6/16 PM1:55 とん。 「あ、すみません」 廊下ですれ違いざまに肩をぶつける。 咄嗟に謝って、ぼくは彼を見た。 気にも留めていないように―――いや、彼はまるで、ぼくがぶつかった事にさえ気付かなかったように虚空を見上げていた。 どうしたのだろう? 「あ、あの……?」 「え? あ、あぁ……」 はっと我に返るように、彼は辺りを見渡してぼくに焦点を合わせる。 「いいや。オッケー、気にしてない。大丈夫だ」 彼はフランクに笑いかけてくる。 しかし、その後すぐに表情は曇った。 ぼぅっと、ぼくの前に、ぼくを見定めるように立つ。 その瞳は、やはり虚ろ。 まるで、ぼくではなくてその向こうにある“何か”を見つめているようにさえ思えた。 ぼくは釈然としないままその場を後にする。 その間。 ぼくが自分の教室に入るその瞬間まで、“ぼくを見ていない視線”はずっと付きまとっていた――――。 |
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6/17 PM0:34 「冷たい」 ボクはずっと、その場所に座っていた。 「冷たい……」 そして、じっと缶を見つめている。 いつからそうしているのか。 いつまでそうしているのか。 分からない。 ボクには何も、分からなかった。 缶はボクの太腿の外側に倒れていた。 こぼれた中身の液体が、じんわりとお尻のほうまで染み渡っている。 缶を落とした瞬間に濡れただろうズボンの表面は半分乾きはじめている。 もうずいぶん長い間こうしていたようだ。 「ここは……」 顔を上げた途端、ボクは軽い眩暈に襲われた。 「うぅ……」 眩しくて目が眩んだ。 太陽がさんさんと輝いている。 プラスチックの簡易なベンチにボクは座っている。 見渡すと、コンクリートの大きな建物―――校舎。 どうやらここは、学校か何かの中庭のようだ。 「……学校?」 誰の? ボクの。 そう、ボクの通っている高校……だと思う。 「あ、れ……?」 頭が割れるかと思った。 「思い、出せない……?」 そう。 ボクは、記憶を失っていた。 「……そっか。記憶喪失、かぁ」 不思議とあまり驚きはしなかった。 まるで、こんなことは度々あって身体が慣れてしまっているみたいだ。 「ボクの名前……」 思い出せない。 ボクは、何か手掛かりになるような物が無いかとブレザーやズボンのポケットに手をやった。 「倉成、ホクト……」 やがて見つかった生徒手帳。 2−C組、出席番号41倉成ホクト。 それが、ボクに関するすべての情報だった。 立ち上がる。 「ああ、そうか」 そして、全てを知った。 倉成ホクト。 それが名前。 それはボクであり、同時にぼくの名前だった。 ぼくは、倉成ホクト。 そして、ボクは――――― 「ボクは今、ここにいるんだ……」 ブリックヴィンケルと誰かが言った。 それはボクであり、ボクの名前であり、ボクの存在。 ボクは今ここにいる。 理由は分からない。 何故ボクは、こうしてまたこの世界に発現してしまったのか? ボクは何時、何に錯覚を起こして呼び出されたのか? それはとても些細な事だ。 「―――そう、そうだ。……会いに行かなきゃ……」 かつて約束した。 もう一度会おうと。 確かに、約束したんだ。 「ココ」 ボクは知っている。 今、ココがどこにいるかを。 「最寄りの駅から二駅先の、駅前のデパート……」 そこにココがいる。優美清春香菜と優美清秋香菜。そして空と桑古木も一緒だ。 ホクトにはちょっと悪いけど。 ボクは学校の抜け出して、彼らに会いに行く事にした。 PM2:08 「……ボクは、どうして……」 確かに、ボクはそのデパートを目指していたはずだ。 それなのに―――いつの間にか降りるべき駅を通り越して、その三駅先で下車。来た事のない住宅街を迷わず進み、この場所に来ていた。 知らない場所―――。 当然だ。 ボクは、いや、ホクトはこの場所を知らない。 そんな場所を知っているはずがなかった。 「ならこの家は……何?」 無意識に足を運んだ一戸建ての家。 建てられてまだ一年かそこらか。新築同然の佇まいをもって、そこにある。 「ここはボクの家……?」 表札は――――耶月。倉成ではなかった。 武達の家じゃない。優美清春香菜の家でも、桑古木の家でもない。 「ここはボクの家じゃない……。なら、何でボクは、こんな所に来たんだ……?」 じりじりと日差しが照りつける。 確か今日は6月の17日だ。 一昨日までの雨が嘘のように、まるで梅雨明けしたかのように暑い午後。 立ち尽くしていたボクは、軽いめまいを覚えた。 「……どうかしてる」 かぶりを振る。 ボクがここに来たのはボクの意思じゃない。そしてホクトの意思でもない。 なら、誰の意思―――? そして、さっきからずっとこの身体の主であるホクトに呼びかけているのに、ホクトはまったく答えてはくれない。 ――――キミはダレ……? ボクは――――ダレ……? 虚空に問う。 返事は無かった。 PM5:42 3時頃にPDAが着信音を鳴らしたけど、出た途端電池が切れた。 知り合いに連絡する手段を失ったボクは、見知らぬ町を一人さまよい歩いた。 ココに会いたい。そんなボクの感情なんかまったく意に介さず、ボクの身体は歩き続ける。 十字路を左に曲がったと思えば、ぐるっと住宅地を一周して元の十字路に戻り、今度は右に曲がる。 そこに法則性は無い。あるのはただ――――恐怖だけだ。 ボクがボクでないような感じ。 ボクでもなく、ぼくでもない。そんな『誰か』が歩き続ける。 まるで、そこの角を曲がった場所で、誰かとばったり出くわす瞬間を待ちわびているような―――― 「あ――――」 そしてそれは、ボクの目の前に現れた。 「――――――」 凝視する。 その容姿を。 「――――え?」 金髪の髪。 「そん――――な……」 母親譲りの釣り目。 「あ……あぁ……っ」 かつての『少年』今の『ホクト』。 『彼』が、今。 「どうかしたんですか?」 ぼくが、ボクの目の前に立っている――――! 「嘘だっ!」 「え……!?」 ボクは理性を失ったかのように声を荒げて、ホクトの胸倉を掴みあげた。 「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だっ!!」 だって、こんな事ありえないじゃないかっ! ホクトはボクだ! ぼくがホクトだ! それなのに、何でホクトが目の前にいるんだっ!? それは、ひとつの視点に過ぎないボクがこの世界に発現する事によって得たもの―――激情。 有り得ない。そんな事有っていいはずが無い。 「何でぼくが、ボクの前にいるんだっ!!」 「痛……! や、やめ……ろぉっ!」 「うわっ」 振りほどかれる。 肩で息を整えるのホクト。それ以上に息を荒げているボクは尻餅をついて彼を見上げる。 彼は……やはりホクトだった。 「お兄ちゃんっ!」 聞き覚えのある声。 「―――沙羅」 そう、沙羅だ。 松永沙羅。……いや、今は倉成沙羅、か。 どちらにしろ、沙羅がボク達を見れば驚く。 何せ、ホクトが二人になってしまったのだから。 「お兄ちゃん、大丈夫!?」 「……え?」 沙羅は――――向こうのホクトに駆け寄り、その手を取った。 ボクはぽつんと、世界にひとり取り残される。 ボクは――――ホクトではない……? だって、生徒手帳……ボクがホクトの生徒手帳を持っていたんだから、ホクトは、ボクのはず―――。 ――――そういえば。 ボクはまだ、この世界に発現してから一度も鏡を見ていない。 「センパイっ!」 声を掛けられ、ボクははっとなった。 ―――沙羅ではない。知らない、見た事の無いボフカットの女の子だった。 「平気ですか? ――――耶月センパイ」 ヤツキ、センパイ……? 指が震える。 視界がうわんうわんと回り続ける。 そんな上も下も分からなくなった世界の中心で。 ボクは、ブレザーの内ポケットから、折り畳み式の小さな鏡を取り出した。 「――――――あぁ……」 世界が、 ボクの立っていた世界が、足元から瓦解する。 その先は、深い、深い闇だった。 そんな深淵に飲み込まれ、ボクという存在が同化していく。 『少年』はボクの知ってる『少年』ではなかった。 鏡に映る、『ホクト』ではない『誰か』。 ボクはホクトじゃなかった。 ボクは、この見知らぬ少年をホクトだと錯覚していた。 全てに気付いた瞬間。 ボクは、楔を失った。 この世界に留まっていられるヨリドコロを、完全に見失ってしまった。 ――――PM5:59 ボクは、世界を観測する視点の1つに戻った。 |
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