赤い糸
                              作 大根メロン



満月の下。
森の中を、1つの影が疾走していた。
彼女の名は、小街月海。吸血鬼――ヴァンパイアの少女。
そしてそれを、法衣を着た数人の異人が追う。
その者達は、聞き慣れない言語で会話をしている。だがつぐみは、それが何語だか知っていた。
イタリア語だ。何故なら、彼等はローマに存在する小さな、それでいて多大な影響力を持つ国――カトリックの総本山、ヴァチカンの異端審問官なのだから。
文明開化以後、この日本には様々なものが異国から入ってきた。人、物、そして… 宗教。
その結果がこれだった。この国で静かに暮らしていただけのつぐみは、今や追われる身だ。
つぐみは後ろに振り返った。
今までつぐみがずっと逃げていたのは、彼等の隙を突くため。逃げる事しか出来ないと思わせ、油断させるためだ。
「…そろそろ反撃の時かしら?」
つぐみは、400年の時を生きる長生者(エルダー)。その能力は新生者(ニューボーン)を遥かに上廻る。
それに対して、敵は人間――温血者(ウォーム)が17人。戦闘訓練はいくらか受けているだろうが、所詮はザコだ。
つぐみの身体に力が溢れる。満月の光は、夜の闇に棲む化生の者達に力を与えるのだ。古今東西、それは変わらない。
つぐみは振り返り、反撃を開始する。なるべく揉め事は避けたかったが、こうなっては仕方ない。
それに、この者達の血を頂けば、しばらくは赤い渇きに悩まされる事もないはずだった。
つぐみが跳び、敵の1人に腕を振り落ろす。
闇が、赤く染まった。



時は大正時代。そしてこれは、人と鬼の物語。



『倉橋家』。
安倍家の分家である、安倍晴明の末裔の一族。
その屋敷の広間に、1人の青年が立っていた。
その青年が、口を開く。
「それで、俺を呼び出した理由はなんだ?」

――仕事だ。

何処からか、声が響いてくる。
「仕事?」

――そう… 退魔だ。

「…この西洋化の時代に、退魔か。時代遅れも甚だしいな」
青年は小さく笑った。

――時代がどれだけ変わろうと、夜が滅びぬ限りそこに棲む者達も滅びぬ。

「分かってるよ。んで、相手はどんな奴だ?」

――小街つぐみ、だ。

「小街つぐみ? あの不死者(アン=デッド)か。でも、あいつはそんなに危険視されてなかったはずだろ? 必要最低限の吸血以外では人に危害を加えない、良心的な化生だって話だぞ?」
青年は不信そうな顔をする。
倉橋は、化生を残らず狩ろうとする霧神とは違う。人に危害を加えない者まで狩る理由はない。

――そう、危険視されてはいなかった。つい先日まではな。

「つい先日?」

――数日前、小街つぐみは教皇庁の異端審問官を17人殺した。

「…防衛のためだろ?」
青年は人殺しが嫌いだった。
しかし、防衛のためには相手を殺さねばならない事も理解していた。

――確かに。だが、この地を血で穢したその罪… 見過ごす訳にはゆかぬ。

「…なるほどな。穢れは、守護の弱体化に繋がる」
青年は頷いた。
「分かったよ。小街つぐみを狩ってくればいいんだな?」

――そうだ。行け……。

青年は1本の日本刀を手に取る。その刀の銘は『陽光』。
そして、青年――倉橋武は、その場から去って行った。



つぐみは街の中を、少し急いで歩いていた。
エルダーにとって、頭上で輝く太陽は驚異ではない。だがやはり、あまり気分のいいものではなかった。
(それにしても、まずい事になったわね……)
そうするしかなかったとはいえ、人を17人も殺したのは大きな問題だった。
今までつぐみは、人の中で静かに暮らしていた。それ故に、退魔から狙われる事はほとんどなかったのだ。
だが、今は違う。
すぐに、命を狙われる事になるだろう。
つぐみは自分の考えに苦笑した。つぐみには、狙われるような命はない。何故なら、ヴァンパイアは魂を持たない死人なのだから。
だがそのおかげで、随分と苦労している。魂を持たない者は鏡に映らない。女性であるつぐみにとっては、大きな問題だった。
「ふぅ……」
つぐみは1つ溜息をつく。
その時、あるものが眼に入った。
甘味処。
ヴァンパイアは血さえ摂取していれば、生命活動を維持出来る。死人が生命活動、というのも変な話だが。
しかしたまには、おいしいものを食べたくなる事もある。
つぐみはその店の、のれんをくぐった。



「聞いたかい? あの噂……」
「神隠しでしょう? 怖いわねぇ……」
つぐみはあんみつを食べながら、他の客の話を聞いていた。
神隠しというのは、この辺りで囁かれている噂だ。最近、子供が何人も行方不明になっているらしい。
「この席、いいか?」
突然、つぐみは声をかけられた。
それは、1人の青年。
「別にいいけど……」
この店にはまだ空いている席がある。わざわざ、相席をする必要はない。
「ちょっと人捜しをしていてな。話を聞きたいんだ」
青年はあんみつを注文した後、つぐみの疑問を感じ取ったようにそう言った。
「…人捜し?」
「そう、人捜し。小街つぐみって奴だ」
つぐみは少しも動揺を見せず、答える。
「さぁ、知らないわ」
「…そうか……」
青年は少し何やら考え、
「実はその小街つぐみって奴はな、吸血鬼なんだ」
と、言った。
「吸血鬼? あなた、頭は大丈夫?」
この程度の揺さ振りで墓穴を掘るほど、つぐみは甘くない。
冷静さを失わず、返答する。
「いや、吸血鬼というよりは… 喰鼠鬼だな。そいつ、ネズミを食べて生きてるらしいから」
「なっ!? 食べてないわよ!!!」
つぐみは思わず叫んでいた。
客の視線がつぐみに集まる。
だが、それ以上の問題は、
「見つけた、小街つぐみ」
この青年に正体がばれた事だった。
「あなた… 何者なの?」
「俺は倉橋武。退魔師だよ」
武は笑いながら、自身の名を名乗る。
「用件は分かってるよな?」
「私を殺しに来た?」
「いや違う。命なき者を殺す事なんて出来ない。滅ぼす… 壊すって言った方がいいか?」
「…あなた……」
殺気が渦巻く。
だがその時。
「まぁまぁ御2人共。喧嘩しない、喧嘩しない♪」
明るい声が響く。
そして、1人の女の子が2人の席に座った。
「おねぇさん、いつものやつ!」
どうやら、常連らしい。
「…………」
武とつぐみは、すっかり毒気を抜かれてしまった。
「え〜と… 君は?」
武が微妙に戸惑いながら、女の子に訊く。
「ココの名前は八~ココだよ。『ちょーのーりょくしゃ』なのだ。えっへん♪」
「ちょーのーりょくしゃ?」
武とつぐみが、同時に呟いた。
「あなた達は?」
「え? お、俺は倉橋武……」
「小街つぐみ、だけど……」
2人は何故か、答えてしまった。
「おっけー、たけぴょんにつぐみんだね」
「た、たけぴょん?」
「…つぐみん?」
その上、変な仇名まで付けられてしまう。
「それで御二人さん、どうして喧嘩してたの?」
「ん、いや… ちょっとな」
「…別に大した事じゃないわ」
2人は適当にお茶を濁す。
「ふ〜ん… まぁ、喧嘩するほど仲がいいっていうしぃ……」
「なっ!!?」
2人が同時に叫ぶ。
「おお、息ピッタリ」
「どうしてこんな奴と!」
「冗談じゃないわ!」
ココはそんな2人を見ながら、
「いやいや、最初はそうでも、後から仲良くなっちゃったりするものですよ?」
そう言った。
「浦島太郎と八百比丘尼も、最初は仲が悪かったけど… 最後は、アツアツの夫婦になったしね♪」
「浦島太郎と……」
「…八百比丘尼?」
武とつぐみは首を傾げる。
「と、いう訳でぇ… たけぴょんとつぐみんの小指は赤い糸で――」
「繋がってない!」
また、2人は同時に叫んだ。
「えぇ〜? でも、ココには視えるよ?」
「赤い糸が?」
「うん♪ 御二人さんの糸も、ココの糸も♪」
「ココの糸は… 誰と繋がってるの?」
つぐみがそんな事を訊く。
ココは眩しいほどの笑顔で、言った。
「お兄ちゃん♪」
お兄ちゃん――つまり、兄。
武とつぐみの顔に、困惑の表情が浮かぶ。
「コ、ココ… そういうのは、さすがに問題があると思うぞ……?」
「ほへ?」
武がココの説得を始める。
つぐみは少しの間それを眺めていたが、しばらくすると席を立った。
「お、おい! お前……」
「…夜になったら、また会いましょう」
武の言葉に答えながら、つぐみは甘味処を出た。
「赤い糸、か……」
自分の糸は誰と繋がっているのだろう?
つぐみは一瞬、そう考えた。
「…どうでもいいわ」
化生であるつぐみに、運命の人などいるはずがない。
ヴァンパイアにとって赤は血を表す色。それが誰かに繋がっているとしたら、それはつぐみを吸血種へと転化させたヴァンパイアだ。



深夜。
つぐみは街の広場に立っていた。
ガス灯が、辺りを照らしている。
文明開化以後、この国の化生達を1番恐れさせた物が、このガス灯だ。ガス灯の光は夜を侵蝕し、化生達の棲む闇を奪う。
もっとも、太陽の光さえ克服したつぐみには、その程度の闇払いなどまったく関係ないが。
「よぉ」
声が響く。武だった。武は、闇の中に1人で佇んでいる。
化生が夜の住人なら、それを狩る退魔師もまた、夜の住人なのだ。
「さて、狩りの時間だ」
「…狩られるような事をした覚えはないけどね」
「俺は人殺しが嫌いでね」
「殺さなきゃ殺されてたわ。当然の事よ」
「確かに。でもそれを、当然の事だと考えてるような奴を野放しに出来るか?」
「偽善ね」
つぐみは武に侮蔑の眼を向ける。
「ウォーム如きが、私を斃せるとでも?」
「一応、専門家だからな。あんまり甘く見ると痛い目に遭うぞ」
武は跳ぶと同時に抜刀し、
「倉橋武… 参る!」
つぐみに斬撃を放つ。
(へぇ… 思ってたより速いじゃない)
つぐみの左腕は、その斬撃で斬り落とされていた。
武はつぐみの左側に廻り込み、追撃を仕掛ける。
「でも、甘いわね」
つぐみの左腕が一瞬で再生し、武を突き飛ばした。
「うぉ!?」
「1滴残さず… 血を吸われなさい!」
さらに、斬り落とされた左腕が無数の蝙蝠へと変じ、武に襲いかかる。
「くっ…!」
武は陽光を振り、その剣圧で全ての蝙蝠を粉々に吹き飛ばした。
「…少しは出来るみたいね」
「甘く見ると痛い目に遭う、って言ったろ!」
「でも、所詮はウォームよ。エルダーには勝てないわ」

ドォンッ!!

武の身体を衝撃が貫く。
(――!? 殴られた…!!?)
武の眼では、まったく動きを捉える事が出来なかった。
まるで、風のような速さだった。
「フフ… どうしたの?」
武の背後から、つぐみの声。
武の斬撃とつぐみの拳撃が、交差する。
そして、数秒後。
「ぐあっ……!!?」
倒れたのは、武だった。
「…あの一瞬で、何発打ち込んだんだよ……?」
「17発以上。そこから先は数えなかったわ」
「…お前、強すぎ」
武は跳び、つぐみとの間合いを取る。
「それで、どうするの? 私をどうやって斃す?」
つぐみは余裕の笑みを浮かべ、武を見た。
武は少し考えた後、
「そうだな… こんなのはどうだ?」
陽光を、思い切り地面に叩きつけた。
「――!!?」
衝撃が地を砕き、土煙を舞い上がらせる。
「くっ……!」
そしてその土煙が晴れた時、そこに武の姿はなかった。
「…逃げたの?」
死合は試合とは違う。殺られそうになったら、逃げるのは当然だ。
だが、自分から挑んだ闘いから逃げるのは、誇りや意地を捨てる事を意味する。そして夜の住人は、その誇りや意地を命よりも大切にするものだ。
しかし、武は逃げた。何よりも、自分の命を重視したのだ。
「…あいつ、何なのよ……?」
つぐみがそんな退魔師に会ったのは、400年の時の中でもこれが初めてだった。



翌日。
つぐみは昨日と同じく、甘味処であんみつを食べていた。あんみつが気に入ったらしい。
そこへ昨日と同じく、
「この席、いいか?」
武が現れた。
「…勝手にしなさい」
つぐみは不快そうな表情で答える。
「それで、私に何か用?」
武は鮪饅なる奇怪なモノを注文すると、
「訊きたい事があるんだ」
と、答えた。
「訊きたい事?」
「そう。闘うにしろ話し合うにしろ、まずは相手の事をよく知る事が大切だ」
「…私と話し合うつもりがあるの?」
「だってお前には、闘っても勝てないし」
武はあっさりとそう答える。
「……はぁ。好きにしなさい」
「よし、じゃあ最初の質問だ。お前、400年以上生きてるってのは本当か?」
「ええ、本当よ。正確には覚えてないけど」
「ふ〜ん、年増の年増か」
つぐみの指の、関節が鳴った。
「…冗談だ、忘れてくれ。じゃあ、お前を転化させたヴァンパイアは、どんな奴だったんだ?」
「エルダーよ。不気味な笑い方をする、血のように赤い瞳を持った女だったわ」
「400年以上前にエルダー、か。じゃあそいつは、随分と長く夜に棲んでるんだろうな」
「そうでしょうね。仏教が日本に伝わって来た頃に、大陸を横断して西洋から日本に渡って来た、と言っていたわよ」
「…それって、いつ頃だ?」
つぐみは武の問いに、冷たい眼で答える。
「ねぇ、私もあなたに質問していい?」
「何で?」
「闘うにしろ話し合うにしろ、まずは相手の事をよく知る事が大切だから」
「…んで、質問は?」
「倉橋家といえば、晴明の末裔――葛葉姫の血を引く、咒者の一族でしょう? それが、どうして刀なんかを使うの?」
武が一瞬、固まった。
「……そ、それはだな、海よりも深い理由があって――」
「つまり、あなたには咒術の才能がなかったのね」
「――はぐぁ!!?」
図星。
武はさらに固まった。
「それともう1つ」
「…な、何だ?」
「どうしてあの時、逃げたの?」
「あの時ってのは、昨日の夜の事か?」
「ええ」
つぐみは、ずっとそれが気になっていた。どうして、誇りや意地を捨て、逃げたのか。
「だって俺、死にたくないし」
返って来たのは、至極簡単な答えだった。
「俺は若いんだ。まだまだ先に、栄光に満ちた輝かしい未来が待っているからな。それに、美人の嫁さんも欲しい」

――バカだ。

つぐみはそう思った。
つまり、武には誇りや意地なんてものより、栄光に満ちた輝かしい未来と美人の嫁さんの方が大切だった、という事だ。
単純明快で正直だった。もう、救い難いほどに。
だが、つぐみはそんな人間が嫌いではなかった。
「…訊いた私がバカだったわ」
「ん? 何だ?」
「五月蝿い、バカ」
「なぬ!? バカって言う奴がバカなんだぞ!!!」
武とつぐみの口論が始まる。
しかしそれは、どこか微笑ましい光景だった。



2人は口論に疲れ果て、それぞれ注文したものを黙々と食べていた。
その時、店員の女性が2人に近付いて来る。
「ちょっとお客さん。あなた達、ココちゃんの知り合いかい?」
「え? いやまぁ、知り合いと言えば知り合いだが……」
「昨日、知り合ったばかりだけど……」
2人の頭に、あの明るい少女の姿が浮かぶ。
「そうかい… 昨日仲良く話してたから、てっきり……」
その店員の顔色は、あまりいいとは言えなかった。何かに不安を感じているようだ。
「もしかして、ココに何かあったのか?」
武が、店員に訊いた。
「あの子はね、このくらいの時間になるといつもこの店で特製あんみつを食べるんだけど… 今日は、何故か来なくてねぇ……」
「他に、何か用事があったんじゃないのか?」
「だといいんだけど… 最近、神隠しが起こってるでしょう? もしかしたらココちゃんも… と考えると、不安で不安で……」
「…そっか……」
もし武の言った通り別の用事があったのなら、それはそれでいい。
だがもし、本当にココが神隠しに遭ったのだとしたら… それは、武の出番だ。
「分かった。俺がココを捜してみるよ」
「え、いいのかい?」
「ああ。それにこの神隠し、いずれ調べようと思ってたんだ」
「悪いわねぇ… ココちゃんの事、頼みますわ」
「おう、任せてくれ」
武はそう言って席を立ち、店を飛び出して行く。
その様子を、つぐみがじっと眺めていた。



「…とはいっても、こっちには神隠しの手がかりが何もないんだよなぁ……」
武はそう呟きながら、街を歩いていた。
飛び出したはいいが、ココを捜すアテが武には何もなかった。
「まずは聞き込みでもしてみるか? それから――」
「お主、神隠しについて調べておるのか?」
その時、武に声がかけられる。
声をかけたのは、着物を纏った若い女だった。少なくとも外見上は。
その女の瞳はまるで鏡のように、武の姿を映し出している。
「…あいにく、俺は忙しいんでね」
武は気付いていた。この女は人間ではない。
おそらくは、付喪神(つくもがみ。器物が年月を経て、妖怪化した存在)の類だろう。人に化けられるのは、それなりに力を持っている証拠だ。関わらないに越した事はない。
「そう邪険にするな。化生の事は、化生に訊くのが1番だとは思わぬか?」
武が無視して行こうとすると、
「…この神隠しは、山の土地神の仕業だ。言ってみるがよい」
女は、そう言った。
「……何?」
武は振り返る。
だがその女の姿は、既に消えていた。



「…なるほど、これは当たりっぽいな」
山に入った武は、まずそう呟いた。この山には妖気が満ちている。
張られている結界を陽光で斬り裂き、進んで行く。
そうしていると、
「…この聖域を侵す者は誰ですか」
武の前に、ひとりの化生が現れた。
その化生は人の姿をしていたが、頭から生えている耳を見ると、どうやら妖狐のようだ。
「この山の土地神が、最近起こってる神隠しの元凶らしいが… 本当か?」
「本当だったらどうだというのです?」
「子供達を返してもらう。1人残らずな」
「…それは無理ですね。何故なら――」
武の周りに無数の気配が満ちる。

「…人間じゃ、人の子じゃ」

「『爺蟲(やむし)』様は山に入る者を許すな、と仰っていた」

「ならば、こやつは敵ぞ」

「この山から、生きて出れると思うな……」

あっという間に、無数の化生達に取り囲まれた。
「――あなたはここで果てるのですから」
その妖狐はそう言い残し、
「――!? 待て!!!」
姿を消した。
「くっ… 小鬼、鎌鼬、猫又、死霊… ざっと100体は超えてるか?」
化生達が武に襲いかかる。
武はそれらを倒しながら、先へと進んで行った。
(爺蟲… それが土地神の名か。一体、何を企んでる?)



「…追撃がなくなったな」
武は歩きながら、そう呟いた。
さっきまで引っ切り無しに襲ってきた山の化生達が、今はまったく姿を見せない。
「勝てないと諦めたのか、それとも何かの罠か……」
武は油断せず、気を引き締めながら進んで行く。
「……ん?」
道の先に、何か建物が見えた。
武はその建物に走り寄る。
「これは… 山寺か……」
今はもう使われていないであろう、古びた寺。
武は静かに、中へと足を踏み入れる。
「特に変わった様子はなさそうだが――」

ズドォオオンッ!!!!

「――な、何だ!!?」
寺に、衝撃が轟いた。
何かとてつもなく大きなモノが、寺の屋根へと降って来たのだ。
柱が軋み、少しずつ寺全体が歪んでいく。
「まずい、このままだと――!」
潰される。そう武が言おうとした時、

ドォォオオオ…ンッ……!

寺が、崩れ落ちた。



「…ったく、もう少しでペチャンコになる所だったぞ……」
寺から跳び出した武は、降って来たモノにそう言った。
それは、1匹の巨大な虫だった。この寺で修行していた僧達の読経を聞き続けた虫が、その功徳で強大な化生と成り、この土地の神として他の化生達から崇められるようになったのだろう。
「お前が爺蟲か?」

――そうだ。人間が、我に何の用だ?

「最近起こってる神隠しの犯人が、お前だって聞いたんでな。何のために子供達を攫ったんだ?」

――…欲しかったのだよ。八~ココの『眼』がな。

「ココの眼が欲しかった…? じゃあ何で、ココ以外の子供まで?」

――人間の子供は皆、同じに見える。だから、片っ端からそれらしき子供を攫ったのだ。

「眼が悪いんだな。あぁ、だからココの眼が欲しかったのか? あいつ、眼よさそうだもんな」
武は馬鹿にしたように笑った。

――…お主は、子供達を取り返しに来たのか?

「ああ」

――八~ココ以外の子供なら、返そう。

「…交渉決裂だ」
武は陽光で、爺蟲を斬り付ける。
爺蟲の身体から、血のような体液が飛び散った。
「何だ、楽勝――」

――そうか… 残念だ。

「――なっ!!?」
爺蟲に刻まれた刀傷が、一瞬で治癒される。
「なんて治癒能力だよ…!」
武は次々と斬撃を爺蟲に浴びせるが、どれ1つとして致命傷にはならない。

――ぬるいぞ、人間!

爺蟲の足が、武を地面に叩き付ける。
「ぐっ……!!?」
武はその足を斬り落としたが、爺蟲はそれをすぐに再生させた。
そしてもう1度、武を地面に叩き付ける。
「がぁっ……!!?」

――身の程を知れ!!

爺蟲は羽を羽ばたかせ強風を起こし、武を吹き飛ばした。
「ぐあっ…!?」
武は凄まじい勢いで地面を跳ねる。骨が砕けるほどの衝撃が、身体を襲った。
武は立ち上がると同時に跳び、斬撃を放つが、

――効かぬわ!!

爺蟲の治癒能力には、まったく通じない。
爺蟲は傷を癒すと足で殴り付け、武の身体を吹き飛ばした。

――…話にならぬな。その程度の力で、我を狩る事など出来ぬぞ?

武はなんとかその場に立ち上がる。

――力なき者は何も得られぬ。それが、夜の住人の理だ。

「…知った事か」

――……何?

「夜の住人も何も関係ねぇ! 子供攫って何か企むような奴は、絶対に許せないんだよ!!」
音速の斬撃が、爺蟲の身体を斬り裂く。
爺蟲はそれを回復させようとしたが、
「はぁぁあああ!!!」
武は回復するよりも早く、追撃する。

――クッ……!!!

武の斬撃が、爺蟲の身体を刻んでゆく。
今の武の速さと力は、先程までとは比べ物にならない。

――この男、我との闘いの中で… 成長したのか!!?

「終わりだ!」
武が最後の一撃を放つ。
だが。
「爺蟲様!!」
その一撃を、跳び込んで来た化生が短刀で受け止める。
山の入口で武の前に現れた、あの妖狐だった。

――『銀永(ぎんよう)』……!?

「爺蟲様は、我々が御護りします……!」
さらに、武の背後から無数の化生が襲いかかる。
「やれ、お前達!!」
「くっ――!?」
だが化生達は、武を傷付ける事は出来なかった。

――何!!?

「何だ……!!?」
武の視界を埋め尽くすほどの、黒い何かが現れる。そしてそれが、化生達を飲み込んだ。
次々と、化生達が倒されてゆく。
「――!? これは… 蝙蝠?」
そう、その黒いものの正体は、無数の蝙蝠だった。
その蝙蝠達はほとんどの化生達を倒すと、渦を巻きながら一ヶ所へ集まる。そして、人の形と成った。
「お前……!!?」
それは紛れもなく、小街つぐみの姿だった。
「…助けられた、みたいだな」
「…あなたを助けに来た訳じゃないわ。私はココのために来たのよ」
「そっか。でも、ありがとな」
武が、笑顔で言う。
「……え? べ、別に御礼なんていらないわよ」
つぐみは慌てた様子で武から視線を外し、爺蟲を見た。
「それより、あいつが神隠しの原因なのね?」
「ああ。何故かは知らないが、ココの眼が欲しかったらしい」
「そう。なら、早く片付けましょう」

ダァアンッ!! ダァアンッ!!! ダァアア…ンッ!!!!

つぐみが放った3匹の蝙蝠が、爺蟲の身体を貫く。

――ガアァァアアア!!?

爺蟲は足を振り廻し武達を攻撃するが、
「遅い!」
武の斬撃は、その足を全て斬り落とす。
「残念だったわね。私達の勝ちよ」
そして、つぐみの拳撃が爺蟲の身体に打ち込まれた。



――…何故、殺さぬ?

爺蟲が、武とつぐみに語りかける。
武がそれに答えた。
「俺がさっきあんたにトドメを刺そうとした時、この山の化生達は命を賭けてあんたを護ろうとした。そんなに大切に思われてるなら、あんたもそう悪い奴じゃないんじゃないか、と思ったんだ」
武は視線を移す。
つぐみに倒された化生達が、ゆっくりと立ち上がっていた。
「お前もそれが分かってたから、あいつ等を殺さなかったんだろ?」
武はつぐみに言うが、つぐみは向こうを向いたまま武を見ない。
「…照れてるのか?」
「なっ!!!?」
つぐみが顔を赤くしながら、武に詰め寄った。
「照れてないわよ! 訂正しなさい!!」
「いや、照れてた! 絶対に照れてた!!」
その様子を見ていた爺蟲の前に、銀永が立つ。
「…爺蟲様」

――…銀永よ。この戦い、我等の敗けだな。

そう銀永に言った後、爺蟲は武とつぐみに向き直り、言った。

――子供達はこの先の結界の中だ。行くがよい。

「えっ?」
言い争いをしていた武達は突然の言葉に戸惑ったが、すぐに先へと駆け出した。
「よろしいのですか、爺蟲様?」
銀永が爺蟲に尋ねる。

――よいのだ。この山の化生達を、これ以上争いに巻き込みたくはない。

爺蟲と銀永、そして多くの化生達が、武達を見送る。
その様子をひとりの女が眺めている事に、気付く者はいなかった。



武達が結界を破り中に入ると、数十人の子供達が寝ていた。
その中には、ココの姿もある。
武達は子供達の様子を確認する。皆、ただ眠っているだけだった。
「ふぅ……」
武が溜息をつく。どうやら、気が抜けたらしい。
「…何とかなったな」
「ええ、そうね」
気持ちよさそうに眠るココの顔を、武とつぐみは優しい顔で見ていた。
「やったな、つぐみ」
「やったわね、武」
2人は笑顔で、お互いの顔を見た。



――…八~ココの『第三の眼』を手に入れれば、我も天竺の破壊神のような神の名に相応しき化生に成れると思っていた。

爺蟲が、山の化生達に言う。

――そうすれば、西洋化によって奪われた夜の闇を取り戻し、この山に追いやられた我等が再び広い世界で生きる事が出来る、と。

「爺蟲様……」
銀永は、思わず声を漏らした。

――だが、それは我には過ぎた野望だったようだ。我はこの山でひっそりと暮らし、いずれ来る滅びを受け入れるのが運命なのかも知れぬ。

「爺蟲様がそうされるなら、我等も共にこの山で滅びましょう」
銀永が言う。
他の化生達も、それに賛成した。

――お前達… 済まぬ。

「当然の事です。爺蟲様は我々の神なのですから」
銀永が笑顔で答えた、その瞬間。

「過ぎた野望、か。まったくその通りだな」

銀永の首が、刎ね飛ばされた。
首が地面を転がる。その顔は、笑顔が張り付いたままだった。
そして銀永の身体と首は、生気を奪われたように干乾び、やがて塵となった。

――銀永ォォオオオ!!!?

銀永の首を斬り落としたのは、日本刀を持った女。武に神隠しの情報を与えた、あの女だった。
怒り狂った化生達が、女に襲いかかる。
だが。
「フン… 勝負にならぬ」
女はひとり残らず化生達を斬り刻み、塵へと変えた。
そして、爺蟲を見る。
「まったく… あの倉橋の退魔師がこの虫ケラを滅ぼしてくれれば、私の手間も省けたものを……」

――ウォォオォオオオ!!!!

爺蟲の足が、女を踏み潰そうとする。
だが、女は笑いながらその足を斬り落とした。

――グゥァァアアア!!!?

爺蟲の足に、感じた事のない激痛が走る。
斬断面が干乾び、塵へと変わってゆく。

――馬鹿な、何故再生しない!!?

「無駄だ。この『影喰(かげくい)』は大鬼の骨から打ち出された、瘴気を纏いし日本刀。この瘴気はあらゆる生気を枯らす。再生など出来ぬよ」
女が自らの刀を眺めながら、言った。

――貴様ァ…! 何者だ!!

「決まっておろう? 神隠しの元凶を狩りに来た、退魔師よ」

――退魔師だと…!? 貴様は化生であろう!!? 何故、同属を狩る!!!?

「同属だと? 貴様等如きと一緒にするな」
女の斬撃が、爺蟲を刻む。

――グアアァァアアア!!!?

「冥土の土産に教えてやろう……」
爺蟲の身体が、少しずつ塵へと変わってゆく。
「我が名は『羽鏡(うきょう)』。信濃霧神流宗家に式神として仕えし、鏡の付喪神」
霧神。
夜の住人にその名を知らぬ者はいない、退魔系古流剣術の名門。

――アア、アァァアアア……!

爺蟲が完全に塵と化し、消え去った。
「さて、次はお主の番だ… 小街つぐみ」



「いい知らせと悪い知らせがある。どっちから聞きたい?」
山での戦いから数日後、つぐみは街でばったりと会った武からそう言われた。
「じゃあ、いい知らせから」
「倉橋家がお前を狩りの対象から外した。神隠し解決の功績が認められたらしい」
「へぇ… という事は、貴方はもう私の敵じゃない訳ね」
「そういう事になるな。嬉しいか?」
「ええ……」
つぐみは思わずそう答えた。
一瞬後、自分の失言に気付く。
「い、今のは――」
「そうか。俺も嬉しいぞ」
「――!? な、何を言ってるのよ!!?」
つぐみは顔を赤くしながら、あたふたしている。
「何だ、嬉しくないのか?」
「…あぁもう! 悪い知らせっていうのは何なのよ!!?」
つぐみは話を変えるためにそう訊いたが、その途端、武の顔が曇った。
「武?」
「…爺蟲が狩られた」
「なっ――!!?」
「爺蟲だけじゃない。銀永も、他の化生達も… ひとり残らず皆殺し、だ」
つぐみは声が出ない。
「多分、神隠しの解決を命じられた退魔師の仕業だろう。だが、どう考えてもやりすぎだ。川瀬も天峰もここまではしない。だとしたら、これは……」
武は少し間を置いた後、言った。
「…霧神の仕業だな」
「霧神――信濃霧神流宗家……」
「ああ。化生達全員が、塵に変えられてた。何をしたのかは知らないが… 酷いもんだったぞ」
「――!!? 『塵に変えられてた』!!?」
つぐみの頭に、ひとりの女の姿が浮かび上がった。
「…どうした、つぐみ?」
「い、いえ… 何でもないわ。ちょっと驚いただけよ」
「…そうか。じゃあ、気を付けろよ。次にそいつが狙ってくるのは、お前かも知れないんだからな」
「ええ、気を付けるわ。ありがとう、心配してくれて」
つぐみは笑顔で武に言う。
武は少し照れながら、笑った。
「じゃ、俺はそろそろ行くから。またな」
つぐみに武はそう言い残し、去って行った。
そして、つぐみはひとりその場に残される。
否… ひとり、ではない。
「いい男だな。惚れたのか?」
つぐみに背後から、声がかかる。
「羽鏡……」
つぐみは振り返り、敵意に満ちた眼で羽鏡を見た。
「あなたに用はないわ。消えなさい」
「つれない事を言うな。100年振りの再会であろう?」
羽鏡が、冷たく笑う。
「しかし、あの倉橋の退魔師… なかなか面白いな」
「――!!? 武に何かする気!!!」
「安心しろ、そんな事はせぬ。……向こうが私の邪魔をしたら、話は別だが」
「……ッ!!」
「あの男も、随分とお主が気に入ってるようだからな… 私がお主を狩ろうとすれば、その邪魔をするかも知れん」
つぐみが、苦しみを押し殺した表情をする。
「そうなったら、私はあの男を殺す。その時のお主の顔… 見物だな」
「羽鏡ォオ!!」
つぐみの拳撃が羽鏡に打ち込まれる。だが、手応えがない。
羽鏡の姿が、まるで幻のように消えた。
「くっ、幻影か……!」
つぐみは辺りを見廻す。だが、どこにも羽鏡の姿はなかった。

――ハハハ、今のはちょっとした冗談だ。気にするな。

羽鏡の声が響く。

――夜になったらまた会おうぞ。そして… 100年前の決着、つけようではないか。

その声と共に、羽鏡の気配が完全に消える。
つぐみは、ただその場に立ち尽くすしかなかった。



深夜。
つぐみは以前に武と闘った、あの場所に立っていた。
「羽鏡……」
つぐみはその名を呟く。
つぐみと羽鏡が出逢ったのは、100年前のある日だった。
理由は簡単だ。羽鏡がつぐみを狩りに来たのである。
だが、ふたりの闘いに決着がつく事はなかった。不利だったつぐみは、闘いの最中に羽鏡の隙をついて逃げたのだ。
そしてつぐみは100年間、隠れ続けていた。
(だけど… それも今日で終わりね)
今回の羽鏡は、油断してつぐみを逃がす事はないだろう。そしてその先に待っているものは、滅びだけだ。
その時。
数発の斬撃が、つぐみへと襲いかかった。

ドゴオォオォォオオオッ!!!

斬撃はつぐみではなく、地面を砕いた。
「ほぅ… あれを躱すとは。腕は落ちておらぬようだな」
「来たわね……」
つぐみと羽鏡が対峙する。
(どうする……?)
羽鏡は1000年も信濃霧神流宗家に仕えている、強力な付喪神。そしてそれは、羽鏡が1000年以上生きている事を意味する。
それに対して、つぐみが生きた年月は400年。生きた年月がそのまま力の基準となる化生にとって、600年の差はあまりにも大きかった。
「さぁ、始めようぞ!」
羽鏡が跳び、斬撃を放つ。
つぐみはそれを躱そうとする。だが躱し切れず、傷跡から身体が少しずつ塵に変わっていった。
羽鏡はそれを見ながら、愉快そうに笑う。
「私の太刀を躱す事は出来ぬ。お主も知っておろう?」
羽鏡が操るのは、輪廻之太刀。
それは魂が輪廻により姿を変えるように、次々と太刀筋を変える不可避の剣技。
「クッ……!?」
つぐみは傷口――瘴気に蝕まれている部分を抉り取る。
すると、通常通り傷が回復した。
「…こうしてしまえば、少しくらい斬られても問題ないわ」
「そうだな。だが、真っ二つにされても同じ事が出来るか?」
羽鏡が再び、襲いかかる。
(斬撃は避けられない… なら!)
つぐみは一気に、羽鏡のふところに跳び込む。
「何!!?」
輪廻之太刀を操る羽鏡の間合いに跳び込むなど、自殺行為に等しい。
だがそれ故に、羽鏡はつぐみのこの行動を予測出来なかった。
「はぁ……!」

ドォオンッ!!

ゼロ距離から殴り飛ばされ、羽鏡の身体が地を跳ねる。
少しの間、羽鏡は地に倒れたまま沈黙していた。
「…フフ……フハハハハ……」
羽鏡が笑う。
「…何がおかしいのよ?」
「いやいや、お主はおもしろい。とても、私との間に600年の差があるとは思えぬ」
そう言い、羽鏡は素早く立ち上がった。
「さすがはあの『血色の満月』の子(ゲット)だな」
『血色の満月』――つぐみのヴァンパイアとしての親である、あの赤い瞳の女の異名。
「…あいつの事を知ってるの?」
「知ってるも何も、1度あいつを狩ろうとして酷い目にあった」
羽鏡の笑いは止まらない。
「あの女の力は、お主にも遺伝しているようだ。ククク、おもしろい」
「私はおもしろくも何ともないわ」
「そう言うな。しかしやはり、私も本気を出さねばならぬようだ」
その瞬間。
「――!!!?」
つぐみの身体に、激しい激痛が走った。胸から影喰の切っ先が飛び出している。
背後から、刺されたのだ。
ヴァンパイアの急所である心臓からは反射的に外す事が出来たが、深手には違いなかった。
「くぅっ……!?」
「油断するな。それでは楽しめぬ」
目の前の羽鏡と背後の羽鏡が、まったく同じように言う。
だが目の前の羽鏡は数秒後、幻のように消えてしまった。
いや、本当に幻だったのだ。
『不滅の幻影』。それが、羽鏡の異名。
つぐみは羽鏡に拳撃を放つ。
だが手応えはない。既に、羽鏡は幻影とすり替わっていた。
「どこを見ている?」
予期せぬ所から、羽鏡の斬撃が襲う。
「くっ……!!?」
つぐみは反撃すら出来ず、少しずつ追い詰められてゆく。
そして、
「かの串刺し公――ヴラド・ドラキュラが処刑に用いた方法で、ヴァンパイアが滅ぼされるというのは… なんとも皮肉な話だな」
「――!!!?」
影喰の一撃が、つぐみの心臓を串刺しにした。
(た……)
つぐみの身体から、急速に力が失われてゆく。
(武――……!)



「ん……?」
街の中を歩いていた武は突然、歩みを止めた。
「今、確かにつぐみの声が……」
武の胸に不安が過ぎる。
(まさか、何かあったのか!?)
ただの直感だったが、武には確信出来た。
つぐみに何か起こったのだとしたら、それは1つしかない。
山の化生達を皆殺しにした、あの退魔師の襲撃。
「くそっ!!」
武は感覚を研ぎ澄ませる。闘いの場所を捜すためだ。
だが、結界か何かで隠されているらしく、まったく場所を掴めなかった。
「くっ、どうすりゃいいんだ……!!」
武は街の中を駆け廻る。しかし、手がかりすらなかった。
「…ダメか…… いや、諦めるな……!!」
武は自分を奮い立たせる。絶対に、諦める訳にはいかなかった。
その時。
「たけぴょん、どうしたの?」
声が聞こえた。武は声の方に振り向く。
そこには、ココが立っていた。
「お前… こんな夜中にどうしたんだ?」
ココの姿は夜の闇の中にあるにも関わらず、何故かはっきりと見える。
「たけぴょんこそ、こんな夜中に何してるの?」
「いや… 俺は、ちょっとな……」
「ぶっー!! ちゃんと正直に言わないとダメだぞぉ。つぐみんを捜してるんでしょ?」
武は眼を見張った。
「あ、ああ… そうだけど……」
「どうして、たけぴょんはつぐみんを捜してるの?」
「それは……」
正直に言う事は、武には出来なかった。言えば、ココを巻き込む事になる。
だが。
「どうして退魔師のたけぴょんが、ヴァンパイアであるつぐみんを助けようとしてるの?」
「――!!!? お前、何でそれを……!!!?」
「ねぇ、どうして?」
ココの眼が、武の眼を覗き込む。
武は少し黙った後、言った。
「ほっとけないんだ、つぐみは」
ココは無言で武の話を聞いている。
「どうしてなのかは分からない。とにかく、あいつを独りにはしたくないんだ」
「…つぐみんは、死人だよ?」
「確かに、つぐみに命はない。だけど… 生きてる。それが分かったんだ」
「たけぴょんは、つぐみんの事が好きなの?」
武はその質問に面食らったが、すぐに笑って答えた。
「好き…か。そうなのかも知れないな。俺は――」
武は力強い眼差しで、
「――俺は、つぐみを助けたい」
と、はっきり答えた。
ココはそれを聞き満足したように頷くと、
「じゃあ、つぐみんの所に行こう!」
そう言って、武の手を引っ張った。
「お、おい! でも、つぐみがどこにいるのか――」
「前に言ったでしょ?」
ココは武の言葉を遮り、言う。
「ココにはね、たけぴょんとつぐみんの間の赤い糸が視えるの。それを辿れば、つぐみんの所まで行けちゃうのだぁ♪」



「ここから先は、俺1人で行く。お前を連れて行く訳にはいかないからな」
武はココに言った。
「うん、分かったよ」
「それと最後に… お前は一体、何者――」
武のその言葉は、
「おぉ!!?」
という、ココの絶叫によって遮られた。
「ピピにエサをやるの忘れてた、すぐ帰らなきゃ! たけぴょん、またね〜♪」
ココはそう言い残し、走り去って行った。
「あ、おい! ……まぁ、いいか」
武は走り出した。
そして、闘いの場を隠していた結界を斬り裂き、中へと入る。
だが、それはもう遅すぎた。



「倉橋の退魔師か。少し、遅かったな」
羽鏡が、現れた武に言う。
「お前は… あの時の」
「羽鏡という。霧神の退魔師だ」
「――!? 霧神の退魔師だと!!? ……つぐみッ!!?」
羽鏡の傍には、倒れたつぐみの姿。
武はつぐみに駆け寄った。
「…あ……た、けし……?」
「つぐみ、しっかりしろ!!」
つぐみは、苦しそうに口を開く。
「無駄だ。もう助からぬ」
「――!! ざけんな!!!」
いつの間にか背後に立っていた羽鏡を、武は斬り付ける。
だが、斬られた羽鏡は幻影。斬撃は虚しく宙を斬った。
「何!!?」
「…羽鏡…は……鏡の付…喪神……光…を……」
つぐみの口から、血が溢れる。
「喋るな、つぐみ!!」
武の手を、つぐみは握り締めた。
「…たけ、し……」
「おい、つぐみ!! 死ぬな、おい!!!」
つぐみが笑顔を浮かべる。それは、武にだけ向けられる笑顔。
そして――

「…ありがとう……」

――つぐみの手から、力が抜けた。
「…つぐみ……」
「…私の仕事はこれで終了だ。お主はどうする?」
羽鏡が、静かに言う。
「…決まってる」
武は立ち上がり、羽鏡を見た。
「つぐみを殺したお前を… 逃がす訳にはいかない」
「『殺した』か… 命なきその女を、殺す事など出来ぬよ。出来るのは、滅ぼす… あるいは壊す、だ」
「うるせぇ!!」
武が羽鏡を斬る。だが、手応えはない。
「くっ……!!?」
「ハハハ、若いな!!」
横から跳び込んで来た羽鏡の斬撃を、武は陽光で受け止める。
「ほう、止めたか」
「ああ、輪廻之太刀は躱せない。なら、止めればいいだけだ」
さらに、神器である陽光には影喰の瘴気も効果はない。
「…少しは考えたな」
羽鏡は武から間合いを取ろうとする。
「逃がすかぁ!!」
武の斬撃は羽鏡を斬断したが、
「くっ、また……」
それも、幻影だった。
「くそっ、確かつぐみがこいつは鏡の付喪神だって言ってたな。なら、こいつは自由に光を反射させる事が出来るのか!?」
それにより、羽鏡は自分の姿を相手の眼に映し出し、幻影を見せる。
「しかし… 分かったところで、どうしようも……!」
「その通り。分かったところで、どうにもならぬ」
「――!!?」
羽鏡の斬撃が武を襲う。
武はそれを受け止めると、
「なら、これならどうだ!」
羽鏡の後ろに廻り込んだ。
斬撃を受け止めたその瞬間なら、間違いなく羽鏡はそこにいる。
それを利用した、攻撃だった。
「終わりだ!!」
いくら羽鏡でも、背後からの見えない斬撃は防げない。武はそう考えた。
だが。
「甘いわ!!」
羽鏡は後ろを向いたまま、その斬撃を受け止めていた。
「何――!!!?」
「別に驚くほどの事でもあるまい。鏡を使えば、背後を見る事が出来るであろう? それと同じ事よ。光を操る私に、死角はない」
羽鏡の手の中で光が集束する。
そしてそれは無数の光線となり、武の身体を貫いた。
「ぐぁぁああああ!!!?」
急所は外れたが、浅い傷ではない。武を激痛が襲う。
「くそっ…!!」
「動きが鈍っておるぞ!」
羽鏡の姿が2つに分裂し、武に迫る。
(くっ、どっちが本物だ……!!?)
ふたりの羽鏡が、刀を振り上げる。
「あんまり… 俺をなめるなよ!!」
武は、羽鏡をふたりまとめて斬った。
しかし。
「――!? 両方とも幻影だと!!?」
「バカめ」
羽鏡が武の背後から斬撃を放つ。
武はとっさにそれを避けようとしたが、
「無駄だ。輪廻之太刀は避けられぬ」
羽鏡の斬撃は、武の左腕を斬り落とした。
「ああぁぁあああぁああああ!!!?」
武の身体が斬断面から、少しずつ塵に変わってゆく。
「くぅう……!!」
武は陽光で斬断面を斬り落とし、瘴気の侵蝕を防ぐ。そして衣服を破り、それで腕を縛り上げ止血をした。
「ほう、なかなか頑張るな」
「俺は… 絶対に、敗けられないんだ……!」
「……そうか。だが私も、敗ける訳にはいかぬのだ」
羽鏡が、悲しんでいるかのような表情を見せた。
「……何?」
「…私がまだ普通の鏡だったころ、私の持ち主である娘は、毎日私を使って楽しそうに髪を梳かしていた。私はそれだけで幸せだったのだ。何せ、ただの鏡なのだからな」
羽鏡の表情に満ちるものが、悲しみから憎しみへと変わる。
「だが、その娘は死んだ。化生に頭から喰われてな。その時はちょうど、私が作られてから100年経った時だった」
「――!! じゃあ、まさか……!!」
「そう、私がただの鏡から、鏡の付喪神へと成った時だ」
「……!」
「付喪神として自我を持った時、最初に見たモノが… 喰い散らかされた、あの娘の姿だった!!」
羽鏡の斬撃が、武に放たれる。
武はそれを陽光で受け止めたが、
「くっ――!!?」
凄まじい衝撃が、武の身体を貫いた。
「だから私は化生を全て滅ぼす! あの娘を喰った奴も、小街つぐみも、私自身も!!」
次々と、羽鏡の斬撃が打ち込まれる。
まるで、巨大な金槌で殴られているようだった。
「そして… その化生の仇を討とうとする、お主もなぁ!!」
あまりの衝撃に耐え切れず、武は吹き飛ばされる。
「死ねぇえ!!!」
羽鏡の姿が無数に分裂し、四方八方から武に迫る。
絶体絶命、だった。
(くそっ… しっかりしろ、俺……)
出血のせいで、武の意識が薄れてゆく。
視界が霞み、顔からは汗が滲み出る。
(でも、どうすれば……?)
無数の羽鏡の内、どれが本物なのか、武にはまったく分からない。そして、全ての羽鏡を攻撃するほど力は残っていない。
(ダメなのか……)
武の心が、絶望に喰われそうになる。
だが。
(いや、諦めるな……!)
つぐみは死人でありながら、生きていた。
なら、生者である武がそう簡単に『死』を受け入れる訳にはいかない。
(敗けられない……!!)
羽鏡の戦う理由は、滅茶苦茶と言えば滅茶苦茶だった。八つ当たりのようなものだ。
だが、そこに嘘や偽りはない。それ故に羽鏡は迷わず、そして強い。
(ハンパな覚悟じゃ、あいつには勝てない……!)
武は残されている右手で陽光を握り締める。
(…俺は絶対に生きてやる……!!!)
そして、武は叫んだ。

「俺は… 俺は、死なない――……!!!!」

その時、何かが起こった。
自分が別の誰かと同一化するような、奇妙な感覚を武は感じる。
(何……?)
その瞬間、武は世界を視た。
過去、現在、未来の全てを、時の流れを超越した視覚で視たのだ。
(一体、これは……?)
ふと気付くと、世界は元通りになっていた。ほんの一瞬、武は奇妙な体験をした。
「トドメだ、倉橋の退魔師!!!」
羽鏡が、眼前に迫る。
だが、武はあの一瞬で視ていた。どの羽鏡が本物で、これからどういう動きをするのかを。



羽鏡は勝利を確信していた。
武は立っているのがやっとの状態。そんな状態で、羽鏡のこの攻撃を防ぐ事など出来ない。
そのはず、だった。
「な、何故だ……!!?」
陽光が、羽鏡の身体を貫いていた。
羽鏡は跳び、武との間合いを取る。
(…どうせ、ただの偶然にすぎぬ……!!)
再び間合いを詰め、武に斬撃を放つ。
だが。
「何!!?」
武は羽鏡の輪廻之太刀を、躱した。
「クッ……!!?」
羽鏡は何度も斬りかかるが、
「バカなッ!!?」
その全てを武は躱してゆく。
「お主、一体何を……!!?」
羽鏡が叫ぶが、武は何も答えない。
「クッ、なら……!」
羽鏡が自身の気を全て、影喰に注ぎ込む。
そして、
「信濃霧神流秘伝 第五十一番……!!」
必殺の一撃を、武へと放った。
「『地獄巡礼』――!!!!」
影喰の剣圧が瘴気を巻き込む。
そしてそれは8つの衝撃波となり、八方から武を飲み込んだ。
「死んで生まれ変われ!!」

ドゴォォオオオ…ンッ!!!!

爆音と共に、塵が舞い上がる。
武が立っていた場所には、巨大な穴が開いていた。
だが。
「バカな……!?」
武は無傷で、その中に立っていた。
武はただ8つの斬撃を、避けられるものは避け、防げるものは防いだだけだ。
だがそれを瞬時に判断し行うのは、人間業ではない。
そう、未来を知っていない限り。
(未来予知… 『傍観者』があの男に降りたのか!? しかし、何故――……!!?)
武が羽鏡に迫る。
「…俺の勝ちだ、羽鏡」
そして、武の斬撃が羽鏡の身体を斬断した。



「つぐみ……」
武はつぐみに歩み寄る。
その時、武は奇妙な事に気付いた。
「え……?」
つぐみの傷が、全て癒えていた。細かな傷も、致命傷となったはずの胸の傷も。
「そっか、俺の血か……」
羽鏡との闘いによって流れた武の血が、つぐみに力を与えたのだ。
「よかっ…た……」
武はその場に倒れ込む。
そして武の意識は、ゆっくりと闇に呑み込まれていった。



「ん……?」
つぐみは意識を取り戻した。
(私は、どうして……?)
つぐみの脳裏に、最後の光景が蘇る。
「私は滅ぼされたはずじゃ……?」
つぐみは起き上がり、周りを見廻す。
そして、倒れている武を見つけた。
「武ッ!!?」
つぐみは武に駆け寄る。
その武の姿を見た時、つぐみは何故自分が助かったのか理解した。
「バカぁ……!!」
傍には、真っ二つになった羽鏡の身体が転がっている。
だが羽鏡を斃しつぐみを救った代償は、あまりにも大きかった。
「武……」
つぐみには1つだけ、武を助ける方法があった。
だがそれは、つぐみが最も嫌う方法だ。
「私は、どうすれば……?」
この数日間は、つぐみの生きてきた400年の中でも最も輝いていた日々だった。
永遠という牢の中で生きていた400年。だがこの数日間、いつの間にかつぐみはその牢の中から飛び出していた。
牢の扉を開けてくれたのは、武だった。
「……ッ!」
つぐみは自分の皮膚を噛み切り、流れた血を口に含む。
どうしても、武を助けたかった。未来永劫、武から怨まれる事になっても。
(武… ごめんね)
つぐみはそっと、武に口付けをする。
武を自分のゲット――ヴァンパイアにする事。それが、つぐみが選んだ武を助ける方法だった。



武は闇の中を漂っていた。
(俺は… どうなったんだ……?)
その闇はまるで海の中のようだったが、息苦しい訳ではない。
それはまさに、絶対の虚無だった。
(まさか、死んだのか……?)
武は頭を振り、その考えを追い払った。そんな事を認める訳にはいかない。
(俺は生きるんだ……!!)
武の強い意志が、空間に満ちる。
それに応えるように、一筋の光が武を包み込んだ。
(……?)
その光は、太陽の光に似て非なる光――月の光。
(これは……)
武はその光を辿って進んで行く。
武の意識は、この闇の海からゆっくりと浮上していった。



武は街の中を走っていた。
武が目を覚ました時、そこにはつぐみも羽鏡もいなかった。
どうやら、羽鏡はあの状態で生きていたようだ。そして、隙を見て逃げたらしい。
「まったく、あいつは……!」
武は元通りになっている自分の左腕を見た時、自分がどういう身体になったのか理解した。そして、どうしてそうなったのかも。
武は駆ける。
そして、目の前に捜していた人影を見つけた。
「つぐみッ!!」
つぐみが武の方を振り返る。
つぐみは武の姿を見ると、一気に逃げ出した。
だが武は全力で追い駆け、つぐみに追いつく。
そして――

「つかまえたぞ、つぐみ」

――武は背後から、つぐみを抱き締めた。
「た、武……?」
「…ったく、全速力で逃げやがって……」
「…怒ってないの?」
「どうして俺が怒らなきゃいけないんだ?」
「だって、私はあなたを……」
つぐみの眼から、涙が零れる。
「だから、怒ってるんでしょう?」
「怒ってないって」
「嘘… 怖い顔してた」
「そりゃあ、早くこうしてやろうと思ってたのに、全力で逃げられたんだからな。怖い顔にもなるさ」
「武……」
「俺はお前のゲットなんだぞ? 親が子を置いて逃げてどうするんだ」
そう言って、武はつぐみに笑いかけた。
「やっぱり、繋がってたみたいだな。俺達の… 赤い糸は」
つぐみの眼から、ほろほろと雫が落ちる。
そして、
「…うん」
つぐみは最高の笑顔で、小さく頷いた。







あとがきでしかないもの
こんにちは。大根メロンです。
今回はいつもと少し違って(そうか?)、伝奇モノに挑戦しました。
…大正っぽくない!!?(致命的)
あとは、もう少したけぴょんとつぐみんがラヴラヴになる過程がちゃんと書けたらよかったなぁ……。
ま、仕方ないか。短編だし(逃げ)
では、次回予告を。


何度かの事故によって崩壊したLeMUは、3層目だけを修復され『ドリット・レミュウ』として蘇った。
そして、倉成武は『初めて』LeMUを訪れた。

「浸水だと!!?」
発生する浸水事故。そして、閉じ込められる数人の男女。

「おい、『優』――」
「え!? どうして私の名前が『優』だって知ってるの? 『倉成』――」
「――!!? あ? い、いや、お前こそ、どうして俺の名前が『倉成』だって事を!?」
在るはずのない、1度目の事故の記憶。

「きっと、ココの奴だって――」
「…ココ?」
「ん? ココ? ココって… 誰だ?」
知るはずのない、少女の名。

「…私に関わらないで」
周囲を拒絶しながらも、何故か武を気にかける少女――小町つぐみ。

「な、何だよ、今のは!!?」
「私が知るはずないでしょう!!!」
館内で起こる、『人が物をすり抜ける』という怪奇現象。

「3層目だけを修復、か。ま、IBFの隠蔽は出来てるよな」
そして誰かが、小さく呟く。

この事件の真相は!?
そして武達は、この現実と妄想が交錯する無限の回廊の中から、脱出する事が出来るのか――!!?
『アナザー・エイジ』近日公開予定!


……嘘です(またかよ!!?)。これは、前に私が睡眠中に見た夢です。我ながら凄い夢を見ました。
次回はまだ未定です。どうしましょうかね。
ではまた。


/ TOP / BBS








SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送