朝。
「姉さんから… 電話?」
「ああ」
武は、昨日の出来事を永美に説明していた。
刻恵から電話がかかってくるという、ユメのような出来事を。
「…何かの間違いでは? 本当に姉さんだったのですか?」
「さぁな。でも、声や雰囲気はあいつにソックリだった」
「…………」
永美の無表情が、わずかに崩れる。
「なかなか信じがたい話ですね」
「俺も信じられない。でも… あいつならおかしくはない、とも思う」
「それで、姉さんは貴方に何を?」
「驚いている俺の様子を楽しんでやがった」
「…それはそれは」
永美の表情が、少し変わったように見えた。
「…なぁ、1つ聞いてもいいか?」
「何ですか?」
「あの電話… 実はお前の仕業、って事はないよな」
永美が眼を丸くする。
「…私が姉さんの真似をして貴方に電話をかけたのではないか、と疑ってる訳ですか」
「念のためだ」
「…私ではありませんよ。私に姉さんの真似などという事は出来ませんし、そんな事をしても何のメリットもありませんから」
「そっか… そうだよな」
確かに、永美には何のメリットもない。
それに武には、永美があんな演技が出来るとは思えなかった。
「だとしたら、やっぱり刻恵本人か? 確かにあいつだったら、
不死者
アン=デッド
のように墓から這い出して来てもおかしくは――」
「…姉さんの遺体は火葬されたんでしょう?」
「…例えだ、例え。別にゾンビが電話してきたと思ってる訳じゃない」
武はそう言うと、席を立つ。
「どうかしましたか?」
「散歩に行ってくる。その方が、俺の脳細胞もよく働いてくれるだろう」
昼前。
『やぁ、武。ご機嫌いかがかな?』
散歩に出た武に、電話がかかってきていた。
その相手は、昨日と同じく… 刻恵だった。
「出たな、刻恵ゾンビめ」
『…いきなり面白い事を言うじゃないか。しかし私としては… 幽霊とかならまだしも、ゾンビというのはさすがに遠慮したい』
「では刻恵ゴースト、今日は何のようだ?」
『君が私の可愛い妹に手を出さないか心配で――』
「切るぞ」
『冗談だ』
PDAの向こうから、刻恵の笑い声が聞こえた。
「…んで、何の用だよ?」
『やれやれ、これだから時間に追われる現代人は… 電話での世間話くらい、したっていいじゃないか』
「…世間話……」
武は以前、世間話と称して電話をかけてきた刻恵に、量子力学と相対性理論について熱く語られた事があった。
無論、武は1ミクロンも理解出来なかったが。
「お前の長話を聞かされるのは御免だ」
『冷たい事を言わないでくれ。私と君は、一緒にマグロの解体をした仲じゃないか』
「…どんな仲だ。それ以前に、そんな事はしていない」
『冗談が通じないな』
また、武の耳に笑い声が届いた。
「…そう言えば刻恵、お前に聞きたい事があるんだ」
『聞きたい事?』
武は電話の向こうにいるはずの相手に、ゆっくりと話し始める。
「お前は… 永美の事をどう思ってるんだ?」
『…………』
珍しく、刻恵は数秒間沈黙をした。
『それは、私がクローンというモノをどう考えているか、という話にもなるね』
「そうかもな」
『…人は蛋白質で出来た機械だ。違うかも知れないが、ここではそう仮定しよう。そうなると、肉体はハードウェアで、その人の本質がソフトウェアだという事になる』
「…………」
どこかで聞いた話だな、と武は思った。
『遺伝子の複製は所詮、
肉体
ハードウェア
の複製でしかない。つまり、クローンは
本質
ソフトウェア
を持たないんだよ』
「…それで?」
『だから、ソフトウェアを持たないコンピュータがガラクタでしかないように… クローンは心がない、空っぽの人間になってしまう』
「…永美は空っぽの人間だ、と言いたいのか?」
『そう解釈しても構わない』
「…………」
両者を、沈黙が包む。
その後、武は1つ溜息をつくと、
「…俺には、クローンの知り合いが何人かいる」
少しずつ、喋り始めた。
「だが、どいつも空っぽの人間なんかじゃない」
『…永美もかい?』
「当然だ」
『その根拠は?』
「だってあいつ、悩んでるだろ」
相手が絶句したのが、武には分かった。
『…悩んでる? 何にだい?』
「お前に敵わない事に、だ」
刻恵は、黙って武の話を聞いている。
「だがな、空っぽの人間がそんな事で悩むはずないだろ? 兄弟でも親でも友達でもいいが、敵わない相手について悩んだりするのは普通の事だ。珍しくも何ともない。だから――」
『…………』
「――永美は、普通の女の子だ」
再び、両者を沈黙が包んだ。
だがその沈黙は、前のものとは少し違った。
『…なるほどね。それが、君の考えか』
「まぁな。俺も、昔は結構悩んだからなぁ… あのクソ親父に剣で勝てないのが悔しくてな。だから、永美の気持ちもある程度は分かるさ。……ま、今はクソ親父よりも俺の方が強いけどな」
刻恵が、笑う。
『ふふ、永美もいつか私を追い抜くかな?』
「さぁな、どうでもいいさ。永美は永美だ。まぁ… 追い抜くなら、お前みたいなひねくれ者の天才にならない事を願うよ」
刻恵の笑い声が、大きくなった。
『来るかな。アキレスが亀を追い抜く日が』
夕方。
「何か、調子がよさそうじゃないか」
屋敷に戻った武は、ターゲットに刺さった矢を見ながら永美に言った。
その矢はターゲットの真ん中で、
継ぎ矢
ロビンフッド
(ターゲットに刺さっている矢の上に、矢が命中する事)をしていた。つまり、寸分の狂いなく同じ場所を射ったのだ。
「…矢を壊してしまいました」
「まぁ、いいじゃんか」
武は笑顔で、永美に言った。
「…そう言えば、お前っていつからアーチェリーを始めたんだ?」
「9歳くらいの時からです。帰国してすぐですね」
「……帰国? お前、外国にいたのか?」
「ええ、両親の仕事の都合で7年ほど。父さん・母さん・私・古室さんの4人で、ドイツに住んでいました」
「…ドイツ……」
武が、何か考え込むような仕草を見せる。
「……? どうかしましたか?」
「…いや、何でもない」
武はそう言いつつも、何かを考え続けていた。
(…確か、この場合は……)
夜。
武は、優春に引っ張られながら森の中を進んでいた。
事の発端は、数十分前。
突然、優春が『秘湯を探しに行くわよ!!』と血迷った事を言い出し、武を連れ出したのである。
「…おい、優」
「ん? 何、倉成」
「お前、本当にこの森の中に秘湯があると思ってるのか?」
「知らないわよ。だから探すんじゃない」
優春は無茶苦茶な事を言いながら、武を引きずって行く。
武は溜息をつくと、思い出したように、
「…そういえば、優。お前、青髪から明日の事を聞いてるか?」
と、尋ねた。
「フルートから? 明日の事って… 何かあるの?」
「あ、いや… 聞いてないならいいんだ」
『16日に時は停滞し、決して17日には辿り着かないの』
(あの訳の分からん話、優には話してないみたいだな……)
その時、
「……ん?」
武は気付いた。気付いてしまった。
「…おい、優。ここ、さっきも通ったぞ」
「……へ?」
優春が、周りを見廻す。
「ま、まさかぁ〜、気のせいでしょ」
「…笑顔が引きつってるぞ」
「わ、私は道に迷ってなんかいないわ!!」
優春は、ズンズン進んで行く。
しかし。
「…ここはどこだ?」
「さ、さぁ……」
やっぱり、2人は道に迷っていた。
「…こうなったら最後の手段よ! 行くわよ、倉成ィ!!」
優春が、いきなり爆走する。適当に走ればどこかに辿り着く、と考えたのだろう。
「お、おい!? 待てぇ!!」
武も、それに続いた。
「神社…よね」
「神社…だな」
爆走の果てに、2人は神社に辿り着いていた。
その神社は夜の闇の中で、不気味に佇んでいる。
「この島に神社があったのか……」
武は神社の周囲をキョロキョロと見廻していた。
「…何か、気味が悪いわね……」
優春がそう呟いた、その時。
「…田中さん」
優春の肩に、手が乗った。
「――!!!? きゃぁぁああああ!!!?」
「た、田中さんっ!?」
優春の叫び声が、夜の闇を切り裂く。
「ど、どうした… って、永美?」
「…え? 永美?」
そう、優春の肩を叩いた犯人は… 永美だった。
「ちょ、ちょっと驚かさないでよ!!!」
「す、すいません……」
永美が、頭を下げる。
「どうしたんだ、お前?」
「倉成さん達の帰りが遅いので、捜しに来たんです」
「そっか… 悪いな」
武は永美にそう言うと、神社に眼を移した。
「…永美、この神社は何なんだ?」
「この神社…ですか」
永美は少し黙ったが、すぐに口を開いた。
「…この神社は『
司紀杜
しきのもり
神社』です」
「――!? 司紀杜……」
優春が、何故かその言葉に反応する。
「…この神社では、人がよく神隠しに遭うんです。何でも、この神社には時を捻じ曲げる『力』が在るんだとか」
「時を捻じ曲げる…『力』?」
武が永美に聞き返す。
「ええ。こことは別の場所にある司紀杜神社で、ある事件が起こってるんですよ」
「事件って、どんな?」
「…………」
永美は1度間を置くと、その事件について話し始めた。
「…1998年7月20日。1人の生後間もない女の子が、誘拐される事件が起こりました」
「…………」
「その次の日――7月21日に、その誘拐犯と思われる者が発見されました。群発地震により倒壊した司紀杜神社の下から… 死体として」
「――!!? じゃ、じゃあ… その誘拐された女の子は?」
永美が首を横に振る。
「当時は発見されませんでした」
「…『当時は』? って事は、後から発見されたのか?」
「ええ。誘拐からぴったり3年後――2001年7月22日に、再建された司紀杜神社の中から。しかし、ここで不可解な事があったんです」
「不可解な事?」
「その女の子は… 誘拐された時から、まったく成長していませんでした」
「え……!?」
武は思わず、自分の耳を疑った。
「無論、別人ではないかと疑う者もいました。しかしDNA鑑定の結果、3年前に誘拐された女の子本人である事が確認されたんです。しかも……」
「…しかも?」
「女の子の背には、出来たばかりの大きな傷がありました。その傷は… 3年前、司紀杜神社の倒壊時に負ったモノだと、考える者もいました」
「…つまり、神社の倒壊に巻き込まれたその女の子が、3年後の世界にタイムスリップしたって事か?」
「ええ、そういう事です」
武は頭を掻いた。
時を捻じ曲げる『力』を持つ神社。武はどうしても、それをフルートの言葉や刻恵からの電話と結びつけてしまう。
武は内心を隠しながら、
「…まぁ、都市伝説の1種だろ」
と、笑いながら言った。
しかし。
「違うわ」
今まで黙って聞いていた優春が、それに口を挟んだ。
「それは… 実話よ」
「優……?」
「…さぁ、無駄話は終わり。永美も来てくれた事だし、早く帰りましょう」
優春が歩き出す。
武は不審に思いながらも、その後に続く。
その時。
チリン……
「ん……?」
武の耳に、どこからか鈴の音が届いた。
あとがきだと思われるもの・5
よし、折り返したぞッ!!(自分への励まし)
…ボンジュール、大根メロンです。
しかし、この第五話… いろいろ詰め込みすぎた気がしますねぇ……。
ま、それもクライマックスが近いからでしょう。
さて、次回の第六話は問題の7月16日。どうなるでしょうかね。
ではまた。
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