New himself 朝霧有 |
その日の午後、私はいつもより早く仕事を片付け、コーヒーで一服していた。 暖かな日差しが室内に射し込み、何とも言えぬ解放感を作り出している。 窓の外には、太陽に照らされた元気のいい景色が広がっていた。 私はイスを立つと、近づいて窓を開けた。 清々しい風が室内に流れ込む。 「あら、暑かったんですか?」 背後で空が不思議そうに尋ねる。私は背中を向けたまま答えた。 「いえ……勿体無いと思っただけよ」 「勿体無い?」 「深く考えなくていいわよ」 私は眼下に広がる地上と、無限に続く空を眺めた。 「ただ、“なんとなく”思っただけ―――」 「何だと!?」 突然の怒号に、私の声はかき消された。 「な、何かしら?」 「さ、さあ……分かりません」 私は窓を閉めると、声のした方へ向かった。 曲がり角から廊下の先を除くと、倉成と桑古木が立っていた。 倉成の表情は見えないが、向かい合っている桑古木の表情は確認できた。 ………青筋立てて怒っている。 (うわ、ケンカかしら?) 「馬鹿にするのもいい加減にしろよ!」 「お前が勝手に怒っているだけだろ!?」 「武が怒らせてるんだろ!」 「何ぃ!?」 ハラハラしながら行方を見守っていると、 「もういい、絶交だ!」 と倉成が怒鳴り、桑古木に背を向けた。こちらに歩いてくる。 (や、やばっ!隠れなきゃ!) 私は慌てて近くの部屋に駆け込み、彼が通り過ぎるのを待った。 (このままにしておくのは性に合わないわね……) 通り過ぎたことを確認すると、私は倉成の後を追った。 桑古木と距離が離れたことを確認すると、私は倉成に声をかけた。 「一体どうしたのよ?倉成」 「俺に触るな……」 「別に触ってないけど……」 私がそう言うと、倉成はぐるりと振り向いた。疲れたような顔をしている。 彼はため息混じりに言った。 「悪いけど、俺は疲れてるんだよ。馬鹿な奴のせいで」 「桑古木のことかしら?」 すると、倉成は少し驚いたように目を丸くした。 「聞こえてたのか?さっきの」 「あれだけ大きな声で怒鳴り散らせばね」 一歩、ぐいと歩み寄る。 「何でケンカなんかしたのよ?大人気無いわよ、倉成」 返ってきた言葉は意外なものだった。 「あいつはそれを嫌がってるんだよ」 「………へ?」 それ? 一体何のことだろうか。 再び倉成を問い詰めようと下げていた顔を上げると、彼の姿はもう消えていた。 俺は頭から湯気を立てながらドアをノックした。 ついついドアを叩く手にも力がこもり、乱暴な音が響く。 「優?いるか?」 「桑古木さん?」 ドアが開く。 緊張した面持ちの空が立っていた。 「ああ、空。優はいるかな?」 「いえ、先ほど出て行かれましたけど……」 空は顔を覗かせ、廊下に誰もいないことを確認すると、俺を室内に引っ張った。 俺の背後でドアが閉まる。 「どうなされたんですか?倉成さんと口論していたようですが……」 「いや、空には関係無いんだ」 俺は振り返り、ドアから出て行こうとすると、 「ロックしました。私の許可が無いと出られませんよ」 空はにやりと笑い、机上のPCを指差した。 数分後、俺は降参して窓側のソファーに空と向かい合って座っていた。 空が俺に淹れたばかりのコーヒーを差し出す。 コーヒーは俺の顔を映していた。 「武が俺を子ども扱いするんだ……」 「倉成さんが?」 「ああ。いつまで経っても俺を少年、少年って呼んでさぁ」 「……それで?」 「頭にくるんだよ。俺はもう17年前の“少年”じゃ無いのに」 黒い鏡に映された俺が揺れた。 口元が歪み、俺を笑っている。 「桑古木さんはどうしたいのですか?」 「俺は―――」 コーヒーを一口飲んだ。笑う俺は見えなくなり、喉から俺が流れ込んでくる。 それはあまりにも苦かった。 苦すぎた。 「俺は、武に“もう子どもじゃない”ってことを見せてやりたい」 顔をしかめながら呟く。 すると空は同じようにコーヒーを一口飲み、言った。 「それじゃダメですよ」 「何が?」 「もっと自分を受け入れてください」 言いながらコーヒーカップをこつん、と指先でつつく。俺はその中を覗いた。 俺は相変わらず笑って映っている。 本当の俺はしかめっ面なのに。 「自分をありのままに受け入れれば、笑顔で飲めますよ」 空は美味しそうにコーヒーを飲む。 「そうすれば、全然苦くありませんから」 何故だか俺は恥ずかしくなって、空の目を見ていられずに窓の外に視線を移した。 眩しいくらいの景色が広がっていた。 「閉じ込めておくのは……勿体無いな……」 俺は立ち上がり、窓を開け放つ。 清々しい、ありのままの風が頬を撫でた。 「ただいま」 俺は玄関を開けて、靴を脱いだ。重い足取りで居間に入る。 そこにはホクトがいた。俺の姿を見つけ、笑顔で「おかえり」と言う。 何が嬉しいのだろう。 何も嬉しいことなんて無いのに笑っている。 やはり“子ども”だ。 「どうしたの?お父さん」 俺の様子が少し変だったのか、ホクトは心配そうな顔で覗き込んできた。 「何でも無い。少し疲れてるだけさ」 「具合でも悪いんじゃ無いの?」 「いや、本当に疲れてるだけだよ」 「でも、顔色が悪―――」 「しつこいな!!」 怒鳴ってから後悔した。 ホクトは見る見る内に顔を青ざめ、動揺しているのが分かった。 「あ……」 「ご、ごめん……」 ホクトはそれだけ言い残すと、居間を出て行った。 その肩は震えていた。 私は居間のドアを開け放った。武がびくっ、と驚いた顔で私を見つめる。 私は歩み寄り、遠慮無しに武の顔をぶった。 景気のいいパチンという音が鳴る。 「武のバカッ!!」 彼は“殴られて当然”という、罪悪感のある表情でうつむいた。 「あ、ああ……悪かったよ」 「分かってないわ」 私は続けざまに言った。 「私はホクトを怒鳴ったことに腹を立てているんじゃ無いの」 武が目を丸くする。 「桑古木の気持ちを全然理解していないのに腹を立てているの」 「……え?お前………」 「聞いたわよ。さっき、優から電話があったのよ」 「つぐみ、いるかしら?」 「お母さんですか?ちょっと待ってくださいね」 ………………。 「なに?優」 「ああ、つぐみ……倉成のことなんだけど」 「渡さないわよ」 「ああっ!違う違う!そのことじゃ無くて!」 「なに?」 「今日、倉成と桑古木がケンカしたのよ」 「武と少年が……?」 「そう。そして、どうやら桑古木は自分が“子ども扱い”されていることに―――」 「怒っているの?」 「そ、そう。よく分かるわね」 「変ね……BWかしら?」 「まあ何でもいいわ。とにかく、つぐみからも何か言ってやってくれない?」 「ええ、いいわよ。得意だから」 「得意?」 「いえ、気にしないで。それじゃ、切るわよ」 「ええ……つぐみ」 「ん?」 「私は諦めない」 ガチャン。 ツーツーツー。 最後のやり取りが気になったが、俺は何も言わず黙っていた。 やがてつぐみが口を開いた。 「いい、武?桑古木はあなたの眠っている間に強くなったのよ」 確かにそうだ。17年も季節を重ねれば強くなるに決まっている。 「むしろ生きてきた時間だけを考えれば、彼はあなたよりも強いの」 確かにそうだ。俺が冬眠している間も少年は生き続けてきた。 「彼はそれをあなたに認めてもらいたいのよ」 それは何故だ。別に俺は少年にとって何の存在でも無い。 「それは何故か?あなたを超えたいと思っているから」 俺を超えたい? 「17年、傷ついて、傷ついて……それでも諦めなかった」 ………………。 「どうして認めてあげないの?武」 どうすればいい? 「桑古木はもう“少年”じゃ無いの………」 なんなんだ? 「折れない意志と鋼の心を持った“男”なのよ」 俺は深い眠りの中にいた。 空と話した後、緊張して疲れたせいか眠ってしまったのだ。 (ここは……夢の中か) 「そうだよ」 俺は驚いて振り向く。 俺が立っていた。 17年前の“僕”が。 「やあ、裏切り者」 (う、裏切り者?) 「そうさ。“桑古木涼権”を捨てたんだからね」 (捨てた?) 「君はようやく見つけた“桑古木涼権”では無く“倉成武”を選んだ」 (それは……武とココを救うためで……) 「そう、救うため。そのために“桑古木涼権”を捨てたんだろ?」 (そうだ。俺は二人を救うために―――) 「僕を捨てた」 動揺が見える。 「僕を……ずっと君を待っていた僕を……!!」 恐怖が見える。 「怖かった……暗い所に閉じ込められて……!!」 絶望が見える。 「やっと手を?んでくれたと思ったら……また引き離す!!」 (ち、違う!!) 「違わない!!僕を……僕を捨てたんだ!!」 (止めろ!!) 「裏切り者!!裏切り者!!裏切り者!!裏切り者!!裏切り者!!」 (止めろ………止めてくれ………) 「裏切り者!!!」 「止めろォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!」 俺はベッドから飛び起きた。 枕元の目覚まし時計を壁に投げつける。粉々に砕けた。 「止めろォォ!!!来るな!!!来るなぁ!!!」 部屋にあるものを手当たり次第に投げる。それらは大きな音を立てて壊れていく。 すべてが壊れていく。 「寄るな!!!見るな!!!俺に触れるな!!!止めろォ!!!」 すべてが虚ろになっていく。 「嫌だ……嫌だ……!!!」 涙が溢れてくる。 「嫌だ……嫌だよ……嫌……だ………」 俺は両手で頭をかきむしった。 「うわあぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」 「少ちゃん!!」 ドアを開け、ココが飛び込んできた。 俺は嗚咽をたれ流しながらココにすがりつく。 「……嫌だ……怖いよ………あああ……」 「大丈夫。大丈夫だよ……」 しばらく時が流れた。 俺は窓を開けた。 相変わらず、天気のいい空だ。 階段を下りて居間に入ると、ホクトの姿が見えた。 ホクトは俺の姿を見つけると、逃げるように背中を向けた。 「あ……待ってくれ、ホクト」 俺はホクトに声をかけた。 「その……昨日はごめんな。俺が悪かったよ」 「お父さん……」 「つい、気が立っていたんだ。悪い」 「……ううん、いいよ。もう気にしてないから」 「そっか……」 「だから、もう大丈夫だよ」 「ホクトは強いな………」 俺の呟きに、ホクトはようやく笑顔で答えた。 「当たり前だよ。だってお父さんの子どもなんだから」 「ママ?何かいい事あったの?」 「ふふふ……何でも無いわ」 「ココ……俺は……」 「落ち着いて、ゆっくりと深呼吸をして?」 「すー……はー……」 「うん。そうそう」 「ひっひっふー、ひっひっふー」 「それは違うよぉ」 「あ、そうか。いつか武がやってたから……あ」 「たけぴょんのマネしちゃったんだね」 「……やっぱり俺は……」 「そんなこと無いよ」 「え?」 「17年前の“自分”と17年間の“たけぴょん”」 「………………」 「それらを組み合わせて、より強くなったのが“君”」 「あ………」 「君は君だよ?どちらでも無い……新しい“桑古木涼権”」 「ココ……」 「だから、怖がる必要は無いんだよ。胸を張って『俺が桑古木涼権だ!』ってね」 「新しい……桑古木涼権……」 「そう♪ココ、たけぴょんよりカッコよくて惚れ直しちゃったぞ?」 「桑…古い木…涼しい…権…」 「それが………“俺”と“僕”の名前」 武は再び桑古木と対峙した。 彼の瞳を覗き込む。 そこに武は映っていなかった。 羨ましいほどの“男”が宿っていた。 「桑古木……」 武が謝ろうとすると、 「武、昨日は悪かったよ」 桑古木が先に頭を下げた。 「優にこき使われて、ストレスが溜まっていたんだ。悪かった」 「いや、俺の方こそ……悪かったよ」 「………」 「………」 「あは、あははは…」 「ははは…」 「あーっはっはっはっはっは!!」 「ははははははははは!!」 バタン!!! 突然、二人の背後のドアが倒れた。 驚いて振り返ると、いつもの面々が山積みに倒れていた。 「ちょっとぉ!だから押さないでって言ったでしょ!?」 「ご、ごめん、ユウ」 「やだぁお兄ちゃん♪そこは触っちゃだめだよぉ♪」 「ほ、ホクトぉ!?」 「ごっ、誤解だよ!沙羅っ!」 「あははははははははっ♪」 「退いて下さい、ホクトさん。重いですよー…」 「たけぴょん、クワコギぃ〜!助けてよぉ〜♪」 「く、クワコギ!?」 「うん。いつまでも“少ちゃん”は悪いと思って、ココが考えたの♪」 「クワコギ!助けてってばぁ!」 「クワコギ!」 「クワコギー!」 「桑古木ぃ……」 「ゆ、優?」 「私があなたをこき使っているですってぇ……!?」 「あ、いや、その……それは……」 「桑古木、俺は逃げるからな?」 「た、武!?」 「待ちなさい!!」 「だああっ!何で俺まで!?」 ボクは微笑んでいるつぐみの隣で、みんなを眺めていた。 いつしかボクも笑顔になっていた。 何回転んだっていいさ 何回迷ったっていいさ 大事なモンは いくつも無いさ 後にも 先にも ひとつだけ ひとつだけ その腕で ギュッと抱えて放すな その中に ひとつだけ かけがえの無い 生きてる自分 弱い部分 強い部分 その実 両方がかけがえの無い自分 誰よりも 何よりも それをまず ギュッと強く抱きしめてくれ BUMP OF CHICKEN 『ダイヤモンド』 |
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