それは楽しい思い出になるはずだった。
 思い描いていた予定とは少し違ってしまったけれど、バカみたいな仲間。バカみたいな出来事。バカみたいな会話――。
 結局はいつもと変わらない、バカバカしい日常。
 そんな、ありふれてはいないけれど、ありきたりな思い出になるはずだった。

 いや――それはここで変えれば良い。
 ハッピーエンドの物語は、いつの世も美しい思い出へと転化されるものだから――。




リレーSSシリアスパート
                             制作者 美綾  



最終章 『帰るべき場所』



 扉の先に存在していたものは、白色、であった。眩いばかりに全てを照らす数十もの白色灯。白い壁、白い床、白い天井。
 網の目状に広がる継ぎ目が存在しなければ、遠近感を失ってしまいかねないほどだ。
 その、標準的な柔道場程度の空間の中心には、一人の少女が立ち尽くしていた。
 年で言うのであれば、俺や桑古木より二つ三つ下だろう。体躯も、俺等に比べれば二回りは小さい。
 その姿はこの空間とは対照的に、頭の先から爪先まで黒一色であった。
 肩口まで伸ばした黒髪。黒い瞳。黒い手袋。腰に携えた黒い鞘。黒い靴。そして全身に密着した黒のボディスーツ。その様はこの場に映えると言うよりは、まるでここに存在してはいけない異物であるかのように思えた。
「……よぉ。あんたが黒幕かい?」
「ふふっ……随分と陳腐な台詞を吐くのね?」
 やや高目の、良く通る声。俺達を見据える猫の様な丸い双眸には、肉食獣のそれに似た圧倒的な威圧感が存在していた。
「俺は結構、王道が好きでね。と言っても、四日くらい前から真面目に考えてたんだぜ?
 昨日なんかこれで行くかどうか悩み過ぎて、眠れなかったくらいだ」
 軽口を叩いておく。飲まれたら、その瞬間に終わりだ。
「面白い男……奥さんが居なければ、狙ってみたかもね」
「そりゃどうも。でも、あんたみたいにかわいい娘に略奪されるのも悪くないかもな」
「あら? 私の愛はツグミなんかより、ずっと過激よ。耐えられるとは思えないけど」
 意味の無い会話を交わし続ける間も、嫌な汗が止まらない。
「ココは何処だ?」
「御心配無く。奥の部屋で大人しくしてもらってるわ。あれでも一応第三視点保有者だからね……」
 言葉の真偽は、倒してから確かめろという意味か。
「そう言えば自己紹介がまだだったわね……私の名前はネプトゥヌス。って言っても、あんまし可愛くないから、ティニーでいいわ。あ、それとタケシとカブラキのことは知っているから、略してくれていいわよ」
「ネプトゥヌス……?」
「ローマ神話の海神よ。そして、ルナは月の女神……ま、キュレイに対する畏敬の念みたいなものかしら?」
 バカにしているのか本気なのか。真意は読み取れない。
「さて……後も詰まっているし、そろそろ行かせてもらおうかしら。残党を始末する仕事が余計に増えちゃったしね」
 音も無く、腰の鞘から刀を抜き放つ。いわゆるところの白刃の日本刀なのだが、金属光沢が独特なところを見ると、あれも合金製なのだろう。
 何の金属をどの位の比で混ぜたものかを見極める能力は、生憎持ちあわせていないが。
「人間にとって一番強力な武器って知っている?」
「……?」
 意味の無い問い掛けに聞こえた。
「それは日本刀よ」
「……初めて聞く説だな。どこの学者が言ってた?」
「私が決めたの。だって、私にとってこれ以上の武器って考えられないもん」
 刹那――彼女の姿が消えた。
 いや、この表現は的確でない。俺が瞬きをするほんの僅かな時間に、視界から消え失せたのだ。動転して首を左右に振るが、それだけの時間は彼女にとって、あまりに多大で――次の瞬間、俺は壁に激突する自分を認識していた。
「武!!」
「……おっそ〜い」
 桑古木がティニーにハンドガンを突き付ける。しかし引き金に指が掛かる時に、彼女は既に桑古木の右側を通り抜けていた。
 サンッ。まるで薄い紙片を鋭利な刃物で切り裂くかのような軽快な音。桑古木の右腕の付け根部分から血が吹き出すまで、ものの一秒も掛からなかったのだろうか。
「あ……ぐあ……」
 痛みからか、その場に崩れ落ちる。その反動で銃口が火を噴いたが、弾丸は空しく地面にめり込むだけであった。
「あ〜。もう、何でこんなに良い感触なの。生きた肉を切り裂くのって♪」
 美味しいお菓子を食べた子供の様に、無邪気な笑みを浮かべた。
「信じられないって表情ね。でもね、私にとって殺戮本能は、食欲や性欲、知識欲を満たすなんかより、よっぽど高度な興奮を与えてくれる。
 あなた達、楽には殺してあげないから」
 刀に付着した血糊を、飴玉やソフトクリームにするかのように、そっと舐め取る。もちろん、無邪気な笑みを浮かべたままだ。
 こいつら、ここまで狂ってやがるだなんて――。
「さ〜て……タケシの肉はどんな感じなのかしら」
 刀を下方に垂らしたまま、こちらに駆け寄ってくる。
 畜生! 速すぎる!
 ハンドガンを使用するより、忍者刀の方が、動作数が少ない分、接近戦では有効だ。訓練で教わったことを反射的に思い起こし、腰から抜き放つ。
 キンッ。頭上に掲げた忍者刀がティニーの刃を受け止める。
 ……こいつ?
 判断に時間を費やしている訳にはいかない。俺は峰に添えた左手をすかさず外すと、ティニーの右手首に掴み掛かる。
「……やっぱり……お前、腕力自体はあんま強くないな?」
「……御名答」
「だったらちょこまか出来ない様に、この手首、放しやしねえ! 『世界最強の小娘』と毎日渡り合ってる男を舐めんなよ!」
 何の因果でそんな女性が伴侶なのかは、後々時間がある時にでもじっくり考えることにしよう。
「夫婦って奴は、発想まで似るのかしらね〜。でもね……私をアドニスなんかと一緒にしないで欲しいかな?」
 途端――視界が反転した。何が起こったのかは理解できない。唯一つ言えることは、気付いた時、俺は床に背中を叩きつけ、天井を見上げていたと言うことだ。
「背負い投げの要領ね。左手を放さないことが分かっている以上、こっちは重心をほぼ完全に把握することが出来る。左手に神経が集中してる分、忍者刀はおろそかだったしね」
 嫌味な解説が、右耳から左耳に通り抜けていった。
「……ふふ♪」
 極上の笑みを浮かべたまま、刀を振り下ろしてくる。避けようにも、右肩を踏みつけられたままでは、どうしようもない。
 ザシュッ。激痛が全身を走った。
 切り裂かれたのは、右上腕部。脂肪の層が薄く、神経が集中している部位だ。その痛みは尋常なものではない。
「気持ちい〜。良い男だと、度合が多い気がするのよね〜。性癖も関係してるのかな?」
 言いながら、第二撃を振り下ろしてくる。その部位は、先程の傷口。露出した神経に無機質な金属が擦れ、俺は声を上げることも出来ず、その場で身悶えた。
「良い表情……愛してしまいそうなくらい……」
 恍惚の表情のまま、続けざまに刀を振り上げた。
 パンッ――。
 空気の爆ぜる音がした。
 見てみると、桑古木が左手で銃を撃ち放したらしい。その弾はティニーの右頬を掠めたらしく、彼女からは生命の雫が滴っていた。
「たった一週間で、利き手じゃないのにこれだけの精度を出すなんて……天性の勘の良さか相当の地獄を見たのか……」
 言って、手の甲で頬を拭うと、赤く染まるその場所を舐め取った。
「自分の血って……まずい」
 唾と共に吐き捨てた。
 瞬間――彼女の姿が陽炎の様に揺らめいた。
 いや、違う。その時、彼女は既にその場に存在しておらず――俺が知覚したのは網膜に焼き付いた虚像に過ぎなかった。
「ぐ……あ……」
 次に俺が見たものは、桑古木を白刃で貫くティニーの姿であった。
 右手で柄を握り、左手を頭(かしら)に添える格好だ。ちょうど右胸の下、水平な刃が肋骨と肋骨の間を擦り抜けているのであろう。肺のある場所であるから、今の桑古木は息をするのも困難なはずだ。
「へっ……掛かりやがったな……」
「!!」
 遠目にもティニーの動揺が見て取れた。
「武! 今しかねえ!!」
 言って、ティニーの両の二の腕に掴み掛かった。ティニーは、頼みの相棒を遮二無二引き抜きにかかるが、びくともしない。
 あいつ――。
「多少の無茶をしなきゃ勝てねえ……か」
 呟きつつ、ハンドガンの弾倉を放り捨て、新しいものに変える。
 対キュレイ用炸裂弾。着弾の瞬間に、破裂し肉体を抉る特別製だ。開発中のため不発率が高いことや、あまりに残虐なため使用するのを躊躇っていたのだが――。
「生きて帰るため……か……」
 自分の存在意義が頭の中で空転する。人の生きる意味。どこまでが許されることで、どこからが神の裁きを受けるに値するのか。
 答の無い問いが堂々巡りを繰り返すが、時と共に霧散して消える。
 左手を差し出し、狙いを定める時に、それ以外のことは頭から消えていた。
「――」
 パンッ。二つの破裂音が共鳴した。
 一つの音は武の左手から。そしてもう一方は、ティニーの左脇腹からだ。
 人を、人ではない別の存在に変えるには充分すぎる一発だった。
「――」
 続けざまにもう一発。着弾個所は右肩の下方。肉体が抉れ、右腕が重力に耐え切れず、垂れ下がる。
 彼女は恐らくキュレイではない。これ以上生き続けることは不可能なはずだ。
「あ……」
 小さく声を上げると、呆けた表情になる。突然、両親が別々に暮らすと告げられた子供の様に、何が起きているか理解できていない感じだ。
 ティニーは左手で柄を握り直すと、左半身を前方に押し出し、力を篭めた。
「気持ち……いい……な……」
 その言葉を最後に崩れ落ちる。
 最早そこにあるものは人ではなく――また、桑古木に残酷なまでに降り注いだものも、既に人ではないのだ。
 俺は耐え難い虚しさが、やがて怒りに変わり、意味も無く壁を殴り付けた。
「……身体は大丈夫か?」
「幸か不幸か、簡単には死ねないからな。ま、ココの笑顔を見りゃ治るさ」
 無茶苦茶な論理だが、こいつならやりかねないところが侮れない。不覚にも苦笑してしまった。
「行くか」
「ああ……」
 これで全てが終わった。もう、俺達を阻むものは何も無い。
 ジュッ――。何かが焼けるかのような音がした。それとほぼ同時に、両足に激痛が走り、膝を突いてしまう。
 何が起きたか分からなかった。
「ティニーを倒すなんて素直に凄いね。結構、自信作だったんだけどな」
 奥の扉の前から、少年の声が響いた。これは――?
「でもまあ、彼女はキュレイじゃなかったからね〜。考え得る限界ギリギリの強化はしたけどね。でも、あんた達をここまで傷つけたなら上等かな?」
 桑古木も俺も、両腿をレーザー銃で射抜かれたことをようやく理解する。だが、もう既に力は入らず、うつ伏せのまま奴を見上げることしか出来ない。
「てめえ……アドニス……」
「そ。少しは驚いてくれた? でも、一眠りのつもりが十七年だったタケシには、まだまだ刺激が足りないかな?」
 扉の横の壁に背を凭れ、手持ち無沙汰な感じで銃を弄ぶ。
 何で、こいつが――。
「つぐみはどうしやがった!? いや――つぐみを倒したと仮定しても、お前がそっちから出てくる訳無いだろ!!」
 俺等が入ってきたのは後ろの扉だ。挟み撃ちを警戒して、外には空を残してある。考えられるのは、やられてしまったか、隠し通路があるかだが――。
「ツグミは無事だよ。満身創痍って感じで、その場に倒れ込んでるけどね。ま、どの道これから止めを刺しにいくんだから、安心してっていうのは筋違いだけど」
「……」
 理解出来ない。
「あれはRBMさ。但し、僕を模した僕自身が全てを統括する特別製だけどね。おっと、一人称と喋り方が少し違うのは気にしないで貰いたいね。どうも、自分の姿をした自分に似た存在を動かすのには抵抗があってね」
 ペラペラと、良く喋る。
 だが、一つだけ理解できることはあった。まだ、何も終わってないということだ。
「アドニス……そうか。ギリシャ神話のアフロディテの寵愛を受けた青年。その名の由来は『主』」
「へ〜、博識だね。流石は田中優美清春香奈女史の事実上の第一助手だ」
 御褒美だとでも言わんばかりに、銃を撃ち放つ。高い熱を持つ光の矢は、正確に桑古木の左の二の腕を射抜いた。
「ぐあ……!!」
「痛い? 痛いよね? くくく……キャリアなんて言っても、痛覚神経は並の人間と変わらないんだ。死ねないって辛いよね〜」
 ティニーとは違う歪んだ笑み。純粋に、他人の苦しみが自分の快感に転化するのが見て取れた。
「さ〜て。このまま嬲り殺しってのも乙だけど、時間も無いしね。と言って、下手に近付いたら何をされるか……僕って意外と慎重なんだよね〜」
 言って、指をパチンと鳴らす。
 途端――部屋の奥から、複数の人影が姿を現した。表情と生気の無い木偶人形、RBMであることはすぐに理解できる。だが、その顔は――。
「ティニーにルナ……?」
 ダース単位の同じ顔が並ぶ様は、壮観と呼ぶべきか否か――。
「ま、いわゆる量産型だよね。あ、君たちが倒したのはオリジナルだよ。この娘達は自我をもってないし、その分、戦闘力も17%ほど落ちてるしね。唯、メインコンピューターが直接統括してるから、コンビネーションは完璧に近いけどね」
 アドニスの声が、やけに遠く聞こえた。
「企画段階ではツグミを量産するって話もあったらしいんだけど、彼女の強さはパーフェクトであることと、極限状態で全身が研ぎ澄まされたことに起因するらしくてね。ま、そこら辺はおいおい研究してけばいいと思うけど。僕はあんまし興味無いけどね」
 小さく溜め息を吐いた。彼にとっての興味は、この優秀な戦闘機を乗りこなすことであり、動力系や翼がどうなっているかはどうでもいいのだろう。
「これで全てのキュレイ種が手に入る!! そしてあの『上位亜種』もね! これで僕達は更に強くなれるんだ!」
「それはどうかな?」
 不意に、声がした。十七年前の桑古木に似た、年不相応の幼い声。実に聞き慣れたその空気の振動に反応し、俺達は首だけを無理矢理そちらに向けた。
「ホクト……」
 痩躯で気弱で、戦うことに全く向いていない少年。五体こそ無事なものの、全身の至る所に傷を負い、見ているだけで痛々しい。
「下手な思い込みや予測で物事を判断しない方が良いよ。そういう自分勝手な妄想が心霊現象や超常現象を見せるんだから。ま、ユウの受け売りなんだけどね」
 片目を瞑り、飄々と言い放つ。
 息子よ……この場面でその余裕。お前は立派な芸人だ!!
「中々肝が据わってるね。それとも頭がおかしくなっちゃったかな?」
「お生憎様。こんなのユウや沙羅を相手にするのに比べれば、何てこと無いよ」
 さらりと言ってのけた。
「さ。時間も無いんだし、早く始めようか。お父さん、ごめんね。一番美味しいとこ、貰っちゃうよ」
 右手に握られているのは一丁のリボルバー。何処からか奪ってきたものなのか、見たことの無い型だ。
「くくく――」
 不意に笑みを見せた。
「いや、ごめんごめん。始めは小型の核爆弾でも持って玉砕するつもりなんだと思ったんだけどね。君の瞳は生きて帰る気のそれだ。この打開策があるとは思えない状況の中で、ね」
 淡々と、分析を口にする。
「理解したよ。君は只の時間稼ぎだ」
 ピクリと、ホクトの眉根が動いた。
「サラを使って、システム全てを乗っ取ってしまうっていうのは良いアイディアだと思うよ。中央に近付けば近付く程、侵入は容易になるし、あの天才児なら理論上は可能だろう。でも、一つ忘れてることがあるよ」
 小さく、含み笑いをした。
「代替のシステムが無い。破壊するだけでは脱出に支障をきたすし、膨大な情報の中から管理システムのみを書き換えるのは非現実的だ。となれば、統括システムが必要だが、サラがそれを組み上げるのに要する時間は概算で476時間。仮に彼女がこちらの予想を大幅に越える能力を発揮したとしても、君にそれだけの時間を稼げるはずが無い。
 ちなみに君が伝説の戦闘種族の子孫なんてオチはご遠慮願うよ」
 冷めた目でホクトを見据える。人を見下した嫌な目付きだ。
「さて。無駄と分かっていても、時間を稼がれてるのはあまりいい気分じゃないんでそろそろ行くよ。そうだ。勝ち抜き制にしようか。全員同時だとまるで弱いものいじめだからね」
 完全なる強者の論理。
 ちくしょう!! 動けよ、俺の身体!!
「ふふ」
 微笑んだのはアドニスではない。ホクトだ。
「良かったね、お父さん。ぼく達の勝ちだ」
 途端――彼女達の持つ全ての刃の切っ先、並びに銃口がアドニスに突き付けられる。あまりに唐突で、何が起きているのか、理解できなかった。
「アドニスの方こそ一つ忘れてるよ。統括システムはぼく達の手の内にある」
 言葉と共に後ろの扉から姿を現したのは、沙羅と優の娘、そして空だった。
 沙羅の手には、例のノートパソコンが抱えられており、又、空の右手が本体部分に添えられている。その接点には何か青白い光が発せられており、何らかの操作をしているということは、素人目にも見て取れた。
「バカな!? ソラはLeMMIHをサポートする疑似人格システムに過ぎない! こんな巨大なものを支配することなんか出来ないはずだ!!」
 半狂乱になり、声を荒らげた。
「……以前の私でしたら不可能だったでしょう。ですが私は人間です。プログラムは超越してみせます」
 力強く言い切った。
 それでこそ、俺の生徒だ!!
「さあアドニス、投降して。沙羅や空に、これ以上人を傷付けさせたくないんだ」
 完全に立場は逆転した――はずだった。
 だが次の瞬間、アドニスはその姿を消した。何のことは無い。沙羅と空がそれに反応し、命令を下すよりも、彼の動きの方が早かっただけのこと。唯、それだけだ――。
「お前らなんか、僕一人で充分だぁ!!」
 パンパンパン――。破裂音が三つ。それと同時に、人間が肉片へと変わる音も三つ。
 さっき俺が使ったのと同種の炸裂弾。着弾個所は、右太股、左胸、そして喉元。
 凝視するにはあまりに残酷な現実。だがこれは真実に他ならない。
「遅くなったな」
 最後の最後で主役の座を横取りした拓水の声に、俺は本当の終焉を実感し、意識を混濁させた。



エピローグ



「……でだ。みんな無事に帰ってきたのは良しとしよう。だが、一つどうしても言いたいことがある!!」
「何よ? 全員生還して、これ以上何か望むものがある訳?」
 優の淡々とした口調に腹が立ったが、とりあえずそれは飲み込んでおいた。
「何でお前ら、んなにピンピンしてやがんだ!? 俺だけ入院一ヶ月ってどういうことだよ!?」
 納得いかねぇ!! 仙猫様が持ってる豆でも食ったんじゃねえか!?
「仕方ないでしょ。重傷だったのは私とつぐみと桑古木で、あんたはまだ完全にキュレイって訳じゃないんだから」
「どうすんだよ!? 俺は一月も寝てられるほど暇じゃないぞ!!」
「そこは何とか処理しといてあげるわ。ま、休養だと思って諦めなさい」
 ちくしょう……こうなったら白衣の天使様とお近付きになるか。
 バカな妄想をしてみるが、左腕と左足にギブス、右腕右足も仰々しい包帯が巻かれている今、逃亡もままならないことに気付き、計画は計画のまま終わった。
「それじゃあね。つぐみが来てるから今日のところは帰ってあげるわ」
「へいへい」
 投げ槍に返答した。一月も何してろってんだよ……。
「武、大丈夫?」
 入れ替わりに入ってきたつぐみに、そう声を掛けられる。
「……随分、意味の無いことを聞くんだな?」
「でも、無責任ではないわ」
 何処かで交わした会話の改訂版。知的とは言い難いが、お互いが安心できるので意味はあるのかも知れない。
「ねえ……私と居ると、ひょっとしたらまた今回みたいな事件に巻き込まれるかも知れない。でも武はいつでも私と一緒に居てくれるわよね?」
「……おい。普通はお前が身を引こうとして、俺が『お前と一緒に居たいんだ!』って叫ぶのがお約束じゃないのか?」
「じゃあ、武はついてきてくれないの?」
「……」
 いたずらっぽい微笑み。完敗だった。
「あ、そうだ。わりぃんだが、胸ポケットに入ってるもん、取ってくれねえか?」
 そっと手を忍ばせ、取り出してもらったものは濃紺の小箱。旅先で渡すつもりだった真紅の指輪。だが、その中は――。
「イルカが取れちまったんだ。ま、その内修理に出すから、今はこれで勘弁してくれ」
「……いいのよ。このままで」
「え?」
 理解できなかった。
「形ある物はいずれ壊れる。だから美しいんだし、価値もあるんだと思うから」
 胸が詰まって、何も返せなかった。
「つぐみ……」
 右腕を無理に動かし、そっと髪に触れる。そしてそのまま抱き寄せようとしたの
だが――。
「あのね、武」
 途端――つぐみは手元にあったボールペンを扉に向け、投げ付けた。
 ドン、という鈍い音と共にペン先が扉の横の壁、ちょうど電灯のスイッチの下辺りに突き刺さった。
「そういうことは出来るだけ人が見てないところでするものよ」
 見てみると、僅かに開いたドアからは見覚えのある顔が。
 優、空、ココ、沙羅、ホクト、優の娘。おいおい、関係者全員か!?
 あ……桑古木が居ない。
「さて……じっくりと話を聞かせてもらおうかしらね」
 小悪魔的なつぐみの微笑み。
 俺は在るべき日常に帰ってきたのだと、心の底から実感していた。

                              了



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