全てのTTLL推進者に捧げます(笑)。 |
陽だまりの中の奇跡 制作者 美綾 |
「やれやれ、ポンコツタクシーだ……。田舎道だとすぐにエンストしちまう。困ったもんですなぁ、お客さん……」 武の声が、遠くに聞こえた。現実と言う奴は、何故こんなにも残酷なのだろう。死にたいと願った時には生かし、生きたいと望んだ時には容赦なく殺す。運命の女神とやらがいるのであれば、それはよっぽどの天の邪鬼に違いない。 「なぁ、ハッチから船内の高圧空気を抜いたら、勢いで浮上できると思うか?」 「無理よ……。真っ直ぐ浮上できるとは思えないし、勢いなんてたかが知れてる。そんなことをすれば、浸水転覆するのは目に見えてる……。余分な圧搾空気だって無いんだから。そもそも、この本体を浮かべる浮力が不足してるの」 「浮力……」 「バラストを捨てないと」 「バラスト……」 言葉だけは冷静に、やり取りを繰り返す。……だけど、私は理解していた。これは冷静なのではない。諦めているのだ。もはや、私達が助かる手段は何も無い。目に見える範囲で、バラストとして捨てられそうなものは、一つとして無いのだ。 「……ぬか喜び、しちゃったね……結局……あははっ……バカみたい……私、バカみたい……」 諦めの感情が、悲しみへと変わる。そして、そのことを理解している私の身体は、意識しないまま、頬に雫を伝わせる。 「あっ!?」 私は、信じ難い光景を視界に収めた。武が……ハッチの前に……? 「な、なにやってるのよ、武!?」 「何って、お前……見てわからないか? ハッチを開けてるんだよ」 そんなことは聞いてない! 何をしようとしているの!? 「だ、だからっ! なにやってるのよ!!」 「何が『だから』なんだ?」 言葉足らずになって、会話が成立しない。私は勢い良く立ち上がると、武の腕を力強く掴んだ。 「やめてよ!! 何をする気なの!?」 「邪魔すんな。触らないでくれよ……俺に触るな」 「嫌! 放さないっ! 死んでも……放してやらないから」 腕を絡め、しっかりと抱き締める。そんなこと、絶対にさせない。 「ふーん。ほんとにワガママ勝手なやっちゃなぁ、お前」 「……」 「なあ、つぐみ……アルキメデスの原理って知ってるか?」 「えっ?」 意味の無い質問に、私は一瞬呆気に取られた。武はその隙をついて私から逃れると、手早く外に出て、ハッチを閉めてしまう。 「武! 武! 何やってるの! 開けて! 出て来て」 何度と無く、ガラス窓を叩き付ける。私の拳は、幾たびも内出血し、すぐさま治るということを繰り返した。それ程の力を込めているのに、ガラスは軋むだけで、割れる気配はない。 「つぐみ……何言ってるんだ? ガラスが厚くて、良く聞こえんぞ」 「バカーッ、バカーッ! 開けろって言ってるのおっ! 何考えてるのよおっ!」 「あれぇ、ひょっとしてお前……知ってたんだ? アルキメデスの原理。って言うか、俺がお前に教わったのかも知れんなぁ〜。そりゃ知ってるわな。すまんかった、はっはっは……」 「笑い事じゃないのっ! 冗談じゃないっ! そういう、問題じゃあ……ないんだよおっ……!! バカッ……武の……バカァァァッ!!」 心の底から、声を絞り出していた。なんで……なんで、聞いてくれないのよ……。 「ああ、俺はバカだ――大バカだとも! そんなことも知らなかったのか? つぐみ……」 言いながら、武は後ろ手で、ハンドルを開放していく。 「た……武……っ? まさか……まさか、まさか……死ぬ……気……なの」 言葉にしたくなかった。そうすると、それが現実のものとなってしまう気がしていたから。 「大丈夫だよ。俺は確かにバカだが……そこまでバカじゃない」 「お願い……ひとりにしないで……私を、ひとりにしないで!」 ひとりは嫌……もう、ひとりは嫌なの……。私の身体から力が抜けてゆき、拳をわななかせたまま、膝をついてしまう。 「まったく、心配性なやっちゃなぁ……大丈夫だって、何度も何度も言ってるだろ?」 「うん……」 武の声を聞いていたかった。武の顔を見ていたかった。そして……武の温もりを感じていたかった。 だけど、それらの想いが今は全て幻のようで……私は、残酷すぎる現実を目の当たりにすることしか出来なかった。 「ちゃんと、生きる気になったろ、お前……?」 「うん……」 「だったら、生きろ。生きている限り生きろ。大丈夫……俺は――俺は、死なない」 武がハッチを開放した。だけど、それを知覚したのは私の瞳だけで――心は全てを拒絶していた。 悲しみ、怒り、喜び、楽しさ、愛おしさ、切なさ、やるせなさ、悔しさ――それら全ての感情を覆い尽くす、絶対的な絶望感に支配された。 「――武っ!!!」 聞こえるはずの無い深い闇に向けて、声を上げた。その直後に、私はその場に崩れ落ち、無力感に苛まされた。私は、自分が忌み嫌うこの身体をもって、武を、みんなを救った。だけど……だけど、こんな終焉は望んでない……生きる覚悟を……武と一緒に生きる覚悟を決めたのに……何も……出来なかった。 その次に沸いて出た感情は憎悪。私は千切れるのではないかと思う程、唇を強く噛み締め、又、互いの二の腕を握り締めていた。 「……絶対に……許さない……武と私の重さ……思い知らせてやる……」 私は再び、生きる覚悟を決めた。死ぬことの許されない自分が、唯一出来ること。私から全てを奪ったあいつらを、憎み続けること。それが、唯一の道標に思えていた。 それから17年――私は二度、奇跡を体験した。 一度目は2018年1月21日。二つの命がこの世に産まれたこと。武と私が生きていた証であり、私を憎しみから解放してくれた、慈愛の奇跡……。 二度目は2034年5月5日と7日。逢うことを決して許されないと思っていた二人の想い人と、逢うことが決して出来ないと思っていた愛しい人との再会の奇跡……。 そして……更に五ヶ月後。私は三度目の奇跡を体験した。 2034年9月末日。倉成家リビングにて。 「……ねえ、武……大事な話があるの……」 仕事帰りの武に、そう切り出した。 本当に、大事な話。もう三日も言い澱んでしまっているが、明日は武にとって久々の休日だ。開放感あるこの機を逃してしまったら、ずっと言えないかもしれない。 「……何だよ、改まって……沙羅に彼氏でも出来たか? それは父親としては悲しく、相手を二、三発はぶん殴ってやろうとも思うが、とりあえず祝福する心構えだぞ」 「……武……ふざけないで……」 「は、はい……」 萎縮して、小さくなってしまう。……別に怒ったわけではないのだけど……。 「……とりあえず……座って……」 「ああ……?」 訳が分からないという感じで、テーブルチェアに腰掛けた。次いで私も、その正面に腰掛ける。 「……あのね……」 言葉にならなかった。声が裏返り、掠れてしまうのが自分でも分かる。目を合わせることが出来ずに、視線を右に左に動かしてしまう。 こんなに緊張するなんて……。 私は武に『好き』だとか『愛してる』と、言葉で伝えたことは無い。一度ははっきり言わなくてはいけないと思っているのだが、今の様になってしまい、口から言葉が出てこないのだ。 ……だけど……これは絶対に伝えなくてはいけない。私だけの問題ではないのだから……。 「……あの……出来た……みたい……」 「……はぁ?」 言葉の意味を理解しかねているのか、武は口をあんぐりさせた。 ……もう……武のバカ! これだけで飲み込みなさいよ! 心当たりが無いとは言わせないわよ! 「……ああ……そうかそうか、夜食が出来たのか。悪いな、最近帰りが遅くて、余計な気を使わせて」 「……」 ……ピシッ。私の中で、一本の線が音を立てて切れた。 「……た・け・し……」 私自身のものとは思えない、おどろおどろしい声が口をついて出た。 「わ、わ、わ! 悪い、悪かった! 意味は理解してる! 唯、ちょっとお茶目なたけぴょんを見せようと思っただけで――」 二人掛けのソファを持ち上げたところで、武はあっさり投降した。……まったく……いつも、こうなんだから……。 「で……本当なのか……?」 「意味の無い嘘はつかないわよ……」 「……そうだったな……」 これだけのことを喋るのに、思ったより時間をとってしまった。やっぱり、私達には意味の無い会話が多すぎるわ。 「……それで……どうする?」 「……どうする、って……何をだ?」 おうむ返しに、質問を質問で返してきた。……たまには思考しなさい……。 「産むか、どうか……よ……」 「そりゃ、お前。天からの授かり物を拒絶する理由は無いだろう。安産祈願、ひっひっふ〜、だ」 「……はぁ……」 大きく溜め息を吐いた。……やっぱり……分かってない……。 「……あのね、武、分かってるの? 今、武はキュレイ種なのよ。遺伝子検査でちゃんと結果が出てるの。沙羅とホクトの時は、サピエンス種だったから、遺伝も感染もしなかったけど、この子は確実に遺伝してるの」 お腹の辺りを指して、そう言ってやる。強めの口調で言わないと、理解してくれない気がした。 「……つぐみはどうしたいんだ?」 「……分からない……明日、優に相談するつもり……武にも考える時間が必要でしょうから……」 「……時間なんて必要ないな……お前、前に言ってただろ? 答が分かりきった質問、確認のための質問に意味は無い。俺の答は決まりきってる。『生きてる奴には生き続ける権利と義務がある。だからその子は生きなければならない』それだけだ」 「……」 私は、この答を待っていたのだろうか。その疑問にも答を出せないまま、唯、小さく頷いた。 翌日。田中家にて。 「あら、つぐみ、いらっしゃい。約束よりちょっと早いわね」 「あ、うん……迷惑だったら、時間潰してくるけど……」 「気にしないで。ユウが出掛けて、やること無かったところだから」 「……そう……」 「……ちなみに、ホクト君とよ……まったく……あなたと初めて会った時は、こんな関係になるなんて思ってなかったわね」 「……」 『こんな関係』 たしかに、優は私の愛しい人達の恩人であり、息子の恋人の母親。そして武を除けば、私の最も良き理解者でもある。 17年前、全てを拒んでいた私が、普通に人と関係を結べるなんて、思ってもいなかった。 「まあ、とりあえず上がって。お茶を入れるから、座って待っててね」 「うん……ありがとう……」 椅子に腰掛け、辺りを見回す。2LDKの瀟洒な造り。部屋数はうちと変わらないが、一部屋がうちより小さいため、意外に狭く感じられる。 優曰く『ユウと二人なんだから、これで充分。そんな所にお金を使うぐらいなら、服とか美味しいものに掛けるのが大人の女ってものよ』だそうだ。 「……それで……出来たんだって?」 「うん……」 ポットにお湯を注ぐ優を横目に、小さく頷いた。医者に見てもらったわけではないが、月のものは来ないし、時たま吐き気に襲われる。 それに何より、直感がそう告げていた。『私は再び武の子を身ごもったのだ』と。 「……ふーん……それで、私に相談っていうのは? 良い産婦人科ならいくらでも紹介するわよ」 「……ううん……そうじゃない……」 「……ふふ、冗談よ。私達の身体のことでしょう?」 「うん……」 再び、小さく頷くと、差し出されたハーブティーを一口啜る。甘い香気が、舌と鼻を刺激して、私は少しだけ落ち着いた。 「……ねえ、優……私と武……間違ったことしちゃったのかな……?」 「……どうして、そう思うの?」 名前の通り、優しく穏やかに聞いてくる。私にはその優しさが痛かった。 「……だって……キュレイになるって分かってたのに……」 「……新婚さんにするな、って言う方が無理でしょう……それにどんな処置をしても出来る時は出来る……科学はどんなに進歩しても、生命の前では無力なのよ……」 「でも! キュレイがキュレイを身ごもった前例は無い! ちゃんと産まれるかどうかも、成長して大人になれるかどうかも分からないのに……そんなの無責任よ!」 自分に対しての怒りを声に出してしまい、私は激しく後悔した。 「あ……ごめんなさい……」 「……」 優は何も言わず、ハーブティーを口元に運ぶと、お茶請けのクッキーを一枚、頬張った。 「……ねえ、つぐみ……あなたの肉体年齢っていくつだったっけ?」 「……なんですって?」 話題がいきなり飛んだので、間抜けな声を上げてしまう。 「肉体年齢よ。キャリアになったのがたしか十二の時だから……」 「……私の身体は17のまま成長も老化もしていない……何で今更そんなこと……」 「……そして十八の時、感染した私は多分、二十三のまま……だけど本当にそうなの?」 「??」 問い掛けの意味が分からなかった。キュレイキャリアは、感染から五年後の肉体を保持する。それはキュレイウィルスの常識の一つだ。 「……キュレイウィルスは今でも、未知の部分が多いのよ……書き換えたコードが、あまりに特殊な上に複雑すぎて、どのコードが何を変えてるのか、一部しか分かってないのよね……だから、免疫機能や代謝効率の急激な上昇、テロメアの再生といった“結果”しか分かっていない」 「……」 「では、感染から五年以内の肉体は、どうなっているの? 分かり易く、半分の二年半後の肉体を例にとってみるわよ。ホクト君や沙羅の様なキュレイサピエンス種? 正解はNo。肉体を構成する細胞の半分はキュレイで、もう半分はサピエンス種。つまり、老化する細胞は半分だけということ。大雑把に言えば、肉体の老化速度はサピエンス種の半分なのだといってもいい。ここまではいい?」 「……言ってることは分かるけど……」 『言いたいことが分からない』とは続けなかった。放っておいても述べてくれるだろうからだ。 「ここで単純に、等速度で細胞が死んでいき、代謝すると仮定するわよ。肉体の全細胞がキュレイに変わる五年で、一体何年分、歳をとる? 正解は半分の二年半。一、二年目は普通に近い歳の取り方をするけど、三年目は半年分しか、歳を取らなくなり、細胞の過半数がキュレイと変わった四、五年目は、一、二年目と相殺して、結局半分しか歳をとりえない……」 「ちょ、優。私の肉体はまだ、十四、五だって言いたいの? 悪いけどその仮説には無理があるわ。私は、あの五年、毎年成長していた。四年目も、五年目もそれなりに、ね。 そりゃあ、あなたが二十歳そこそこだって言われても、違和感ないけど、成長期だった私の二年半は大きい――」 そこまで言って、私は気付いた。……なるほど……そういうこと……。 「……ようやく分かったわ……つまり、老化機構と成長機構は違うって言いたいのね」 「その通りよ」 優が言いたいことはつまりこうだ。キュレイ種は半永久的にテロメアを再生し続ける。テロメアは『細胞分裂の回数券』とも呼ばれており、サピエンス種であれば、細胞分裂を繰り返す度、つまり、歳を取る度に短くなる。逆に言うのであれば、キュレイ種は老化をしない生物種であるといえる。 しかしあくまで『老化しない』だけであって、『成長しない』わけではない。私の身体は四、五年目も『成長』していたと言いたいのだ。それは私のお腹にいる小さな命についても、同様のことを言えるという展開だったのだ。 「……でもね、優……それはあくまで理論上は……でしょう? 証拠は何かあるの? ライプリヒが残した資料とか?」 「残念ながら、連中はキュレイの驚異的な回復力と、老化抑制機能そのものにばかり興味がいってたみたいで、成長機構との関連データはほとんどないわ」 そう言うと、優はもう一度カップに口をつけた。何か言葉を続けようとしているようなので、とりあえず黙っておく。 「……でもね……生き証人がいるのよ……」 「……生き証人?」 「ええ……私の目の前にね……」 「???」 再び、把握できない。私が生き証人? 「……ねえ……つぐみ……」 優はいきなり、ニンマリとした笑みを浮かべた。……ん? 何か、優の視線が妙なところにいってるような気が……。 「あなたさぁ……17年前と比べて、胸、大きくなったんじゃない?」 「……は?」 頭を、ハンマーで叩かれたような衝撃に襲われた。な、な、な、な、何よ、いきなり!? 「身長や体重の増加が17で止まることは不自然じゃないにしても、何か他のものが成長していれば、この仮説を裏付ける材料になる……あなた自身憶えてなくても、倉成に聞けば分かるでしょうから、早速電話して――」 「優! な、な、なに無茶苦茶言ってるのよ! だ、だ、大体、武と会った時には、も、もう六、七年は経ってたんだから、成長しててもとっくに――」 「……ふふ……」 不意に、優は含み笑いをした。……はい? 何でここで……? 「……!」 ……しまった……からかわれた……。 「あはは、ごめんなさい。冗談よ」 「……」 私の顔は、異常なまでの熱を帯びている。多分、赤さは、ゆでダコといい勝負が出来るくらいだろう。 「……でもね……生き証人が居る、っていうところは本当よ……」 そう言うと、後ろの棚に立て掛けてあったファイルを手に取った。そしてそこから一枚の書類を取り出し、こちらに渡してくる。 「これは……?」 「ココの身体的データをまとめたものよ……まあ、色々調べてはいるんだけど、分かり易い、身長と体重の項だけ見て」 「……」 言われるがまま、heightとweightと書かれた部分に目を向ける。 ……え? 「……彼女はこの五ヶ月、身長で三センチ、体重は二キロ“成長”している……ハイバネーション中に、コードが完全に書き換わった彼女が、よ……これはキュレイ種が“成長”はする証拠と言えるわよね?」 「……」 信じられなかった。こんなことって……。 「桑古木の奴が喜んでたわよ。『よっしゃぁ!! これであと数年待てば、公正明大に付き合えるぜぇ!!』ですって……ふふ……実年齢差が埋まるわけでもないのにね……」 「……」 「……でも実年齢差なんて、関係ないか……あなたは倉成を愛して、倉成はあなたを愛している……それだけが真実なんだから……」 「……優……」 「……それ以上は言っちゃだめよ……私達、色々なことで結びついてるけど、全て貸しでも借りでもない……お互い、気を使って生きていたんじゃ、苦しいだけよ……」 「うん……」 『ありがとう』とは続けなかった。理由はもちろん、『意味が無いから』。 「そうそう、言い忘れてたわ」 「……?」 「今までの講釈は、学者としての私の見解。ここからは友人として言わせて頂くわ。 おめでとう。今度は絶対に手放すんじゃないわよ」 「……」 私は多分、泣いていたんだと思う。激情が心を支配したわけでも、深い悲しみに満ちたわけでもないのに、唯、自然に感情の雫は、頬を伝っていた。 そんな私を、優は微笑みながら見遣っている。その優しさに救われたのだと、私はその時、初めて理解した。 「ただいま……」 「おめでとう、ママ!」 「おめでとう」 家に帰るなり、沙羅とホクトが祝辞を述べてくる。え? 何? 「あ……武、言ったんだ……」 二人の後ろに立つ武を見て、すぐさま理解した。 「別に隠すようなことでもないしな……それに、決めたんだろ?」 「うん……産むわ……」 小さく頷いた。 やはり武には敵わない。私がこうするって分かってたのね。 「それにしても、母上殿も隅に置けんでござるな〜。この狭い家で、一体いつその様な行為に励んでおられたでござるか〜?」 「うん……武が平日休みの時とか、あなた達が合宿で泊まり込んだ時とか……」 「お、おい。つぐみ――」 ……はっ! もしや、私は今、とんでもないことを口走ったんじゃ……? 「おぉ! そうでござったかぁ!! うむうむ。これは拙者ら、お泊りの回数を増やさなくてはいけないでござるな、兄君」 「え、あ、うん。そうだね」 良く分からないといった感じで、ホクトは相槌だけを打った。……不幸中の幸いね……。 「よおぉしっ!! ホクト!! ちょっと付き合え!」 「え? 何、いきなり?」 「台所だ。ついてこい!」 「?? ま、待ってよぉ」 ……? 何を始める気? 「いいか、ホクトよ! 妊婦さんの嗜好というものは、非常に微妙なものだ! そこで俺は今日からお前に、持てる全ての調理技術を伝授する」 「は、はい……」 「俺が毎日毎食作ってやれれば一番いいのだが、諸般の事情により、そういう訳にもいかん。まあ、お前も近々同じ立場になるだろうから、憶えておいて損はないだろう」 「ちょ、ちょっと待ってよ、お父さん。ぼくとユウは、まだそんな関係じゃ――」 「まだ、ということは、将来的にはそうなりたいと思っているわけだな?」 「……」 台所では、武がホクトに料理を教え込んでいる。本当に、楽しそうだ。 「父上殿、すごい気合いでござるな〜」 「……武は今、初めて父親になる実感を得ているんでしょうね……あ、もちろんあなた達を愛していない、って意味じゃないわよ……」 武は間違いなく、二人を愛している。……でも、それは親子の愛と言うよりは、弟や妹に接する時のものに近くて……本当の意味で父親であると感じるのは、この子に対してが初めてになるのであろう。 「……それにしても……女の子の私じゃなくて、お兄ちゃんに料理を教えてるのは……」 「……」 ……沙羅。そこは触れてはいけない領域よ……。 「ちっがーう! 手首の返しが甘いんだよ! いいか! この料理は微妙な火加減こそが命! そのためには、自由自在にフライパンを使いこなせ!」 「こ、こうかな?」 「……やれば出来るではないか。よしよし、さすがは俺の息子だ」 「へへ……」 私はテーブルチェアに腰掛けたまま、ぼんやりと二人を見遣っていた。 ……時たま思う。この幸せな今は、本当に現実なのだろうか、と。全ては邯鄲の夢で、本当の私はLeMUで、或いは何処とも知れぬ路地裏で死に瀕しているのではないのか、と。 ……そんなこと無い。武もホクトも沙羅も、みんなここにいる。私はその度に、そう言い聞かせてきた。 「……つぐみ……どうした? 飯、出来たぞ?」 「え? あ、うん……」 目の前の大皿には、肉野菜炒めが盛られている。見た目はこってりしているが、匂いは香ばしくて食欲をそそり、今のところは問題なく、口に出来そうだ。 「おおぉぉ! 美味しいでござる。うぬぬ……卑怯でござるよ、兄君!」 「い、いきなり、何なのさ」 「こ〜んなに美味しいの作られちゃ、私の女の子としてのプライド、ズタズタよ! ねぇ〜、だから、パ・パ〜♪ 今度は私にも教えて〜」 「分かった、分かった。次の休みか、早く帰ってこれた時にな」 「やった〜♪」 「……」 ……私はここに居ていいのよね……? 居なくてはいけないのよね……? 涙で滲んでしまった瞳を気取られぬ様、私は無理をして、食事をかっ込んだ。 「美味しかった〜。私、パパの娘で良かった〜」 「一応、作ったのぼくなんだけど……」 「お兄ちゃんの妹で良かったとも思ってるよ。もちろん、ママもだよ」 「……」 何気ない一言が、心に染み入った。 「あ、そうそう。私、なっきゅ先輩に会わなきゃいけないんだった。ちょっと行ってくるね」 「……今からか?」 「うん。もちろん、危ないから、お兄ちゃんにもついて来てもらうよ」 「え……? あ、うん。別にいいけど……」 ……? 沙羅のワガママは今日に始まったことじゃないけど、何か不自然ね……。 「十時までには帰ってくるけど、十時までは帰ってこないから。お二人さん、ごゆっくり〜」 「……」 「……」 二人して沈黙してしまった。……まさか、気を遣われるなんて……。 「あはは……沙羅の奴、なかなかマセたことするじゃないか……」 「……」 緊張して、言葉が出なかった。武と二人きりのことが無いわけではないのだけど、こうされてしまうと、意識せざるを得ない。 「……なあ、つぐみ……」 「な、なに?」 声が裏返ってしまった。我ながら、間が抜けていると思う。 「一つ、聞いておきたいんだが……」 「……?」 何? 言い忘れてたことあったかしら……? 「……その赤ん坊……本当に俺の子供だよな?」 「……」 ……ピシッ。昨日に引き続き、私の中で一本の線が、音を立てて切れた。 「……」 無言のまま武に詰め寄ると、右腕を掴み、テコの原理で、肘を反り返らせる。キュレイ種、最大の弱点がこれだ。肉体が如何に回復を続けようとも、神経への攻撃だけは、防ぎようが無い。むしろ、肉体が頑丈な分、長時間、痛みを感じなければならない。 「痛っ、痛っ、つ、つぐみ、ギブ、ギブ。しゃ、洒落になってねえ――」 「……」 何やらわめいている武を無視し、私は更に力を込めた。たまには痛い目を見せないと、バカが死ぬまで治らない気がしたからだ。 「お、お前なぁ……俺の仕事は身体が資本なんだぞ……」 「……私の気持ちを知ってるくせに、笑えない冗談を言うからよ……」 だらしなく右腕を垂らしている武に、そう言い捨ててやる。 17年もの間、変わらなかった私の気持ち。その想い人が目の前にいるのに、何故、そんなバカなことが出来るというのか。 「悪かったって……」 「あ……」 動かすことの出来る左腕一本で、抱き寄せてくる。決して、強い力では無かったが、流れるようにして、私は武の胸元に収まった。 「……」 武の匂いを感じる。武の鼓動を感じる。武の温もりを感じる。 17年間、私が望み続けたもの。今、それが現実のものとして目の前にある。この感覚は絶対的なものだ。武は間違いなくここにいる。私はそう信じている。 「……ねえ、武……私のこと、愛してる……?」 「……『意味の無い質問』……だな……」 「……それでも聞きたい……」 ……そう。答の分かりきった質問に意味は無い。だけど、私はそれを渇望していた。 「……お前もバカだろ……」 「……武に言われたくない……」 耳元で、期待とは違う言葉を聞かされ、拗ねたような声を上げてしまう。でも、こういうのも悪くない。武にだけは甘えられる。こんな自分を見せても構わない。 「……」 顔を上げ、武の双眸を覗き込んだ。深い、褐色の瞳。私を解放し、そして魅せられてしまった両の眼。 私は武の首に腕を回すと、瞼を閉じ、唇を押し当てた。 私はここに居る。そして武もここに居る。それが私にとって、唯一の真実――。 了。 |
後書き あ……チャミのこと忘れてた(爆)。 TTLL推進委員会の名を背負っての制作は疲れました……いえ、何が違うというわけでも無い様にも思えますが、一応、今までの美綾オリジナル設定を、出来るだけ消して制作してみました。引き継いではいるんでが、表に出さない様にしてみてます。例として浅川高校とか、武がスタントマンしてるとか(それっぽいことは言ってますが)。これなら多分、完全独立ものとしても読めるかな、と思いまして。TTLL推進者による、TTLL推進者のためのSSですから(笑)。 キュレイウィルスの解釈につきましては言いたいことはたくさんあると思いますが……何故こんなややこしい話を始めたかと言えば……つぐみが優の一つ年下、17歳にどうしても見えないから!! きっと、成長し切って、二十歳ぐらいに違いない!! ……同意見の方も、反論がある方もいるとは思います。……最近、思ったんですが、新陳代謝が向上して、細胞分裂が促進されるなら、むしろ成長は早まる気がしてならないです……いえ、生物学の専門家ではないので、確たることは言えないのですが……テロメアが少し短くなることは、成長の必須条件なんでしょうか? もう頭、ぐちゃぐちゃです……。 あ、そう言えば制作途中、『キュレイウィルスがDNAコードを書き換えるのに五年掛かる』という、ド派手な勘違い(正しくは『キュレイに変化した細胞へと、完全に入れ替わるのに五年掛かる』)をしていたため、優春の台詞をwordテキストで半ページ分くらいカットするという悲劇に見舞われました。……皆さん……設定はきっちり調べてから書きましょう……(僕だけかも……)。 つぐみと二人の子供について、かなり重要なこと、今まで素通りしてきたんですが、ここで、僕なりの結論を出します! つぐみは二人を“ホクト”と“沙羅”と呼び続けます! いえ……つぐみが付けた名前は違いますし、その名を呼ぶのが筋な気はしてはいるんですが……ややこしいですし、僕が適当な名前を付けるのも、つぐみに対して失礼(重要)な気がするので……。 今回、おまけ後書きの不条理談議はお休みさせて頂きます。今までは、僕個人の責任でしたが、今回はTTLLの看板、一応背負ってるので、あれはリスク高いかな、と(汗)。でも、あーいうのが好きな方もおられる様なので、何か企画でも考えて、独立したものとして書こうかなと思ってます。久々に優秋と桑古木も書きたいですし(……空とココは未だに苦手……)。 それでは。不条理談議が無い分、ちょっと長めになってしまった後書きでした。 TTLL02 美綾 「TTLL印」 |
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