※ 本作は、性的な描写が一部含まれています。ご注意ください。








不器用な想い
                              YTYT 

7話

朝のニュースが、静寂の室内に流れていく。
先刻の沈黙が尾を引いているのもあるにはあったのだが、何より「夫婦二人きりでいる朝」という経験の乏しさが、武を寡黙にさせていた。
ホクトと沙羅は、今この場に居ない。
平素はやかましいほどに騒ぐ二人だったが、いざ居なくなってみると、あの二人がこの家の空間に占めていた存在の大きさに、武としては今更ながら痛感する思いだった。
何か話題を切り出さなくては、と思うのだが、なかなかこれが上手くいかない。
時事ネタはすぐに会話が尽きるし、趣味の話はつぐみが付いていけなくなってしまう。
結局、TVで流れるニュースを見ながら、二言三言語り合うくらいで、すぐに沈黙が訪れるのだった。
つぐみも、同じような思いをしているのだろう。話を色々と切り出してはくれるのだが、やはり自分と同じところで会話は止まってしまっていた。
つまりは、自分もつぐみも手詰まりという訳だった。
ニュースは、9月に起こった皆既日食の事や、世界の平均気温がこの11月で19℃を超えそうである事などを報じてはいたのだが、どれも自分達の中で素通りしてしまっていた。
だが、”クローン法の第二回改正法案が、衆議院で可決される見通しである”というニュースが報じられた時だったろうか。つぐみが反応したのは。
箸をおもむろに置くと、つぐみは口を開いた。
「ねえ、武。クローン法の改正公布の年って、覚えてる? 」
突然の問いだった。
しばし考え込んでしまう。そもそもクローン法の内容自体、殆ど忘れかけてしまっていた。
さんざ頭を捻ったあげく、武は降参した。
「……悪いが、判らん」
そもそもクローン法の内容も忘れてる、と付け足す。恥の上塗りの一言だったが、つぐみはくすりと笑った。
「貴方らしい答えね」
「……失望したか? 」
つぐみの笑みが、ここで意地の悪いものに変わった。
「答えてほしいなら、答えてあげるわ。意味の無い質問だけど」
うう……む、と武は唸った。
どうやら、今のやり取りで、つぐみに本来の”らしさ”が戻ってきたらしい。
早い目に話題を転じようと、タイミングを探していたところへ、つぐみが再び口を開いてきた。
「武、ごめん……。意味の無い質問を最初にしてきたのは、私の方だったわね」
つぐみは、自分が気分を害したと思ったのだろう。驚くほどのしおらしさだった。
そして、遠慮しがちに言葉を続けてくる。
「でもね……。クローン法の改正公布の年は、私にとって……とても重要な年でもあったのよ。2010年……あの年から、私の老化は止まってしまったから……」
そう言った後、つぐみは目を落とした。
つぐみが何故、この話題を切り出してきたのか、武はようやく気付いた。
老化しない体。死ねない体……。
キュレイ・ウィルスのキャリアであるつぐみにとって、時間はほとんど意味を成さない物だった。
つぐみの命には、終わりが無い。
だからこそ、つぐみは、万物の終わりである死に執着していたのだ。
幸せに生きることを望みながら、苦しみだけが絶え間なく訪れる。それでも死ぬことは出来ず、苦しみからは逃れられず、もしそれを乗り越えたとしても、また別の苦しみが新たにやって来る。
つぐみにとって、その悲劇の始まりこそが、2010年という年だったのだ……。
「さて、と」
顔をぱっと上げ、つぐみはつとめて明るく、自分を見てきた。その作られた明るい表情に、胸が傷んだ。
目の前の、このつぐみを守りたい。
そんな衝動が起こっていた。
「武。貴方、そろそろ時間でしょう」
靴の用意をしておくわ、と立ち上がろうとしたつぐみの手を、武は引いた。
そのまま、つぐみの体を抱き寄せる。
「武、」
つぐみの言葉を待たず、武は言った。
「……言ってくれ」
振り絞るようにして、武は続けた。
「……苦しみを自分で抱えきれなくなったら、必ず俺に言ってくれ。
支えきれる、とは言わない。守り抜ける、とは言わない。……だが、せめて、お前と一緒に倒れるところまで共にいるから……」
自分の伝えんとしている気持ちを察したのか、つぐみの身体が一瞬震えた。
その震えは、だが確実に大きくなり、涙声に変わった。
「馬鹿、……言わないで。私たちが倒れたら、誰がホクトと沙羅を守るのよ……」
つぐみの正論は、本心から出たものではなかった。今や抑えきれなくなっている震えが、それを物語っていた。
その震えを引っくるめ、武はつぐみの身体を自分の中に抱き込んだ。
「俺は馬鹿だ。……馬鹿だがら、お前が言ってくれなければ、お前の苦しみを理解することが出来ない。悲しみを理解することも出来ない。だから……頼む。言ってくれ。
苦しみを抱えきれなくなったら、……俺に言ってくれ」
「俺は、俺の全てをかけて、お前を支えるから……守るから」
武は静かにそう言った。
腕に、冷たい物が落ちてくるのを感じた。
つぐみは堪えきれなくなったように、涙をこぼしていた。
「馬鹿……馬鹿……。貴方。仕事、遅れちゃうじゃない……」
つぐみの顔に、武はそっと手を伸ばした。
そのまま、武はつぐみを振り向かせて、唇を重ねた。
つぐみは抗う素振り一つ見せず、自分の唇を受け入れていた。
唇を一旦離すと、つぐみは武の顔を見た。
「信じてるから」 涙声で、つぐみはそう言ってきた。
「貴方を、信じてるから……」 
大粒の涙が、つぐみの目からこぼれ落ちて行く。それを見ながら、自分の心もまた痛んでいくのを、武は感じた。
「判ってる……もう、何も言わなくて、いい」
言いながら、つぐみの顔を汚す涙を拭き取った。
そして、つぐみの頬に自分の頬を当てる。武は、胸一杯につぐみを抱きしめたのだった。
堪りかねたように――。
つぐみは微かな嗚咽を漏らした。
しゃくり上げるでもなく、魂叫ぶわけでもない。
だが一つの感情の塊として、純粋に訴えてくるそれは、自分の心の奥深くにしみ込んだ。
一人にはさせない。決して、お前を一人にはさせない……。
口には出さず、心の中でそう言った。頬の温かさを通して、武はつぐみにそう語りかけたのだった。

「じゃあ、つぐみ。行ってくる」
先の事をまだ引きずっているのか、武の口調はやや不自然なものだった。
「行ってらっしゃい。今日も遅くなるの、よね? 」 
自分のこの言葉も、随分とぎこちなさを感じる物があったのだろう。武は苦笑いを見せていた。
「まあ、いつも通りの遅さだろうな」
貧乏暇無し、言うこたないぜ、と軽口を付け加えてくる。
そうして、玄関から二歩三歩出たところで、武は振り向いた。
「つぐみ、」
と言い、武は短く躊躇った後、 「……人生、色々だな」と言ってきた。
はにかんだ笑みを浮かべているのは、言葉が上手く見つからなかったためだろうか。それとも、素直に言葉を出せなかったためだろうか。
つぐみは尋ねたくもあったが、当の武は前を向いてしまい、もう通りに出てしまっていた。
「メールを送りつけてくるのは、ほどほどにな」 という拙い冗句を残して。
小さくなっていく武の背中を見つめながら束の間、つぐみは愛おしい気持ちにさせられた。不器用な人……。
そして、つぐみは先の事を思い出し、ちょっと後悔の念にも駆られていた。
何故、自分は武を見送る時、「ありがとう」を言うことができなかったのか、と。
先に武に抱きすくめられた時、つぐみは、この自分の身が温かく包み込まれるのを感じた。
幸せはここにあるのだ、と感じた。希望はここにあるのだ、と実感した。
それなのに、自分はその武に対して、まだ何も報いていないのだった。
――結局、不器用という点では、自分と武も大して変わらなかった。
本音を望みながら、それを表に出すことを恐れ、ためらい、心のどこかで誤魔化してしまう。だからと言って、建前で自分を飾るようなことも出来ない。
本音と建前を両立させ、自分自身や他者とうまく折り合えることを器用と呼ぶのなら、自分達は器用な人間ではなかった。不器用な人間だった。
その不器用な人間二人が、二つの不器用な心を通わせ、今こうして一つの家庭をいとなんでいる。
それは、偶然の重なりによって生まれた物に過ぎなかったが、それを言えば、この世にある一切の物は皆全て、偶然によって生まれたという事になる。
自分に武を巡り合わせてくれた偶然。
自分にホクトと沙羅を授けてくれた偶然。
自分に仲間と呼ぶべき者達を与えてくれた偶然。
それらによって、今の自分が育まれているのだとすれば、つぐみは、その偶然には心から感謝したい気分だった。
不器用な者の上にも、確かに幸せは訪れるのだろう……。

空を見上げた。
淡い青の天空に、雲がまだらに入り交じっている。晴天と呼ぶには微妙な空だった。
不器用な空だと思った。
雲間から時おり、陽光が漏れてきていた。
目を細めれば消え入りそうな陽光だった。
だが、その陽光に、つぐみは一縷の希望を見たような気がした。




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