※ 本作は、性的な描写が一部含まれています。ご注意ください。








不器用な想い
                              YTYT 

9話



この日は何故か、ひっきりなしに固定電話が鳴っていた。
そんな中で、半年ぶりにかかってきたお義母さんからの電話に、つぐみは驚かされた。
資格取得の勧誘の電話を断り、株式投資の勧誘の電話を断り、いい加減ゲンナリしていたところに来ての電話だった。
つい、冷たい口調で応対してしまい、つぐみは謝罪することしきりだった。
それには、お義母さんは暖かい笑い声で応じてくれた。
《お互い、この手の勧誘の電話には苦労しますものね》 と、付け加えてくる。お義母さんの声は、あくまでも柔らかかった。
「ああ、お義母さん。それにしても、ご無沙汰しておりました」
と、当たり障りの無い言葉を出す。
そうしながら、つぐみは頭の片隅で、”どういった用件で掛けてこられたのだろうか”と思った。一体、どういう用件だろう?
その後、簡単な会話を二三交わし、会話の中で、お義母さんがホクトと沙羅の修学旅行について不満を抱いていることを聞かされ、ちょっと驚いた。
《なんで、こんな高校三年の大事な秋口に、修学旅行をするんですかねぇ? ホクト君と沙羅ちゃん、大変でしょうに……》
そういった内容の不満だった。その話し方に、嘘偽りの無い義憤を感じ、つぐみは心強い味方を得た思いがした。本題は別のところにあるのだろうに、それをまず置き、ホクトと沙羅の心配をしてくれるお義母さんの誠意が、嬉しかった。
それから、お義母さんは唐突に我に返り、恥らうように咳払いを一つした。そして、何かを思い出したように、口調を改めた。
《つぐみさん、ごめんなさいね。年甲斐も考えないとね、私ったら》
一言そう詫びた後、お義母さんは、ここでようやく本題を切り出してきたのだった。《……それで、つぐみさん。話の内容ですけれども、うちの父の三回忌のことで、武、何か言っていなかったかしら? 》
言わんとしていることが一瞬判らず、お義母さんに聞き返そうとして口が止まった。三回忌?
そう言えば、と思い出す。
亡くなった、武の祖父の事だった。
三回忌が近いのに、お義母さんに連絡をいれなくて良いの? と自分は武に聞いた覚えがあった。
「だって、二年前だと聞いたぜ。じいちゃんが死んだのは」 という武に対し、自分はこう答えたのだった。
「だからよ。……三回忌とは、その人が亡くなってから二年目、つまり翌々年の命日なのよ。三年目じゃないわ」
武の実家は檀家に入っているので、「なおさら粗相の無いようにしないと」と言って聞かせたことも、つぐみは併せて思い出した。その後、武は更に「三回忌の”忌”って、奇特の”奇”だっけか? 」と珍問を投げかけ、つぐみを困らせたりもしたのだが。
聡いところは聡いが、疎いところはとことん疎い。
そんな武の性格を思うと、つぐみは、お義母さんに対して、なんだか申し訳ないような、同情するような気持ちになった。きっとお義母さんは、武を育てながら、こんな気持ちをずっと味わってきたのだろう。
ともあれ、お義母さんには誠意を持って、「必ず武には、連絡させるようにいたしますから」と約束し、つぐみはひとまず電話を置いたのだった。
再び、やりかけた仕事に掛かろうと、PCの前に戻る。
キーボードに指を乗せた時、ふと物思いに耽った。三回忌、か……。
生前の姿を見たことも無い武の祖父のことを、つぐみは不謹慎にも羨ましいと思った。
心の中で申し訳なく思いながらもやはり、つぐみは死ぬことの出来る人々が羨ましかった。
思えば、自分はいつも見送る側の人間だった。
彼岸の向こうへ旅立つ者を、自分は決して渡りえない岸から見送っている。それが、永遠に続くのだ。
終わりの無い生命――。
……それでも、いつかは、自分のこの生命にも安らぎの時は訪れるのだ、とつぐみは信じていた。
そう。
永遠に訪れないと思っていた幸せが、自分の元に訪れたように。いつかは、安らぎの時も訪れるのだ。
夜もいつかは明けるように。冬もいつかは過ぎ去るように。この自分にも、いつかは安らぎの時が訪れるのだろう。
もう一度だけ祖父に詫びると、つぐみは雑念を頭の外に押しやった。
今は、彼岸へ旅立った人々のために最善を尽くすことが、自分のなすべき役割だった。
キーボードから一旦手を離し、手近にあったカレンダーを見る。
今が、2035年10月2日だから……。
ホクトと沙羅が修学旅行から帰ってきた日から起算してみても、祖父の三回忌までは2週間ほどあった。
それだけあれば、間に土日も挟んでいるため、香典やお土産などは問題無く揃えられそうだった。
問題になるとすれば、ホクトと沙羅に着せていく服だ。子供とは言え、義父母の体面を考えると、やはりそれなりの服が必要になる。
たしか、以前に買った略式の喪服が、何処かにあったはずなのだけれど……。
そんなことを考えているうちに、またも電話が鳴った。
今度は家の固定電話にではなく、自分のPDA端末にだった。
メールの受信通知のようだった。先にも二件入っていたが、それはホクトと沙羅からのメールだった。
いずれのメールも、二人の修学旅行の喜びを文面一杯に伝えて来るものだった。読みながら思わずニヤニヤしてしまっていた事を、つぐみは思い出した。
一方で、今度のメールは何だろうか、と訝った。
武だろうか……。
今しがたの法事の件を思い出しつつ、つぐみは端末を開けた。

メールの件数は1。送信者は、思った通り武だった。
だが、文面がおかしい。
《〜すまんが、また遅く》
メールは、ここで途切れていた。
しばしの間、つぐみは不可解に悩まされた。
数分待ったが、メールは再送信されてこない。何の音沙汰もない。
打ち掛けだったデータ入力作業を再開しながらも、心はここにあらずだった。
先と同じ数値を入力していることに気付く。舌打ちをしチェックをかけるが、頭が思うように働かない。データのソーティングでも簡単なミスを犯した。
苛立つ。
テンキーを一度だんと叩くと、つぐみはおもむろに立ち上がった。
髪をかき上げ、とりあえず一息つこうとした時、やはり武のことが気に掛かった。
もう一度、PDAを開ける。やはり、その後の着歴はなかった。
嫌な予感が、じわっと頭に疼いた。心配性もここまで来ると、自分でも度し難いと思うのだが、これが己の性だった。
途切れたメールの理由を、つぐみはあてどもなく考え始めた。
大方、ドラフト(下書き)データを誤ってよこしたのだろう、という結論に落ち着くしかないのだが、どうにもそれが腑に落ちない。
自分からメールを出すことはあっても、武の方からメールをよこしてくることは、実は稀だったことを、つぐみは思い出していた。
おそらく、今朝の件もあり、自分を気遣ってくれたのだと思うのだが……。
嬉しさがこみ上げてくる反面、不可解な思いもまた半分浮かび上がってきた。このメールは一体……。
胸がざわざわし、名状のし難いもどかしさや不安に揺すられた。
今朝、武に「ありがとう」を言えなかったことが、ここにきて尾を引き始めていた。
武に対する負い目が、自分を執着させている。そういった自覚はあったが、止めることもできなかった。
万が一、このメールが武の異変を伝えてきているのだとすれば、自分はこれを絶対に見逃すことは出来ない。
だったら、と思い、メールを再三返信しようと思うのだが、その都度手が止まってしまう。
《メールはほどほどにな》 と、武に釘を刺されていたことが、頭にちらついたからだった。
武の馬鹿、と、見当違いな私憤を抱くも、そんな自分の非合理性に自己嫌悪を感じ、つぐみは不毛な堂々巡りに陥っていた。
そして、またこの疑問に戻ってくるのだ。一体この途切れたメールは、何なのだろう……と。
脈絡の無い想像に、時間を浪費していることは判っていた。
だが、途切れたメールの理由が、ようとして知ることの出来ない以上、想像は脈絡のない物にならざるを得ず、つぐみは不快な煩悶を味わい続けたのだった。


空と別れた後、武はリフレッシュルームに居た。
睡眠不足のせいか、ちょっと倦怠感めいた感覚があった。明け方に感じた、体の節々の痛みも、心なしか少し増しているようでもある。
それでも休憩するつもりは無かったのだが、つぐみの事をちょっと思い出し、事前に連絡を入れておく必要を感じていた。そんな理由で、武はリフレッシュルームに居たのだった。
メールの着信は二件あった。
一件はホクト、もう一件は沙羅からだった。
《パパ! 今、僕らは阿蘇山にいるよ。凄いです。山頂付近では、草木が生えていないです。きっと、地獄ってこんな感じなのかな? でも、本当に凄いです! 今度、パパと一緒に期待な! 〜ホクト》
《パパ。阿蘇山って、凄〜い迫力でござる! 火山の噴火口なんて、生まれて初めて見ました! 世界最大級のカンテラなんだってね、阿蘇山って。私が第三視点を持ってたら、パパにも見せてあげたい! 絶対に見せてあげたい! 〜沙羅》
武は思わず、ニヤニヤしながら二つのメールを眺めていた。両方とも、拙いも甚だしい一文に尽きたのだが、それだけに二人の喜びは素直に伝わってきた。
見る物、触る物、全てが新しい。そして、それに触れることの出来る喜びが、メールには溢れんほどに綴られていた。
なんとも、初々しい感覚だった。
人生一度きりの修学旅行を、二人は今、胸一杯に味わっているのだろう。そのことを想像すると、武としては、嬉しいやら羨ましいやら、なんとも言えない甘酸っぱい思いに耽らされるのだった。
子供の成長を見つめる一方で、過去の自分を思い起こす。子供を育てる一方で、自分の行く末を思う。子供という存在を通じて、自分とは何か、という自問を重ねていく。
そうして、そうしながら、齢を経ていくことこそが”子供を持つ”ということなのだと、武はこの時実感した。
この実感は、最近になってようやく、自分に馴染んできたものだった。子供を育てた経験もなく、起き抜けにいきなり二児の父となった自分にとって、それは本当に喜ぶべき感覚だったのだ。ああ、これが父親になると言うことだったのか……。
同時に、ホクトと沙羅と昔の自分を重ね合わせ、もう戻り得ない過去の自分を思い、武は一抹の寂しさも認めた。が、最後にはホクトと沙羅に、”目一杯楽しんで来いよ”と心の中で声をかけ、武は二人の顔を大切に思い浮かべながら、PDAを閉じたのだった。
とはいっても、ホクトと沙羅のメールそれぞれに、武流の突っ込みを入れておくことを忘れなかった。
ホクト。”期待な”じゃなくって、”来たいな”だ。ちょっとくらいは、推敲した方がいいぞ。
沙羅。”カンテラ”じゃない、”カルデラ”だ。カンテラって、そりゃ貴方、ルームランプですぜ。
さて――。
武は、一人咳払いをしてから、今の自分の状況を省みた。
今日も、間違いなく遅くなる。
ココの件もあったり、自分本来の仕事の残件もあったりで、やることは山積みだった。
ならば、帰りが遅くなる旨について、早い目に連絡を入れておかないと、つぐみの奴がまた心配してしまう。
「本当に心配性の塊だからな、あいつは」
独りごちながら、武は天井を仰いだ。
室内灯の白色光と、無骨な排煙機の外カバー。殺風景という言葉一つがふさわしい、寒々とした景色だった。
ちっとも”リフレッシュルーム”っていう造りじゃないだろう、と単純な感想を抱きながら、武はつぐみの事を思っていた。
一見、情に薄い感のある冷たい美貌の持ち主で、その実、人一倍気を揉みやすく、心配性なのがつぐみだった。
昨夜遅く自分を出迎えた時のつぐみの号泣を思い出し、武は今更ながらに苦笑した。
あの心配性だけは、本当にどうにかして治してやらんとなあ……。心の中で独語する。
心配の元を作っている自分が言えた義理では無かったが、つぐみには笑っていてもらいたかった。
少なくとも、自分が一緒に居る間は、つぐみの笑い顔が見たかった。
そのためには、自分の努力や頑張りが不可欠であることも、武は己に言い聞かせた。
だが、言い聞かせながらもこの時、何故だろうか、別の心配も脳裏に浮かんでいた。ホクトと沙羅を呼ぶときの、あのつぐみの表情……。
間違いなく、つぐみは二人の子供の事を愛していた。それこそ溺愛と言ってもいい。
けれども、二人の名前を呼ぶときのつぐみの表情には、ある種の苦悩が宿っているのを、武は感じていた。
まるで罪負い人のような、つぐみの表情。それはかつて、つぐみが悩んだ末に、あの二人を……。
空調機が、突然カチリという音を立てた。その乾いた音に、武は我に返った。
空調機のリレー端子が働いたのだ。
武は雑念を振り払おうと、頭を左右に軽く振った。倦怠感はわずかに退いている。
大丈夫だ、と武は自分に言い聞かせた。大丈夫だ、何があろうと、俺がつぐみを支えてやる。ホクトと沙羅を支えてやる……。
そして、武はPDAを尻ポケットから取り出した。
ともあれ、つぐみの心配の芽は、早い目に摘んでおいてやる必要を武は感じていた。
ボタンを押していく。
予測検索技術の向上のおかげで、以前ほどもどかしい思いはしなくなったものの、最初の一語を入力するまでの煩雑さはどうしても拭いがたかった。とはいえ、それすらも改善を望むのは我が儘かな、という気もした。
《おい、つぐみちゃん。ハロー俺だ。》
ここまで打った時点で、自分自身に笑いたくなった。ほとんど、度し難いほどに馬鹿を丸出しにした文だった。
拘束時間中に打つ私用メールが、これか。
笑い出したくなるのと同時に、さすがにこの内容はどうかな、と冷静に考えたりもした。
実年齢は不惑も越えるつぐみに、”ちゃん”付けは無いだろう、と考えてみたり。
同じく、この自分も不惑を近くに迎えるというのに、”ハロー俺だ”も無いだろう、と考えてみたり……。
つぐみの呆れ顔を思い出す。
呆れ、ため息を一つ吐いた後、親しみと本音をない交ぜにして、つぐみは自分にこう言うのだ。”馬鹿ね”と。
そうして不遜にも”それもまた本望かな”と考えるに至り、武は続きに掛かったのだった。
《すまんが、また遅く》――。

”なるけどな”と打ち込もうとした手が止まった。
”遅く〜”の部分のディスプレイに、赤い点が付いていたからだった。
指でこすると、それは、ぬるりとした触感を残して消えた。
微かに残った指紋の痕跡が、奇妙に生々しかった。血だった。
血……?
PDAの送信ボタンを、間違って押してしまった。
畜生止めなくては、と思ったものの、その直後のことだった。
生温かい物が、鼻を下る感覚があった。
慌てて鼻を押さえるが間に合わなかった。
鼻血は指をだらりと越えて、唇を縦断し、顎を滑落し、そのまま床へこぼれ落ちていった。
《メール送信中……》というディスプレイの文字が、視界の隅をよぎった。
その文字は、突如二重にぶれた。平衡感覚が遠のいたのだ。
壁に手を突き、武はなんとか転倒を免れた。
が、鼻血は後から止めどなく流れ出て、スーツの上下を赤くおびただしく染めていた。
不意に胃液が逆流する感覚に襲われ、武は堪えきれずに嘔吐した。
嘔吐しながらも愕然する。吐瀉物は血の一色だった。
赤い鏡面に、自分の呆然とした顔が映り込む。
こんな、感覚は……。たしか――どこかで……。
だが、意識は朦朧とし、平衡感覚は更に無くなった。
壁に付いていた手が、ぬるりと滑った。
そのまま、体は床に倒れこんだ。
倒れこむ中で、椅子に頭をぶつける感覚があった。
目の前の景色がめまぐるしく変わり、頭と背中に幾度か鈍痛が押し寄せ、最後には床が映った。
視界の左は床一面。右はぼんやりとした天井。世界が90度、時計回りに倒れてしまったような光景だった。
だらしなく伸びた右拳が、まるで冗談のようだった。
ヒュウ……ヒュウ……という、自分のか細い呼吸音を耳にした。
そのか細さに、武は自分の死を直観した。
直観するも、それはすぐに否定し、なんとかして生きようと、必死に頭を働かせた。
だが、倒れている今の自分の身体が、とても重い。
出血すればその分体重は軽くなるはずなのに、今は指一本さえ動かせないほど、身体が、重い……。
……ホクト、沙羅、つぐみ。
無意識に、武は愛する者の名を口にした。
ぼんやりとした天井は、もはや天井ではなく、自分を押し包んでいく死の世界の一部だった。
ああ、これは……。武は思った。
青く、ただ青く、冷たく静かな海の底。
つぐみを救うため、一人救命ポッドから飛び出していった場所だった。かつて自分が死に瀕した、あの場所だ……。
あの、場所だ……。
武は、かすかに首を動かした。
すでに、光はおぼろげにしか感じられなかった。
それが、あの場所の感覚を想い起こさせた。
暗い海の底。ちらちらと、雪のように輝く泡の中で見上げた、救命ポッド……。
その向こうに、光のさんざめく天空が見えた。その中に、ホクトや沙羅の顔が見えた。そして、最後につぐみの顔が、おぼろげに浮かんで消えた。
死なない……。
意識が途絶える中、武は伸びたままの右拳を、必死に握りしめようとした。俺は、死なない……。
俺は、死なない……。

視界が……狭まっていく。
意識に……泥がかかっていく。

――私を。
不意に、そんな言葉が聞こえた。
――私を、一人にしないで……。

意識が完全に途絶える寸前、武はつぐみのそんな言葉を聞いたような気がした。




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