この世に、神というものは存在するのだろうか。 『はぁ? 神様なんて自分を信じ切れない人間が勝手に産み出した、背もたれみたいなもんでしょ?』 これはユウの台詞。私の考えは少し違う。 この世には、絶対不変にして唯一の真理が存在する。自然科学、神学、哲学などはそれを解き明かす手段に過ぎず、真理そのものではない。そもそも、頭脳という媒体で以てしか思考することの出来ない人間が、真理に到達出来るはずは無い気もするのだが、それはそれとして。 私は、その絶対不変の真理が、俗に言う『神』なのではないかと考えている。別に、難しい顔をした老人であるとは思わないし、絶世の美女でもないだろう。 形は無い。概念でも無い。強いて表現するのであれば、存在。 誰も到達することは叶わず、それだからこそ渇望する目標。人が至高を目指すという行為は、いずれもが『神』に近付こうとする行為なのではないだろうか。 旧約聖書において、頂を目指したバベルの塔は、神の怒りによって粉砕させられたけどね。 「……はぁ〜」 私は、大学の教官室で椅子に腰掛けたまま、大きく溜め息を吐いた。人間、やはり、あまりに暇だとロクなことを考えない。学会が終わってしまったら、一気にやることが無くなってしまったのだ。もちろん、ライプリヒ連中の監視だの、事後処理なんかは、まだ当分はしなければならないのだが、無理をしなければならないほど溜まっている訳でもなく――結局は、先程のような、どうでもいい思考に流れていってしまう。 「このままじゃ、ダメ人間確定ね……今度、適当なサークルにでも混ぜてもらって何か、始めようかしら」 出来れば、何日か休みを取って、秘湯探索を――長い間、手を付けようにもどうにも出来なかった趣味を思い起こしてみた。 コンコン――ノックの音がした。 「開いてるわよ」 何の感情も篭めず返答した。教授等、事務的な用事であれば、用件だけ聞いて追い返す。見るからに暇そうな学生であった場合、無理矢理にでも引き止めて、茶飲み話をさせる。 完璧にして綿密な計画を胸に秘めていたのだが、入室してきた男女二人を見て、私は呆気に取られてしまう。 女性、と言うより少女と形容した方がいいか。彼女は、白のブラウスにねずみ色のブレザーとスカートを纏い、青の棒ネクタイを首に巻いている。特徴的なのはその髪型で、後頭部を二個所、左右対称になる形でお下げにし、リボンで纏めている。世間的にはツインテールと言えば通じるのか。若干釣り上がったその目は、攻撃的にも見えるが、美人になるには欠かせない要素である気もする。 一方の少年は、その少女より一回り小柄で、少女と同色のブレザーとズボンを身に付けていた。切れ長の瞳は深遠で、その深さに吸い込まれそうになる。又、乱れの無い服装は、彼の隙の無さを示しているように思えた。 倉成沙羅、並びにその後輩、川崎大悟であった。 |
全ての想いの辿り着く場所 第三章 大人の論理と子供の論理 制作者 美綾 |
西暦二○三五年四月五日木曜日。 「ほんと、あなた達一家は――一応こっちは働いてるんだから、連絡の一つ位しなさい」 二人に紅茶を差し出しつつ、呆れたような声を上げた。本音を言えば、良い暇潰しになると歓喜しているのだが、そこはそれ。大人としての威厳と言う奴だ。 「何、言ってるんですか。学会が終われば暇で暇で仕方ないって、パパもなっきゅ先輩も言ってましたよ」 「……」 あの二人は……。 「で、何で大悟君と一緒なの? ついにホクト君を諦めて、新しい恋に目を向ける気になった?」 「……父の手伝いをしていたら、今度は沙羅先輩に捕まっただけです」 言外に、『あなた達は強引ですね』と含めているように思えた。 「じゃあ、沙羅は何しに来たの? ユウなら何処か出掛けるって言ってた気がするけど」 「構内見学ですよ。私、もう三年生ですから。一応、色々見ておこうと思って」 「進学するの? まあ、沙羅なら成績は何の問題も無いだろうけど……うちに来ることも無いんじゃない?」 沙羅が、鳩鳴館から共学の浅川高校に編入したのは、ライプリヒの息の掛かった組織から少しでも離れたいためであったはずだ。別に、鳩鳴館女子大に来るのが悪いとは言わないが、心境的には理解し得ない。 「まあ、たしかにそれはそうなんですけど。なっきゅ先輩と、もっと一緒に居たいななんて思っちゃって。お兄ちゃんは毎日会えますけど、先輩は都合を合わせないと駄目ですから……ちょっと寂しくて」 「……」 人間関係のために進路を選択する。お高い考えの大人であれば、馬鹿げた行為なのだろう。しかし、それは凡人に対しての論理。言い方を変えれば、天才の特権だ。 それに何より、彼女には誰よりも幸せになる権利がある。それを否定するのは、人間としての感情が欠如しているとしか言えない。 「進学、ね。大悟君はどうするの? やっぱり研究職?」 若干十五、六の少年がそこまで人生を決めているとは思えないが、彼ならば有り得えない話ではない。話の脈絡上、何とは無しに聞いてみた。 「……そうですね。学生の研究成果を存分に活用して、自身は何も産み出さない、事実上の隠居生活を送るのも悪くはないかも知れません」 「……腕を上げたわね」 私達はいつから、芸人になったのやら。 「そう言えば、つぐみの予定日って、二日だったっけ。状態はどうなの? あ、つぐみって言うのは沙羅のお母さんで、今、妊娠中なのよ。結構な高齢出産でしょ」 肉体年齢が沙羅と同じであることは、当然の如く伏せておく。 「今のところ特に問題は無いみたいですよ。出産が遅れるのも……仕方無いと言えば仕方ないですし」 「……それもそうね」 キャリア同士の受胎は前例が無い。どの様な妊娠期間を経て、どの様に成長するのか。憶測で物を語ることは出来るが、全てはその時になってみなければ分からないのだ。 ま、要するに人生と何にも変わらない訳なんだけどね。 「でも三人目、ね……どんな子に育つやら。兄妹を知る大悟君の見解を聞いてみたいわね」 「……女性であれば、自身の好みに合わせて育て、男性であればお姉さんに献上するために尽力する、といった返答を御期待ですか?」 「あら? 友人の子供に手を出すほど、男に困ってる訳じゃないわよ」 知的な遣り取りと、内容の無い会話は紙一重だ。今のはどちらに分類されるのやら。 「あれ? でも田中先生って、女性も守備範囲じゃありませんでしたっけ?」 「……」 軽く頭痛を感じた。何がどういう歪み方をして、そういう情報に転化するのよ。 「それで男だったら、下は川崎君くらいの男の子から、上は白髪交じりのナイスミドルまで大丈夫ですよね?」 「……ちょっと待っててね」 情報源を思い当たったので、腰を上げると、一度退室した。そして、隣接するゼミ室兼資料室に足を踏み入れ、そこにたむろする私の大切で愛しいゼミ生達を、色々な意味で可愛がってあげた。 「全く、あの娘達は……みんなにはこんなバカなこと言わないでよ」 「あ、その点なら御心配なく。もうネットで全世界に配信済みです」 「……」 知的な冗談であると信じよう。 「ふう……これだから子供って言うのは――」 偏見に満ちた台詞を吐いてみる。 「あ〜。その言い方は無いですよ。私、これでも大人ですよ」 「大悟君、聞いたわね。今度から沙羅に接する時は、『大人』として扱ってあげてね」 「……はぁ」 知的から程遠い会話へと堕ちてゆくのは、かなり楽しかったりする。 「でも、大人、か……」 不意に、郷愁にも似た切なさが胸を締め付けた。 私は、大人なのだろうか。もちろん、法的にはそうなのだけれど、ね。 「……どうしたんです?」 「沙羅、大悟君。ちょっと質問していい?」 「別に良いですけど」 「構いませんよ」 「お父さん、好き?」 意味の無い問い掛けなのか、否か。私の口は、それを判断するより早く、その言葉を紡いでいた。 「大好きですよ、もちろん」 「……嫌いではないですね。正確には、興味深い対象であると言うべきですが」 「じゃあ、お父さんは大人だと思う? もちろん、肉体的、法的な話じゃなくて、精神って言うか、心の部分ね」 心理テストの類ではない。思い付いた言葉を唯、羅列しているだけだ。 「難しいでござるな。きっぱりはっきり言ってしまえば、子供なのでござるが、ここ一番では締めるでござるから、大人と言えなくも無いでござる」 「……御存知だとは思いますが、社会人としての最低義務を果している以外は、全くの子供ですよ、うちの父親は」 倉成は言うに及ばず、鳩鳴館女子大心理学科助教授の肩書きを持つ大悟君の父親も、子供っぽいところがある。別に、いきなりスカートめくりをしてくるとか、秘密基地を作っているといった話ではなく、何と言うか、純粋なのだ。自分の研究を語る時の瞳は穢れ無き少年のそれで、永遠の夢追い人、とでも表現するのが良いのか。学者には多いタイプだ。この手の人間を上手く使いこなせるかどうかが、経営者としての手腕が問われるところなのだが、それはそれとして。 ちなみに、何故こんな父親から、大悟君のような子供が産まれたのかについては、鳩鳴館女子大七不思議の一つに認定している。 「それで……次の質問は『私は大人だと思う?』ですね」 「……大悟君には敵わないわね」 環境適応能力というか、こと、感性で補える才能に関して、沙羅を上回る人材はそう転がっていない。 だが、人間観察や、心理を読むという面において、大悟君の上を行く人間を私は殆ど知らない。年齢的なものを考慮に入れれば、世界でも屈指なのかもしれない。 二人とも、のほほんと高校生をしているには、惜しいと言えば惜しい人材だ。 「こんなことを聞いてる時点で子供かしら?」 「……誰もが一度は惑うことですから、別に構わないと思いますよ」 「ありがと」 やはり、不思議な少年だ。自分の娘より齢を重ねていないのに、言葉に妙な説得力がある。倉成が感情に呼び掛けるタイプとすれば、この子は理性を刺激するのが上手い。二人とも、恐らくは天賦のものなのだろう。少し、羨ましく思えた。 「視点を変えてみては如何ですか?」 「視点?」 興味を惹かれ、耳をそばだててみる。 「沙羅先輩、倉成先輩のこと、好きですか?」 「もちろんでござるよ〜」 「それは家族としてですか? それとも――」 「……中々、厳しい所を突いてくれるでござるな」 下世話な会話だ。だが、嫌いではない。 「わかんない、かな……お兄ちゃんとは、ちっちゃい時に別れて最近一緒になって……うん、わかんない――」 一つの学説がある。幼少期から思春期に入るまで共に過ごした男女の間には恋愛感情が産まれないというものだ。これは近親交配を防ぐ脳内生理学に基づくものらしい。この説を用いて考えれば、この期間が抜け落ちているホクト君と沙羅の間にそういう感情が芽生えても、おかしくはない。 倫理的、医学的には問題大有りだけどね。 「それを、倉成先輩には伝えましたか?」 「……うん。だって、言わなきゃすっきり出来ないでござるよ〜」 冗談めかして、はにかみながら口にした。 何となく、大悟君の意図が見えた気がした。 「では、お姉さん――あなたはどうです?」 「……結構、良い性格してるわね」 「今頃気付いたんですか?」 言い切れる所が侮れない。 「成程、ね――」 私の心の中にある想い――それは業にも似た、私にとっては背負い続けるべき、戒律のようなモノ。論理、感情の両面から考えても、その様な結論には至らない。だが、私はこの現状を望んでいる。それが最も自然に思えたから。自分を含め、皆が傷付かずに済むと思えたから。 しかし、この行動は本当に『大人』のものなのだろうか――。 「良い視点ね。流石は大悟君」 「褒めても、何も出せませんよ」 「くす。むしろこっちが出したいくらいよ」 抽象的な会話に付いていけない沙羅を尻目に、一度立ち上がると、お茶請けのクッキーを追加する。お礼にはならないかも知れないが、まあ、気持ちということで。 「一体なんなんでござるか〜。これじゃ、拙者が恥ずかしいだけでござるよ〜」 顔を真っ赤にして、駄々っ子の様な声を上げる沙羅。子供っぽいその仕草に、私は思わず、笑みをこぼしてしまっていた。 「それでは――そろそろ失礼します」 「ええ〜、もうちょっと居ようよ〜」 「……まだ父の手伝いが残っていますので」 「そ。じゃあ、仕方ないわね。お父上に宜しく」 「ええ。お姉さんにはいつも可愛がっていただいていると伝えておきます」 苦笑してしまった。 「あ、そうだ、大悟君。ちょっとだけいい?」 「……はい?」 「今日の紅茶、どうだった?」 「そうですね、七十五点といったところですか」 「厳しいわね」 「包み隠さない方がお好みでしょう?」 「……たしかに」 再び、苦笑した。 「では、また」 「まったね〜」 笑顔で別れを伝え合う二人の子供。その姿は私の心を弱々しく、だが、たしかに締め付け、言葉を詰まらせてしまう。 私が何を望み、何をすべきなのか、考えるべき時期になったのさえ思えていた。 つづく |
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