-twilight memory-
第四章 幼き頃の私の姿を……
作:暇人(八坂 響)



「………………」
 妙に重い気分で、バイクを車庫へと押しこめる彰。一度は納得したものの、やはり真琴の事が気がかりだった。
 ――何だったんだ、今日の真琴は……?
 そればかり、考えていた。
 時間が経てば経つほど気になる。考えるのをやめようと思えば思うほどやめられなくなる。真琴の背中が――妙に小さく見えたあの背中が、瞼の裏に焼きついて離れない。
「明日にでも訊いてみるか……」
 この言葉を独り呟いたのは何度目だろう。そのたびに彼は胸中のもやもやを全部隅へ押しやり、無理矢理自分を納得させる。一応は納得して、それでもやはり納得しきれなくて。きりのない堂々巡りだった。
 門を押し開け、ドアの部に手をかけたところで
「―――!?」
 ――悪寒が、背筋を走りぬける。彼の心を激しく揺さぶり、後味の悪いモノを残してそれは消えた。
 ――恐怖、戦慄、驚愕……そんな程度の言葉では言い尽くせないほどの何か。それが、今更の様に胸の中を、じわり、と蝕んでいく。
 頭から冷水をいきなり浴びせられたかのように急に、しかしいつまでもその感覚が消えない不快感に捕らわれる。
 ――怖かった。
 今まで味わった事のない何かに――彰は、かつてないほどの恐怖を覚えた。
 じっとしていられない。ともすれば固く結んだ口から叫び声が漏れそうだった。何かしていなければ、落ちつかない――
 気が付いた時には、既に駆け出していた。
 黄昏に染まりつつある空は、どこまでも暗く、そして残酷だった。

 ひどくゆっくりと。街の景色が後ろへ流れて行く。どこもまだ明かりは灯していない。
 わずかな灰と薄い藍が混じり始めた、まだ多分に日の光を残す曇り空。閑散とし、静寂に沈む住宅地。そんな街の沈黙が、彰の心を一層焦らせた。
 彰はただ、一心不乱に走り続ける。
 走り出してすぐに、バイクを置いてきたことを後悔したが、取りに帰る事すらもどかしかった。ただ、走って、走って――
 彰の心には、焦燥だけがあった。さっきまでははっきりしなかったものの正体――このままでは真琴が、遠くへ行ってしまう――そんな、純粋な恐怖だった。無論、そんな事はあり得ない。あり得ないはずだ。そう信じている。信じて――いるのだろうか。
 息が荒い。体が思うように動かない。そんな自分が、ひどくもどかしかった。
 ――早く、あいつのところへ……
 幾筋もの汗が、頬を伝う。
 ――あいつにもう一度会って、そうしてから――言わなくちゃ……!
 ――言う……何を?
 もう一人の自分が、問いかける。
「――わからない……」
 唇から、荒い息の合間に、一言だけ吐き捨てられた。
「わからないけど……言わなくちゃならない何かを、だ!」
 そうだ。今はまだわからない。だが言わなければ、一生後悔するだろうという事はわかった。今もそれは、漠然とした形しか見えてこない。おそらく、その場面に直面して初めて生まれるであろう言葉。
「そうだ……そうなんだよな……」
 真琴の家が近づくにつれ、ぼやけた輪郭しか見えなかったそれが、だんだんとはっきりしてきた。まるで今まで忘れていた、幼き頃の記憶のように。
 ――そうだ……どうして今まで気付かなかった?
 それが、不思議でならない。どうして自分は今まで、こんな自分自身の気持ちに気付かなかったのだろう。
 それに、今日の真琴の態度。いきなりあの公園に二人で行きたいと言い出し、あれだけ楽しみにしていて――それで、最後の別れ際に見せた、溢れ出す哀しみを無理やりに押しこめたような笑顔と、何か光るもの。黄昏の街に散ったあれは、涙だ。
 自分は、一番大切な人の涙に気付いてやれなかった。追いかけて、慰めてやれなかった。謝れなかった。理由は痛いほどにわかる。あえて聞く必要など、かけらほどもない。
「――なんで……どうして……!」
 そう。一番大切な人だ。それがはっきりと認識できる。
 ――俺は、あいつなしではダメなんだ。一緒じゃないと、ダメなんだ。
「……ずっと……一緒に……!」
 呟きながら、一心不乱に走り続ける。
 通りの向こうに、真琴の家が見えてきた。薄くもやがかかっているが、間違えるはずもない。もうすぐだ。
 そして――
 ――一発の銃声が、灰色の町に木霊した。

 戦う。戦うだけ。それだけ。他の一切のモノは、今の彼の意識に入り込めない。入り込む隙間は、ない。
 壊す。潰す。柱の影に隠れているものは、死角から能力による不意討ちで。果敢にも突進してくるものは、正面から銃弾の餌食にする。進んでは戦い、戦っては壊し、壊しては進む。この繰り返し。
 辺りには硝煙と火薬の匂いだけが立ち込めている。彰の装飾銃はこれまでに一体何発の鋼鉄を吐き出したのか。気の遠くなるような数である事は間違いない。
 彼は、この戦いに満足していた。ギリギリの緊張感。針で少しつついただけで割れてしまいそうなほどに張り詰めた、飽和状態の緊張。気を抜けばその瞬間、死という名の鎖が敗者を絡め取る。生きるか、死ぬか。100か0か。二つしか存在しない世界。中間の数字は存在しないし、必要ない。そう、この感覚は一種の脳内麻薬だ。一度覚えたら忘れられない。忘れられるはずがない。戦うことが、壊す事が、ひどく愉しかった。
 新手のカスタムタイプが背後の廊下に出現する。三体。振り向きざまに二発発砲。これに続け、能力の光球を一つ放つ。銃弾は一発が外れ、もう一発が命中した。光球に呑み込まれた機械兵が一体。生き残った一体が、両手でホールドしたマシンガンを撃ち鳴らす。空薬莢が高速で排出され、秒間十数発で連射される弾丸が彰に牙を向く。それらを超人的な運動能力でかわし、能力で弾き散らし、再装填の完了したリボルヴァで反撃。その一発は機械兵の本体直撃コースからは外れたが、右腕の関節を破壊していた。制御を失った肘は、マシンガンの重さと射撃のリコイルででたらめに暴れまわり、機械兵自身を至近距離で直撃する。機能停止。
 流れ弾の一つが彰の頬を掠め、はるか後方へ飛んで行った。そこに一筋の、赤い裂け目ができる。それを親指で軽く拭うと、彼は小さく笑みを浮かべた。
 微笑っていた。亜紀に見せたような微笑ではない。彼は実に――実に愉しそうに微笑んでいた。その瞳が正気の色を保っているのかどうかは、フィルタに阻まれて知ることはできない。頬を走る赤い筋が、その表情に凄絶さを加えている。
 彰は自分を痛めつける事に、ある種の快感を見出している。痛めつける事――いや、戦うことに、と言った方が適切だろう。戦っている間は、何も考えなくて済む。考える事をやめられる。嫌な思い出を夢に見ることもない。夢を見た瞬間、次に訪れるのは死だ。
 そして痛みは『生』を実感させてくれる。痛みがあるから、生きている。痛みを感じるから、生きていることを感じ取れる。
 やけに仰々しい装飾の施されたドアを蹴り開ける。ドアが開いたその先には、ちょっとしたホールが広がっていた。巨大なシャンデリアが中吊りにされている。おそらく二階分ぶち抜きになっているのだろう。彰は見ていなかったが、ドアの上のプレートには『多目的ホール』とあった。普段は研究成果の発表や、ちょっとしたパーティなどに使用されるのだろうが――今日のパーティは、普通のそれとはやや赴きを異ならせていた。
 観客は全て機械仕掛けの人形達。彼らに出迎えられた特別ゲストは彰一人。すかさず彼を、マシンガンや自動拳銃による拍手が洗礼する。
「――阻め!」
 それとほぼ同時に、彰は右手を前にかざして叫んでいた。白い光の障壁に銃弾がぶつかる度、何かが蒸発するような音とともに弾が消えて行く。
 その障壁は物理的には存在しない。能力と呼称される魔法の産物。彰の意思一つで銃弾は蒸発し、機械兵が破壊される。そう、全ては元々あり得ない事なのだ。
 だから、魔法。それ故に恐れられる。
 白い壁越しに、彼はホールの中を軽く観察した。カスタムタイプとTypeV、計二十数体の機械兵が、ホール内から彰に向かって一斉掃射を浴びせている。
「ここは一発……派手に行くか」
 呟くと、彼は手早く五発の銃弾を白い障壁に撃ち込む。障壁に食い込んだ銃弾は消えることなく、障壁に取り込まれて行った。
 障壁の形状に変化が起きた。取り込まれた五つの銃弾それぞれから、互いに光の線が伸びる。線同士は手と手を取り合い、やがて一つの五紡星を形成する。一瞬閃光を放つと、それは複雑な形状をした魔方陣へと変貌、五紡星の頂点にはそれぞれ小さな方陣が成っていた。それらは複雑な軌跡を描いて回転し、時を待つ。そう、彰の右手に灯った光が、魔方陣の力を解放する瞬間を。その刹那に向け、ただひたすらに力を蓄え、時を待つ。
 それは一つの拳銃によく似ていた。能力というチェンバーに装填された、白い光の弾丸。トリガは彰の意思だ。
 虚空のサークルに凝縮された彰の光は、やがて臨界を迎える。魔方陣は破綻の寸前まで膨張し、白い光が溢れ始めていた。同時に彰が動く。右手の光を大きく振りかぶり、渾身の力を込めて五紡星に叩きこむ。
「――エイリアスッ!」
 魔方陣のちょうど中心に激突した光は、サークルの崩壊を一気に促進させる。崩壊の一点に向かっていた力の制御が解かれ、方向性を与えられた膨大な光の渦は、甲高い金属音のようなものを引きずり、さながら流星のごとくホールを翔け抜けた。
 ――爆音。轟音。それ以外には何も聞こえない。やがて光は音すらも呑み込み、星々の瞬きにも似た小爆発を繰り返す。跳ねまわる光が奏でるワルツにあわせ、破壊という名の舞踏会が始まった。
 それらはホール一杯に広がり――瞬間、幻のように消え失せた。後に残ったのは、無残に爆砕されたホールと、僅かな機械兵の残骸だけ。動く影は一つもない。
 鬼神の如き戦いぶり。彼の前に敵はいない。まさに戦鬼。
 身を翻し、ホールの前から去る。ホールに他の出入り口は見当たらない。改めて他の道を探す以外にはないだろう。
「――っと、そういえば亜紀は……」
 呟いた拍子に、彼女の顔が頭に浮かんでくる。調子に乗ってやりすぎた。彼はここまでに、かなりの数の機械兵を破壊して来た。囮がどうのという数字ではないはずだ。これでは、亜紀がセキュリティを破壊したところで、全く無意味に終わる。
 それはいい。せいぜい、後で彼女に文句を言われる程度だ。彼が気にしているのは、亜紀の無事である。もうそろそろいい加減、セキュリティを解除できていてもいい頃合なのだが。
「セキュリティは――」
 独白の途中で振り向かずに抜き撃ち。いつのまにか脇から顔を覗かせているリボルヴァは、彼の背後に迫っていたTypeVの頭を、正確に射抜いていた。
「……まだ、解除されていない」
 別に亜紀の能力を疑っているわけではない。むしろ彼女は、潜入工作などには向いているように思えた。
 しかし、セキュリティは解除できていない。考えられる理由は二つ。何らかの理由で足止めを食らっているか、あるいは――彼女の身に何か起きたのか。ここは彰がこれだけ暴れても、崩れる素振りすら見せないほど丈夫なビルだ。機械兵以外に足止めの理由となるものはまずないだろう。そして後者の場合――殺されている可能性が高い。
「…………バカな」
 自分のつまらない考えを一笑に伏し、目先の事に目を向ける。そう、疑問はもう一つあった。人間がいないのだ。機械兵には山ほどであったが、人間に一度も遭遇していない。彼が今いるのは20階。ここまでで一度も出くわさなかったとなると――相手は驚くほど少人数なのだろうか。
「……それは、違う」
 否定。これが茶番劇である事はすでに見抜いていた。目的はわからない。カスタマイズタイプの戦闘データの収集という線が一番濃いが、それならなぜ彰の能力のデータを与えたのかが説明できない。相手のデータを与えてしまっては、正確な戦闘データなど取れるはずもないからだ。
 ならば、考えられる他の理由は――復讐。
 職業がら、彰はいろいろな人間から恨みを持たれる事が多い。彼に潰された地下組織の生き残り達ならなおさらだ。だがこれも考えにくかった。柴場の身元証明はできていた。調べる時間は少なかったが、一応裏は取れている。
「時間が……少なかった?」
 ふと、引っかかるものがあった。この依頼は、調べる時間がほとんどないほど急に入ってきた。確か、前の仕事――民間行政府の奪還が終わったその日の夜。
 あの日以来彼の身に起こった変化といえば――一つだけあった。
 亜紀の存在だ。
 連中の狙いは彰ではなく、亜紀。そう考えれば、大抵の辻褄が合う。少なくとも確率で言えば、亜紀が狙われている公算の方が高い。
 神の左手の二つ名を持つ彰と組んでしまえば、普通は狙われるのも有名な方だと思いこんでしまう。もし彼の考えに間違いがなければ、つまりはネームバリューに騙されたという事になる。彰の存在は、彼女から注意を外すためのフェイク。
 そして、彼女を確実に殺せる方法――神の左手が共にいてなお、彼女を確実に殺せる方法。これはすぐに思い至った。二つある。一つは二人を分断する事。これはすでに実現している。そしてもう一つはビルの爆破だ。さすがの彰も、このビルを崩せるだけの爆薬と、その二次災害全てから身を守れる自信はない。他人も同時になど絶対不可能だ。
「ちッ……!」
 彼は小さく舌打ちすると、上の階目指して駆けて行った。

「……ん……?」
 ぼんやりと霞み、はっきりとしない視界。霧がかかったかのように不明瞭な光景。頭の中にもやがかかっているかのようだ。
 万全とは言えなくとも、とりあえず亜紀は意識を取り戻した。
 意識を回復した人間が最初にすることは、決まって記憶をたどる事である。頭を左右に振り、必至に何があったかを思い出そうとする亜紀も、その例外ではなかった。
 ――あたしは確か、外壁沿いにセキュリティ制御室に侵入して、そこで……
 霧に阻まれていた記憶が、その輪郭をだんだんと整え始める。だが、何度首をひねっても、彼女の記憶はそこで切れている。その時点で襲われたのだ。
「ここは……展望室?」
 周囲を一回り見まわし、確信した。間違いなくここは29階の展望室。そこのラウンジにおいてあるソファに、彼女は横たえられていたわけだ。
 襲われて意識を失った自分は、誰かの手によってここへ運ばれてきたのだろう。誰か――そういう命令を受けていた機械兵か、この事件の首謀者に当たる人物、あるいはその手下の人間。
 ――かちゃん……
「―――!?」
 向こう――カフェのカウンターの奥から聞こえてきた物音に反応し、とっさに腰へと手を伸ばす亜紀。そこで驚愕した。彼女の銃は、そこにあった。手に触れる金属の冷たい感触が、その存在を雄弁に語っている。
 相手はおそらく、それだけの余裕を持っている。それだけ強いという事だ。
「目が覚めたか?」
 奥から聞こえてきたのは男の声。もちろん彰の声ではない。もう少し年をとった――中年にさしかかる前程度のまだ若い、少し疲れたかのような男の声。
 声に続き、一人の男が姿を現す。いわゆる中肉中背、なにか特徴があるわけでもない。ただ、その全身から発散される違和感のような何かが、男を異質なものに仕立て上げていた。その違和感の発生源は彼の腰にあった。一振りの刀。柄には見事な装飾が施されていて、その中心にはぽっかりと穴があいていた。鞘に収められた状態でも一目でわかる肉厚の片刃。斬れ味など問題ではない。力で押し、叩き潰す。そういう武器だ。
 だが、彼の両手に握られているのは刀でもなければ拳銃でもない。湯気を立てるマグカップが二つ。
「飲むといい。眠気が覚める」
 そう言って彼は、ブラックコーヒーの満たされたカップを、ごく自然な動作で投げた。
 落ちる――そう思った。だが実際には、カップは僅かにゆれながら宙を漂っているだけで、一滴たりともコーヒーはこぼれなかった。
 ――コイツもスパーズだ……!
 できるだけ驚きを顔に出さないようにしながら、コーヒーに軽く口をつけてみる。これで亜紀は毒物関係には詳しく、舌も確かだ。自分の味覚を信頼するなら、それはただのコーヒーだった。もっとも、この場で彼女を殺すメリットが目の前の男にあるとは思えない。殺すならもう殺しているだろう。生かしておく必要があるから、今は生かされているのだ。目の前で立ったままコーヒーを口にしているこの男は、そういう種類の瞳をしている。
 その時になってようやく彼女は、自分のポーチが妙に軽いことに気付いた。なるべく動きを悟られないように、ポーチに手をあてがってみる。武器や道具一式はそのまま、あの水晶球が消えていた。
「コアなら私がもらった」
 亜紀の動きに気付いたのか、あるいはふと思い出したのか、男が短く告げた。その右手で水晶球を掲げて見せる。白い光点――例えるなら星の光のようなものが浮かんでいるそれは、男の手の中に収まっていた。
 ――コア……目の前の男は、あの水晶球をそう呼んだ。コアとは、つまり核の事だろう。問題は何の核なのか、だ。それくらいは聞き出しておきたい。
「……なんでそんなものが必要なのよ?」
「知りたいか?」
 亜紀の意図を理解しているのかどうか判別しづらいが、とりあえず男は彼女の話に乗ってきた。
 男の瞳はどこか気だるげだった。口調から感情は感じ取れない。まだ彰の方が可愛げある――亜紀はそう思った。目の前の男は、人間性が抜け落ちていた。欠けているのではなく、ないのだ。そこからは空虚さしか感じられない。
「そりゃね。自分の襲われた理由くらい知りたいわよ」
 慎重に言葉を選びながら、亜紀は言葉を返した。
「――力だ」
 男の答えは、いたって簡単だった。
「絶対的な力が欲しかった。この俺の虚無を埋めてくれる力。確実な勝利の悦びを与えてくれる、力が」
「その水晶球が力をもたらすって言うの?」
「そうだ」
 それきり男はなにも言わなくなった。これ以上この話題を続けるつもりはないらしい。コーヒーを一気に飲み干す。
 仕方なく亜紀もそれにならった。インスタントのブラックは妙に苦かった。
「俺からも一つ聞きたい」
「…………?」
 訝しげな視線を送る亜紀。男は構わず、続けた。
「あいつは、あれから成長したのか?」
 そんな男の声をさえぎるかのように、爆音が展望室に響いた。

「……ぉらッ!」
 自分から近い方にいた機械兵にスライディングをかまし、その機体を横転させる彰。二足歩行をしている限り、足というのはどうしようもない最大の弱点なのだ。
 そこへ、別の機械兵からの射撃が入る。その機械兵は彰を狙ったのだろうが、彼の動きは巧みだった。倒れ伏している機械兵を盾に使う。放たれた50口径マグナム弾は倒れている機械兵の動力ケーブルを掠め、ショートさせていた。これでこの機械兵はもう動けない。
 態勢を立てなおした彰は自らのリボルヴァで応戦した。連打される大口径自動拳銃の弾丸は全て避け、能力で弾いている。
「うるさい、寝てろ」
 放たれた一撃はもう一体の機械兵の動力ケーブルを見事に切断していた。
 地面には二体の機能停止した機械兵。それらが守護していた部屋のドアを、彰はぞんざいに蹴り開ける。すかさずマシンガンによる不意討ち。だがこれは予想の範囲内だ。虚空に現れた白い光の壁にぶつかり、その全てが蒸発している。部屋のドア上のプレートには『セキュリティシステム制御室』とあった。
 切れ目ない攻撃の僅かな隙を縫って障壁を右手の一振りで消すと、すかさず六発の弾丸を撃ちこんでドアの陰に身を隠す。
 三秒ほど静寂が続いた後、彰はリボルヴァを下げて部屋の中へ入った。中にいた機械兵は三体。そのどれもが、マグナムをくらって倒れ伏している。
 部屋の中は結構広かった。数台のコンピュータと、中央に据えられたマザーコンピュータ。目的は研究所の奪還だから、下手に壊して機械兵を暴走させるのは得策ではない――もしこれがただの研究所奪還任務だったなら、彰はそう言っただろう。だが、これは任務でもなければ依頼でもない。ただの茶番だ。遠慮の必要などない。
 だがどうしても確認しておかなくてはならないことがある。彼はキーボードに触れると、流れるように次々とキーを叩いた。トラップが発動したようで電撃が軽く走るが、彼のグローブは完全絶縁体だ。スイーパーをやる上で、グローブに金属部品を使うというのはあまりに不注意だからだ。こういうブービートラップに引っかかってしまう。
 電撃をまるで気にせずにコンピュータを操っていると、モニタにある画面が表示された。そこには、所々に赤い輝点が灯るビルの略図と、白文字のタイムカウンター。カウンターの表示はすでに一時間を切っている。
 彰の想像が的中していた。爆弾だ。建物の要所要所にしかけられた爆薬は、この研究所が効率よく崩れるように配置されている。
 再び彰がキーを叩き出した。が、数分でその作業を中断する。
「回線が切られてるのか。解除は不能……逃げるしかないな」
 彼の呟きを遮って装飾銃が咆える。マザーコンピュータとおぼしきマシンは、スパークを散らしながらその機能を停止させた。どうやら機械兵の暴走も起きなかったようだ。彰としては理想の状態が実現されたわけだ。
「さて、次は頼りない相棒を助けなくちゃな。……もうこれ以上は――」
 続く言葉は無理やり噛み砕いた。六年前に墓標の前で誓った言葉。自分は今までに、あまりにも大きすぎる罪を犯してきた。だから、これだけは貫き通す。この約束だけは。
 セキュリティ制御室を後にした彰は、階段を駆け登り、29階へ急ぐ。途中には無数の機械兵が転がっていた。そのどれもが、中央からの命令が止まった事により機能を停止しているようだった。
 階段を一気に駆け上がる。五階分走って登ったにもかかわらず、彼の息は全く上がっていなかった。これからが本番なのだ。これまでの戦闘で多少の疲労はあっても、負ける気など毛頭ない。29階の構造はいたってシンプルだった。少し長い廊下の先に展望室があるだけ。警戒を怠らないまま、長い廊下を一気に詰める。
 右手はコートのポケットをまさぐっている。そこからあるものを取り出した。煙幕弾と手榴弾。レバーを倒し、ピンを引き抜く。激発状態の手榴弾を――投げた。
 轟音。爆発の衝撃でドアが内側に吹き飛ぶ。同時に煙幕段も投げこんだ。ここまで来れば、あとは先手必勝だ。爆発で起きた煙に紛れて亜紀を確保し、敵を倒す。
 彰は迷わず煙の中に飛び込んだ。女性の悲鳴が一つ。聞き覚えがある。亜紀だ。
 別の気配を探す。だが、どれだけ注意を払ってみても、他に人間の――どころか、煙の外には動くものの気配が感じられない。
 手当たり次第に撃つという考えも浮かんだが、それはまずい。亜紀に当たったら大変な事になる。あるいは、敵は亜紀を盾にしているのだろうか。
 そこで彰の思考は中断された。
「―――!?」
 背後に突然湧きあがる殺気。そちらを振り向き、リボルヴァを三連射。耳障りな金属音が三回響いた。
 間髪入れず、煙を割って黒い刃が現れた。それは一直線に彰へ突き進んで――
「――ッ……!」
 リボルヴァのグリップでその突きは受け止めた。もちろんそのまま受けとめたわけではない。能力を纏わり付かせている。だが、それでも彰は押されていた。
 ――バカな……こんな力を……!
 刃の腹を蹴り弾き、後ろへ飛び退いて煙から飛び出す。まさか自ら煙に紛れ、接近して倒しに来るとは思ってもみなかったが――意表を突かれたとは言え、さっきの力は尋常でない。
「あ、彰ッ!?」
「よう。随分とくつろいでたみたいだな?」
 右往左往しつつもマグカップを放していない亜紀に軽口を叩く。自分でもわかっていた。これは恐怖をごまかすためにやっているのだと。
 煙が晴れた後には、一人の男が抜き身をぶら下げて立っていた。中肉中背、これといって特徴のない男だが――どこかが間違っていた。違和感にとらわれる。
 そう、ひどく懐かしい違和感。前にも一度、この感覚を味わった事がある。あれは――
「久しぶりだな。六年ぶりか?」
 男はそう告げた。その瞬間、彰の中で何かが音を立てて壊れた。
「キサマ……ッ!」
「覚えていてくれて光栄だ、神の左手」
 いちいちわざとらしい挨拶をする男。だが、その動作には自信が満ち溢れている。
「へ?あ、彰?あんたあいつと知り合いなの?」
「知らないのか、お前は……!」
 男から全く視線を外さずに、彰は敵意のこもった声で告げた。
「気まぐれな怪物(ザ・モンスター)。本名は紫乃戒(しの かい)。裏世界でも五本の指に入る大物業者だよ」
 彰がその二つ名を告げた途端、彼女の顔から血の気が引いた。気まぐれな怪物。その二つ名のネームバリューは神の左手など比ではない。
 やる事の全てが気まぐれな暗殺者。その日の気分次第で仕事を決め、人を殺す。ギャラも適当で、『彼がどれだけ愉しめたか』で決まる。
 だが、狙った獲物は必ず仕留める。生かしておく必要のある依頼なら、二度と立てなくなるほどの傷を負わせる。だが、はっきり言ってそれはある意味不幸だ。大抵の者は、彼の姿を見ることもなく殺されるのだが、場合によって彼は相手をなぶり殺しにする事がある。それでも生かされているとなると、苦痛は生き地獄を味わうどころではない。
 その男が目の前にいた。彰も少なからず、この男には縁があった。
 彰が知っているこの男は、噂だけの男ではない。少なくともその強さに関しては、彰は以前身をもって経験している。あれから強くなったとはいえ、彼は勝てる気が全くしなかった。
「茶番はもう終わりだ。俺はお前を、許さない」
 振るえる拳でリボルヴァを握り締める。感情に押されて出そうになった一言を呑み込んで。だがその言葉に、紫乃は眉をひそめた。
「茶番……?ふん、確かにその通り。まさに茶番だな」
「ちゃ、茶番……?」
 二人の会話に、亜紀は付いて来ていなかった。彰の方に視線で尋ねる。
「全てはコイツと柴場の仕組んだ茶番劇だったというわけさ。奴等の狙いはこの研究所の奪還なんかじゃない――お前だよ」
 彰の解説に、絶句する亜紀。まさか自分が気まぐれな怪物に狙われているなど、露ほども思っていなかったに違いない。
「さあ、真相を話してもらおうか。お前達はなんでこいつを狙ったのか、なんでわざわざこんな大芝居を打ったのか」
「真相……だと?」
 紫乃の声には不機嫌さが混じっていた。だが次の瞬間、打って変わって彼は突然大笑いし始めた。
「……何がおかしい?」
 紫乃がひとしきり笑い終わったあと、彰が訊く。彼は哄笑を止め、彰を指差した。
「随分と甘い話だな。俺が茶番だと言っているのは、貴様の生き方そのものだ。神の左手」
 右手の刀を一振りし、手近にあった机を真っ二つに切り裂く。刃の外見に反し、その切り口は恐ろしく滑らかだった。見まごうはずもない。六年前、ある少女を切り裂いた刃だ。
「許す許さないはずではないはずだ。キサマは私を殺したいのではないのか?」
 心底理解できないといった表情を浮かべる紫乃。そう思うのが当然といわんばかりだ。
「それとも、不殺の信念ゆえか?そうだろうな。キサマは六年前、自分の愛する者をその銃で――」
「――やめろ」
 嘲るかのごとき声でしゃべりつづける紫乃を、白い光の矢が押し止めた。紫乃は表情を硬くし、彰を注視する。
「威嚇のつもりか?随分と甘いものだ。所詮キサマにとって、あの女はその程度のものでしかなかったという事か」
「―――ッ!」
 刹那、彰の周囲から、白い輝きが奔流となって噴き出した。方向性を持たぬそれは縦横無尽に荒れ狂い、部屋中を荒らしてまわった。
 怒りに能力の制御がきかなくなっている。亜紀はその事を一発で見抜いていた。柱の裏側に隠れているが、はっきり言ってこの程度の柱では破られても不思議ではない。それほどまでに強烈な、能力の嵐だった。
 ――でも、こんなになるまで彰を怒らせるのって……
 疑問だけが頭の中にあった。彰の怒る理由。紫乃との因縁。そして、二人の会話に登場する『あの女』が誰なのか。
 だが、彼女の思考はそこで中断させられた。爆音と二人の咆哮が響く。顔だけ出して見てみると、彰が圧されていた。リボルヴァで刃を受けとめている。
「どうした?キサマの怒りはその程度か?もっと、もっとだ」
 ぎりぎりと刀を押し込んでくる。能力を纏ったリボルヴァに、黒い刃が僅かながら食い込んでいた。その事実に驚愕する彰。
「もっと、黒い感情を吹き上げろ。憎しみの炎で私を焼け。それでこそ神に身を捧げし乙女の試し斬りにはちょうどいい!」
 鍔じり合いを止め、蹴りを叩きこむ紫乃。リボルヴァを圧し返すことで精一杯になっていた彰は、蹴りを防御し損ねた。吹き飛び、壁に激突する。
「バカな……たった一撃の蹴りで、人の身体を吹き飛ばすなど……!」
 蹴られた個所を右手で押さえながら、小さくうめく。能力で筋力を増強しても、人を一撃で吹き飛ばすなど不可能だ。なにか彼を異質なものに仕立て上げているものがいる。
「……まだ、足りないようだな」
 黒い刃を見つめ、つまらなさそうにつばを吐き捨てる。しかし次の瞬間、彼の表情は明るく輝いた。面白い玩具を見つけた子どものような笑顔。明るさの裏に残酷さを潜ませた、笑顔。
「いい事を教えてやる」
 彰の正面に回り、顔を近づける。彰の耳に息がかかった。至近距離。だが、彰は攻撃しなかった。できなかった。攻撃する素振りを見せない彰に、紫乃はそっと告げた。
「あの女は鞘だった。この刀の封印を守る鞘さ。――人間ではない」
 彰の身体がその言葉に反応し、小さく跳ねる。瞬間、彼は銃把を紫乃に叩きつけていた。その表情は、サングラスに覆われている上からも見て取れるほど、はっきりと憤怒に歪んでいた。
 床に倒れ伏す紫乃。彼は起きあがると口もとの血を拭い、唇を歪めた。
「いいぞ。そうだ、もっと俺を憎め。憎悪の炎で俺を焼け!」
 恍惚とした口調で叫び、刀を携え、駆ける。口調が変化していた。感情の高ぶりに地が出ているのだろう。彰も右手に光を灯しそれを迎え撃とうとした。二人の影が交錯し――
「――あの女は、お前にその秘密を話さなかったようだな?」
 その一言が、彰の勢いを押し止めた。紫乃の目の前には、大きな――あまりにも致命的な隙をさらしている彰の姿。
 黒い刃が疾る。弧を描くそれは、まごうことなく彰の胸を逆袈裟に薙いだ。
 飛び散る血飛沫。鮮血の奔流。白かった天井が赤に染め上げられる。
 だが、彰の頭にあったのは、紫乃の言葉の意味だった。自分は彼女から信用されていなかったのか。そんな絶望感。
 彰の身体が床に落ちたところで、亜紀はやっと我に帰った。
「あ……彰ッ!」
 物陰から飛び出し、彼のもとに駆け寄る。慌てて脈を取る。だいぶ弱々しい。血液を一瞬にして大量に失ったため、心臓がその動きを押さえている。このまま行けば彼は死ぬ。
「もしそいつが生き延びたなら伝えておけ」
 その声は、窓のほうから聞こえた。窓辺に佇む紫乃は、嘲るような笑みを浮かべたまま続けた。
「俺を殺して見せろ、とな」
 そう言い残し、彼は窓から飛び降りた。ここは29階だが、相手はスパーズだ。この程度の高さなど大した事はないだろう。
「不殺を信念に戦う彰に『殺して見せろ』って……明らかに挑発じゃないの……!」
 吐き捨て、彰の方を振り返る。彼の顔色はだんだんと悪くなってきている。彰を助ける事が先だ。紫乃の言葉に気を取られている場合ではない。
 彼女は彰のコートを脱がせて血だらけになった上着を剥ぎ取ると、その布を傷口に当てた。足りない。裂傷は肩から脇腹にかけて走っているため、布が圧倒的に不足していた。
「……仕方ない」
 亜紀はそう呟くと自分の上着を裂いて、包帯代わりの布に足した。両端をしっかりと結わい、傷口を少々きつく縛る。
 一応止血にはなっただろうが、このままでは彰が死ぬことには以前変わりない。一刻も早く医者に診せ、輸血する必要がある。
「死ぬんじゃ……ないわよ」
 小さく呟くと、彼の身体を肩に担ぐ。意識を失った青年の体は、思いのほか重かった。





>> 第五章 遠きあの日の愛しき人を……




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