『尽未来際』 byおるけ |
空は、薄く濁っていた。 だが午後になって少し出てきた風が乾いているせいか、湿気は感じない。 どうやら傘は必要なかったらしい。 そんな思いとともに左手にある男物の傘を一瞥し、つぐみは辺りを見回した。 そこは小高い丘の上だった。 見渡しても景観が良いとかそういった長所はない。 街並みも以前来たときとさほど変わっていない。 ただ遠くに――本当に遠くに少しだけ、ほぼ水平線だけの海が見える。 それだけが特徴といえば特徴。 近すぎても嫌だが、確かに海の見える場所。 それが全員の一致した意見だったと覚えている。 もしこれが下方の段なら海を臨むことなどできない。 確か、春香菜が一番上にあたる此処を買い占めていたと聞いたことがある。 そのときはつまらないことをと思ったが、今思うと重要なことだったのだろう。 海は自分達にとって、 始まりがあり、 出会いがあり、 別れがあり、 また新しい始まりがあった場所なのだから。 ―――けど、ね。 視線を海から戻す。 ―――この丘を登ってくるのって、結構面倒なのよ? そんな思いを込めて、目前を睨む。 墓石は何も答えない。 友人の長い名前が刻まれた御影石の柱は、ただ静かにそこに在る。 その隣にそれより少し古びた、一字しか違わない名の墓石。 自分より生まれた子が、自分よりも先に逝く。 その恐怖を、後には痛みを共有するものとして二人支えあった。 お互い親友といえる関係だっただろう。 もっともどちらかといえば武同様、支えてもらったことのほうが多かった。 つくづく、借りばかり作ってしまったように思う。 だというのに、自分には向こうで母娘が再会していることを祈るぐらいしかできない。 ―――馬鹿ね。 何を考えているのか。 どこであれ、あの二人がお互いを捜し出せないはずがない。そんなことを祈るなどどうかしている。 自分にできることなどもはや何もない。また一つ無力であることを思い知りながら、別の石碑の前に立つ。 時が止まっていた為に、キュレイ種となるのが最も遅かった少女。 完全ではないキュレイ特有のひどくゆっくりとした老い故に、眠る仲間達の中で一番永い時をともに歩んだ友人。 老いてなお、その天真爛漫な笑顔が翳ることのなかった同胞。 彼女が眠りについてから、もう半世紀がたつ。 ―――伝言は、伝えてくれたかしら? 最期に会ったとき、伝えることはないかといわれて頼んだ伝言。 あちらは住人が多いだろうから大変、そういって笑っていた。 ―――そろそろ見つかっていると良いのだけど。 『あの』彼女がどうやって仲間達を捜すかを考え、知らぬ間に苦笑が浮かぶ。 墓石は何も答えない。 二人の子供の墓は、秋香菜の隣にホクト、その隣に沙羅と並んでいる。 なんとなく三人の関係を示した配置にも思える。つぐみはホクトと秋香菜のことを思い出し、口元を緩めた。 ホクトが結婚を伝えるため秋香菜を自分達親のもとに連れてきたとき、彼は緊張でどもり続けた。 そのことに横で業を煮やした秋香菜が「ホクト、いただきます」と宣言したときには、全員が吹き出したものだ。 後々時が経っても、沙羅はそのことで二人をからかっていた。 ―――相変わらず尻に敷かれているのかしらね?沙羅も冷やかすのは程々にしておきなさい。 懐かしむような目を、つぐみは浮かべた。その眦に涙が滲んだことに、果たして本人は気づいたかどうか。 墓石は何も答えない。 ―――あなた達の子供達は元気みたいよ。 何代離れてしまったのか、もう両手の指ではまるで足りない。 自分とのつながりも、何もないけれど。 「つぐみさん、終わりました」 唐突に空の声。 唯一、今も共に在る旧友。 「・・・そう」 桑古木の墓に花を供え終わり、こちらにやってくる空を待ってから、つぐみは逸らしていた視線を正面に向けた。 倉成武。 自分の夫。 自分が唯一女として愛し、愛された伴侶。 その墓碑に、つぐみは刺すような、挑むような、縋るような目を向けた。 癒えなどしない。 すべてにおいて、想いは何一つ衰えてなどいない。 今となっても、何も変わらない。変われない。 夕に帰宅しては、家のどこであっても常に視線はその姿を探す。 夜寝床に入り、この現実こそ夢であれと願い、夢の中にて逢瀬する。 朝目覚めて夢と気づき、となりにぬくもりがないことに落胆する。 永い時が過ぎたというのに。 時代は幾度も変わったというのに、まだ。 いや、時を重ねたがゆえに、なお。 つぐみは目線を横にずらし、隣の空を見やった。灰色の石から目を逸らしたかった、ただそれだけだったが。 その空は花を飾ることもなく、手を合わせるわけでもなく、ただ立っていた。 武が逝ったことを知ったとき、二週間近く部屋にこもっていた、と春香菜が言っていたのをつぐみは思い出した。 だが今隣で夫の墓を見つめる空の顔には、何の表情も表れてはいない。 いや、どこか―――何かはじめて目にしたものを見るような色が、その目にはある。 ココが亡くなってから、空は微妙に以前と「違って」きた。 一見すれば変わらない様に見えるが、違和感は徐々に増してきている。 この友人の心中に今何があるのか、つぐみは読み取れないまま視線を石碑に戻した。 夫が亡くなった時の痛みを、そのまま抱えているわけではない。 想い人の喪失による痛みは、もうかつての切り裂き、引きちぎられるような痛みではなくなっている。 虚ろな抜け殻となったり、半狂乱になってわめき散らしたり。 鋭い痛みを抱え、そんな状態を繰り返す日々はとうに過ぎた。 今は蝕むように、崩れるように。 じりじりと少しずつ、自分が焼け落ちていくような痛み。 何をしても、その痛みは治まらない。 深く暗い憂いの森の中、輝いていた月はすでに隠れた。 支え、導いてくれた手は消え、名を呼んでくれた声もない。 霧の中に残された自分は、おびえ、狼狽しながら探し回る。 それは意味の無いこと。 どれほど手を伸ばしても、あがいても、歩き回っても。 けして逢えなどしないのだから。 明確な終焉を見せられてしまったから。 どうしようもない、できれば目を逸らしていたかった結末を、目の前に提示されてしまったから。 今度こそ、再会はありえない。 「生きている限り、生きろ」 かつて、夫が別離の刹那に言った言葉。 今際の際にももう一度、囁かれた言葉。 それは赦し。 重荷となるなら捨ててくれていい、 自分との思い出を封じ、新たな幸福を見出してほしいという願い。 それは縛鎖。 自分のことを決して追うな、 何があってもこの世にとどまり永らえ続けろという要求。 矛盾だ。 その言葉の前には「だったら」という接続詞があったはずだ。 笑えるようになったのは誰のおかげか、あの男はそんなことも忘れてしまったのだろうか。 要因が消えれば、変化も元に戻る。当たり前のことではないか。 「・・・バカ」 墓石は何も答えない。 つぐみのそのつぶやきは、木々のざわめく音にまぎれて消えた。 そのざわめきを聞いて、空が緩慢な動作で顔をつぐみに向ける。 「・・・風が出てきました。そろそろ戻りましょうか?」 「・・・・・・そうね。でも、もう少し」 「・・・・・・・・・はい」 視線を動かさずに空に答えて――ふと、つぐみはある可能性に気づく。 「・・・空、貴方は」 「はい?」 「・・・・・・いえ。なんでもないわ」 微笑で聞き返され、つぐみはその疑問を胸に押し込めた。 同時に今自分が、たった一人で墓参りをしているような錯覚に襲われる。 思わず自嘲の形に口がゆがむ。それはきっと、錯覚などではない。 乾いた風が、丘の斜面を滑り落ちる。 その斜面に林立する木々と墓石。 生きた木々はざわめき、 死んだ石柱群は静まり返る。 その中に途方にくれて、 立ち尽くす影ふたつ。 永遠に取り残された、 いつまでも置いてきぼりの、 黒と白の墓守り。 了 |
あとがき 読んでくださってありがとうございます。 元は月姫のSSでした。 ところがTAROさんのSSを見て、即座にE17へと方向転換。 どこかでオリジナルキュレイであるつぐみ以外は少しづつ年をとっていくという考察があったのでそこから考えたらこんなのに。いっそ詩とかにしたほうが良かったかもしれない。それはそれでひどくなるでしょうが。 TAROさんにこのSSを捧げます。いや、捧げられるほどのもんでもないんですが。 では。 |
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