さまよう。 世界にさまよう。 ただの視点のはずのボクは、失意の狭間に揺れながらさまよっていた。 ボクは世界を漂い、そして見知ったひとりの女の子に辿り着いた。 ――――沙羅。倉成沙羅。 『ホクトの奴、今日はどうしたんだ?』 ホクトのクラスメイトの一言。 それが始まり。 この事件は、ホクトが行方不明になった瞬間から始まったようだ。 いいや、ひょっとしたらそれよりも以前。 ボクが発現してしまった原因から、全てが始まったんじゃないのだろうか? ともかく。 ボクはまだ、世界を視続けている。 |
幻視同盟 REI |
6/17 PM8:25 「あ〜、もうっ! 何だって走んなきゃいけないの〜!?」 「そんな事言っても仕方が無いよ。沙羅がいつまでも起きて来なかったんだから」 「だって、いつもなら寝てる時間じゃん。何で土曜日だっていうのに学校があるのよ〜!」 「そんな文句をぼくに言われても……」 二人が門を潜るのと予鈴が鳴るのは同時だった。 昇降口を潜り一息つく。 「優から話聞いてる?」 遅刻を免れて少し余裕が出たのか、ホクトは後ろをついてくる沙羅に振り返った。 「聞いてるよ。午後からなっきゅ先輩と買い物に行くんでしょ?」 ホクトは優美清秋香菜と買い物の約束していた。 デートではない。ココや優美清春香菜も一緒だ。 夏の水着を選ぶ、という目的だった。 「うん……けど、本当に沙羅は行かないの?」 「いいの。だって私、先週お兄ちゃんと一緒に行ったばかりだし、水着も選んでもらっちゃったし。だから今日はいいの」 「そんな遠慮しなくてもいいのに」 「私がお兄ちゃん独占してたらなっきゅ先輩に悪いでしょ〜? だ・か・ら! 今日は先輩の水着、ちゃんと選んであげてね」 「だ、だから、そんな気なんか遣わなくっても……。その、デートとかじゃ、ないんだし」 ホクトは顔を赤くしながら言葉に詰まった。 そんなホクトの顔を覗き込みながら、さらはくすくすと笑う。 「じゃ、また後でね」 沙羅とホクト。 双子の兄妹。 二人は昇降口で別れた。 そして、朝のSHRが終わって、沙羅がシャープペンシルの芯を貰いにホクトの教室に向かった時だった。 「沙羅ちゃん、ホクトの奴、今日はどうしたんだ?」 沙羅がその言葉を聞いたのは。 一瞬だけきょとんと目をしばたかせて。 「―――――え?」 沙羅は驚きながら、視線を教室の中に投げ入れた。 ホクトの机には鞄は無く、無人だった。 PM8:51 「もしもし、ママ? ……うん、今学校からかけてるの。それはいいから。……その、お兄ちゃん、家に戻ってない?」 授業が始まる直前にもかかわらず、沙羅は家にいるつぐみに連絡を取っていた。 朝、二人は確かに一緒に登校していた。それはボクがこうして視ていたから確かだ。 それなのに、ホクトは学校に来ていなかった。いや、来ているのかもしれないが、教室に姿を見せず、誰もその姿を見ていないのだ。 「……うん。一緒に家を出たんだけど……。HRが終わって教室覗いてみたら、いなかったの。クラスメイトの人も誰も見てないって言うし。電話かけても、ぜんぜん出てくれなくて……。―――うん、職員室も保健室もいない、っていうか、誰も見てない……なっきゅ先輩のところ?? そんなはずないよ、だってお兄ちゃんだもん」 ホクトは頭に超が付くほど真面目な学生だった。 テストの点は中の上程度だが、授業態度と先生受けで常に成績は良い。 そして父親譲りの笑顔を惜しみなく振り撒き、交友関係も男女隔たり無く広い。 そんなホクトが女の子(しかも午後会う約束をしている子と)に会うために学校を抜け出すなんて考えられない。仮に事情があったところで連絡のひとつくらい寄越すはずだ。 「……連絡、無いんだ。……じゃあちょっとなっきゅ先輩にも聞いてみる。……分かった、パパにも電話してみる。一応田中先生にも。……うん。お兄ちゃんはともかく、私は寄り道しないですぐ帰るから。じゃあママ、また後で」 端末を閉じて沙羅は大きく吐息を漏らした。 「……お兄ちゃん……」 何気なく、沙羅は窓から中庭を見下ろした。 「――――え? お兄、ちゃん……?」 沙羅は大きく目を見開いて、中庭を凝視した。 3階からでは遠くてよく分からない。 しかし、その金髪の髪は、3階からでも目立っていた。 沙羅は思わず駆け出そうとした。 ――――しかし。 「コラ! 授業中だぞっ!」 「まずっ」 廊下で先生と鉢合わせて、沙羅は思わず踵を返して逃げ出した。 結局沙羅はその授業が終わるまで「気分が悪い」という事で保健室に身を隠していた。 PM9:51 チャイムが鳴り授業が終わると同時に沙羅は中庭に向かった。 しかし、そこには既にホクトの姿は無かった。 代わりに、少し癖のある黒髪の少年が一人、缶ジュースを手の中でもてあそびながら中庭をうろうろと歩き回っていた。 少年はしきりに小さな機械(おそらくPDA)を見ていた。 まるで、時間を確かめるように。 そして、持ち物検査をするようにポケットの中身(財布や学生証、折り畳み式の鏡など)を出しては、またポケットに戻していた。 「……?」 沙羅はその不可解な行動に眉をひそめた。 ひそめながら、沙羅は自分の教室に戻っていった。 ホクトはここにいない。 沙羅には、これ以上中庭にいる理由が無かったのだ。 ボクは中庭にいる『彼』の素性や動向が気になった。 けど、今のボクは沙羅の視点に縛られてここにいるようだ。 まるで、武の視点を経由して2017年のLeMUを視ていた時のように。 自由に視点を移動させる事は不可能だった。 PM1:17 「一緒に、ホクトさんを探しに行きませんか?」 廊下で出くわしたボフカットの女の子にそう声を掛けられて、沙羅は戸惑いの表情を浮かべていた。 「えっと、あなたは……?」 「倉成ホクトさんのクラスメイトの、遠野富美です。……沙羅さん、ですよね?」 「え、うん。そうだけど……」 遠野富美はホクトのクラスメイトだ。 といっても、特に親しいわけじゃないようだ。ボクの知る限り、何度か他の友達と一緒に2、3言葉を交わした程度だ。 「だけど……お兄ちゃんの居場所、あなた知ってるの?」 訝しる沙羅。 当然だ。 行方不明の人間の居場所を知っているのなら、「探しに行く」という言葉は不適切だ。 「いいえ。私は知りません」 沙羅は、更に顔を怪訝に歪めた。 「嘘よ」 沙羅は断言した。 学校側は、ホクトは連絡も無しに無断で欠席したという事にしている。 学校を休んだだけのクラスメイトを、なぜ「探しに行こう」だなんて言うんだ? 「遠野、さん。ホントはお兄ちゃんが学校からどこに行ったのか、知ってるんじゃないの?」 「そ、それは……」 富美は、途端に声をどもらせた。 俯く。 そして、意を決したように勢いよく顔をあげた。 「私の知り合いが知ってるんです。だから、ついて来てください」 「ついて来てって、どこまで……?」 「先輩の―――耶月先輩の家です」 「……その先輩が、お兄ちゃんの居場所を知ってるの?」 「――――はい」 自信無さ気に答える富美。 いよいよもって、沙羅の顔は怪訝の頂点を極めた。 「……はぁ。まあいいわ。よーするに、私に一緒に来て欲しいって言ってるのよね?」 「はい。私の隣に沙羅さんがいたので、連れて行ったほうがいいと思って……」 「私があなたの隣に……?」 「い、いえ、何でもないんです、何でも。気にしないでください……」 沙羅は、最後に大きく溜息をついた。 「で、その先輩の家って、どこにあるの? あまり遠くになるんだったら、私ちょっと無理かもしれないし」 「えっと、この高校から5つ先の駅です」 「……それくらいなら、まあ何とか。あ、ちょっと待ってて」 沙羅は富美から距離を取るとPDAを取り出した。 「あー、電池切れそう」 朝から家、ホクトと武、優美清秋香菜、念のため桑古木や優美清秋香菜にも連絡を取っていただけあって、消耗していたようだ。 「……そういえば、午後なっきゅ先輩と約束してたんだっけ……」 家のつぐみに連絡しようとしていた沙羅は、優美清秋香菜のアドレスを先に呼び出した。 ―――何時の時代もコール音は変わらない。 ぷっ。 「あ、なっきゅ先輩ですか? おに―――」 ―――つー、つー、つー…… 切られた。 「……あれぇ? おかしいなぁ……。確かに一度は繋がったんだけど……」 もう一度コールしてみる。 しかし、優美清秋香なの携帯は、電源が切られていた。 「……何よ、それって……」 渋面を浮かべる沙羅。 沙羅は首を振った。自分の頭に浮かんでしまった、陰湿な考えを振り払うように。 「きっと先輩には事情があった。うん、そう」 気を取り直して、今度は自宅に電話をかける。 ――――が、危惧していた通り。 ろくに事情を伝える事もできずに、沙羅の携帯の電池は切れた。 「あーっ、もうっ! どうして切れちゃうのよぅ〜」 「あ、あの、沙羅さん……?」 「え? あ、ごめんね、遠野さん。―――じゃ、行きましょっか」 沙羅は、つとめて明るく、空元気に振舞った。 沙羅は昇降口に向う途中、もう一度廊下の窓から中庭を覗いた。 そこにはもう、誰の人影も無かった。 PM1:51 電車に揺られて、沙羅と富美はその街に向かった。 途中、大きな駅で一度電車が止まった。 「どうしたんだろ? 事故でも起きたのかなぁ?」 沙羅は富美に聞いたが、富美は答えなかった。 ただ、思いつめたような表情で、何かを握り締めていた。 やがて電車は20分駅で待ち、やがて何の説明も無いまま動き出した。 「――――お兄ちゃん」 呟いたのは、富美だった。 「え―――?」 驚きと戸惑いの入り混じった顔で、沙羅は富美の顔を覗き込む。 「い、いいえ……何でも、ないんです……」 「……あのさぁ、遠野さん? そんな顔で何でもないって言われても、すっごく気になるんだけど」 「あの、すみません……」 はぁっと沙羅は小さく嘆息した。 引っ込み思案な女の子。沙羅は苦手なのだろうか? 「……遠野さんって、お兄ちゃんがいるの?」 「え? あ、はい。これから会いに行く先輩は、お兄ちゃんの親友なんです。それで、昔から何度も家に遊びに来ていて……」 「へぇ? 好きなんだ。その先輩の事」 「っ!!? え、あ、あの、そのぅ―――」 顔を真っ赤にして俯く富美。 「遠野さん、分かりやすすぎ〜。で、好きなんでしょ?」 「――――はい」 富美は、小さく頷いた。 ふと、それまで沙羅の顔に浮かんでいた緊張が解けた。 「それで、その耶月先輩、だっけ? その人が私のお兄ちゃんのいる場所知ってるのには、わけがあるのよね?」 「あ、はい」 「それは、教えてくれないの?」 「……その、ごめんなさい」 「あ〜、そんな謝らなくていいから。言い難かったら別に―――」 「違うんです」 沙羅は小首を傾げた。 「……ホントは、すぐにでも沙羅さんに全部お話したいんです。……けど……」 唐突に。 何の迷いも無く、富美の視線が宙に―――このボクに注がれた。 「――――視られています。だから、無理なんです」 「見られて、いる……?」 沙羅がきょろきょろと辺りを見渡す。けれど、ボクには決して辿り着かない。 「先輩を見つけて、ホクトさんも見つけて、全部、全部上手くいったら……その時に、お話します……」 ――――それは。 一体、この出来事は何をボクに暗示させているのだろう? ボクに知られてはまずい事。 ボクが知る事で不都合が生じる事。 沙羅は、何かに納得したような顔で、 「―――分かったでござるよ、富美殿」 「え? ご、ござ……??」 富美に、微笑みかけた。 「拙者、これでも忍びの者。曲者に感付かれぬよう隠密行動を取る事など、わけもないでござるよ、ニンニン♪」 二人、顔を見合わせて。 くすりと、笑い合った。 それはまるで、旧知の親友達の戯れのようで。 ボクは、その光景を微笑ましく思いながら見下ろしていた。 PM2:34 「あ、富美ちゃん。ちょっと待っててね?」 電車を降りて早々、沙羅は駅の売店に寄った。 800円でPDAの予備電池を買う。 「昨日充電したばかりだったのになぁ〜」 呟きながら携帯に電池を付け、沙羅はまず優美清秋香菜に電話をかけた。 「……つながらない、かぁ……」 落胆はしていない。むしろ、優の身を案じるような、そんな険しい瞳をしていた。 続いて、優美清春香菜。 二人は空やココと一緒に買い物に出た。 なら、優美清春香菜に繋がれば、秋香菜とも連絡が取れるかもしれないと考えたのだ。「……だめ。田中先生も繋がらないなんて……」 そして最後に、駄目もとでホクトにかけてみる。 沙羅は朝7回もホクトに連絡を入れたのだが一度も繋がらなかった。 電源は切れていない。ただ、コール音はするが誰も出ないという状況だった。 今かけても、きっと出ない。 沙羅もそう割り切っているのか、祈る様子も無く普通に番号をアドレス帳から選択した。 ところが。 「もしもし! お兄ちゃん!?」 液晶の小さなモニターに、金髪の少年の顔が、ぶれながら映ったのだ! 『……沙羅』 ホクトが電話に出ている。 ―――本当に? 本当に彼はホクト?! ボクはあの時、3時前あたりに電話はかかってきたが、出る前にPDAの電源が切れてしまったのに。 ―――いいや、違うか。 ボクがホクトだと思っていたのは、ホクトではない『誰か』だ。 だからきっと、沙羅の電話に出たのが、正真正銘の、ホクト――――。 ボクが世界に発現したあの時、5:42に出会ったホクトなのだ。 「ああ、もう! 心配したじゃない! 今ど――――」 ぷつん。 「あ」 通話が切れた。 切れる寸前、ホクトの側からアラームのような電子音が聞こえた。 「信じられない! なんで今日はどこもかしこも電池切れ起こすの!?」 「誰にかけたんですか?」 「え? うん、ちょっとお兄ちゃんに。……繋がったんだけど、でも途中で電池切れたみたいで」 「……電話」 おもむろに、富美も携帯を取り出した。 「どうしたの?」 「いいえ、ホクトさんに電話がかかってくるのなら、先輩にも電話がかかってこなきゃ駄目なんです。……佐倉さんが、外の出来事もなるべく忠実にって言ってましたから……」 「……佐倉、さん?」 「はい」 コール音。 何度か鳴って、しかし相手が電話に出た途端切れた。 「そっちも切れちゃったの? 厄日かなぁ」 「―――そうですね」 ふるふると首を振る沙羅と違い、富美はそれを知っていたかのように頷くだけだった。 PM3:08 「……留守、みたいね」 「そうですね」 訊ねた耶月という少年の家は留守だった。 「富美ちゃん、これからどうするの?」 「……とりあえず、どこかで時間を潰しましょう。……耶月先輩もホクトさんも、四時過ぎくらいには、この街に戻ってきてますから」 なぜ分かるの? という疑問を沙羅は投げかけなかった。 まるで、その答えを自分で導き出したように沙羅は頷いた。 ボクの疑問や謎は尽きないというのに、沙羅には一体何が分かったというのだろう? 二人は、商店街に向かってそこでしばらく時間を潰していた。 ――――そして。 PM4:59 「――――あ」 突然、富美は路地の曲がり角に身を潜めた。 つられるように沙羅も身を隠す。 二人の視線の先。住宅街を放浪する少年の姿があった。 「……あれが、富美ちゃんの言ってた耶月先輩?」 「あ、はい……」 その顔は……ボクが鏡で見た、あの顔だった。 つまり……ボクがホクトだと思い込んでいた少年。 ボクが発現してしまっていた器。 あの少年の中には、ボクが入っている。 ――――ボクは偏在する。 全ての空間に、全ての時の中に。 普段それは1つのものだけど、こうして、同時に存在する事だってあるのだ。 ――――ボク自身、こんな事は初めてだけど。 けれど、もし仮に今のボクがLeMUに戻ったとしたら、そこで優美清春香菜によって発現したボクを見下ろす事になるだろう。 発現してしまったボクは、四次元の存在であると同時に三次元の世界に存在するモノでもあるからだ。 だからボクは三次元内に存在したボクを知覚できる。 三次元よりも1つ高い次元の存在として。 「結構カッコいいでござるなぁ〜」 うりうりと、沙羅が肘で富美をつつく。富美は真っ赤になって俯いた。 「さて。それじゃあ早速捉まえて、お兄ちゃんの居場所を―――」 「あ、あの……!」 飛び出していこうとする沙羅を富美が呼び止める。 「何よどうして? だって、あの先輩がお兄ちゃんの居場所を知ってるんでしょ?」 「そうですけど、今は駄目なんです! 絶対、絶対に姿を現しちゃ駄目なんですっ……!」 「ど、どういう事……? だってあの先輩がお兄ちゃんの居場所を知ってて、だから聞きにここまで来たんでしょ!? 何で……」 「そんな事言っても、今そう視えてしまったんですっ! ここで出て行ったら、全てが無駄になってしまう……せめて、ホクトさんがここに来てから……そうしたら、沙羅さんは絶対に飛び出しますから……! そう、決められているんですっ!」 「ちょっ、落ち着いてよ富美ちゃん……!」 沙羅は、取り乱す富美の肩を掴んだ。 「……すみません。けど、分かってください……」 沙羅は、思案げに唸った後、 「……富美ちゃんも、私のお兄ちゃんみたいに『未来が視える』って言うの……?」 半信半疑に、そう訊ねた。 「……はい。断片的に、ですけど。あの、それじゃあホクトさんも未来視を……?」 「え? ううん、違うよ? お兄ちゃんの場合は、ちょっと特殊って言うか、私も話を聞いただけだからうまくは説明できないんだけど……」 「きっと同じものだと思います。……私もホクトさんも、『視点を借りている』という点では同じですから。……私の場合、『彼』が視てきた『未来』しか視れませんけど……」 ――――第三の眼。 ココの言葉を借りるなら、超能力者。 四次元的視野を会得した人達―――富美が、そんな人間の一人なのだ。 とすると、あの佐倉明日香も第三の眼を保有しているのだろうか? 未来視か過去視か、それとも両方か……。 ―――佐倉さんが、外の出来事もなるべく忠実にって言ってましたから――― 富美は確かにあの時佐倉の名前を口にした。 おそらく、今回の首謀者は佐倉明日香だ。 何かの目的のためにボクを発現させようと企てて、富美と、そして耶月という少年を使ってボクに何らかの錯覚を与えたのだ。 ――――錯覚。 それは一体、どんなものだったのだろう? 何に錯覚したのかが分からない。 耶月少年をホクトだと錯覚していた事か? それは違うと思う。 なぜならその錯覚は、ボクが発現した後のものだ。 ボクが耶月少年に発現するには、発現する以前に「3次元と4次元」の錯覚が発生しなければならない。 例えば、LeMUの事件を再現する、とか。 あの時はそうして錯覚しホクトに降り、そしてその後で『桑古木少年』と『ホクト』の違いを知り、驚愕した。 つまり今回は、ボクが降りた原因がすっぽ抜けているのだ。 ―――おかしい。 何かがおかしい。 耶月少年に降りるにしても、錯覚を引き起こす要因が無ければ彼に降りる事は不可能のはずだ。 ボクは何も視ていない。 いうなれば17年の世界にあたる錯覚の原因を、ボクはまだ視ていないのだ! ……どういう事、なんだ……? ボクはなぜ、耶月という少年に発現してしまった……? ボクは一体、何に錯覚したんだ……?! それはまるで、明かりの灯っていない大迷宮を潜っているようで。 考えれば考えるほど、憶測や推測という魔物に道を惑わされて深みにはまっていく。 深い、深い底無しの空間。 もし「不確定要素ばかりだから深く考えないようにしよう」なんて割り切れたら、どんなに楽だろう? 割り切ろうとしても。問題を先延ばしにしようとしても。 頭の片隅で、その疑問は常に渦巻き続けるのだ。 二人は身を隠しながら少年の尾行を続けた。 PM5:42 沙羅達が耶月少年を追跡してから40分あまりが経った。 邂逅の5:42。 耶月少年と、そして後をつけていた沙羅と富美の前に、馴染みのある顔を持った人物が現れた。 ――――ホクト。 正真正銘、本物のホクトだ。 「あ――――」 耶月少年が、そんな掠れた声をあげた。 沙羅達がいる場所からはその声は聞こえない。 ただ、ボクはその出来事を、全て知っているのだ。 耶月少年――――いや、耶月少年に発現していたボクは、ホクトの姿を凝視しながら後退っていく。 「そん――――な……」 今度の耶月少年の声は、僅かではあるが沙羅の耳にも届いた。 「―――どう、したの……? あの耶月先輩って人……お兄ちゃんを見て、急に……」 沙羅は富美の肩を叩いたが、富美は固唾を呑んで見守るだけだった。 「あ……あぁ……っ」 よろめく『ボク』。 「どうかしたんですか?」 そんな耶月少年に、ホクトは慎重に、割れかけたガラスに近付くように歩み寄った。 その時だ。 「嘘だっ!」 「え……!?」 耶月少年は声を荒げてホクトの胸倉を掴みあげた。 「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だっ!!」 それは。 傍から見れば、なんておかしな光景だろう? 『ボク』は自分が『ホクト』だと信じ込んでいて。 目の前に『ホクト』が現れたことに混乱して、その事実を否定しようと食って掛かって。 「何でぼくが、ボクの前にいるんだっ!!」 「お、お兄ちゃんっ!」 沙羅は絶対にその出来事を傍観なんてしていられない。 隠れていた沙羅が飛び出すのと、ホクトが渾身の力を込めて耶月少年を振りほどくのはほぼ同時だった。 肩で息を整えるのホクト。尻餅をつきながら、耶月少年はホクトを見上げている。 「お兄ちゃんっ!」 ホクトが沙羅に気付いた。それと同時に耶月少年も沙羅に視線を向ける。 「―――沙羅」 「お兄ちゃん、大丈夫!?」 沙羅がホクトの手を取る。 それは、ごく自然な光景だ。 それなのに、歪で不自然な―――あってはならない光景として捉えている人物が一人いた。 「……え?」 そう。 かつての『ボク』だ。 「センパイっ!」 突然富美の大きな声がして、ボクは咄嗟に富美に視線を移した。 富美の表情は―――大切な人の安否を祈るようなもので。 それと同時に期待、不安、願い、他にも色々な感情が入り混じったような瞳で、耶月少年をじっと見据えていた。 「平気ですか? ――――耶月センパイ」 からり、と。 彼の手から鏡が零れ落ちる音がした。 ボクが彼に視線を移すと、そこには『ボク』はおらず、耶月少年だけが存在していた。 「―――そ、そんな……」 遠野富美は、愕然とした。 「発現しないで……消え……て……しまった……!?」 耶月少年のその向こう。 ついさっきまで、彼の視点の先には『ボク』がいた。 けれど、今は影も残さずに消えてしまっている。 膝から崩れ落ちそうになる富美。 それだけの失意が、彼女を襲っているというのだろうか……? しかし、そんな時。 富美の瞳がその色彩を失い―――視点の焦点が一瞬だけぶれた。 「――――っ!」 伏せかけた顔を勢いよく上げて、そして見上げる。 佐倉明日香と同じように、このボクを、見上げている―――。 「今すぐに……今すぐに、私のお兄ちゃんの所に飛んでくださいっ!」 遠野富美の兄。 ボクはその人物を知らない。 「私には視えたんです! あなたがそこに向かい、再びこの場所に戻ってきて、そして私の前に姿を現してくれるその瞬間が……あなたが降りるその瞬間を、私は視たんです……っ!」 けれど、無理だ。 知らない人間の所に向うなんて、そんな事―――― ――――田中さんや桑古木さんがいる場所へ……あのデパートへっ! 早くっ!! お願いします! ブリックヴィンケルさん!!! 声ではない叫び。 そう言われても、ただ漂い、彷徨っている1つの視点であるボクにそんな自由は無い。 発現を終えたボクにできる事はただ1つ。 ボクはただ視るだけ。 それだけしか許されていないのだ。 ――――それなのに。 まるで、遠野富美の叫びに呼応するように、ボクの視界は霞んだ。 ぷつん―――。 白い光が、走った。 6/17 AM11:17 雑踏。 喧騒が聞こえる。 視界は、まだ回復しない。 ……白い。 白い、世界だ。 そんな世界から。 「……ホクト、何で来ないのよっ!」 聞き覚えのある声がした。 田中―――優美清秋香菜の声。 「沙羅が探していたようだけど、まだ見つかっていないみたいね」 優美清秋香菜とまったくと言っていいほど同質の声―――優美清春香菜。 「あーっ、もう! 簡単には許してやんないんだからっ!」 「そうカリカリしないで。ちゃんとホクトの代わりを連れてきてるんだし、ホクトだってきっと忙しいのよ」 「俺はホクトの代わりかいっ」 桑古木涼権。彼も、この場所に居るようだ。 ―――そして。 「もう一人、いるよ?」 とくん、と。 ボクにある筈の無い『何か』が跳ね上がった。 「もう一人?」 「うん、ホクたんの代わりにもう一人。ココの事を、見てくれてる人がいる」 霞が晴れる。 夕暮れに差し掛かっていた茜色の空は青さを取り戻し、人通りの少なかった住宅街と違い、この場所は人ごみで溢れていた。 そこでボクは。 ――――ボクが一番逢いたかった人の笑顔を視た。 視界が回復するすと、そこは既に、ココ達が買い物に行ったデパートだったのだ。 |
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