いつからだろうか、重ねていたのは?
 溜息をつきながら、そんな事を考える。だけど、それは無意味。この件に関して、何時
からとか、どうしてとかそんなものは関係ない。なぜなら、今が、今このときの想いが全
てだから。それが、人を好きになると言う事だから。
 研究室のデスク、正確にはその上でそっぽを向いている写真立ての方を見ながら、私は
もう一度溜息をついた。

Virgin Road
                             魔神 霊一郎




「と言うわけで、一大事です。倉成さん」
「いや、何がどういう訳なのかわからんし、どう一大事なのかもさっぱりだが、取りあえ
ず落ち着け、空」
 休日の昼下がり。特に急ぎの依頼もなく、自宅でのんびり過ごしていた俺の元に突如台
風が襲来した。やって来るなり、いきなり俺の肩を掴んでこのセリフである。判れという
方が無理だ。
 俺の一言に少しは自分を取り戻したのか、空は深呼吸して息を落ち着ける。
「落ち着いたか?」
「はい、なんとか」
「それじゃあ、改めて聞こう。何が一大事なんだ?」
「田中先生が変なんです」
「いつも変だぞ、あいつは」
 即答。ゼロセコンド。我ながら、まるで脊椎反射で答えたような素早さだ。さすがの空
も固まる。
「えっと、まあ確かにそうですけど…」
 認めやがった。何か随分性格変わったな、空。
「で、具体的には?」
「え? ああ、なんて言うか、その…、一言で言えば、乙女チックな雰囲気全開、ですか」
 想像する。あの優が、溜息吐きながら体をくねらせて…。
 ぞわっ。
 悪寒が走る。二度と見たくない物が見えた気がした。
「それは、怖いな」
「はい」
 恐ろしく実感のこもった頷き。
「で、原因に心当たりは?」
「いえ、特には…」
 顎に指を当てて考える空。正直に言うと、余り似合ってない。
「まあ、すぐ判る位なら俺の所まで来るわけないか」




「はふう」
 また溜息。何回目かは覚えていない。少なくとも数えるのが嫌になるぐらいの数なのは
間違いない。
 壁の時計を見る。
 時刻は午後2時を指していた。
「もうそろそろ、か」
 会場までは車で30分。そろそろ出ないと間に合わないだろう。だが、
「ふう」
 一向に体は動かない。溜息を吐き続けているうちに、時間ばかりが流れていく。
「らしくないとは、思うんだけどね」
 そう思うが、溜息は一向に止まらない。当然と言えば当然。この溜息には原因があるの
だから。止めるにはその原因を取り除かなければならない。その為の方法も判っている。
 だがそれでも、体は動かない。
「けど、それじゃあ…」
 ダメね。
 私は一つ頷き、勢いよく立ち上がった。




「…以上の理由から、今回の症例では先程申しました治療法が最も正しく適切な物となる
でしょう。以上で終わります」
 わき上がる拍手−と言っても学会の研究発表会ではそれほど熱狂的な物ではないが−を
背に受けて、俺は演壇を降りた。
「ふう」
 控え室に戻る。前回の帰国直前、俺は限りなく不治に近いと言われていた難病の治療法
を確立した。それは医学界に一大センセーションを巻き起こし、あれよあれよと話が進み、
俺は遂にノーベル医学賞を受賞する事になってしまった。
 正直に言えばまずい。俺はキュレイ種だ。世間の耳目を集める事は避けたいのが本音。
だので、今回の受賞も辞退しようと思っていたのだが、助手の説得によって思いとどまっ
た。曰く。
「どうせ、治療法確立の時点で目立ってます。今更遅いですよ。どうしても目立ちたくな
かったのなら、研究レポートを匿名で何処かの大学に送るべきでしたね」
 ぐうの音も出なかった。まさしくその通りだ。
 まあ、そういうわけで結局は受賞する事にしたのだが、先の事を考えると頭が痛い。が、
今はそれを忘れよう。この後の時間はそんなつまらない事に捉われて過ごすにはもったい
ない。あいつらとの久しぶりの再会。せいぜい楽しむとしよう。
 軽い足取りでホールを通り過ぎ、自動ドアをくぐり外へ出て、そのままタクシー乗り場
へ向かう。そして、
「桑古木!」
 横合いから掛けられた声に、俺は歩みを止めた。




「やっぱり、特には思い当たりませんね」
「そうか」
 しかしあの優を乙女チックな状態にしてしまう物って、一体何なんだ。そんなものある
のか、ホントに。
 空と二人、首をひねって考え続けるが、優の最も近くにいる空に思い当たる事がないの
だ、俺にその理由が判るはずがない。
 それでも考え続ける俺を現実に引き戻したのは、つぐみの一言だった。
「ちょっと、武。何時までも考え続けていないで、そろそろ準備したらどう。間に合わな
くなるわよ」
「お、もうそんな時間か」
 慌てて立ち上がる。今日はこの後大事な用件がある。久しぶりに桑古木が帰ってきたの
だ、しかもノーベル医学賞なんてご大層な土産を抱えて。
 そこで、今回いつものメンバーで集まってあいつを冷やかし、もとい祝ってやろうとさ
さやかな祝宴を用意することにした。尤も会場は俺の家だし、料理も多少の出前をのぞけ
ば殆どが手作り。内輪だけで祝うならこの方がいい、と言うつぐみの意見を採り入れての
事だ。
「つーか、準備って言っても殆ど終わってるだろ。他に何かあるのか」
「そうね、玄関の掃除でもやってもらえる。一応は体裁整えとかなきゃね」
「そうだな。それじゃあ、いっちょ…」
「ああーっ!」
 やりますか。そう続けようとした時、突然空の絶叫が響いた。
「な、なんだよ、空。玄関掃除すると何かまずいのか?」
「思い出しました! 先生がおかしくなったのって、桑古木さんが帰って来るって連絡が
あった後です」
「連絡の…後」
 てことは、あいつまたなんか…。
「あいつまたなんか、変な事企んでるのか? 桑古木の事となると眼の色変わるからなあ」
「そんな巫山戯た理由で乙女チックになるわけないでしょ。尤も、後半部分は賛成だけど
ね」
「そりゃどういう…」
 意味だ。最後まで言わせず、つぐみは空を向きやり尋ねる。
「ねえ、空。他に変わった所はなかった? 態度とかそういうのじゃなくて、物の配置と
か、服装の趣味とか、そういう風な部分でよ」
「そうですねえ…、あっ、そう言えば、先生のデスクの上に写真立てが置いてあるんです
けど、その写真の中身が変わりましたね」
「どういう風に?」
「今までは、倉成さんの写真でした。ですが最近、そうですね二ヶ月くらい前からは私と
先生、そして桑古木さんが写った写真に変わってましたね」
「そう。それじゃあ、間違いないわね」
「どういう事だ」
 一人納得するつぐみに、問いかける。
「優の変調の理由よ。ここまで来たら一つしかないでしょ。尤も、武には解らないでしょ
うね。もちろん空にもね」
「???!」
 訳がわからん。一体どういう事だ?
「ま、これ以上考えてもどうしようもないわ。少なくとも私達に出来る事は殆どないもの。
せいぜいその環境を整えてあげるぐらいかしらね」
 そこまで言って、つぐみは再び準備に取りかかるためキッチンへ向かう。その背を眺め
ながら、俺と空は首をひねった。




 タクシーを拾うつもりだったが、その必要はなかった。俺専用の送迎車が来ていたから
だ。
 車での送り迎えは偉いさんの条件だそうで、普通の人なら至れり尽くせりの待遇に喜ぶ
んだろう。本来なら俺も多少は嬉しかったかもしれない。
 そう、運転しているのが優じゃなかったら…。
 どうも彼女がこういう行動に出た時は、よからぬ事を企んでいる時だろうと邪推してし
まう。その辺りはもう克服出来たと思っていたんだが、染みついた習性はなかなか抜けな
いらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 車内に沈黙が横たわる。この息苦しさもその邪推に拍車を掛ける要因だろう。だがその
息苦しさ自身はどこから来るのか。
 何となく気まずいんだよなあ。
 優と二人、車の中。
 考えようによっては、何となく色事を想像してしまいそうなシチュエーション。無論今
までに何度もあった事だし、その時にこんな気持ちになった事は無かった。確かにその時
は共通の目的があったし、何よりそんな風に優を…。
 そこではたと気づく。
 まあ、そう言う事だよな。そりゃ、落ち着かないわけだ。
 俺はポケットの中に入れた小箱の感触を確かめながら、一人結論する。
 結局、目的地到着まで、車内には沈黙が横たわり続けた。




 パーティは盛況だった。
 倉成邸に到着と同時に大歓声で迎えられた俺は、瞬く間に居間に引っ張り込まれ、ワイ
ングラスを持たされた。その後の事は思い出したくない。少なくとも、俺を歓迎したり祝
ってくれるような雰囲気は微塵もなかった、とだけ答えておこう。
「それにしても…」
 呟き、煙草に火をつける。吸い始めたのはロンドンに腰を落ち着けた頃、それからずっ
と腐れ縁が続いている。
「なかなか機会がないな」
 溜息を吐きながら、一人ごちる。まあ、こんな騒がしいパーティでは当然と言えば当然
なのだが。
 ちなみにここは倉成邸の屋上。ここには下の喧噪など一切届かない。まるで切り離され
たような静謐さが漂う。
「ここなら丁度いいんだがな」
「なにが?」
 予想外のいらえに慌てて振り向く。
「優…」
「酔いを醒まそうと思ってね。そしたら、つぐみが屋上に行きなさいって言うから」
 足音をたてずにこちらへ歩み寄り、俺の隣に立つ。
「あんた煙草吸うんだ」
「ん、ああ」
「へえ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 沈黙。お互い言うべき事はあるのになかなか切り出せない、そんな感じだろうか。
「ねえ…」
 沈黙を先に破ったのは、優だった。
「私がずっと倉成を好きだったのは知ってるでしょう?」
「ああ、あの計画だって半分はその感情から来ているものだろう」
「ええ、そうよ。あの時は、本当に倉成が好きだった。だから必死だった。例え倉成が私
に振り向いてくれなくても構わなかったわ。ただ生きていてくれればそれで良い。そんな
気持ちであの計画を成功させるために走り続けた」
「長いようで、あっという間だったな」
「ホントにね。貴方もココを助けるために全力だったものね」
「惚れてたからな、お前と一緒で」
「今はどうなの? まだココの事を?」
 その問いに、俺は静かに首を振る。
「いや、今はもう…」
「どうして?」
 それには答えず、俺は優に質問を返す。
「優はどうなんだ? 好きだった、なんて過去形だが」
「細かいとこまで聞いてるわね。ええ、私も倉成への想いは無いわ、いえ、正確には無い
事に気づいたと言うべきかしら」
「それは?」
「私はある時を境に倉成を見ていなかったのよ。もちろん最初は倉成の事好きだったわよ。
でも倉成が海の底に沈んで本人はいなくなった。代わりに現れたのは、偽物。全てを騙す
ための精巧な、ね。私自身何度も倉成の影を見たわ。そのたびに思いが募っていったわ。
でも私が見ているのは倉成じゃない。あくまでも偽物。桑古木涼権という人間が演じる、
ね。
「なら私は本当に倉成を見ていたの? 倉成の影を通して、倉成自身を? いえ、違うわ。
私は倉成に重ねていただけ。私が本当に見ていたのは…」
 空を見上げていたその顔が、こちらを向く。
「まあ、貴方自身、倉成を演じると言うよりなりきっていたから。だから尚更よね、そん
な勘違いするのは」
 その顔に浮かぶは微笑み。
 ここまで来れば俺にも判る。やれやれ、随分とあっさり解決したもんだ。最悪の事も考
えていただけに、少し拍子抜けしたぞ。だが、優は俺の沈黙を未だ要領を得ないためと勘
違いしたのか、少し怒ったように声を大きくする。
「つまり、私はあんたの事…んっ」
 最後まで言わせず黙らせる。その台詞を言わせるわけにはいかない。それは俺の方から
言う台詞だ。だから俺はその言葉を遮った。優の唇を塞いで。
「ちょっ、何するのよ」
「その台詞は言うな。俺の立場がなくなる」
 俺はポケットをまさぐり、一つの小箱を取り出した。
「プロポーズは、男が格好つける見せ場なんだ。取らないでくれよ」
「えっ」
 俺は箱を開き、中身を優に見せる。そこには指輪が一つ。
「結婚してくれ、優。俺には、お前が必要だ」




「こういう事か」
「ええ、そうよ。だから貴方には判らないといったでしょ」
 結構鈍いから。そう呟くつぐみに言い返さないのが悲しい。
「でも空は? 空はなんで気づかないと思ったんだ」
「空は理想がかっちりと固まっちゃてるもの」
「理想?」
「普通は理想があって、それに近い人に恋をする。けど空は逆。まず武を好きになって、
その上で武を理想としたのよ。だから彼女にとっては、貴方は100%理想の人。だから
こそ、他の人を好きになるような事はないし、人の心変わりについて理解出来ないのよ。
まあ、AI故の特殊性よね。空にとっては、本来無いはずの感情を持ってしまったから」
 成る程ね。まあ、正直その辺りはどうでもいいというのが本音だ。
「さ、武。出歯亀はこれくらいにして気づかれないうちに降りましょう」
「ああ、そうだな」
 つぐみの後に続いて階段を下りる。
「うまくいくかしらね、あの二人?」
「あの二人なら問題ないだろ、きっと上手くやるさ。今までそうだったんだから。むしろ
問題は、秋香菜の方だな」
「なぜ?」
「あの秋香菜が、桑古木をお父さんなんて呼ぶと思うか? 想像も出来ん。しばらくは面
白い事になるんじゃないか?」
 答えながら、俺は肩をすくめる。つぐみは顔をしかめて、
「ホクトはどうなのかしら?」




 ウェディングマーチが鳴り響く中、私は彼と二人腕を組んで歩く。真っ赤なヴァージン
ロードを。
 列の左右には大勢の人が立ち、花びらを投げ私達を祝福してくれている。その中を、私
は満面の笑みを浮かべて歩く。一歩一歩、幸せをかみしめるように。
 ヴァージンロードの終焉。だけどこれは終わりではなく始まり。涼権と共に歩む私の新
しい道。そのスタートラインに立って私は、思い切りブーケを放り投げた。



fin




                         後書き

 桑古木救済ストーリー、第二弾です。なんて言うかやってしまいました。遂にあの二人
をくっつけてしまいました。更にノーベル賞までくれてやりましたよ。ここまで目立って
いいのか、桑古木!
 ただ、正直未消化ですね。人の心理面を描くには少々短すぎたかもしれません。ああ、
そうそう。これだけは言っておきます。主役は優です。桑古木ではありません、あしから
ず。出番が少なかろうと、他のキャラの方が目立ってても彼女が主役です。
 それでは最後に、お読み頂いた読者諸卿と拙作をお受け取り頂いた明さんに、大なる感
謝を。

                                            魔神 霊一郎


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