つぐみ、誕生日おめでとう!!
                              電灯


7月5日
 穏やかな昼下がり。少し暑いけど、その分日陰の涼しさとそよ風の爽やかさを感じられるから私は好きだ。武は仕事に行ってるし、ホクトは一緒になった秋香菜と都会でマンション暮らしを始めて家には週末しか帰ってこない。沙羅は、なんとスタンフォード大学から暗号化技術の専門家としてオファーが来て、今はサンノゼに住んでいる。また、シリコンバレーとも位置が近いので大手ソフトウェア会社の技術顧問もしているらしい。みんなそれぞれ、新しい生活を始めている。
「ふぁーーーーーーーーーぁ…」
 思わずあくびが出てしまう。だって、この縁側は気持ちよすぎるのだから仕方がない。私も身体は変わらずとも心はだんだん年を取っているのだろうか。こんな風に、縁側で猫を抱いて……
 みゃー
 そうそう、こんな感じ…って待って!?
「ね、猫??」
 見ると、いつの間にか膝の上に黒くて丸いものが乗っていた。否、丸くなった黒猫があくびをしている。

  ………これはこれで、いいかも。

 猫を撫でる。猫はのんびりと、こちらのことなど気にも留めていない様子で眠ってしまった。
「ふふっ…」
 自然と笑みがこぼれた。と、そこへ植垣の向こうから聞き慣れた声がかかる。
「あら、つぐみちゃん、こんにちは。今日もいい天気ねぇ。」
 屈託のない笑いを見せてくれるこの人は、二軒先の宮下さん。40歳くらいに見える、どんな人でもすぐにうち解けてしまう人。
「こんにちは、宮下さん。本当にいい天気ですね。それに、風も気持ちいいと思いませんか?」
 いつの間にか笑いながら答えている自分がいる。…この人には敵わない。
「ええ、そう思うわ。…ところで、つぐみちゃんの家は猫飼い始めたの?その猫、すごく安心してる様に見えるから野良猫じゃないと思うけれど。」
 私の膝の上に乗っている猫を見てそう言った。
「いえ、この猫は野良ですよ。いつの間にか私の所に来て寝てしまったんです。」
「…可愛いわねぇ…私も昔猫を飼っていたのだけれど……病気でしんでしまったの。だから、少しうらやましいわ。」
「そうなんですか……」
 この人はあまりに素直で、感情もストレートに表現する。だからだろうか、私まで悲しくなってきた。
「…ごめんなさいね。せっかく日向ぼっこしてたのに、湿っぽい話をしてしまって…」
 うつむいて、本当に済まなそうな顔をする。
「そんな、気にしないでください。私、宮下さんと話をしているだけで楽しいですから。」
 なんとか笑って欲しくて、傍目には社交辞令と取られてしまうかも知れないけれど、心を込めてこの言葉を言った。
「…ありがとう、つぐみちゃん。あなたって本当に優しい人ね。…武さんがうらやましいわ。」
 ぱあっと、花のように笑ってくれた。だが、後に続く言葉が気になる。
「武が、うらやましい、ですか…?」
 はて、という感じで宮下さんは首をかしげる。
「あれ、武さんはつぐみさんの旦那様じゃあなかったかしら?…ひょっとして、お兄さんだった?」
「あ…武は、その、夫ですけど……」
 殆ど口にしたことのない、武を表す言葉。「おっと」なんて、恥ずかしくて使えなかった。今だって、その言葉を言っただけで顔から火を吹きそうだ。
 みゃあ??
 寝ていた猫も起きてしまった。それくらい私は動揺しているのだろうか。
「うふふっ、どうやら幸せなようね。でもその様子だと恥ずかしくて素直になれないって感じなんでしょう。私も昔はそうだったから、よく分かるわ。」
 宮下さんはそう言って笑っている。なんとか、言葉を出す。
「…あの……宮下さんも…む、昔はそうだったんですか?」
 今のまっすぐな宮下さんからは私のような時があったなんて信じられない。
「ふふっ、そうよ。私だって恥ずかしいと思うことだってあるんだから。でも、それだけ自分があの人を愛してる、とも感じられたのだけれどね。…あなたは、武さんのことを愛してるのかしら?」
 宮下さんは、「愛」なんて言葉までまっすぐに使える。なんてうらやましい。私も、武に「愛してる」って言いたくて、でもその代わりに「早く起きてよ」とか、「帰りが遅いんじゃない?」なんて、反対のことしか言えなかった。今考えてみると、本当に武は偉いと思った。もし私が武にそんな風に言われていたら、とっくにどうかしてしまっている。宮本さんは「武を愛してるの?」と訊いた。その答えは決まっている。できるなら、直接武に言ってあげたかったのだけれど…
「ええ、私は武を愛してます。」
 今度は、顔が赤くなることはなかった。自分で言うのも何だけど、落ち着いていたと思う。
「うん、それでいいわ。」
 また宮本さんは満面の笑みを浮かべた。
「…若いって、いいわねぇ…そういう言葉を言えるのだから。つぐみちゃんは、いつも大人びていて、ひょっとしたら私より年上なのかもって思うこともあるけど、恋に関してはまだ初々しいわ。やっぱり乙女はそうでなくちゃ。…でも、武さんにも『愛してる』って言ってあげないとだめよ。男って大丈夫に見えてホントはすごく繊細なんだから。きっと武さんだって不安なはずだから、ね?」
 私は、心から笑って返事をした。
「はい。大切な私の夫に、必ず…」
「うふふっ…あ、いけないわ。結構話し込んじゃったわねぇ…じゃあ、この辺で私はおいとまするわ。…武さんにもよろしく。」
 ぴくっ、と反応する。
「あの、夫と面識があるんですか?」
 宮下さんはなんでもないように言う。
「あら、つぐみちゃん知らないの?武さんって言ったら、近所の主婦達のアイドルよ。あの笑顔でみんなやられちゃったのよねぇ…」

 武に「愛してる」って言うのは、やっぱりしばらく後になりそう…


 猫を撫でながら、それからいろんな事を考えた。

 たとえば、ホクトと秋香菜のこと。ホクトが秋香菜と結婚したいと言ってきた時、私は何も言わなかった。武も同じ。でも武は、自分の人生なら自分で決めろって、それだけ言った。
 ただ、秋香菜に「お母さん」って呼ばれた時はやはり複雑な思いがあった。秋香菜が私達の家族になった、と言うよりも、ホクトも大人になったなぁ、という気持ちの方が強かったと思う。あの後子供もできて、私達にも見せに来た。ホクトがキュレイのハーフだったが、春香菜は秋香菜を産んでから感染したから問題は無いらしい。ただ、これでキュレイが広がる可能性はできた。そのうち、キュレイの血はどんどん薄くなって、キュレイの血を持っているかいないかはそれ程問題にされなくなるだろう。しかし、そうなると、いつ、どこで、誰がキュレイとしての性質を表すか分からなくなる。生まれた時からキュレイにかかっているとしたら、5歳で成長は止まる。5歳の身体のまま、いつまでも死なない人生を送るなんて、ひどすぎると思う。
 かと言って、ホクトや沙羅に子供を作るな、とは言えない。やっと手に入れた幸せを、手放すようなことはして欲しくない。ライプリヒの、内部告発による会社の倒産によって、キュレイという存在が明るみに出された。それを受けて国会はいわゆる「キュレイ法」を制定した。内容は、「キュレイ種はいわゆる『普通の人間』と同等の権利を持つ」ということを中心にまとめられている。つまり、キュレイを一般社会に受け入れましょう、という法律だ。だが、実際にキュレイかそうでないかは見分けがつかず、裁判沙汰にでもならない限りあまり意味はないと思う。とにかく、これで公にキュレイが認知された。いつかはバレることだと思っていたし、春香菜が圧力をかけてマスコミ関係からは適切な報道が行われた。十年後に近所の人から白い目で見られるより、今、世間一般に正しい情報が公開されれば、そっちの方がトラブルも少ないのではないか。そう思った。私達の名前をはじめとする個人情報は春香菜が完全にシャットアウトしてくれたし、新聞記者に探し当てられた時も圧力をかけて(なにやら違法行為をしている気がするけれど、春香菜曰く『それ位のことを気にしていたら、ライプリヒの事後処理は出来なかった』そうだ。私達の情報を守る為にかなり危ないこともしてくれたらしい。)記事にならないようにしてくれた。おかげで、ごく親しい人しか私達がキュレイであることを知らなかったし、私達の穏やかな生活が乱されることも皆無だった。
 みゃーぁ…
「うん…?」
 夕日の中、猫はキョロキョロして、物欲しげにこちらを眺めていた。
 じーーっ
「しょうがないね、お前は…」
 台所に行って、煮干しやら魚の切れ端やらを、大きめの皿にのせて庭に置いた。すると、どこから現れたのか、子猫が3…4…5…5匹も出てきた。
「お前、お母さんだったんだ…」
 黒猫は、素知らぬ顔で煮干しを噛んでいた。子猫には軟らかい方の肉を食べさせている。やっぱり、親は子を気遣うものなんだ…そんなことを思う。

 しばらく、そうしているのをずっと眺めていた。と、急に電話が鳴った。いや、電話は急に鳴るものなのだが、やっぱり虚をつかれる。
 たたたっ、と走って電話まで行く。ひょっとしたら、武からかも知れない。そんなことを考えていた。
「…はい、倉成ですが。」
 とりあえず、普通に出る。
「おお、つぐみ。俺だ、武だ。」
 やっぱり、武だった。
「あっ、あなた?急に電話なんて、どうしたの?」
 内容が気になる。だって今日は…
「それがな…今日つぐみの誕生日だろ?…だけど、今、沖縄なんだ…」
 えっ??
「ええっ!!?」
 驚いた。確かに出張ることが多いけれど、まさかそんなところにいるとは…
「つ、つぐみ…ごめん…あのさ、誕生日一緒に祝えそうにないんだ…その代わりと言っちゃあ何だけど、明日は絶対に一日中一緒にいてあげるから、許してくれい…」
 ふつふつと怒りが…沸いてこなかった。
「そう…沖縄なら、しょうがないかな……」
「つぐみ?その…怒らない、のか?」
 武が恐る恐る訊いてきた。
「うん…だって、武がそんなに頑張っているんだもの、私の都合で邪魔しちゃ悪いわ。それに、誕生日なんてあと何回だってあるんだし…」
 嘘だった。武が頑張っているのは分かるし、確かに誕生日だって何回も来るだろう。でも、やっぱり、武と一緒に祝いたい。その気持ちはとても強い。だけれど、それは武だって同じだと思う。自惚れかも知れないけれど、そう思いたかった。武だって、辛いはず。だから、私は武を責めない。
「あのさ…寂しく、ないのか?」
 核心をついてくる。やっぱり武は全部分かっているようだった。
「それは当たり前よ。だけど、沖縄から連れてくるわけにはいかないし、明日いっぱい遊べるなら私はそれでいいわ。」
 こっちは本心。沖縄にいるならどうしようもないし、明日遊んでくれるなら文句はない。
「そっか…本当にごめんな…つぐみ…」
 受話器を片手に頭を下げている武が見える気がした。
「いいのよ、気にしないで。その代わり、明日はいっぱい遊んでね?」
 できるだけ優しく言った。
「本当に、ありがとう…つぐみ…愛してる。」
 言われると、やっぱり恥ずかしい。思えば武は、つらく当たる私にいつも優しくしてくれた。今更になって、本当によく分かる。
「私も…その…………あ、あ」
 いざとなって、言えない。
「つぐみ…?」
 心配そうに訊いてくる武。
「その………何でもない…」
 言えなかった。
「そっか。うん、じゃあ、切るぞ?」
「………うん……」
「元気出せよ、じゃあ、明日。」
「うん、明日……」
 ツーツーツー…
「はぁーーー…」
 なんで勇気が出ないんだろう。宮下さんには「必ず」なんて言ってたくせに…
「はぁ…」
 もう一度ため息をついて、縁側に戻る。

「あれっ??」
 半ば予想はしていたが、やっぱりお皿の上のものは全部無くなって、猫たちもどこかへ行ってしまったようだ。
「…どこへ行ったのかしら……」
 そう呟いて、お皿を台所へ運んだ時、また電話が鳴った。
 スリッパをパタパタさせて電話まで走る。台所付近ではスリッパを使うので、今回はスリッパごと電話まで来てしまった。
「…はい、倉成ですが。」
 同じように出る。
「こんばんは、つぐみ。元気?」
 春香菜だった。
「どうしたの、優。電話なんかかけて。」
 ここ数週間連絡を取っていなかったので、どんな話なのか気になる。
「それが、ちょっと電話では話せないことなの。だから、今すぐ私の家に来てちょうだい。」
 有無を言わさぬ口調だった。
「わかった。何かあったのね?」
 まだライプリヒの残党がいるのだろうか。
「まあ、近いわ。オーケーね、すぐに来て。」
 余程急いでいるらしい。
「ええ。30分で行くわ。」
 ぎりぎり間に合うだろう。
「了解したわ。切るわよ。」
 ツーツー…
 受話器を置いて、すぐに外に出た。あたりは既に薄暗い。走るか。いや、それでは間に合わない。車か。春香菜の家までにはこの時間帯だと渋滞が激しい。となると…あった。武が二年ほど前から始めた趣味のロードレーサーを借りる。
 スムーズだ。武は手入れを欠かしていないようだった。こういう時にも、やっぱり武は私を助けてくれる。

 側道をレーサーに乗って60キロ近いスピードで走り抜ける。止まっている車を横目に疾走する。信号なんてこの際構ってはいられないが、さすがに交通量の多いところはレーサーを担いで歩道橋を走った。全力で走らせて20分弱。約束の時間には間に合った。息を切らせて春香菜の家に入ると……

 つぐみ、誕生日おめでとう!!

  は?

 呆然とする私を無視して、クラッカーを鳴らす春香菜、秋香菜、ホクト、沙羅、空、桑古木、ココ。

  そして………武が、いた。

「あなた、沖縄…」
 言葉にならない。
「ああ、アレか、嘘だ。いやぁ、やっぱり誕生日ってのはこうセンセーショナルにだな、みんなでワイワイガヤガヤやるのは当然としてだ。時には本人を驚かすことも重要な要素なのだ。わかったか、つぐみ。」
 武は、少し申し訳無さげな顔をして、でもいつもの口調でそう言って、最後に笑った。
「あなたって……」
 普段ならパンチの一つでもくれてやるところだけれど、なぜか気分がいいので止めておいた。その代わり…
「あなた……」
「ん?なんだ、つぐみ。」
「…愛してる…」
 抱きついた。まわりなんて気にしない。とにかく今は武に触れていたかった。

 今日は誕生日。毎年あるけど、今日のも、来年のも、2年後のも3年後のも10年後のも、全部かけがえのないものなんだって、そう思った。

 ありがとう、みんな。
 ありがとう、あなた…




あとがき

 お、終わった…(汗)なんとか間に合いました〜(よね??)

 さて、誕生日SSなのに誕生日がラスト十数行だけというものになってしまいましたが、意外と良くできた気がします。武の嘘はどうしようか迷ったのですが、それを許してエンドの方がつぐみの成長というか、そういうもの(どんなものだ?)を強調できると思ったので、そのまま残しました。

 ちなみに、冒頭のホクトが子を作ったとか、沙羅が外国に行っているとかは、現在執筆中の「想い『沙羅編』」での設定です。以上、宣伝でしたっ。

 こんなところです。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

                                     TTLL09電灯


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