ただよう。 世界にただよう。 ボクは視点の1つに戻り、湧き上がる何1つの感情を持たないまま世界を観測する。 ボクは世界を覗き、そして見知ったひとりの女性に辿り着いた。 ――――小町つぐみ。いや、倉成つぐみ。 『お兄ちゃん、家に戻ってない?』 沙羅からの電話。 それが始まり。 この事件は、ホクトが行方不明になった瞬間から始まったようだ。 いいや、ひょっとしたらそれよりも以前。 ボクが発現してしまった原因から、全てが始まったんじゃないのだろうか? ともかく。 一本の電話が、開幕を告げた。 |
幻視同盟 製作者 REI |
6/17 AM8:51 電話のコール音が鳴る―――。 「……倉成ですが」 起きて間もなかったつぐみは、眠い目を擦りながら受話器を取った。 「……えぇ、沙羅。どうしたの? こんな時間に。学校からかけてきたの?」 電話は沙羅からだった。 内容は、ホクトが家に戻っていないか、というものだった。 「戻ってないわ。それに朝、あなたと家を出たはずでしょう?」 沙羅がホクトと同じ県立高校に転校してから1ヵ月が過ぎていた。 その間毎日二人は一緒に登校していた。今朝だって、玄関まで見送った時は一緒だった。 つぐみはその時半分眠っていたらしく、電話越しの沙羅に曖昧に頷くだけだった。 「保健室や職員室は調べてみた? あと、まず無いでしょうけどユウの所とか」 ユウ。優美清秋香菜。つぐみは口にして苦笑した。ホクトの学校はこの日半日で終わる。そしてホクトは、午後から優美清秋香菜達と買い物の約束していたのだ。授業をサボって会いに行く理由は無いし、それにあのホクトがそのために学校をサボるとはどうしても考えられなかったのだ。 「家には電話無かったから。……ええ。そんなに心配なら、武にも聞いてみたら? ……そう、分かったわ。今日は寄り道せずに、ホクトを見つけたら真っ直ぐ帰ってきなさい。いい?」 コードレスの受話器を戻すと、つぐみは思案顔のままソファにもたれた。 「……まさか、ね」 危惧を振り払うようにつぐみは失笑する。 そう、それは危惧に過ぎない。 ライプリヒは事実上消滅。もう何もできやしないのだ。 思い立ったようにつぐみは立ち上がってキッチンに向かった。 途中、ダイニングテーブルにラップのかかった小皿を見つける。 皿の横に、メッセージカードが置かれていた。 『起きたらコレ食べるよーに。あと、昨夜はチョーシ乗って悪かった!』 武からのものだ。 昨夜、何かあったのだろうか? 「―――まったく」 つぐみは怒っているようには見えない。むしろ、頬を染め上げて、同時に嬉しそうにはにかんでいるようだ。 喧嘩ではないらしい。 つぐみの朝食はサンドウィッチだった。 PM1:25 二度目のコール音が鳴った。 つぐみは昼間パートに出る。が、今日は非番だった。 意外とレパートリーが豊富だった武を見返すため、料理の本を眺めていた、そんな昼下がりの事だった。 『あ、ママ!? よかったぁ、田中先生達とデパートには行ってなかったんだぁ』 受話器を取ると、それは沙羅からだった。 「ええ。誘われたけど、日差しが強いし、それに今日は夏の水着を見に行くんでしょう? 私はたぶん、無理だから……。それより、どうしたの? 急いでるみたいだけど」 『あ〜、そうそう、急ぎよ急ぎっ!』 沙羅は慌てている様子で、受話器越しでもその大きな声が聞こえた。 『ママ、私ちょっとお兄ちゃん探してから帰る! 場合によっちゃあ遅くなるかも……って、あ、あ〜っ電池! 切れるな切れない切れないでぇ〜』 つー。 切られた。 いや、沙羅のPDAの電池が切れたのだ。 ふぅ、とつぐみは吐息を漏らす。 沙羅はホクトを探しに行くらしい。 「手掛かりがあるって事ね」 いつもどおりの沙羅。いつもの調子の沙羅の声。 切羽詰ってはいたが、深刻な事態ではない。 吐息は、安堵のものだった。 PM4:34 ――――その日、三度目のコール音が響いた。 「……誰かしら。こんな時間に」 それまで構ってやっていたチャミを籠に戻して立ち上がる。 おそらく、沙羅。 ホクトが見つかったとか、何をしていたかという報告の電話。 それなのに。 つぐみは警戒するように子機を睨みつけていた。 コール音は続く。 つぐみは受話器を取ろうとして、緊迫した。 ――――非通知。 表情が強張る。 沙羅と一緒に登校したはずが、学校に出席していなかったホクト。 探しにいくという沙羅からの二度目の電話。 もし、ホクトが何らかの事件に巻き込まれていたとしたら……。 嫌でも、ライプリヒか、それに属する何らかの組織からの電話ではないかと勘繰ってしまう。 ―――コール音、17回。 つぐみは吐息を漏らす。 ライプリヒはもういない。 そしてこんなにも平和な生活を手に入れたのだ。 どうせ、ホクトか沙羅の大学受験に向けての塾や家庭教師の勧誘に決まってる。そう高を括ってつぐみは受話器を手に取った。 「はい、倉成ですが」 それでも、受話器を取ったつぐみの声は、震えていた。 「―――――なん、ですって……!?」 強張る。 言葉も、仕草も、心も手首も喉元すらも。 「―――――――――――――」 電話はたったの十数秒足らず。 相手が一方的に喋り、そして一方的に切った。 ただ。 つぐみをソレに駆り立てるには、十分すぎた。 瞳に宿り、全身から滲み出るものは紛れもない殺意。 そこには既に、夫や子供達の帰りをペットのハムスターと戯れながら待つ新妻の姿は無かった。 あるのは、そう―――――。 人の辿り着く怒りの境地を超えた、1人の修羅だった。 ばたんっ! マンション全体を揺るがす勢いで玄関の戸が閉まる。 ドアノブは凄まじい握力で変形していた。 『―――――倉成つぐみだな。倉成ホクトは我々が預かっている。無事返してほしくば、今日17:30までに上水処理場裏手口まで来い。このことは誰にも言うな。優美清春香菜にも、倉成武にもだ。もし告げた場合は、倉成ホクトの命は無いものと思え――――』 誰もいなくなったリビングから、かたり、かたりと音がする。 まるで、つぐみの身を案じるように。 チャミが、籠の中で暴れていた。 PM5:30 人払いをしているのか、それともこの上水の管理そのものが奴らの手中にあるのか。 その場所は、つぐみと、そして十人以上の黒づくめの男達しかいなかった。 日は沈みかけている。 もともと人通りの少ない場所だ。銃声が響かない限り、誰もこの場所に割って入りはしない。 「……喋れるうちに聞いておくわ。あなた達、どこの組織の者? ライプリヒじゃない事だけは分かるけど」 つぐみらしからない。余裕の態度で、黒服達に問い掛けている。 「答えないの」 ―――いや、違う。 「そう、あなた達が悪いのよ。死んでも、恨まないで」 余裕でも何でもない。 浮かべる笑みは、狂気の塊。 何かを話していなければ―――饒舌に、喋り続けていなければ、きっとつぐみはその激情を抑えきれない。コントロールできずに暴発してしまう。 黒服達は、各々構えた。 「……全員徒手空拳? なめないで。私の事どうせ調べつくしてるんでしょう? ナイフでも役不足よ」 つぐみは構えない。ただ、その双眼で黒服達を睨みつけるだけだ。 一呼吸半の間を置いて。 ――――黒服が、爆ぜた! 「――――っ」 先陣を切った男の拳がしなるように打ち込まれる。 ―――中国拳法。俄仕込みのものではない。本格的に格闘技を習った者、それも、実践のための訓練を受けてきた者の動きだった。 同時にもう一人。鞭のようにしなる右足が、まるでゴムが弾けるように真っ直ぐつぐみの頭部目掛けて打ち出された―――! それを、つぐみは。 「………」 弾丸のような腕を払い除け。コンクリートを砕くハイキックをその細腕で受け止め。 「っあああああっ!」 身を沈めた次の瞬間には、二人の男は宙を舞っていた……! つぐみの動きは止まらない。 意識を失い崩れ行く男の肩を踏み台に跳躍。男達の密集地、その中心に躍り出た。 男達が構え、攻撃の動作に入るその一動作の間につぐみは男の足を払い、よろけた男の鼻頭に拳を叩き込む―――鼻が折れている。 振り向かず、肘を全力で後方に叩き込む―――背後から狙っていた男の肋骨は粉々に。 正面―――視界に入った男を睨み、身体の重心が後ろに移ったそのバネを利用しての膝蹴りを繰り出す。 まるで大砲だ。顎が砕けた男の両肩を掴んだまま無造作に持ち上げ―――80kgはある大男が軽々持ち上がっている!―――、慄く黒服に向けて放り投げる。 一瞬の混乱に乗じて、つぐみは統率の砕けた黒服達を一人ずつ各個撃破。 PM5:31 人の山が築かれた。 つぐみは肩で息をしている。 疲れたからではない。 その噴火口のように噴き出す激情のためだ。 それはまるで、沙羅を叩いたつぐみに食って掛かったホクトを想起させるものだった。 「―――――さすがですね。倉成つぐみさん?」 突然響いた声に、つぐみは思わず毒を抜かれたように呆気に取られた。 「……女の子?」 少女の長い黒髪が踊る。 人形の超に整った顔立ち。しかしその表情は人形のそれではなく、他者を侮蔑する傲慢者のもの。 制服。そのブレザーは見覚えがある。 沙羅が毎日着て行くブレザー。 ホクト達の通う学校の制服だった。 「はじめまして。佐倉明日香と申します。以後、お見知りおきを」 「佐倉……って、ここら一帯の重工業を仕切る、SAKURAグループの……?」 「そうです。……貴女は確か、父の運営している、地方の小さな工場で働いていたのでしたね」 「……SAKURAグループがキュレイの研究をしてるなんて初耳ね。まあ、重工業なんて今時大手企業が利益を独占する時代だから、SAKURAグループも先が見えた、と言ったところかしら? それで、私というキャリアを―――」 「違います」 佐倉 明日香の声が、つぐみの―――あのつぐみの言葉を遮った。 「SAKURAグループは関係ありません。……これは、私個人の独断です」 「独断!? 嘘を言わないで。なら、さっきのあの男達は何? 企業の雇われでしょう!」 「いいえ。彼らは企業ではなく、私専属の『スタッフ』です」 「『スタッフ』……?」 「私はその活動から、父よりも敵が多いのです。戦闘員、諜報員、そして医療班は必要不可欠ですから」 この佐倉という少女は得体の知れない何かがあった。 「それにしても、変わられましたね。小町つぐみさん? 以前の貴女なら、こうして彼らを生かしておく事はしなかったのですが―――全員、虫の息とは言え生きてます。……まあ、家族を持った今、その手を血に染める訳にはいきませんでしょうし」 以前―――彼女は、かつてのつぐみを知っているのだろうか? 「昨夜は冒険しましたね。お子さんが隣の部屋で寝ているというのに。……まあ、そのスリルがいいと言う人もいますが。けれど、倉成沙羅は気付いていたみたいですよ? 朝、倉成武を冷やかしていたようですし。テーブルのメッセージも、彼なりの反省の現れ、といったところでしょうか」 「…………」 つぐみは言葉を失った。 監視されていたとでもいうのだろうか? けれど、ボクもつぐみも知っていた。 倉成の家に、盗聴器も監視カメラもありはしないのだ。 だったら、なぜ……? のまれている。 つぐみは、得体の知れない彼女のペースにのまれている。 それに気付いてか、つぐみは全てを振り払うように声を張り上げた。 「そんな事どうでもいい。……ホクトは何処!?」 ゆっくりと詰め寄る。 佐倉は芝居めいた仕草で肩を竦めて、 「彼なら、ここにはいません」 つぐみの足が、止まった。 怪訝そうに、つぐみは佐倉 明日香を睨み付けた。 「……取り引き、という事? ホクトを返して欲しくば言う事を聞け、って類の」 佐倉は答えない。ただ、嘲笑にも似た微笑を浮かべるだけだった。 ホクトはここにはいない。 なら、つぐみはどうしてでもその居場所を聞き出さなければならない。 それなのに。 「いいえ? 元々、私は彼を拉致などしていませんから」 佐倉の言葉は、予想外のものだった。 「狂言、だったの!?」 それはおかしい。 何がおかしいかといえば、最初から全てがおかしかった。 朝から行方の知れないホクト。 心の片隅に常に1つの危惧を抱いていたつぐみ。 そして、その陰にある、ライプリヒに狂わされたつぐみ達の過去。 それら全てを知り得た上で、この狂言は本物の誘拐劇と錯覚させるに至る。 なぜ、佐倉という少女はそれらを知り得た? 彼女の『スタッフ』という諜報員の活動があったからだろうか? ―――違う。 つぐみの過去や、家でのプライベート。 もっと深いところで、佐倉という少女は全てを知っていたのだ。 「別に不思議がる事ではありません。ただ私は、人や物事の過去を視ることができる、ただそれだけです。……何でしたら、もっとあなたの過去当てをして差し上げましょうか?」 「――――っ!!」 つぐみは、薄ら笑いを浮かべる佐倉に今にも殴りかかりそうだった。 そこへ、新たに大きなケースを抱えた黒服が二人、佐倉に駆け寄ってきた。 小声で何かを話す。 「……5:59。そろそろ大丈夫でしょう。私の、当初の目的は達成されました」 「目的……?」 「貴女の足止め。貴女がとある事件を知り、その場所へ赴かないよう仕向けるのが私の役割です」 「………?」 要領を得ない。 誰が、何の目的で、つぐみを何に関わらせないよう足止めしたのだろう? 「それでは、ご苦労様でした。私はこれで失礼します」 「――――っ、ちょっと、待ちなさい!」 踵を返して立ち去ろうとする佐倉を、つぐみは呼び止めた。 「何です? 倉成ホクトなら、今頃妹さんと、そして私の仲間が保護しているはずです」 仲間。そして、保護という言葉。 佐倉明日香にライプリヒと同類というような先入観を持っていたからか、つぐみはその言葉を聴いた途端不機嫌さに拍車がかかった。 「……このままで済むと思ってるの!? ――――よりにもよってあんな電話で呼び出して、しかも狂言で、挙句何の説明も無し……! 一体、どういうつもりよ!」 食って掛かるつぐみを、佐倉は気圧されることなく、逆に侮蔑の目を向けた。 「……心外ですね。感謝されるなら分かりますが、文句を言われる筋合いはありません。私は、貴女の命の恩人になったのですよ?」 「っ!」 「答えたいところですが、生憎私には後がつかえています。どういうつもり―――などという、そんな『意味の無い質問』にお答えする気はありませんので」 ずっと握り締めていた拳を開いて、それを佐倉の頬目掛けて振り上げるつぐみ。 その細い腕を、黒服が掴み上げた。 「離しなさいっ!」 もう片方の腕で黒服の腹部に強打を浴びせる。 膝から落ちた黒服を、白服の救護班がすぐさま運んでいく。 佐倉は振り返り、ライオンをも射殺せるほどの殺気のこもった視線で睨み続けるつぐみを一瞥した。 「――――そうですね。『私達』の目的は終わりました。……けど、『私個人』の目的は達成されていません。……ここで恩を売り、気を許しかけた貴女から難なく遂行しようと思っていましたが、やめにします」 「あなた個人の目的……?」 「――――キュレイ」 ぴくり、と、つぐみの挙動が一瞬だけ停止した。 「研究すれば、それは富に繋がる金の卵と聞き及びます。が、私は富などというものに興味はありません。ですが―――」 何かの予感を感じてか、つぐみはその場から駆け出そうとした。が、上水処理場の裏手口も、正面へと通じる小さな路地も、『スタッフ』が封鎖していた。 「私は、貴女のその不死に興味があります」 薄く微笑む佐倉。 隣にいた黒服が、その大きなアタッシュケースを、開いた。 「ですから」 ケースから出てきたモノ。 黒光りする、筒。 肩に担ぐ、大きな筒。 「その血を少々、戴きます」 「――――っ!」 火薬の匂いが鼻をつく。 蒼白。 つぐみは、弾けるように地を蹴った。 向かうは上水。 地を蹴り、フェンスを一動作で乗り越え、その水面に身を投げ―――― 身を投げる前に。 轟音と閃光が、つぐみを飲み込んだ――――。 PM6:34 「……先ほどの音は、気の早い人が夏を前にロケット花火を打ち上げた。そう処理しておきなさい」 佐倉は『スタッフ』の一人にそう伝え、巨大な穴の開いたフェンスを取り外して運んでいく別の『スタッフ』に急ぐよう催促した。 ついでに、爆発によって吹き飛んでしまった上水を舗装していたコンクリートをもう一度見下ろした。それは明らかに今すぐにどうこうなるものではなかった。大掛かりな工事が必要だ。 「明日香お嬢様。撤収の準備が整いました」 「―――そう」 無関心に頷き、佐倉は踵を返して歩き始める。 「……倉成つぐみは、探さなくてよいのですか?」 「―――なぜ?」 「仮にも、66M72を使用したのですから」 66M72ロケット弾。長方形の巨大な黒いケースの中身は、ロケットランチャーという代物だった。 「別に? 確かに直撃でないにせよ、多少の傷は負わせているでしょう。けれど、一昨日までの長雨で増水した川に逃げ込まれたのですから。下流にラインを敷いている間に別の場所に逃げ遂せています」 「はあ……」 生返事を返す黒服。 「それに何度も言うようですが、今回の目的は、倉成つぐみを5:34までに外に連れ出す事、それだけです。キュレイの入手は、言わばおまけに過ぎません」 おまけと言いつつも、佐倉は心底残念そうに吐息を吐いた。 「……キュレイの不死、ですか。明日香お嬢様は、なにゆえ不死に拘るのですか?」 「――――そうですね。……この世の終わりを見たいがため、でしょうか……?」 「は、はあ?」 「冗談、ですよ。人は誰だって、老いと死を恐れるものです。私のそれは、人よりも少しばかり大きいだけ。……そんな事よりも、次の場所へ向います。あと20分も無いのですよ? 7:00までに突入、ライプリヒ残党を一人残らず拘束、のち、警察が突入する前に指定のルートから撤退。……本当に忙しいのはこれからです。気を抜かないように」 佐倉は言い切り、早足にその場を後にした。 ―――早足。しかし、その足は重そうに見えた。 佐倉は黒服に感付かれないほど小さく吐息を吐く。 「……約束を、破ってしまいましたね」 独りごちて、佐倉は空を見上げた。 ―――いや、空ではない。 空と、そして佐倉の中間地点。 つまり――――ボク。 ボクという1つの視点を、じっと見据えていた。 「生じてしまった過去はその姿を変えない……。 貴方が介入しようとも、変化を起こすのはY軸の左、貴方が私にコンタクトを取ったこの世界だけ。 貴方の救いたかった少女は、Y軸の右―――貴方の視た世界でも救われるのですか……? この時間軸の過去を変えた事で、貴方の視てきた時間軸の過去も同時に変わり、未来は変化するのですか……? ……違うでしょう。 原生過去。既に生まれている事象は、原生生物のように生まれたままの姿で決して変化する事は無い。 変化を与えたという事は、その瞬間、その場所に新たなYが生じるだけ。 貴方が発現したところで、『発現しなかった世界』は確実に存在する。 2017年、倉成武が息を吹き返さなかった世界は確かに存在する。 2034年以前に倉成武と八神ココが救出されてしまい、結果貴方が発現せず時の名の化け物に矛盾を修正されてしまった世界も消えはしない。 貴方は視点。 世界を変える事なんてできやしない。 分岐した世界に視線を移しただけで、元の世界は変わらずにそこにある―――。 貴方は、視点を移す事によって幸せな世界に逃げているだけなのですよ……? ――――ブリックヴィンケル」 彼女は確かに、ボクを見ていた――――。 彼女は―――致死量の矛の雨をボクに浴びせ、そして……去って行った―――。 |
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