このSSを読む際の注意

“Another Story”は『後編』の途中から枝分かれしている物語です。
 書き出しから途中省略されています。
『後編』から読んで頂かないと話の内容が理解できないと思いますので、
この際ですから『前編』から『おまけ』まで1通り読むことをお勧めします。


Where is Heaven?は大体こんな流れです。

前編 → 後編 →(空が来た) → おまけ
         ↓
      (来なかった)”Another Story” 前編 → 中編 → 後編


果たして真実はどちらに隠されているのでしょうか?
前後編(おまけも含む)か?それともAnother Storyか?
それでは、どうぞ。


Where is Heaven?
“Another Story”

                              ショージ

前編 Corrected half note




狂った音符は修正される
天使ではなく
そう、神によって


――――――。

 彼は眼鏡を取り、シャツの胸ポケットへ畳んで仕舞い込むと真剣な眼差しで私を見据えました。顔が『彼』にそっくりなのは言うまでもありません。
「ずっと僕の側にいて欲しい。いや、いてください」
 いつかは言われるだろうと思っていたその言葉が耳の中に響いた時、私は妙に落ち着いていられました。別に自惚れてなんていません。期待してもいませんでした。
「そんな………」
 俯き、返す言葉を考えます。
「何でも、でしょう?」
「物事には常識というのがあるじゃないですか。それを超えています」
 何とか反論できました。
「そうですね。じゃあ、取り消します」
 安堵した私は考えが甘かったようです。
「先刻の約束とか、何もなしで。空さん――いや、空、これからずっと僕の側にいてくれませんか?」
 俯いている私の顔が少しずつ、顎に当てられた彼の手によって持ち上げられていきます。真剣な表情。話す時よりもその顔が近くに寄っていました。澄んだ双眸。その中に思わず呑み込まれそうになり、意識を取り留めようと必死でした。一瞬でも気を許してしまえばどうなるかわかりません。
「あ…………」
 流石にその行動には心臓が激しく鼓動を打ち、私は目を合わせることが不可能な状態に陥ります。思考能力が低下し、言葉を返すことも儘ならなくなりました。
 顎にあったはずの手はいつの間にか頬へと移動し、温もりが伝わってきます。温かいその手を払う気にはなれませんでした。それよりも指1本動かせないのです。
 彼の顔が更に近付いてきます。目を細め、距離をゼロにするために。
 唇は震えていました。歯はカチカチと音を奏でています。
 意識が遠くなっていく。ハッキリとしていた感覚が失せていき、瞼が段々と重くなっていく。
 怖い。
怖い?何故、恐怖するのだろう………。それに理由を追及している?愛しているのなら受け入れるはずの行為を。彼を求めてはいない?じゃあ、私は…………。
 脳裏に、『彼』の爽やかな笑顔が浮かび上がった。
 彼は―――『彼』じゃない!
「っ!」
 パシンという軽くて鋭い音の後に彼は顔をしかめた。
 覚醒して、平手打ちを頬に打ち付けていました。赤くなった肌が生々しく、自分の行為を肯定しています。事実として受け止めなければなりません。
「やめて………やめてください!」
 そう、私は………。
 腰を持ち上げ、駆け出します。彼の方を1度も振り返らずに走り続けました。
「空っ!」
 叫びに近い大声が届きましたが、構わず走り続けます。まるで脱兎の如く。
「待ってる!僕は………ずっとここで待ってる!だから――――」
 距離が広がると声は次第に尻窄まりのように小さくなっていきます。最後は聞き取れなくなりました。でも何かを伝えようとしています。
「――――――っ!」


(ここから枝分かれします)


僕は信じられなかった。
誰かによって突きつけられる現実を受け止めることができない。
突きつけるのは誰?神様?
いや、神様なんていない。もしも、いるとしたら多くの人間は幸せを得ているだろう。願いが全て叶わないのが何よりの証拠だ。
頭を項垂れ、膝の間に指を互い違いに組んだ両手へと載せる。普段と比べ物にならないくらい重かった。
今、頭の中では空のことしか考えていない。その考えは深く、どこまで追いかけても決して追いつくことはない。断言できる。
そう、僕は空のことが好きだ。愛している、誰よりも………。
僕自身は元々こんなことをする人間じゃなかった。でも……彼女のためなら何でもできた。雨に降られても、風邪を引いたとしても。
一目惚れだった。まだ子供だった頃に出会った女性が再び目の前に現れたのだ。それもあの時の姿のままで。有り得ない現実と理想であった夢が重なり、心の中に欲望が芽生える。欲望なんて誰にだってあるが、僕の中のものはそんな比じゃなかった。
人生において彼女以外の女性を好きになったことは一度もない。周りの人が魅力的ではなかったと言えば嘘になる。ただ彼女を超える美しい人はいなかったのだ。初恋の女性が手に届かないことを含めて、高過ぎた。
愛することが許されなかった立場と愛することのできない人であったため、あっさりと終わってしまった初恋。それが今になって、もう一度恵まれた好機として再び現れたのだからどんなことをしても彼女を………。
結局……月曜日の今日1日、朝から降り続ける雨の中、空は来てくれなかった。待ち続ける僕の前に………。
 

 日付が変わり、火曜日になった今でも空は来ていない。
 一体どれくらい待っただろうか。
懲りずにまた外に出て、ベンチに腰掛けると彼女を待っていたはずだ。そして、気付いたら朝になって雨が降ってきていた。靄のかかった頭の中で普段の倍以上遅い計算能力により、やっと計算すると約8時間以上待ったことになる。
数時間前から再び雨が降ってきたため1度部屋に戻り、着替えるといつも通りの生活を送ろうと試みる。
 僕にとっての普通。それは仕事。
待っている自分でも講義はしなければならない。生徒は僕ら教員の講義を聴くために高い料金を払ってくれているのだから言わば客である。
時々、外へ目をやることは忘れない。
 昼食を軽く取り、外へまた出ようとした時だ。
「田中さん」
廊下で田中優美清秋香菜の後姿を見掛け、声を掛けた。目的は決まっている。
「は〜い、何ですか?先生」
 振り向いて、彼女は明るく尋ねる。僕の心中など察するはずもないのだから。
「君の家の住所を教えてください」


「ここか………」
 手には田中家の位置が描かれた小さな紙を持って、立派な一軒家の目の前にタケシは佇んでいる。秋香菜は住所を快く教えてくれ、周辺の地図も丁寧に描いてくれた。あれほど降っていた雨はすっかり止んでいる。
 時刻は午後5時34分。
 やはり、昼食後も外で待っていたが空が来る気配はない。田中家に居候していることを以前聞いたタケシは――こちらから行くことにした。これは最後の手段だった。
 インターホンを押す。ピンポーン♪という間の抜けた音が響いた。
「はい」
 若い女性の声だ。声の質が秋香菜に似ているとタケシは感じた。
「あの、僕は鳩鳴館女子大学で助教授をしてい―――」
「え!?」
 インターホン越しに彼女の声が発言を遮り、思わずそのまま口を噤んでしまう。
「あ、すいません。優、じゃなくて秋香菜から話は聞いています。とりあえず、早く中へどうぞ」
 慌てた調子で彼女は促す。
「え?……はい」
 訳がわからなくて、取りあえずタケシは門を開けて玄関まで進む。辿り着くと同時にタイミングよくドアが開かれた。中から出てきたのは20代の女性。
 2人の目線が衝突し、お互いは驚き合う。特に女性の驚きようといったら口に手を持っていってしまう程だ。
「ど、どうぞ」
 彼女の声を聞いて先程のインターホンの声の主だと確認した。
ドアを押し開いて、中へと招き入れる。一瞬、タケシには秋香菜に見えた。しかし目の前の彼女からは違った雰囲気が感じられる。
別に、白衣を着ているからというだけではない。それをあえて言葉に出して表現するなら秋香菜よりも落ち着いている、という雰囲気。しかし、纏っているものとは正反対に表情はどこか忙しない。
「お邪魔します」
 玄関の先は一直線に廊下が続き、突当りには更に右へと通路があるように見える。田中家は広い。彼女はスリッパを出して、
「こちらへどうぞ」
 と玄関から1番近いドアに導いた。やはり表情が硬い気がする。
 タケシは彼女に続いてドアを引き開け、リビングへと入り、周囲をぐるりと見回した。掃除が隅々まで行き届いているお陰か、フローリングの床が一層輝いて見える。庭の見渡せる大きな窓も透き通っており、ガラスの存在感を消すほどだ。
「私は、優美清春香菜。秋香菜の姉です。どうぞ、掛けてください」
 春香菜は椅子を勧めると自分も向かいの椅子に腰掛けた。タケシが目を合わせた彼女の瞳は澄み渡り、何か決意したものが秘められているように窺える。
「秋香菜から色々と話は聞いています。……空ですね?」
 厳しい口調で春香菜は問う。無表情だ。
「ええ、その通りです」
「……お帰り頂けませんか?」
 間を置き、言いにくそうな台詞をゆっくり言った。
「何故です?」
 まさかこのような言葉が返ってくるとは夢にも思っていなかったタケシはその理由を求めて、子供のようにただ聞き返す。意表を突かれたというよりも無知につけこまれたという方が相応しい。
「率直に言わせて頂きますと貴方が空を苦しめているからです」
 テーブルの上で手を組み合わせ、真剣な表情でタケシを見据える。求めていた理由が断言する口調で放たれた。心に直接釘を打ち付ける鋭い言葉。
 視線と共に言葉を受け止めた。
「風邪を引いたのはお聞きになったと思います」
「はい、だからこうしてお見舞いに来たのですが」
 厳しい視線が依然として向けられている。この息の詰まる空間の中でタケシは飄々としていた。緊張感が無いとも言えるのか。
「それが苦しめているというのです」
 厳しい口調に強さが増した。その言動から感じ取れる強さは怒りだ。
「風邪の原因は何ですか?」
 言葉による制止を柳のように受け流す。帰るように言われているにも拘らず、話を進めようとした。柔軟な精神の持ち主、あるいは無礼者のみが可能な行動。しかし、このような行動をとるとほとんどは礼の無い者として他人に受け止められ、処理される。
 その証拠に春香菜は顔を僅かにしかめた。
「……それはお聞きになってないんですね……雨ですよ……昨日降った大雨です」
 ゆっくりと口を開き、感情の存在しない機械的に喋る。そのくらいの情報は与えても支障は無いと判断したようだ。
虚空を見つめ、彼を見ようとはしない。本人の意思なのか自然とそうなってしまったのか。
「あの日、空は秋香菜へ傘を届けるために大学へと行きました。帰ってきた時は全身ずぶ濡れで、思い詰めた表情。何を尋ねても彼女は何も言わず、それどころか部屋にさえ入れてくれません」
 告げる春香菜の表情は辛そうだ。
 タケシは訳がわからなかった。大学へ来たことと何より思い詰めた表情が気にかかり、脳裏には空の姿が思い浮かび、やはりそう簡単に帰るわけにはいかなくなった。
「そうですか………」
 ポリポリと後頭部を掻く。その時、春香菜の目が一瞬だけ見開いた。頭を軽く振り、まるで眠気から抜け出そうとしている。再び、両者の視線が衝突した。
「私には、空に貴方を会わせて今のこの状況が変わるとは思えない。……それよりも大学で何かがあったんですか?」
 自らの意見を述べる彼女は短い間を置き、直前の断定的な発言とは逆に問う。
「いえ、特に何も」
 タケシは本当に何もわからない。それ以前に空が来たことさえ知らなかった。
「………。とにかくお帰り願います」
 あっさりとした回答に疑心を抱く春香菜は無言で問い掛けた。「本当に?」と。
だが、彼はそれを見透かして、うんざりとした表情で肩を竦めながら息を吐き出す。
「残念ですが、その願いは受け入れることはできません」
 タケシは1+1が2であるのと同様に、当たり前の事柄の如く言った。
「わかってないんですね……。貴方は、空を苦しめているんですよ……苦しめることに……一体、何の意味があるんですか!?」
 はっきりと感じ取れる怒りの感情が体から滲み出ている。声が僅かだが震えていた。
「苦しめる……苦しみは人を深く考えさせる………?」
 顎に指を置くと思考を巡らせる。勿論視線は逸らし、呟いた。
「ふざけないでください!」
 ドンと彼女は固く握った拳をテーブルに叩きつけ、怒鳴った。同時に堪えていた怒りをタケシに向かって放出する。
 驚く様子も悪びれる様子も全く見せず、彼は真っ直ぐに目を向けた。その澄んだ瞳を見て春香菜の方が驚いてしまう。
「ふざけてなんていませんよ。……それよりも、僕が空に会うことがどうして苦しめることになるんですか?」
 真剣なタケシの表情と思わず呑み込まれてしまいそうな――勢いとは別の何かが宿っている――双眸に気圧されていた。
 言葉は相手を制する。しかし、使い方によって話し手の雰囲気も同様の効果をもたらすのだ。相手を追い詰めたと思った時に、人の防御は最も脆く崩れ易くなる。それは戦いにおいても似たようなもので構えから攻撃に移った場合や攻撃にのみ徹している場合も同様。タケシはそこに踏み込んだ。
思惑通りに春香菜は呑まれ、思わず口に装填していた言葉を忘れてしまい、急いでリロードを試みる。
「そ、それは―――」
 歯切れが悪いのは、頭を回転させ脳というライブラリィの中から言葉という1冊のブックを今も尚探している証拠だ。

『―――っ!?』

次の瞬間、2人のどちらでもない声が微かだが聞こえてきた。だが、何を言っているのかは聞き取れなかった。
タケシはその声を完全に捉えていた。また、春香菜の耳にも届いたらしい。証拠として春香菜の顔が強張っていた。相手の虚を突いた時に見られる表情。
「……答えは2階にあるようですね」
 タケシは椅子から立ち上がる。
「ま、待って!お願い!!」
 慌てて自分も立ち上がった。
「嫌です」
 ドアを押し開こうとしてドアのレバーに手を掛けると、そこで腕を掴まれた。意外にも強い力がシャツを介して伝わってくる。
「今は―――」
「偶然とは何だと思いますか?」
「え、あ……っ!」
 一瞬の空白が生まれ、掴んでいた手が緩んだ。見逃すことなくその手を払う。
 躊躇うことなく廊下へと出た。
 階段は廊下を突き当たる数メートル手前にあったことは既に頭の中に記憶されている。
「待って!お願いだから、今貴方に―――」
 再び、腕を掴まれる。懇願する彼女は眉根を寄せて、止めようと必死だ。だが、ここまでして止める原因があるのだろうか。
「待ちません」
 一言で振り切ろうとするタケシには春香菜が見えていないようだった。虚空を見ている彼の目には何も映っていない。ただ、空に合うことだけがインプットされているのだ。
「優、どうしたんだ?」
 階段の方から声がした。穏やかなその声は明らかに空の声ではない。男の声だ。そちらへ目を向けると、そこには丁度階段を降りきったらしい20歳前後の整った顔立ちをしている青年がいた。
「倉成………」
 困惑の表情を浮かべながら掴んでいた腕をゆっくりと放す。生物が生命の活動を止めてしまったかのように。
そして、それは彼女がタケシに目の前の彼には会ってほしくなかったことを証明していた。何故なら止めることを自ら放棄しているのだから。
「貴方が……タケシ?」
 視線を定め、倉成と呼ばれた彼へと問い掛ける。間が空いて、廊下中に緊張が走り抜けた。
「いかにも。俺は倉成武。ところで、え〜と……誰だっけ?」
 ポケットに親指だけを出して左手を突っ込み、右手は頭を掻いている。苦笑いを浮かべる彼の愛想の良さも今のタケシにとってはただ鬱陶しいだけだった。
「僕?僕はタケシですよ」
 も、とは言わずに自分の名を告げる。春香菜は息を呑んだ。
「え?マジで?」
 深い意味も感じ取らずに武は軽く驚きながら聞き返した。そして新鮮な驚きが演技には思えないほど自然だ。
「はい、マジですよ」
 タケシがゆっくりとした動作で眼鏡を取り、シャツのポケットへと滑り込ませる。手元は全く見ずに手馴れたものだった。
 今視線は目の前の彼に向けられている。その光景は不思議という3文字しか形容の言葉が見つからない。いつかの全身を映し出す鏡越しに自分と対面している感覚が思い出される。身長は数センチだがタケシの方が大きいように窺えた。
 片方が手を上げれば、向き合っているもう1人が全く同じ動きをするのではないかと錯覚してしまう。
「ほぉ、世界には同じ顔の人が3人いるって聞いたことがあるけど……どうやら本当らしいな」
 歩み寄って、物珍しそうに観察する。傍観している者なら誰もがペタペタと服越しに触り、ジロジロと眺めている彼に思わず虫眼鏡を手渡したくなるほどだ。
 その反応にタケシは困ったような笑いを浮かべた。
「空は2階にいるんですね?」
「ああ、いるぞ。何だ見舞いか?」
 あっさりと答えた武は春香菜へと視線を流し、尋ねたつもりだった。だが、彼女はどういうわけか、先程より俯いて床を見ているばかりだ。それも重度の困惑状態と思える。
「はい」
 代わりと言わんばかりにタケシが肯定した。
「そうか。それじゃ―――」
「僕は……貴方に会いたかった………」
 遮りながら重々しく、且つ厳かに口を開く。向けられた1点に集中される視線が痛い。
「………。悪いが俺にそんな趣味はないぞ」
「ふざけないでください!」
「じょ、冗談だ、冗談。なんでそんなに怒るんだよ………?」
 怒鳴られて苦笑いを浮かべるが、それにも拘らず一時も休まずに貫くような視線が衝突を止めることはない。その見えない直線には強い意思が籠められているように感じられた。
 一歩、踏み出してタケシが呟く。
「貴方が………!」
 しかし、それは一歩ではなかった。
「貴方が……空の気持ちに応えないからだ!」
 床を蹴り、飛び込む形で叫ぶと同時に固く握られた拳が頬を強打していた。
軽く吹っ飛び、腰から床へと落ちる。武の口の端からは鮮血がゆっくりと流れた。
それはまさに一瞬の出来事だった。
「ちょっと!?」
 春香菜の驚く声が廊下中に響き渡る。
その声は殴った直後に発せられたはずなのに、タケシには時間が止まっていたせいか、それとも通常の何十倍もの遅さによってか、数十秒も遅れて聞こえた気がした。
 哀れむようにあるいは苛むように見下ろすタケシ。
「わかっているんですよね?空が貴方に想いを寄せていることを………」
 悔しさや苦しみが潜んでいるその声は震えていた。
「……そうか、空は俺のことが好きなのか………」
 手の甲で口元を拭いつつ、立ち上がった。
 2人は対面し、軽く手を突き出せば当たってしまう距離にお互い身を置いている。少し離れたところにいる春香菜はただそれを静観するしかない。
「何を今更言っているんですか?僕は……気づいていましたよ……空が僕のことをタケシと名づけた理由が、特定の別の人の名前だなんて……そんなの一緒に過ごしていれば誰だってわかります……必要なのは僕じゃない、ってね」
 はっきりとした嘲笑いを浮かべ、記憶の如く回顧しながら自らを言葉に出して意識させる行動と共に心中では言動によって慰めつつ、空虚な心持で語る。
「そして、僕と貴方は外見が似ている……。僕は貴方として……そう、仮として見立てられていたんだ!」
 タケシは感情の起伏を見せ、秘めていた――留めていた本当のやりどころのない、片付ける場所もない――言葉を吐き捨てた。
 怒りと憎しみ、それと悲しみや悔しさも言葉には添えられている。この場でそれを感じ取れるのは、向けられた武のみ。
「僕は悔しい……空に僕自身として見られていなかったのが!それなのに貴方はそんな空の気持ちに返事さえしていないなんて、許せないですよ!」
 相変わらずの無表情の武に対して、更なる言葉を重ねる。
「お前、今更って言ったよな?」
 ぽつりと呟く。
「言いましたよ」
 機械的に一言で答えた。
 この沈黙と言葉が交互に繰り返される空間――その中を沈黙が支配している時――では、その呟きも呟きという意味を失ってしまうほどハッキリと聞き取れてしまう。
「空は……俺に何も言ってくれなかった。何となく気づいていたが……いや、……それよりも人の気持ちを勝手に決め付けるのはよくないな」
「何を悠長なこと―――」
 必死で苛立ちを抑えながら武の自己完結な意見をかわそうとする。意識的ではないだろうが、本能的にそうしてしまったのだ。怒りという厚手のカーテンに阻まれ、且つ隠されているせいか、その意見に本人は気づいていない。
「悠長、か……そうかもしれないな。けど……人の気持ちってものは見えないし、他人がどうこうできるものじゃない。それぐらいわかるだろ?だから話してくれるまで絶対に決め付けちゃいけないんだ」
 カーテン越しに語り掛け、タケシはやっとそれに気づいたようで目を見開かせた。しかし、そんな表情もすぐに崩れ、怒りは再び点火される。
「そんなことはどうだって良い!貴方は空に想いを打ち明けられたらどうするんですか!?」
 今にも飛び掛かりそうになりながらも理性が必死でそれを堪えているようだ。一歩にじり寄るだけで身体に触れはしない。
「悪いけど、断るさ」
 武は真っ直ぐに向き合って答える。そこには決意があった。
「……何故です?」
 溢れんばかりの感情を押し殺した声で聞き返すタケシ。否、身体からは不可視の感情が見えそうだ。
「俺には、他に護りたい人がいる」
「なん、だって………!?」
 信じられない、といった心境らしい。怒りに疑問が加算される。
「もちろん、空を嫌いなわけじゃない。これからだって仲良くしていきたいと思ってる」
 言葉を聞き終えるとタケシは胸倉を掴み、90度方向を変えて激しく壁に叩きつけた。
 心の奥底から物凄い勢いで湧き上がってくる感情を自分の思うがままに放ちながら手に力を籠めていく。
「……いい加減にしてください!空の気持ちを知って、あえて空を捨てるというんですか!?」
 歯を食い縛り相手を威嚇するその形相からは普段の彼を想像することなどできない。
 叩きつけられた武は苦しそうに顔を歪め、胸元の手に自らの手を重ね、どうにか振り解こうと試みている。
「ちょっと!やめて!!」
 事態を危ういと捉えた春香菜は、駆け寄ろうと2歩目を踏み出して再び止まった。
 偶然合った武の目はこう言っていた。

『来るな!』

「……そうじゃ、ない」
 擦れた小さな声が呻く形となってこの世に現れる。
 やっとの思いで何とか手を払い除けることに成功し、苦しみから解放された。払い除けられた反動でタケシは数歩後退する。
 壁に寄り掛かり、数回噎せると乱れた息を荒々しく整えつつ咽元を摩っていた。それにも拘らず、武の目は依然として一直線にタケシを見据えている。
 その目からは何も読み取れない。哀れみなのか怒りなのか、あるいはそれ以外の何かなのか。それは倉成武と神のみぞ知る。
「ふざけるな!」
 触発されたように、タケシは渾身の力で右のストレートを繰り出す。神速という言葉が相応しいほどにそれは凄まじい速さだった。狙い通り、頬を目掛けて最短のコースを通過していく。
 しかし、武は向かってくる拳を正確に左手で掴んだ。その出来事は、一瞬。
「ふざけているのは、お前の方だ………っ!」
 歯を音がするほど噛み締め、掴んでいた右手を離すと空いていた自分の右手を握り、タケシの頬に殴りつけてやった。生々しい音が廊下に響く。
 殴られてバランスを崩し、背中から激しく床に叩きつけられた。
「お前には……空しか見えていないんだな」
赤くなった頬を反射的に押さえ、痛みに顔を歪める彼を見下ろしながら言った。
タケシは向けられた口調から呆れを感じ取り、何かを言い返そうとするが続けざまに言葉は放たれる。
「空が俺のことを好きなのはわかった。人が人を好きになるのは自由だ。空が俺を好きならそれでいい。でも、俺には誰よりも大切な人がいる。だから悪いと答える。お前は空が本当に好きなんだよな?」
 真剣な表情で聞き返し、発言を受け止める姿勢に移りかえるとその瞬間に場の空気が静止した。空気が滞り、流れが止まった中で2人は視線を交えている。
神は時間を制するのか?
回答がイエスだとしたら神は世界の全てを手中に収めているということに近付く。何故なら時間が『運命』に繋がっている1本の鎖なのだから。鎖は1本ではない。中央に『運命』を構え、放射線状に鎖は拡散している数本の内の1本が『時間』であり、他には『要因』などがある。
ノーなら神は存在しないという考えに僅かにだが近付きつつあるだけだ。
「そうですよ!僕は、僕は誰よりも―――!」
 空気の流れを再開させたのは、他ならぬタケシだった。立ち上がろうと膝を立て、力の限り叫ぶ。
「だったら、空を振り向かせてみろ」
 天上を目指す叫びを再び地へと押さえつけるのは、遮る速さを所持した声量はそれほど大きくはない一言。力強さをひらりとかわすより柳が柔らかな身体からは考えられない上回る力を引き出した印象を受ける。これを意外と言うのだろうか。それとも秀でた1つの確立された能力か。
「っ!」
 言葉が矢となり胸に突き刺さった。驚きが顔に表れ、いや、驚きという言葉だけでは言い表せない複雑な感情が見えている。
 彼を見下ろす武はそれらを感じ取れているのだろう。叫びやそれに限らず全ての声には、どんな時も喜怒哀楽に限ることなく、様々な感情が籠められている。感じ取れるのは向けられた人や感じ取ろうと自ら積極的に試みている人々のみ。当然だが向けられても感じ取れない人はいる。まあ、何も籠められていない声というのもあるが。
「悔しいなら、俺に向いている空を自分に向かせてみろ。……もし言っていることが間違っていると思ったなら立ち上がって、殴れ」
 自分の声の余韻が残る中、静かに淡々と裁きを与えた。
 鋏で操作者と人形を繋ぐ糸を切るように。
「………っ!」
 操作を失い、糸の切れた操り人形は崩れ落ちるまではいかないものの両手を地面に突く。戦う意思を喪失した兵士は必要ない。同様に1人で動けない人形は場合によっては捨てられてしまうのだ。
 床へと目が流れ、武を直視できなくなった。身体が意思との連絡を絶ってしまったため、顔を上げることすらできない。
「………じゃあな。俺はさっさと牛乳買って帰らないと殺されるから―――」
 その様子を悟り、簡単な別れを告げるとタケシの横を通り抜けてさっさと玄関の方へ歩を進める。春香菜に軽く頭を下げていた。
「待って、ください!」
 床に顔を向けたまま、声を絞り出す。咽の奥から湧き上がってきた声は何とも頼りない擦れたものだった。
「何だ?」
 振り返らずに聞き返す。声は笑っていない。
「貴方は……それで……それで、正しいと思っているんですか?」
 床に向かって吐き出され、廊下に反響するその声。彼の中での最大の疑問。判断さえもつかなくなっているのだろう。自分の行動は果たして間違っていたのか、と他人に意見を求めるしかないのだ。
 数秒間、音が消えていた。
「……これは正しいとか、間違っているとかの問題じゃない」
 それ以外には何も言わず、武は靴を履くとドアを開け、静かに出て行った。
 そして廊下には2人が取り残されたが、出て行く直前の3人の時と1人がいなくなったこと以外、何ら変わっていない。
 これで本日何度目か……廊下で流れる沈黙。写真のように瞬間を収めた世界はもう2度と動くことはない。
「――それでも………」
 しかし、今この世界は動き出そうとしていた。
「それでも僕は――間違っていたのかもしれない………」
 青年の言葉が歯車を動かし、時は再び稼動し始める。
 涙が、流れた。
 嗚咽や声といった音を1つも奏でることなく、泣くといった声を出して涙を流す行動ではない――ただ涙を流すだけの独立した運動。
 彼は糸を切られた人形。これから切られた糸を1本1本繋いでいかなければならない。そして、同時に振り向かせようと試みるのだ。
「春香菜さん………」
「は、……はい」
 いきなりの自分を呼ぶ声に慌てて返事をする。
 彼は立ち上がり、微笑んだ。
「お見舞い、していっても……もう、よろしいですよね?」


天国はどこにある?
それは
彼のすぐ傍に







 あとがき

 どうも、相変わらずシリアスな話を書き続けています。
 当初は番外編として書いていましたが途中で『番外』とするのに相応しくないと思い、Another Storyとしました。かけ離れたものでもないので。
半端なく、いえ、当初の予定よりも本当に倍以上に長くなってしまいました。あ、それとふざけた番外編は忘れてやってください(笑)
 真実の物語は一体どちらなのか、というのは皆さん1人1人が思ったように処理してください。……まだ終わってないんですけど(爆)

武は神です(爆)
武 is Godみたいな(笑)
もしゼウスだとしたらつぐみはヘラですかね。最強夫婦?
それで空は天使でタケシは人間。これは禁じられた愛ですかね?
あ、でも今の段階では空が恋しているわけじゃないですね………。そう、まだ愛し合ってはいないわけですから。

 このシリーズ(ですかね?)で大変なことを忘れていました。
 それは、主題(Where is Heaven?)の意味らしき記述が本編の何処にも書かれていないのですよ。考えていたんですけど、後編を書き上げた時にはすっかり忘れていたようです。これはかなり重要なことだと思います(汗)
ですから今回の”Another Story”の方で書きます。簡単に言ってしまうなら『天国とは場所を限定する言葉ではない』と。要するに、タケシにとっての天国は空だということです。

お気づきの方もいると思いますが、この物語は一応武がお見舞いに来ているのでおまけも兼ねているということになります。省略していますが(爆)
しかし、『おまけ』の方との相違点は『空の表情が晴々としたものではなく、暗いものであり、更にタケシの父親のことも調べてはない』というところです。
あとは全て同じですので………勿論、おでこやアレもです(爆)

今回もkarmaを聴きながら書きました。
ですので、とりあえずkarmaをエンドレスリピートして読んでみてください。

え〜っと、タダでは終わらないこのアナザーストーリー。
とりあえず(?)続編を考えております。
現段階では凄いです……『あの人やあの人……え!?あんな人も!!??』みたいな♪
しかし、期待しないで待っていてください。

 P.S 空の想いが武に否定されたと同時に春香菜の想いも否定されてしまいました(汗)

ではでは〜♪




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