※ 本作は、性的な描写が一部含まれています。ご注意ください。








不器用な想い
                              YTYT 

13話

日はすでに没していた。
一人、研究所のライブラリで黙々と作業を続けながら、優春は漠とした疑念にとらわれていた。
刻一刻と時間は過ぎていく。だが、自分は手がかりを全く掴めていない。何一つ掴めていない。つぐみに先程約束をしておきながら、自分は依然こんな状況だった。なんてこと……。
思いながら、再び有機ELディスプレイのスクリーンセイバーを解除する。無秩序に散らばったウィンドウ画面が、闇から浮かび上がってきた。それは、そのまま自分の心の混沌模様を形容しているようにも見えた。
ため息を一つ吐く。
どうしても、解せないことがあった。
武とココに起きている病変の理由が、やはり判らなかったのだ。
二人から検出されたウィルスは、全く見まごうこともないキュレイ・ウィルスだった。自分達の持つウィルスと、特性上何ら変わりが無い。
テロメアを再生させる機能も、免疫・代謝系の活性作用も、みな全て同じだった。
その他の細胞変性効果や塩基組成の偏り方などにも、違いは無し。
ウィルスの遺伝コードについては、空に解析させているが、それも現時点で何も回答がやってこないところを見る限り、違いは殆ど無いのだろう。
髪をかき上げる。軽く眉間を押さえながら、目をつぶった。
しばらくの間そうしていると、溜まっていた疲労が退いていくのを感じた。キュレイ・キャリアの我が身も、この時ばかりは有り難く思える。
武。ココ。二人の顔を、瞼の裏に思い浮かべた。
闇の中にあっても、二人の顔は実に鮮明に浮かんだ。今にも、手をのばせば、彼等に届きそうなほどだった。
ココのことを思っては、優しい気持ちになった。武のことを思っては、切ない気持ちになった。
やがて、武の事をじわじわと考え始めている自分に、優春は気付いた。
先刻つぐみと談笑まで交わしておきながら、自分は武の事を思い煩い始めていた。
いつもの癖で、その感情を押し止めようとしたが、何故かこの時ばかりは出来なかった。
”つぐみと武の家庭を壊さないために”という理由も、”自分が好きになることで武を苦しめてしまわないように”という理由も、この時ばかりは何一つ受け入れられなかった。
思えばそれらは皆、自分を偽り、誤魔化し、なだめすかすために作られた物だった。そのための理由であり、欺瞞であり、矛盾だったのだ。
そう自覚してしまうと、心の退路は塞がれてしまい、優春は自分自身に狼狽した。
狼狽するも、ついにこう認めざるを得なかった。
つまり……それほどまでに自分は武のことを好きだったのだ、と。
それはまぎれもなく、18年前にLeMUで出会った、あの時からだった。己の運命も顧みず、命も顧みず、一途に自分達を救おうとしていた武に、自分は密かに恋慕の情を抱いていたのだろう。
当時もその感情は胸奥に抱いていたが、それを自分自身で深く認め始めたのは、2017年の事故の翌年あたりからだった。
IBFから漏れたティーフブラウ・ウィルスが、世界的に猛威を振るい始めたのも、その頃だ。ウィルスに冒されて死に行く母を見、優春は心の底からライプリヒ製薬を呪い、何も出来ないでいる自分自身を呪い、その実、心のどこかで救いを求めていたのだった。
母の臨終を看取った後、ライプリヒへの復讐を誓う傍ら、自分は武の事を思っていた。想い続けていた。
武がもし、ここに居てくれたなら……自分の傍にいてくれたなら……。武は、その手で自分を導いてくれるだろう。2017年のあの時のように。
ずっと、武の事を考えていた。
残された桑古木を育てていく傍ら、空をアンドロイドとして実体化させるための計画を立案する傍ら、武とココを救出する計画を遂行する傍ら、ただの一度として、武を思わなかった日は無かった。今再び、強く思う。自分は倉成武のことが好きだったのだ、と。
つぐみにはすまないと思いつつも、優春はいま少しだけこの想いを続けようと、目を瞑った。
覚えず、涙をこぼしていた。
昨日、自分を抱きしめ、慰めてくれた武の事を思う。
罪にまみれた自分のことを「誇って良い」と言ってくれた、武の事を思う。
さらに武は、こうも言っていたのだった。
生きるが故につきまとう、この苦しみは、果てのない”苦痛”ではなくって……果ての無い”問いかけ”なのかもしれない、と。
それは正に自分達が置かれている、今の状況のことだろう。優春はそう思った。
問いかけられているのは、今、危険にさらされている当の武とココであり、その二人を見て苦悶に苛まれるつぐみであり、桑古木であり、空であり、その彼らを見て苦渋の只中にある自分自身だった。
自分達は皆、今ふたたび問いかけられているのだった。生きることとはどういうことなのか、と。
ならば、その問いかけから、逃げるわけにはいかなかった。少なくとも、武とココが生きようとしている限り、そこから背を向けるわけにはいかない。
武への個人的な感情を、いったん胸の奥深くにしまい込むと、優春は再び今現在の状況について、心の整理をし始めた。
武の命。ココの命。その重さを心の内にしかと収めると、優春は改めて、今為すべき事を考え始めた。
目を開け、名残のように落ちかけてきた涙を指で拭った。
再びモニタに向かいながら、思案を巡らす。
二人から検出されたウィルスはいずれも、確かに自分達と同じキュレイ・ウィルスだった。これは間違い無い。
細胞に与える変性効果も同じ。免疫・代謝系を活性させる作用も同様だ。これらも、再三確認した。
では、何が違うのか……。
二人には、やはり他のエマージング(突発的な)ウィルスが感染しているのだろうか。あのティーフブラウ・ウィルスに匹敵するクラスの。そして、キュレイ・ウィルスの免疫力さえも凌駕するほどの。
けれども……と、データシートを性急に手繰り寄せながら、思った。万が一そのウィルスが感染しているのだとしたら、何故それらが全く検出されないのか。
判らない。どうしてなのか、判らない。
自分のかつて言った言葉を思い出す。
《武とココの免疫系の機能が活性化している》……これは違うのだろうか? 自分は見方を誤っていたのか? 血中リンパ球のCD4(ヘルパーT細胞)やサイトカイン(免疫活性物質)の測定を誤っていたのか? それとも測定の解釈を誤っていたのか? どうなのか。
判らない。やはり、判らない。免疫系の機能の活性と、二人の病変が、どうしても繋がらなかった。
ウィルスや細菌の侵入により、免疫系は当然の如く反応するのだが、その原因となるウィルスは、二人の体内に何も検出されていない。にも関わらず、免疫系の機能は活性化している。それも異常なまでに……。
コーヒーカップを落としそうになり、慌ててそれを掴んだ。その拍子で、手近のデータシートが散乱した。
拾おうとして腰をかがめた時、優春の動きは固まった。
まさか……。
まさか、だった。免疫系の機能が活性化しているのは――。免疫系が、武とココ自身が本来持っている何かに反応しているためだとしたら……。
武とココ、そして自分達の相違点を、今一度考えてみる。相違点。違い。そう言えば、2017年のあの時、二人は……。
ハイバネーション・ユニット――。その単語が、頭の中に閃いた。
それは今し方、自分が桑古木に用意をさせようとした物だった。あの時は、念のためにと思い立った言葉に過ぎなかった、それ――。
閃くや、声を上げそうになった。ハイバネーション……。
まさか……まさか。
もう一度、散乱したデータシートをかき集め、優春はそれらを凝視した。
次いで、キュレイ・ウィルスの遺伝コードに目を向けた。
その後で、優春は、もう一つのウィルスの遺伝コードにも目を向けた。――そのウィルス名はこうあった。ティーフブラウ・ウィルスと。
そして、二つのウィルスの遺伝コードをモニタに映し、更にその下には、武とココのウィルスの塩基配列の画像を並べた。
幾度も、その配列を見比べた。
見比べていく内に、胃がじくりと傷むのを感じた。想像が的中する予感があった。
おそるおそる、先のデータシートを取り上げた。
二人の細胞の、産生蛋白質のデータの項目で、目が止まった。
やはり、そうなのか……そうなのか。
二人のデータが示す、産生蛋白質の異常な数値。これだった。
直後、眩暈を覚えた。――ああ、自分は、今まで何を見ていたのだろう! 
データシートを掴むや、優春は立ち上がった。
ライブラリを飛び出し、PDAで空を呼び出しながら、優春は所長室に早歩きで向かった。
空、早く出て……早く……。
殆ど祈りに近い心境だった。三度目の呼び出し音で、空の声が聞こえてきた。
《田中先生。すみません、まだ解析の方は進んで……》
言いかける空を制して、優春は叫んでいた。
「空! その解析は、サブシステムに回していいわ! ……良い? 今から私が言うデータを、すぐにメインコンピュータのアルゴリズム解析ソフトにかけて頂戴。詳しい説明は、すぐ後でするから! 」
腕時計に目をやる。
"23:17"。そして長針は一巡し、もうじき"23:18"になろうとしていた。
過ぎ去った時間は、もう元には戻らない。
突然に、そんな事を思った。確実に時は流れ、その間に二人は死に近づいていく。時間の持つ無慈悲な不可逆性は、いつもこんな時に思い知らされるのだ。
なんてこと。武とココは、自らの免疫系に……。
早歩きだった足は、いつしか全速力になっていた。
LeMU。2017年。その場所とその過去は、いつまで自分達を縛り付けるのか……! 


ハイバネーション・ユニットの外窓を、つぐみはそっと撫でていた。
夜ごと、いつも武にしていた動作だったのだが、心はここに在らずだった。
”よせよ、ガキでもあやすように、俺を撫でるなって”
”やめろってば、額の生え際が具合悪くなるだろうが”
”ほら、沙羅とホクトが囃し立ててるじゃないか”
――武の口にしていた言葉が、つらつらと頭をよぎっては消えていく。
そんな武の目は、今閉じられたままだった。
身動き一つさえ無い。
つい昨晩まで、自分を見つめ、からかい、弄んでいた夫は、今深い静寂の中にいた。
自分を優しく抱いてくれた、あの腕は今、静かに下ろされている。
自分を真っ直ぐに見てくれた、あの目は今、静かに閉じられている。
静かに、ただ静かに、目の前の武は横たわっていた。
うつろな目で、つぐみはユニットの時計を見た。
"23:17"
デジタル時計なのに、秒針の刻む音が聞こえる。聞こえるはずのない音が聞こえる。
その音は、やがて途切れのない不鮮明な音になり、いつしかただの雑音になって、周囲の静寂にかき消えていった。
自分がどこに座っているのか、何を見ているのか、何故ここにいるのか。そんな感覚さえ遠ざかっていた。
空調機の音で、我に返る。
ユニットの時計は、"23:19"を表示していた。
ふと、大切なことに思い当たったように、つぐみは再び武の方を見た。
そこには、以前と同じ静寂の中に、夫の姿があった。
……その沈黙と静寂に、つぐみは武の死を直感した。
脈絡の無い、それはまるで不意打ちのような直感だった。
あわてて、それを必死で否定しながら、胸に手を当てた。
深く呼吸をする。自らの心臓は、一際高く跳ねていた。
それが収まるのを待つと、また、とりとめの無い錯覚や直感が首をもたげ始めるのを感じた。
先刻、明日の空を見るのだと誓っておきながら、小一時間後にはこんな有様だ。自嘲したくなるも、それすら侭ならないほど、自分は追い詰められていた。
武……。
涙を拭った。泣くことに対して、すっかり耐性の無くなってしまった自分だが、今更ながらにそれを思い知らされる。
「みんな、貴方のせいよ……私を、こんなふうにしてしまったのは……貴方のせい……」
自分でも判らず、笑みがこぼれた。
それがたちまち泣き顔に崩れる。
武……武……。
握った手が、知らず震えていた。その震えは体の奥底にまで及んだ。
感情を止めることは、出来なかった。
ユニットの窓に、すがるようにして額を寄せ、つぐみは嗚咽を漏らした。
武。早く……早く、目を覚ました貴方が見たい……。

そんな際、胸ポケットにしまってあったPDAが、振動した。
我に立ち返り、それを取り出す。着信は、優春からのものだった。
何度めかの深呼吸をした後、つぐみはPDAを開けた。
「はい」 
泣いた後で出した声のためか、それはかすれ、歪んでいた。唾を飲んで、もう一度、声に出そうとした。
それよりも前に、優春からの声が返ってきた。
《つぐみ。悪いけれど、今すぐ所長室に来てもらえる? 》
声は優春らしくもない、何かに切羽詰まった感があった。おかげで、冷静になる自分をつぐみは感じた。
「ええ。……すぐに行くわ。行くけれど、何があったのかは教えてもらえる? 」
《話せば長くなるわ》
「では、短くまとめて。武とココについて、何か判ったの? 」
言いながら、空圧ドアを開けた。
病室を後にする寸前、つぐみは武の方をちらりと見た。
胸が傷んだものの、すぐに戻るから、と心の中で声をかけ、つぐみは所長室へと向かった。
途中、優春が何かしらを話していたが、うっかり聞き逃していた。
《……聞いているかしら、私の話? 》
優春の苛立った声を聞きながら、つぐみは詫びた。
「ごめん。ちょっと今、別の事を考えてたわ」
詫びつつ、言葉を続けた。「武とココの病状について、何か判ったのね? 」
《ええ。とても、ね》
引っかかる物言いだった。
通路を右へ左へ折れながら、つぐみは口を開いた。
「どういうこと? それは決定的な事なの? 」
《そう言い切っても、良いかもしれない。武とココ、そして私達のキュレイ・ウィルスの違いについてが、今回の事で判ったわ》
優春の言葉に、何かしら頭に閃くものがあった。
「武とココのウィルスに、何らかの変異があったのね」
ほとんど無意識に出た言葉だが、それは正答を得ていたようだった。
短い沈黙の末、優春は、
《ええ、そうよ。武とココのバージョンが、私達のものとは違っていたの》
と返してきたのだった。
バージョン――。その言葉は、どこかしらで聞いた記憶があった。
そう、あれは、自分がかつてライプリヒに監視されていた頃だったか……。
記憶をたぐり寄せている内に、所長室へ続くセキュリティドアが見えてきた。
直後、そのドアが開かれた。
ドアの向こうに立っていたのは、空だった。

空に導かれ、所長室の中に入ると、優春が待っていた。
優春は、つぐみの姿を認めるや、性急に話を切り出してきた。
「つぐみ。今し方の話の続きをするわね。バージョンというのは、」
「ウィルスの変異世代のことでしょう」
つぐみも同じように、性急に応じた。
さらに優春と空の双方を見ながら、言葉を続ける。
「ライプリヒに監視されていた頃に、良く聞いた単語だったわ。それは」
「……なら、話は早いわね」
素直に頷くと、優春は、自分の机上にあったデータシートを、つぐみに渡してきた。
手渡されたデータに目を落とす。
英文と独文とデータの羅列の中に、やがて、つぐみは奇妙な記号の配列を見つけた。
"B/Tokyo/ 2035/ 01"
先頭の記号が気になった。これは確か、キュレイ・ウィルスを識別する番号の一つだった。
通例、先頭の記号は、サンプルのバージョンの改訂番号になっている。
地名の後のスラッシュに続く数字は、おそらく発見年とウイルス株の番号なのだろうが、先頭の記号は、まぎれもなくウィルスのバージョンだった。
すなわち、このキュレイ・ウィルスは、改訂が二度あったということになる。
「気になるのは、」 と、つぐみは口を開いた。
「その記号がBであるということよ。ということは、改訂前のバージョンAが存在していたことになるわね。
そのAは何を意味しているの? そもそも、大元のバージョンとは何? 」
「貴方なら、察しはついているでしょう? 」
「ついているわ。それでも私は、あなたの口から回答を聞きたいの」
責めているわけでもはなく、疑っているわけでもない。それは、あくまでも確認のために聞いた言葉だった。
優春はつぐみをしばらく見つめ、何かしらを詮索しようとしていた。が、すぐにそれは無駄だと判断したのか、口を開いた。
「……つぐみ。大元のバージョンとは、あなたの血液から採取されたオリジナルの物よ。
そして、バージョンA……。Aとは、一度目の改訂という意味だけれど……これは、2017年の事故の際、私と桑古木、そして武とココに感染して、新しく発生したキュレイ・ウィルスのこと。つまり、二世代目のキュレイ・ウィルスという訳」
ここまでで一旦言葉を切り、優春は再び口を開いた。
「そして、バージョンB……。ここからは長い話になるけど、つきあってもらうわよ。いい?」
つぐみは、即答した。
「それは、意味の無い質問ね。……そのために、貴方は私を呼んだのでしょう? 」
優春と空は、じっとつぐみを見ていた。が、やがて、それぞれの顔に笑みが浮かんだ。
笑みを収めた空が、ゆっくりと前へ進み出た。
「つぐみさん。了解しました。……私の方から、説明をいたします」

空の説明を聞いていく。
しだいに、立っている足の感覚が無くなっていくのを感じた。
武とココに起こっている病変の真相について、ある程度の覚悟はしていたのだが……空の説明は、正直予想を超えていた。
血の気が退き、全身に寒気が忍び寄ってくる。
”まさか”という思いは、次第に”そういうことなのか”という得心に変わり、やがて絶望的な想像に及んだ。
キュレイ・ウィルスが、武とココの中で突然変異を起こし、それが各組織に機能不全を及ぼしている……。
原因は、2017年のハイバネーションにあった。
ハイバネーションは、体を低温状態に保ち、代謝効率をさげることで、体内のエネルギーを極力消費しないようにするものだが、このことが、キュレイ・ウィルスにある変異を起こさせる要因となってしまった。
肉体が普通の状態であれば、キュレイ・ウィルスが比較的短時間でティーフブラウ・ウィルスの抗体を作り出して駆逐してしまい、後に変異が起きることはない。
だが、低温状況下の場合、キュレイ・ウィルスの活動は鈍化してしまっている。このため、ティーフブラウ・ウィルスを駆逐する際に、ティーフブラウ・ウィルスの遺伝コードがキュレイ・ウィルスと交じり合ってしまった。こうして、ウィルスは変異をおこしてしまったのだ。
変異したキュレイ・ウィルスは、ある程度の潜伏期を経た後、病原性ウィルスとなって、細胞に異常な蛋白質を産生させてしまう。
結果として、その細胞は免疫系に異物と見なされ、攻撃されることになる。
免疫に叩かれながらも、体内では次々と他の細胞が、異常蛋白質を産生し続ける。それは血液の中でさえも産生を止めず、不凍蛋白液などをも産生してしまうのだ。すなわち、この血は止まりにくいのだった。
そして、この不凍蛋白液の成分もまた、DNA検査により異常が見受けられた。
――さらに、これらの組織や細胞を、次々と免疫が取り込んで殺していく。
結果、各器官の細胞が連鎖的に壊死を起こし、その人間は多臓器不全に陥り、死に至る事になる。
――皮肉にも、自分自身の生命を守るはずの免疫に、その人間は殺されてしまうのだ。
「そして、先の回答をするわね……。先のバージョンBとは、”武とココの中で、バージョンAのウィルスが変異を起こしてしまった、第三世代のキュレイ・ウィルス」
「今、はっきり言えるのは、これ以上無く事態は深刻だということよ」と優春は、ここまでで口を閉ざした。
明らかに気遣うような視線を感じたが、それをつぐみはあえて無視した。
精一杯の意地を持って、その場に立ち続けた。
倒れてしまうわけにはいかなかった。武とココが無事に生還するまでは、自分の足で立ち続けていたかった。
ゆっくりと、つぐみは口を開いた。
「そう……説明は実によく判ったわ、優。……それなら、次に私のする質問くらいは判っているでしょう? 」
つぐみの問いに、優春はこう答えた。
「ええ……つぐみ。判っているわ。あなたの質問はおそらくこうね。”武とココは、助けられるのか? ”と」
そうして、優春は言葉を続けた。「……だとすれば、答えは”イエス”よ」
「どうやって? 変異を起こしたキュレイ・ウィルスを、さらに駆逐できるようなウィルスがあるとでも言うの? 」
間髪入れずに、つぐみは口を開いていた。
知らず、言葉に感情が上ってきていた。判っているが、武とココに話が及ぶと、どうしても自分を抑えられない心理状態にあった。
優春は、少し眉をひそめた。
「駆逐? それは違うわ。キュレイ・ウィルスを駆逐し且つ、人体に無害なウィルスなんて、この世には存在しない。……さっきの”イエス”の意味は、そういったことじゃないの」
ここで、空が口を開いた。
「もう一度、倉成さんとココちゃんに、ティーフブラウ・ウィルスを感染させるのです」

ティーフブラウ・ウィルスを、もう一度、感染させる? 
言葉だけが、耳を透過していった。その意味は、全く頭に留まらない。
ティーフブラウ・ウィルスを、感染……。感染。
感染……細胞……遺伝コード……。
独り言をつぶやいていた。
取り留めの無い連想が、脳裏をかすめていく。が、それぞれは、点が結びついて線になるがごとく、つながっていった。
やがて、それが一つの推論となり、一つの確信となって、頭の中で形作られるに至った時、つぐみは言葉を失った。
視線を優春と空に向ける。
優春は、静かに微笑んでいた。
「そう。倉成とココの細胞にティーフブラウ・ウィルスをわざと感染させて、二人の細胞内のキュレイ・ウィルスの遺伝コードを書き換えさせるのよ」
後の説明は、空が引き継いだ。
「このティーフブラウ・ウィルスには、正常なキュレイ・ウィルスの遺伝コードを組み込んでおきます。つまり、このウィルスをベクター(運び屋)として、倉成さんとココちゃんの体内に投与するのです」
さらに、優春が付け加えた。
「このティーフブラウ・ウィルスが、ベクターとなって細胞に次々と感染する。
この時に、正常キュレイ・ウィルスの遺伝コードも、二人の細胞に取り込まれていくことになる。
二人の細胞はすでにキュレイ化しているから、その遺伝コードも細胞内のキュレイ・ウィルスに取り込まれる。これにより二人のキュレイ・ウィルスに、遺伝コードが補完されていく。
一方ティーフブラウ・ウィルス自体は、本来二人の持っていた抗体によって駆逐される。
そして、機能不全を起こしていた各器官は、キュレイ・ウィルスの代謝機能により、その機能を取り戻していくわけ。
キュレイ・ウィルスは正常化し、ティーフブラウ・ウィルスは駆逐される。体の各組織も、キュレイ・ウィルスの代謝効果によって元の状態にまで回復する。
……結果、武とココは助かるはずよ」
ただし、それには奇跡も必要になるかもしれないけれどね、と優春は言い結び、口を閉ざした。
つぐみは黙したまま、優春と空を見ていた。 いや、優春を見ていた。
優春の言葉は、確かに事の本質だった。だが、その中にはもう一つ、重要な意味が含まれていた。
「優……。あの時と同じ危険を、貴方はまた再現しようというのね」
「そう、あの時と同じ」
腕を組み、優春は静かに微笑んだ。「武とココを救うために、また同じ危険を再現させるのよ……皮肉なことだけど」
優春は、2017年のあの事故を、2034年で同じように再現させていた。
武とココを救うため、ブリック・ヴィンケルを発現させるために、それは行われた物だった。だが、今また、優春は2017年と同じ危険を再現させようとしていたのだった。
今回は、事故を起こすわけではなく、状態を作り出すのだ。
”武やココが、共にティーフブラウ・ウィルスに感染した”という、2017年のあの危険な状態を。
今度は誰に頼るわけでもない。自分達の力で、武とココを守るために。
今再び。
武とココの命を救うために……。

「つぐみさん、貴方にお願いがあります」
空は、つぐみに目を向け、口を開いた。
「もう一度、貴方の血液を採取させていただきたいのです。そこから、純キュレイ種の遺伝コードを取り出し、ベクター用ティーフブラウ・ウィルスに組み込みます」
「もちろんよ」
寸刻のいとまもなく、つぐみは即答を返した。
「貴方達の望むだけ、採取してかまわない」
自分の手を差し出し、つぐみは優春と空を見た。
そして、決然として言ったのだった。

「それで、今度こそ終わらせて。……私達の2017年を」




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