頑張って
                              時羽


「平和ね……」
 私は縁側に座ったまま、膝の上で丸くなって眠っているチャミを見ながらそうつぶやいた。冬の寒さも次第に終わりを告げる3月。その暖かな陽光はもう春が近い事を感じさせる。
 パーフェクトキュレイゆえに太陽の光を浴びる事の出来ない体を持つ私であったが、優の知り合いが作ってくれた薬のおかげで実に30年近くぶりに太陽の下を歩けるようになったのだった。それからというもの武や子供たちが出かけて家事を終わらせてから、昔のようにここでのんびりするのが私の日課になっていた。
 『昔のように』というのは、実は今私たちが住んでいるこの家は私が子供の頃に住んでいた家で、まだお婆ちゃんが生きていた頃は2人でこの縁側に座って色々と話をしたものだった。そんな思い出の詰まったこの家で再び暮らせるようになったのは、一重に優と両親のおかげだった。今は亡き両親は生前に優から私が生きている事を聞き、私が静かに暮らせるようになったらこの家を私のものにするように手配しておいてくれたのだ。また生活していく上で必要なお金は同じように優から事情を聞いた武の御両親が武のために残して置いてくれたおかげで、私たちは安心して暮らせるようになったのだった。
 安心して暮らせるのにはもうひとつ理由がある。それは私たちがキュレイである事を気兼ねせずに生活する事が出来る法律、『キュレイウィルスキャリアの有する人道的権利と義務及び保護規律』―通称『キュレイ法』が成立したことにもある。つまりキュレイも普通の人間とほぼ同じ権利の下で生活できると保障されたというわけだ。
 そう、今私は幸せだった。最愛の夫に2人の子供がいて、帰るべき場所があり、誰にも追い回される事が無く自由に生きられる。ライプリヒから逃げていた頃には二度と手に入れることなど出来ないと思っていた幸せ……。あまりに幸せすぎてこの幸せはいつか壊れてしまうのではないか?……そんなことを感じてしまうほどに、私は幸せの絶頂にいた。

 ピンポーン!
 呼び鈴が鳴った。こんな時間に誰だろう?私はチャミを膝から降ろし、玄関へ向かった。

「あ……つぐみ……」
「…………優?」
 玄関のドアを開けた私は目の前に立っている人物を見てそう尋ねた。確かにそこに立っていたのは優だった。それなのに私が一瞬戸惑ったのは、優の雰囲気がお正月に会った時とは明らかに違っていたからだ。ストレートの髪は寝癖が所々跳ねていて、顔は何処と無く痩せこけた印象を受ける。目元には化粧をしても隠しきれないほどのくまが出来ていて、立っている姿も何だか儚げだ。
「……今、つぐみ1人?」
「え?ええ、そうだけど」
「丁度よかった……ちょっといい?」
「う、うん」
 その病弱的な声にやや気圧されつつも―そういえば優って病弱属性だったのよね―等とどうでもいいことを考えてしまうのは、きっと武の影響だろう。私はとりあえず優を中に入れ、椅子に座らせる。それからお茶を淹れ、戸棚に入れておいた羊羹を切り分けて持っていった。
「どうぞ」
「……ありがとう」
 そうは言ったものの、優は一向にお茶やお茶菓子を口に運ぶ気配を見せなかった。思いつめたような表情でじっとテーブルの上を見つめ、時折かすかに開く口からも声は聞こえなかった。
 一体優は何を悩んでいるのだろうか?私は一口お茶をすすってから思い切って尋ねた。
「ねぇ、優?何があったの?ずいぶん思い詰めているようだけど……」
「うん……実は、実はね……」
「実は?」
「……教えて欲しいの」
「へ?」
「……つぐみに教えて欲しいのよ」
「な、何を……?」
 私がそう尋ね返すと優はぽっと顔を赤らめた。そして勿体つけるように少し間をおいてからこう言った。
「…………恋愛を」
 ……は?今なんて言ったの?
「だからぁ……恋愛ってものを教えて欲しいのよ……つぐみに」
「………………」

 いやいやいやいや!ちょっと待って!!確かに私、美形だし、クールだし、そんなんだから女の子にもモテモテだろうって前に沙羅やユウに言われたけど!でも私には武がいるし、そもそもそっちの気は無いし……別に優が嫌いってわけじゃないのよ?でも、だからといっていきなりそんな事言われてもどう答えていいか分からないし、ホントに全然分からないし……。

「……つぐみ?」
「…………」
「ねえ!つぐみ!!」
「……え?あ、いや、その……たっ、武がいるから無理よ!!」
「……は?」
「だからっ!優の気持ちは嬉しいけどっ!武がいるから無理なのよ〜〜〜っ!!!」
「お、落ち着いてつぐみ!!何言ってんだか訳分かんないわよ!!」

 10分後……。

「へ?涼権??」
「そう。私がす……気になっているのは涼権なの!全く、一体何を想像してたんだか……」
「……あ、あはははははは」
 優にじと目で睨まれた私は、ただ乾いた笑いをして誤魔化すしか仕様がなかった。
「ほんっと、武っぽくなってきたわよね〜、つぐみ」
「そ、そうかしら?」
「そうよ。武だけじゃなくて、沙羅やホクトにも似てきたんじゃない?」
「まぁ、家族だからね」
 そう自分で言って、はっとした。この4人で暮らすようになってからもうすぐ2年……ライプリヒから逃げ回っていたのがおよそ20年だから、それからみれば4人で暮らした時間なんてほんの僅かなものに過ぎない。逃げ回っていた20年間、私は人を信じずただ心を閉ざし続けていた……なのにそんな僅かな時間の間に自分がこうも変わってしまったということに私は驚きを隠せなかった。
「そうよね。家族……だもんね」
 半ば独り言のような声でそう応えた優の表情には再び影が差していた。私はお茶で乾いた喉を潤してからもう一度尋ね直した。
「……で、どういうことなのか詳しく話してくれる?あなたと涼権の関係についての話っていうのは分かったけど……」
「……ええ」

 それからしどろもどろといった口調で話し連ねた優の言葉をまとめると、こういうことになる。
 事の起こりは今年の正月、新年早々涼権がココにプロポーズをし、ココがそれを受けてしまったことだった。それまで優にとって涼権は仕事上のベストパートナーでしかなかった。だが涼権とココの付き合いを見ているうちに、優は自分の本当の気持ち―つまり涼権に恋心を抱いているという事―に気付いたらしい。しかし涼権があの17年間、ココのことを思って奮闘していたのを優はまるで自分の事であるかのように知っていたし、ココを助け出してからの2年間も涼権がココの気を引こうと色々苦労していたのも彼女は見て来た。長い長い冬に耐え、ようやく春を迎える事が出来た涼権の邪魔をするような真似はさすがにしにくい、というわけだ。加えてココだって優の大切な戦友である。彼女から涼権を奪い取るというのも優にとっては選び難い選択肢であった。

「……それじゃあ涼権のことは諦めるしかないんじゃない?って言いたいところだけど、そうもいかないみたいね……」
 そう簡単に諦められるものならこんなに思い詰めて私のところに来たりなんてしないだろう。案の定、優は強く頷いて肯定の意を示した。
「うん。……本当にどうしたらいいか分からなくて……つぐみだけが頼りなのよ」
「そこなのよね」
「え?」
「なんで私に頼りに来たのか……話を聞いてからそれがずっと疑問だったのよ」
 はっきり言って私はそういった話は苦手だ。時々沙羅が恋愛論とかなんかを語って聞かせてくれるが私にとっては何がなにやらちんぷんかんぷんで、いつも話が終わる頃には頭の上に『?』が10個以上くっついていた。優だって私がそういうキャラだってことは知っているはず。なのに何故?というのが一番の疑問だったのだ。
 優はちょっと困った顔をしてからこう答えた。
「だって……つぐみが唯一の恋愛成功者なんだもん……私が訊ける内で」
「そんなの、ユウがいるじゃない。あの子の方がこういうの得意でしょ?」
 内輪で選ぶなら、恋愛というジャンルでは間違いなくユウが一番ものを知っている。それにホクトとも結構良い仲だし……そう思ったがしかし、優は首を横に振った。
「駄目よ、あの子はまだ発展途中だもの。それに、さすが娘には訊きにくい話題でしょ……」
「それもそうね。じゃあ、仕事仲間とかは?」
 優は今は鳩鳴館大学で講師をしている。私は行ったことがないので大学がどういうものか詳しく知らないが、先生同士でもある程度の繋がりはあるんじゃないかと踏んでそう訊いてみた。しかし、それもダメダメと優は手を振る。
「ほっとんど男なんだもの、訊けないわよ。数少ない女性陣ですら仕事一筋って感じのばかりだし……」
「う〜ん。それじゃ、あの紫外線の影響を無くしてくれる薬を作ってくれた飯田遙さんとか守野くるみさんっていうのは?知り合いなんでしょ?」
 飯田遙さんと守野くるみさんというのは、LeMU脱出後に私の体質を不憫に思った優が紹介してくれた女性だ。方や国家級大財閥の社長秘書、方や現代遺伝子工学会の第一人者というこの二人のおかげで、パーフェクトキュレイの天敵でもある紫外線の被害を無くす薬が完成したのだった。二人とも気さくな方だったから彼女たちに意見を求めてみたらいいんじゃないかと思ったのだが、それにも優は首を振った。
「大財閥の社長秘書に遺伝子工学会の第一人者と、2人とも多忙な身だからね……こんな話、訊いてもらう暇が無いのよ」
 後は……期待は出来ないけど優がそういった話を訊ける相手といえば……。
「……空には訊いてみた?」
 そう尋ねると優は大きなため息を吐き、ぼそぼそと答えた。
「『恋は戦って勝ち取るものです!!』……だって」
 なるほど。それを聞いて私の疑問は解決した。つまり優は私を『頼りに』来たのでは無く、『他に仕様が無いから駄目元で』来たということなんだろう。そう指摘したところ、優は思った通り観念したように言った。
「……ええ。つぐみがこう言った話、苦手なのは分かっているけど……でも、もうつぐみしか訊ける人がいないのよ」
「LeMUであんな無茶なことやらかした割には意外と人脈無いのね……」
「あの事件は少数精鋭で起こしたからね。ライプリヒでの同僚のほとんどは、今は外国か獄中かお空のお星様ってところでしょう」
「ふ〜ん。でも、ねぇ……私は本当にその手の話に疎いし……」
「やっぱりそうよね……」
 優はそう呟くと頭を抱え込んだままテーブルに突っ伏してしまった。
「……ねぇ、昔の友達とかはいないの?」
「う〜ん……」
 暫らく唸った後、優はやはり首を振る。
「仲の良かった子はいたけど、でももう十数年の連絡取っていないし、今更でしょ?」
「……ねえ、それじゃあ……」
 もう諦めるしか無いんじゃない?と言おうとした時、再び呼び鈴が鳴った。いつも来客が無い分、2回だけでもずいぶん多く感じる。とりあえず優をそのままにして玄関に急ぎドアを開けた。
「あら!ユウじゃない!」
「こんにちは、つぐみさん」
ユウは礼儀正しく頭を下げた。
「お母さん来ています?」
「ええ。来てるわよ。……あら?」
 私はそう答えてからユウの後ろに1人の女性が立っていたのに気が付いた。ベージュのワンピースとピンクのロングスカートに赤い靴といった、春らしい服装。肩まで伸ばした薄茶色の髪は黄色いリボンで結わいてあった。年齢は30代前半といったところか……40過ぎていたら若作りな方だろう。彼女は私の視線に気付くとにっこりと微笑んで口を開いた。
「初めまして。私は――」

「はぁ〜〜〜」
 私は1人テーブルに突っ伏したまま、今日何度目か分からないため息をついた。結局ここに来てもどうすればよいか分からなかった。……勿論この件について、最終的には自分で決めなければならないってことは十分理解している。涼権のことは本当に……好きだ。だけどココと涼権の仲を裂くのはとっても辛い。でも、この関係のままでこの先やっていけるだろうか?……それが怖い。あの2人をいきなり追い出す訳にはいかない……けど、このままあの2人と同じ屋根の下で暮らすのは、ものすごく苦痛だ。
 どうしよう……。
 本当……どうしよう……。
 悩めば悩む程どんどん心苦しくなっていく。1人でいると周囲の静寂がとても心細い。
 ……遅いな、つぐみ……。
 そう思った時、廊下から足音が聞こえてきた。つぐみ1人かと思ったら他にも数人いるようだ。リビングのドアが開く音に反応してそちらに目を向ける。まずつぐみが入ってきて、次に入ってきたのは……ユウ?
「ユ、ユウ!?」
「あ、お母さん!!」
 ユウはどことなく怒っているようだった。
「ちょっと!なんで家にいないのよ!!」
 どことなく……では無く本当に怒っていた。
「もうっ!今日は家に居てってちゃんと言っておいたでしょ!?」
「そう……だったかしら?」
 私は首を傾げた。覚えていない。でも多分ユウが言いそびれたのではなく、私が忘れてしまったんだろう。なにせ最近の私は涼権のことばかりが気になって、注意力が散漫していたのだから。
 ユウは呆れたように額に手を当てながらため息をついた。怒鳴ったおかげでか幾分か怒りの収まったユウは、少し声を落ち着けて言った。
「もぅ……おかげで先生にも迷惑かけちゃったんだからね?」
「……先生?」
 ユウはうんと頷いて、くるっと後ろを向いた。そこに女性が立っていた。おそらく彼女がユウの言う『先生』なのだろう。しかし、彼女が一体何だというのだろう?
「見覚えない?」
 ユウは私にそう尋ねてきた。
「私の知っている人?」
 私はユウにそう尋ね返した。
「ええ、そうよ」
 しかしそう答えたのは『先生』と呼ばれた女性の方だった。ということは本当に私の知り合いなんだろう。
「???」
 私はその女性をまじまじと見つめた。誰だろう?全然分からない。
「分からないかな?じゃあヒント1、あなたと最後に会ったのは17年前です」
 17年前といえば2019年よね。でもそれだけじゃあ……。
「ヒント2、私たちが出会ったのは中学の時です」
 中学時代の友人ってこと?誰かなぁ……。
「まだ分からないの?ヒント3、正確に言うと最後に会ったのは2019年の4月3日です」
 2019年4月3日に出会った中学時代の友人……って!ま、まさか……!
「ゆ、優夏!?」
「や〜っと思い出した?遅いよもう!」
 優夏はまるで外国映画の俳優のように大仰しく肩をすくめた。それは中学の頃とまるで変わらない優夏らしいポーズだった。

 2019年4月3日――その頃、私はまだ何も分からないBWについて少しでも情報を得ようと東奔西走していた。そしてこの日、私はとある孤島に来ていた。この島には司紀杜神社という曰く付きの神社があった。なんでもこの神社ではタイムスリップが起こる、という噂があった。あくまで噂に過ぎない話だったが、もしかしたらBWに何か関係があるかもしれない……僅かな期待を胸に、私はその島で散策をしていた。その時、島の商店街で会ったのが他ならぬ優夏だったのだ。
「あれっ?ひょっとして、優じゃない?」
 先に声をかけてきたのは優夏の方だった。
「覚えてないかな〜?ほら、中学の頃同じクラスだったんだけど……」
「もしかして……優夏?」
「やっぱり優だ、田中優美清春香菜!」
 優夏は大学のゼミ合宿でこの島に来ていたそうだ。私も簡単にこの島に来た経緯を語った。
「ふ〜ん……BWねぇ……」
「何か知らない?」
「ごめん。聞いた事も無いよ」
「そっか……」
 それから私たちはお互いの近況について語り合ってから別れたのだった。

「あれからもう17年ね〜」
「ずいぶんと変わったから気付かなかったわよ」
「そりゃあ、17年も経てば変わるわよ。まあ、優は驚くほど変わってないけど」
「え、ああ……これは……」
 キュレイのこと、どうやって説明しようかと言葉に詰まる……が、あらかじめユウから事情は聞いていたそうだ。だから最初私を見た時もさほど驚いていなかったのか。
「もっとも、実際にこうして見るまでは永遠に年をとらないなんて信じられなかったけどね」
「本当は少しずつはとっているのよ?そのスピードが遅いだけで」
「全く年をとらないのはパーフェクトキュレイの私だけよ」
 ユウと優夏の分のお茶とお茶菓子を持ってきたつぐみがそう付け加えた。
「……そういえばユウ、優夏のこと『先生』って呼んでいたわよね?」
 改めて4人で座りなおしてから私はユウにそう訊いた。
「うん。石原先生は鳩鳴館女子大学で心理学を教えてて、私もお世話になったの」
「へぇ。優夏、心理学の先生かぁ……て、あれ?今なんて言った?」
「私もお世話になった」
「その前」
「鳩鳴館女子大で心理学教えてる」
「もうちょい前」
「石原先生」
「そう、それ!」
 私の記憶が確かならば、優夏の苗字は川島だったはず。私たちの話を聞いていた優夏はふふっと笑いながら、さも当然といった口調で答えた。
「ああ。だって今年で38よ。もう結婚しててもおかしくない年でしょ?」
「まあ、そうよね。……遅くなったけど、おめでとう優夏!」
「うん。ありがとう、優」
「じゃあ、もう子供とかいるの?」
「うん。3人いるよ」
「え、3人もいるの?」
「そうなのよ。長男が『尚人』、長女が『優希』、次女が『雫』っていう名前なんだけど……いきなり三つ子だったから、産むのは苦労したわよ〜」
 それを聞いてつぐみは深く頷いた。
「三つ子じゃ、本当に大変だったでしょう?私なんて双子でも辛かったのに……」
「うん。でも無事生まれてきた子供を見たら、そんな苦労もすぐに吹き飛んだけどね」
「確かにね」
「その気持ちなら私にも分かるわ」
 私は頷き、ユウに目を向けた。この子を産んだ時は、それはもう本当に嬉しかった。ユウは私に見つめられているのが恥ずかしかったのか、ぷいっとそっぽを向いてしまった。かと思ったら、何か思い出したようにあっと声を上げた。
「そうだ、お母さん。何でつぐみさんのとこに来たわけ?」
「えっ?あ……」
 つい理由を言いそうになってしまったが、さすがにユウに訊くのは……と言い止まった。……がっ!!
「優、恋愛のことですごく悩んでいるのよ」
 裏切り者がここに1人。その事はユウには訊けない話題だって、さっきちゃんと言ったのに!!私がつぐみを睨みつけるとつぐみは困ったような顔をしてこう言い訳をした。
「だって、私じゃあ役に立てそうにないんだもの……」
「それはそうかもしれないけどさぁ〜」
 少し愚痴ってみたものの、今更聞かなかった事に……なんて成るわけが無い。
「ね、ね、どういうこと、つぐみさん?」
「その話は興味あるわね〜」
 やっぱり2人とも興味津々と身を乗り出してくる。
「実はね……」
 つぐみも語る気満々だ。……はぁ〜……。
 結局私は何も喋ることなく、つぐみが事細かに全てを話してしまった。

「……とまあ、そういうわけなんだけど何かいいアドバイスは無い?」
「いいアドバイスかどうかは分からないけど、言いたい事はあるよ」
 そう言ったのはユウだった。
「……なに?」
 私は続きを促した。
「『涼権のこと好きだ』って、はっきり言っちゃっていいと思うよ」
「なんで?」
「なんでって……だってお母さん、涼権のこと好きなんでしょ?」
「うん……でも、涼権はココと付き合っているし……」
「2人はちゃんと籍を入れたわけじゃないでしょ?ってことは、お母さんにもまだチャンスはあるってことだよ!」
「でもあの2人、本当に仲良さそうだし……」
「それは、付き合う前からあんな感じだったって!」
「でも……」
「だぁぁぁぁぁぁーーー!!!」
 私がもう一度反論しようとした途端、ユウはテーブルをバンと叩いて立ち上がり、叫び声を上げてそれを遮った。
「やる前からそんな弱気でどうする!!お前それでも苦麗無威暴走の一員かっ!!!」
「なっ……」
 ユウがキレた?……いや、そこまで切れている訳じゃない。ユウの顔を見ればまだ充分に冷静である事は明らかだった。
「……どう、苦麗無威暴走連合式の一喝は?少しは気合入った?」
「……え、ええ」
 実際入ったかどうかは分からなかったが、もう一度怒鳴られるのはたまったものじゃない。だからとりあえず頷いておいた。するとユウは腰をおろして一息つくと落ち着いた口調で話し出した。
「辛いのは、お母さんだけじゃないんだからね?」
「どういうこと?」
「……私だって辛いんだから、お母さんが悩んでいるのを見ているのは……」
「……え?」
「お母さん、前に言ったよね?私はお母さんの娘であり、妹であり、そしてお母さん自身だって」
 確かにLeMUから本土へと帰る連絡船の上でそう言ったことを憶えている。
「それはこうも言うことが出来ない?お母さんは私の母であり、姉であり、そして私自身だって」
「…………」
「私はお母さんに幸せになって欲しい。……自分の幸せを望まない人なんて誰もいないでしょ?」
「ユウ……」
「最近お母さんが落ち込んでいるのを見ていて、私ずっと心配してたんだからね……」
 そうだったんだ……。私は胸の奥からじーんと暖かいものが湧き上がって来るような感覚を覚えた。この事はずっと自分ひとりの問題だって思ってきた。だから本当に苦しくなるまで誰にも告げず、どうしようかと考え続けてきた。しかし、それがユウも苦しめる結果になっていたなんて……しかもその事に全く気付かなかったなんて……私は親失格なんじゃないだろうか?
「ごめんなさい」
 私は謝るしかなかった。それ以外に方法が思いつかなかった。しかしユウはそれにムスッとした表情で応える。これでは許してもらえないらしい。
「……本当に悪かったと思っているなら、行動で示してよね!」
「行動……?」
「そ……涼権にちゃんと自分の気持ち伝えるってこと!」
「…………」
 行動、か……。確かにそうしなきゃ事態は何一つ変わらない。そんなことはずっと前から分かっていた。今私に欠けているもの……それは一歩踏み出すことなんだろう。
『やる前からそんな弱気でどうする!!』
 ユウの言った通りだった。今の私は怯えている。本当のことを言ったら涼権に嫌われるんじゃないかと、聞きもしないうちから。
 その時私の背中を優夏が叩いた。
「何か、秋香菜ちゃんに言いたかったことほとんど言われちゃったから、敢えて私が付け加えることも無いんだけどね……」
 ただこれだけは言っておきたいの。そう前置きをしてから優夏は場違いにも思える程の明るい声でこう言った。
「優夏先生の恋愛方程式その7!『捨てずは勇気、捨てるは恥!』」
「……その恋愛方程式って、確か優夏が沙紀と一緒に作っていたやつよね?」
「へぇ!憶えてたんだ?」
「まあクラスで有名だったからね、それ」
 意外と名言が多かったからか、2人が作った恋愛方程式は女の子たちに人気があったのだった。今聞いたのは忘れていたものの、いまだに私もいくつか憶えている。
「『捨てずは勇気、捨てるは恥!』か……」
先ほどのユウの言葉も合わせて頭の中で反芻する。

 …………。
 ………………。
 ……………………。

 ……よし……決めた!!
「あ!お母さん、いい顔になった!」
「その顔は、決意したってわけね?」
「……うん。私、思い切って言ってみるわ。涼権のこと、好きだって!」
 私の宣言に3人はおおっ!と声を上げる。
「うんうん、それでこそお母さんだよ!」
「やっぱり優はこう前向きでなくっちゃね。」
「よかったわね、優」
「うん……ありがとう、つぐみ、ユウ、優夏」
 私はそれこそ心の底から感謝した。3人がいてくれて本当によかった……そう、思った。
「ま、私は何も役に立てなかったけどね……」
 少し気まずそうにそう答えるつぐみ。
「ううん、そんなこと無いわよ」
「え?でも、私何にもアドバイスになるようなこと言ってないけど?」
「つぐみは居てくれるだけで心強いのよ」
 それにこういう話を全く茶化すことなく聞いてくれるのはつぐみくらいだし。私は他の2人の手前、心の中でそう付け加えておいた。
「そう?お役に立てたなら良かったけど」
 そう言ってつぐみは微笑んだ。

「それじゃあ……」
 家に帰ってお昼の準備をしないと……と、立ち上がったその時!
「宴会ね!!」
 ドン!と優夏がテーブルの上に一升瓶を置いた。
「ゆ、優夏さん、一体その瓶どこに……?」
 つぐみは目を丸くしながらそう尋ねる。確かに優夏が部屋に入ってきた時、一升瓶なんか持っていなかったはずだ。
「細かいことは気にしない、気にしない!つぐみさん、すいませんけどコップか何か出していただけます?」
「あ、はいはい……」
 優夏に言われるがまま、つぐみはグラスを4つ持って来た。……4つ?
「あれ?ユウも飲むの?」
「当たり前でしょ?もうとっくに20歳過ぎたし。ああ、でもお母さんと飲むのは初めてかな?」
 ユウの20歳の誕生日からもう半年が経つ。それまで私の前でユウがお酒を飲んだことが無かったものだから、ついユウはお酒は駄目なんだろうと思ってしまっていた。
「仮にお酒を飲めなかったとしても、今日は飲まないわけにはいかないわよ。お母さんの新たな門出祝いなんだから!」
「門出の祝いって、大げさな……」
 私は苦笑した。
「元々は『私と優の再会を祝って』っていう事で、一緒に飲もうかと思って持ってきたんだけどね。ほら見てよ、このお酒!」
 優夏に急かされ瓶を見る。『無限の星空』という名の日本酒だ。
「これは私が全国津々浦々旅して見つけたお酒でね?その名の通りたくさんの星々散りばめられた広大な夜空のような味なのよ!」
「へぇ……」
 そう言われてもどんな味なのか全然見当がつかないが、優夏のセリフに力が入っているところを見ると、なかなか美味い酒なんだろうという事は想像出来る。
「ん〜、でもまだ昼前だし、こんな時間からお酒を飲むって言うのもねぇ……」
 といっても専業主婦にこの時期は休みの大学生と大学教師。今日明日すぐに仕事が入るという事も無いから、そんなの理由にはならないかもしれないけど。
「まあまあ固いこと言わない、言わない」
「せっかく優夏さんが持って来てくれたんだし、今日くらいいいんじゃないかしら?」
 思ったとおり、止める人は誰も居なかった。トプトプトプと優夏がグラスにお酒を注いでいく。程なく4人の分を注ぎ終わり、乾杯の音頭は優夏が取る事になった。
「え〜、それでは!私たちの17年ぶりの再会と、優の新たな門出に……乾杯!」
「乾杯〜!」
 グラスとグラスが触れ合い、チン!と綺麗な音を奏でる。私はお酒に口をつけた。

「それじゃーな、倉成」
「ああ、また明日」
 高校もいよいよ明日で卒業かぁ……。幸い大学受験は無事終わり、春からは鳩鳴館大学に行くことが決まっている。だから、高校が終わってしまう寂しさよりも大学生活への期待の方が今は大きい。大学、かぁ……。
「お兄ちゃ〜ん!」
 声のする方を見ると、沙羅が僕めがけて走ってくるところだった。
「お兄ちゃんも今帰り?」
「うん。沙羅も?」
「うん!」
 沙羅は元気よく頷いた。僕らは横に並んで家路を歩く。隣の沙羅は鼻歌を歌いながらこう言った。
「4月からはお兄ちゃんと一緒に登校、嬉しいな〜♪」
 沙羅も僕と同じく鳩鳴館大学に通う事になった。しかも僕と同じ、考古学の方に進むらしい。僕は最初、沙羅はプログラム関係の方向に進んだ方が良いんじゃないかと言ってみたのだが、沙羅曰く『これ以上プログラムのことなんて学ぶ必要ないし……お兄ちゃんと一緒がいいでござるよ♪』という理由で却下された。
 沙羅と一緒に大学か……。う〜ん……なんかものすごい理不尽な苦労を味わいそうな予感がする……。

 2人で話しながら歩いていると、あっという間に家に着いた。玄関に上がった僕たちは、置いてある靴の数から来客が来ているのに気付いた。その中の1つは僕にも見覚えがあった。
「これはユウの靴だね」
 僕がそう言うと、沙羅は意地悪っぽいニタリとした笑みを向けてきた。
「ほほう、さすがはラブラブカップル!靴だけで分かるんでござるな〜」
「ち、茶化さないでくれよ……」
「いやいや、別に茶化してなどいないでござるよ〜?」
 そういう間にも、沙羅はにやにやしながら僕を見ている。……絶対、茶化してるって!何か一つ言い返してやろうかとそう思った時、沙羅は急に真面目な顔に戻って言った。
「……そんなことより、やけに静かじゃない?」
 言われてみて、はたと気付いた。確かにユウたちが来ているにしては静か過ぎる……。
「まさか、何かあったんじゃ……」
 沙羅のその呟きに、僕は弾かれた様にリビングのドアを開けた。
 そこにあったのは……。
 あったのは……。

「すー……すー……」
「う〜ん、たけしぃ〜……」
「く〜く〜」
「ZZZ……」
 テーブルに突っ伏しながら椅子で眠るお母さんと田中先生、ソファーで丸くなって眠っているユウ、そして豪快にも床の上で大の字になって寝息を立てている見知らぬ女の人だった。
「うっ……お酒くさぁ……」
 後から入ってきた沙羅は鼻をつまみ顔をしかめる。テーブルの上には空になった一升瓶が2つ。さらに床にも1つ転がっている。
「……みんな、酔いつぶれて寝ているの?」
「……そうみたいだ」
 僕は4人がちゃんと呼吸しているのを確認してそう答えた。
「はぁ〜、それならよかった〜!」
 大きな安堵のため息を漏らし、沙羅は椅子に腰を降ろした。
「全く、人騒がせでござるな。しかもこのような時間からこんなにお酒を飲むとは、いやはや呆れて物も言えんでござるよ!」
 安心したからか、そんな文句も口から出る。僕はそれに苦笑しながらも、さすがに放って置く訳にはいかないと思い、
「このままだと風邪をひくかもしれないし……タオルケットでも持ってきてよ。僕はこっちの片付けをしておくからさ」
 と沙羅に言った。
「御意!」
 沙羅はそう頷くと忍者のようにリビングから出て行った。
 僕はとりあえず換気のためにリビングとダイニングの窓を開けた。ついでに換気扇も回しておく。それから一升瓶をざっと洗って乾かしておく。それが終わると、沙羅が抱えて持って来たタオルケットを手分けして掛けて回ることにした。
「う〜ん……」
 タオルケットを掛けると、田中先生は小さく呻き声を上げた。起こしてしまったかと思ったが、どうやら寝言らしい。
「……涼権……好き、だよ……」
「…………」
 やっぱり田中先生は涼権のことが好きだったんだ……。僕の脳裏にはお正月に見た、田中先生の憂鬱そうな顔が浮かんだ。
「涼権……私……思い、告げたからね……」
「……頑張って下さい、田中先生」
 僕は少しずれたタオルケットをもう一度、掛け直した。



あとがき
どうも、時羽です。
この話は一応1話独立ですが、時間的には「Beginnig of the year」の後日談という設定になっております。まあ、これだけでも話は分かると思うのですが、未読の方はよろしければそちらも読んで頂けると幸いです。
さて、この話ではNever7のキャラも登場させてしまいましたが、私のSSでの彼女らの設定について軽く補足をさせていただこうかなと思います。ネタバレは避けているつもりですが、Never7未プレイの方は見るかどうか注意してください。
まず優夏。苗字が『石原』の時点でお分かりかと思いますが誠とくっついてます。鳩鳴館女子大で心理学の講師をしています。考古学専攻の秋香菜とは一般教養の授業で知り合いました。ちなみに彼女の子供の名前はKIDの某恋愛ゲームのキャラクターの漢字違いです。
次に遙はこれも苗字で分かると思いますが、おっくんと結ばれました。まあ、億彦もあの合宿を経て変わったんですよ、きっと。当然億彦は遙には弱いので、飯田財閥の実権を握っているのは他ならぬ彼女……。
最後、くるみですが、彼女は両親の後を継ぎ立派な研究者に。あの『紫外線の影響を無くしてくれる薬』というのは彼女がキュレイに犯されたつぐみのDNAを調べて、つぐみ用に作った特製の薬。そのパトロンとなったのが遙(飯田財閥)。
という様な設定になっております。
次作もこの話の後日談ということになるんじゃないかと……。
ではでは〜。


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