「俺の名前は、遠野拓海ってんだ。たくみん、と呼んでくれて構わないぞ?」
「うん。よろしくね、たくみんっ」
「おっ、素直でよろしいっ! で、ココちゃんはここに何しに来たんだ?」
「えーっとね、なっきゅ達と、お買い物に来たの。オレンジ色の、水玉の、ぼーんって感じの水着を買いに来たの」
「―――本当に? ココちゃんは、本当にそのために来たの?」
「……たくみんにはきっと分からないと思うよ? だってたくみん、今を視る、それだけでしょう? ココは、全部を知っちゃうの。昔の事も、今の事も、これからの事も。視るんじゃなくって、知っちゃうの」
「……ようするに、ココちゃんの眼は、俺達のとは根本的に違うんだな?」
「ほとんど一緒だと思うよ。たくみん達は、ブリックヴィンケルさん達の眼を借りて、色々な事が視えちゃうんでしょ? ココも、ブリックヴィンケルさん達に教えてもらってるだけだから」
「……そうか。きっと、そう言うココちゃんが、一番『彼』に近いんだろうね」
「そうかも。にゃはは」
「……知っていて、それでも笑えるのは、どうしてだ? ほれ、不安にならないのか? ……怖くならないんか?」
「ココだって怖いよ? 不安だよ? ……けど、信じてるから」
「―――彼、ブリックヴィンケルを、か?」
「うん。お兄ちゃんと……そして、みんなを」
「みんな……」
「そう、みんな。たくみんに、ふーみんに、あと、あしたんも」
「―――あしたん。アスカの明日をアシタにして、あしたん、か? ……くくっ! あのお嬢様が聞いたらなんて顔すんだろーな。……けどまあ、驚いた。ココちゃんは強いんだな。安心したよ。―――安心して、これを渡せる」
「ちっちゃな紙だね」
「ああ、メモ用紙だからな。―――頼むぞ? ココちゃん」
「りょーかいっ。……あ、空さんが呼んでるから、もう行くね?」
「……ああ。全部うまくいったら、また会おう」
「その時は、ふーみんもね? ココ、お友達になりたいなぁー。マヨちゃんみたいに」
「ほほう? 富美と沙羅ちゃんは、友達になるのか」
「そうだよ? まだその時じゃないから、たくみんには視えないかもしれないけど」
「はは。……よぅし。じゃ、お互い頑張ろうか!」
「うんっ。あ、けどけど、その前に1つ、あしたんに電話してくれる?」
「え? どんな電話を?」
「んーとね、つぐみんに、乱暴しないでって」
「ああ、つぐみさんの件か。分かった。……けど、ココちゃんも心配性だな。明日香の役目は、つぐみさんを外に連れ出すことだけだぞ?」
「それはね、たくみん。たくみんが、あしたんの本当の目的を知らないからだよ」
「……本当の、目的?」
「全部終わったら、あしたんに聞いてみるといいよ。じゃ〜ね〜っ!」
「……行っちゃったよ」
 …………
「ま、いっか。俺は、俺のできる事をすればいいのさ。―――そうだろ? ……BW」

 PM12:34。
 ボクは、彼を前にしていた。
 遠野拓海。―――富美の兄。
 彼は、明日香や富美と同じように―――ボクを視ていた。

 駅前の、大きなデパート。
 このデパートで、何かが起きる。

幻視同盟
                              REI



第三話 『現在崩芽ほうが




   6/17
     PM12:51

「全員動くな。両手を壁か床につけてじっとしてろ!」
 ―――何かの冗談?
 デパートの五階。夏のために水着を吟味している優美清秋香菜と空、そしてココと別れ、優美清春香菜と共に回っていた桑古木は、他の客と同じように目の前の光景に呆気に取られていた。
「―――おぃおぃニーチャン。サバゲーかジャックゴッコなら他所でやって……」
 その手に握られている拳銃をモデルガンだと踏んでか、客の内の一人がその胸倉をつかもうと男に歩み寄って。
「おい、馬鹿―――」
 桑古木が止めるよりも早く。
 サイレンサーも何も取り付けられていない拳銃は、当然のように炸裂音をデパート内に響かせた。
「ぎ―――あぁぁぁあぁぁあああっ!」
 太腿、そう、太腿だ。
 打ち抜かれたのは太腿。男は死んではいない。崩れ落ちて、掃除の行き届いた白い床を赤く染めながら転がるだけだった。
「桑古木っ!」
 優美清春香菜が声をあげる。
「分かってる!」
 桑古木は、それよりも早く両手に抱え込んでいた荷物(全て優美清春香菜の買ったもの)を放り、身を沈め、発砲した直後の男目掛けて拳を振り上げていた。
 ――――そうだ。
 桑古木も優美清春香菜もキュレイのキャリア。
 男は発砲した直後。その瞬発力を持ってすれば、これ以上無いチャンスだった。
 だが。
「止まれ」
 撃鉄を起こす音。桑古木の正面にいる男ではない。
 その声と金属の鈍い音は、優美清春香菜の背後から起こった。
「―――っ」
 優美清春香菜は唇を噛んだ。……迂闊だった。突然のアクシデントに、目の前の事だけにとらわれて背後に気が回らなかったのだ。ついでに言えば、単独犯かそれとも組織絡みの犯行なのか、そういった判断さえ取れずにいたのだ。
「……見せしめが必要だな」
 不甲斐なさを、呪う。
 優美清春香菜は迂闊さを。
 桑古木は無力さを。
 そしてボクは―――何もできない、もどかしさを……。

 銃声は、やけに呆気なく響いた。

「か――――」
 血の気が引く、いや、それはもうとうに引いている。
 優美清春香菜は、胸を―――左胸を血に染めながらぐらりと傾いた桑古木を、二つの眼に映して。
「桑古木ぃっ!」
 叫んだ。
 駆け出そうとする優美清春香菜の肩を、男は無骨な手で掴む。
「貴女には我々とご同行願います。――――田中先生?」
「……あなた、ひょっとして………っ!」
 男は、サングラスの奥で小さくほくそ笑んだ。

 一階から八階まで、全フロア制圧
 六階広場に集められた人質
 わずか十数分でデパートをジャックした男達は、統率の取れた1つの組織だった。
 ライプリヒ。その内部にあり、主に表沙汰にできない研究や人道を離れた任務をこなす集団。
 黒いスーツにサングラスは、言わば彼らの正装だった。
 1班4チーム。1チーム7人からなるグループをまとめるのは、ジャックした男達の中でもやけに小柄な男だった。
「―――優美清春香菜は確保した。チームAはLM-RSDS-4913Aの確保を最優先に。ここのシステムへの接触を絶対に許すな。チームBは八神ココの確保に向かえ。目標は第三の眼保有者だ。おそらく我々の行動も筒抜けだろう。子供といって侮るな。チームCは当初の予定通り『ジャガーノート』をセット。この騒ぎに喰いついた政府と警察に、警告文を送れ。……それと桑古木涼権は抹消した。サンプルはパーフェクト1に、他が2つもあれば十分だ」
 リーダー格の男が無線機に指示を送る。姿こそ小柄だが声は低く、そして情があるとは到底思えない冷たいものだった。
『こちらチームB。田中優美清秋香菜を確保。……いかがなさいますか?』
「……優美清春香菜は既に確保してある。―――が、人質に使えるかも知れん。他の客と同じく六階広場に詰めて置け」
『了解。では、捜索に戻ります』
 男は、血溜りの中動かなくなった桑古木に目を遣り、腹を蹴飛ばして本当に動かなくなっている事を確認してからその場を後にした。

      PM1:25

 優美清秋香菜は、ほかの客と一緒に一箇所に集められ、自動小銃を突きつけられていた。
 客は全部で50人。優美清秋香菜を含めると51人だ。
 他の多くの客は、混乱と共に外に脱出を果たした。―――いや、意図的に外に逃がしたのだ。
 連中の狙いは、キュレイだけ。
 そのためにこれだけの騒ぎを起こしたのだ。
 黒スーツのサングラス男達は皆、その奥に狂気をはらんでいた。
 優美清秋香菜は、その50人の中に空とココの姿が無い事を知って、一度は安堵の息を吐いた。二人はうまく逃げたのだと考えたのだ。
 しかし、その次の瞬間、優美清秋香菜は愕然とした。
 無線で話をしている男が口にした事を、聞いてしまったのだ。
 優美清秋香菜は連中に身柄を拘束されている。
 そして桑古木は―――。
 桑古木は、死んでしまったのだ。
(何で……。何で、こんな事に……)
 優美清秋香菜の心が、ボクに浸透してくる。
 優美清秋香菜にとって、桑古木は―――何の気兼ねなく一緒に騒げる仲間。馬鹿を言い合い、表面上はいがみ合う事はあっても、心の中ではそれさえ楽しい事だった。
 そう。二人は、親友のような関係だったのだ。
「桑古木……」
 失意の果てに顔を伏せたその時、その空気に似つかわしくない、明るい着メロが流れた。
 優美清秋香菜の携帯からだった。
「貸せっ!」
 優美清秋香菜が携帯を取りだすのを見て、すぐさま見張りの男がそれを取り上げた。
「……まよ? ……ああ、松永沙羅の事か」
 卑下に歪む男の表情。
 男は―――携帯の電源を切るどころかそれを耳元に運んだ。
「―――っ!」
 優美清秋香菜も、そしてボクも気付いた。
 奴は、沙羅を脅迫してここに呼び寄せるつもりだ。―――優美清秋香菜の命を餌にして。
「やめてっ!」
 優美清秋香菜は地を蹴って男にタックルを仕掛けた。
「うおぉっ!?」
 男の手を離れて宙を舞う携帯。優美清秋香菜はそれに飛びつき、通話を切ると同時にそれを壁に叩き付けた―――!
「マヨを……マヨをこれ以上苦しめないでっ!」
 液晶やパネルが割れ、使い物にならなくなった携帯。
 優美清秋香菜は、あっという間に男四人に取り押さえられて、床に押し付けられた。
「度胸だけは買ってやろう。が、賢い行動とは言えんな。……まあ、娘でなくとも知人が囚われているのだ。……遅かれ早かれ、小町つぐみはここに来る」
「……つぐみを、つぐみが目的なの!?」
「そうだ。―――ライプリヒを復興させるには資金が足りない。そのためのキュレイだ。そのための研究だ」
 小銃の銃口を優美清秋香菜の額に押し付けながら、男は笑う。
「―――本気でそんな事考えているの? ……あんた、馬鹿よ。大馬鹿よ! こんな騒ぎ起こして、事業復興できると思ってるの!?」
「そんなもの後でどうにでもなる。隠蔽、買収。金さえあれば、どうにでもなるのだ……!」
「―――狂ってる」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
 男は小銃の引き金に力を込めた―――。
 が、引き金を引く前に無線機が鳴った。
「―――どうした」
『田中優美清春香菜が逃亡しました』
「―――愚図どもが。相手は女でもキュレイ種だと忠告したはずだぞっ!」
『それが、阿呆が二人、移送中に更衣室に彼女を連れ込んだらしく……その隙をつかれたようです。二人とも、更衣室にて重症。……いえ、瀕死です』
「放っておけ。私の再建するライプリヒに阿呆はいらん! そんな事よりも優美清春香菜の再確保を急げ! これだけの騒ぎを起こしておきながら収穫ゼロでは話にならん!」
 乱暴に無線のスイッチを切った男は、小銃を突きつけていた優美清秋香菜を見てやり、ほくそ笑んだ。
「どうやら、早速役に立つ時が来たようだ」
 優美清秋香菜は、唇を噛締めた。

     PM2:08

「――――おい、大丈夫か」
 人のパニックと壁に刻まれた銃創によって荒廃したフロア。
 血溜りの中心にうずくまる桑古木の骸を揺さぶる、1つの影があった。
「この階にはもう奴らは居ない。……そろそろ起きて、みんなを助けに行かないとまずんでないか?」
 若い青年だ。高校生ほどの。
 それまでぴくりとも動かなかった桑古木は、瞳を見開いた。

 ――――生きていた。

「……あんたは」
 息が掠れて瞳も虚ろ。
 しかし、桑古木は生きていた。
 生きていてくれたのだ!
「俺? 俺は遠野拓海。たくみん、と呼んでくれて構わんぞ」
「……遠慮しておく。それより、もう少し、待ってくれないか……。当たり所が悪い。血が止まるまで、しばらくかかりそうだ……」
 胸を押さえていた桑古木は、じっと手を見た。
 ぬらりと。
 血で、染まっていた。
 再び手のひらを胸に押し当てた桑古木を見て、少年―――遠野拓海は、嘆息と共に頭を掻いた。
「キュレイっていっても、致命傷を負うとやっぱ駄目なのか?」
 桑古木は警戒心をあらわに、しかしその直後苦笑した。
「―――ああ。けど、俺も驚きだ。……心臓のすぐ横に風穴が開いたってのに、傷はもうくっつこうとしてやがる……」
 それは、宿主を死なせないための、いわばキュレイウイルスの生存本能が最大限に発揮された結果だった。もしくは、死ぬわけにはいかない、死ぬはずがないという強い意志が、この閉鎖された空間の現実を捻じ曲げて、不可能を可能にした奇跡だったのかもしれない。
 しかし、いくら急速に細胞が増殖、修復されていったところで流れ出た血は戻らない。桑古木は重い頭を抱えながらふらりと立ち上がった。
「立っていいのか?」
「ああ、なんとか。……それよりも今は……!」
 壁に身体を預けながら、桑古木はゆっくりと歩き出す。
 ―――血が足りず、眼の焦点も定まっていない彼は―――それでも一点を目指して、ただひとつ、自分の守りたい者のところへ、歩き出したのだ。
「――――田中秋さんは人質として他の客と一緒に捕まってる。春さんのほうは、一度は逃げたけど……秋さんが人質に取られているから時間の問題だな。空嬢とココちゃんは三階の水着売り場に隠れてる。まだ、見つかってない」
 桑古木の、その足が止まった。
「……なんで、知ってるんだ……?」
「んー? それはだなぁ、俺が超能力者だからだ」
「誤魔化すな。俺は、真剣に―――」
「おたく、分かってらっしゃるんでないかい?」
「…………」
 桑古木は口をつぐんだ。
 桑古木は知っている。
 四次元の視点を借りて、何でも見通す事のできる超能力者の存在を。
「……はは。優が研究し続けて、それでも雲を掴むような推測しか出ていない第三の眼が、そんなそこらに転がってるはずないだろ。……お前も、ライプリヒ関係の人間、なんだろ……?」
「……はぁ。沙羅ちゃんもそうだけど、もうちっと明るい思考できないもんかね? 素性を知る人間と出くわすと、まず先にライプリヒを連想しちまう癖だなんて、悲し過ぎると思わない?」
「……沙羅まで知ってるなんてな」
「ああ。今ちょうど、俺の妹と話してるな。……富美の奴、沙羅ちゃんにからかわれて赤くなってやがる」
 拓海は口元を手で押さえて苦笑した。
「……おい、あんた……一体何を見てるんだ?」
「ん? 分かんないかな? ―――ここではない場所。俺は、いわゆる千里眼って眼を持ってるんだ」
「……千里、眼……」
「ああ。結構便利だぞ? テスト中カンニングし放題だし、温泉の女湯とか、生着替えも見放題だぜっ」
 あんぐりと口をあけたまま、桑古木は固まっていた。
「……こほん」
 仕切り直すように拓海は咳払いを1つした。
「冗談はともかく、俺はこの場所にいながら、3次元空間内の全ての事象を視る事が出来るんだ。……未来や過去までは視えないけど、それでも偶発的に視えるだけの未来視や、対象が目の前になければ視えない過去視よかよっぽどか役に立つぜ。ライプリヒの連中の配置や、空嬢やココちゃんが隠れてる場所、敵の持っている武器の数。……全部手に取るように分かる」
「……それじゃあ、お前は……ライプリヒの人間じゃ、ないのか?」
 拓海は頷き、リュックの中からデパートの全階層の見取り図を取り出した。
「信じてもらえるかどうかは分からんが、俺はこのデパートを救いに来た。……この事件が起こる事は仲間の未来視で分かっていたんだが、連中の人数や名前、進入ルートも分からずじまいで、警備を敷けなかったんだ。未来視なんていう世間一般に認められていない力を理由にデパートを休業にしたり、警察を呼んだりなんてできないしな。それに、警察に任せられない最大の理由が他にある」
「―――理由?」
「……このデパートには、爆弾が仕掛けられる」
「ば、爆弾っ!? 仕掛けられるって、まだ仕掛けられてないのか?」
「―――いや、ちょっと待った。……今、地下の食品売り場に仕掛けられた。爆発すれば、支柱が一本折れて、重さに耐え切れずこのデパートは陥没する。……人質になっている人達を巻き添えにな」
 このデパートには爆弾が仕掛けられた。
 それは、ついさっき聞いた『ジャガーノート』と呼ばれていたものの事だろうか?
 ―――ジャガーノート。
 確か、インドの破壊神の名前だった気がする。
「……まあ、そういう事だ。連中のハッタリだろうが、外の警察とかが変な動きを見せた途端『ドカンッ!』……だ。……少なくとも午後7時には確実に爆発するらしい。富美がそう言ってた。何が要因かは知らないけどな」
 富美。
 彼女は、未来が視える。
 と、いう事は。
 彼女がこの事件を予知し、みんなを救うためにこの計画を立てたのだろうか?
「……俺の役目は、7時までに爆弾を解除する事。その後の事は、全部俺の知り合いがどうにかしてくれる」
「爆弾を解除って……仕掛けられる前に何とかできなかったのか?」
「無理。だってあいつら、銃持ってるし。だからコッソリと解除しに行くしかないって事。了解?」
「……あ、ああ。……つまり、俺にそれを手伝えって言うのか……?」
「その通り! ……と、言いたいところだけど桑古木さんにはひとつ、頼みたい事があるんだ」
「―――頼みたい事?」
「おう。……空嬢とココちゃん。この二人を、この建物のコンピュータ制御室に連れて行って欲しい。……それで、なんとかデパートの制御を奪って、防火用のシャッターを使って、六階に集められた人質を救出するんだ」
「シャッターで……? ―――そうかっ! そうして外部から隔離……いや、保護するんだな!?」
「そう。ついでに、爆弾の仕掛けられたフロアと桑古木さん達の行く制御室もだ。……俺が爆弾を解除する間邪魔が入るとまずいし、桑古木さん達も何も無しじゃ危険だからな」
 桑古木は頷くと、手にこびり付いた血液をシャツで拭った。
 胸からの出血は、驚く事にほとんど止まっていた。
 ―――つぐみ以上の、恐ろしいほどの回復力だ。
 ボクが、桑古木はキュレイ種だから大丈夫、と思い込んでいたからだろうか。
 桑古木が、こんなところで死んでいられないと強く願ったからだろうか。
 遠野拓海が、そんな桑古木を見てこれなら大丈夫だろうと確信したからだろうか。

 ともかく。

 キュレイは、確かに桑古木を蘇生させたのだ。

     PM2:51

「……おい。このマネキン、どこかで見た事無いか?」
「あ? ……さあな。よくあるデザインなんだろうよ」
「へぇ……。それにしてもよく出来てるな。最近のマネキンは。人間ソックリじゃないか」
「わが社の技術力の成果だ。……もっとも、末端の奇怪な部署が作った生体皮膚らしいがな。そう言えば、確保対象のLM-RSDS-4913Aもこれ同じ素材で出来た人造人間とかいう話じゃなかったか?」
「そうだったな。……と、なると」
 ふよん。
 男が、水着を着込んだマネキンの豊満な胸を揉みたぐしながらせせら笑った。
「感度は良好。こりゃあ実物を見るのが楽しみだ」
 空を探していたAチームの二人は、談笑しながら女性用水着販売フロアを後にした。
 しばらくして。
「空さん。もう大丈夫だよ」
 レジの陰から、彼女の声がした。
 ひょこりとレジから顔を覗かせたのは―――ココだったのだ。
 マネキンが、動いた。
「ココの作戦、うまくいったっしょ?」
 へたりとその場に座り込んだマネキン―――空に、ココは駆け寄った。
 が、どうも空の様子がおかしい。
「倉成さん……。私……、私……汚されちゃいましたぁ……」
 およよ……とすすり泣く空。
「空さん、泣いてる暇なんて無いよ? みんなを、助けなきゃ」
「……そうですね。胸を揉まれたくらいで落ち込んではいられません。……頑張りましょう」
 小さくガッツポーズを作る空。
 屈託無く笑ったココの瞳が、突然。見開かれた。
「涼ちゃん!」
「え……? 桑古木さん?」
 二人の視線の先。
 壁に身体を預けながらゆっくりと歩み寄ってくる桑古木の姿があった。
「へ、平気ですか!? 桑古木さんっ!」
「痛くない? ねえ、大丈夫?!」
 ココは、今にも泣き出しそうだった。
 桑古木は、ひきつった笑みを浮かべながら、拭ってだいぶ綺麗になった手のひらをぽんとココの頭に乗せた。
「大丈夫だ、ココ。全然へっちゃらだ。ぴんぴんしてる」
「嘘を言わないでくださいっ!」
 空が、大きな声をあげた。
「見せてください」
「え? で、でも……」
 桑古木は、一瞬ココに目を向けた。
 ここで傷を見せて、余計にココに心配かけるわけにはいかないのだ。
「桑古木さん、お願いします……!」
 悲痛な空の表情。
 桑古木は観念してシャツを捲し上げた。
「……酷い。傷は塞がりかけていても、弾が体内に残っている……」
「いや、大丈夫。動けるし、痛みも我慢できるし……」
「命に関わる事ですよ!? 心臓の、すぐ近くじゃないですかっ! ちょっとした拍子で動脈を傷つけてしまったら、取り返しがつかなくなるんですっ! 手当てさせてください!」
「けど、どのみちここじゃあ何の治療もできないよ……」
「涼ちゃん、ここのお店の救護室にね、LeMUと、おんなじようなものが揃ってたよ」
「本当か? ココ」
「うん。ココと空さん、最初そこに隠れてたんだ」
「……けど、駄目だ。今は急がなきゃいけないんだ……!」
「急ぐ……? 何を急いでらっしゃるのですか? 桑古木さん。今私達が動いても、この状況をどうにかできるとは思えませんが……」
 桑古木は状況を空に説明した。
 このデパートに爆弾がセットされた事。
 それが午後7時に爆発するという事。
 それを止めるために一人の少年が行動を起こしている事。
 人質のみんなを救うためにしなければならない事。
「……制御室からの操作は、空にしかできない。だから、俺の手当ては後回しにしてくれ。でないと、みんなが……!」
 困ったように表情を曇らせる空。
 空には酷な選択だ。
 桑古木を助けるか、人質を助けるか。
 正解は人質を助ける、だ。
 シャッターを作動させなければ、いつまでたっても人質達は生命の危機に晒される事になる。そして、拓海も安全に爆弾の解体を行えないのだ。
 空に、その選択を選べるはずが無い。
 桑古木を見捨てられるはずがないのだ。
 ―――しかし。
「分かりました、桑古木さん。制御室には、ココちゃんを行かせましょう」
「―――っ! 馬鹿っ! 外には連中がいるんだぞ!? そんな危ない事、させられるわけないじゃないかっ!」
「危ないのは私も同じですよ?」
「だから、俺も一緒に行くんだ。……空の壁くらいにはなれる。ココはひとまず安全なところに隠れていてもらって、俺達は制御室に行くんだ。俺の治療なんて選択肢、最初から無いんだよ!」
「桑古木さん、自分を大切にしてくださいっ! そんなの、勇気でも使命感でも何でもない、ただの考え無しですっ!」
「―――――」
 桑古木は空の剣幕に押し黙り、俯いた。
「……その、ごめんなさい、桑古木さん。……私……」
 気まずく空も顔を伏せた。
「――――ココ、行くよ?」
「え?」
 桑古木は思わず声をあげた。
「ココちゃん……」
「ココ、一人でできるよ? 隠れるの得意だし、こうみえてもココは、走るの早いほうなんだからぁ」
「―――いや、それでも、駄目だ。ココ。ココは制御室のコンピュータの動かし方知ってるのか?」
「んーっとね、なんとなーくだけど、分かる。分かっちゃう」
 なんてアバウトな返答。
 けれど、それで納得させてしまうのが、ココの凄いところなのかもしれない。
「……そうですね。けれど、ココちゃん。もし分からなかったら、すぐにこの私を呼んでね」
 ―――呼ぶ?
「うん。分からなくなったら、すぐに呼ぶから」
「……なぁ、呼ぶって……?」
「田中先生がココちゃんに持たせたPDAには、市販のものと違い1つ機能が追加されているのです。その機能というのが―――」
「ぴかぷかぽかーん、空さん呼び出し機〜〜〜」
 PDAの画面から、空のホログラムが浮かび上がった。
「……このように、私の思考ルーチンをココちゃんのPDAに、直接リンクを張ってあります」
『私は救護室にいながらにして、制御室にいるココちゃんのお手伝いができる、という事です』
 ホログラムの空はまったく口を動かさない。どうやらホログラムは飾りのようだ。
 しかし、これならココが操作に困った時アドバイスができる。それどころか、PDAの外部出力端子を通して制御室のメインコンピュータに直接空を送り込むことすらできるはずだ。
「―――――――――分かった」
 時間をかけて。
 桑古木はようやく頷いた。
「―――あ、れ……?」
 桑古木が空の提案を呑んだその瞬間、ぐらりと桑古木の身体が傾いた。
「か、桑古木さん!?」
「涼ちゃん!」
 崩れ落ちる寸前空が受け止める。ココが、呼吸が乱れ始めた桑古木の手を握った。
「お、おかしいな。……さっきまで、全然、へ、平気だったのに……」
 まるでかかっていた魔法が解けてしまったよう。
 全身に力が入らないのか、桑古木は腕すらあげられなくなっていた。
「はやく、救護室に行きましょう」
 空が桑古木を背負おうとした時だった。
 デパート内のスピーカーから掠れた音が漏れた。
『―――優美清春香菜に告ぐ。娘は我々の手中にある。賢い貴女なら察しがつくだろう。直ちに我々の前に姿を現してもらおう』
 それだけの、簡潔な内容。
 繰り返されはしなかった。たった一度だけの警告メッセージ。
 それは、たったそれだけのメッセージで必ず優美清春香菜は姿を現すという確信を、連中は持っているという事だ。
「空さん、今の……」
「……ええ」
「……くそっ! 今すぐにでも二人を助けに行ってやりたいのに……!」
「……大丈夫ですよ、きっと」
 空は、ココの手を握って、ココと桑古木と、そして自分自身に言い聞かせるように言った。
「私達は、私達にできる事をしましょう」
 ココは頷いた。
「空さんも、涼ちゃんの事、お願いね? 絶対絶対、助けてね……?」
「はい、桑古木さんは任せてください。……絶対に、助けますから」
 ココは頷いて、ゆっくりと桑古木の手を離す。
「あ、そうそう。―――涼ちゃんのPDA、貸してちょーだい?」
「……え? あ、ああ……。別にいいけど……」
 ポケットから、血糊の付いたPDAを取り出して、桑古木は渋い顔をした。ココは気にする様子も無くそれを受け取って、大事そうにポケットに入れる。
「ココ、頑張るから。……涼ちゃんも空さんも、頑張って」
 ココは、駆けた。
 やがてその姿が見えなくなって、空は、その華奢な身で桑古木を背負う。救護室は、このフロアより2階下の、総合インフォメーションの隣だ。
 ゆっくりと、桑古木に負担がかからないように歩き出す。
 ―――ぎちり。空の膝の関節から、一瞬だけ鈍い音が響いた。
「空、あまり無理すんな。……筋力とか間接の強度とか、空のそれは普通の女の子と変わりなく造られてるんだ。……あまり無理すると―――」
「平気です、桑古木さん。……それに私、嬉しいんです」
「……嬉しい?」
「はい。……17年前、小町さんが怪我をなさった時。田中さんが倒れた時。ココちゃんが吐血した時……。私は何もできない自分がもどかしくて、狂いそうでした。……私に身体があれば。そうすれば、手当てだってできる。その手を、握っている事だってできる。……なのに、それは叶わなかった……。だから今、嬉しいんです。……こうして助けられる事が。だから、少しくらいの無理ならなんともありません」
 そう言った空は、笑顔で、しかしどこか辛そうで。
 体内の冷却のためか、額からは、そう。汗が、絶えず滲み出ていた。
「……ありがとう、空」
「あまり、喋らないでください。傷に響きます」
「……なあ、空」
「ですから桑古木さん、あまり喋らないように……! ……何ですか? 大事な事ですか?」
「いいや、特に大事ってわけじゃないんだけど……空、何で水着なんて着てんだ……?」
 それは水着を着込んでマネキンになりきっていたから。
「―――桑古木さん、頑張ってください。救護室までもう少しです!」
 空は、桑古木の疑問を無かった事にした。
 その頬は、限界に近い肉体の酷使のためか、それとも別の要因か。赤くなっていた。

     PM3:34

「手間を掛けさせますね、貴女は」
 自動小銃の銃口を優美清秋香菜に突きつけたまま男は言った。
 優美清秋香菜は手足を縛られ自由を奪われている。
 優美清春香菜は、ゆっくりと男に歩み寄った。
「おおっと。アイツらから奪った武器はその場で棄ててもらおうか」
 指示に従う優美清春香菜。小銃一丁に回転式の短銃が一丁。彼女の足元に転がった。
「……それにしても驚いたわ。ライプリヒの重役はみんな捕まったとばかり思っていたけど。……そうよね。表沙汰に出来ないあなた達のような班の情報を、そんな捜査が入り込むようなところに残しておくはずがないもの」
「―――ごもっとも」
「……それで? お偉いさんが全員いなくなったから、自分がトップに立とうと考えたのね。……哀れね。本当に哀れ。あなた知らないの? 世界にはね、不相応って言葉があるの。あなたがいくらキュレイで資金を稼いだって、いくらお抱えの研究員を増やしたって、あなたには無理よ」
「それを決めるのは貴女ではない」
 自動小銃が、優美清秋香菜の耳元で重い音を立てた。
 優美清秋香菜は表情を強張らせて足を止めた。
「今度こそ、大人しくしていてもらいたいものだな」
 優美清春香菜は抵抗の意思を見せない。
 抵抗できるはずがないのだ。
 しかしその瞳からは、希望は潰えてはいなかった。
「……よし。予定通り田中優美清春香菜を外へ運搬する。手の空いている者は―――いや、チームBとCはデパートから撤退。小町つぐみの確保へと向かう。チームAは二手に分かれ、残った二人の捜索と人質の監視を続けろ。……私も撤収する!」
 優美清春香菜の目の輝きに気付かず、男はそう命令を下す。
 優美清春香菜は、男達に連行されていった。
 その間、何かを祈るように。
 優美清春香菜は、小さく。誰にも聞こえないくらいに小さく呟いた。
「―――頼むわね、ココ」
 こうして、優美清春香菜は再び連中の手中に落ちた。

     PM5:17

 ココは、ボクの危惧を他所に何事も無く制御室に辿り着いた。
 いや、制御室の近くまで、だった。
 制御室の中に、男が三人。
 制御室のモニターを、食い入るように見ながら無線機で何か連絡をしているようだった。
「―――救護室だ、そう。……ああ、今手術の真っ最中。……ああ、そうだ。桑古木という男だ。……おそろしいを通り越しておぞましいものだ。……あの致命傷を受けてまだ生きていやがるとは。……キュレイ―――不死、か。金になるわけだ」
 ココは顔色を変えない。
 桑古木と空が見つかったというのに、慌てる様子も無く、じっと制御室の様子を窺っていた。
 ―――だけど。
 ボクは気付いてしまった。
 ココの膝が、笑っているのを。
 ココはごくりと喉を鳴らして、意を決したように膝を叩いた。
 そして、ココはPDAを開く。
 PDAから1つのアドレスを選択して―――そこに、ある1つのデータを送信した。

 ――――ぴぴぴぴっぴぴぴぴっ!

 軽快な電子音が、そのフロア全体に響いた。
「どこからだ!?」
「え、エレベーターの方からじゃないか?」
「映してみろ!」
 モニターは救護室からこの階のエレベーターへと移った。
「―――馬鹿なっ! LM-RSDS-4913Aがこの階にいるだとぉ!?」
 そこには、エレベーターが来るのを待つように佇む空の姿が映し出されていた。
 ――――ちゃらりら〜っ
 再び電子音。今度は着メロだ。
「次は、何だっ!」
「え、エスカレーター付近に……やはりLM-RSDS-4913Aが……!」
「ええいっ! どうなっているっ!」
「―――仕方ない。お前ら二人は、手分けして様子を見て来い!」
 二人、制御室から飛び出していく。―――男の数が減った。
「……一体、どうなってやがるんだ……?」
 腕を組んでモニターを凝視する男。
 そして、また。
 ――――あのぉ。もしもし?
 今度は電子音ではなく、人の―――女性の声が、制御室の外から聞こえてきたのだ。
「――――」
 男は警戒しながら制御室の外を覗く。
 特に変わった事は―――
「―――っ! あんな所にも茜ヶ崎空が……!」
 空が、廊下の先に見える陳列棚の陰から顔を覗かせていた。
 男は拳銃を取り出し、空に駆け寄る―――!
 しかし、空は逃げない。男が拳銃を構え―――そして発砲した!
「―――な……!」
 確かに的中したはずなのに、空は何事も無く立っている。
 男が駆け寄る。
 ―――近くで空を目視して、男は愕然とした。
「ぴ、PDA……!? ホログラムだとぉっ!??」
 その瞬間。
 防火用のシャッターが、男と制御室を隔てた。

「……うまくいったよ、空さん」
 制御室を掌握したココは、天井を見上げながら言った。
 ―――ココは。
 桑古木達と別れた後、制御室に向かわずに、真っ先に優美清春香菜を探したのだ。
 優美清秋香菜を人質に取られて、死を覚悟した上で救出に向かおうとした優美清春香菜をココは呼び止めた。
 そしてこの計画を伝えた。そこでココは、優美清春香菜からPDAを受け取ったのだ。
 ―――空からの返事は無い。ココは、桑古木と優美清春香菜と、そして自分のPDA全てを制御室に進入する祭に使ってしまったのだ。
 だから、ココはもう空に頼れない。
「……ごめんね、涼ちゃん、なっきゅ。……涼ちゃん達のPDA、壊されちゃった」
 モニターには、騙された事に憤り、狂ったようにPDAを壁に叩きつける男が映し出されている。
「まずは、涼ちゃんと空さん、だよね」
 覚束ない手つきで、時々小首を捻ったり唸ったりしながら、ココはパネルを操作していく。
 一度、関係ないフロアのシャッターを降ろしてしまったが、二度目は間違いなく救護室のある二階へと続く階段、エレベーター、エスカレーター付近にあるシャッターを降ろし、二階をこのデパートから孤立させた。
「次は子なっきゅと、他のみんな」
 モニターを切り替える。
 何度か試行錯誤を繰り返して、ココは六階の広場を映し出した。
 ……見張りは、なぜか銃を持った男一人に減っていた。
 人質51人は健在だ。優美清秋香菜もいる。
 けど、そこには優美清春香菜の姿は無かった。
 もう連れて行かれた後だったのだ。
 ココは迷わず、六階のシャッターを全て降ろした。
 驚き、混乱する男。
 その隙を突いて、人質の中にいた男が一人、そいつに飛びつき組み伏した。
 銃を取り上げ、ホールドアップ。
 ボクは自然と、その男が佐倉明日香専属の『スタッフ』と呼ばれる連中の一人だという事を知った。
 千里眼を駆使して見張りを欺き爆弾に近付く遠野拓海の他に、人質を守る役割を与えられた人間が一人、このデパートに潜り込んでいたのだ。
 そして最後にココは、モニターを地下食品売り場に移す。
 上の階の騒ぎを知って、仕掛けられた爆弾を見張っていた男達がエレベーターに駆け込んでいった。
 ココは、それを見計らってからシャッターを閉めた。
 ひょっこりと。
 一人の少年―――遠野拓海が監視カメラの前に姿を現して。
 まるで、カメラの先にいるココの姿を見ているように「にっ」と笑い、親指を突きたてた。
「ありがと、たくみん」
 ココの手には。
 今回の計画が綿密に記された一枚の紙切れが握られていた。
 ―――拓海は。いいや、佐倉明日香達は。
 これを見越して―――あらかじめ全てを計画していたのだ。
 ふと、ココは振り返った。
 何も無い空間に、視線を向けている。
 ―――ああ、分かってる、その通りだ。
 その先には、ボクがいるのだ。
「……お兄ちゃん。いるんでしょ?」
 ココが、ボクに語り掛けてくる。
 でも……肝心のボクには、言葉というものが無かった。
 ただの視点。
 それ以外のものを、持ち合わせてはいないのだ。
「ココ達ができるのは、ここまでなんだ」
 ……ここまで……?
 人質は全員無事。防火シャッターは重く、そして厚い。制御室をココが押さえている今、佐倉の使ったようなロケット弾を使用しない限り破られる事は無いだろう。桑古木も空も、ココの安全も確保されたのだ。
 後は、優美清春香菜の安否。そして、爆弾の―――解体。
「信じてるから」
 ―――え?
「またココ達を助けてくれるって、信じてるから。……そうでしょ? お兄ちゃん?」
 それはまるで、このままではココ達が助からない事を示唆しているようで。
 ボクは、その事実に胸を締め付けられる思いだった。
 ―――もどかしい。
 言葉を持たないボクという存在が、もどかしい。
 頷く首を持たない自分が、不安を取り払うために語る口さえ持たない自分が、悔しくて仕方がなかった。
「必ず助けに来てね? 約束だよ?」

 ―――ああ、ココ。
 ボクは、必ず助けに行く。
 だから――――。
 もう少しだけ、待っていて―――

 それが言葉だったのか、思念だったのかボクには分からない。
 ただ、ココはそれを聞き届けたように。
 ボクに、笑いかけてくれたのだ。

     PM5:34

 デパートの周辺と駅は、人ごみで溢れていた。
 電車はその騒ぎのせいで一時停止したり、ダイヤルに大きな乱れも生じた。
 デパートを、多くの警官や特殊部隊が取り囲む。
 しかし、51人の人質が取られている事や、警告文に書かれていた爆弾の存在のため手出しできずにいた。
 内部の情報は一切入ってこない。刑事もののドラマなんかでよくある特殊部隊の出動要請が出た所で、爆弾の仕掛けられた場所、爆弾の種類、人質の集められた場所が分からなければ、警察と同じく、突入する事すらできないのだ。
 それというものの、警察に与えられた情報の1つに、「見せしめ」として撃たれた桑古木の映像があったためだ。
 ―――連中は、警察が少しでも不穏な動きを見せたら桑古木のような人間が増える、と脅しをかけたのだ。
 ―――このジャック事件の犯行グループは立て篭もっていて、逃げ道は全て警察が塞いでいる。情報が入り次第人質の安全を最優先に突入すれば、いつかは解決する類の事件だ。
 しかし、ライプリヒは脱出ルートをあらかじめ用意していたのだ。
 それは――――やはり、買収だった。
 あらかじめ警察関係の一部の人間に根を回し、包囲の一部に穴を開けていたのだ。
 ―――腐っても、かつては政治にまで強い影響力を誇っていたライプリヒだった。
 リーダーの男は、半数以上の部下と優美清春香菜を連れて、難なくデパートを脱出していた。
 人目につかない場所に止めてあった郵送用の大型トラックに乗り込み、走り去る。
 逃亡ルートに乗ったところで男は一息つき、そして携帯を取り出した。
 メモ用紙を見ながら、番号を押していく。
 そして、長い、長いコール音が続いた。
「……留守、なのか……?」
 男は、携帯を忌々しげに閉じた。
「小町つぐみは、今日はパートが非番と聞いていたのだが……?」
「はい、確かに、情報ではそのはずですが……」
「……外に出掛けていた……? 馬鹿な。p53因子が完全に機能していないパーフェクトキュレイが、夕暮れとはいえまだ日のある時間に外へ出るとは思えん……」
 自宅につぐみは不在だった。
 ボクはその原因を知っている。
 佐倉明日香だ。彼女が「ホクトを誘拐した」という狂言でつぐみを誘い出したから、彼女は留守だったのだ。
 ……では、もし仮に、つぐみが家にいたらどうなっていたのだろうか……?
 優美清春香菜は連中の手中にある。そして、優美清秋香菜は人質になっている……。
 つぐみは、何が何でも二人を助けようとするだろう。
 つぐみは優美清春香菜に、いくら感謝しても足りないくらいの恩を受けているのだ。
 だが、あのつぐみだ。
 二人が人質に取られているからといって、そう易々とライプリヒに従うだろうか……?
 ―――従わないだろう。
 彼女は命を賭して、優美清春香菜を救出する。
 たとえライプリヒと刺し違えようとも。
 そして、優美清春香菜の命が危機に晒されれば、迷う事無く身を挺して助けるだろう。
 ボクが考える希望的観測の中でさえ、つぐみの死はその六割を占めているのだ。佐倉明日香は、確かにつぐみの命の恩人なのかもしれない。
 けど、そうなると優美清春香菜はどうなる……?
 デパートのみんなの安全は、とりあえず確保された。
 けど優美清春香菜は、このままライプリヒに連れて行かれて、研究対象の、モルモットになってしまうのか……!?
 ボクは――――トラックを追跡したかったけど、それは叶わなかった。
 見送る。
 悔しくて、ボクは狂いそうだった。
 ――――けれど。
 ボクは見た。
 優美清春香菜を乗せたトラックを追跡する、三台の黒いロールスロイスを。
 ―――ひょっとしたら………!
 そんな希望を抱きながら。
 ボクという視点は、デパート内部へと移った。

     PM6:17

 遠野拓海は既に爆弾の解体を始めていた。
「……くそ。タイマーが7時にセットされてるって事は、はなっから人質を解放する気なんて無かったって事かよ……!」
 点滅するタイマーは、刻一刻とその時を刻んでいた。
「……まあ、確かにな。13:00にジャック完了。それから丸々六時間もある。……キュレイキャリアの誰か一人は、確実に捕まえられると踏んでいたのか。……一人でも確保したらそのままトンズラ。後は、人質とデパートと一緒に痕跡を吹き飛ばしてハイ、サヨウナラってか!? ったく、胸くそ悪いっ!」
 時限爆弾は、振動、感光、ワイヤーで起爆する仕掛けが山のようにあった。
 拓海の手には、爆弾の設計図。
 佐倉明日香が、その情報網を駆使してあらかじめ入手していたものだった。
 ドライバーでねじを緩め、ニッパーでワイヤーを切断、プラスティックのプレートで電流を遮断する……そのワンステップごとに拓海は、命を賭金に死神と勝負しているのだ。
「ったく、明日香の奴……! 俺の学部が工学部だからって理由だけで解体作業を押し付けやがって……。俺の千里眼で状況を把握しとけば完璧な陰陽活動が取れるからって言いくるめて……大体それなら、俺が携帯で逐一ライプリヒの連中の行動を伝えてれば、他の奴でも見つからずに行動する事できたんじゃないのか?? 何も俺が潜入する必要なかったんじゃあ……!? ああ、くそっ! 明日香の奴、万が一失敗する事を考えてスタッフの爆弾処理班をケチりやがったな!? こんちくしょ、生きて帰ったらハーゲンダッツじゃ許さねぇんだから、ったく」
 愚痴をこぼしながらも、その手は止まる事が無い。
 この時点で、爆弾内部のトラップはほぼ解除されていた。
 そして――――。
「……はぁ。お約束って奴か」
 赤と青のラインを残すのみ、という究極の二者択一。片方を切断すれば爆発、もう片方なら解除で、成功するかしないかは、純粋に確率と運の問題だ。
「しかも、赤と青のコードは組み立てる時に任意で決められる……設計図に正解は無く、あるとしたら製作者の頭の中、か」
 腕を組む。
 携帯の時計に目をやると、いつの間にか時間は6;51を回っていた。
「……明日香がここにいれば、この爆弾を過去視して、作られたその瞬間を知る事ができるんだけどなぁ……。ったく、ホント、人を使うだけで自分から動こうとしねぇんだから。お前が解体しに行けってーのっ!」
 愚痴をこぼす。
 しかし、声は乾いていた。
 ―――6:58
「……富美は、爆弾は爆発すると言った。……それは、俺が切るコードを間違えたからか……? と、いう事は、俺が切ろうとしたコードとは別のコードを……あー、駄目だ。それを見越しての未来視かもしれないしなぁ……あ〜っ、ったく、何だってこう、頭を使うような事をせにゃあならんのだっ! 大体、何でどのコードを切れば爆発するのかってところまで視えなかったんだ? 富美はっ! 偶発的なアットランダムなモンじゃなくって、富美が自由自在に未来視できりゃあ、こんなまどろっこしい事せんでもいいってのにっ」
 頭を、乱暴にかきむしる。
 ―――6:59
「……さて、何もしなくても7時には爆発。俺が間違えれば今すぐにでも爆発。……俺は、青を切るぜ」
「もし当たりだったら大団円。外れたら、その時は――――」
 ニッパーを、青いコードにあてがう。
 右手に、力を込めて。
「――――その時は、お前の出番だ。――――BW」

     PM7:00

 轟音が轟き―――全てを、飲み込んだ。


 そんな悪夢の光を、ボクは幻視した。


 ボクは、不意に涙を流した。
 ボクは、ココ達を助けなければならない。
 ……その事実が、ボクにはとても、やるせなかった。
 ―――原生過去。
 ボクが新しい選択肢を作り上げたところで……こうして、みんなが死んでしまった歴史は、変わる事無くY線上の先に存在し続けるのだ。
 ――――信じてるから。
 そうボクに告げたココは……この歴史では、もう助ける事はできないのだ……。

 爆弾は、もう爆発してしまったのだから。

「あ、あはは……」
 声が漏れる。
「は―――はっ……ぐぅ……っ……あ、あはは、あははははははははっ!」
 ボクに声帯なんて無いのに。
 ボクは。
 笑い続けた。
 そして、吹っ切れた。
「―――いいだろう、佐倉明日香。新たな選択肢を作り出すのがボクの逃避でも構わない。ボクは見限る。この終わってしまった世界を。―――世界を破棄する。こんな枝はいらない……! 世界は、常に都合のいい一本の大樹だけで十分だっ!」
 止め処無く溢れ出る涙。
 狂乱。
 ボクは、初めて失う悲しみを知り、泣きながら狂った。

 目が霞む。
 滲み、歪む―――。
 だからだろうか。
 ボクは――――この視点の世界に、あるはずのないものを幻視した―――。

「すべては、可能性に内包されたお話だよ。――――お兄ちゃん?」

 彼女が。
 ボクを、見ていた。
 この、暗い暗い―――深海のような場所で。
 闇を裂いて、日の光が海の底を照らすように。

「変わらない過去なんて嘘。世界は大きな一本の木で、無数に枝分かれしてるのも嘘。ぜんぶ、ぜーんぶ、お兄ちゃんが自分で作り出した嘘」

 それは、ボクを否定すると同時にボクを肯定してくれる、不思議な言葉。

「自分を信じて。もし、見られる事によって月がそこに存在するなら……お兄ちゃんが見なければ、世界は最初から、どこにも存在しないんだから。……お兄ちゃんは、どうしたいの?」

 ボクは、どうしたいんだろう……?

「悲しい可能性を見詰めて、お兄ちゃんは何を思うの?」

 ボクが思う事。
 それは、ただ1つ。

「……ココを、助けたい。……みんなを、『ぼく』達は助けたいんだ!」
「だったら―――それが世界だよ? これから進む世界。ココ達が生きていく、本当の世界。だって、知ってる? 今日はね、6月の17日じゃないんだよ?」
「……え?」
「今日は6月16日の真夜中。ほら、よく耳を澄ましてみて? ……たけぴょんと、つぐみんの喋り声が聞こえるっしょ? いちはちきん、だけど。うっしっしっしっし」
「………ココ?」
「目を覚ましてみて? そうしたら、全部分かるから。目を覚まして、朝ごはんを食べて、マヨちゃんと一緒に学校に行けば全部分かるから。……6月17日は、二回訪れている。……お兄ちゃんの中だけの、たった一度のループ。その現象も、その原因も、全部、ぜーんぶ知ってる人がいる。仕組んだ人がいる。……その人を、探してみて」
 やがて、光は薄れていき。

 ぼくの幻視は、そうして終わった。

 淡い、月明かりのような光が帰って行く。
 それが、インフレビジョンの光景だという事を知って。


 ――――ぼく、倉成ホクトは、自分の部屋の小さな電球を、じっと見据えていた―――。


 どうも、REIですー。
 幻視同盟、一応ここで一区切り付きます。
 ぼんやりと真実が見えてきて、そして急展開。
 BW→ホクトという急な視点の転換にはきっと戸惑うかもしれませんが、最終的には「ああ、なるほど」と頷けるように頑張りますー。
 第四話からは解決編。
 ただし、最終的に謎が全て解けるのはエピローグになってから。
 気長にお付き合いくださいー。


 第二話に訂正箇所あり
 PM8:25→AM8:25
 PM8:51→AM8:51
 PM9:51→AM9:51
 午前中の学校のシーンが、全部PM(午後)になってましたー。
 夜中に何を!?(笑
 

 ではー。


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