※ 本作は、性的な描写が一部含まれています。ご注意ください。








不器用な想い
                              YTYT 

8話


「おはようございます、倉成さん」
研究所の長い庭園を歩く道すがら、武は背後から声を掛けられた。
首を巡らせて声の主を見ると、そこには空が立っていた。
心なしか息を弾ませているようにも見える。走って追ってきたのだろうか、と、一瞬考えたりもした。
「今日は、ちゃんと定刻出勤なのですね」
武に並びながら、空は口を開いてきた。
それには胸を張って、武は応えてやった。
「当たり前だろ、俺はグレート・ティーチャー・倉成だぜ。G・T・K。”遅れず、仕事せず”が、マイモットーだからな」
武の、得体の知れない英語の羅列に、空はくすりと笑った。
「倉成先生。冗句は朝から快調みたいですね」
「助詞の使い方が違うなあ、茜ヶ崎君。”冗句は”、じゃない。”冗句も”、だ。俺はいつも快調だぞ」
「では、訂正いたします。”冗句も”朝から快調みたいですね、倉成先生」
「う……んん。自分で言っておいてなんだが、改めて訂正されると、なんだかほめ殺しされてるみたいだな」
「単に、遠回しに馬鹿にされているような印象を持つのですが」
そりゃ、もっともかもしれん、と、武は舌を出した。
空は、微笑みを絶やさないまま、言葉を続けた。
「でも、それはかえって、倉成先生の人徳だと受け止めても良いと思います」
「馬鹿にされるのも、人徳のうちってか」 
「いいえ。本当に人徳がない人は、馬鹿にさえされません。無視されるだけですから」
「それでも、だ。結局、”俺が馬鹿だ”という事実は動かないということなのかね。茜ヶ崎君」
「う〜ん。今し方の会話だと、そういうことになりますね。倉成先生」
思わず、顔を見合わせた。
直後、二人は吹き出すようにして、笑いあった。
笑いつつ、武は空を見ていた。
こんな会話も交わせるところを見る限り、かつては、この空がRSDホログラムの映像だったとは信じられない武だった。
理知的とも言える空の美貌が、なんとなくまばゆく見え、武は目を細めた。
「女神アフロディテの奇跡、とは良く言ったものだよなあ」
武は、そう独語した。
その昔、現実の女に失望したピュグマリオン王は、自らの理想の女性を彫刻し、それが人間になることを願った。女神アプロディテは、その願いを聞き入れ、彫像に生命を与えたのだった。伝説では、ピュグマリオンはそれを妻に迎えた、とされている。
自ら理想の女性を彫刻し、それが人間になることを願ったピュグマリオン王の気持ちを、武は今すんなりと理解することが出来た。
「奇跡。そうですね……」
武の独語を受けるかのように、空は手を後ろに組んで呟いた。
「確かに、その奇跡を起こしたのは、女神アフロディテの力でしょう。でも、それは、”ピュグマリオン王の真摯な思いが無ければ、起こりえない奇跡だった”と言うことも出来ますよね」
そうして、武の方を見ては、また明るい笑みを浮かべたのだった。
「人が人を思う気持ちこそが、奇跡を起こしているのだ、と。私はそう信じているんですよ」
そう言ってから、空は唐突にこんな事を口にした。
「倉成先生。私、待ってますから」
一瞬、その言葉には反応できなかった。聞き返すと、空は更に続けた。
「……昼食を一緒にしませんか、という事ですよ。倉成先生」
つたない、質問のはぐらかし方だった。
当人もそれを自覚したのか、頬を仄かに染めながら、空は一足先に研究所に消えていってしまった。
空の好意や思慕が、ゆっくりと身体に巡ってくるのを感じ、武はうれしいやら、困ったやら、どうにも形容しがたい感慨に陥った。
そして、空の好意に応えられないすまなさにも囚われた。せめてもの罪滅ぼしとばかりに、武は、空と共に昼食を取ることに決めたのだった。
つぐみ。昼食といっても、もちろん、桑古木も優春も一緒だからな。
そんな意味も無い弁解を心の内にすると、武は空の後を追った。


研究所内に入るなり、武は桑古木に呼び止められた。
今しがた入っていった空も、桑古木の傍にいた。
先とはまるで打って変わり、その表情は厳しかった。口元も固い。
反射的に、これはきっと何かがあったな、と考えた。ココのことだろうか……。
桑古木は、言葉を続けてきた。
「武、ちょうど良かった」
言うや、桑古木はとある方向に、首を動かした。「付き合ってくれ」
首の向いた先には、"Block-D(D区画)"に至る通路があった。
”D区画”……確か、病棟エリアだった。
先導して歩き始めた桑古木に、武は口を開いた。
今し方予感していた事を、口にしていた。
「桑古木、ココに何かあったのか? 」
桑古木の頭がかすかに上下に振れ、肯定を示した。
それを付け足すようにして、空が応えてきた。
「今朝に、体調の不良を訴えてこられたそうです。具体的な症状については、まだ確認していないのですが」
とにかく行ってみるしかないのでしょう、と空は促してきた。
桑古木の後を、空が続いた。二人の後を追うように、武も歩き始めたのだった。
歩きながらも頭は、困惑と疑念に揺すられ始めていた。
体調不良? あのココが……。どういうことだ? 
天井の蛍光灯が、磨きこまれた床に映っていた。
生命感の無い、白い光が、冷たく目を差してくる。
その目映さに、眉間を歪ませながらも、武はココの笑顔を思い浮かべていた。あのココが……どういうことだ……?

D区画の通路を右へ折れ、一番奥に行ったところが、ココのいる病室だった。
殺風景な部屋の中には、ベッドが一つ。PCが一つ。他には、天井の空調機と数冊の本だけだった。
「あ! たけぴょんに空さん、少ちゃんだ! 」
室内に入るや、ココは嬉しそうな声を上げて、歓迎してきた。左手に繋がった点滴が、目に付いた。
ベッドからもぞもぞと動き、上体を起こそうとするココを、桑古木が慌てて止めた。
「良いから、安静にしてろって」
不平そうに、ぶーと言いながらも、ココはしぶしぶ桑古木に従った。
足元からはピピが、く〜ん、と飼い主を案ずるような声を上げていた。
そんなピピを優しく抱き上げて、空はココに言った。
「ココちゃん。桑古木さんの言うとおりですよ。今、ココちゃんに必要なのは、おとなしく横になっていることですから」
ピピの前脚をちょこんとココの上に乗せてあげては、言葉を続けた。
「ほら、ピピちゃんも、そう言っていますし」
そうして、空は微笑んだ。
それに応じるように、ピピがわんわんと吠える。
ココは、口元まですっぽりとシーツをかぶってしまい、うー、と恥ずかしげに空を見つめていた。どうやら、空の言うとおりだと思ったのだろう。
「ほら、ココ。治ったら、いくらでも、お前に付き合ってやるからな」
たまごごっこでも、青虫ごっこでも、何でもござれだ、と、腰に手を当てて武は言ってやった。
それには、
「もう、たけぴょん。違うよ。ひよこごっこと、イモムシごっこだもん」
と可愛く、口答えしたココだった。
「はは、悪ぃ悪ぃ」
両手を合わせ、素直に謝罪する。
そうしながらも、武はココに繋がれた点滴を見た。
点滴には、塩化カリウム、塩化カルシウム、その他ブドウ糖電解質、およびpH調整剤等が記載されていた。
抗生物質の類が無いのは、今のココの症状が何に因るものかが判らないためだろうか……。武は、なけなしの知識でそんなことを考えた。
桑古木が口を開く。
「まあ、俺達がいつもココの傍にいるからな。大丈夫だと思うが、何かあったら、すぐにこのボタンを押すんだぞ」
言いながら、桑古木はココに、呼び出し用ボタンを握らせた。
「うん。でもね、ココ。大丈夫だよ」
平気平気、と、シーツから腕をまくって、ココはガッツポーズを決めてみせた。
そんなココに、武は優しく言った。
「ようし! その意気だ。体なんかすぐに良くなるからな! 」
”果報は寝て待て”だぜ、と、力こぶしを作ってみせた。
2017年の事故の時と同じような言い方を、武はしてみせた。
「俺は、……俺たちは、お前を守り抜いてみせる。ずっと、お前と一緒にいるからな」
そう言ってから、
「なあ、桑古木」 
と、唐突に、武は隣の桑古木に振った。
戸惑いの色を見せた桑古木にウインクをしてみせ、言外に言葉を漂わせた。ここからはお前の役目だぞ、と。
桑古木は、言わんとしていることを悟ったようだった。ココの前に進み出ては、
「ココ。とりあえず、そういうことだ。まず、お前はゆっくりと休ませて、横になってろよ」
と言い、ココに手を伸ばした。
その手を、ココがぎゅっと握ってきた。
ココの瞳に、涙がうっすらと浮かんだ。生来の寂しがりやの性格が、そこから顔を覗かせていた。
「少ちゃん。ココが寝るまで、こうしていてくれる? 」
「ああ、もちろん」
「どこにも行っちゃ、だめだよ? 」
「行かない。俺はここにいる」
「……本当、だよ? 」
「本当に、本当だ。絶対に、ここにいる」
ココの頭をくしゃくしゃと撫でてやりながら、桑古木は笑みを浮かべた。
その桑古木の横顔には、今にも包み込まんばかりの愛情が感じられた。それを見、武は自分自身もどこかで癒されていくのを感じた。


ココが眠りにつくのを待って、病室の外に出た。
武は、後ろからついてくる空に言った。
「空、ココの容態について、優の奴は何か言っていなかったか? 」
空は無言だった。沈んだ表情が、全てを物語っていた。
「すみません。ココちゃんの件は、私も、先程桑古木さんから伺ったばかりですので。ただ……」
「ただ? 」
「全身の倦怠感や微熱といった初期症状から、どんな病気なのかを把握することは、とても困難なのです。あのティーフブラウ・ウィルスの出血熱でさえ、初期症状は、軽い微熱や悪寒に過ぎないのですから」
「ティーフブラウ、か」
呟きながら、武は悪寒めいたものを感じていた。
そのウィルスに由来する出血熱の致死率は、80%を超えるという。かつて、自分やココ達を死の淵にまで陥れたウィルス……それが、ティーフブラウだった。
ココが体調不良を訴えた事を聞いた時、真っ先に頭をよぎったのは、それだった。
今また、ココはティーフブラウに罹ったのではないか、という疑念は消えず、悪しき予感は、腹の中に渦を巻いたまま沈殿していた。
黙したまま、目を床に落としていると、空の声がした。
「倉成さん。ティーフブラウ・ウィルスの感染を危惧されているのでしたら、今のところ心配はありません」
目線を上げ、武は空を見た。空は続けて言った。
「ティーフブラウ・ウィルスの抗原抗体反応は今現在、ココちゃんからは検出されていません。ということは、少なくとも現時点では、ココちゃんはティーフブラウ・ウィルスには感染していない、ということが言えます」
「あくまで現時点では、ということか……」
武の呟きに、空は、ちょっと考えてから応えた。
「そうですね、私の言葉は確かに、将来をなんら保証するものではありません。……ですが、ココちゃんが、キュレイ・ウィルスのキャリアであることも見落としてはいけません。
抗体の遺伝子の一部に高頻度の突然変異を起こして、抗原との結合力を変えていく能力が、キュレイ・ウィルスのキャリアは高いのです。ティーフブラウ・ウィルスを駆逐できた理由も、そこにあります」
突然変異をするウィルスに合わせて、自らの抗体も突然変異をする。その速度もまた、ウィルスのそれと等しいほどに速い。
それが可能であるからこそ、キュレイ・ウィルスのキャリアは、ティーフブラウ・ウィルスを駆逐できたのだった。
空はそうして、こうも付け加えてきた。
「確かに、ココちゃんの身体に現れている症状の原因は、今現在特定することは出来ません。ですが、だからといって、それをティーフブラウ・ウィルスによる感染と、そのまま無闇に関連付けるべきではないのでしょう。
重要なのは悪戯に危惧することではなく、現時点で得られているデータから、物事を出来るだけ正確に判断することなのです」
私はココちゃんのために精一杯の力を尽くすつもりですから、と空は続けた。
「倉成先生。これは私の意地です」
そう言って、空は微笑んだ。
だが、その目に、その口元に、明白な意志があった。そこに、ココへの愛情やら、自分を安心させようとする気遣いやら、様々な思いも感じられ、武としては返す言葉が無かった。
確かにその通りだ、と思った。
精一杯の力を尽くす事。自分達に今必要とされているのは、正にその意志一つだった。
そうして気持ちを改めると、武は桑古木の事に思い当たった。
「空。桑古木のノートPCと、病室のPCでデータをリンク出来ないか? しばらくの間、あいつにここで作業させてもかまわないだろ」
それは病室の傍らにあった、PCの事だった。1世代ほど型落ちした物らしかったが、それほど複雑な演算処理をさせなければ、まだ十分に使えると思えたのだ。
空は、予測していたかのような回答を返してきた。
「すでに、あのPCはデータリンク済みです。田中先生の指示で」
言いながらも、空は妙な表情をしていた。
その表情を受け、武は、何だか面はゆいものを感じた。
「なんだ? 俺が気を利かせることが、そんなに意外かね? 茜ヶ崎君」
「いいえ、倉成先生。それは違います」
空は、軽く頭を振って応えた。 「そうじゃないんです。ただ……」
言うのをちょっと躊躇った後、空は続けてきた。
「田中先生の仰り方といい、倉成先生の行動といい、……とても可愛らしくって」
「可愛らしい? 」
「ええ。……ここに来る前に、田中先生、こう仰っていたんですよ。”あいつは馬鹿だけど、たぶん気を利かせて、ココと桑古木を二人きりにさせようとするから、協力して上げて”と」
「後の言葉はともかく、”あいつは馬鹿だけど”は、余計だ」
当たっているだけに余計けしからん、と口をとがらせ、武は不平をたれてみた。まあ、照れ隠しもあったのだが、それは口に出せない。
「そこですよ、倉成先生」
空は、可愛くてたまらない、といった口調で言った。
「田中先生もそうですし、倉成先生もそう。二人とも、本心の誤魔化し方が、とても似ているな、と思うんです……判りやすくって」
本当は、空は”不器用”という言葉を、自分達に充てようとしていたのかもしれない。
それを実際に口に出さなかったのは、空の空なりの気遣いなのだろう。
だが、と武は思った。それは当たっている、と。
俺も優春も多分、ほんとうに不器用な人間なんだろう……。
「そんな物言い、先生は君に教えたつもりは無いぞ」
そう言いながらも内心、武はいや増す気恥ずかしさを感じていた。とは言え、それは不快という訳でもなく、ふわふわとした奇妙な感覚だった。
空は、頭を下げてきた。
「すみませんでした。今のは、私の勝手な思い込みです」
どうか忘れて下さいね、と言いながら、空は武の横をすり抜けて行った。
それから、くるりと武の方を振り向き、晴れ晴れしい笑みを見せるのだった。
「さあ、行きましょう、倉成さん。……ココちゃんが寝ている間に、私たちにはすべきことがあるはずですから」





あとがき

また、突然のあとがきですみません。YTYTです。
ここまでで、やっと折り返し地点に来ました。
つまり、この長丁場シリーズは、今までと同じくらい続いてしまうことになるのです。
「日常と非日常が、ちらちらと行き交いながら、徐々に非日常へと移行する」
そう言えば聞こえは良いのですが、事実は単に、ストーリーの進行がノロいだけです。
やっぱり、「愛と哀しみのだらだら感」こそが、この作品を表す言葉なのかもしれません。
申し訳ないです……。

まだ、半分ほど残っておりますが、もうしばらく我慢してお付き合いくだされば、と思います。

それでは、この辺りで失礼いたします。


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