すっ、と。
なんの音もなく、
なんの気配もなく、
入り込む。







 浦島太郎という童話がある。
 小さい頃に何度も何度も聞かされた――のかどうかは正直覚えていないが、とにかくオレの中にも濃い記録として残っている。

 むっかし〜 むっかし〜 う〜らしまは〜
 助けた亀に連れられて〜
 竜宮城へ〜 いってみれば〜

「そうそう、竜宮城がレムリア文明の建築物だったんじゃないか、って話してたんだよね〜」
 何処ぞかの奇特な名前を持ち、更には娘にまでそっくりな奇特な名前を授けた女がそんなことを言っていた気がするが、はっきり言って笑えない。
 ReMUという建築物の名称の由来が、レムリア大陸。
 別に助けた亀に連れられていったわけではないが――オレこと倉成武は、そこで起こった事件で17年間眠ることとなり、
 現代の浦島太郎と化したのだった。
 ――1997年生まれの俺は今、17歳の気持ちのまま2034年にいる。
16歳になる二人の娘と息子、そしてその二人を生んだというつぐみと一緒に。





 After story 〜from EVER17〜
                              著:神山此方





「……はぁ」
 オレは一人、交差点で信号待ちをしていた。
 季節はあの事件からほんの少しだけ進み、梅雨を越えて既に夏へと突入している――じりじりとした熱気が肌を焼くが、俺の脱力の原因はそれではない。
 立ち並ぶビルを、なんとななしに仰ぐ――17年という時はこんなにも町並みを変えるものかと最初こそ関心したが、もう既にその感情は薄れ、ただひたすらに時の流れを感じさせるものでしかなくなっている。
 その見慣れない建築物の谷間を縫うようにして飛び交う見慣れない乗り物。オレの時代にはまだなかった交通手段。
 あれは、なんだったっけか――誰かに説明された記憶はあるのだが、それが誰なのかすらもう覚えてなかった。
『何度いらっしゃっても、答えは変わりません。お引取りください。というか、もういらっしゃらないでください』
 女性事務員の、正に事務的な無表情と平板な言葉が脳裏に復活する――知り合いにAIが一人いるが、どう考えても彼女よりその事務員のほうが人間っぽくなかった。せめて笑顔で答えられれば、気は晴れたかもしれないのに。
 心の中でにっこり、その女性事務員が笑顔を浮かべる。
『お引取りください♪』
「……衝撃のベクトルが変わるだけでこちらの損害は変わらないっぽいな」
 小さく呟いてからこの思考のあまりの意味のなさに気付き、ため息ついでに頭の中から追い払う。
 うん。しっかりと現実を見据えよう。
 視線をビルから目の前へと戻す。
 数少ない2017年と変わらないものである信号は赤のまま、まだ変わっていなかった。
 ――オレは今、十数度目の復学願を却下されて家に帰る途中だ。
 勿論、大学側はオレのあまりに特異すぎる事情を知ってはいる。そこのところを理解してもらった上での温情を期待して、本来ならば8年で卒業しなければ退学となってしまうところをなんとか、なんとか復学させてもらえないかと相談にいったのだが――答えは事務員の返答の通りだ。
 どんな事情があろうとも規約に反することは出来ない、といった内容の説明を最初二、三度訪問していた時に受けたが――たぶん、本当のところは厄介事を抱え込みたくないだけだろう。
 そう。
 情報が規制されているため世間に流布していることこそないものの、『現代の浦島太郎』こと倉成武はその存在事態が厄介事なのだろう。
 国家の内部にすら入り込んでいたライプリヒ。その末端が曲がりなりにも理工系大学であるうちに入っている可能性もあるかもしれない。
 考えたくないことだが――大学に戻れる可能性は絶望的だ。
「……はぁ」
 大きくため息。
 まぁ、当然のことながら大学生活のほぼ全てを占めていたと言っても過言ではない仲良くしていた友人連中は既にいるはずもなく、大学に戻る理由なんてないのかもしれないが――
 あいつ等はどうしてるんだろう。
 もうおじさんおばさんになって、家庭を築いて、子供もいて――そうして、積み重ねた17年間の先端に立っているのだろうか。
 確かめることすら禁止されているオレには、分からない。
 たぶん、オレが躍起になって大学に戻りたいと考えているのは、17年前の――オレにとってはほんの数ヶ月前の残滓を、なんとか手にしたいからなんだと思う。
『倉成……17年間の眠って大人しくなったんだねぇ……うんうんっ、この事件は絶対に倉成にとってプラスだったよ』
 そんなことを相談した時に17年の歳月で大分大人っぽくなった奇特な名前のヤツのが言った言葉が脳裏に蘇ってくる――ちなみに、優のことを『奇特な名前のヤツ』と呼ぶことにしたのはこの時からだ。もう絶対に変えてやらねぇ。
 再度、ため息。
 優、いや、奇特な名前のヤツの言う通り――確かにらしくないかもしれない。
 いや、間違いなくらしくないだろう。
 ――でもな。
 だからといってな。
「……どないせいっちゅうんじゃい」
 本当は叫び出したいところだったが、なんとか堪えてぼそりと呟くに留める。
 ふと視線を上げれば、車の信号が黄色から赤に変わるところだった。
 程なくして渡ろうとしていた信号が青に変わり、オレは歩き出そうとする――
「パパ〜っ♪」
 背後、少し離れた場所から届く声。
 一瞬の思考と行動の停止。
 その声が誰なのかということを考えるより早く、危険を感じて体を避けさせようとするも――もう遅い。
「てええぇぇぇぇぇぇい♪」
「ぐほぁっ!!」
 スピードに乗った全体重を衝撃に変えるようにして、背中に一人の少女が――娘の沙羅が抱きついてきた。
 一瞬意識が飛びかける――日々を重ねる毎に段々と遠慮という手加減がなくなって洒落にならなくなってきている今日この頃だ。
「ぐっ……くぉらっ、沙羅っ!! お前いきなり人に抱きつくの止めろって毎度毎度言ってるだろうがぁっ!!」
「嫌だ、って毎度毎度答えてるよ〜っ」
「せめて手加減しろっ!」
「どんなものでも本気でやるからこそ面白いんだよ〜♪」
「くのっ!!」
「きゃっ」
 体を振り回してなんとか振り落とそうとするも、オレの首にしかっと抱きついて堪える沙羅。
「あはははははははは♪」
 こっちは必死だというのに、この上もなく楽しそうだった。
 しばらくそうして――息が切れだしてから明らかに視線を集めていることに気付いてオレは動きを止める。
 信号はまた、赤に変わっていた。
「ふ〜、楽しかった♪」
 言葉に通りに嘘偽りは一切ないと主張するかのように、素晴らしく楽しそうに可愛らしい過ぎて憎たらしくすらある笑みを浮かべた沙羅は、オレの背中から離れる。
 横に並んできたところで見下ろして睨んでやると一瞬、小首を傾げてきょとんするも、すぐに満面の笑みで応えてきた。
「……はぁ」
 脱力。
 果たして――今こうしてオレがひたすらに馬鹿らしいと思っている対象は沙羅なのか、それともこうして容認してしまう自分なのか。
「沙羅〜 おと〜さ〜んっ」
 背後から呼ぶホクト――息子の声。
 振り返れば彼は、そこに大量の荷物を抱えて立っていた。
 ――瞬時に状況判断。
 認識。
 取るべき行動。即離脱。
「……それじゃそういうことで」
「待って♪」
 行動を起こす隙すら許されず、振り返る間もなく愛しの我が娘は服の裾をしっかりがっちりと掴んでくる。
「――まだまだ甘いでござるな。そんな腕前では我輩から逃げることは出来ないのでござる。にんにん♪」
 楽しそうに笑いながらお得意の口調――諦めをたっぷりと込めたため息をついて、今度こそ完全に脱力する。
 その間に、ホクトはがさがさと荷物を揺らしながらこちらに駆け寄ってくる。
「おとうさ〜ん、少し持ってよ〜」
「……何をしとるんだ、お前は」
「荷物持ち。見て分かるでしょ?」
 そういうことを聞いたのではなく、何故情けなくも男のプライド捨てたかのようにそうして沙羅の言いなりになって荷物運びなんかしとるのだお前は、という意味だったのだが。
「ほら、パパも持って♪」
「………」
 処々諸々の事情があって、男とはそういう生き物なのではないかと思い始めている最近だった。


 沙羅に散々つき合わされてから、我が家へと帰宅する。
 市街地の外れに位置する分譲住宅地の一戸建てへと――元々はホクトがその仮の両親と一緒に生活していた家へと。
 ホクトが帰宅した時、その家は既にも抜けの殻だったという。
 ただ二通、ホクトの両親を演じていた二人からそれぞれの、ホクト宛の手紙だけが残されて。
 その内容は未だ、ホクト以外の目に触れていない。
「ただいまでござる〜♪」
「ただいま〜♪」
「……ただいま」
 果てしなく元気に玄関を潜る二人に続いて、なんとか声を絞り出しながら玄関を潜る――本当なら帰宅の挨拶など気分ですればいい、と思うのだがこういったことに意外にもつぐみはうるさいのだ。
 あの島から帰還する船の上、勢いであんなことをいったオレだが、正直もうつぐみに怒鳴られたくない。
 ――オレの中の何処かが『男の尊厳』というワードを持ち出そうとしていたのを全力で却下した。
「ふぅ」
 玄関先で荷物を下ろし、肉体的にも精神的にも懐的にも疲弊した自分の体をへたり込ませる。
「……ん?」
 ふと、視線を落とした先――玄関に並んでいる靴の数が、多かった。
「……返事がない。お母さんいないのかな?」
「今日は一日家にいる、って言ってた気がするけど」
 訝しみながらも沙羅が玄関に上がって行き、ホクトもそれに続く。
 今、二人はスニーカを脱いで上がっていった。それ以外に、脱がれた靴が三足ある。
 皆、女物。
 ――この上もなく嫌な予感が心の奥から嫌な汗と共に吹き上がってきた。
「♪」
 沙羅は鼻歌と共に、スカートをはためかせるようにしながらスキップでもしそうな程軽い歩調で廊下を歩いていき、
「おかあさ〜ん♪」
 元気良くリビングの扉を開けたところで――動きを凍らせた。
「どうしたの?」
 ホクトもまた、沙羅に続いてリビングを覗き込んだところで、同じように動きを凍らせた。
「……あなた、帰ってるのよね?」
 リビングの中から、つぐみがそうオレを優しく、冷たく、鋭利で、突き刺すような声で呼んで――オレは玄関の扉を開けて逃げ出そうとしていた動きを止めて、心の中でこういう時にだけ登場する神という存在を憎んだ。


 その場の空気を表現するのに適している言葉はなんだろう?
 地獄?――それは表現の方向が違う。
 天国?――そう、ある意味そうなのかもしれない、オレはそう思いたくないが。
 実力の伯仲した武芸者の対する場?――ああ、近くなってきた。
 他には、他には――
「修羅場、だね……」
 あまりに的確過ぎて思い浮かべたくすらなかった言葉を、横に座っていた沙羅が口にしてくれた。
思わず効果音を入れたくなるくらいに空気が圧迫感を孕んでいる。
静かだ。
思わず逃げ出したくなる程静かだ。
 ――我が家のリビングでは今、つぐみと空の静かな対峙が継続している。
「ねぇ、空」
「なんでしょう?」
「いつになったら帰ってくれるのかしら?」
 明らかな苛立ちを全力で笑顔の下に押し込んだ表情のつぐみがあまりにストレートな発言。
「そうですね……倉成さんとゆっくりじっくりお話をしてからっていうのはどうでしょう?」
 空は穏やかな笑顔で紅茶の注がれたカップ片手に返した。
再び、切迫した静寂が場に落ちる。
沙羅もホクトも、ただ大人しく、何をするでもなく、というか出来るでもなくソファーに納まって身を縮こまらせていた――ちなみに、この二人は当然の如くこの場の雰囲気から状況の全てを察し逃げ出そうとしたのだが、
「一緒にお茶でも飲まない?」
威圧感当社比約100%増しの笑顔で紡がれたつぐみのお誘いに頷くしかなかったのだった。
更に言えば、この状況を素早く悟り逃げられないことを把握した俺は出来るだけ対面して対峙している二人から離れた席に陣取った。
 自動的に娘息子二人の座る席はつぐみと空のそれぞれの隣、危険領域の最前線となる。
つまりは縦にした。
――許せ、子供達よ。
その場には、更に二人がいる。
田中優美清春香菜とその娘、優美清秋香菜である。
これに関しては不思議なことは、一切ない。
何故ならば、優美清春香菜こと奇特な名前のヤツこそが、この状況の発端であり企画者でありつまりは諸悪の根源だからである。
「――おい、そこの名前が奇特なヤツ」
「わたしのことですか?」
 火花を散らしている二人に気付かぬように小声で話しかけると、ショートカットの優美清秋香菜がこちらを向いて首を傾げる。
「違う、秋じゃなくて春の方だ」
「なんじゃらほい?」
 妙におどけた様子で、伸ばした髪を揺らして非っ常に楽しそうな笑顔を浮かべながらこちらを向く奇特な名前のヤツ――これ程までに人を憎んだことはなかったと思う。
「年甲斐もなくんな言葉使うな」
「なによぉ、永遠の24歳に失礼なこと言うわね」
 実際、この奇特な名前のヤツの容姿を見てその実年齢が35歳だと思える人間はいないだろう。
 自分もそうらしいのだが――こいつもつぐみと同じ、キュレイ・ウィルスのキャリア。
そして、壮大すぎて荒唐無稽ですらあった一連の出来事の中心人物であり、一応、オレの命の恩人である。
 事件が終わって、一番時の流れを感じさせたのはこいつのあまりに大人びた様子だったのだが――何故だろう、あれから数ヶ月の時間でこいつは精神だけ17年前にタイムスリップしたらしく、正にあの頃の『優』のままオレに接してきている。何を間違えたのだろう。
 ――まぁ、そんなことは置いておいて。
「お前、どうしてまた空ここに連れてきてるんだよ……」
「空の運用テストのために決まってるじゃない」
「だ〜か〜ら〜っ、どうして『ここ』に連れて来てるのか、って聞いてるんだよっ!」
 小声で怒鳴るという高度な技術を披露しつつの詰問だが、当の奇特な名前のヤツはにこにこと笑顔を崩さない。
「いや〜、もてる男って罪だねぇ、倉成〜♪」
「……人をからかうのに存在自体が社外秘、最新技術の結集を持ち出すお前は更に罪だけどな」
「逃れられる名目がわたしにはあるけどね」
 言い終えて、ふっと笑顔を大人びたモノに変えてみせる。
静かで穏やかな、17年前には出来なかったであろう笑み――余裕の笑み。
何故かそれだけで負かされた気になって非常に悔しかった。
 ――そう。
つぐみと空のいがみ合いの原因は明らかにオレにある。
『原因』というだけであって、オレが何かしたわけではない。断じてない。
「ねぇ、あなた。今日は折角の休日で家族団欒が出来る日なんだから、空さん邪魔よね?」
「そんな……折角会いに来てくれた人を無碍にするような方ではありませんよね? 倉成さん」
「……あ〜」
 つまり、端的に言うと、
信じられない話だが、どうやら自分をめぐる空とオレの妻であるつぐみの、一大抗争というわけである。
「何よ、その気のない声……答えなんか決まってるでしょっ! 早く言いなさいよっ!!」
「……頼むから落ち着け、つぐみ」
 今にも掴みかからんばかりの勢いで怒鳴られても、どうにも脱力しか出来ない。
「そうですよ、つぐみさん。冷静に待ってあげないと」
「落ち着け? つまり今この瞬間から一秒、一分、一時間と空と一緒にいる時間を保てっていうのね? こんな子供達の教育に悪い存在と一緒にっ」
 ひくっ、と空の笑顔の目元の口もとが微かに動いたのを、不幸にもオレは見逃すことが出来なかった――ああ、最近の技術は凄い。本当に凄い。涙が出てきそうだ。
「……つぐみさん、今のお言葉は聞き捨てなりませんね。わたしの何所が教育上よろしくないというのでしょう?」
「存在自体」
 びきっ、と嫌な音が響いた。
別に二人の間の亀裂が明確になったことを示す演出上の擬音を皆が幻聴したというわけではない――いや、タイミング的にはばっちり過ぎる程だったのだが、その実は、俯き加減の空が持っていたカップの取っ手が彼女の手の中でへし折られただけだ。
 そう、
へし折られた『だけ』だ。
「……つぐみさん」
 名を呼びながら顔を上げる空――その表情には、正に凄絶なる笑み。
「なにかしら?」
 ここにきてやっと、つぐみの表情にも笑みが浮かぶ――そう、明らかに相手を挑発する嘲笑が。
 ――二人が、同時に席を立つ。
両隣にいた沙羅とホクトが体をビクつかせつつ、既に逃避体勢を整えている。
「……なぁ、特異な名前のヤツ」
「誰それ?」
「田中優美清春香菜さん」
「なんでしょう?」
 満面の笑顔でこちらを向く特異な名前のヤツに――オレは懇願に近い言葉を向けた。
「そろそろ、空を止めて欲しいんですけれど……」
「ん……大丈夫♪」
 特異な名前のヤツは、笑顔のままぐっと親指を立ててオレの眼前に突きつけてくれた。
「今日『も』被害の全ては我がライプリヒ製薬が弁償いたしますので♪」
 ――そう、説明が遅れていた。
 空こと茜ヶ崎空は、その人格の正式名称をLM-RSDS-4913Aという。
過去、LeMUという施設の制御のために作り上げられたLeMMIHシステム上の仮想人格であり――そう、彼女はAIである。
 RSDというレーザーによって網膜に直接映像を投影する装置によってLeMU内でのみ、『実体のない実像』として存在していた空だったが、17年前の浸水事故の際、LeMMIHシステムからその人格データをコピー、現在ではそのデータを『人工の体』に納めて存在している。
そう、今の彼女はアンドロイドである。
 ライプリヒ製薬はその性質上、情報管理を徹底する必要があった。そのため、ソフト面は元よりハード面でも世界屈指の技術を持つ会社をその傘下としており、現在の空はその会社とライプリヒ製薬の技術の集大成である。
極度に小型化され、記憶媒体その他機器全てを含め人体の脳と同じ大きさの中に完全に納められた、そのサイズでLeMMIHを上回るクラスのシステムですら起動可能な量子演算コンピュータ。ライプリヒ製薬が独自に進行していた『拒絶反応のない臓器の創造』を構想とするプロジェクトの産物である、ナノマシンの組み込まれた人工筋肉、その他各種人体器官の同一機能を持った人工人体器官。頭部にあるシステムとの連結のため神経伝達系には多種の電子機器が組み込まれているが――空は今現在、その人格だけではなく体ですら限りなく人間に近い。
そして問題なのは、
そうして空の体を構築する人工筋肉が、人間の数倍の力を持っているということであり、
 つぐみもまた、完全なるキュレイ種として常人離れした身体能力を持っているというわけで、
この二人が喧嘩などをすれば、どうなるかというと。
「さて、そろそろ避難しようか、優」
「そうだね、お母さん」
 お茶を口にし、悠々と時間を過ごしていた田中優美清親子が立ち上がると同時に、
爆音とも、世界の終わりを告げる警笛とも言える様な派手な音が響き――分厚い合板で作られたテーブルがひしゃげながら窓の外へと弾き飛ばされていった。


「と、言うことで――」
 一体何所の特殊警察部隊が重火器で武装したテロ集団と派手すぎる銃撃戦をやらかしたんだと言わんばかりのリビングの惨状――つまりはあらかたのものがその本来の機能どころか形すら失っている惨状――の中、笑顔で田中優美清春香菜、奇特な名前のヤツは楽しそうに胸の前で手を合わせた。
「本日の起動テストも見事っ、オールグリーンでした♪」
「……資源の無駄、って言葉を知ってるか? そこの奇特な名前のヤツ」
「人には、何かを賭してでもやらなければならないことがあるの――例えばどこぞの倉成武という男を全力をもってからかうとか」
「お前人類として最悪だ」
 部屋の片隅では、沙羅ホクト兄妹が身を寄せ合ってガタガタ震えている――不憫なことこの上ない。
優美清秋香菜がその二人の傍に座り、苦笑しながらもう大丈夫だという旨を伝えていた。
 さて、
この惨状をたった二人で作り出したつぐみと空はというと、
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
 互いにそれぞれ対面の壁に背を預けて、争う体力が失われた今ですら睨みあいながら荒い息を繰り返していた。
「電圧低下――休止モードに入ります」
 ふと事務的な口調で言うと、空は目を閉じ、そのまま動かなくなる――体は人体のものと大差ないため、器官維持のためにしっかりと呼吸は続いている――どこまでも人間らしい。
眠りについた空を見てつぐみはやっと一つ大きく息をつき、一度目を閉じてから立ち上がった。
「……あなた、わたし疲れたから寝てくるわね」
「ああ、おやすみ」
「夕飯よろしく」
「あいよ」
 体を引きずるようにしながら、つぐみはリビングから出て行く。
あの様子だと、今日つぐみが夕飯を食べに起きてくることはないだろう――その算段の元で冷蔵庫の中身を思い出しつつ献立を組み立てる。
「ほら、優、そっち持って」
「あ〜、はいはい」
 沙羅とホクトの二人をなんとか落ち着けることが出来たらしい優美清秋香菜は、空の傍にしゃがみ込んだ奇特な名前の母に呼ばれて空を運び出す作業の手伝いにかかる。
「手伝おうか?」
 二人で両側から肩を貸すようにして空を運び出そうとしている奇特な名前のヤツとその娘に声をかけるも、二人揃って首を振った。
ほんのたまに、二人の仕草はそうやって揃う。
とある因果から、まったく同じ遺伝子を持った母と娘。
年齢と雰囲気の差異はあるものの、こういう仕草を見ると本当に双子に見える。
「ああ、そうそう倉成」
「ん?」
 空をリビングから担ぎ出そうとしたところで奇特な名前のヤツが振り返り、優しげな笑みを浮かべて眠る空の横顔を見ながら言った。
「もう空がこうやって暴れることはないと思うから、安心して」
「どうしてまたいきなり」
「今日また全力でぶつかって最後にします、って空本人が言ったからだよ」
 言い切ってから空に向けていた顔を上げて、軽くこちらを睨みつけてくる。
「罪作りのあほんだら」
「……悪かったな」
 幾つか切り返す悪口が思い浮かびそうだったのに、結局出たのはその一言だけ。
「……まぁ、いいわ。わたしも思う存分空につぐみと争ってもらってすっきりしたし」
「人の家庭を随分とストレス解消の道具に使ってくれたみたいだな……」
「ストレスの原因が何を言いますか」
「オレがお前にいつどこでどのようにしてストレスを与えたっていうんだよ」
 特に何かを意図した発言というわけではなかったのだけれど、その発言に優は明らかにむっとした表情になって強くこちらを睨みつけてくる。
けれど、それも一瞬。
気が抜けたように諦め交じりのため息を一つつき、それでも抜き切れなかったらしい怒りに唇を尖らせる。
「17年前から今この時この場所までず〜〜〜〜〜〜〜っとだよ、バカ倉成」
 言い切り、ぷいっと拗ねた子供のように顔を背けてリビングから出て行ってしまった。
「あっ、お母さんちょっと待ってよぉっ――ホクト〜、また今度ね〜っ」
「ん、また今度」
 リビングの壁の向こう、廊下から去りながら言ってくる優美清秋香菜の声に、相手の姿が見えていないのにもかかわらず笑顔で手を振りながら答えるホクト。
その横に立ち、今にも怒鳴り散らしそうな程に不機嫌な沙羅の顔を見て、
ようやく、
「……確かに、馬鹿だったみたいだな、オレは」
 小さく、すぐに消してしまわなければならない悔恨を抱くことが出来たのだった。


「……で、だ」
オレは作りたての料理ののったをテーブルに置き、自分の席についてから、
「どうしてお前はここにいるんだ、ココ?」
「ほぇ?」
 つぐみの席に堂々と座り家族の団欒に参加していたココに尋ねた。
 田中優美清親子が空を連れて去って既に3時間ほど。
沈むのが遅い夏の日差しが消えてから、既にそれなりの時間が経過している。
しばらく、いかにも何を訊かれているのか分かりません、といった様子で首を傾げていたココだったが――すぐににぱっ、と明るく笑い、弾むような声で答えた。
「たけぴょんとつぐみとホクトと沙羅に会いに来たに決まってるよ♪」
 ――ちなみに、あくまでちなみにであるが、
ココがここぞとばかりに人の家の食卓に並んだ料理に手を出し、本来食うべきオレ達の分が足りなくなってしまい、常備しているふりかけでも出してお茶を濁そうと思っていたところを子供達二人の強烈な恨みと羨望と希望との入り混じった視線を受けて新しく一品作り足さざるを得なくなったことに対しての皮肉で言ったのだが――きっとココには理解してもらえないのだろう、ああ、そうだろうともさ。
 ――なんだかこの環境でグレない自分が偉人なんじゃないかと思え始めた。
「でも、ココが来るのって久しぶりだよね」
 オレの隣に座っていたホクトが咀嚼の合間にココに尋ねる――というか、こいつは挨拶もなしにいつの間に食べ始めたのだろうか。
「うん、最近は学校が始まっててね、そんなにひんぱんにこっちには顔を出せなくなってしまったのだよ」
 うむうむ、などと誰の真似だかも分からない口調で楽しそうな笑顔を崩さないままにココは答える。
「そっか〜……うん、ちょっと寂しいな、って思ってたんだけ――っ」
 がつっ、とホクトの台詞を遮るようにして机の下から鈍い音。
視線を机の下に向ければ――おそらくはホクトの足を蹴るという一仕事を終えたのであろう沙羅の足が戻ってくるところだった。
「いっつっ――何だよ沙羅っ、なんでいきなり人の足蹴るんだよっ!」
「……浮気者」
 じっとりと軽蔑の込められた視線でホクトを対面から睨みつける沙羅。
ホクトは自分に非がないのにそんなことを言われて黙っていられるような性格ではない。
 が、しかし、
「僕がいつ浮気したっていうんだよっ! 僕はいつだって優だけだよっ!」
 その発言はどこまでも救いようがないやぶ蛇だった。
ひくっ、と沙羅の顔が引きつり――今度は注意を向けていたためだろう、シュッ、という空気を裂くを聞く事が出来、再び痛快な音が机の下から響く。
「〜〜〜〜っ」
 ホクトは声にならない悲鳴を上げながら机に突っ伏した。
体が小刻みに震え、ぴくぴくと指先が痙攣するように動いている――そうすることで、なんとか痛みを堪えているらしい。
――うん、沙羅もホクトも早く大人になれよ。
「ふい〜、やっぱりたけぴょんの料理は美味しいね〜」
 そんな二人の対立を知ってか知らずか、ココは作り足してきた料理に満足そうに舌鼓を打っていたりする。
「……ココ、お前はあんまし食うなよ。お前のためにその料理作ったんじゃないんだからな」
「分かってるよ〜」
 笑顔で次々に箸で口に運びながら答えられても説得力は微塵すら生じなかった。
 ため息を一つ。
そして止まらないココの箸を止めようとしたところで、
 ふと、
その箸が唐突に止まって、ココはオレのことを見つめてくた。
「ねぇ、たけぴょん」
「ん?」
「今、幸せ?」
 ――刹那の空白。
 唐突に浴びせられた、あまりに真っ直ぐな詰問に、
ほんの一瞬だけ――答えるべき言葉を見つからなかった。
止まっていた呼吸を取り戻す。
止まっていた思考を取り戻す。
そうすればすぐにその言葉を引き出すことが出来て――オレは笑顔を浮かべながら言った。
「おお、当たり前じゃないか。しあわせしあわせっ」
「ほんと?」
「ほんとだとも。なぁ沙羅?」
「……えっ? 何?」
 ホクトを睨みつけていてこっちに気が回っていなかったのか、沙羅は驚いた様子でこっちを見てくる。
ふと視線を下げれば、なにやら物騒にも再び足をかまえていたりした――おそらく、ホクトが復活すると同時に追い討ちをかけるつもりだったのだろう。流石は忍者、抜かりない。
「ねぇ、沙羅ちゃん。たけぴょんって今、幸せだと思う?」
「え?」
 質問を浴びせたココへ、またオレへと忙しく首を動かしてから――沙羅は、ココと同じような真っ直ぐな瞳でオレの顔をしっかりとを見上げてくる。
「そりゃ、そうだと思うけど……いや、そうだと嬉しいけど」
ほんの少しだけ、不安そうな顔。
 ――ため息が出そうなのを、堪えて。
オレは笑顔のまま、大きく頷いてやった。
「大丈夫……オレは沙羅やホクトやつぐみと暮らせて本当に幸せだぞ」


 時刻は既に、日付を跨いでいた。
あれから沙羅ホクトとしばらく遊んでいたココを、玄関先まで送り届けて戻ってきたところだ。こんな時間なので本当ならば彼女の家まで送っていこうと思っていたのだが、丁重にお断りされてしまった。
沙羅とホクトは既に、自分の部屋でベッドに潜ってるだろう。
――リビングのソファー(勿論ぼろぼろになっている)に深く座り込んで、本日何度目だか分からないため息をつく。
『今、幸せ?』
 そう、ココに質問を投げかけられた時。
一瞬だけ、オレは答えることを躊躇ってしまっていた。
 ココに答えた言葉に嘘偽りはない。
つぐみと沙羅とホクトと一緒に暮らして、田中優美清親子と空、ココがたまに乱入してきて、波乱ずくめな日々だけれど――幸せはここにある。そう、確かに感じている
 何が答えることを躊躇わせたのか――オレは自分でも分からなかった。
「……うん、こういう時は酒でも飲んで忘れるに限る」
 有言実行。オレは早速席を立ち、キッチンへ向かう。
冷蔵庫の中身を確認すれば、残されたビールは缶4本。その全てを持ってリビングへ。
「………」
 いつの間に来ていたのだろう。
 ソファーに座ってただじっと、睨むようにこちらを見つめてくるつぐみの寝ぼけ眼がオレを迎えた。
 迂闊にも、ほんの少しだけ驚いてしまった。
「……おはよう、つぐみ」
「……まだおはようって時間じゃないでしょ」
 つぐみは乱れた髪を面倒そうにかき上げながら返してくる。
遠慮の欠片もない大きく欠伸が続く。
「あ〜、お腹空いた〜 ……なにか残ってる?」
「いや、予定外の闖入者があって何も」
「誰が来たの?」
「ココ」
 答えながら、ソファーの前の机(今日のような緊急時にのみ使用する折りたたみ式のもの)に缶ビールを4本置いて、キッチンへ戻ろうとする。
「あ、わたし自分で作るからいいわよ」
「いいって。たまには男を立ててくれ」
「……そういっていつもやってるくせに」
 ぽつりと文句らしき言葉を漏らすも、つぐみは微笑んで浮かしかけた腰を再びソファーに沈める。
オレはキッチンに入り、料理に取り掛かった。
 冷蔵庫を開けて見繕ったのは冷凍モノのほうれん草とベーコン。ほうれん草は解凍して刻み、ベーコンも同じように刻んでバターで炒める。ただそれだけの簡単な料理。
10分足らずでそれは完成して、オレはリビングに戻った。
と、ソファーの背もたれに腕と頭を乗せてこちらをじっと見つめていたつぐみの視線と合う――その瞬間に、つぐみは微笑んだ。
何か言葉を交わしたわけでもないが、なんとなく、つぐみはオレがキッチンに入ってからずっとそうしていたらしいことが分かる。
「おかえり」
「ただいま」
 合っているようで何処かずれた挨拶を交わし、ほんの少しだけ二人で笑いあった。
料理をテーブルに置いてから、つぐみの隣に腰を下ろす。
「お酒だから、こんなもんでいいよな」
「わたし、飲むだなんて一言も言ってないんだけど」
 つぐみは悪戯っぽく微笑みながら言うが、既にその手には開封されたビールの缶を持っていた。
文句の一つも言いたくなったが、つぐみの微笑みにその意欲は一瞬で萎む。
 オレも缶を手にとって開封すると、
「かんぱい」
どちらからともなく缶を軽く打ち合わせ、それぞれ缶に口をつける。
「ぷはぁっ……」
 一気に缶を半分程空けて大きく息をつくと同時に、もう缶から口を離していたつぐみと視線が合う――つぐみはすぐに、どこか満足そうな微笑みを浮かべた。
「武、酔った?」
「一口で酔うかよ」
「酔ったってことにして――相談事でもして見る気にならない?」
 一瞬、
思考が停止。
けれどすぐに復活して――大きくため息。
 そしてオレは――笑みが浮かんでくるのを堪えきれなかった。
「大学なぁ、やっぱり駄目だった」
 自分でも信じられないくらいに軽い口調で言う。
そこに無理や空元気といったものは、自分ですら感じられない。
「とうとう、追い詰められたなぁ〜」
「何に?」
 つぐみが、心の底から楽しそうに尋ねてくる。
その笑顔に、何故か、唐突に堪えきれなくなり――オレはつぐみと頭を抱き寄せると唇を重ねた。
「んっ……」
 つぐみは拒まない。
互いに互いの唇を軽くついばみあってから、顔を離す――つぐみの頭の後ろに回した腕はそのまま、逃がさないように。
無言のまま、
近距離でしばらく、見詰め合う。
「……ふふっ」
「何笑ってるんだよ」
「今のあなた、子供みたいだな、って思って」
「……なんだそりゃ」
 つぐみはくすくすと笑い続けているだけで、答えてはくれない。
それでも、つぐみの笑顔を見ていて、いいか、と簡単に思えてしまう。
 あの場所で――オレにとっては数ヶ月前、つぐみにとっては17年前のLeMUで強張っていた表情が今、オレの目の前で華やいでいる。
あの場所で、オレと結ばれたつぐみは今――オレの目の前で、とても幸せそうに笑っている。
17年間で何があったのか――つぐみはまだ、詳しくは話してくれない。
ただきっと、
少しずつ、知っていけるのだと思う。
なんとはなしに、ホクトと沙羅の顔が連続して浮かぶ。
その笑顔。
今、こうしているつぐみと同じ、幸せそうな表情。
――ああ、そうか。
 ふと、
自分はもうここの住人なんだと、
当たり前のことに気がついて。
そう。
何をバカみたいに悩んでいたのだろう。
オレはもう、どう足掻いたって17年前には戻れない。
あの時大切だった――大切だと思っていたモノはみんな時を経て変わってしまって、オレの見知らぬモノになってしまった。
それを目の当たりにして、まるで、自分がいる世界が壊れてしまったように感じて。
――何をバカなことを考えていたんだろう、本当に。
 あの時のオレの居場所は、既に微かにすらこの世界に残っていないだろう。
けれど。
今のオレの居場所なら、ここにある。
オレの守るべきものが――守りたいものが今、この瞬間、この場所に、しっかりと存在している。
「……どうかした?」
「ん。なんでもない」
 たぶんこの言葉は信用してもらえないだろうと踏んで、つぐみの口を自分の唇で封じる。
――柔らかな感触。
――温かな感触。
――限りなく愛しい、感触。
たぶん、今なら。
ココの投げかけられた問いに即答出来る。
こうやって、
オレらしく、自信を込めて。


「当たり前だろ。この世にオレより幸せなヤツなんているはずがねぇ」













『―――』











 八神ココが夜の帳の落ちた町の中、暗い道を歩いている。
住宅街に張り巡らされた、車がすれ違うのも危ういような細い道路。街路灯は等間隔で立っていて、ココはスキップしながら、その光を渡るようにして道を進んでいた。
道の先に帯を引く光が見える。幹線道路を走る車のヘッドライトの軌跡だ。
実はあまり詳しい道は分からなかったココだったが、そこまで出れば家にしっかりとたどり着ける自信がある――倉成武の家を出てから既に1時間以上経過して尚、住宅街の中から抜けていなかったココは傍から見れば明らかに迷っているのだが、本人にその自覚はない。
これで家に帰れるね、とその思考を読める者がいれば確実にツッコミを入れたくなるようなことを考えながら、ココは幹線道路に出る。
「くらなりのぉ〜、大馬鹿野郎〜〜〜〜〜っ!!!」
 聞き慣れた声での叫び声がココの耳に届いたのは、ちょうどその時だった。
「ほえ?」
 その声がした方をを見れば、案の定見知った姿――田中優美清春香菜の姿がある。
明らかに泥酔しきった様子で歩道脇の塀に寄りかかり、桑古木涼権に思いっきり手を引かれていたりしているが。
「ほら、優っ、しっかりと立ってっ」
「う〜、なによぉ、あんた人のやることに文句あるわけぇ〜」
「あるに決まってるよっ!!」
 正に酔っ払いとその介抱者のやり取りを繰り広げているそこへ、ココはとことこと歩み寄って声をかける。
「お〜っす、少ちゃん♪」
「え? ……ココっ!?」
「うん♪ ココちゃんの登場だよ〜♪」
 その場でくるりと回って、にぱっと笑ってみせるココ。
その仕草が一通り終わっても尚、桑古木は動きを凍らせたまま動かなかった。
「……え? なんで? どうしてここにココがいるの?」
「にゃははははははははははは♪ その洒落面白いねぇ〜」
「いや、洒落じゃなくて……ああ」
 桑古木はココの発する波長に軽い頭痛を錯覚し、ため息をつくように声を漏らして天を仰いでからしばらく目を瞑って混乱する思考を落ち着ける。
一度、深呼吸。
 ――よし。
息を吐き出すと同時に桑古木は視線を下げて、ココの顔に正面から向き合った。
「ココ、今まで何所行ってたの?」
「ん? たけぴょん家♪」
「ああ、そうか……武の家、この傍だったっけ」
「く〜ら〜な〜り〜?」
 びくっ、と背後からの背筋を凍らすような声に反応する桑古木。
振り返れば――当然の如く泥酔しきった目をくすぶる怒りに満ちさせた優美清春香菜がいたりする。
「なによぉ……あんたもくらなりの味方なわけぇっ」
「いや、味方とかそういうの以前になんのことを言ってるのさっ!」
「一緒にくらなりを一生憎み続けると誓っただろぉっ!!」
「誓ってないよっ!」
「にゃはははははははははは♪」
「ココも笑ってないで一緒に止めてよっ!!」
 ――しばらく、この混乱(優美清春香菜暴走、桑古木必死で制止、ココひたすらに爆笑)は続いて。
優美清春香菜に酔いが完全に回り、ほとんど眠っているような様子で意識を混濁させ始めるまでになってようやく、止まった。
「……はぁ」
 寝息とも寝言ともつかないものを口から漏らしている優美清春香菜にため息を一つ向けてから、桑古木は彼女を背負う。
「本当はもう少しココと話していきたいけれど……今日は優がこの様子だから、またね」
「うん。またね、少ちゃん♪」
 笑顔で挨拶を交し合って、桑古木はココに背を向けて歩き去ろうと――
「あ」
 けれど一歩を踏み出してから小さく声を漏らして再び振り返り、ココに尋ねた。
「武の家で、っていうか、武と優、何かあったのかな? その所為で優今日は荒れてたみたいなんだけれど……ひたすらにこれでもかっていうくらいに武の文句言いまくってたんだ、優」
「ふ〜ん。でも、ごめん。わたしは何も見てないよ」
「そっか……うん、それじゃあ、また」
 僅かばかり残念そうな表情をしながらココに手を振ると、今度こそ桑古木は優を背負って去っていく。
 ココはその背中を、その場に立ち止まったまま見送る。
その背中が曲がり角の向こうへと消える――それでも尚、ココはその場に立ち止まったままで、
彼女は、唐突に、
空を仰いだ。
「これで全員のその後を見ただろうけど、どうだったかな?」
 語りかけ始める。
 独り言ではあり得ない。その言葉は確かに、対象を想定している。
けれど、ココの視線の先にはただ星空――それだけしか、ない。
勿論、言葉を返す存在があるはずもない。
「たけぴょんは少しだけ悩んでいたけれど、君が『中に入って見ていた』通りにもう大丈夫だと思う。たけぴょんに守られている家族も大丈夫――他の人達もみんな、それぞれに歩いていってる。ちょっとした痛みは残るだろうけど、もう、歩いていける」
ココは、誰もいない空に向かって満面の笑みで問う。
「本当に楽しそうだったでしょ? わたし達の生活♪」
 その言葉に答えるものは、
――ない。
「そっか……もう行くんだね」
 ココはほんの少し寂しそうな表情を浮かべてから、けれどすぐに笑みを浮かべる。
暗闇の中、太陽のように輝く満面の笑みを、浮かべる。
「うん。きっと君も、ずっとここにはいられないんだろうけど」
 ココは、小さく手を振りながら、
『あなた』に言った。
「何度でも――また、会おうね♪」











 暗転。











もう何も見えない。
もう何も聞こえない。
もう何も感じない。
――ただ。


『何度でも――また会おうね』


その言葉だけが、そこには残った。





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