赤い絆
                              大根メロン

後編


夜。
「――何だって!!?」
眼を醒ました武は、日中に街が襲撃された事をつぐみから聞かされた。
「襲撃してきたヴァンパイア――アルフレッドは私が倒したわ。少なくとも、戦闘不能は間違いないと思う」
「そうか……」
武は、土の壁を殴り付ける。
「…くそっ! 人が襲われてたってのに、俺は何も出来なかったのか……!!」
日中には活動出来ない、その無力。
自分が動けたのなら、1人でも多く救えたかも知れない。そう思うと、武は無性に腹が立った。
「…あなたが悪い訳じゃないわよ」
「分かってる! でも――」
「おそらく今夜、ここに敵が来るわ。その怒りはそいつ等にぶつけなさい」
「……え?」
武はつぐみを見る。
「今夜、だと?」
「ええ。昼の襲撃も効果的ではあるけど、化生が本来の力を発揮できるのはやっぱり夜よ。それに、今夜は満月。月の恩恵が化生の力をさらに高めるわ。間違いなく、攻めて来るわよ」
「でも… お前は大丈夫なのか?」
少しの、沈黙があった。
「……大丈夫よ。昼の闘いの疲れなんて、もう消えて――」
「そういう事を言ってるんじゃない。分かってるだろ?」
武の真剣な瞳に、つぐみが映る。
「お前は、血色の満月のゲット――アルフレッド・レザー・ナイトハイムを倒した。それは、血色の満月本人を攻撃した事に等しい。そんなお前を相変わらず連れ戻そうとするほど、血色の満月の心が広いとは思えない」
「…………」
「敵はお前を捕らえて連れ戻すためではなく、滅ぼすために来る。それでも、大丈夫なのか?」
「……ええ。答えは変わらないわ。大丈夫よ。あんな連中になんか、絶対敗けない」
「そっか……」
武は表情を緩め、笑顔を浮かべた。
「それより、武。あなたこそ大丈夫なの? 新生者ニューボーンのあなたとあいつ等じゃ、天と地ほどの差があるわよ?」
「確かに天と地ほどの差があるのかも知れないが、俺には退魔のわざがある。そう簡単にはやられないさ」
「だといいけど――ん?」
つぐみが突然、外の方を見る。
「おい、つぐみ?」
「…どうやら、来たみたいね」



武とつぐみが、洞窟の外へと跳び出す。
次の、瞬間。

ドゴォンッ!!! ドゴォンッ!!! ドガァァアアア――ッッ!!!!

無数の巨大な炎弾が、洞窟に撃ち込まれた。
「うおぉぉおおおお!!!?」
「きゃああぁぁあああっ!!!?」
その衝撃により、武とつぐみは激しく吹き飛ばされる。
洞窟は、跡形もなく蒸発していた。
「くそ、一体何だっ!!?」
「この炎… ヴァルニル!!」
武とつぐみの正面の、炎の海。
その真ん中に、ひとりの青年が立っていた。
「…こんばんは、つぐみ。殺しに来たよ」
血色の満月の使い魔ファミリア――炎の巨人ムスッペルのヴァルニル。
「……何だ、巨人なんていうからとんでもなくデカい奴かと思ってたが… 結構普通だな」
「油断しないで。確かに外見は普通だけど、中身はとんでもないわよ」
つぐみは慎重に間合いを取る。火を弱点とするヴァンパイアにとって、ヴァルニルの炎は危険極まりない。
「――いくわよっ!」
タイミングを計り、つぐみが跳び出す。
武もそれに続こうとしたが、

「おにーさんの相手は、私だよ」

突然目の前に現れたかりんが、それを遮った。



「ぐ……っ!?」
気が付くと、武は空中を飛んでいた。放たれたかりんの一撃を、受け切れなかったのだ。
そのまま、地面に叩き付けられる。
「…いきなりだな、かりん」
「何言ってるの。不意討ちも立派な戦術の1つだよ?」
「分かってるさ」
武が立ち上がる。
そして、陽光を抜いた。
「倉橋武… 参る!」
「――殺してあげるよっ!!!」
ふたりの影が、交差。
「まずは… 腕!」
「ぐあ――っ!?」
かりんの爪に、武の左腕が斬り落とされる。
「心臓っ!!」
かりんは、次は武の心臓を狙う。
だが。
「甘い……っ!!」
心臓を狙った一撃は、陽光によって弾かれる。
「く――っ!!?」
かりんは陽光を握る右腕を落とそうとするが、それも陽光に弾かれる。
「――無駄な抵抗をしないで!!」
武の右足に激痛が走る。かりんの爪が、突き刺さっていた。
そして、そのまま右足が斬り飛ばされた。
「ぐぅ――っ!!?」
足を失い、武はバランスを崩す。
だがそれでも武は、かりんの猛攻から心臓と心臓を護る左腕だけは死守する。
さらに、左腕と右足を再生させた。
「…凄い再生速度だね。さすがは上様の血統」
「あのなぁ… 再生出来るとはいっても、痛いものは痛いんだぞ」
「…………」
「ま、これが今の俺の最大の武器である事は間違いないな。心臓さえ護れば、俺は死なない」
「…再生にも、限界があるよ?」
「分かってるよ。だから… 限界が来る前に、お前を狩る」



「燃えろ!」

ドガァァアアアッ!!!!

ヴァルニルの放った炎弾が、巨大な岩に命中する。
岩が一瞬で融解し、溶岩が飛び散った。
「危ないわね… 私に当たったらどうするのよ」
「当てるつもりで撃ってるんだよ」
つぐみは放たれる炎弾を回避しながら、ヴァルニルとの間合いを詰めようとする。
だが、ヴァルニルの周囲に展開される炎の壁が、それを困難にしていた。
(だけど、勝機はある……!)
炎の巨人ムスッペルには、ヴァンパイアのような驚異的な回復・再生能力はない。
なら、1つでも致命的なダメージを与えれば、ヴァルニルは必ず退く。彼はその慎重さを武器に、夜の世界を生きてきたのだから。
(でも、どうやってあいつにその『致命的なダメージ』を与えるか、が問題ね……)
接近すれば、つぐみはヴァルニルの身体を引き裂く事が出来る。だがそのためには、炎の壁を越えなければならない。
(考えても… 仕方ないわね)
炎が蛇のように地面を走り、つぐみに迫る。
躱し切れず、つぐみの足に火が点いた。
つぐみは即座に手刀で足を斬り落とし、身体に燃え移るのを防いだ。
斬り落とした足が燃え尽きると同時に、新たな足を再生させる。
「慣れたものだね。闘い方が上手い。まるで、戦女神ヴァルキリィのようだ」
「当たり前でしょう? 私はあなた達から離反した後の300年、ずっと闘ってきたんだから。退魔師、異端審問官、ヴァンパイア・ハンター… あらゆる者と闘い、そして斃したわ。血色の満月の七光りに頼り切ってるあなた達とは、格が違うのよ」
「…何者も恐れぬその言葉、さすがだね。褒美に焼き尽くしてあげるよ」
ヴァルニルの周囲に、1つ、また1つと炎弾が現れる。
「灰になれ」
現れた無数の炎弾が、一斉につぐみに向けて放たれる。まるで、散弾銃のように。

ドゴォォオオオアアアァァァアアアアアア――ッッツツ!!!!

あらゆるものが、爆散した。
地を抉り、蒸発させ、消滅させる。
巨大なクレーターが残り、辺りを蒸気が包み込んだ。
「終わったか? いや――」
ヴァルニルは反射的に跳び、その場を離れる。
離れた途端、そこにはつぐみの拳が打ち込まれていた。
「…この蒸気に隠れての一撃、か。でも無駄だよ」
この酸素不足の蒸気の中では炎の壁など意味を為さないが、それでも不意討ちを受けるほどヴァルニルは甘くない。
「――そこだ!!」
蒸気の向こうに見えた人影に向け、ヴァルニルは炎を纏った拳を放った。
その拳は、人影に命中し焼き尽くす――
「――何!?」
突如、人影が四散した。
否、それは人影ではなかった。
人の形に編隊した、蝙蝠の群れ。
「――ぬるいわよ、ヴァルニル」
ヴァルニルの背を、つぐみの手が引き裂いた。



「ぐぁあああ……っ!!?」
ヴァルニルの背から血が噴き上がる。さらに、背骨も砕けていた。
「く、う… あぁああ……ッ!?」
「…………」
これで、ヴァルニルは退く。つぐみはそう確信していた。
これ以上の戦闘は無意味。このまま闘い続ければヴァルニルを滅ぼす事も出来るかも知れないが、つぐみもただでは済まないだろう。
「退きなさい、ヴァルニル。そうすれば命までは取らないわ」
だが。
「……え?」
つぐみの身体に、炎が走った。
「く――ッッ!!!?」
つぐみは自らの身体を無数の蝙蝠へと分解し、燃え広がる事を防ぐ。
蝙蝠の何匹かは火に包まれ、灰となった。
生き残った蝙蝠が、再びつぐみの姿を形成する。
「ヴァルニル……!」
「――僕に勝ったつもり? この程度で?」

ドゴォオンッ!!!!

「――ッ!!!?」
炎弾が、つぐみの身体を穿つ。
左の肩から腕にかけてが、綺麗になくなっていた。
炎は容赦なく、つぐみを焼き尽くそうとする。
「くっ!」
つぐみは先程と同じように身体を蝙蝠に分解・再形成し、焼滅を防いだ。
「…そう簡単に、燃やされはしないわよ……!」
「……フフ」
ヴァルニルの顔に、笑みが浮かぶ。
「なら、蝙蝠へと分解する事すら出来ないように… 一撃で君を燃やし尽くせばいい」
ヴァルニルの手に、一振りの剣が現れる。炎に包まれた、剣。
「――っっ!!!?」
止まったはずのつぐみの心臓が、早鐘のように鼓動する。
あの剣は危険だ、この世にあるべきではないモノだと、つぐみの本能が訴えていた。
「僕の父――スルトから預かりし、この『害なす魔の杖レーヴァテイン』の力… その眼に焼き付けるといい」
害なす魔の杖レーヴァテイン――北欧神話が描く世界の終末『神々の黄昏ラグナロク』において、世界を焼き滅ぼす炎の巨人ムスッペルの王スルトが持つ… 炎の魔剣。
「な――っ!!!?」
「黄昏の炎に焼かれ… えろ!」
ヴァルニルが、剣を振り下ろす。
天地を覆うほどの炎の波が、つぐみを飲み込んだ。



突如、炎の柱が上がった。
「うぉ――ッッ!!!?」
武に、可聴域を超える爆音と、それによる凄まじい衝撃が襲いかかる。
「な、何だ!!?」
「ヴァルニルが、炎の魔剣を使ったんだよ」
「炎の魔剣……? まさか、害なす魔の杖レーヴァテインかっ!!!?」
「ぴんぽーん。つぐみちゃんなんか、灰も残さず消えちゃっただろうね」
「……何?」
かりんが、くすくすと笑う。
「…ふざけるな。つぐみがやられるはずないだろ」
「ふざけてなんかいないよ。だって、今までにあの剣を受けて無事だったのは上様ひとりだもん。つぐみちゃんじゃ無理だよ」
「…………」
武は跳び、かりんに陽光を振り下ろす。
だがかりんはそれを避け、武の腹を斬り裂いた。
「がぁ……!?」
「ふふ… おにーさん、痛い?」
「く……」
武が、かりんを睨む。
「おい、かりん……」
「ん? どうしたの?」
「お前… 何をそんなに憎んでる?」
「――……!」
かりんから武に向けられる、寒気がするような憎しみ。
武は、その正体が気になっていた。
「…私だって、こんな事したくないよ。散歩に付き合ってくれた優しいおにーさんを、苦しめたくないよ」
「…………」
「でも、私は妖狐だから。おにーさんを殺さなきゃいけない」
「――? 妖狐、だから……?」
「おにーさんは、安倍の血を引いてるでしょ?」
「あ、ああ……」
倉橋家は、陰陽道二大宗家の1つ――安倍家の分家。
つまり、武は安倍の血を引いているのである。
「安倍の一族には、晴明の母である白狐――葛葉姫くずのはひめの血が流れてる。当然、おにーさんにもね」
「…なら、俺とお前は遠い親戚って訳だな」
「うん、そう。でも、安倍は妖狐を裏切った。妖狐の長――玉藻前たまものまえを、討った」
「――!」
天竺では華陽婦人かようふじん、中国では妲己だっきと呼ばれ、悪行の限りを尽くしたナインテイルズ・ロード――玉藻前。
彼女は最後に訪れた日本で、人に化け鳥羽上皇とばじょうこうを誘惑したが、安倍晴明の五代の子孫――安倍泰親あべのやすちかに正体を見破られてしまう。
正体を見破られた玉藻前は那須野に逃げ込んだが、追討した2人の武将――三浦介みうらのすけ上総介かずさのすけによって、討たれてしまった。
「玉藻前が人間にとって邪悪な存在だったって事は分かってる。でも、妖狐の長が安倍泰親――安倍の一族に裏切られた事は変わらない……!」
「…そうか、だから俺を――」
「血が、私の中に流れる妖狐の血が、裏切りの一族を、おにーさんを殺せと… 叫ぶんだよぉぉおおおっ!!!!」
かりんの妖力が、爆発的に膨張する。

「夫神は唯一にして。御形なし。虚にして。霊有。天地開闢て此方。国常立尊を拝し奉れば――」

かりんが、秘文を唱えてゆく。

「天に次玉。地に次玉。人に次玉。豊受の神の流を。宇賀之御魂命と。生出給ふ。永く。神納成就なさしめ給へば――」

「く…っ、何をしようとしている?」
武はかりんに近付こうとするが、渦巻く妖力によって妨げられる。

「天に次玉。地に次玉。人に次玉。御末を請。信ずれば。天狐地狐空狐赤狐白狐。稲荷の八霊。五狐の神の。光の玉なれば。誰も信ずべし。心願を。以て。空界蓮來――」

かりんの姿が光に包まれ、弾けた。

「高空の玉。野狐の神。鏡位を改め。神寶を於て。七曜九星。二十八宿。當目星。有程の星。私を親しむ。家を守護し。年月日時災無く。夜の守。日の守。大成哉。賢成哉。稲荷秘文慎み白す――!!!!」

「…マジかよ……」
光が消えた時、そこにいたのは… 9つの尾を持つ、巨大な狐だった。



「ぐぁ――っ!!!?」
ヴァンパイアの六感でも捉え切れない速さで、尾の1本が武の腹に叩き込まれる。
まるで、鉄線の束で殴られたようだった。
「オオォォオオオオオオッ!!!!」
かりんが咆哮を上げる。
その音圧をまともに受け、武は意識を失いかけた。
「…こりゃやばいな……」
つぐみの言う通り、力量は天地の差。
武はかつて1度だけ、倉橋家が九尾ノ妖狐ナインテイルズの退魔を行う様子を見た事がある。
その時は、何人もの咒者が数日をかけて術法を行った。それでも、封印程度の事しか出来なかった。
そんな相手を、退魔師としてもヴァンパイアとしても半人前ニューボーンの武が、刀1つでどうにかしなくてはならない。
ぶっちゃけありえないよなぁ、と人事のように武は思った。
だが、それも悪くはない。前例のない退魔なら、自分自身がその前例になればいい。
「ぐ……っ!!?」
再び、尾が武に襲いかかる。
今度は1本だけではなく、2本目、3本目と次々に打ち込まれる。
肉が潰れ、骨が砕ける感覚。
再生により感覚は消えるが、すぐまた肉は潰され、骨は砕かれる。
(くそ… 一種の拷問だぞ、これは)
だが、身体の痛みに惑わされてはいけなかった。護るべきは心臓のみ。
武は9本の尾から心臓を護り切ると、かりんの巨体を斬り付ける。だが、その金色の獣毛に覆われた身体は、傷一つ付かなかった。
「…さて、どうする俺……」
かりんは左の前足を上げると、武の頭上に振り下ろす。
「――くっ!!」

ドゴォ!!!

かりんの一撃で、地面が陥没し、地割れが走る。
「あ、危ねぇ……」
少しでも避けるのが遅かったら、間違いなく武は挽き肉になっていただろう。
「ガァァアアッ!!!!」
かりんが、大きく口を開いた。
その口の中で、莫大な妖力が集束してゆく。
「――ッ!!?」

ドゴォォオオオオ――ッッツツ!!!!

かりんの口から、妖力波が放たれる。
それはまるで、絶対の死をもたらす雪崩のようだった。



(ヤバい……)
武は眼前に迫る巨大な妖力波を、不自然なほど落ち着きながら眺めていた。
あれを受けたら、心臓を護るどころではない。武など一瞬で灰にされてしまうだろう。
だが、それはいけない。武は、こんな事で滅ぼされる訳にはいかないのだ。
なら、どうするか。
(…斬るしか、ないよな)
今、武に出来る事はそれくらいしかない。
咒術の才能がなかった武が見つけた退魔の法――剣技。
まだまだ未熟だと武自身は思っているが、今までの人生の中で1番誇れるものである事は間違いない。
なら、その誇りを思い切りぶつければいい。しかも、刀は一級の神刀だ。悪い要素は何もない。
子供の頃から、武には1つの目標があった。それは… 光を斬る事。
その目標は、まだ達成されていない。だがそれに比べれば、妖力波を斬るくらい易いものだ。



「何故、だ……?」
ヴァルニルは、小さく呟いた。
その呟きは、夜の闇に染み渡って消えてゆく。
ヴァルニルの首からは、おびただしい量の血が溢れ出していた。
「――炎の魔剣… 悪くはなかったわ。だけど、詰めが甘かったわね」
ヴァルニルの首を切り裂いたのは、つぐみだった。
「…何故だ、確かに君は剣の炎に包まれたはず……」
あの瞬間、確かにつぐみは剣から放たれた炎を受けていた。あの炎は、避ける事も防ぐ事も不可能な一撃だったのだから。
「ええ。炎に包まれて、焼き尽くされたわ。――『心臓以外』はね」
「――!? ま、まさか……!!?」
「ふふ、気付いたみたいね。そう、私はアルフレッドと同じ事をしたのよ。炎を受ける前に、心臓を持たせた蝙蝠を逃がしたの。まぁ、蝙蝠1匹からこの身体を創り直すのは、なかなか大変だったけど」
「ク……ッ」
ヴァルニルは首の傷を押さえる。だが炎の巨人ムスッペルの治癒能力では、その傷を塞ぐ事が出来なかった。
「…仕方ない。退かせてもらうよ」
ヴァルニルを周囲を、炎が包み込む。地面が加熱され、溶けてゆく。
「次は… 殺すから」
「そう。精々、頑張りなさい。『次』があったらの話だけどね」
液化した地面の中に、ヴァルニルの身体が沈んで行く。
そして、彼はつぐみの前から姿を消した。



――敗けた。
かりんは直感的に、それを理解した。
かりんが全ての妖力を注ぎ込んだ妖力波は、武を飲み込んだ。
そうなれば、武は確実に滅ぶ。かりんは一族の復讐を果たし、後味の悪い思いをする。
それで、終わるはずだった。
「ど、どうして……?」
だが武は立っていた。何も、変わらぬまま。
かりんは妖力を失い、人の姿へと変化している。しかも、ろくに動く事さえ出来ない。
この状態で刀が振り下ろされたら、かりんはそれを避けられず、真っ二つになるだろう。
「何で、無事なの……?」
「斬った。それだけ」
「…き、斬った?」
かりんは思わず、マヌケな声を出した。
「ああ、妖力波を斬ったんだ。光よりは、いくらか斬り易かったな」
「…………」
「それで、どうする? 大人しく敗けを認めるか?」
かりんは、眼を閉じる。
「……認めるよ」
「そうか」
来るであろう瞬間に、かりんは備えた。陽光の刃が振り下ろされる、その瞬間。
「……?」
だがいくら待っても、その瞬間はやって来ない。
かりんは、ゆっくりと眼を開いた。
遠くに、武の背中が見えた。
「――!!? ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ちなさいよー!!!?」
「ん? 何か用があるのか?」
武が、かりんの元に戻って来る。
「何で私に滅びを与えないの!? 私はおにーさんを滅ぼそうとしたんだよ!!?」
「いや、何でって言われても… だってお前、敗けを認めたし」
「ウソかも知れないでしょーが!! 私が不意討ちを仕掛けたら、どうするつもりなのッ!!!?」
「仕掛けるのか?」
「いや、仕掛けないけど… って、うがぁああーッ!!!」
「――うぉ!!?」
いきなり吼えたかりんに、少し驚く武。
「な、何だよ、どうしたんだ?」
「と・に・か・くッ! おにーさんにとって、私は危険な存在なんだよ! 分かってるでしょ!? だから、おにーさんは私を滅ぼした方がいいの!!」
「あ、それに関しては問題ない。俺、もうお前には敗ける気しないし」
「――うわ!!? 心の底から腹立つッ!!!!」
かりんが怒り顔で、武を睨む。武と初めて逢った時のような、少しも怖くない怒り顔だった。
「ま、それは冗談だ。今回俺が勝ったのは、ほとんど運だな」
「……だったら」
かりんは、一転して悲しそうな顔に変わる。
「でも、俺はお前を滅ぼさない」
「…どうして? 私の血は、おにーさんを憎み続ける。そしてその憎しみは、私におにーさんへの殺意を抱かせるんだよ?」
「ああ。でも――」
武はかりんの眼を見ながら、言った。
「大丈夫、どうにかなるさ」
「――……!」
武の眼には、淀み1つなかった。どこまでも純粋で真っ直ぐな、瞳。
「…分かった。頑張ってみる」
「おう、そうしてくれ。――じゃ、俺はそろそろ行くから」
武はかりんに背を向ける。
その背を、かりんはずっと眺めていた。



つぐみは武とかりんを捜しながら、走っていた。
すぐ武を助けに行くつもりだったが、思ってた以上にヴァルニルとの闘いに時間を取られ過ぎた。
九尾ノ妖狐ナインテイルズであるかりんを相手に武がどれほど闘えるかはつぐみにも分からなかったが、武にとってよい闘いにはならないだろうという事だけは、容易に想像出来た。
「ん――!?」
つぐみの眼前に、なにやら人影が見えた。
(――かりん? それとも、別の誰か?)
いずれにしても、敵である事は間違いない。
つぐみは気配を消して接近し、必殺のボディブローを叩き込む!
「うぎょはぁぁあああッ!!!?」
武だった。



「えっと… ごめんね?」
「…ごめんで済んだら、オマワリはいらないんだよ……」
武は闇の母譲りの回復・再生能力で、闇の母から受けたボディブローのダメージをどうにか治癒した。
「まったく… それで、そっちはどうだったんだ?」
「勝ったわよ。ヴァルニルは退いたわ。武の方は?」
「こっちも何とか勝った」
「そう。ま、あなたの事だから、勝ったといってもかりんを滅ぼした訳ではないんでしょうね」
「よく分かったな。さすがはつぐみだ」
武とつぐみは喜び合う。お互いの勝利と、無事を。
だが、その幸せな時間は… 唐突に終わりを告げた。

「やれやれ… アルフレッドもかりんもヴァルニルも、皆やられてしまったか……」

そんな、声がした。
つぐみにとっては、300年振りに聞く声。武にとっては、初めて聞く声。
だがそれでも、両者が感じたモノは同じだった。

――圧倒的な、絶望。

闇の中に、ひとりの女性の姿。
「おや、そちらがウワサの倉橋武君かな? 私のゲットが、世話をかけているみたいだね」
緋色の長髪が揺れる。まるで、火刑の炎のように。
「初めまして、武。私に真なる名前はないが、一応名乗る名はある。私は――」
彼女の瞳。それは、血の色をした満月のようで――……。

「――血色の満月」



「嘘、でしょう……? まさか、あなた本人が出て来るなんて……」
「可愛い眷属達が闘っているのに、私だけが楽をしている訳にはいかないだろう?」
血色の満月が、嗤う。
その嗤い声はまるで、地獄から響いているようだった。
「それにしても… 残念だよ、つぐみ。まさか私自身の手で、君を滅ぼさなければならなくなるとはね」
「――!!」
武が刀を構え、前に出る。
「…やっぱりあんたは、つぐみを滅ぼすつもりなんだな……?」
「ああ。ここには、そのために来たんだよ。君には悪いけどね」
「なら… 俺は、あんたを狩る」
「――武!!?」
つぐみの声が、夜に響く。
「本気かい? 私と君には、決して埋められない差があるが」
「そうかもな。だが、つぐみとふたりがかりならどうだ?」
「なるほど。数が増えれば、戦力は上がる。確かに道理だ。だが――」
気付いた時には、武の目の前に血色の満月の顔があった。
「それは、温血者ウォームや弱き化生の道理だよ。カインの後継者ヴァンパイア・ロードには通じない」
血色の満月は、軽く武に触れた。

ドォオンッ!!!

武の身体を、衝撃が貫く。
数百メートル吹き飛ばされ、武は気を失った。
「――た、武!!?」
「大丈夫だよ、気絶しているだけさ。私の狙いは君だけだからね」
「…………」
つぐみの心に、少しずつ怒りが湧き上がってきた。
たとえそれが神であろうと、つぐみは武を傷付ける者を許さない。
「…いいわ、闘いましょう」
「そう、それでいい」
つぐみと血色の満月が、対峙する。

「覚悟しなさい、月の女神ヘカーテに仕えしエンプーサの王――血色の満月。今宵、私はあなたを滅ぼす」

「さあ、血戦だ。空を、海を、大地を、この世界に存在するありとあらゆるものを、そしてあの天上に輝く月さえも、私は血で赤く染めてみせよう」

そして… 闘いは、始まった。



「――『吸血刃ブラッドサッキング・ブレイド』」
血色の満月の周囲に、無数の小剣が現れる。
「行け……」
その言葉と共に、小剣達は一斉につぐみへと襲いかかった。
空中に浮いた小剣は、まるで意思があるかのようにつぐみを追跡する。
「は……!!!」
つぐみは小剣を拳撃で砕いてゆく。
だが小剣が数本、つぐみの身体に突き刺さった。
「う――っ!!?」
不意に、つぐみの身体から力が抜ける。
原因は、すぐ理解出来た。血を奪われたのだ。
この、小剣に。
「な、何よ、これ!!?」
「凄いだろう? 私の血から生み出されたその小剣達は、全て立派な吸血種ブラッドサッカーなんだよ」
「な――っ!!!?」
つぐみは全ての小剣を身体から抜くと、徹底的に粉砕した。
ヴァンパイアにとって、血は生命の維持――死者であるヴァンパイアが生命の維持というのも奇妙な話ではあるが――とにかく、生きてゆくために必要なものである。故に、ヴァンパイアは温血者ウォームから血を頂く。
だがこの小剣は、それを奪う。
つぐみの身体の動きが、僅かに鈍くなる。
このまま、血――力の源泉を奪われ続ければ、最悪の場合戦闘不能も考えられた。
それだけは、避けなければならない。
「は――!」
つぐみは一気に、血色の満月の間合いに踏み込む。
そして、その頭に腕を振り下ろした。

グシャッ……

呆気ないほど簡単に、血色の満月の頭は砕かれた。
つぐみは、重力の方向に自身の腕を下ろしてゆく。
首を裂き、腕が胸に到達する。
そのまま、心臓を潰した。
「…………」
つぐみは、鮮血を散らす血色の満月の身体から距離を取る。
すぐに、それは起きた。
まず、心臓が修復される。同時に、胸の大傷が塞がった。
首が元通りとなり、砕かれたはず頭も形を整える。
まるで、時が逆行しているかのようだった。
「…やっぱり、こうなるのね……」
つぐみは前々から思っていたが、この現象は回復とか再生とか、そういう次元ではない。何しろ、潰れた心臓までもが復元されたのだ。
これはもはや、攻撃の無効化としか言いようがない。
「攻撃が無駄だという事は、君も知っているだろう? 私の『月光の防壁ムーンライト・ウォール』は、因果律を破壊し、攻撃されたという事実そのものを消滅させる。月の魔力に護られている限り、私に敗北はない」
「…ヘカーテの加護、か」
「その通りだよ」
「でも逆に言えば、それさえ何とかすれば勝機はある、という事ね」
「何とかすればね」
無数の小剣が、つぐみへと迫る。
その軌道は変則的にして変幻自在。見切るのは不可能だった。
何より、数が多すぎる。
「――ッ!!!」
つぐみの身体が斬り付けられ、また血が奪われた。
「――白泉っ!!」
つぐみは白泉を喚び出し、放つ。
白泉は小剣を蹴散らしながら白い風となり、血色の満月に迫った。
白泉の巨体が、真正面から血色の満月に激突する。
血色の満月の身体は、白泉と背後の巨岩に挟まれ、ぐしゃりと潰れた。
「…『吸血骨ブラッドサッキング・ボーン』……」
白泉の一撃により、身体を突き破り露出した血色の満月の肋骨が、巨大化――そして異形化する。
骨の数箇所に関節が生まれ、まるで指のように動く。
骨が白泉の身体に突き刺さる。次の瞬間には、白泉は全ての血と精気を奪われ、灰となっていた。
血色の満月は崩れ落ちた灰を見ながら、その異様な形態のまま冷ややかな笑みを浮かべる。
その姿は… まさに、悪魔ドラクル
「――久し振りに、いい食餌が摂れたよ」
その言葉と共に、肋骨が身体の中に収納される。そして、全ての傷が消滅した。
「…バケモノめ……!」
「少し前に私達と闘った退魔師も、同じ事を言っていたよ。あの時はヴァルニルが… 何と言い返したんだったかな。忘れてしまった」
血色の満月の身体から、無数の蝙蝠が溢れ出す。
「――さぁ、そろそろ終わりだ。見せて上げよう… 七色の絶望を」
蝙蝠達が、つぐみを取り囲む。
「この程度で――!」
つぐみが蝙蝠を振り払おうとした、その時。
「――!!?」
一筋の異質な殺気を、つぐみは背後に感じた。
「油断したな、レイディ」
1匹の蝙蝠が、人の形に姿を変える。それは… アルフレッド・レザー・ナイトハイム。
(――嘘、もうここまで回復していたの……?)
今の彼からは、並みのヴァンパイア程度の力しか感じない。
だがそれでも、その手に握られた銀の剣をつぐみの心臓に突き立てるには、十分だろう。
「滅びの時だ、小街つぐみ!」
「――!」
つぐみの背に、銀の輝きが迫る。
だが。
「な、に……?」
剣を握るアルフレッドの腕が、斬り落とされた。
「くそ、誰が――」
その言葉が終わらぬ内に、次はアルフレッドの首が刎ね飛ばされた。
「――おう、つぐみ。危なかったな」
「武……」



「おい、さっきはよくもやってくれたな……」
アルフレッドを斬り捨てた武は、血色の満月を睨み付けた。
「…『さっき』とは、あの不意討ちの事かい?」
「ああ。頭打ったせいで、綺麗に意識が逝っちまったぞ」
「しかし、不意討ちも立派な――」
「戦術の1つ、だろ。知ってる」
武は陽光の切っ先を、血色の満月に向ける。
「さて、覚悟はいいな?」
「何の覚悟だい?」
「無論、あの世へ逝く覚悟だ」
「ふふ… 残念だが、私は冥府の女神に仕える者でね。あの世になど、飽きるほど行った事があるよ」
血色の満月の周囲に、小剣が舞う。
「倉橋武… 参る!」
「『吸血刃ブラッドサッキング・ブレイド』……!」

キィイイインッ!!!!

陽光の刃と数え切れぬ程の小剣が、激突する。
「ぐ――っ!!?」
押し敗けた武が、その衝撃で空中に飛ばされる。
つぐみが血色の満月に接近するが、

ドゴォオッ!!!

血色の満月が掌を向けただけで、つぐみは見えない力によって弾き飛ばされた。
「――そら、逃げなければ死ぬよ?」
血色の満月の背中から肋骨が数本飛び出し、触手のように動きながら武へと迫る。
「ち……っ!」
武は、向かってきた肋骨を全て斬り捨てる。
だが。
「遅いね」
瞬間移動としか思えないような速さで、血色の満月は武の背後に廻り込む。
そして――
「ぐぁああ――っ!!!?」
――武の全身に、小剣が突き刺さった。
「た、武っっ!!!!」
つぐみが叫ぶ。
彼女は武を助けに行こうとするが、身体が動かない。
「う、ぅう……!」
「つぐみ、君はじっとしていた方がいい。さっき君が受けた気弾は、心臓に命中していたからね。無理に動こうとしても、苦しみが増すだけだよ。……そんなに焦らなくても、すぐ楽にしてあげるさ」
血色の満月が、武に近付く。
武は身体に刺さった小剣を全て破壊していたが、それでも立っているのがやっとの状態だった。
「はぁ、はぁ… くそっ……!」
「――さて、君もそろそろ限界のようだね。どうだろう、今からでも私の邪魔を止めてくれないかい? そうすれば、君を助けてやってもいいんだが……」
「ふざけんな……!」
「…そうか、残念だよ。かりんが悲しむね――……」
突如、世界に光が差し込んできた。
「…な、んだ……!?」
「さぁ、夜明けの時だよ。陽が昇り、化生の時間は終わる。そして… 君は、滅びを迎える――」
山々の間から、ヴァンパイアにとっての滅びの象徴――太陽が姿を見せる。
武に、光が降り注いだ。
「う……っ、あ、がぁぁぁあああああっ!!!?」
人々に朝の安らぎを与えるその光も、武には激しい苦痛しかもたらさない。
「た、武ぃいい!!!!」
つぐみの悲痛な声が響く。
武の皮膚が焼かれ、煙を上げ始めた。
「…さて、彼はもう終わりだ。せめて君は、苦しませずに滅ぼしてあげるよ」
血色の満月が、倒れているつぐみに歩み寄る。つぐみに、滅びを与えるために。
「さぁ、つぐみ。楽に――」
「…待て、よ……」
血色の満月の背後から、鋭い声が飛んだ。
「勝手に、終わらせんな……!」
「…朝の緩やかな光とはいえ、日光の下でも新生者ニューボーンの君がそれだけ動けるか。私の血統も、まだまだ捨てたものではないね」
武が陽光で身体を支えながら、どうにか立ち上がっていた。
「――しかし不可解だね。君のその闘志は、どこからやって来るんだい? まるで、神代の英雄のようだよ……」
「…………」
「あるいは生者なら、そういう事もあるかも知れない。彼等は心が凍っていないからね。――だが、君は死者だ。心も凍っているはず。それなのに何故……?」
「…俺は、死者じゃない……」
喉を焼かれ、満足に声すら出せない武の言葉。
それでも、そこには意志があった。
「俺も、つぐみも、もちろんあんたも… 死者なんかじゃ、ない……」
「……ほう?」
「…確かに、俺達の生命活動は停止してる… それでも、それでも、まだ生きてるんだ……」
武が、陽光を構えた。
「だって… そうだろう? 死者がこうやって… バカみたいに、何かのために闘ったりするか?」
「…………」
「…あんたさっき、俺が滅びるとかりんが悲しむ、と言った。死者がそうやって、他者を思いやったりするか……?」
「…あぁ、そうかもね」
血色の満月の手に、光の鎌が現れる。
「君が――いや、私達が死者ではないというのなら… それを証明してみるといい。生きる者は、奇跡を起こす力を持つ。それを、私に見せてくれ――」
「…言われなくても、そのつもりだ……!」
血色の満月が、光の鎌を構える。
それは、『月光の防壁ムーンライト・ウォール』を攻撃に転用したもの。
因果律を破壊し、ありとあらゆる『存在』を消滅させる… 必殺の兵器。
「…行くぞ……!」
「――来い」
ふたりが、同時に跳んだ。

「うぉぉおおおおっっ!!!!」
「『月光の死鎌ムーンライト・デスサイズ』……!!!!」

景色が、光に包まれた。



「どう、なったの……?」
つぐみは光が消えた後、ふたりが激突した場所を見る。
そこには、ひとつの人影があった。
「あ……ッッ!!!?」
「――…やぁ、つぐみ」
それは… 血色の満月。
「あ、なた……」
「危なかったよ。本当に、危なかった」
血色の満月が立っているという事は、武が倒れたという事。
「武は、どうなったのよ……?」
つぐみは涙を堪え、訊く。
「五体を引き裂き、バラバラにしてやった」
「――……っ!」
つぐみの眼から、堪えきれず涙が溢れる。
ヴァンパイアが血の涙だけではなく、塩水の涙も流す事が出来ると知ったのは、最近の事。
だが、それを教えてくれた、武はもう――

「――とは言っても、あの陽光とかいう神器の気に邪魔されて『存在』の消滅は無理だったし… 心臓は無事だから、2週間もすれば何事もなかったかのように復活するだろうけどね」

「…………へ?」
つぐみは思わず、おかしな声を出した。
「まったく、不死の王ノーライフキングたるこの私に、傷を付けるとはね……」
その時、つぐみは始めて気付いた。
血色の満月の頬に、一筋の傷があった。少しずつ、血が流れ出している。
「本当に、危なかったよ……」
頬の傷が消える。
だがそれは攻撃の無効化ではなく、通常の治癒能力。
「まさか、武… 『月光の防壁ムーンライト・ウォール』を破ったの……!!?」
「ああ、彼は月光を斬り裂いたんだよ。あと少し彼の斬撃が速かったら、私は心臓をやられてただろうね」
血色の満月の顔に、笑顔が浮かぶ。
それはつぐみが始めて見る、満ち足りた笑みだった。
「……で、その武は?」
「そこの木陰。胴体と頭しか残ってないが… さっきも言った通り、心臓は無事さ」
血色の満月はアルフレッドの頭を拾うと、つぐみに背を向ける。
「じゃあ、私はそろそろ去るよ」
「え……?」
「ここで君を滅ぼしたら、まるで私が悪者みたいじゃないか。私は武に敗けた。だから、おとなしく消えるよ。ふふふふふふ…♪」
血色の満月の背が、離れてゆく。
「――さようなら、つぐみ。縁があったら、また逢おう」






17日後。
「ん……?」
武は、暗い闇の中で眼を醒ました。
「…………」
そのまま2度寝に突入しようかと悩んでいたが、しばらくすると覚悟を決めて――
「――って、ちょっと待て。そういえば……」
少しずつ、記憶が蘇って来る。
血色の満月とその一派との、戦いの記憶が。
「俺達は勝ったのか……?」
武がここにこうして居るという事は、勝ったという事。
だがそれでも、なかなか実感が湧かなかった。
その時。
「――武っ!? 眼が醒めたの!!?」
洞窟の中に、つぐみが跳び込んで来た。
「つぐみ――」
「武ぃ!」
突然、つぐみが武を抱き締める。
「お、おい――」
「…良かった、本当に……」
「…つぐみ……」
武も、つぐみを抱き締める。
しばらく、ふたりはそうしていた。



「じゃあ俺は、17日も眠ってたのか……」
「ええ、そう。凄く心配だったのよ?」
「…そりゃ悪かった。ごめんな」
「ふふ… いいのよ」
武は、コップに入れられた血を飲む。つぐみが集めて置いたものらしい。
「それにしても、本当に勝ったのか… 何だか信じられんな……」
「私もまだ信じられないけど… でも、勝ったの。これから先、私達を邪魔するものは何もないわ」
つぐみが、優しく微笑む。
「つぐみ……」
しかしその時。

「おにーさーーーーん!!!!」

元気な――というより元気過ぎる声が、洞窟内にぶち込まれた。
「おにーさん、眼が醒めたの!!?」
「あ、ああ……」
かりんが洞窟に突入してくる。つぐみは、かりんによって弾き飛ばされた。
「良かった… 毎日、北斗七星と稲荷大明神に祈願した甲斐があったよ」
「――! お前、そんな事してくれてたのか。ありがとな」
「え? あ、うん、えへへへへ……」
かりんが恥ずかしそうに頭を掻く。
「それで、お前大丈夫なのか? お前の血は、俺を――」
「あ、それは大丈夫。上様の力で、パワーアップしたから。血の衝動を押さえ込めるようになったの」
「へぇ… それは凄いな」
武は『パワーアップって何だ?』という疑問を、心の奥底に仕舞い込んだ。
「おにーさんのおかげだよー!!」
「俺のおかげ? 何で?」
「何でも! 必ず最後に愛は勝つんだから!!」
かりんが、武に抱き付く。
「――!!? お、おい――」

「かりん……」

武は、反射的に死を覚悟した。
その声は武に向けられたものではなかったが、死の化身である事は間違いなかった。
「……何? つぐみちゃん」
かりんが一転し、あの戦いの時のように殺気が膨れ上がる。しかし、対象は武ではなくつぐみ。
つぐみは見る者を石にするような眼光で、かりんを睨む。でも何故か、石になっているのは武。
「…かりん、滅ぼされたいの?」
「ううん。だって私、滅ぼされる訳にはいかないもん」
「へぇ… どうして?」
「それはね――」
かりんは、つぐみに何か耳打ちした。
それを聞いたつぐみは、世界平和を顕現したような笑顔で、
「――死になさい、かりん」

ドゴッ!!!!

かりんを、殴り飛ばした。
洞窟の外まで、ぶっ飛んで行くかりん。
「お、おい、つぐみ!!?」
「――武」
「……な、何だ?」
「狐鍋って、美味しいわよね」
「く、食った事ないから知らないが… つぐみ? 狐鍋?」
「ふふ……」
戦慄するような笑みを浮かべながら、洞窟の外に出て行くつぐみ。
その外からは、

「夫神は唯一にして。御形なし。虚にして。霊有。天地開闢て此方。国常立尊を拝し奉れば――」

そんな声が、聞こえて来ていた。
「――お、お前等ッ!? ちょ、ちょっと待てぇぇえええッ!!!?」
つぐみに続き、武も外に跳び出す。
そこに広がっていたのは、どこまでも続く夜の世界。
月が、笑っていた。

あとがきと呼ばれたもの・後編
…倉橋家って、安倍家じゃなくて土御門家の分家でしたっけ? まぁ、どっちでもそう変わらないからいいや(オイ)
こんにちは。大根メロンです。
さて、なんかいつも通りのオチがつき、『赤い絆』終了。
そして、最後まで中途半端にしか活躍しなかったアルフレッド。アーメン。
彼等は2034年でも、血色の満月に仕えてるんでしょうかね。
だとしたら… 田中研究所、最強?(笑)
…あと、『月光の防壁ムーンライト・ウォール』の元ネタ、分かる人いますか?(汗)
ヒントは、血色の満月がヘカーテに仕える存在である事。もしかしたら、新月時には無力かも知れません。
…分かる人には分かるはず(笑)

次回はどうしましょうかね。多分、ギャグになると思われますが。報道クラブものかなぁ。
ではまた。


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