水鏡の真実   
                           作:三剣 由

ロッジのリビングには、おいしそうなカレーの匂いがほのかに漂っていた。
「あー、おいしかった」
優夏は幸せそうな表情を浮かべながら、リビングのソファーに腰掛けた。
「そう言ってくれると嬉しいわ」
食器の後片付けを済ませたいづみさんが、笑顔を浮かべながらキッチンから出てきた。
「いや、本当においしかったですよ」
いづみさんが作ったカレーは、まさに絶品という言葉がふさわしかった。
オレは以前、誰かさんの料理によって地獄を味わった経験があるので、いづみさんの存在
が女神のように思えた。
「みんな、今からミステリーツアーに行こうよ」
姉のいづみさんと一緒に遊びに来ていたくるみが、他のメンバーを交互に見渡した。
「何、そのミステリーツアーって?」
「ほら、この近くの森の中に未来が見えるっていう泉があるよね。そこを見学しに行くの」
「ああ、あの泉のことね」
いづみさんがポンと手を叩いてうなずいた。
「何ですか、その未来が見える泉って?」
「この近くの森に小さな泉があるんだけど、夜、その泉に行くと、未来が見えるっていう噂があるの。
もっとも、本当かどうか分からないけどね」
オレの疑問に、いづみさんが答えた。
「くるみもまだ行ったことがないの。だから、みんなでその噂が本当かどうか確か
めに行こうよ」
くるみが目を輝かせながら、再度オレたちを見た。
「へえ、そいつは面白そうだな。ここに来た土産話として行こうか、遙ちゃん」
億彦は離れた場所に座っている遙に声を掛けた。
「私はいい・・・興味ないから・・・」
遙は立ち上がると、オレの前を通り過ぎ、自分の部屋へ向かった。
「ち、ちょっと遙ちゃん・・・」
「ちょっと待ちなさいよ、遙」
億彦と優夏の制止の声を無視して、遙はその場から立ち去った。
「んもうっ、遙ったらしょうがないわね。それじゃ、ここにいるメンバーで行くこと
にしましょうか。誠はもちろん、行くわよね?」
優夏の言葉には、半ば強制力が込められているような気がした。
「オレは別に構わないけど」
特に反対する理由もなかったので、オレはみんなと共に行動することにした。
「それでは、未来の見える泉へレッツゴー!」
かくして、オレたちのミステリーツアーが始まった。


「みなさん、右手に見えますのが、かの有名な未来を映す泉でございまーす!」
静寂に包まれた森に、くるみの元気な声が響き渡った。
もともとテンションは高いほうなのだが、今回はさらに高かった。
こういうことになると、くるみちゃんってハイテンションになるんだよな。
オレは思わず苦笑を漏らした。
「ガイドさーん、どうしてこの泉は、未来が見えるって、言われるようになったんで
すかー?」
くるみのペースにはまり、すっかり能天気な観光客と化した億彦が手を挙げた。
何をやっているんだか・・・
普段はクールな美男子を気取っているだけに、今の姿はとても滑稽だった。
億彦の本性を知らないで、だまされている女性たちに、この現場を見せてやりたいな。
オレはカメラを持って来ればよかったと、心の底から思った。
「それは、ぜんっぜん分かりませーん」
これまた能天気に答えを返すくるみ。
それじゃ、ガイド失格だぞ。
「くるみ、それじゃ、ガイドにならないわよ」
いづみさんがオレの思ったことを代わりに言ってくれた。
「だってぇ、くるみ知らないもーん」
姉の横やりに、くるみが頬を膨らませた。
「まあまあ、理由はどうあれ、泉を見れば、噂が本当かどうかはっきりするんだから、早
速、覗いてみようよ」
優夏がオレたちを見渡しながら声を掛けた。
「そうそう、細かいことは気にせず、みんなで泉を見ようよ」
渡りに船とばかりに、くるみが話を締めくくった。
くるみと優夏が動き出したのをきっかけに、オレたちは泉の周りを取り囲むように立った。
オレは前かがみになって、泉を覗き込んだ。
泉は深い藍色に染まっていて、何も見えなかった。
やっぱりただの噂に決まっているよな。
オレがそう思った瞬間、突然、風もないのに、水面が小さく揺れた。
そして、オレは信じられない光景を目にした。
そ、そんなバカな・・・
オレは我が目を疑った。
しかし、そこには確かに見えるはずのないものが、映し出されていた。
それは自分が誰かにナイフで刺されるという映像だった。
肝心な相手なのだが、そこだけは水面が激しく揺れているせいで、まったく分からなかっ
た。
どういうことなんだ、これは・・・
目をこすって、ふたたび泉を見たときには、すでにもとどおりの姿になっていた。
幻なのか・・・
そう思いたかったが、先程の出来事は鮮明な記憶となって、オレの頭の中に刻み込まれて
いた。
あれは幻なんかじゃない・・・!!
全身から汗が吹き出す。
あの泉の噂が真実なら、自分の見たものは未来そのものとなる。
オレは誰に殺されるのか?
何故、殺されるのか?
いつ?
どこで?
次々と沸き上がる疑問に、オレはめまいを覚えた。
「やっぱりただの噂だったみたいね」
最初に優夏が泉から目を離した。
「ちぇっ、つまんないの」
すぐさま、くるみが不満げな表情を浮かべながら文句を言う。
ふたりが泉から離れると、そのあとに億彦といづみさんが続いた。
あれはオレだけにしか見えないのか?
オレは何事もなかったように歩き出したメンバーをじっと見つめた。
「誠、何、ぼおーっとしてるの。早く来ないと置いて行くわよー」
「・・・今、行く」
オレはかすかに震える足をなだめながら、みんなのところへ戻った。
「誠君、顔色が悪いけど、大丈夫?」
「大丈夫です。少し疲れただけですから・・・」
オレは逃げるように、先頭を切って歩き出した。

窓に差し込む朝日が不愉快な目覚めをもたらした。
いつもなら気分のいい朝のはずなのだが、今日はとてもそんな気分にはなれなかった。
オレは昨日の出来事の影響で、ほとんど眠ることが出来なかった。
あれから誰かにこのことを打ち明けようかと思ったが、結局、自分の胸のうちに留めた。
理由はふたつある。
ひとつは話があまりにも非現実的で、信じてもらえそうにないこと。
もうひとつは、仮に信じてもらえたとしても、どうすることも出来ず、余計な混乱を招く
だけだと判断したからである。
せめて自分を刺した相手だけでも、分かればいいのだが・・・
1番の問題点はそこだった。
相手さえ分かれば、まだ対策のしようがあるのだが、今の現状では出会う人間すべてに、
注意を払わなくてはならない。同じゼミ仲間である優夏たちに対してもだ。
みんながそんなことするわけないだろ!
疑心暗鬼に陥りそうな自分を叱りつけた。
とにかく、今はあまり考えないようにしよう。考えたところでどうすることも出来ないの
だから。
オレはとりあえず、開き直るよう努力することにした。
「とりあえず、顔でも洗うか・・・」
オレは着替えて部屋を出た。
ドアを開けてリビングに出ると、大きめのパジャマを着た遙とばったり出会った。
「あ、おはよう、遙」
オレが挨拶をすると、遙は小さく頭を下げた。
あ、そういえば・・・
オレはリビングに姿を現した遙を見て、今日、彼女と釣りに行く約束をしていたことを思
い出した。
「遙、今日、一緒に釣りに行く約束していたけど、いつ行こうか?」
「誠にまかせる」
「それじゃ、今から行こう」
「うん」
遙がうなずいた。
ちょうどそのとき、億彦がこちらにやって来た。
「おはよう、遙ちゃん。なんだ、石原もいるのか」
億彦はオレの顔を見るなり、不愉快そうな表情を浮かべた。
「なんだとはずいぶんなご挨拶だな」
「フン、おまえ、遙ちゃんに対してなれなれしいぞ」
どうやら遙と一緒にいることが、気に入らないようだった。
「男のジェラシーはみっともないぞ」
ほんの数日前に、ヤツから同じことを言われていたので、この機会にそっくりお返しして
おこう。
「な・・・!」
オレの言葉に鼻白む億彦。
いい気味だ。
「遙、そろそろ釣りに行こう」
そんな億彦に、さらなる追い討ちを掛けた。
「うん」
「遙ちゃん、なんで石原なんかと一緒に・・・」
「億彦には関係ない」
遙は億彦にとどめの一言を浴びせると、急ぎ足でその場を離れた。
「そ、そんな・・・」
ショックのあまり、茫然自失となる億彦。
「ま、そういうことだよ、億彦君。アデュー」
オレは勝ち誇ったように、生きた石像と化した億彦の前を、悠然と通り過ぎた。


陽光を受けて、きらめく海のまぶしさに、オレは目を細めた。
光の波は、気まぐれな春風によって、無造作に流されていた。
ゆらゆらと揺れる釣り糸と水面を見ているうちに、オレは強烈な睡魔に襲われた。
「ふわあ」
口から大あくびが漏れる。
オレは眠気を覚ますため、頬を両手で軽く叩いたあと、遙の様子をうかがった。
ちょうどタイミングよく遙が魚を釣り上げた。
激しく動き回る魚の水しぶきを浴びて、楽しそうに笑っていた。
感情の変化に乏しい彼女が、こんな表情を見せるのはとても珍しいことだった。
遙って笑うと可愛いな。
オレは思わず見惚れてしまった。
そんな横顔を見ていて、不意に遙の口癖となっている言葉を思い出した。

「私にはないから・・・心がないから・・・」

心がないなら、そんないい笑顔は作れないよ。
オレは心の中でつぶやいた。
「誠」
遙に声を掛けられ、オレは我に返った。
「ど、どうした?」
「引いてる」
遙の指差した方向には、しなる釣竿があった。
「ほ、ほんとだ」
慌ててリールを巻き上げる。釣れた獲物は、大きなヒトデだった。
「ヒトデって釣ることができるんだ」
遙はまじまじとヒトデを見つめた。
「ま、まあ、オレほどの実力者じゃなきゃヒトデは釣れないんだよ」
無理に強がってみせる。
オレは思いっきりヒトデを放り投げた。ヒトデはブーメランのように、弧を描きながら海
に帰った。
ったく、期待させんなよ。
その場で地団駄するぐらい悔しかった。初当たりがこれではやってられない。
「そうなんだ。それじゃ、私も今度はヒトデを狙ってみようかな」
「あ、いや、ヒトデは狙って釣れるもんじゃないんだ」
本来なら簡単にバレてしまう嘘なのだが、遙には通じなかったようだった。
間に受けられて、オレはリアクションに困ってしまった。
「お、遙の竿も引いてるぞ」
「あ・・・」
遙は小走りで竿に駆け寄り、引き上げた。
「見て、誠、また釣れたよ」
遙が無邪気な笑顔を浮かべながら、釣れたばかりの魚を見せびらかした。
オレは拍手したあと、がっくりとうなだれた。
これじゃ、どっちが初心者か分からないぞ。
確かこの島に来て釣りを始めたばかりの遙に、経験者の自分が教えるという予定のはずだ
ったが、これではまったく正反対の結果になってしまう。
せめて1匹でもいいから大物を釣らないと・・・
オレの薄い望みは、1本の釣り糸に託された。
「楽しいか?遙」
「うん」
遙は穏やかな表情で、小さくうなずいた。
「よかった、それでこそ来た甲斐があったというもんだ」
初めて見た遙の笑顔。
オレは、遙本人ですら気付いていない『心』の存在を感じることが出来た。
あとは、本人に気付かせてあげればいい。時間を掛けてゆっくりと。
「誠、また引いてるよ」
「よし、今度こそ」
オレはすぐさま、竿を引き上げた。
「またヒトデか・・・」
オレは深いため息をついて、うつむいた。
わずかな望みが完全に潰えた瞬間だった。

遙と釣りを楽しんだ後、オレはひとりでルナビーチへ足を運んだ。
「いらっしゃいませー」
オレが店の扉を開けると、いづみさんが笑顔で出迎えてくれた。
店内はいつもと同じように、がらんとしていた。
この風景を見るたびに、よく潰れないなと思ってしまう。もっとも、今日は意図的に、客
がいない時間に訪れたせいもあるが。
「今日は誠君ひとり?」
「ええ」
オレはカウンターに腰掛けた。
「コーヒーでいいかしら?」
「はい」
いづみさんはコーヒーポットに入っているコーヒーを、品のいいカップに注いで、オレに
渡してくれた。
「いづみさん、実は聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「何かしら?」
「昨日の泉のことなんですが、あの泉はどうして未来が見えるなんて、言われるように
なったのですか?」
オレはすぐ本題を打ち出した。今の自分は泉について知らなさ過ぎる。だから、手始めに
泉について調べてみようと思い、ここへやって来たのだ。
「どうしたの?急にそんなことを尋ねるなんて」
「あ、ただ、どうして泉にそんな噂があるのか、興味を持っただけですよ」
オレはとっさに思いついた理由を口にした。
「そうなの。ごめんなさい、私もどうしてかは知らないの」
「そうですか・・・」
自然とため息が漏れた。
「あ、でも、私の知り合いに、この島のことについて詳しいおばあさんがいるから、
よかったら聞いてあげるわよ」
いづみさんはオレが気落ちしていることに気付いて、助け舟を出してくれた。
「よろしくお願いします」
オレは、いづみさんの優しさに深く感謝しながら頭を下げた。
「確かにこの島って辺鄙なところにあるから、曰く付きの場所が多いのよね。泉の
こと以外にも、何か面白そうな場所があったら、誠君に教えてあげるわね」
いづみさんはウインクをして微笑んだ。


ルナビーチを出たあと、オレはふたたび泉へ足を運んだ。
辺り一帯は自分の足音とフクロウの鳴き声しか聞こえなかった。
泉は月明かりを浴びて、幻想的な美しさを漂わせていた。
オレはあのときと同じように、泉を覗き込んだ。
その刹那、水面が揺れた。
この感覚は・・・!!
戦慄が心を支配し始める。
昨夜と同じように何かが映し出された。
「ど、どういうことだ、これは・・・」
オレは狼狽した。
泉が映し出した光景───それは赤く染まる大地に倒れている遙の変わり果てた姿だった。
何故、遙が・・・
驚きのあまり、オレはその場に立ち尽くした。
遙も誰かの手によって殺されるってことなのか?
泉がもとの姿に戻ったあとも、オレの視線は水面に釘つけとなっていた。
この泉は何を伝えようとしているのか?
本当に未来に起こる出来事を映しているのか?
それともただの幻惑なのか?
すべては謎に包まれていた。
今、出来ることといえば、遙の無事を確かめることぐらいしかなかった。
こうしてはいられない!早く確かめに行かなくては!
オレは全力でロッジまで走った。

勢いよくリビングに駆け込んだオレに、6つの視線が集中した。
「なんだ、石原。騒々しいぞ」
億彦の文句など耳には入らなかった。
いた!!
ピザを口にしたまま、きょとんとしている遙を見て、体中の力が抜けていった。
「いづみさんからピザの差し入れのことを聞いて、慌てて戻ってきたのね。そんなに
慌てなくても大丈夫よ。ちゃんと誠の分も取ってあるから」
「食欲がないからいい・・・」
オレは疲れ果てた体を引きずって、自分の部屋へ戻った。


「誠、誠ってば!早く起きてよ!」
激しく揺さぶられ、オレは否応なしに起こされた。
誰だ、こんな乱暴な起こし方するヤツは・・・
「ううん、なんだ、優夏か」
オレは目をこすりながら、体を起こした。
「なんだはないでしょ。せっかく起こしに来てあげたのに」
優夏は腰に手を当てながら、頬を膨らませた。
「起こすなら、もっと優しく起こしてくれよ」
「誠が悪いんだよ。何回、呼んでも起きないから。だいたい、こんな可愛い女の子が
わざわざ起こしに来たんだから、すぐ起きないと失礼だぞ」
「誰が可愛い女の子だよ」
「ふーん、誠って目が悪いんだね」
優夏がオレの脇腹をつねった。
「イテテテ、可愛い女の子はそんなことしないぞ」
「可愛い女の子だから、この程度で済むのよ」
さらに力を込める。
「オ、オレが悪かった」
その一言でオレは拷問から開放された。
「素直にそう言えばいいのよ」
「ったく、本気でつねりやがって」
「ぜーんぶ、誠が悪いんだよ」
優夏はフンと鼻を鳴らして睨みつけた。
「分かった、分かった。それより、何かオレに用事があったんじゃないのか?」
「あ、すっかり忘れてた。あのね、今日の予定を伝えるから、リビングに来て欲しいの」
「分かった。すぐ行くから、先に待っていてくれ」
「みんなはもう集まっているから、早く来てね」
優夏はそう言い残して、部屋を出て行った。
「今日は何をするつもりなんだろ」
オレは普段着に着替えてリビングに向かった。

オレがリビングに入ったとき、他のメンバーはすでに集まっていた。
億彦が何か言いたそうな顔をしていたが、オレは完全に無視をした。
おまえの相手などしている暇はない。
「みんな、集まったみたいね。それじゃ、今日の予定を言うね。今日はみんなで温水
プールに行きたいと思うんだけど、どうかな?」
「プールか、いいねぇ。僕は優夏ちゃんの意見に賛成するよ」
優夏の提案に億彦が満面の笑みで答える。
どうせ、こいつのことだから、水着姿の女の子たちが目当てだろうな。
「誠は?」
「そうだな。久しぶりに泳ぐのも悪くないかな」
「遙はどう?」
「・・・私も行く」
「決まりね。それじゃ、私が朝ごはん作るから、それを食べてから出発しましょう」
「ち、ちょっと待て!」
オレはソファーから立ち上がって叫んだ。
おまえはまたあの惨劇を繰り返すつもりなのか!?
それだけは絶対に避けなくてはならない。どんな手を使ってもだ。
「何よ、急に大きな声なんか出して」
優夏が怪訝そうにオレを見た。
「その、朝食は個人で好きなときに食べたほうがいいと思うぞ。な、億彦」
オレは話を億彦に振った。普段は会話すらしたくない相手なのだが、この際、贅沢は言っ
てられない。呉越同舟とはまさにこのことだ。
「え、そ、そうだな。僕もそう思うよ」
億彦はあたふたしながらも同意してくれた。利害関係が一致しているので、これは当然の
行為だといえる。
頼りない援軍だが、いないよりはましだ。
いざとなれば、捨て駒としても使えるし。このまえのときは、自分が捨て駒にされたので、
今日はヤツに同じ苦しみを味わってもらうのも悪くない。
しかし、今は復讐よりも惨劇の回避が先決だ。
もっとも、あのときの借りは必ずどこかで返してもらうけどな。
「遙ちゃんもそう思うだろ?」
「私、朝ごはんは食べないから・・・」
そう言って、遙はひとりでその場を去って行った。
遙のヤツ、また同じ手で逃げたな。
一瞬、このあいだ、いづみさんが差し入れしてくれたサンドイッチを朝食として食べただ
ろ、と突っ込みたくなったが、すんでのところで思いとどまった。
遙にあの地獄を体験せるのは、あまりにも忍びない。
「なんでみんな遠慮するのよ」
優夏が不機嫌そうな顔をする。
なんでって、料理という作業で完成した『あの物体』を見せられたら、誰だって遠慮した
くなるぞ。
「あ、いや、僕は優夏ちゃんが大変だと思って言っているんだ」
このバカ!そんなこと言ったら逆効果になるだろ!
「そんな気を使わなくてもいいわよ。私は料理作るの好きだから、全然苦にならないし」
「え、そうなの」
言葉を詰まらせる。
ほら見ろ。余計やる気を出したじゃないか。
心のなかでため息をついた。
ん、待てよ、いいことを思いついたぞ。
オレは刹那のひらめきを実行に移すことにした。
「優夏、悪いけど、今日の朝食は昼食を兼ねて食べることにするよ。だから、億彦の分
だけ作ってやってくれ」
「えー、そうなの。うーん、仕方ないわね。それじゃ、億彦君の分だけ作ろうかな」
「石原、おまえ・・・!」
「億彦はまだ優夏の料理を食べてないだろ。せっかくの機会だから食べてみろよ。とに
かくすごいぜ」
オレは含み笑いを漏らしながらリビングを離れた。
リベンジ成功!
あー、いい気分だ。
オレの心は満足感で一杯になった。
「確かに億彦君は、まだ私の料理を食べてなかったわね。それじゃ、不公平だから食
べさせてあげるね」
「あの、その、僕は・・・」
「まさか私の料理が食べられないって言うの?」
「い、いや、そういう訳じゃないんだ。ただ、その・・・」
優夏に詰め寄られて、たじたじとなる。
「食べてくれるよね?」
「・・・はい」
優夏の迫力に気おされて、億彦は陥落した。
「よかったあ。それじゃ、すぐ作るから、ここで待っていてね」
優夏は軽くスキップしながら、キッチンへ入った。
「ああ、神様、僕をお助けください」
億彦は天を仰いで祈った。
しかし、神がその願いを聞き届けることはなかった・・・

「ああ、まぶしい太陽ときらめく水が僕を呼んでいる・・・」
温水プールに着くなり、億彦が虚ろな目をしながら、ふらふらとプールに向かって歩いた。
完全に壊れているな。
オレはほんの少しだけ同情した。
しかし、どんな方法で、ひとりの人間をこんなふうにしてしまう料理が作れるんだ?
知りたい気もするが、あえて触れないことにした。世の中には、知ってはならないことも
ある。
「億彦君、どうしちゃったんだろ」
優夏が首をかしげる。
全部、おまえのせいなんだよ。
オレは横目で睨みつけた。
コイツの場合は、1度自分の料理を食べて、己を知る必要があるな。
次はそうしよう。
もっとも、次がなければ、それに越したことはないのだが。
「うぐわっ!」
億彦がプールサイドで足を滑らせ、無様な格好でプールに転落した。
派手な水しぶきが上がる。
おお、これはまた派手に落ちたな。
「うばばばば・・・」
溺れているのか、億彦が必死になってもがいている。
オイ、そこは足が届くだろ。
その様子があまりにも滑稽だったので、思わず笑ってしまった。
バカはほっといて泳ごう。
オレは念入りに準備体操をして、プールに飛び込んだ。
うーん、気持ちいいな。
オレはクロールで2往復泳いで、ひと息入れた。
あそこにいるのは・・・
オレは反対側のプールサイドに、ちょこんと腰掛けている遙を発見した。
「行ってみるか」
オレは平泳ぎで、彼女のもとへ向かった。
「何しているんだ?」
「水を見ていたの」
「水を?」
「うん」
遙はうなずいて、視線をふたたびプールに向けた。
水を見つめる遙の姿は、絵になるような美しさを漂わせていた。
「・・・」
あまりの美しさに、つい見入ってしまった。
「誠」
「え、な、何?」
突然、声を掛けられて、現実に引き戻された。
「どうして誠は、私に優しくしてくれるの?」
「え、どうしてって・・・」
遙のまっすぐな瞳に、オレの胸が大きく高鳴る。
「それは・・・遙のことが気になるからだよ」
「どうして気になるの?」
「えっと、それはその・・・」
そんなに見つめないでくれ。
胸の高鳴りがさらに大きくなる。
「遙が・・・好きだから・・・かな」
ちょっと待て!舞い上がって何を口走っているんだ、オレは!
今の言葉を取り消したかったが、口から出てしまってはもう遅い。
気恥ずかしさから、オレは視線を宙にさまよわせた。
「好きって、どういうことなの?どんな感じがするの?」
「え?」
今度はオレが遙を見つめた。
「私には分からない・・・私にはないから・・・心がないから分からない・・・誠、ひ
とを好きになるって、どういうことなの?」
「うーん、どう言えばいいんだろ。難しいな・・・」
小首をかしげる。
「そうだな・・・ひとを好きになるっていうのは、そのひとの力になってあげたくなる
とか、守ってあげたくなることだと思うよ」
「それは、私が困っていたら、誠が助けてくれるってこと?」
「そういうことになるかな」
オレは笑って答えた。
「そうなんだ・・・ありがとう」
遙は嬉しそうに、はにかんだ。
それは、今まで彼女になかった『感情』という芽が生えてきた証だった。
この芽を大切に育ててあげたい。この笑顔が何度も見られるように。
オレは心のなかでそう誓いを立てた。
「遙、せっかくだから一緒に泳がないか?水も見るだけじゃなく、全身で感じると、も
っと楽しいと思うぞ」
「・・・うん」
遙はゆっくりと水の中へ入っていった。


「ふう、よく泳いだな」
オレは遙に泳ぎ方を教えたあと、何か飲み物を買うため、売店を捜していた。
「だーれだ?」
いきなり誰かが背後からオレの首を締め上げた。
「ぐっ、その声は優夏だな」
「あったりー、キャハハハハ」
優夏は大声で笑い出した。コイツ、酔っ払っているな。
「まこったん、はるかばかりじゃなく、あたひとも遊んでよぉ」
優夏が首に絡めた左腕に力を込める。
「わ、分かったから、う、腕を離してくれ。く、苦しい・・・」
苦しさのあまり、力ずくで腕を振りほどこうと試みたが、優夏の力が思った以上に強く、
余計な体力を消耗するだけに終わった。
このバカ力め・・・
「ヤダ、離したくない」
さらに力を加える。
首を締め付ける腕の感触。
背中越しに伝わる胸と太ももの感触。
今のオレは天国と地獄を1度に味わっている状況だった。
男の本能って悲しいな。
本気になれば、地獄から脱出できるのに、背中に天国があるため、そうすることが出来な
い。
オレはそんな自分自身に、なんとなく好感を持ってしまった。
「あれえ、まこったん、顔が赤いよぉ。ひょっとして、照れてるのぉ。キャハハハハ、
かっわいいー」
優夏はそう言って、オレの背中に体を押し付けた。
一気に天国と地獄が近くなる。
「く、苦しい・・・息が・・・出来ない・・・」
このままじゃ、本当にどちらかに行ってしまう。しかし、もはや抵抗する力など残ってい
なかった。
苦しいけど、嬉しい・・・
複雑な心境を抱えながら、オレは意識を失った。


オレは不思議な夢を見ていた。
淡い紫色の着物に身を包んだ女性が、短刀で男に切りかかる夢だった。
ふたりの年齢は自分と同じくらいだろうか。
女性はいったん立ち止まると、男に向かって何か叫んだ。
それに対し、男は首を振って何かを言い返した。
次の瞬間、女性がふたたび駆け出し、短刀を男の胸に突き立てた。
男はおびただしい量の血を流しながら、その場に崩れ落ちた。
それと同時に女性の瞳から涙がこぼれて、どこからともなく鈴の音が鳴り響いた。
そこで夢が終わりを告げた・・・


夢が終わってすぐ、目覚めが訪れた。
「なんだ、今の夢は?」
それにしても不思議な夢だった。
何故、あんな夢を見たのだろうか?
答えの出ない疑問を投げかける。
オレは何気なく時計に目をやった。
時計の針はちょうど2時を指していた。
「ちょっと夜風でも当たりに行くか」
眠気が覚めたオレは、薄手のジャンパーを羽織って部屋を出た。
ちょうどそのとき───
「貴様、そこで何をしている!」
突然の大声に、オレは思わず硬直してしまった。
この声は億彦か?
「地球の平和を乱すヤツは、このオックマンが成敗してやる!くらえ!オックマンゴ
ージャスランサー!む、簡単にかわすとは、やるな貴様。オイ、ちょっと待て!その技だ
けはやめてくれ!フナムシなんて反則だろ!ぐわあああ!」
このあと、一瞬、静かになったが、すぐに大きないびきが廊下中に響き渡った。
どうやら寝言のようだった。
驚かすんじゃない!寿命が縮まるかと思ったぞ。
思わず心のなかで怒鳴った。
ったく、どんな夢を見ているんだ・・・
オレは悪態をつきながら、玄関を開けた。


外に出ると、すでに先客がいた。
「どうしたの?こんな夜中に」
「ちょっと中途半端な時間に目が覚めてな。そういう優夏こそ、どうしてこんな時間に
起きているんだ?」
「なんだか眠れなくて、星を眺めていたの」
「そうか」
オレは優夏の隣に並んで、空を見上げた。
藍色のステージで、きらめく満天の星々───
降り注ぐような星空とは、まさにこのことだった。
手を伸ばせば、つかめるのではと錯覚すら覚える。それほど星々の存在を間近で感じるこ
とが出来た。
オレは、星々の詩的な情景に心を奪われた。
「綺麗だね」
「そうだな」
しばしの間、オレたちは無言のまま、星を眺めた。
「ねえ、誠」
優夏が沈黙を破った。
「誠は運命って感じたことある?」
「どうしたんだ、急にそんなこと聞くなんて」
以外な質問に少し驚く。
「なんとなく気になっただけ。それで、どうなの?」
「オレは感じたことないな。優夏はあるのか?」
「うん、私はあるひとと出会って、運命を感じたことがあるの」
「運命の出会いってやつか。ひょっとして初恋の相手とか」
「うん、そうだよ」
優夏が寂しそうに笑った。
「今の私があるのは、すべてそのひとのおかげなんだ。もっとも、もう2度とそのひ
とに会うことは叶わないんだけどね」
2度と会えないってことは・・・
「ご、ごめん。変なことを言ってしまって」
不用意な発言をしたことに気付き、激しく後悔する。
「ううん、気にしないで。私は全然、気にしてないから」
「本当にごめん」
オレはひたすら謝った。
自分の無神経さが嫌になる。
「フフフ、誠って優しいね。やっぱりあのひとに似ているよ・・・」
「ん?今、なんて言ったんだ?」
「ううん、何でもない。ただの独り言よ」
優夏は穏やかな笑みを浮かべた。
「さてと、私はそろそろ寝ることにするね」
「そうか、おやすみ、優夏」
「おやすみ、誠」
優夏は軽く手を振って、ロッジへ戻った。
「オレもそろそろ戻るとするか」
部屋へ戻るため、ロッジの玄関を開けようとしたとき、オレは足もとに何かが落ちている
ことに気付いた。
なんだろ・・・
かがんで目を凝らすと、銀色の鈴であることが判明した。
優夏が落としていったんだな。
明日にでも返してやろうと思いながら、鈴をポケットに入れた。


オレはいづみさんに会うため、ルナビーチへ足を運んだ。
泉のことについて何か分かったか確かめるために。
未だ謎に包まれている泉での出来事を、一刻も早く解き明かさなくてはならない。
信じたくはないが、もし泉が本当に未来のことを映し出すというのなら、オレは何者かの
手によって殺されてしまうことになる。
また、それだけではない。遙までも死んでしまうことになる。
どんなことがあっても、その未来だけは避けなくてはならない。自分自身と遙のためにも。
オレは強い決意を抱いて店内へ入った。
「あら、誠君、いらっしゃい」
いづみさんはいつもと変わらない笑顔で出迎えてくれた。
「こんにちは、いづみさん」
オレは会釈して、カウンターに座った。
「ちょうどよかった。実は、昨日、例の泉のことを聞いてみたんだけど、以外なことが分か
ったの」
「え、どんなことですか?」
思わず身を乗り出す。
「はるか昔に、妖魔の呪いを受けたひとりの巫女が、恋人を殺して自らの命を絶ったという
悲しい出来事があったらしいの」
「妖魔の呪い?そんなものが本当にあるなんて信じられないな・・・」
いづみさんには悪いが、どうしても信じられなかった。妖魔なんて、架空のものだと思って
いるからだ。
「誠君がそう思うのも当然だと思うわ。現実離れした話だものね。でも、この島の伝承に詳
しいおばあさんの話によると、大昔、この島の神社に妖魔が住んでいて、島中を荒らし回っ
ていたらしいの。それで、その妖魔はさっき言った巫女の手によって倒されたんだけど、死
ぬ間際、巫女に呪いをかけたの。最愛の人を自らの手で殺すという呪いをね。そして、その
呪いによって、巫女は最愛の人を殺してしまい、自分のしたことに悲嘆して自殺したらしい
の」
「そんなことがあったんですか・・・」
オレは戸惑いの色を隠せなかった。
「ええ。ただ、話はこれで終わりじゃないの。それから数百年後に、その泉でまったく同じ
事が起こったの。そして、そのときの女性が実は巫女の生まれ変わりで、呪いのせいで、数
百年前の悲劇を繰り返したって噂が流れたのよ。何故、そんな噂が流れたかっていうと、こ
のふたつの悲劇にはある共通点があったからなの」
「共通点?」
「ええ。実は巫女もその女性も同じ銀色の鈴を持っていて、事件が起こったあと、
その鈴が一晩中鳴り響いたという不可解な現象が起こっていたのよ」
銀色の鈴!?
オレは昨夜、拾った鈴と奇妙な夢のことを思い出した。
まさか、そんなことって・・・
戦慄が体中を駆け巡る。
不可思議な夢・・・
いづみさんが語ってくれた泉での悲劇・・・
そして、優夏が持っていた鈴・・・
3つの事象が「鈴」という線で繋がり、ひとつの答えを生み出した。
泉の中のオレを殺した犯人が優夏であることを・・・
しかし、この答えに対し、ある疑問が浮かび上がった。
それは泉が見せた遙の最後についてだった。
何故、遙が死ぬんだ?彼女がこの推測に関わる要素はないはずなのに・・・
何らかの理由で巻き込まれるということなのか?
そう考えてみれば、説明がつく。
信じられない、いや、信じたくなかった。
自分自身が今まで見たものを否定できれば、この推測を打ち消すことが出来る。
あれは幻だった。
目の錯覚だった。
そう思いたかったが、すべて脳裏に焼き付いていて、否定することが出来なかった。
あまりにも唐突で、非現実過ぎるが故に。
「誠君、どうしたの?顔が青いわよ」
オレの異変に気付いたいづみさんが、心配そうに声を掛けた。
「いえ、何でもありません」
オレは努めて平静を装った。
「そう、それならいいんだけど。あ、そうそう、誠君が知りたがっていた由来のことなん
だけど、これについては分からないって言われたの。役に立てなくて、ごめんなさいね」
いづみさんが申し訳なさそうに謝った。
「いえ、こちらこそ手間を取らせてすみません」
オレは頭を下げて礼を言った。
もはや由来のことなどどうでもよかった。
今はただ、重くのしかかる漠然とした未来のことで、頭がいっぱいだった。
「オレ、用事を思い出したので、これで失礼します」
「ち、ちょっと誠君・・・」
オレは席を立つと、頼りない足取りでルナビーチをあとにした。


どこまでも広がる森。そこには闇だけが存在していた。
果てしなく広がる深淵の闇───それはあたかもこれからの運命を暗示しているかのようだ
った。
今、ここにあるのは恐れと不安、そして、絶望───
わずかな光明すら見えない己の運命に、オレはただただ途方に暮れるばかりだった。
どうすれば・・・どうすればいいんだ・・・
いたずらに時が過ぎ、焦りばかりが募る。
オレは呆然と立ち尽くしたままで、泉に目をやった。
ほんの一瞬だけ、残酷な運命を回避する方法が浮かび上がることを期待したが、現実はそ
う甘くはなかった。
オレが落胆のため息をついたそのとき───
背後から砂利を踏む音が耳に入った。
「誰だ!」
オレはとっさに振り返った。
すると、そこには遙の姿があった。
「なんだ、遙か・・・」
張り詰めた緊張感が一気に抜けた。
「遙、どうしてこんなところに来たんだ?」
「・・・」
遙は無言のまま、上着のポケットから何かを取り出した。
それは小さな果物ナイフだった。
「遙・・・!」
オレの呼びかけと同時に、遙が切りかかった。
オレは間一髪で刃をかわした。
遙の虚ろな瞳がオレを捕らえる。今の彼女には意志というものが感じられなかった。
まるで何かに操られているみたいに。
何故、遙が・・・
新たな謎が、頭の中の混乱に拍車を掛ける。
何が違っていたのか・・・
考えを整理しようとしたが、遙がそれを許さなかった。
「くっ」
オレは左に飛び退いて、間合いをとった。
そして、ふたたび考えをまとめ始める。
泉が映し出したオレと遙の最後・・・
泉にまつわる逸話・・・
ロッジで拾った優夏の鈴・・・
・・・
優夏が落とした銀色の鈴・・・?
もし、あのとき拾った鈴が優夏のものではなく、遙のものだとしたら・・・
新たな見解が浮上した。
そう思い込んでいた考えを改め、再度考察してみる。
泉で見た光景・・・
不可思議な夢・・・
泉で起きた2度の悲劇・・・
銀色の鈴・・・
目の前で起こっている現実・・・
5つの事象が複雑に絡み合って、本当の答えを導き出した。
それは数百年前に起きた悲劇の再現が優夏ではなく、遙の手によって引き起こされるとい
う真実だった。
すなわち、優夏は最初からこの筋書きに登場していなかったのだ。
オレは計り知れない絶望感に打ちひしがれた。
これが運命なのか・・・
運命が天使の微笑みだけではなく、ときには悪魔のような残酷さを見せることは知ってい
た。
だけど、こんなことって・・・
オレは唇を強く噛んだ。
今の自分に出来ることといえば、ただ好きなひとが繰り出す刃をかわして、津波となって
押し寄せる運命を食い止めることだけだった。
「ま・・・こと・・・」
不意に遙の動きが止まった。
「逃げて・・・早く・・・」
苦しそうにあえぎながら訴える。
「遙!」
「・・・」
ふたたび自分を見失った遙が、ナイフを振りかざして襲いかかった。
オレは後ずさってかわした。
「遙、目を覚ませ!」
「・・・」
遙は、オレの呼びかけに表情ひとつ変えることなく、切りかかった。
その一撃をよけた拍子に、ポケットから鈴がこぼれ落ちた。
ほんの一瞬、注意が地面に向けられる。
その隙を狙って、遙が突進してきた。
しまった!
オレは急いで左に飛んでかわそうとしたが、間に合わず、右腕を浅く切り裂かれた。
オレは苦痛に顔を歪ませながら、右腕を押さえた。
早く体勢を立て直さないと・・・
痛みをこらえながら、遙の攻撃に備えるべく身構えた。
「私・・・」
ふたたび遙が立ち止まった。
「誠は・・・私が・・・守る・・・」
遙は途切れ途切れにそう言うと、ナイフの刃を自分に向けた。
まさか、自分の命を犠牲にして、オレを助けようとしているのか!?
遙の行動の真意を悟ったオレは、全速力で彼女のもとに駆け寄った。
そんなことはさせない!!
オレだけ助かるわけにはいかない!!
「やめるんだ!遙!」
オレは遙の手首をつかむと、そのまま自分のほうに引き寄せた。その反動で彼女の持って
いたナイフがオレの左腕に手傷を負わせた。
左腕の痛みを必死にこらえながら、オレは遙が身動き出来ないように、両腕で力いっぱい
抱きしめた。
この腕を絶対に離さない!!
オレはずっと待ち続けることにした。
愛するひとが悪夢から目覚めるまで・・・
暗闇に閉ざされた世界に、一筋の光が差し込む瞬間―――
そのときに目覚めが訪れると信じて・・・
「オレは死なない・・・遙も死なせやしない・・・ここにいるのはオレと遙だ!!過去
も運命も関係ない!!」
オレは迫り来る絶望的な運命を真っ向から拒絶した。
その刹那、一陣の風が吹き抜け、鈴がいきなり鳴り出した。
そして、次の瞬間―――
鈴は乾いた音を立てて、粉々に砕け散った。
な、何が起こったんだ!?
突然の出来事にオレは辺りを見回した。それと同時に、遙の手からナイフがすべり落ちた。
「誠・・・」
遙が消え入りそうな声で、オレの名前を呼んだ。黒い瞳からとめどなく涙を流しながら。
「遙・・・」
初めて見た遙の泣き顔に、オレは奇跡が起きたことを感じた。
「ごめんなさい・・・」
遙はオレの胸に顔をうずめて泣きじゃくった。
両腕の痛みと彼女の温もりが改めて教えてくれた。
自分が生きていることと大切なひとを過去の呪縛から解き放ったことを・・・
オレは遙の髪を優しく何度も撫でた。


うららかな日差しが眠気を誘う。
小春日和とはこのことだな。
オレはぼんやりと海を見ながら、あくびを噛み殺した。
目の前にある竿は、朝から1度も動いていない。
一方、遙のほうは今日も絶好調だった。
「また釣れたよ」
遙は釣り上げた魚を見せると、すぐ海に帰した。
確かこれで7匹目だったかな。
オレは内心、かなり焦っていた。
今回は経験者の意地にかけて、雪辱を晴らそうと意気込んでいたが、これではまた返り討
ちにあってしまう。
オレは本当に才能ないかも・・・
何だか無償に悲しくなった。
「誠」
仕掛けを投げ終えた遙がこちらにやって来た。
「ん、どうした?」
「キスして」
「へ?」
「キスして」
同じ言葉が返ってきた。どうやら聞き違いではなさそうだ。
「ど、ど、どうしたんだよ、急に?」
いきなりの大胆発言に、すっかりうろたえるオレ。
「このあいだ読んだ本に書いてあったの。好きなひと同士は、1日1回キスするんだっ
て。私は誠が好きだから、キスして欲しいの」
「えーと、その、オレにも心の準備ってものが・・・」
オレは返答に困ってしまった。
いったい、どんな本を読んだんだ?
「誠は私のことが嫌いになったの?あのとき、プールで私のことが好きだって言ったのは嘘
だったの?」
今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。
「そ、そんなわけないだろ。遙のことが好きだっていうオレの気持ちに偽りはない」
慌てて首を横に振る。
「それじゃ、キスして」
遙は強気な姿勢を崩さなかった。
「わ、分かった」
オレは腹を決めて、遙に近づいた。
遙との距離が縮まるにつれ、心拍数が跳ね上がる。
一定の距離まで近づくと、遙が静かに瞳を閉じた。
オレは彼女の両肩に軽く手を乗せ、キスをした。
唇を重ねただけの不器用なキスだったが、互いの気持ちは十分に通じ合った。
「・・・嬉しい」
遙が顔を赤らめて、はにかんだ。
そんな遙の仕草を見て、オレも嬉しくなった。
こんな顔が見られるなら、1日1回のキスも悪くないかも・・・
一瞬、本気でそう思ってしまった。
「あ、誠、引いてるよ」
「おお、やっと釣れたか!」
オレは急いで竿を引き上げた。
「こいつは大物かも知れないぞ」
腕に伝わる重量感に、期待が膨らむ。
「よし、来た来た!って、なんで海草が釣れるんだよ!」
大きな海草の塊が期待を落胆に変えた。
違った意味で、オレも釣りの才能があるかもしれない。
ヒトデや海草なんて、狙って釣れるものではないし。
「フフフ・・・」
遙が小さく笑った。
「ハハハ・・・」
オレもつられて笑い出す。
やがてふたつの笑い声は次第に大きくなり、心地よい海風に乗って、果てしなく広がる大
空へ吸い込まれていった。


------ あとがき ------

最後まで読んでいただきありがとうございます。
この作品は9回目に採用されたシナリオになります。本来ならDLシナリオは8回目で採用が
終わっていたのですが、10回まで延長になって運良く(?)採用されました。
「来るべき未来のために」と違ってこちらは、「Never7」のキャラを登場させたオリジナル
ストーリーをと考え作ってみました。
作ったあとに、「ストーリー展開に無理があり過ぎる・・・」と反省しながらも、「まあ、これは
これでいいかも」と開き直った記憶があります(^^;
こんな作品ですが、最後まで読んでいただければ、幸いかと思います。


三剣さんのHPは『Three swords』です。
「メモリーズオフ」のSS満載ですし、「てんたま」「夢の翼」「エミーリア」等
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