているのよ。私たちよりも更にね。おそらくは、あのつぐみよりも……」
免疫機能が、……わずかに活性化している? 
言いかけたものの、何故か、この時くしゃみが出た。
鼻を押さえ、「悪りい」と謝りながらも、心の中では混乱していた。機能が向上……?
優春に向き直る途中で、かすかに息を飲んだ後、武は言った。
「それだと、何だ? ……何か、都合が悪いのかよ? 」
「悪くはないわ」 優春は即答した。
即答してから少し考える目になる。それから優春は、「ない、と思う……」と言葉を濁した。
「でも……それが果たして、本当に悪くないことなのかどうか、判りかねているのよ。この事が、一体何を意味しているのか、私はまだ掴みきれていない」
短い沈黙が流れた。
武は、優春を見ながら、掛けてやる言葉の無さに当惑していた。
自分がハイバネーションから目を覚ましたのは、去年のことだ。だが、自分の眠っていた間には、17年という歳月が経っている。優春が送ってきたその17年が、如何に重いものであったのか、自分には漠然としか理解できない。その事が、当惑に更に拍車をかけていた。
優春が送ってきた17年。
自分が失っていた17年。
その差違は、今はっきりとした溝となって、自分と優春の間に横たわっていた。
やがて、優春は武にこんなことを言い始めた。
「倉成。……私たちは今、何一つ正しいと言いきれる物の無い、不確かな世界のただ中にいるのよ」
そうして下を向き、言葉を続けた。
「時は絶えること無く流れ、細胞は分裂し、劣化し、確実に死に向けて一歩一歩歩んでいる。 でも、私たちの存在は、この定めを無視しているの。……否定しているの。
生まれてきたものは、必ず死ぬ。……この世の中で、およそ唯一、確かであったはずの理。これでさえ、今は私の中であやふやになっている」
優春の表情に、一層の影が降りた。
「私には、何一つ確かな物が無い。何一つ認められる物が無い。何一つ信じられる物が無いの……」
目を落としたまま、優春の狭い肩がわずかに震えていた。
崩すまいとしているものが、音もなく崩れていく。そんな予感があった。
一瞬ためらったものの、武は優春を抱き寄せていた。
「大丈夫だ。……お前は、ここにいる」
優春の髪から、芳香が漏れてきた。
かすかな吐息が、優春から聞こえた。
白衣越しから、優春の温もりを感じた。……息吹を感じた。……命を感じた。
その身の一切を包みこむように、武は優春を抱いていた。
それから、先に自分の中で考えていた事を思い出した。優春のために言ってやれることを、伝えてやれる思いを、武は思い出したのだった。
ゆっくりと、はっきりと、武は言葉に出した。
一語一語、心を込めて言った。
「確かな物はある。今、ここにある。……ここで今、寄り添っている、お前と……そして、俺だ。
こうして、苦しんで、苦しんで……それでも、死ねないことにもがく俺達は、こうして今も、”生きている”。
死ねない、て……辛いよな。生きることさえ、こんなに辛いのに。
だけど、そこから、目を逸らすことも出来る。誤魔化すことだって出来る。考えることを止めてしまえばいいのだから。
……けれども、お前はそうしなかった。そうする道を、お前は選ばなかった。
どんなに辛くとも……そこから逃げずに踏みとどまる道を選んで、お前は生きてきたんだろう。
それは、それだけは、お前の言う”確かな物”じゃないのか? 」
「倉成……」
優春の言葉は震えていた。
その震えを包み込むように、武は微笑んだ。
「生きるが故につきまとう、この苦しみは、果てのない”苦痛”ではなくって……果ての無い”問いかけ”なのかもしれない。
それが、どんなに残酷な問いかけであろうと……そこから逃げずに、踏みとどまる道をお前は選んだ。その生き方を、その選択を……優。お前は、誇っていいと思う」
武は、優春を真っ直ぐに見た。
神や自然や道徳に背き、クローンとして優秋を生んだことを、優春は未だに負い目として感じていた。
そして、そのことが今も、優春の心の何処かに陰を落としていることを、武は知っていた。
神や自然や道徳に背いた自分は、今また、この世の定めにも背いている。
それでもなお、この不確かな世界で生きていくしかない自分を、優春は心の底で呪い、苦悩し、煩悶していたのだろう。
だが、それは違うのだ、ということを、武はこの場で伝えたかった。
お前は決して、神にも何者にも背いていないのだと言うことを。
あの優秋は、お前が心から望んだからこそ、生まれてきた子なのだ、ということを。
そして、神に心から祝福されて、生まれてきた子なのだ、ということを。
だから、お前が業を背負わなければならない理由や道理など、何処にも無いのだ、ということを……。
「……いい、だなんて」
優春は、掠れた声を上げた。
「……誇っていい、だなんて」
掠れた声は、はっきりと聞こえるにつれ、涙声に変わっていった。「誇っていい、だなんて……! 」
涙声は、武の腕の中で、不意に跳ね上がった。
「無責任なこと、……言わないでよ! 私の気も知らないで! ……貴方がいない間、私がどれだけ孤独だったか、判る!? どれだけ苦しんだか、判る!? どれだけ怖かったか、判る!? 
私は、ひたすら、……ひたすら、貴方とココを待っていたのよ! そのために、ただずっと、賭けをし続けてきたのよ! 
そのために、手を汚したわ! 罪も重ねたわ! でも、ただ、それだけの存在……それだけの人生だったのよ、私……! 
それを誇っていい、だなんて……無責任なこと言わないでよ! 」
優春の目から、大粒の涙がこぼれ出ていた。後から……後から……。
一度あふれ出たなら止まらない、それは感情の奔流そのものだった。
そして、優春は顔をうずめ、武の胸で号泣したのだった。
身じろぎもせず、一言も発せず、武はただ優春を受け入れていた。
優春の声を。
優春の涙を。
優春の傷を。
優春の心を。
全てを受け入れていた。
優春が今まで、その身と心に受けてきた傷や孤独の重さを、武は黙って受け入れていた。
「ごめん、なさい……ごめん……倉成、ごめんなさ、い……」
泣きじゃくりながら、時折漏れる優春の言葉。
その言葉は、自分に向けられたものだけではないのだろう。優春のそれは、自分の関わってきた世界とその世界に居合わせた者達全てに対して向けられた懺悔だったのかもしれない。
そして、それも、武はただ黙って受け入れたのだった。

どのくらい、そうして触れ合っていたのか判らない。
何十分か、何時間か。あるいは、数分もしない時間だったのかもしれない。
どちらともなく、武と優春は体を離しあった。
「倉成……。連絡、入ってるわよ」
「ああ。判ってたけどな」
こんな状況じゃ出られんだろ、と武は苦笑いを向けた。
優春も、ちょっとぎこちない笑みを返す。
PDAからのメール受信通知だった。
つぐみか、ホクトか、沙羅か……。
まあ十中八九つぐみだろう、と予想しながら、PDAを取り出す。
今の件もあり、良心の呵責を感じながらも、パネルを開いた。
やはり、送信はつぐみからのものだった。
《ごめんなさい、仕事中だったでしょう。ちょっと、気になることがあって、……今夜大丈夫? 》
パネルを閉じながら、ちらりと考える。気になること……か。何だろう。
つぐみは、十分に神経質な性向の持ち主だったが、十二分にそのことを自覚している人間でもあった。
気になる事を、つぐみが表に出す時には、その理由はそれなりの重さを持っている。
そして今、つぐみは気になる事をメールで送ってよこしてきているのだった。
優春の目線を横に感じながら、武は心当たりを手短に辿ってみた。
だが、何の手がかりも無く、何の思い当たることさえ無い現状で、頭から出てくるのは困惑だけだった。
そうこうしているうちに、優春が何故か意地悪な目を向けてきていた。
「倉成。……ちゃんと、つぐみに構ってあげてる? 」
「ああ、当たり前だろう。釣った魚は最後まで手厚く愛でる。これが俺の主義だ」
「私との浮気が、ばれちゃったんじゃない? 」
「あ? 」
武は、怪訝な目を優春に向けた。
さっきまでの取り乱しぶりが、まるで嘘のような言い様だった。明らかに、面白がっている。
咳払いをし、武は言った。「ふざけんな」
優春の方を指さしては、
「俺はお前を慰めてやっただけだろうがっ 」 武は怒鳴った。
ところが、当の優春は涼しげな様子だった。悪びれのわの字も無い。腕組みをして婉然と微笑んでさえいる。
「あら、配偶者のいる男が、伴侶でもない別な女を抱きしめてるのよ。これって、客観的に見て浮気は成立すると思うんだけどなあ」
「抱きしめてる目的が、そこに抜けてるじゃんか。”慰めるため”、という目的が! 」
「主観的な目的なんていうのは立証のしようが無いし、第三者には関係ない。客観的な証拠が、全てなのよ。見た目、”これは浮気だ”と判断するに足る状況証拠があれば、そこで浮気は成立しうるの……」
「突然、論理的な口調に転じるな! ……と、とにかく、俺は認めん。そんなお前の屁理屈は認めんぞ! 」
優春は、柔らかい笑みを作った。
「……冗談よ。冗談」
そう言われても、なお信じ切れず、武は念を押すように口を開いた。
「本当に、か? 」
「ん? 倉成は冗談にしてほしくないの? 」
思わず青い顔になる。
優春は、心底面白くてたまらない、という感じで笑っていた。
それはまるで、少女のような笑顔だった。
若く眩しく、純白の花のような、少女の笑顔。
ひとしきり笑った後、ようやくそれをおさめる。
優春は……武の頬にそっと手を当ててきた。
大切なものを見るような目を向けてくる。それから、優春は「倉成……さっきは本当にありがとう」 と言ったのだった。
「おかげで、もう少しは……踏みとどまれそうよ」 
優春の目から、涙がひとしずくこぼれた。
けれどもその目には、先とは違う、ささやかな希望が差し込んでいるのが見て取れた。
武は黙したまま、その目を見つめていた。
優春の希望が、いつの日か成就されるように。
祈りを込めて、願いを込めて、その目を見つめていた。

……が、そんな時間は長く続かない。
直後、所長室内に桑古木と空が入ってくるや、優春に反射的に突き飛ばされ、武は額を側壁に打ち付けることになった。




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