彼女は闇が支配している空間にいた。
 そこは光が存在することを許されないほどの深い闇。
 だがその闇の中で彼女に唯一視覚できるものがあった。
 ――赤い瞳
 その赤い瞳を持つ者の周りだけ明るく、彼女の意思とは関係なくそれを見せ付ける。
 彼女は戦慄した。
 その者の左手は在るべき場所に付いていない。
 かろうじて付いている右手が彼女に向かって伸びてくる。

「レゥちゃ――」
 彼女はその手を取ろうとした。
 しかしその瞬間記憶がフラッシュバックして二つの場面を思い出させる。
 一つは彼女の自宅でレプリスが死ぬところを見た場面、そしてもう一つは――


 がばっ!
「んくっ、はぁ、はぁ……」
 飛び起きた拍子に掛けていた布団を跳ね飛ばす。身体は熱を帯び、鼓動は早鐘となり喉は水分を求めている。
「ん……。夢……か」
 最悪な夢だった。だが彼女――結城みさおはここの所毎日こんな夢を見ている。
 みさおは昔からこのような夢を見ていた。しかし最近の夢はより彼女を苦しめ罪悪感を駆り立てる。
 なぜならこの夢に出てくるモノが名も知らぬレプリスから、『大切な友達』に変わったのだから……。

「レゥちゃん……」

そして行き着く未来へ
作:歩



 レゥが帰ってきてから一週間が経った。
 その間みさおはレゥはもちろん恭介とも会っていない。
 レゥとは会えない、むしろ会いたくない。
 こんな気持ちから、みさおはどうしても受身的になってしまっていた。
 しかしレゥと同じ寮で暮らしている恭介のことを考えると胸が痛んだ。彼はどんな気持ちでレゥに接しているんだろうか?
 あの時恭介は確実にレゥが偽者であるとわかっていた。そう確信できた。
「会いに……行こうかな……」
 頭は会いに行くべきだと言っているが身体が言うことを聞いてくれない。
 何度も何度も葛藤するがそれでも一歩を踏み出せないでいた。
 もう何回目になるかわからないため息を吐く。

 その時――
 滅多に鳴ることの無かったみさおの携帯が鳴った。
 ゆっくりとディスプレイを見る。
 ――これは、阿見寮の番号?
 そう理解した瞬間、みさおは携帯のボタンを押した。

「はい、もしもし?」
「あ……みさおちゃん。恭介だけど」
 一週間ぶりに聞く愛しい者の声。だが心中は複雑だった。嬉しい思い、それとかすかな恐れ。
「うん、どうしたの?」
「ああ、実は……」
「……レゥちゃんのことだよね?」
 その名前を出したと同時にお互い声が出なくなってしまう。
 やや間を置いて。
「ああ。それで明日会えないかな。話がしたいんだ、君と」
「それは構わないけど……今日はダメなの?明日は学校でしょう?」
「今日は……レゥが一緒に買い物に行こうって言って聞かなくてさ」
「……!そ、そうなんだ」
 みさおがぴくっと反応する。電話越しの彼は一体どんな表情をしているのか。
 今のレゥと接する、それだけで二人には影が宿ってしまうのだから。
「うん……だから明日、学校が終わった後に……そうだな、あの公園でどう?」
 心なしか恭介の言葉も震えているような感じがした。
「森林公園だよね?わかった。じゃあまた明日ね」
「ああ。じゃあね」
 電話を切る。途端に静かになる部屋。みさおは本棚の前まで歩き一冊の本を手に取る。
『レプリスの構造、有用性について』
 表紙にはそう書かれていた。
 ――その有用なレプリスのおかげで今苦しんでいる人もいる。……皮肉なものね。
 みさおは窓の外を見た。空は暗いとまではいかないが灰色をしていた。
 窓から見える家々にも影が宿っているように見える。
 明日、良くも悪くも何かしらの進展があるだろう。
 ――明日は晴れるといいな。空も、私の心も。


 翌朝、朝食を食べているときのことだった。
 ふと、心を持たないレプリスが視界の隅に映った。

 ――そういえば、あのレゥちゃんには『心』はあるのかな?それともこのレプリスと同じように心は無い?
 でも、心の無いレプリスが、例え記憶を持たせたとしてもあのレゥちゃんと同じように振舞えるだろうか。
 確かに私たちは空港でのレゥちゃんの一挙手一投足に違和感を覚えた。
 でもそれは、私たちがレゥちゃんのことを余りにも想い、前のレゥちゃん以外は認めないと思っていたからなのかもしれない。
 ……やめよう。この問題は一晩や二晩考えた程度じゃわかるわけがない。

 彼女の中で何かが変わろうとしていた。とても不安定で彼女自身にもそれが何かはわからなかったが。

「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「うん」
 感情のこもらない声で答える。彼女の心を持たないレプリスに対する反応はもうこれしかないのかもしれない。
 
 学校へ行く途中も放課後のことを考えずにはいられない。考えまいとするがそれも無駄に終わり、答えの出ないクイズを解こうと必死になってしまう。
 『心』――こんな定義の曖昧なもの一つでレプリスか友人かが決まってしまう状態に彼女はいる。
 心を持たないレプリスを友人と呼ぶことは彼女にはできそうもないことだった。同じ姿をした者がそれを持っていたせいもあるだろうが。
 ――はぁ、やっぱりわからないな。あのレゥちゃんに心があるのかが。あれはただのレプリス、そうわかっているのに私はまだ何かを期待している。
「ふぅ……。……あ」
 みさおの目の前に猫がいた。首輪が付いていないので野良のようだが、猫は前足を怪我していた。
「大変、ちょっと待っててね……と」
 ハンカチを取り出し猫に近づく。
「逃げないでね……」
 猫はびくびくしていたが足の痛みもあるのだろう、逃げはしなかった。みさおは動物に好かれやすい自分の体質に感謝した。
「はい……っと、よし。ごめんね、こんなことしかできないで」
 怪我している足にハンカチを巻きそっと離れる。猫はにゃ〜と一声鳴き去っていった。それがまるでお礼のように思えて自然にみさおの顔はほころんだ。
 ふと、最近は笑ってもいなかったな、などと思う。精神的に余裕が無かったのだろう。
 ――でもそれは小さなきっかけで変わる。さっきの猫みたいな。
 今の状況もそう悲観するものでもないのかもしれない。
 ――すべては私の心しだい……かな。
 それと恭介の。
 そうみさおの口が動いたように見えた。

 学校では考えごとをしているうちにあっという間に時間が過ぎていった。
 授業中何度か教師に注意されていたがみさおは気が付かなかった。
 そして放課後。
 みさおは早足で公園に向かった。これからする話が重いものであることはわかっていたが、それよりも恭介に会いたい気持ちが勝っていた。
 MDを大音量でかける。この音量が今は心地よい。恭介に会う前に自分を閉ざしていたころもこうしていたことを思い出す。
 今はあのときとは違い自分と関係のない音を聞きたくないからではなく、余計なことを考えないようにするためだ。
 ・
 ・
 ・
 公園に着く。みさおはベンチに座っている先客に気が付いた。
「恭介、もう来てたんだ」
 時間は三時十分。いくら恭介が早く学校を出たとしてもまだここにいるはずはない。
「はは……6限サボったんだよ」
 そう言った恭介の顔は少し疲れているように見えた。
「学校出てからからずっとここにいたの?」
「まさか。町を散歩しながらいろいろとね。考えてたんだよ」
「そうなんだ」
 どこかぎこちない空気。とても一週間ぶりに会った恋人同士とは思えない。
「……久しぶりだね」
 恭介がそう切り出す。
「うん……」
 二人ともなかなか本題に入ろうとしない。
「…………」
「…………」
 ついには黙ってしまう。

 雲が太陽にかかり、辺りを暗く染める。
 一雨来そうな天気になってきた。
 そして沈黙を破ったのは恭介だった。
「あのさ」
 みさおが視線を向ける。
「久しぶりに会ってこんなことを言うのもなんだけど……しっかり話そう」
「うん。……あはは、覚悟は決めてきたはずなのにな」
 そう言って自嘲気味な笑いを浮かべ、続ける。
「でもやっぱりきちんと話さなきゃダメだよね。」
「ああ。当人がいないところで話すのもなんか嫌な感じがするけど……それはしょうがないな」
「うん……レゥちゃんに聞かせられるはずはないよね……」 
 みさおは一度俯き、また顔を上げて言った。
「一つ聞いてもいいかな?」
「どうぞ」
「……恭介はレゥちゃんと接しててどう?」
「どうって?」
「やっぱり変わったとか、それとも嫌とか」
 恭介はその言葉に動きを止める。
「…………」
 みさおは催促するでもなくじっと恭介の言葉を待つ。やがて恭介は言った。
「変わったとは思う。けどそれ以上に……」
 一度言葉を切る。その先を口にするのをためらっているようだった。
 みさおはじっと恭介を見ている。
 そして彼が発した言葉は――
「怖い」

「え……?」
 みさおは目を丸くしていた。彼女にとっても意外な答えだったのかもしれない。
「どういうこと?レゥちゃん、そんなに変わっちゃったの?」
「いや、そういうことじゃないよ」
 何かが吹っ切れたのか、いやに淡々と言う。
「一週間前、レゥがオレに抱きついてきたとき、オレは思ったんだよ、レゥ……いや、『自分の腕の中にいるレプリスが怖い』って」
「恭介……」
「…………」
 レゥのことを『レプリス』と呼ぶ。
 これはすなわちレゥとは違うとはっきり言っているようなものだ。

「恭介……」
 みさおはもう一度彼の名を呼び、そっと彼の左手に自分の右手を添えた。
「あ……」
 いきなりのことに少し驚いた様子でみさおの顔を見る。
「前に言ったよね。寂しかったら私がそばにいてあげるって。……寂しいでしょ?」
「はは……ちょっとだけ、ね」
「強がらなくてもいいんですよ」
「女の子の前で泣く訳にはいかないからね」
 そう言って恭介は笑った。
「ふふ……」
 みさおもつられて笑う。

「あ、そうだ……恭介、もう一つだけいい?」
「うん、何?」
 そこで間を置く。
「今のレゥちゃんに――」

「――心はあると思う?」
「……え?」
 その時だった。

「あ!おにいちゃん、みさおちゃん!」
 時が止まった。
 少なくとも恭介とみさおにはそう思えた。
 レプリスが近づいてくる。彼らのよく知っているレゥにそっくりな物が。
「レ……ゥ……ちゃん……」
「わ〜い!みさおちゃん、ひさしぶりだね!」
 無邪気な笑い。果たしてそれはプログラムによるものなのか。それとも彼女の自然な感情なのか。
 それがわからなかったからみさおは恭介に助けを求める視線を送った。
 恭介は固まっている。タイミングが最悪だ。今の今までレゥに関する話をしていて、そしてその核ともいえるものに触れようとした瞬間のことだった。
「ねえねえ、またいっしょにあそぼうよ〜。ね〜え」

 ――『また』
 ――レゥちゃんは記憶を持ってる。それは確かだ。でもその記憶を元に行動するときも結局はプログラムされた行動しか取れない。
「あれ、どうしたのふたりとも?おかおがあおいよ?ぐあいわるいの?」
 レプリスが心配している。それは心があるからなのか。
「ねえってばぁ〜!」
 みさおの頭はもう限界だった。何が何だかわからない。
 頭が熱っぽくなり目頭にも何か熱いものが込み上げようとしている。
「……みさおちゃん?」
 みさおは答えない。
 レプリスが手を伸ばす。その手はみさおの頭を目指していた。
「だいじょうぶ?なでなでしてあげるから、げんきだして!」
 優しく、それでいて穏やかな顔でレプリスは俯いているみさおの頭を撫でようとした。
 その直後――

 パンッ!
「わぁっ!」
「あ……」
 みさおはレゥの手を払った。
「はぁ……はぁ……」
 体が小刻みに揺れている。これは興奮によるものか、それとも別の何かがあるのだろうか。
 例えば……恐怖とか。
「……っ!」
 みさおが駆け出す。レゥは払われた手を見て茫然としている。
「みさおちゃん!」
 恭介も後を追おうとする。しかし腕を掴まれてそれを断念せざるを得なかった。
「まって!おにいちゃん……みさおちゃん、どうしちゃったの……?」
 すでに目には大粒の涙が溜まっており今にも溢れ出しそうだ。
 ――これすらもプログラムに基づく行動だっていうのか?
 恭介にももう、わからなくなっていた。
 このモノに心があるのかどうかが。
「ねえ、おにいちゃん、レゥ、なにかわるいことした?レゥがわるいことしたから、みさおちゃんおこってかえっちゃったの?」
 そう、レゥは記憶の一部を抜かれている。
 恭介がみさおを選んだことも覚えていない。だから引き止めたのだろう。たとえそれがプログラムに過ぎないとしても。
「おにいちゃん、なにかいってよぉ……」
 レゥは恭介にすがり付いている。とうとう涙が溢れ出し恭介の服を濡らす。
「……お前は何もしてないよ。」
 ――アニキ……何でだよ、修復完了したって言ったのに……。あれは嘘だったのか?
「でも……。じゃあなんでみさおちゃんかえっちゃったの?」
 ――今までアニキが嘘をついたことなんて無かったのに……。
「それはさ……実はレゥが来る前にオレとみさおちゃんで話してたろ?それでちょっと酷いこと言っちゃってさ。ちょっと気が立っちゃってたんだ。」
 嘘をつくしかなかった。今はこれで通すほかない。少なくとも恭介はそう思った。
 ――はは……思ってるそばから嘘をついてるなんて……オレも人のこと言えないな……。
「それでみさおちゃんおこってかえっちゃったの?」
「ああ、そうだよ。だからレゥは何も悪くない」
 レゥは真偽を確かめるかのように恭介の顔を見ている。
 やがてぽつりと一言、
「そっか……それならいいや……」
「ああ。レゥ、帰ろう」
「うん……」
 寮への道で恭介は考えていた。
 レゥが来る前に言ったみさおの最後の言葉。
『今のレゥちゃんに心はあると思う?』
 あれはどういう意図で言ったのだろうか。
 考えても答えは出ないだろう。なぜなら答えはみさおの中にあるのだから。
 しかしそれでも恭介は考える。
 自分なりの答えをしっかりと受け止めておきたかったから。
 ・
 ・
 ・
 恭介は夢の中にいた。
 不思議とこれは夢だということを知覚できている。
「ここ、どこだ?」
 暗い場所。そこかしこにクモの巣が張られていて埃臭い。
 一歩足を踏み出してみる。
 足に何かが触れた。

 足元に何かがある。
 小さな窓から漏れるわずかな月明かりを頼りにそれが何なのかを判別する。

「かばんに……時計……これは!」
 確かにいつか見たことのある光景だ。そのときと違うのは横に一人の少女がいないだけだった。
 そして恭介は奥に何が待っているかを知っている。
 ここがどこか、そしてどういう状況かを理解すると同時に汗が吹き出してきた。
 先に進みたくなかった。
 足がすくんでいる。体中、いや頭までが拒否しているのがわかる。
 だから恭介はその方向に背を向けその場を立ち去ろうとした。
 そのとき、身体に電流が走ったような感じがして動けなくなった。
「な……何だよ、これ……」
 その場にうずくまる。
「くそっ!夢なんだから早く覚めてくれよ!」
 目をぎゅっと瞑ってみたりして何とか覚醒しようとする。
 しばらくそうやっているうちに恭介は意識が薄れていくのを感じた。
 しかしその間際に声が聞こえてきた。

『もう……いいよ』

『レゥ……もうダメだとおもうの』

『いいかな……うん……もう……』

 それはレゥが自らの存在が消えることを悟り、発した言葉だった。
 その言葉に恭介の中で恐怖と後悔、さらに懺悔の気持ちがどんどん大きくなっていく。
 そして最後にもう一言言葉が流れてきた。

『ごめんね、おにいちゃん。レゥ……もうおにいちゃんといっしょにいられないよ……』
 それは聞いたことの無い言葉だった。

「レゥ!」
 そこで恭介の意識は覚醒した。
 風が部屋を通り抜ける。見るとドアが開いたままになっていた。
 そこからひょこっと亮が顔を出す。
「何だ亮か……びっくりした」
「おいおい、何だって何だよ。……まあそれはいいとしてどうかしたのか?」
「ん?なにがだ?」
「レゥちゃんが今飛び出してきて走っていったけど」
 恭介に戦慄が走る。
「え……おい、今なんてった?」
「だから、レゥちゃんが飛び出してきたけど何かあったのか?って」
 それを聞いた瞬間恭介は走り出していた。
 ドアのところにいる亮を押しのけ部屋を飛び出す。
「お、おい恭介!」
「すまん亮、話があるなら後で聞く!」
 嫌な予感がした。
 こんなことがいつかもあった。
 まず恭介は二階にあがりたえの部屋に急ぐ。

「たえさん!」
 ノック無しにドアを開け叫ぶ。中を見たがやはりレゥはいない。
「あら恭介……どうしたの?」
 ただならぬ雰囲気を感じたのかすぐに真面目な顔をして聞く。
「みさおちゃんに電話をしておいて欲しいんです。レゥが……また家出したって!」
「何ですって!?そ、それでレゥちゃんは?」
「……行き先はおそらくわかります。みさおちゃんもわかると思うからそれだけ伝えてください。じゃ!」
「あ、ちょっと恭介!」
 そう言いまた走り出す。
 恭介は後ろで電話が鳴るのを聞きながらレゥを追っていった。
 時間は夜八時。外は梅雨らしい激しい雨が降っていた。


「はぁ、はぁ、はぁ」
 濡れるのも気にせず全速力で走っている。たえにも言ったとおり行き先はわかっていた。
 ――あいつはレゥなんだ。たとえ心が無くってもレゥなんだ。だからあいつはきっとあそこに……。
 頭で意識しなくても身体が自然にそこに向かっていた。

 そうしてどれぐらい走り続けていただろうか。
 滝のように降り注ぐ雨の中で恭介は彼女を見つけた。
 右手に何かを持ちながら歩いている少女を。
 気のせいか彼女の持っている物は右手の対極の位置にあるべきもののように見えた。
 息苦しさを抑えてその少女に近づく。刺激してはまずいと思い、声をかけずにそっと歩いて近づいた。
 しかし不幸なことに彼女は人間ではない。
 極限状態に陥っている今でも背後から近づく者に気づいてしまった。
「あ!」
 彼女は走り出した。
「しまった!」
 恭介も追いかける。
 普通ならレプリスである彼女は人間よりずっと優れた運動能力を発揮するが、今は調子が出ないのだろう。恭介でもついていける速さだった。
「はぁ……はぁ……レゥ、待てよ……待ってくれ!」
 恭介の懸命の叫びにもレゥは立ち止まらない。振り返ることもせずに駆けていく。
 しかしそこもプログラムの悲しさか、恭介が予想していた方向に向かっている。
 ――先回りできるところは…………無い……くそっ!

 公園を通りすぎ細い道に入る。少し薄暗いがそれでもレゥは止まらない。
 靴にも服にも水が染み込み、走る速度を落としていた。
 あともう少しであの廃屋に着く。
 ――もしあそこに着いちゃったら、レゥはどうするつもりなんだ?
 そんな考えが頭を掠めたが、そんなことを考えてる場合じゃないと思いなおし無心で追いかける。

 そろそろカーブに差し掛かる。
 そのとき恭介は見た。カーブの手前に猫がいるのを。その猫は前足に何か布を巻いていた。
 猫が恭介に気づき逃げだす。だが布を巻いた足に怪我でもしているのだろうか。スピードが無い。
 
 急カーブの右側から光が漏れている。
 猫がカーブに出る。
 そして――

 信じられないことが起きた。
 レゥがものすごい加速をし、カーブに向かっていった。
 恭介の中で時が止まる。
 いや、驚くほどゆっくりに見えた。

 レゥが猫を手で払い飛ばす。
 そこでレゥはがくんとひざを落としその場に崩れ落ちた。
 光がレゥの目の前に迫る。
 レゥは動かない。

「レ……」

「レゥーーー!!!」
 絶望の光は速度を落とす様子も無くその『者』を貫いた。
 レゥが大きく跳ね飛ばされる。
 何回も身体が地面に叩きつけられ、その回転が終わったときには両腕が取れてしまっていた。
 そして、ぴくりとも動かなくなった。

 猫はすぐに逃げ、光は一度動きを止めたが、慌てて飛んでいった。
 恭介は茫然として動かない、いや動けないでいた。

 目の前の光景を認めたくないという気持ち。
 自分はまた同じことを繰り返してしまったという気持ち。
 
 少しして急に意識が覚醒したかのようにレゥに走り寄る。
「……レゥ?」
 側に座り込み、身体を抱きかかえながら静かに声をかける。
「お、にいちゃ、ん……ねこは……だいじょうぶ……?」
 今にも消え失せてしまいそうなほど小さく弱々しい声だった。
「ああ……だいじょうぶだよ。お前が助けたおかげでな……」
 それを聞いてレゥは少し微笑んだ。恭介にはその笑顔がまるで慈母のように見えた。
「あ、れ……?おにいちゃん、ないてるの……?」
「え?」
 恭介の頬を涙が二滴、三滴。止まることなく流れていく。
「えへへ……おにいちゃん……かわいい、ね……」
 その言葉に恭介ははっとした様子で聞き返す。
「……かわいい、だって?」
「そ……かわいい」
 涙がさらに溢れてきて視界が水でいっぱいになる。
「レゥ……ごめん。ごめんよ……」
「あやまら、ないで……レゥがたすけたくてたすけたんだから」
「そのことじゃないよ……お前に冷たく接しちゃってってことだ」
 この一週間、やはり恭介はレゥに対してどこか一歩引いた態度を取ってしまっていたのだろう。そのことに関して今更罪悪感が浮かんできた。
「あはは……たしかにまえとちがったようなきがするけど……それでもおにいちゃん、やさしかったもん」
「バカ……オレはお前のことをちゃんと見てやれなかったダメおにいちゃんだよ……」
「そんなこといわないで。レゥはおにいちゃんのこと、だいすきだよ」
 恭介は何も言わずにレゥを抱きしめた。その姿はとても弱々しかったが体温だけはしっかりと感じることができた。
 まるで蝋燭は消える間際に最も強く燃えるというように。

「おにいちゃん……レゥね……」
 レゥが何かを言いかけたその時。
 二人の姿が影となり道路に映し出される。
 恭介が振り向く。
 再び時が止まる。
 足音が聞こえた。走っているような足音が。
 足音は二人の近くで止まった。
 そして恭介はその視界の隅に見慣れた姿を見つける。

「――――!恭介、レゥちゃん!逃げてぇ!」

 さっきとは別の光が今度は二人を貫いた。
 二人は抱き合ったまま宙を舞う。
 不思議とまだ時がゆっくりと流れていて、何故か恭介は落ち着いていた。
 そのおかげでひきつった表情のみさおが見え、さらにレゥが何かを囁くのを聞いた。

 ――おにいちゃんたちといっしょにくらしてて、とってもたのしかったよ。

 二人が地面へと落ちる。

「いやあぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 みさおが二人に駆け寄る。
 恭介のときとは違い、何のためらいもなく全速力で。
 地面の青に多量の赤が混じっていた。二人はぴくりとも動かない。
 雨は三人を容赦なく打ちつけ少しずつ地面の赤を流すが、赤は無くなりはしなかった。

「恭介!レゥちゃん!二人ともだいじょうぶ!?ねえ!」
 反応が無い。
「ねえってばぁ!」
 その言葉に反応したのは、恭介だけだった。
「みさお、ちゃん……」
「恭介!?良かった、今すぐ病院に」
「待って……みさおちゃんには悪い、けど……オレはもう……」
「何言ってるのよ!?そんなわけないでしょ!だから早く、病院に……うう……」
 最後の方は嗚咽が混じっていた。
 みさおもわかっているのだ。恭介の怪我は即死しててもおかしくないぐらいのものだった。
「でも……神様が、最後にちょっとだけ時間をくれたみたいだ……」
「最後なんて、言わないでよ……」
「いいから……聞いて……。まずは、ごめん。みさおちゃんを置いていくことに、なっちゃいそうだ……。寂しいときにはそばにいるって言ったのに……」
「…………」
「でも、勝手だけど、好きだよ……みさおちゃん……」
「きょう……すけ……」
 みさおが恭介の胸に顔をうずめる。
 鼓動はまだ、弱いがある。
「それと……もう一つだけ……」
「……何?」
 顔を上げて恭介と視線を合わせる。
 同時に恭介の手を自分の手で包み込む。
「さっき……言ったよね……?今のレゥに心はあるかどうかって」
「うん……」

「……あるさ……ぜったい、に……」
「……恭介?」

「恭介ーーー!!!」
 少女の悲痛な叫びは夜の闇の中へと吸い込まれていった。
 空は真っ暗で、彼女の心はどんよりとした闇に侵食されていった。


            ・
            ・
            ・
            ・
            ・ 
            ・
 そして月日は流れ……

「実習の学校は……と、清天町か。聞いたことも無いな」
 一枚の薄い紙をひらひらさせながら一人の男は呟く。
 そしておもむろにそこかしこに散らばっている物の中からリモコンを拾い出しテレビの電源を入れた。
 特に見る番組があるわけではなかったがとりあえずつけてみただけらしい。
 その証拠にまた一枚の紙をじっと見る。
「う〜ん、どうするかな〜。単位ヤバイし絶好のチャンスなんだけど……」
 両手で頭を抱えて真剣に悩んでいるらしい。ウンウン唸っている。
 その間にテレビではニュースが流れていた。
 ――次のニュースです。三日前に起こった○県の清天町沖合いで正体不明の船が爆発したという事故ですが、現在のところ被害者はおろか、生存者の確認もされておりません。
 近隣住民に聞き込みをしたところ、何も有力な情報は得られなかったとのことです。
 この船の詳細も含めて、現在警察と海上保安庁が調査しています。続報が入り次第お伝えします。では次に……

「……まあいいか。どっちみち卒業できなかったら終わりだ。そうと決まれば早速学校に連絡を……」


 運命の歯車はまた動き出していた。
 心を持ったレプリスと少年はこの世から消え、そしてまた別の形で生を受ける。
 少女はその後どうなったか、というのはまた別のお話である。
 これは心を持つレプリスと暮らした者からある教育実習生へと引き継がれる――

 ――魂と生命の物語



 あとがき
 
 どうも、歩です。
 ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
 さてこのSS、マイメリからメイビーに繋がるようしたわけですがみさおちゃんのとこは端折っちゃいました。
 良いのが浮かんでこなかったせいなんですがそこが残念ですね。
 時間があればまた別のSSとして書いてもいいかな?などと思ったり。
 本編ではレゥ04の行方の描写はありませんでしたがここでは、まあ、ちょっと辛い役割を与えたり。
 レゥなんかは想像の違いがあるでしょうが一つの形として受け止めていただければ幸いです。
 ではまた、機会があれば。

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