たったひとつ、大切なもの
                              豆腐 





   1、

 落胆と。
 そして同時に、ああやっと終わったんだな、という安堵とが胸に広がった。
 未だ混乱している娘の――優美清秋香菜の肩を抱いている『ホクト』の顔を見ながら、これまでの十七年間を振り返る。長いようで、やはり長い十七年間であった。ひたすらに周囲を騙しつづけた十七年間。愛する娘に充分な愛情を注いでやることもできなかった。それはもちろん、『田中ゆきえ』を演じねばならぬがゆえ。だからこれからは娘を、娘のためだけに生きようと思う。きっと彼女は私を恨んでいるだろう。二人の間にできた溝は、この一週間でさらに深くなった。
 だが私は、何でも知っている。彼女の事なら、文字通り自分の事のように分かるのだ。
 だから、
 だからきっと。
 ここから始めることだってできるはず――

   2、

 ブリック・ヴィンケルは発現しなかった。
 モニター越しにその事に気づいた私は、正直そのまま死のうかとすら思った。
 なにせ十七年である。その全てが――水泡に帰したのだから。
 通信が切れ、棒立ちになったまま数分が経過してから、ハッと気づいた。
 ――娘を、迎えにいかなければ――

   3、

 事後処理、というか、後始末がこれまた大変であった。
 Lemu倒壊事故の責任云々はもちろん、つぐみや沙羅、ホクトの事がある。特に(いや、順位をつけるわけではないが)、つぐみには頬を差し出すぐらいの覚悟を持って謝らねばならなかった。そしてこれからは三人で住めるよう新居のひとつも用意してやろう。できるなら、私とあの子の家の近所に。
 あの事故のあと桑古木は、なんでも自分探しのたびに出るとか言ってふらふらとどこかへ行ってしまった。もともと放浪癖のあるやつで、記憶を失う前も家出中だったらしい。
 事情を聞いたつぐみは、一瞬泣きそうな顔を浮かべたが、それでも笑って「ありがとう」と言ってくれた。きっと彼女はこれからも武の帰りを待つのだろう。十七年間そうして来たように。だが大丈夫だ。彼女には、愛すべき二人の子供がいるのだから。
 かすかな希望を抱いてIBFにも降りてみたが、そこにあの二人の姿はなかった。この歴史の上では、十七年前のあの日に死んだ事になっているのだろう。そう思うと、やはりどうにもやり切れない気持ちが浮かんできた。

   4、

 ……さて、あれから一年が過ぎたわけだが。

 仕事から帰って来て、家のドアを開けると、吊り目がちな少女が飛び出してきた。その顔には満面の笑顔。
「おばさ〜ん、助けてー♪」
 言いながら私の背後へと隠れる少女。小町沙羅である。
「な、なに? どうしたの?」
「なっきゅ先輩がいぢめるんです!」
「くぉらマヨ! あることないこと言ってるんじゃなーい!」
 この粗暴な少女。もちろん愛する娘、優美清秋香菜。
「まあまあ二人とも、落ち着きなって」
 困ったような笑顔を浮かべて現われたのは、小町北斗。
「あんたは黙ってなさい!」
「お兄ちゃんは黙ってて!」
 二人に一喝され、「ううっ……」とうめく北斗。当然のように尻にしかれている。
「だから、一体どうしたのよ?」
「沙羅が北斗の寝込みを襲ったんだとよ」
 私の質問に答えたのは……当然のように顔の造形に微塵の変化も無いあの男だった。
「桑古木!」
「よう」
「帰って……来たのね」
「まあな。色々と、落ち着いたし」
「……そう」
「つぐみにも会って来たよ。殴られた」
 そう言って、笑いながら右の頬をさする。
「そりゃそうよ。一人だけ逃げたんだから」
「……世話かけたな」
「ものすごく大変だったわ」
「謝るよ、何度だって」
「……大変だった」
「ごめん」
「全然、足りない」
「ごめんな、優」
「…………」
「これからはずっとそばにいるからさ」
「……ずっと?」
「ああ、ずっとだ」
「本当に?」
「本当だとも」
「……うん」
 うつむいた私の頭を、ぽんぽんと撫でる桑古木。なんだかその手が大きく思える。私は胸の奥に暖かい火がついたのを感じた。
 ずっと秘めていた想い。私は彼の事が好きになっていた。彼が倉成に似ているからではない。彼が優しいから、私は彼が好きになった。十七年間支えてくれた彼となら幸せになれると……心から思えるから。
「はぁ〜あ」
 大きなため息に、私は顔を上げた。
 娘が、桑古木に流し目をやりながら言う。
「三十半ばにもなって、よくそんな恥ずかしい会話ができますねぇ、お二人さん」
「う、うるせぇな!」
「顔と心は二十代よ!」
 沙羅と北斗が、声をあげて笑う。つられて私達も、自然と顔には笑顔が浮かんでいた。
 隣りの塀に頬杖をついて様子を見ていたつぐみが「近所迷惑な人達ね」とつぶやくのを私は聞き逃さなかった。

 なんて。
 なんて幸せなのだろう。
 十七年分の幸せが凝縮されている。
 幸せだけの連続。やがて確実に来る別れの事は、今だけは忘れてもいい。

 終わらない笑顔の中。
 娘がふと思い出したように、私に笑顔を向けた。
「……おかえりなさい、お母さん」
 何度聞いても涙が出そうなその言葉。私はもちろん笑顔で返す。
「ただいま、優」


   End




 あとがき

 物凄い矛盾がありますが、小さい所は目をつぶっていただくという作戦で。
 とにかく自分の持つ妄想力を詰め込んでみました。でもやっぱ三十後半はー、とか理性が思ってしまいます。
 とまれかくまれ、読んでくださったのであればそれだけで感激です。
 なんかもう、愛的なものをプレゼントふぉーユー!(死のう

 ではっ。


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